2019年07月15日

◆基礎疾患に注目しよう 

石岡 荘十


「基礎疾患」は医学用語で「病気の大元の原因となる疾患」と定義される。

例えば、よく言われるのが心筋梗塞や脳梗塞の基礎疾患として挙げられる「死の四重奏」。

内臓脂肪型肥満(リンゴ型肥満)、高血圧、高脂血症、糖尿病の4つが揃っていることを言い、死亡率は、そうでない人に比べて30倍以上も高くなるという調査結果がある。これにさらに喫煙習慣を加えた五つ揃い文で「死の五重奏」という。

リンゴ型肥満というのは中高年男性の典型的な体型で、写真などで見る金正日氏がその典型的な体型である。女性の場合は、体脂肪が引力に逆らえず臀部に下がってくるので「(西洋)ナシ型肥満」ということになる。


内臓脂肪型肥満の人は動脈硬化になりすく、心臓病や脳卒中へと進んでいくリスクが高まるからだ。

メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部氏が治療の経緯を述べておられる。一応、犯人は脳血栓の予防薬プレタールの副作用ということになったようだ。渡部氏は数十年前に禁煙を実行しておられるし、お見掛けしたところ、内臓脂肪もそれほど大量に溜め込んでいる様子はない。しかし糖尿がある。

高血圧、高脂血については伺ったことはないが、もし該当するような疾患の症状があるとすれば、末永く健筆を振るわれるためにも基礎疾患を撃退するよう心がけて頂きたい。

一口に「撃退」といっても、そのほとんどが、長年のいわゆる生活習慣病の結果なのでそう簡単にはいかない。例えば禁煙。簡単に決別できる人もいるが、懲りるような事態、例えば片肺切除に追い込まれてやっと、止めることが出来たという友人もいる。

心臓手術は不整脈の基礎疾患だ。

筆者は、13年前、心臓の大動脈弁が機能しなくなり人工の機械弁に置換する手術を受けた。10歳の頃から大動脈弁がうまく閉じない障害がありながら、手術までの50余年間放置しておいた結果、心臓の筋肉が正常な人の2倍近い厚さ(1.7ミリ)に肥厚し、弾力性を失いかかっていた。

手術後、不整脈の一つである心房細動に悩まされたのは、心臓手術によって傷つけられ弾力性を失った心筋が基礎疾患となって、時々、心臓の細胞があちこちで異常な動きを見せるためだと診断された。そこで、術後8年目(‘07年)、心房細動の根治治療に踏み切った。

カテーテル(ビニールの細い管)を腿の付け根から差し入れて、心臓まで押し進め、異常行動を起こす細胞を捜索・特定し、高周波で焼き切る。

カテーテル・アブレーション(電気焼妁)といわれる最先端の不整脈治療法だ。その上、術後、何種類かの薬の服用を強いられ、辛うじて心房細動の再発を阻止している。

心臓手術を経験すると、心房細動を起こしやすくなる。橋本龍太郎元首相は、心臓の弁(僧帽弁)がうまく閉じなくなり、私と同じように人工の機械弁に取り替える手術を受けた。

その3年後(‘06)、同じように心房細動を起こし、心臓で出来た血栓(血の塊)が飛んで腸に栄養を送る動脈を詰まらせ、どんな鎮痛剤も効かない激痛を訴えながら死亡した、といわれる。

死因は「腸管虚血を原因とする敗血症ショックによる多臓器不全」だが、この場合の基礎疾患は心臓手術→心房細動である。しかし、いまさら手術経験をなかったことには出来ない。

そこで、薬で心房細動を抑え込むことになるのだが、「すべての薬は毒」である。大学の薬学部で教鞭をとっている友人は、学生にまずこのことを教えるという。

だから種類と量の処方にはくれぐれも慎重でなくてはならないのだが、日本では2万種類の薬が使われている。この中からピタリ鍵穴に合う一本の鍵のような薬を処方するのは、至難の技である。

マスターキーはない。そう考えると、副作用が出ないほうがおかしいともいうことが出来る。私もプレタールを服用しているが、渡部氏のような副作用は今のところない。鍵穴の型が異なるということだろう。

アメリカには「5種類以上の薬を処方する医者にはかかるな」というのが常識だそうだが、日本では65歳以上の高齢者は平均して6種類の薬を服用しているといわれる。

が、薬はあくまでその場しのぎの対症療法に過ぎない。その中で一番多いのは複数種の降圧剤だ。ほとんどの降圧剤には性的機能を不能にする副作用があることはあまり知られていない。「そのお歳でもういいでしょう」と、医者はなめて処方しているのかもしれない。なめるな! 

基礎疾患である生活習慣病の克服こそが根治治療法であり、それができれば “毒”をのまなくてよくなる理屈である。“夜明けのテント”も夢ではなくなるかもしれない。        



2019年07月14日

◆中国、北極圏の「氷上シルクロード」へ

宮崎 正弘


令和元年(2019)7月13日(土曜日)通巻第6140号  

中国、北極圏の「氷上シルクロード」へ国産の砕氷船「雪龍二号」を投入
北極圏参入に神経を尖らせるロシア、ノルウェイ、デンマーク、カナダ

 上海の造船所で「雪龍」二号のお披露目があった。一号は1993年にウク
ライナで製造された砕氷船で、中国が購入した。二号は、中国の国産品だ
と自賛している。

全長122メートル。13999トン、乗組員99名。60日間の無寄港航海が可能と
いう。

中国は北極圏ルートの開拓を「氷上のシルクロート」だと標榜しいるが、
警戒しているのはデンマーク、カナダ、ノルウェイばかりか、ロシアであ
る。先ごろのもロシアは潜水艦が北極圏を通過するときは浮上を義務づ
け、45日前の届け出を必要とする旨、公表した。

グリーンランドを領有するデンマークがもっとも神経質で、中国からの開
発提案を拒否した。グリーンランドには米空軍基地も置かれている。

一説に地球温暖化で溶け出した氷面積はメキシコの総面積に匹敵する等と
言われるが、氷が溶けたことによって砕氷船の航行は比較的有利となり、
中国は資源探査、海底調査などを目的に科学者、地質学者、天候専門家な
ど50名を乗り込ませ、年内に雪龍二号を就航させるとしている。

「あくまでも商業用の距離短縮に繋がる」と言い張る中国に対して、西側
は一貫して軍事利用を懸念している。だがロシアも中国の北極ルートへの
進出に異様なほど神経を尖らせる。中国への不信感は氷の上でも高まった。
      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 情報収集、スパイ工作にはふんだんにカネを使え 
  敵の情報も知らないで戦争を展開した大東亜戦争への猛省

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渡部昇一 v 谷沢永一『孫子の兵法』(ワック)
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勝ち続けるために何を学ぶべきか、誰もが知りたいところだろう。現代風
に孫子を読み直すとこうなるという随想的な雑談である。

 評者(宮崎)のみるところ、孫子を愛読し活用した戦国武将の代表は武
田信玄であり、あの「風林火山」は孫子の戦術そのものだった。同じく家
康は孫子を愛読したが、「兵は詭道なり」というモラルに悖る原則を説い
た孫子をむしろ軽視した。

 とはいえ戦争となれば、情報工作、諜報、偽造、偽装、攪乱など孫子流
儀の戦い方をしたのも、家康だった。

日本で最も孫子を理解したのは吉田松陰だった。

攘夷か開国かと維新前夜の騒然とした世にあって、吉田松陰は敵の正体を
知るには自らがスパイとなって米国へ乗り込まなければならないと覚悟
し、下田で碇泊中のペリー艦隊へ小舟で向かった。乗船を拒否され、野山
獄に?がれた松陰は弟子達と懸命に孫子を読み直し、研鑽を重ねた。

なにしろ松陰は萩藩では山鹿流軍学に基づく兵法の師範だったのだ。弟子
達と孫子を読み解き、解題の書を残した。それが『吉田松陰全集第五巻』
に収められている『孫子訳注』である。

これを松陰以後の第2期松下村塾に学んで感動し、生涯座右の銘として自
らの注釈も入れて明治天皇に献呈したのが乃木希典だった(詳しくは拙著
『悪の孫子』、ビジネス社参照)。

さてそれなら渡部、谷沢という2人の読書人という絶妙コンビは、孫子に
対して、どのような感想を抱き、またいかなる結論をだすのか、興味津々
で読んだ。

孫子の肯綮は「戦わずして勝つ」ことにある。

そのためには敵を知り、己を知ることである。2人はこの基軸に沿って随
想的な談論風発。情報、スパイの重要性を多岐の事例を挙げ、とくに時局
を解説しつつ、くどいように説いている。

谷沢はまず「孫子の特徴は、儒学と関係がない」として「儒教の影響を
まったく受けていません」(中略)「人生というものは、どんな時でも勝
負です。『孫子』の場合は戦争ですが、その戦争を別の言葉に置き換えれ
ば、競争ということになります」と現代的解釈の抗議から始める。

スパイの重要性を渡部はルーズベルト政権の内情から説き、ハルノートの
起草者は、じつはコミンテルンのスパイが書いたとする。

日本は日露戦争を前にして、50万円という大金(今日の貨幣価値で50億
円)を明石元二郎にポンと与え、北欧でスパイ活動、秘密工作のための軍
資金として派手に使わせた。革命工作、ロシアの背後を攪乱し、ロシアの
体制に亀裂を生ませ、やがてロシア革命への伏線となった。

これが本来の「情報工作」だとし、渡部、谷沢の両氏は各地に写真屋など
に偽装した日本人スパイ、あるいは代理人を放っていた事例を挙げる。

つまり敵を知るために情報を集めた。
 
ところが勝利の美酒に酔って、情報より装備、軍隊における出世に関心が
移り、軍のエリートは試験では優秀でも現場を知らない手合いが参謀とな
り作戦を立てた。なんという手抜かりだろう。

大東亜戦争では、アメリカは日本研究を多岐に亘って行っていたのに、日
本はアメリカ研究を怠り、あまつさえ暗号が読まれていることも知らな
かった。日清日露の勝利に酔って、情報という原則を蔑ろにしたからである。

ふたりの結論は参謀本部が試験に優秀な成績だっただけの理由で軍隊を率
いた間違い、たたき上げを尊重し、同時にスパイを育成し、思いっきり情
報にカネを使えと戦い方の基本原則にたち帰る議論となる。

 情報を只だと思っている日本は、敵を知るどころか、情報機関もなけれ
ば、そのことに予算をつけず、普通の主権国家なら存在するスパイ防止法
もない。

孫子からもっとも遠いところにあるのが日本である。
     
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1924回】        
 ――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(17)
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

        ▽
アメリカの友人は「古きものに對する燃えるやうなあくがれを抱いて居
た」ゆえに、「朱塗りの扉のついた支那家をさがした」のを皮切りに、い
わば『支那趣味』にドップリとつかった生活を始めた。

某日、友人の邸宅に招かれる。

「いづれ劣らぬ支那病の連中が、六七人來てゐた」。部屋の調度も、料理
も、話題も、まさに「支那病」に完全感染だ。彼らにしたら、「無産階級
だのプロレタリアなんてことは、どこを風が吹くと言ふ具合である」。

そこで鶴見は、「支那の生活の空氣中に陶酔し乍ら、支那が外國人に對し
て有する『魅力』と言ふものについて、深く考えた」のである。

「元も支那を征服して、漢人種の生活美に征服せられた。清も支那を征伐
して、漢人種の生活美に征伐せられた。そして、今西洋人が同じやうに、
デモクラシーとか何とか言ひ乍ら、支那人が6千年かかつて築き上げた生
活の美しさに魅せられて居る。一度北京に住んだが最後、もうその生活の
味はひは忘れられない」。

 その「漢人種の生活美」の一端を、鶴見は語る。

「北京の町を歩いてゐる時に、我々は全く時間の觀念を脱却してしま
ふ」。「我々は20世紀の現状から解脱してしまふ」。「悠久な人文發達の
あとを眼のあたりに見て六千年の文化の消長のうちに生息し乍ら、これが
人生であると眼がさめる」。こうなるともう「十年百年の問題ではない。
況んや一年二年の小なるをや」。かくして「支那人の落着いた、ゆつたり
した心持が、やがて此の町に居る外國人の性急を征服して仕舞ふ」のである。

だが、だからといって北京の街が清潔で静謐なわけでは、全くない。やは
り「生きた人間と動物」とが人を驚かす。動物は「愉快げに人間と同格で
歩いて」いる。

超然とした態度が、つら憎いほど、落ちつ」きながらラクダが行く。

「その傍を驢馬に乘つた支那人が通る。幾十羽かの鶩を追ひ乍ら農夫がゆ
く。豚が路地から一散に走り出す。驢馬が牽いて通る支那車のうちに滿洲
の婦人の髪飾りが見える。物賣の支那人が天も破れよと怒鳴り立てる。一
人の客を見がけて、二十人の車夫が轅棒をつきつける。その混雜と不統一
の壓巻として、?帽?線の支那巡警がノッソリ閑と町の真中に突つ立つて
居る」。

おそらく彼らの文化――ここでいう文化は、《生き方》《生きる姿》《生きる形》
だが――を表現するに最も相応しいことばは、「騒然たる統一」ではなかろ
うか。

今年は中華人民共和国建国70周年だが、この70年を振り返ってみても静謐
と清潔の一瞬でもあっただろうか。

建国直後の不正・汚職撲滅を掲げた「三反五反」運動から始まって、「抗
美援朝」を絶叫した朝鮮戦争参戦、「百花斉放 百家争鳴」で形容された
束の間の自由化と一転して進められた反右派闘争、餓死者の山を築いた大
躍進、文革の予行演習ででもあったかのような社会主義教育運動、文化大
革命(「毛沢東の敵」は目まぐるしく代わったものだ)、やがて価値観が
逆転した対外開放、際限なき挙国一致のカネ儲け路線・・・「中華民族の
偉大な復興」であり、その果ての習近平一強体制下の紅色帝国――

こう簡単に振り返ってみても、かの国と人々は「騒然たる統一」の日々を
生きてきたように思うが、やはり繊細なる無神経の持ち主なればこそ、と
いうべきだろう。

それにしても、「支那人の落着いた、ゆつたりした心持」と「騒然たる統
一」とが、どんなカラクリによって矛盾なく交わっているのか・・・“絶
対矛盾の自己同一”というヤツだろうか。

車窓から見える「茫々たる平野」。「その千里の平野は悉く人間の力を以
て、耕しつくされて居る。

いたるところ粗衣を身につけた支那の農夫が、無關心に土を耕してゐる。
それは、この同じ農夫が、何千年の昔から、かうして働いて居たやうな氣
がされる」。《QED》

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読者の声  どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS  
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(読者の声1)近年拘束されたウイグル知識人のリスト、ウイグル詩人パ
ルハット氏の詩集「燃えている麦」
アジア自由民主連帯協議会ホームページからです
http://freeasia2011.org/japan/archives/5628(三浦生)

(読者の声2)経産省で行われた日韓の貿易当局実務会議(韓国側主張)に
対し日本側はあくまで説明会との立場を崩さず、乱雑な物置部屋に事務
テーブルと椅子を並べただけの対応ホワイトボードには「輸出管理に関す
る事務的説明会」とマスコミや韓国側の捏造予防韓国側をアップにすると
背景には部屋の隅に積み上げられたパイプ椅子が映り込む。

なにより体面を気にして優遇されるのが当たり前と考える韓国側をこれほ
ど冷遇したのですから韓国も日本の怒りが本物だとやっと気づいたのでは
ないでしょうか。
韓国のニュース報道では床に散らばるゴミまで気にしています。
https://www.youtube.com/watch?v=MBkf89VyTL4

外交とは武器を用いない戦争であるということを実践する経産省に対し、
すぐに落とし所だの相手の顔を立てるだの役に立たないのが外務省。

韓国擁護の筆頭の朝日新聞はハンセン病患者家族訴訟の報道で一面トップ
の大誤報。

取材力もなく思い込みと主義主張で紙面を作っているからこうなるのも当
然。いわゆるリベラルと呼ばれる(自称する)人々の安倍憎しはどこから来
るのか。

たまには左派系の本でも読んでみるかと手にしたのが「偽りの戦後日本」
(白井聡・カレル・ヴァン・ウォルフレン 2015年)。

戦後の自民党政治家を「敗戦利得者」としアメリカの下請け、あるいは馴
れ合いで対米従属を続けているという指摘はそのとおりかもしれません。
しかし安倍批判となると中身がない。

安倍総理が無能だ批判する根拠が「国会のヤジが下品」「オバマ大統領に
冷遇されている」「勉強が苦手で父親の晋太郎に漢和辞典で頭を叩かれ
た」「学歴コンプレックスがある」と週刊誌ネタでしかない。

まるで東大を卒業したことくらいしか自慢することのない野党のクイズ王
の政治家の物言いと同じ。左翼は学歴で差別しますから共産党は東大出ば
かりがエラくなる。学歴を言うならチャーチルなど落第生でしょう。

安倍総理の出身校である成蹊学園は半分は三菱がつくったような学校で
「ビルマ軍医日記」の著者によれば戦前の旧制中学では府立中よりも評価
は高かったといいます。

そんな三菱にケンカを売った韓国はチンピラが親分にツバを吐きかけたも
同然。韓国の地獄はこれからです。

ヒラメのように左側にしか目がない朝日新聞と違って両側に目があるロシ
アのスプートニクは韓国のことがよくわかっている。

『「アンチ日本主義は韓国の国家イデオロギーの一部となっている」 ア
ジアにおける当てこすり戦争はどこへ向かうのか』とする7月12日の記事
は興味深い。
https://sptnkne.ws/6sEA

『日韓問題が新たな展開を迎えた。日本の制裁に対抗して、日本がフッ化
水素を含む制裁対象の戦略物資を北朝鮮に輸出したと韓国が非難した。こ
の発言が深刻な意味を持つのは、日本がこれまでに韓国に対して発動した
貿易制裁の理由が、韓国がこの物質を北朝鮮に販売した可能性があるとい
うものだからだ。

この熾烈な非難にどれほど根拠があるのか。スプートニクはロシア科学ア
カデミー極東研究所朝鮮研究センターのコンスタンチン・アスモロフ主任
研究員にコメントを求めた。

「私は、韓国の文大統領のとりまきの中にいる左派勢力が北朝鮮への密輸
を行った可能性はあると考えています。しかし、日本に、イデオロギー的
に深刻な敵である北朝鮮との貿易で懐を肥やそうとする人がいるとは、に
わかには信じられません。これは貿易問題を背景にした、いつもの当てこ
すりの応報です。」

「第1次世界大戦の直前も、専門家たちは、ヨーロッパ経済はお互いに密
接に結びついているため、だれも戦争はしないと考えていました。しか
し、実際は違ったのです。過去を振り返ってみると、韓国と日本の関係悪
化は少なくとも2017年にはすでに始まっていたことが分かります。

アンチ日本主義が韓国の国家イデオロギーの一部として確立されたので
す。あらゆる不可解な状況を日本植民地時代の遺産のせいにして、絶え間
ない悔悛を要求する。日本が過ちを認めると、悔恨に対して支払う金額が
少ないと言う。今、韓国経済は思ったほどには良くなく、韓国の文在寅大
統領は支持率を上げなければならない状況に置かれています。思いつき得
るあらゆる罪で日本を新たに非難するには絶好の環境です。日本にとって
はいつもの慣れきった不快の種でしょうが、今回、日本は初めて、制裁と
いう真剣な対応に出ることを決めたのです。」』

ゾルゲ事件の黒幕のロシアがここまで変わったというのに朝日の旧態依然
ぶり。親玉がモスクワから北京・平壌にかわっただけなのでしょう。
   (PB生、千葉)


◆「風立ちぬ」の命日

渡部 亮次郎


5月28日。名作「風立ちぬ」の作者。20世紀の業病(号病)肺結核をモ
チーフにし、肺結核に倒れた堀辰雄の命日である。今から61年前、
1953(昭和28)年のことだった。

「風立ちぬ」という松田聖子のアルバムもあるが「立ちぬ」という感傷的
な語感を借りただけで、堀の作品とは無関係である。

堀 辰雄(ほり たつお)のことを知ったのは中学生の頃で、兄が読んでい
たのを勝手に読んだのかも知れない。死去した時は既に高校2年生。関心
は別のところに変わり、その死は知らなかった。

堀 辰雄は 明治37(1904)年12月28日、東京市麹町区平河町(現在は東京
都千代田区)で生まれた。 最終学歴は東京帝国大学国文科。

東京府立三中から第一高等学校へ入学。入学とともに神西清と知り合い、
終生の友人となる。

高校在学中に室生犀星や芥川龍之介とも知る。一方で、関東大震災の際に
母を失うという経験もあり、その後の彼の文学を形作ったのがこの期間で
あったといえる。

東京帝国大学文学部国文科入学後、中野重治や窪川鶴次郎たちと知り合う
かたわら、小林秀雄や永井龍男らの同人誌にも関係し、プロレタリア文学
派と芸術派という、昭和文学を代表する流れの両方とのつながりをもった。

1930(昭和5)年に『聖家族』で文壇デビュー。 このころから肺結核を
病み、軽井沢に療養することも多く、そこを舞台にした作品を多くのこし
たことにもつながっていく。

1934年、矢野綾子と婚約するが、彼女も肺を病んでいたために、翌年、
八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。しかし、綾子はその
冬に死去。この体験が、堀の代表作として知られる『風立ちぬ』の題材と
なった。

この『風立ちぬ』では、ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』を引用して
いる。このころから折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受ける。

王朝文学に題材を得た『かげろふの日記』のような作品や、『大和路・信
濃路』(1943年)のような随想的文章を書き始める。また、現代の女性の
姿を描くことにも挑戦し、『菜穂子』(1941年)のような、既婚女性の家
庭の中での自立を描く作品にも才能を発揮した。

戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代
の中にも多くの支持を得た。また、堀自身も後進の面倒をよく見ており、
立原道造、中村真一郎、福永武彦などが弟子のような存在として知られて
いる。

戦争末期からは症状も重くなり、戦後はほとんど作品の発表もできずに、
信濃追分で闘病生活を送った。

代表作「風立ちぬ」は1936(昭和11)年から執筆、『改造』などに分載さ
れたのち38年4月野田(のだ)書房より刊行。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」とバレリーの詩句の引用をもって始め、リ
ルケの『鎮魂歌(レクイエム)』をエピローグに置く。

高原療養所とそこから山一つ隔てた「K村」とを舞台に、婚約者節子の病
床に寄り添い、やがて彼女に先だたれていく「私」が、死にさらされた自
分たちの生の意味と幸福の証(あかし)とを模索し、ついにそれらについ
ての確信を得ていく過程を描く。

婚約者矢野綾子の死という自らの痛切な体験を、詩情あふれることばのな
かで昇華し永遠の生の思想を訴えかけてくる点において、堀文学の代表的
名作となっている。
昭和28( 195年5月28日信濃追分(現・長野県北佐久郡軽井沢町)で死去
(満48歳没)2010・5・26
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


◆米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ

櫻井よしこ


国際政治はテレビと共にある。

安倍晋三首相の20カ国・地域(G20)首脳会議での巧みな采配も、惜しく
も吹き飛ばされた感がある。世界の目は板門店でのトランプ・金正恩両首
脳に集中し、その他の印象を消し去った。凄いものだ。

6月30日、15時45分、トランプ大統領が韓国の「自由の家」からゆっくり
と軍事境界線に向かって歩き始めると、北側からは金正恩朝鮮労働党委員
長が歩み寄った。境界線の南北に二人が相対し、握手をし言葉を交わし
て、やがてトランプ氏が北側に足を踏み入れたとき、思わず私自身、大き
な笑顔になった。メモをとりつつ、冷静に見ているつもりが、大きな笑顔
がこぼれたのである。中継映像を見ていた人の多くも同様だったのではな
いか。

二人が北朝鮮側で暫し佇んで境界線に戻り、そのまま自然な形で揃って韓
国側に入ったときには、取材陣の叫び声が聞こえた。カメラに囲まれて立
ち話をする金氏は、大きな賭けに出たがうまく意思の疎通がはかれそうだ
と、ひと安心した様子だった。安堵と嬉しさを隠しきれない表情には、そ
の残虐な行動に似合わない子供っぽさが残っていた。

トランプ氏は「つい昨日、金委員長に会うことを思いついた」と繰り返し
たが、ワシントンで発行されている「ザ・ヒル」は、同紙が行った24日の
インタビューでトランプ氏が板門店で金氏に会う考えを語っていたと報じ
た。ホワイトハウスがセキュリティ確保のためその件を当日まで伏せるよ
うに依頼し、報道できなかったという。

トランプ氏側が少なくとも1週間は板門店会談について考えを巡らしてい
たのに対して、金氏にとってはいきなりの提案だったわけだ。金氏は「ツ
イッターを見て本当に驚いた」と語っている。これはトランプ氏との立ち
話を終えて、韓国側の「自由の家」に入り、トランプ氏と並んで坐ったと
きの発言だ。

安倍晋三首相の役割

「昨日の午後、初めて、会いたいというトランプ大統領のメッセージを聞
いた。私も再度会いたかった」

金氏は、トランプ氏の「会いたい」というメッセージを受けて、決断し、
板門店に来た。その間約24時間だったことになる。いきなり言われて駆け
つけた。面子にこだわらず、大決断をしたのは明らかだ。その決断力を考
えるとき、「我々はもっとよくできる。もっとよくなることを世界に見せ
られる」という金氏の言葉に希望を持ちたくなるが、やはり問いたくな
る。「もっとよくなる」とは、核・ミサイル廃棄と拉致問題解決を意味し
ているか、と。

両首脳の会談は50分間にわたった。トランプ氏は韓国を去るに当たり、
「予定は2時間半遅れたけれど、すばらしかった」と、紅潮した顔で語っ
た。舞い上がる程の上機嫌は、金氏との会話が具体的な果実につながると
の思いを抱いたからであろう。

北朝鮮相手の交渉が順調に進むとは中々思えないが、今回の「いきなり会
談」で化学反応が起き、交渉が前進する可能性はあるだろうか。

ここで、横田早紀江さんのトランプ評が思い出される。早紀江さんはこれ
までに二度トランプ氏に会っている。

「トランプさんは、あたたかな父性を感じさせます。よき家庭の一家のお
父さんという感じで、守ってくれるような印象でした」

国際関係が真に冷徹な力関係であるのは言うまでもない。それでもトラン
プ・金両氏の関係は、これから存外うまくいくのではないか。

そこで安倍首相の役割が重要になる。核・ミサイル・拉致の三課題を優先
すること、問題がすべて解決して初めて見返りを与えるという結果重視の
原則を守らせることだ。さもなければ北朝鮮とのせめぎ合いに敗れると、
トランプ大統領に助言し続けることだ。

今回、明確になったのは、トランプ氏は北朝鮮に関して、韓国の、そして
中国の助力を全く必要としていないことだ。

習近平主席は内外共に行き詰まっている。国際社会で中国の友人はほとん
どいない。そこで来日前の6月20日、21日の両日、習氏は恐らく、北朝鮮
の核問題と米中貿易問題を一体化させて米国の優位に立つべく平壌を訪れ
た。すると、23日にトランプ氏が金氏に手紙を送り、金氏はそれを「すば
らしい手紙がきた」と言って公表した。まずトランプ氏の手紙で、次に板
門店首脳会談で、習氏の意図は粉々に砕かれた。

金氏も習氏に、米国との仲介を求めているわけではない。求めているのは
国連の制裁破りをしてでも、援助してくれということだ。

中国の情けが命綱

習政権はすでに巧妙な制裁破りを実行中だが、具体例について6月28日の
「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「国連制裁の対象になっていない観光で中国は正恩に外貨を与えていま
す。北朝鮮への中国人観光客は2017年が80万人、18年は50%増の120万人
でした。観光客が増えた背景に中国当局が観光業者に補助金を出している
という有力情報があります。旅行費用の7割を中国政府が補助し、業者が3
割取って、ツアーを4割値引きで売り出す。中国人は安い費用で平壌に行
き、焼き肉を食べてカラオケで歌って、夜は買春をするというカラクリです」

この種の客を満載した大型観光バスが毎日多数、北朝鮮に向かい、国連制
裁の対象である鉄鉱石や石炭の先物買いも行われているという。現物は制
裁解除の暁に受け取る条件で、支払いは半分に値引きして現金決済だとい
う。西岡氏の指摘だ。

「中国もそうですが、北朝鮮も騙す国です。先払いなどすれば詐欺にあう
のは当然だと思いますが、大丈夫だという。中国当局の保証があるからだ
そうです。国際社会が北朝鮮の核・ミサイル開発阻止でその外貨を枯渇さ
せようとしているときに、中国はこうした汚い手段で制裁破りをしている
のです」

国連制裁があり、米中の貿易戦争が続く限り、中国は米国に正面から逆ら
えない。結果、中国は今も巧妙なルール破りをしているが、さらに狡知を
極めていくだろう。中国の情けが命綱の金氏がどれだけトランプ氏に接近
するかは、中国のやり方をどれだけ国際社会が封じ込められるかという課
題と重なる。

G20の米中会談はその点で危うさを残した。ほとんどすべての中国からの
輸入品に25%の関税をかけるという第4弾の関税は回避され、米中はつか
の間の休戦に入った。そしてファーウェイへの米企業による輸出を一部認
めることになった。トランプ氏の直感や思いつきは素晴らしくとも、中・
長期的戦略は描き切れていない。むしろ戦略の欠如が懸念される。それで
は中国に敗れかねず、全く油断できないのである

『週刊新潮』 2019年7月11日号 日本ルネッサンス 第859回



◆韓国、困ったときの米頼り

阿比留 瑠比


日本が韓国向けの半導体材料の輸出管理を適正化した件をめぐり、韓国の
康京和(カンギョンファ)外相が10日、米国のポンペオ国務長官と電話会談して日
本への措置への懸念を表明した。韓国外務省は、ポンペオ氏はこれに理解
を示したとするが、韓国政府の発表はあまりあてにならないので真偽は不
明である。

ただ、少なくとも韓国が米国による日韓仲裁に望みを託していることは伝
わる。実際、韓国大手紙・朝鮮日報の最近の記事をたどると、困ったとき
の米国頼みぶりがよく分かる。

 事態動かず焦り

 例えば8日付の「韓国が米国にSOS、日本が事前に遮断か」との記事
は、こう書いている。

「日本が『韓国は北朝鮮制裁に違反している』と言い出したのは、『制裁
の維持』を強く叫ぶ米国を仲裁に乗り出しにくくさせるのが目的との見方だ」

米国が仲立ちしてこないことに焦っていることがうかがえる。9日付のコ
ラム「米当局者『なぜ我々が韓国の仲裁をしなければならないのか』」は
断じる。

「韓日関係が悪化しているのにもかかわらず、米政府が積極的に動かない
状況は例外的と言っていい」

米国が、韓国の都合で動いているかのような思い込みが読み取れる。同日
付の記事「韓国高官ら支援求め訪米も、米は依然消極的」は悲鳴をあげて
いた。

「『エッチングガスが韓国を経て北朝鮮に流れている可能性がある』とい
う日本側の主張にも米国は沈黙している」「米国の態度について、日本が
今回の経済報復措置の前に米国に説明を行ったか、米国が一定部分で共感
したためではないかとの観測がでている」

10日付の記事「米国の沈黙は『計算ずく』か」は、さらに憶測を重ねる。

「仲裁の鍵を握る米国の沈黙が長引いている。日本との事前のコンセンサ
ス、自国の半導体産業への反射利益などを計算した『戦略的沈黙』ではな
いかと分析されている」

米国はそんなに韓国の動向を気にしていないと思うが、韓国側はあくまで
米国が仲裁して当然と考えているようである。11日付の記事「韓国大統領
府高官が訪米 日本の輸出規制・北核問題を協議」は指摘する。

「日本の輸出規制措置に対する不当性も積極的に訴えるとみられ、米国側
に仲裁を要請するかどうか注目される」

同日付の記事「米ワシントンで火ぶたを切った韓日ロビー合戦」も同様の
視点を示している。

「米国が今回の事態に関して本格的な仲裁に乗り出すのかが注目される」

米国が介入したら韓国に有利に働くと信じているらしいのが不思議であ
る。その逆の事態もあるとなぜ考えないのか。米国が立会人となり、賞賛
した慰安婦問題をめぐる日韓合意を一方的に破り、米国の顔をつぶしたこ
とをはしっかりお忘れらしい。

日本たたきも

同紙は8日付社説「『韓国は北に毒ガスの材料を渡した』という日本、根
拠を示せ」では日本をこう厳しく批判していた。

「日本は韓国に対する経済報復を合理化しようと、フェイクニュースまで
動員する国になったのか」

だが、5月17日付の記事「大量破壊兵器に転用可能な戦略物資、韓国から
の違法輸出が急増」では、ミサイルの弾頭加工やウラン濃縮などに転用で
きる戦略物資が、大量に違法輸出されていると自ら報じていた。

安易な日本たたきと米国頼みに走る前に、もう少し客観的に自国を見る習
慣を身につけたらどうか

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 7月12日

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 採取
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◆私の「古寺旧跡巡礼」出雲大社

石田 岳彦  弁護士

神宮といえば伊勢神宮、大社といえば出雲大社といわれるように、出雲大社はわが国でも指折りの格式の高い神社です。

古事記や日本書紀の神代巻によれば、大国主命が、地上の支配権を天照大神の孫のニニギノミコト(つまり今の天皇家のご先祖)に譲るのと引き換えに建ててもらった宮殿が出雲大社の起源とされています。

出雲大社は通常「いずもたいしゃ」と呼ばれ、私も勿論、そう呼んでいたのですが、「いずものおおやしろ」というのが正式な読みだそうです。驚きました。

もっとも、この名称自体、明治時代以降のもので、それ以前には杵築大社(きづきのおおやしろ)と呼ばれていたそうです。更に驚きました。
ともあれ、その出雲大社で、平成20年より国宝の本殿の修復が行われています。

御存知の方も多いと思いますが(各地からツアーが組まれていたようなので実際に行かれた方も少なくないかも知れません)、修理に先立つ大遷宮(神が仮の社に移ること)を記念して、平成20年に本殿の60年ぶりの公開が行われました。今回はその際の話をさせていただきます。

お盆を控えた平成20年8月のある週末、私は1泊2日で出雲に出掛けることにしました。朝一番の新幹線と在来線の特急を乗り継いで、JR出雲市駅(ちなみに平成の大合併により、出雲大社のあった大社町は出雲市の一部となりました。)からはタクシーを飛ばしたものの、出雲大社に着いたのは午前11時過ぎでした。

整理券をもらうと午後3時半。4時間半待ちです。事前情報として待ち時間がかなり長くなるのを知っていたので、驚きはありません。寧ろ、今日中に拝観できるのが決まって一安心です。

4月から5月にかけても本殿の公開が行われましたが、その際は境内に長蛇の列ができ、最大で4時間待ちになったとか。その反省もあってか、8月の公開の際には整理券が配られるようになったようです。まあ、8月の炎天下に長蛇の列ともなれば、熱射病で死屍累々となることは分かり切ったことですが。

幸い、日御碕神社、日御碕灯台や旧国鉄大社駅等、周囲に見るべきものは多く、正直4時間半でも短いくらいです(歴史ファンであればという条件付きですけど)。ともあれ、極めて有意義に時間を潰した私は午後3時前に出雲大社に戻ってきました。

本殿の拝観は、案内人に引率されて20人程度のグループ単位で行われます。
ようやく時間になったので、四脚門を潜って玉垣の中に入り、更に楼門をくぐって、靴を脱いだうえ、本殿正面の階段を登りました。本殿への階段は急で、高低差があります。

出雲大社の本殿はこの地方に独特の大社造りと呼ばれる高床式の建物で、正面に屋根付きの階段が設けられています。ただし、本殿の周囲に二重の玉垣が巡らされていることもあり、特に下部の構造は外部から分かりにくいです。

時間に余裕がある方には、出雲大社の前後にでも、松江市内の神魂(かもす)神社(本殿は現存最古の大社造りで国宝に指定)にも寄って、大社造りの建物の全容を見ておくのをお勧めします。現在の本殿は江戸時代に建てられたもので、高さは下から棟までで8丈(24.2m)だそうです。

写真では分かりにくいのですが、実際に本殿の縁側にまで登って周囲を見下ろすと、だいたいビルの3階くらいの感覚で、かなり高く感じます。もっとも、言い伝えによると、中世以前の本殿はこの2倍の16丈、神話の時代においては更に倍の32丈の高さがあったということなので、この程度で驚いてはいけないのかも知れません。

なお、16丈の本殿については、従来、技術的に困難であるとして、単なる伝説であり、史実ではないとする説が強かったようですが、近年、昔の本殿の巨大な柱(丸太3本を束ねたもの)が境内から発掘されたこと等もあり、最近では、歴史的事実として認める説も有力のようです。

もっとも、昔の技術で16丈の高さにするには無理があったためか、文献上、しばしば本殿の転倒事故が起きているのが確認できるとのこと。

神代の32丈(約96m)の本殿については、さすがにこれを信じている人は少ないようですが、土を盛って人工の丘を作り、そのうえに建物を建てることにより、麓からの高さで32丈を確保したとの説もあるそうです。ここまでくるとほとんど頓知話ですね。

本殿のうえは大渋滞で、一旦、縁側を右側に回り、後方を巡って、最後に正面に回り込み、本殿内部を除きこんで、降りるというコースになっていました。
正面に回るまで15分ほど縁側で待たされることになりましたが、本殿上にとどまれる時間がその分長くなるわけですから、悪くない話です。

普段は玉垣の外からしか覗けない、本殿の周囲の建物の桧皮葺の屋根も、今は、私の眼下にあります。私がこの光景を見るのもこれが生涯で最後、若しくは、50年以上先の次回の修理のときだろうと思うと、有難味もひとしおです(数年後に修理が完了した際に、もう一度特別公開をやるという落ちになるかもしれませんが)。

写真撮影禁止なのが泣けてきます。ようやく正面に回り、縁側から内部を覗き込みました。さすがに中には入れてもらえません。神様の家ですから。

本殿の中央には文字通りの大黒柱(仏教の守護神であった大黒天と大国主命はもともと別の神様ですが、「大国」が「ダイコク」と読めるということで、次第に混同されるようになりました。袋をかついだ七福神の大黒様は大国主命のイメージから来ています。

また、事前情報として知っていましたが、大国主命の御神像を収める御神座は何故か正面ではなく、右側(拝観者から見て左側)を向いていて、参拝者の方を向いていません。

理由については争いがあり、中には、「出雲大社は大国主命の宮殿ではなく、その霊を封じ込める牢獄である」というおどろおどろしい説まであるようです。
更に天井には極彩色の「八雲」が描かれているのが見えます。もっとも、「八雲」であるにもかかわらず、何故か描かれている雲は7つだけです。

疑問に思って、説明の方に話を聞くと、昔から7つしかないけど「八雲」と呼ばれているとのことでした。残り1つは心眼で見るのでしょうか。そういえば、八岐大蛇(やまたのおろち)も、頭が8つだから七股なのに八岐と呼ばれていますね。

「八雲」は兎も角として、本殿の内部は、外観と同様全体的には簡素で装飾性が少ないという印象でした。

本殿の参拝が終わった後、改めて境内をノンビリと歩きます。特に印象に残ったのは、本殿の東西にあった十九社という細長い建物で、毎年11月に全国から出雲に神様が集まってくる際の宿舎になる社ということのようです。

 また、出雲大社のすぐ近くには県立の歴史博物館もあります。上で述べた発掘された昔の本殿の柱に加え、加茂岩倉遺跡(一箇所の遺跡から最多の銅鐸が発見されたことで有名)から出土した銅鐸、荒神谷遺跡(358本という常識外れの大量の銅剣が発掘されたことで有名。

勿論、国内最多。)から発掘された銅剣もまとめて見る事ができます。巨大なガラスケースの中に300本以上の銅剣が並ぶ様にはあっけにとられます。

 本殿の修理が終わるまで、まだ、時間がかかりますが、機会があれば、一度、出雲の地に行かれてみてください。    (終 再掲)    

2019年07月13日

◆中国、「雪龍2号」を投入

宮崎 正弘


令和元年(2019)7月13日(土曜日)通巻第6140号  

中国、北極圏の「氷上シルクロード」へ国産の砕氷船「雪龍二号」を投入
  北極圏参入に神経を尖らせるロシア、ノルウェイ、デンマーク、カナダ

上海の造船所で「雪龍」二号のお披露目があった。一号は1993年にウクラ
イナで製造された砕氷船で、中国が購入した。二号は、中国の国産品だと
自賛している。

全長122メートル。13999トン、乗組員99名。60日間の無寄港航海が可能と
いう。

中国は北極圏ルートの開拓を「氷上のシルクロート」だと標榜しいるが、
警戒しているのはデンマーク、カナダ、ノルウェイばかりか、ロシアであ
る。先ごろのもロシアは潜水艦が北極圏を通過するときは浮上を義務づ
け、45日前の届け出を必要とする旨、公表した。

グリーンランドを領有するデンマークがもっとも神経質で、中国からの開
発提案を拒否した。グリーンランドには米空軍基地も置かれている。

一説に地球温暖化で溶け出した氷面積はメキシコの総面積に匹敵する等と
言われるが、氷が溶けたことによって砕氷船の航行は比較的有利となり、
中国は資源探査、海底調査などを目的に科学者、地質学者、天候専門家な
ど50名を乗り込ませ、年内に雪龍二号を就航させるとしている。

「あくまでも商業用の距離短縮に繋がる」と言い張る中国に対して、西側
は一貫して軍事利用を懸念している。だがロシアも中国の北極ルートへの
進出に異様なほど神経を尖らせる。中国への不信感は氷の上でも高まった。
      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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情報収集、スパイ工作にはふんだんにカネを使え 
  敵の情報も知らないで戦争を展開した大東亜戦争への猛省

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渡部昇一 v 谷沢永一『孫子の兵法』(ワック)
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勝ち続けるために何を学ぶべきか、誰もが知りたいところだろう。現代風
に孫子を読み直すとこうなるという随想的な雑談である。

評者(宮崎)のみるところ、孫子を愛読し活用した戦国武将の代表は武田
信玄であり、あの「風林火山」は孫子の戦術そのものだった。同じく家康
は孫子を愛読したが、「兵は詭道なり」というモラルに悖る原則を説いた
孫子をむしろ軽視した。

とはいえ戦争となれば、情報工作、諜報、偽造、偽装、攪乱など孫子流儀
の戦い方をしたのも、家康だった。

日本で最も孫子を理解したのは吉田松陰だった。

攘夷か開国かと維新前夜の騒然とした世にあって、吉田松陰は敵の正体を
知るには自らがスパイとなって米国へ乗り込まなければならないと覚悟
し、下田で碇泊中のペリー艦隊へ小舟で向かった。乗船を拒否され、野山
獄に?がれた松陰は弟子達と懸命に孫子を読み直し、研鑽を重ねた。
なにしろ松陰は萩藩では山鹿流軍学に基づく兵法の師範だったのだ。弟子
達と孫子を読み解き、解題の書を残した。それが『吉田松陰全集第五巻』
に収められている『孫子訳注』である。

これを松陰以後の第二期松下村塾に学んで感動し、生涯座右の銘として自
らの注釈も入れて明治天皇に献呈したのが乃木希典だった(詳しくは拙著
『悪の孫子』、ビジネス社参照)。

さてそれなら渡部、谷沢という2人の読書人という絶妙コンビは、孫子に
対して、どのような感想を抱き、またいかなる結論をだすのか、興味津々
で読んだ。
 孫子の肯綮は「戦わずして勝つ」ことにある。

そのためには敵を知り、己を知ることである。2人はこの基軸に沿って随
想的な談論風発。情報、スパイの重要性を多岐の事例を挙げ、とくに時局
を解説しつつ、くどいように説いている。

谷沢はまず「孫子の特徴は、儒学と関係がない」として「儒教の影響を
まったく受けていません」(中略)「人生というものは、どんな時でも勝
負です。『孫子』の場合は戦争ですが、その戦争を別の言葉に置き換えれ
ば、競争ということになります」と現代的解釈の抗議から始める。

スパイの重要性を渡部はルーズベルト政権の内情から説き、ハルノートの
起草者は、じつはコミンテルンのスパイが書いたとする。

日本は日露戦争を前にして、50万円という大金(今日の貨幣価値で50億
円)を明石元二郎にポンと与え、北欧でスパイ活動、秘密工作のための軍
資金として派手に使わせた。革命工作、ロシアの背後を攪乱し、ロシアの
体制に亀裂を生ませ、やがてロシア革命への伏線となった。

これが本来の「情報工作」だとし、渡部、谷沢の両氏は各地に写真屋など
に偽装した日本人スパイ、あるいは代理人を放っていた事例を挙げる。
 つまり敵を知るために情報を集めた。 

ところが勝利の美酒に酔って、情報より装備、軍隊における出世に関心が
移り、軍のエリートは試験では優秀でも現場を知らない手合いが参謀とな
り作戦を立てた。なんという手抜かりだろう。

大東亜戦争では、アメリカは日本研究を多岐に亘って行っていたのに、日
本はアメリカ研究を怠り、あまつさえ暗号が読まれていることも知らな
かった。日清日露の勝利に酔って、情報という原則を蔑ろにしたからである。

ふたりの結論は参謀本部が試験に優秀な成績だっただけの理由で軍隊を率
いた間違い、たたき上げを尊重し、同時にスパイを育成し、思いっきり情
報にカネを使えと戦い方の基本原則にたち帰る議論となる。

情報を只だと思っている日本は、敵を知るどころか、情報機関もなけれ
ば、そのことに予算をつけず、普通の主権国家なら存在するスパイ防止法
もない。

孫子からもっとも遠いところにあるのが日本である。
    

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1924回】        
 ――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(17)
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

        ▽
アメリカの友人は「古きものに對する燃えるやうなあくがれを抱いて居
た」ゆえに、「朱塗りの扉のついた支那家をさがした」のを皮切りに、い
わば『支那趣味』にドップリとつかった生活を始めた。

某日、友人の邸宅に招かれる。

「いづれ劣らぬ支那病の連中が、6,7人來てゐた」。部屋の調度も、料
理も、話題も、まさに「支那病」に完全感染だ。彼らにしたら、「無産階
級だのプロレタリアなんてことは、どこを風が吹くと言ふ具合である」。
そこで鶴見は、「支那の生活の空氣中に陶酔し乍ら、支那が外國人に對し
て有する『魅力』と言ふものについて、深く考えた」のである。

「元も支那を征服して、漢人種の生活美に征服せられた。清も支那を征伐
して、漢人種の生活美に征伐せられた。そして、今西洋人が同じやうに、
デモクラシーとか何とか言ひ乍ら、支那人が六千年かかつて築き上げた生
活の美しさに魅せられて居る。一度北京に住んだが最後、もうその生活の
味はひは忘れられない」。

その「漢人種の生活美」の一端を、鶴見は語る。

「北京の町を歩いてゐる時に、我々は全く時間の觀念を脱却してしま
ふ」。「我々は20世紀の現状から解脱してしまふ」。「悠久な人文發達の
あとを眼のあたりに見て6千年の文化の消長のうちに生息し乍ら、これが
人生であると眼がさめる」。こうなるともう「10年100年の問題ではな
い。況んや1年2年の小なるをや」。かくして「支那人の落着いた、ゆつ
たりした心持が、やがて此の町に居る外國人の性急を征服して仕舞ふ」の
である。

だが、だからといって北京の街が清潔で静謐なわけでは、全くない。やは
り「生きた人間と動物」とが人を驚かす。動物は「愉快げに人間と同格で
歩いて」いる。

「超然とした態度が、つら憎いほど、落ちつ」きながらラクダが行く。
「その傍を驢馬に乘つた支那人が通る。幾十羽かの鶩を追ひ乍ら農夫がゆ
く。豚が路地から一散に走り出す。驢馬が牽いて通る支那車のうちに滿洲
の婦人の髪飾りが見える。物賣の支那人が天も破れよと怒鳴り立てる。1
人の客を見がけて、20人の車夫が轅棒をつきつける。その混雜と不統一の
壓巻として、?帽?線の支那巡警がノッソリ閑と町の真中に突つ立つて居
る」。

おそらく彼らの文化――ここでいう文化は、《生き方》《生きる姿》《生きる形》
だが――を表現するに最も相応しいことばは、「騒然たる統一」ではなかろ
うか。

今年は中華人民共和国建国70周年だが、この70年を振り返ってみても静謐
と清潔の一瞬でもあっただろうか。

建国直後の不正・汚職撲滅を掲げた「三反五反」運動から始まって、「抗
美援朝」を絶叫した朝鮮戦争参戦、「百花斉放 百家争鳴」で形容された
束の間の自由化と一転して進められた反右派闘争、餓死者の山を築いた大
躍進、文革の予行演習ででもあったかのような社会主義教育運動、文化大
革命(「毛沢東の敵」は目まぐるしく代わったものだ)、やがて価値観が
逆転した対外開放、際限なき挙国一致のカネ儲け路線・・・「中華民族の
偉大な復興」であり、その果ての習近平一強体制下の紅色帝国――

こう簡単に振り返ってみても、かの国と人々は「騒然たる統一」の日々を
生きてきたように思うが、やはり繊細なる無神経の持ち主なればこそ、と
いうべきだろう。

それにしても、「支那人の落着いた、ゆつたりした心持」と「騒然たる統
一」とが、どんなカラクリによって矛盾なく交わっているのか・・・“絶
対矛盾の自己同一”というヤツだろうか。

車窓から見える「茫々たる平野」。「その千里の平野は悉く人間の力を以
て、耕しつくされて居る。
いたるところ粗衣を身につけた支那の農夫が、無關心に土を耕してゐる。
それは、この同じ農夫が、何千年の昔から、かうして働いて居たやうな氣
がされる」。《QED》
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読者の声  どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS  
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   ♪
(読者の声1)近年拘束されたウイグル知識人のリスト、ウイグル詩人パ
ルハット氏の詩集「燃えている麦」
アジア自由民主連帯協議会ホームページからです
http://freeasia2011.org/japan/archives/5628
   (三浦生)

  ♪
(読者の声2)経産省で行われた日韓の貿易当局実務会議(韓国側主張)に
対し日本側はあくまで説明会との立場を崩さず、乱雑な物置部屋に事務
テーブルと椅子を並べただけの対応ホワイトボードには「輸出管理に関す
る事務的説明会」とマスコミや韓国側の捏造予防韓国側をアップにすると
背景には部屋の隅に積み上げられたパイプ椅子が映り込む。

なにより体面を気にして優遇されるのが当たり前と考える韓国側をこれほ
ど冷遇したのですから韓国も日本の怒りが本物だとやっと気づいたのでは
ないでしょうか。

韓国のニュース報道では床に散らばるゴミまで気にしています。
https://www.youtube.com/watch?v=MBkf89VyTL4
 
外交とは武器を用いない戦争であるということを実践する経産省に対し、
すぐに落とし所だの相手の顔を立てるだの役に立たないのが外務省。

韓国擁護の筆頭の朝日新聞はハンセン病患者家族訴訟の報道で一面トップ
の大誤報。

取材力も無く思い込みと主義主張で紙面を作っているからこうなるのも当
然。いわ
ゆるリベラルと呼ばれる(自称する)人々の安倍憎しはどこから来るのか。
たまには左派系の本でも読んでみるかと手にしたのが「偽りの戦後日本」
(白井聡・カレル・ヴァン・ウォルフレン 2015年)。

戦後の自民党政治家を「敗戦利得者」としアメリカの下請け、あるいは馴
れ合いで対米従属を続けているという指摘はそのとおりかもしれません。
しかし安倍批判となると中身がない。

安倍総理が無能だと批判する根拠が「国会のヤジが下品」「オバマ大統領
に冷遇されている」「勉強が苦手で父親の晋太郎に漢和辞典で頭を叩かれ
た」「学歴コンプレックスがある」と週刊誌ネタでしかない。

まるで東大を卒業したことくらいしか自慢することのない野党のクイズ王
の政治家の物言いと同じ。左翼は学歴で差別しますから共産党は東大出ば
かりがエラくなる。学歴を言うならチャーチルなど落第生でしょう。

安倍総理の出身校である成蹊学園は半分は三菱がつくったような学校で
「ビルマ軍医日記」の著者によれば戦前の旧制中学では府立中よりも評価
は高かったといいます。

そんな三菱にケンカを売った韓国はチンピラが親分にツバを吐きかけたも
同然。韓国の地獄はこれからです。

ヒラメのように左側にしか目がない朝日新聞と違って両側に目があるロシ
アのスプートニクは韓国のことがよくわかっている。

『「アンチ日本主義は韓国の国家イデオロギーの一部となっている」 ア
ジアにおける当てこすり戦争はどこへ向かうのか』とする7月12日の記事
は興味深い。
https://sptnkne.ws/6sEA

『日韓問題が新たな展開を迎えた。日本の制裁に対抗して、日本がフッ化
水素を含む制裁対象の戦略物資を北朝鮮に輸出したと韓国が非難した。こ
の発言が深刻な意味を持つのは、日本がこれまでに韓国に対して発動した
貿易制裁の理由が、韓国がこの物質を北朝鮮に販売した可能性があるとい
うものだからだ。

この熾烈な非難にどれほど根拠があるのか。スプートニクはロシア科学ア
カデミー極東研究所朝鮮研究センターのコンスタンチン・アスモロフ主任
研究員にコメントを求めた。

「私は、韓国の文大統領のとりまきの中にいる左派勢力が北朝鮮への密輸
を行った可能性はあると考えています。しかし、日本に、イデオロギー的
に深刻な敵である北朝鮮との貿易で懐を肥やそうとする人がいるとは、に
わかには信じられません。これは貿易問題を背景にした、いつもの当てこ
すりの応報です。」

「第1次世界大戦の直前も、専門家たちは、ヨーロッパ経済はお互いに密
接に結びついているため、だれも戦争はしないと考えていました。しか
し、実際は違ったのです。過去を振り返ってみると、韓国と日本の関係悪
化は少なくとも2017年にはすでに始まっていたことが分かります。アンチ
日本主義が韓国の国家イデオロギーの一部として確立されたのです。

あらゆる不可解な状況を日本植民地時代の遺産のせいにして、絶え間ない
悔悛を要求する。日本が過ちを認めると、悔恨に対して支払う金額が少な
いと言う。今、韓国経済は思ったほどには良くなく、韓国の文在寅大統領
は支持率を上げなければならない状況に置かれています。思いつき得るあ
らゆる罪で日本を新たに非難するには絶好の環境です。日本にとってはい
つもの慣れきった不快の種でしょうが、今回、日本は初めて、制裁という
真剣な対応に出ることを決めたのです。」』

ゾルゲ事件の黒幕のロシアがここまで変わったというのに朝日の旧態依然
ぶり。親玉がモスクワから北京・平壌にかわっただけなのでしょう。
   (PB生、千葉)


◆3橋が国重要文化財に

渡部 亮次郎


春のうららの隅田川には有名ないくつもの橋が架かっているが、下流に近
い勝鬨(かちどき)橋、永代(えいたい)橋、清洲(きよす)橋の3橋が2007
年4月20日に国の重要文化財(建造物)に指定された。隅田川にとっては初
めてのことである。

また敗戦時からの復興著しく、最近は「水彩都市」を自称する江東区(一
部は元深川区)は松平定信の墓、旧弾正橋(八幡橋)、明治丸に次ぐ4、5件
目の重要文化財指定だと喜んでいる。

と言っても橋そのものは江東区ではなく国の所有物だ。永代橋と清洲橋
は、共に関東大震災(1923年9月1日)後の帝都復興事業の象徴として内務省
(現在の国土交通省)直営で作られた。

また勝鬨橋は当時、最先端の技術を駆使した日本で最大規模の跳ね橋とし
て作られ、いずれもわが国橋梁技術史上、高い価値があると評価された。
遊里深川に渡る永代橋は男性的、清洲橋は曲線の美しさから女性的といわ
れている。

永代橋が架橋されたのは、元禄11(1698)年8月であり、江戸幕府5代将軍
徳川綱吉の50歳を祝したもので、現在の位置よりもやや北側、(西岸中央
区日本橋箱崎町、東岸江東区佐賀1丁目付近)当時大渡し(深川の渡し)
のあった場所である。隅田川で4番目に作られた。

当時は深川新地の象徴として歌川広重などの錦絵にもよく描かれている。

「永代橋」という名称は当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたから
という説と、徳川幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説
(「永代島」は「永代橋」から採られたとする説)がある。

幕府財政が窮地に立った享保4(1719)年に、幕府は永代橋の維持管理を
あきらめ、廃橋を決めるが、町民衆の嘆願により、橋梁維持に伴う諸経費
を町方が全て負担することを条件に存続を許した。

文化4(1807)年8月19日、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛け
た群衆の重みに耐え切れず、落橋事故を起こす。

橋の中央部よりやや東側の部分で数間ほどが崩れ落ち、後ろから群衆が
次々と押し寄せては転落し、死者は実に1500人を超え、史上最悪の落橋事
故と言われている。この事故について、大田南畝が狂歌を書き残している。

永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼

なお古典落語の「永代橋」という噺も、この落橋事故を基にしている。

明治30(1897)年、道路橋としては日本初の鉄橋として、鋼鉄製のトラス
橋が現在の場所に架橋されたが、関東大震災に被災し、木製の橋床が損傷
し大正15年に震災復興事業の第1号として現在の橋が再架橋された。

「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言
われたこの橋は、ドイツライン川に架かっていたレマーゲン鉄道橋をモデ
ルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた
橋でもある。

平成12(2000)年に清洲橋と共に土木学会の「第1回土木学会選奨土木遺
産」に選定された。

構造形式
中央径間:スチールアーチ橋
両側:鋼桁橋
工法 ニューマチックケーソン工法
橋長 184.7m
幅員 25.0m

着工 1923年(大正13年)12月
竣工 1926年(大正15年)12月20日

施工主体 東京市復興局
設計 田中豊原案、竹中喜忠設計
橋桁製作 神戸川崎造船所
施工 太丸組/間組

清洲橋(きよすばし)は、東京都道474号浜町北砂町線(清洲橋通り)を
通す。西岸は中央区日本橋中洲町、東岸は江東区清澄1丁目。「清洲」と
いう名称は公募により、建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中
洲町から採られた。

関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された。「帝都東京
の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」と
も呼ばれた優美なデザインである。

当時世界最美の橋と呼ばれたドイツケルン市にあった大吊り橋をモデルに
している(この橋は第2次世界大戦で破壊され、現在は吊り橋ではな
い)。海軍で研究中であった低マンガン鋼を使用して、鋼材の断面を小さ
くする努力がなされた。

もともと「中州の渡し」という渡船場があった場所でもある。

構造形式  自碇式鋼鉄製吊り橋
橋長 186.3m
幅員 22.0m

着工 大正14年3月
竣工 昭和3年3月

施工主体 東京市復興局
設計 鈴木精一
橋桁製作 神戸川崎造船所

勝鬨橋(かちどきばし)とは、東京都中央区で隅田川に架かる橋。晴海通
り(東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線)が通る。

日本では珍しい可動橋(跳開橋)であるが、現在では機械部への電力供給
も無く、可動部もロックされ、跳開することはない。近年、再び跳開させ
ようとの市民運動や都の動きはあるものの、機械部等の復旧に莫大な費用
(約10億円)がかかること、また現在は多数の道路交通量があることか
ら、実現のめどは立っていない。

1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として
有志により「勝鬨の渡し」が設置された。

築地と、対岸の月島の間を結ぶ渡し舟である。埋め立てが完了した月島に
は石川島造船所の工場などが多く完成しており多数の交通需要があったこ
とで、1929年(昭和4年)「東京港修築計画」に伴っての4度目の計画によ
りようやく架橋が実現することとなった。

建設当時は隅田川を航行する船舶が多かった。このため陸運よりも水運を
優先させるべく、3千トン級の船舶が航行することを視野に入れた可動橋
として設計され、跳開により大型船舶の通航を可能とした。高架橋とする
案もあったが建設費が安く済むため、可動橋案が選定された。

勝鬨橋の工事は1933年に着工し、1940年に完成を見た。1940年に「皇紀
2600年」を記念して月島地区で開催予定であった国際博覧会へのアクセス
路とする計画の一環でもあったため、格式ある形式、かつ日本の技術力を
誇示できるような橋が求められた。

そのため、アメリカ等から技術者を導入せず、全て日本人の手で設計施工
を行った。結果的に博覧会は日中戦争の激化などもあって軍部の反対によ
り中止されたが、勝鬨橋は無事完成し「東洋一の可動橋」と呼ばれるほど
の評判を得た。なお当初から路面電車用のレールが敷設されており、1947
年から1968年まで橋上を都電が通行していた。

設置当初は1日に5回、1回につき20分程度跳開していた。この頻度はほぼ
1953年ごろまで続いたが、船舶通航量の減少と道路交通量の増大により次
第に跳開する回数は減少し、1964年以降は年間100回を下回るようになった。

1967年には通航のための最後の跳開が行われた。その後は年に1度ほど試
験のため跳開されていたが、1970年11月29日を最後に跳開されることはな
くなり、1980年には電力供給も停止された。

構造形式
中央部 跳開型可動橋
両側 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋
可動部 双葉跳開型(可動支間長 44m)

橋長 246m
幅員 22m

着工 1933年(昭和8年)6月
竣工 1940年(昭和15年)6月14日

施工主体 東京都・銭高組

橋桁製作
月島側アーチ橋 石川島造船所
築地側アーチ橋 横河橋梁製作所
跳開橋 川崎車両
橋脚 宮地鉄工所
可動部(機械)渡辺製鋼所 (電気)小穴製作所

参考資料:ウィキペディア    2007・05・01

◆米中・米朝首脳会談、つきまとう危うさ

櫻井よしこ


国際政治はテレビと共にある。

安倍晋三首相の20カ国・地域(G20)首脳会議での巧みな采配も、惜しく
も吹き飛ばされた感がある。世界の目は板門店でのトランプ・金正恩両首
脳に集中し、その他の印象を消し去った。凄いものだ。

6月30日、15時45分、トランプ大統領が韓国の「自由の家」からゆっくり
と軍事境界線に向かって歩き始めると、北側からは金正恩朝鮮労働党委員
長が歩み寄った。境界線の南北に二人が相対し、握手をし言葉を交わし
て、やがてトランプ氏が北側に足を踏み入れたとき、思わず私自身、大き
な笑顔になった。メモをとりつつ、冷静に見ているつもりが、大きな笑顔
がこぼれたのである。中継映像を見ていた人の多くも同様だったのではな
いか。

二人が北朝鮮側で暫し佇んで境界線に戻り、そのまま自然な形で揃って韓
国側に入ったときには、取材陣の叫び声が聞こえた。カメラに囲まれて立
ち話をする金氏は、大きな賭けに出たがうまく意思の疎通がはかれそうだ
と、ひと安心した様子だった。安堵と嬉しさを隠しきれない表情には、そ
の残虐な行動に似合わない子供っぽさが残っていた。

トランプ氏は「つい昨日、金委員長に会うことを思いついた」と繰り返し
たが、ワシントンで発行されている「ザ・ヒル」は、同紙が行った24日の
インタビューでトランプ氏が板門店で金氏に会う考えを語っていたと報じ
た。ホワイトハウスがセキュリティ確保のためその件を当日まで伏せるよ
うに依頼し、報道できなかったという。

トランプ氏側が少なくとも1週間は板門店会談について考えを巡らしてい
たのに対して、金氏にとってはいきなりの提案だったわけだ。金氏は「ツ
イッターを見て本当に驚いた」と語っている。これはトランプ氏との立ち
話を終えて、韓国側の「自由の家」に入り、トランプ氏と並んで坐ったと
きの発言だ。

安倍晋三首相の役割

「昨日の午後、初めて、会いたいというトランプ大統領のメッセージを聞
いた。私も再度会いたかった」

金氏は、トランプ氏の「会いたい」というメッセージを受けて、決断し、
板門店に来た。その間約24時間だったことになる。いきなり言われて駆け
つけた。面子にこだわらず、大決断をしたのは明らかだ。その決断力を考
えるとき、「我々はもっとよくできる。もっとよくなることを世界に見せ
られる」という金氏の言葉に希望を持ちたくなるが、やはり問いたくな
る。「もっとよくなる」とは、核・ミサイル廃棄と拉致問題解決を意味し
ているか、と。

両首脳の会談は50分間にわたった。トランプ氏は韓国を去るに当たり、
「予定は2時間半遅れたけれど、すばらしかった」と、紅潮した顔で語っ
た。舞い上がる程の上機嫌は、金氏との会話が具体的な果実につながると
の思いを抱いたからであろう。

北朝鮮相手の交渉が順調に進むとは中々思えないが、今回の「いきなり会
談」で化学反応が起き、交渉が前進する可能性はあるだろうか。

ここで、横田早紀江さんのトランプ評が思い出される。早紀江さんはこれ
までに二度トランプ氏に会っている。

「トランプさんは、あたたかな父性を感じさせます。よき家庭の一家のお
父さんという感じで、守ってくれるような印象でした」

国際関係が真に冷徹な力関係であるのは言うまでもない。それでもトラン
プ・金両氏の関係は、これから存外うまくいくのではないか。

そこで安倍首相の役割が重要になる。核・ミサイル・拉致の三課題を優先
すること、問題がすべて解決して初めて見返りを与えるという結果重視の
原則を守らせることだ。さもなければ北朝鮮とのせめぎ合いに敗れると、
トランプ大統領に助言し続けることだ。

今回、明確になったのは、トランプ氏は北朝鮮に関して、韓国の、そして
中国の助力を全く必要としていないことだ。

習近平主席は内外共に行き詰まっている。国際社会で中国の友人はほとん
どいない。そこで来日前の6月20日、21日の両日、習氏は恐らく、北朝鮮
の核問題と米中貿易問題を一体化させて米国の優位に立つべく平壌を訪れ
た。すると、23日にトランプ氏が金氏に手紙を送り、金氏はそれを「すば
らしい手紙がきた」と言って公表した。まずトランプ氏の手紙で、次に板
門店首脳会談で、習氏の意図は粉々に砕かれた。

金氏も習氏に、米国との仲介を求めているわけではない。求めているのは
国連の制裁破りをしてでも、援助してくれということだ。

中国の情けが命綱

習政権はすでに巧妙な制裁破りを実行中だが、具体例について6月28日の
「言論テレビ」で朝鮮問題専門家の西岡力氏が語った。

「国連制裁の対象になっていない観光で中国は正恩に外貨を与えていま
す。北朝鮮への中国人観光客は2017年が80万人、18年は50%増の120万人
でした。観光客が増えた背景に中国当局が観光業者に補助金を出している
という有力情報があります。旅行費用の7割を中国政府が補助し、業者が3
割取って、ツアーを4割値引きで売り出す。中国人は安い費用で平壌に行
き、焼き肉を食べてカラオケで歌って、夜は買春をするというカラクリです」

この種の客を満載した大型観光バスが毎日多数、北朝鮮に向かい、国連制
裁の対象である鉄鉱石や石炭の先物買いも行われているという。現物は制
裁解除の暁に受け取る条件で、支払いは半分に値引きして現金決済だとい
う。西岡氏の指摘だ。

「中国もそうですが、北朝鮮も騙す国です。先払いなどすれば詐欺にあう
のは当然だと思いますが、大丈夫だという。中国当局の保証があるからだ
そうです。国際社会が北朝鮮の核・ミサイル開発阻止でその外貨を枯渇さ
せようとしているときに、中国はこうした汚い手段で制裁破りをしている
のです」

国連制裁があり、米中の貿易戦争が続く限り、中国は米国に正面から逆ら
えない。結果、中国は今も巧妙なルール破りをしているが、さらに狡知を
極めていくだろう。中国の情けが命綱の金氏がどれだけトランプ氏に接近
するかは、中国のやり方をどれだけ国際社会が封じ込められるかという課
題と重なる。

G20の米中会談はその点で危うさを残した。ほとんどすべての中国からの
輸入品に25%の関税をかけるという第4弾の関税は回避され、米中はつか
の間の休戦に入った。そしてファーウェイへの米企業による輸出を一部認
めることになった。トランプ氏の直感や思いつきは素晴らしくとも、中・
長期的戦略は描き切れていない。むしろ戦略の欠如が懸念される。それで
は中国に敗れかねず、全く油断できないのである

『週刊新潮』 2019年7月11日号日本ルネッサンス 第859回

◆三叉神経痛に有効な治療法!

〜ガンマナイフか?手術か?〜

中村一仁
(大阪市立総合医療センター 脳神経外科医師)

「三叉神経痛」に対する治療方法は、内服、神経ブロック、ガンマナイフ、MVD(microvascular decompression: 微小血管減圧術)と、多岐にわたる。
 
患者は痛い治療は好まないので、近年の治療手段としては低侵襲性と有効性からガンマナイフ治療を選択することも多くなってきた。

本論のガンマナイフ治療とは、コバルト線を用いた放射線治療で非常に高い精度で目的とする病変に照射することが可能な装置である。

さて本題。「三叉神経痛」というと聞きなれないかも知れないが、簡単に言うと、顔面が痛くなる病気である。一般には「顔面神経痛」という単語が誤用されていることがある。顔が痛くなるので「顔面神経痛」という表現はわかりやすい。

ところが、顔面の感覚は三叉神経と呼ばれる第5脳神経に支配されていることもあり、正しくは「三叉神経痛」というわけである。因みに顔面神経は、第7脳神経で顔面の筋肉を動かす運動神経の働きを担っている。

三叉神経痛の原因の多くは、頭蓋骨の中の三叉神経に脳血管が接触・圧迫し刺激となることで痛みが発生するとされている。
 
<対象・方法>
さて、1999年11月から2003年10月の4年間に、当センターで治療を行った三叉神経痛31例のうち、経過を追跡した29例についての検討を行った。ガンマナイフ施行1年後の有効率は69%(20/29例)であり、31%(9/29例)が無効であった。

そこで、このガンマナイフ治療により、治癒しなかった「三叉神経痛9例」の特徴について検討した。

<結果>
ガンマナイフ治療が無効であった「三叉神経痛9例」のうち4例で、MVD(微小血管減圧術)による手術治療が施行された。4例全例で三叉神経痛は消失軽快した。

ガンマナイフ治療無効例の術中所見は、クモ膜の肥厚や周囲組織の癒着などは認めず、通常通りMVDが施行可能であった。

ガンマナイフ治療が無効であった9例について、平均年齢65.7歳(46-79歳)、男性5例、女性4例。平均罹病期間8.7年(1.5-20年)、患側は右側5例、左側4例だった。

全例MRI画像にて圧迫血管を確認した。上小脳動脈(superior cerebellar artery:SCA)による圧迫病変は通常の割合より少なく、静脈や椎骨動脈による圧迫が4例と多かった。

ガンマナイフ治療が有効であった症例との比較では性別、年齢、罹病期間、病変の左右、圧迫部位に統計学的な有意差は認めなかったが、圧迫血管についてはガンマナイフ治療無効例で有意に上小脳動脈によるものが少なかった(χ2検定,P<0.05)。

<考察>
一般に三叉神経痛は脳血管が三叉神経に接触・圧迫することで生じるとされている。その圧迫血管として最も頻度が高いとされているのであるが、今回の検討ではSCAによる圧迫が少なく、ガンマナイフ治療無効例に特徴的な所見であると考えられた。

わが国で三叉神経痛に対する治療としては、抗てんかん薬であるカルバマゼピンの内服、ガンマナイフ、MVDといった選択枝を選ぶことが多い。MVDによる三叉神経痛治療は脳神経外科医Janettaの手術手技の確立により、安全に行なわれるようになった。

しかし、高齢化および低侵襲手術への期待から、近年ではガンマナイフ治療の有効性が多く報告されるようになってきている。

当センターでの経験では、三叉神経痛に対するガンマナイフ治療の1年後の有効率は69%であり、過去の報告と大差はなかった。ガンマナイフ治療後の再発例に対して検討した報告は散見されるものの、その再発・無効の機序は明らかではなく、ガンマナイフ治療後の再発例についての検討が必要である。

三叉神経痛の発症機序は、血管による圧迫と三叉神経根の部分的な脱髄により起こると考えられており、MVDにて減圧することでその症状は軽快する。

一方、ガンマナイフによる治療では、放射線照射に伴い三叉神経全体の機能低下が起こり疼痛制御されると推察されている。

このようにMVDとガンマナイフではその治療機序が異なるため、それぞれの利点を生かすべく、再発・無効例の検討を行い、治療適応を確立していく必要がある。

過去の報告ではガンマナイフ治療後の三叉神経痛に対してMVDを施行した6症例についてクモ膜肥厚や明らかな三叉神経の変化を認めず、ガンマナイフ治療後のMVDは安全に問題なく施行できるとしており、当センターでMVDを施行した2症例も同様の所見であった。

一方で、ガンマナイフ治療施行による血管傷害の例も報告されているが、再発との関連はないように思われる。

ガンマナイフ治療施行後の再発についての検討では、年齢、性別、罹病期間、以前の治療、三叉神経感覚障害の有無、照射線量、照射部位は再発と相関しなかったとの報告がある。

今回の検討では再発に関与する因子として、解剖学的な特徴に着目した。ガンマナイフ治療無効例では上小脳動脈による圧迫病変は通常の分布より有意に少なく、一般に頻度が低いとされている椎骨動脈やMVD後に再発し易いとされる静脈による圧迫が多かった。

このことはガンマナイフ治療無効例における何らかの解剖学的な特徴を示唆する。ガンマナイフ治療では画像上、三叉神経の同定の困難な症例や神経軸の歪みの大きい症例において正確にターゲットに照射することが困難な場合もあり、より広範囲に放射線照射を行うことも考慮されている。

前述の条件が揃うものにガンマナイフ治療の無効例は多いのかもしれないが、推論の域を出ない.この仮説が成り立つならば、MVDは直接的に血管を神経より減圧し、周囲のクモ膜を切開することで神経軸の歪みを修正することができるため、このような症例に対して有効な治療であるといえよう。

しかし、圧迫部位と再発に関連性なしとする報告や、MVD後再発再手術例の約50%で責任血管などの所見なしという報告、MVD無効後のガンマナイフ治療有効例が存在することも事実であり、解剖学的因子のみが治療方法の優劣を決定する要素とはならないのかもしれない。

また、初回のガンマナイフ治療で治癒しなかった三叉神経痛に対して、再度ガンマナイフによる治療を行なうことで症状が改善するとの報告もあるが、長期的な結果はなく、今後の検討課題のひとつである。

今回の研究ではガンマナイフ治療無効例にSCA(上小脳動脈)による圧迫が少なかったという解剖学的な点に着目したが、現時点では臨床的に三叉神経痛に対する治療としてのガンマナイフ治療とMVDは相補的な関係であるべきであり、今後さらに有効例、無効例を詳細に検討することで、各治療の術前評価においてその有効性が証明されることを期待したい。

<まとめ>
ガンマナイフ治療無効例に対して施行したMVDにて、4例中4例で三叉神経痛は消失軽快した。

ガンマナイフ治療無効例9例では静脈や椎骨動脈による圧迫を多く認め、ガンマナイフ治療有効例と比較して有意にSCAによる圧迫が少なかった。今後、ガンマナイフ治療無効例の特徴およびMVDの有用性について検討する必要があると考えられた。(完  再掲)

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