2019年09月27日

◆雀庵の「平穏無事+ときどき災難=人生」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/27(2019/9/25)】好事魔多し、ということか、
PCが身代金要求の悪性ウイルスに攻撃され、クソッ!とあれこれ抵抗した
のだが、うまくいかない。ついに万策尽きて「もはやこれまで」と初期化
を決意したのだが、ナント!初期化も途中でストップしてしまう。

膨大なデータはもう復元できない、完全に破壊されて、ネチズンに復活
するのに2週間以上もかかってしまった。新しいPCやソフト、保守一式で
7.5万円、メール復活などでアレコレうんざりしたけれど、まあ、気晴ら
しと暇つぶしで自転車で遠乗りできるようになったからいいか・・・事故
りそうだが。

「9月になれば Come September」という軽快な歌があったが、小生の場
合、9月はどうもイケナイ。独居房に叩き込まれたのは1971/9/16、同時多
発テロで会社が破壊されたのが2001/9/11、2003/9月頃は抗がん剤で生き
ながら死んでいる、死んでいるのに生きているという、幽明境を行ったり
来たりしていた。

去年の9月は左足の膝皿を複雑骨折してひどい目にあった。今でも跛行し
ている。歳をとると完治することはないのだろう。

去年の台風25号、今年の15号はともに9月で、我が家も随分な被害にあっ
た。昨日も今朝も街のあちこちで屋根を直している。千葉県は台風への脆
弱性が明らかになったからIR誘致競争の点では大変なマイナスだろう。

そう言えば9月6日は結婚記念日で、まさしく「苦労の日」、愛と子育て
の20年を除けば、つまり50とか60歳以降は「六九でもない」日々にな
る・・・小生の場合は。

小生は「バカみたいなキチ〇イ」、カミサンは「キチ〇イみたいなバ
カ」。キチ〇イにつける薬はあるけれど、バカにつける薬はない、「だか
ら俺のほうがマシだ」と思って留飲を下げているが、結婚、子育ての苦
労=生き甲斐=楽しみと、その後の「ヂヂババだけの暮らし」を天秤にか
ければドッコイドッコイで、結婚しない人が増えているのも理解できる。

亭主の足を引っ張る家庭内野党的な奥さんは珍しくないし、奥さんを殴る
暴力亭主も珍しくない。伴侶を持つよりも犬猫ペットで十分、という考え
も分かる。

久し振りに記事を書いたので、とても疲れる。これから自転車で隣町へ
行き図書館で「朴正煕選集」選集を借り、ブックオフで掘り出し物を探す
つもりだ。

PCを便利にするために「お気に入り」やメルアド登録をしなければなら
ない。マイペースでのんびりやればいいのにと思うが、セッカチ、早漏だ
からそれができない。昨日、医者から「抗うつ剤は気分が落ち込んだと
思ったら飲めばいい」という言質を引っ張り出したから、まあ快復過程に
入ったわけだが、「大丈夫だろうか」と疑心暗鬼になっている。

読書の時はそれだけに集中、没頭できるが、それ以外ではブルーで、あ
れこれ考えまくっている。台湾史、朝鮮史、我が家のルーツ史をどう描く
か、書けるのか、涼しくなってきたからペンキ塗りもしなくてはならな
い、塀は補修か全面新築か、自転車は事故る確率は高いからどうしよう、
電動車椅子を借りるかなどなど・・・スパっとした「解」が見つからない
から全然すっきりしない。

昔はそんな時は酒で気分を高めていたが、せっかく3年間も断酒したのだ
から、いまさらご破算にはしたくない。チョコやお菓子でごまかしている
が、今は虫歯でそれもかなわない。「ああ呑みてえなあ」「それをやった
らおしめいよ」、その繰り返し。

老人の繰り言とはよく言ったものだ。(つづく)2019/9/25


◆90%が依然、民主派の抗議活動を支持

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月26日(木曜日)通算第6208号 <前日発行>

香港の世論調査、90%が依然、民主派の抗議活動を支持
  大陸系「愛国」派の歌声大会と旗振り行動、気勢あがらず
 
香港政庁は騒擾を鎮めるため、「覆面禁止法案」を準備中だが、民主派の
ほうは10月1日「国慶節」を祝わない。黒衣日として、黒服で抗議集会
を開催する。黒マスクにヘルメット、黒のTシャツは民主活動家のシンボ
ルである。
 
香港の名門大学「中文大学」のキャンパス。階段を200段ほどあがると
小ぶりな広場があり「時代革命」の大看板があって、随時集会が行われて
いる。校舎のガラス窓には「罷課」(授業ボイコット)のポスターが貼ら
れている。

ここで武闘訓練が行われていることは存外知られていない。段ボールを幾
重にも重ねて粘着テープ。即席の「楯」。警官の武力に立ち向かうのはプ
ラスチックの棍棒。頑丈な手袋。激しい武闘練習には、なんと女子学生も
加わっているではないか。

香港の抗議行動がエスカレートして、警官隊と武力衝突を繰り返すように
なったのは、7月21日の元朗駅事件だった。マフィアが抗議集会帰りの学
生・市民を襲撃したが、警察は遅れて駆けつけ、さては共謀かと言われた。

以後、驚くことにマフィアへの復讐戦が実行される。

「上からの命令」で、仕方なく、所謂「愛国派」とかいう大陸系の香港人
は、ショッピングモールの吹き抜け広場で五星紅旗を翻し、歌声大会を始
めた。

たちまち市民に囲まれ、「権力の犬」「ナチの手先」と罵られ、レオンの
壁のメッセージを剥がす「クリーン大作戦」を開催するや、住民が出てき
て罵声を浴びせ、「帰れ、帰れ」コール。ついにはアリバイ証明的な集会
を十分だけ行って、さっとゲリラ的に解散する。逃げ出すように。

9月22日の行動では大陸系の商店の陳列ケースに「民主」のビラを貼
り、レストランへは集団で押しかけ、食事中の客も驚くなど、新手の示威
行動を始めた。

所謂「愛国派」の劣勢は香港の住民1万38000人を対象にした緊急世論調
査でも明らかとなった。じつに90%が民主派の抵抗、抗議活動を支持し
ているのである。(市民報道会議が8月25日発表)。

習近平には、軍隊を香港に投入して民主派を徹底弾圧する「勇気」はない
だろう。国慶節のあと、戒厳令を敷く決断も出来ず、ひたすら持久戦で、
民主派学生、一般市民の消耗を待つことになるのだろうか。
それとも孤立を怖れず、制裁を顧みず、共産党権力を守るために戦車を香
港へ投入するか?
    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
 「中国製造2025」に箝口令。5G新型スマホ、さっぱり売れず
     中国の景気浮揚策、ことごとく当てが外れて、先行きは暗い
*********************************

世界に先駈けて中国のスマホメーカー四社が、11機種の5G製品を発売
した。世界初というニュースが流れたが、以後、売れているという情報が
ない。

中国は5G特許に関して世界一を喧伝している。注意深く、その中味をみ
ると、特許は地上局に集中している。

しかも「出願で世界一」。だが「特許成立件数」ではないというポイント
に注視しておくべきだろう。

自動車販売が急激に落ち込んだ。しかも習近平が高らかに吹いた喇叭は
「EV自動車」であり、補助金をつけて強制販売した。その後の売れ行きは?

じつはEV優先策を無言のうちに引っ込めて「ハイブリッド」と併行して
の開発となっていた。
 
販売減梃子入れのため、制限してきたナンバープレートの発給制限緩和に
広州市が踏み切ると、杭州、天津、貴陽の各市と海南省が追随した。同時
に中古車取引にかけてきた税品を引き下げた。

それでも、鉄鋼生産を増やすという。鉄は国家なりという古典的経済の象
徴を、中国の威信にかけて守るのか?

世界景気が後退し、家電が売れ行き不振、新車販売が急減している状況
に、鉄鋼を「増産」するのはいかなる算段なのだろう。

在庫が増えればダンピング輸出、アジアの経済を掻き乱すが、中国は自分
さえ良ければ他国がどうなろうと構わないというエゴ丸出し。いずれダン
ピング提訴で、巨額の罰金が待っているが、目先の処方箋は増産、増産、
増産である。

中国政府は生産調整を目指し、減産を奨励したが、過去の強気の設備投資
により、生産能力は漲るほどある。生産能力が11億トン、実需はおそら
く6億トンだが、8億トン前後を生産している。

国有企業はそれぞれがお家の事情があり、国の政策を全面的に受け入れら
れないため、ひそかに増産するのだ。

この宿命的矛盾は、要するに全体主義システムの欠陥からきている。
 
中国は3月の全人代で、その年のGDP成長率を発表するから、国有企業
ならびに行政単位の市、県、村、鎮のトップはなんとしても、その数字
(ちなみに2019年は6%〜6・5%)を死守しようとし、或いはそれ以上
の数字をはじき出すために無理を重なる。

でたらめな計画の元に借金を増やし、なにがなんでも目標達成。あげくの
はてが、誰も乗らない地下鉄、クルマが通らない橋、高速代金が高くて敬
遠されるハイウェイや、事故が頻発するトンネル、テナントが入らない
ショッピングモール、そして狢と狸の住み家となった高層マンションが集
合してのゴーストタウンの乱立。

成長率が落ちて、ゴーストタウン化が進み、工場が閉鎖された。潜在的失
業は数百万人にのぼる。砂上の楼閣、蜃気楼の繁栄はやがて泡沫のように
消滅するだろう。のこるのは史上空前の借金である。

窮余の一策としての「一帯一路」は国内余剰在庫と余剰労働力の処理のた
めのプロジェクトだった。ところが、世界中から「借金の罠」と非難をあ
びて世界各地で頓挫、中断している。

こうした「実績」を基にして「輝かしい歴史」を歌いあげる国慶節が10月
1日に迫り、北京は健軍パレード準備に追われている。国慶節は滑稽節?
           
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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   ♪
(読者の声1)貴誌前号にある台湾総統選挙ですが、呂秀漣がたとえ出馬
しても、蔡英文優位は不変ではないでしょうか?
 それより定数113の立法員(国会)選挙で、どうやら国民党が第一党
に復帰しそうです。(UY生、広島県)


(宮崎正弘のコメント)まだ正式な選挙戦が始まっていませんので、なん
とも言えませんし、中国が四中全会を終えると、台湾に対して、如何なる
情報戦を展開するか。

現段階では、蔡英文優位状況という、あくまでも情勢論です。

◆【変見自在】諭す宰相

高山 正之


朝日新聞はこと韓国となると目が潤んでくる。愛おしくて身悶えする。

 だから日本の雑誌如きが韓国に意見でもしようものならもう怒り狂って
「メディアが韓国への反感を煽る」と社説で騒ぎ立てる。

 先の戦争では「メディアが国策に沿い、英米敵視と支那朝鮮への蔑視を
植え付けた」と社説は続ける。

 鬼畜米英は知っているけれど後半は初耳だ。というか、もろ嘘だ。朝鮮
人は内鮮一体で同等の待遇にしてやり、徴兵免除、課税軽減の特典も与えた。

 米国が植民地フィリピン人を、英国がインド人を自国民の盾に使うよう
な非道はしなかった。

 支那では汪兆銘を支えて上海などでは終戦まで安寧の日々が続いた。民
は李香蘭の舞台に興じ、北京郊外の狼牙山の民は日本軍に共産ゲリラの略
奪から守ってもらった。

 社説はまた「半島から文明の伝播もあった」と書く。これも「文化は日
本から」が正しい。半島からは厄介だけが来た。その証拠に唐からきた辛
子は日本経由で朝鮮に入った。だから半島では「唐辛子を倭辛子という」
とモランボンの会長が言っていた。

 川の名前でも分かる。北の支那人は黄河、熱河のように「河」を使う。
日本が付き合った南の支那人は揚子江、黄浦江と「江」を使う。

 それが日本経由であっちに伝わり、彼らは洛東江と漢江とか書く。

 韓国を愛するのはいいが、論説主幹根本清樹はなぜこんな一片の真実も
ない社説を書かせたのか。

 この新聞社は外資系風に編集局長をゼネラルエディターと呼ぶ。新聞記
者だったらこんな名刺は恥ずかしくて出し難かろうに。

 そのGEも韓国への愛は論説に負けない。元ソウル特派員神谷毅に韓国
大統領特別補佐官の文正仁をインタビューさせたが、これもひどい。

 なんたら補佐官は驚くほど学がない。目下の日韓のいざこざ分析で「日
本も韓国も、相手を叩くと(政権の)人気が出る構造になっている」と語る。

 韓国は確かにその通りだ。あっちでは政権の求心力が落ちると反日政策
を打ち出すのが形だ。そうすると人気が盛り返す。

 日本人はあまり深刻に考えないが、あの国の民は骨の髄まで反日だとい
うことを知るべきだ。

 だから汚職で危なくなった李明博は竹島に登っただけですべて許された。

 金泳三が旧朝鮮総督府を爆破したら国民は大喜びした。韓国製なら風が
吹いても倒れるが日本の本格建築はなかなか崩れない。おかげで韓国民は
何週間も爆破作業を楽しんだ。

 対して日本は政権が韓国を叩いて人気を得たなどという事例は一つもな
い。甘すぎてもたかが韓国のことでは政局にもならない。

 例えば岸信介。李承晩が勝手に敷いた李ラインで4000人の日本人漁
船員が拿捕、あるいは殺害された。

 軍事手段を持たない岸は漁船員解放のため収監中の在日殺人犯や大村に
収監中の密航朝鮮人全員を釈放し在留も認める「抑留者相互釈放覚書」を
交わした。大甘だが、日本人はそれで彼らが真人間になればと思いやった。

1987年、大韓機爆破テロがあった。バーレンの日本大使館員が金賢姫の身
柄を確保したが、竹下登は慮泰愚に配慮して彼女を韓国に引き渡した。結
果、北朝鮮によるめぐみちゃんらの拉致被害の実態確認が大幅に遅れた。

 慮泰愚は嵩にかかって海部俊樹も脅し、在日の指紋押捺も廃止させ、入
国韓国人にもそれを適用させた。

 施行されてすぐ世田谷一家四人殺しが起きた。犯人の指紋は山とあるの
にまだ捕まっていない。

 宮澤喜一はサッカーW杯を韓国との共催にしてやった。小泉純一郎は韓
国にホワイト国待遇を与えた。

 他に経済援助もしてやった。そういう寛大さがあの国をまともにすると
歴代宰相は信じたが、みな見込み違いだった。

 韓国に理非を諭せる宰相が必要になった。

 今、やっとそうなってきたのかもしれない。 

◆「南京大虐殺」はなかった

早川昭三

南京大虐殺の情報が、中国から伝わって来る。『南京大虐殺は30万人』だったというのが中国の歴史感で、これに基づいて慰霊祭も行われた。
このことが本当に真実なのかという思いが、日本では広がっていることは否めない。
そんな空気が広がりを見せる中で、『南京30万人大虐殺はなかったという厳然たる事実を未来に伝えたい』という映画を作製した脚本・監督の水島総氏の講演と、制作映画の試写会のことを思い出した。
監督の水島総氏が来阪し講演・試写会をしたのは、2008年2月とかなり以前の事になる。当時の大阪八尾市文化会館プリズムホールに1400人収容の会場がほぼ満席の中で、同監督の映画制作意図の講演と、制作の「南京の真実」第一部『七人の死刑囚』の試写会が行われた。
先ず水島監督の講演からはじまった。

<「東京裁判(極東国際軍事裁判)の原点は、でっち上げ「南京大虐殺」の告発から始まったものだ。いい加減な証拠と証人で、7人が死刑に処せられた。

だから歴史のウソを正し、南京大虐殺の真実を後世に伝えるために、史実と1aも違わないリアルシーンを再現し、撮影した」とのべた。

そして「この映画によって、『南京30万人大虐殺』はなかったという厳然たる事実を、未来のこども達に伝えなければならない」と、映画製作意図を強調した。>

「試写会」が始まった。

<映画ストリーは、巣鴨プリズンに収監されていた「東京裁判」の戦争指導者「7人(A級戦犯6名とBC級戦犯1名)の死刑囚」に死刑執行が告知された瞬間から、執行までの24時間をドキュメンタリータッチで描いたものだった。

ドラマは、執行時刻が刻々と切迫する中、一組の寝具と一脚の座り机しかない3畳ほどの独房で居ずまいを正す7人の実像を、際立った表情のクローズや強烈なノイズを折り混ぜながら、新事実セットの中で展開した。

映画の主人公は、死刑判決を受け処刑された松井 石根中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、陸軍大将(浜畑賢吉役)。

このでっちあげの「南京大虐殺事件」の告発で、「東京裁判」での死刑判決が出されたと見方にもとづき、主役松井大将の証言を主軸に、「東京裁判」そのものの不当性を暗示する手法で進めていった。

ところで、映画の中で目を見張ったのは、南京陥落の翌日の昭和12年12月14日、「東宝映画撮影隊」が南京現場に踏み入り、その翌15日から正月にかけて南京状況を、実際に撮影した「記録シーン」が映画の中に組み込まれていたことだった。

恐らく、多くの日本人が未だ見たことが少ない「貴重な記録フイルム」だろう。

この中で、まず南京城内で「兵を民に分離」する登録風景が映し出されている。

仮に30万人の大虐殺があったのなら、憎しみのある日本軍に、中国人民間人がにこやかな表情で長蛇の列を作り、穏やかに「登録署名」に応じる筈はあるまい。

第一、日本兵が強姦・殺戮を平気でやる奴らだと思っていたら、憎しみと恐怖心から中国人が進んで集うことも、まず考え難い。

現場と名指される南京では、子供たちが爆竹に笑顔で興じているシーンも記録されていた。もしその風景撮影のために、強制、もしくは偽装演技させたてものだったら、あんなに愉快に飛び跳ねる楽しい仕種をさせることは、親も許さないだろう。

極めつけは、正月前の「餅つき」や「門松飾り」の行事だ。正月とは、日本における厳粛な行事だからだ。この正月の東宝映画撮影隊の記録映画も、まさに「大虐殺」があったといわれる同時期のものだが、そんな雰囲気は南京では微塵も感じさせない。

虐殺があった後、累々と横たわる死骸の近くで、日本軍が平気で正月準備ができるはずもない。

水島総監督は、なぜ「南京大虐殺」が捏造されたかについて、下記の様に主張した。

i)中国共産党政権が繰り返してきた自国民に対する「大虐殺」を隠蔽するため。
i)一党独裁体制の内部矛盾への人民の怒りを日本に転嫁するため。
i)日本に対して常に精神的優位に立つための決定的「歴史カード」設定するため。

上記3理由をあげたのだ。(映画「南京の真実」製作委員会・広報誌)

同監督が、「南京大虐殺」は、絶対に存在しなかったとの明言を思い出す。

このことを世界に知らしめ、日本と日本人の名誉と誇りを守るため、これから第二部「検証編」、第三部「米国編(英語版)」を製作したいとしていると主張された。>

確かに、この映画第一部「7人の死刑囚」試写会を見て、検証された歴史事実に感動し、「南京大虐殺捏造」に怒りを覚えたことを今でも思い出す。

それだけに水島監督が日本の誇りの保持のために挑むこれからの第二部「検証編」の製作に期待しているのだが、残念にも筆者はその第二部を見ていない。

いずれにせよ、当時南京現場で撮影された記録フイルムを組み入れて「南京大虐殺捏造」を制作された同映画には心を動かされた。

中国の「南京大虐殺」歴史感には納得出来ない。要はねつ造で、在り得なかったからだと、この実録映画をみてから、今でもそう思う。
                                   (了  再掲)


2019年09月26日

◆雀庵の「平穏無事+ときどき災難=人生」

 “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/27(2019/9/25)】好事魔多し、ということか、
PCが身代金要求の悪性ウイルスに攻撃され、クソッ!とあれこれ抵抗した
のだが、うまくいかない。ついに万策尽きて「もはやこれまで」と初期化
を決意したのだが、ナント!初期化も途中でストップしてしまう。

膨大なデータはもう復元できない、完全に破壊されて、ネチズンに復活す
るのに2週間以上もかかってしまった。新しいPCやソフト、保守一式で7.5
万円、メール復活などでアレコレうんざりしたけれど、まあ、気晴らしと
暇つぶしで自転車で遠乗りできるようになったからいいか・・・事故りそ
うだが。

「9月になれば Come September」という軽快な歌があったが、小生の場
合、9月はどうもイケナイ。独居房に叩き込まれたのは1971/9/16、同時多
発テロで会社が破壊されたのが2001/9/11、2003/9月頃は抗がん剤で生き
ながら死んでいる、死んでいるのに生きているという、幽明境を行ったり
来たりしていた。

去年の9月は左足の膝皿を複雑骨折してひどい目にあった。今でも跛行し
ている。歳をとると完治することはないのだろう。

去年の台風25号、今年の15号はともに9月で、我が家も随分な被害にあっ
た。昨日も今朝も街のあちこちで屋根を直している。千葉県は台風への脆
弱性が明らかになったからIR誘致競争の点では大変なマイナスだろう。

そう言えば9月6日は結婚記念日で、まさしく「苦労の日」、愛と子育ての
20年を除けば、つまり50とか60歳以降は「六九でもない」日々にな
る・・・小生の場合は。

小生は「バカみたいなキチ〇イ」、カミサンは「キチ〇イみたいなバ
カ」。キチ〇イにつける薬はあるけれど、バカにつける薬はない、「だか
ら俺のほうがマシだ」と思って留飲を下げているが、結婚、子育ての苦
労=生き甲斐=楽しみと、その後の「ヂヂババだけの暮らし」を天秤にか
ければドッコイドッコイで、結婚しない人が増えているのも理解できる。

亭主の足を引っ張る家庭内野党的な奥さんは珍しくないし、奥さんを殴る
暴力亭主も珍しくない。伴侶を持つよりも犬猫ペットで十分、という考え
も分かる。

久し振りに記事を書いたので、とても疲れる。これから自転車で隣町へ行
き図書館で「朴正煕選集」選集を借り、ブックオフで掘り出し物を探すつ
もりだ。

PCを便利にするために「お気に入り」やメルアド登録をしなければならな
い。マイペースでのんびりやればいいのにと思うが、セッカチ、早漏だか
らそれができない。昨日、医者から「抗うつ剤は気分が落ち込んだと思っ
たら飲めばいい」という言質を引っ張り出したから、まあ快復過程に入っ
たわけだが、「大丈夫だろうか」と疑心暗鬼になっている。

読書の時はそれだけに集中、没頭できるが、それ以外ではブルーで、あれ
これ考えまくっている。台湾史、朝鮮史、我が家のルーツ史をどう描く
か、書けるのか、涼しくなってきたからペンキ塗りもしなくてはならな
い、塀は補修か全面新築か、自転車は事故る確率は高いからどうしよう、
電動車椅子を借りるかなどなど・・・スパっとした「解」が見つからない
から全然すっきりしない。

昔はそんな時は酒で気分を高めていたが、せっかく3年間も断酒したのだ
から、いまさらご破算にはしたくない。チョコやお菓子でごまかしている
が、今は虫歯でそれもかなわない。「ああ呑みてえなあ」「それをやった
らおしめいよ」、その繰り返し。

老人の繰り言とはよく言ったものだ。(つづく)2019/9/25


◆90%が依然、民主派の抗議活動を支持

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月26日(木曜日)通算第6208号 <前日発行>

香港の世論調査、90%が依然、民主派の抗議活動を支持
  大陸系「愛国」派の歌声大会と旗振り行動、気勢あがらず
 
香港政庁は騒擾を鎮めるため、「覆面禁止法案」を準備中だが、民主派の
ほうは10月1日「国慶節」を祝わない。黒衣日として、黒服で抗議集会
を開催する。黒マスクにヘルメット、黒のTシャツは民主活動家のシンボ
ルである。
 
香港の名門大学「中文大学」のキャンパス。階段を200段ほどあがると
小ぶりな広場があり「時代革命」の大看板があって、随時集会が行われて
いる。校舎のガラス窓には「罷課」(授業ボイコット)のポスターが貼ら
れている。

ここで武闘訓練が行われていることは存外知られていない。段ボールを幾
重にも重ねて粘着テープ。即席の「楯」。警官の武力に立ち向かうのはプ
ラスチックの棍棒。頑丈な手袋。激しい武闘練習には、なんと女子学生も
加わっているではないか。

香港の抗議行動がエスカレートして、警官隊と武力衝突を繰り返すように
なったのは、7月21日の元朗駅事件だった。マフィアが抗議集会帰りの学
生・市民を襲撃したが、警察は遅れて駆けつけ、さては共謀かと言われた。

以後、驚くことにマフィアへの復讐戦が実行される。

「上からの命令」で、仕方なく、所謂「愛国派」とかいう大陸系の香港人
は、ショッピングモールの吹き抜け広場で五星紅旗を翻し、歌声大会を始
めた。

たちまち市民に囲まれ、「権力の犬」「ナチの手先」と罵られ、レオンの壁
のメッセージを剥がす「クリーン大作戦」を開催するや、住民が出てきて罵
声を浴びせ、「帰れ、帰れ」コール。ついにはアリバイ証明的な集会を十分
だけ行って、さっとゲリラ的に解散する。逃げ出すように。

9月22日の行動では大陸系の商店の陳列ケースに「民主」のビラを貼
り、レストランへは集団で押しかけ、食事中の客も驚くなど、新手の示威
行動を始めた。

所謂「愛国派」の劣勢は香港の住民1万38000人を対象にした緊急世論調
査でも明らかとなった。じつに90%が民主派の抵抗、抗議活動を支持し
ているのである。(市民報道会議が8月25日発表)。

習近平には、軍隊を香港に投入して民主派を徹底弾圧する「勇気」はないだ
ろう。国慶節のあと、戒厳令を敷く決断も出来ず、ひたすら持久戦で、民
主派学生、一般市民の消耗を待つことになるのだろうか。
それとも孤立を怖れず、制裁を顧みず、共産党権力を守るために戦車を香
港へ投入するか?
    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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 「中国製造2025」に箝口令。5G新型スマホ、さっぱり売れず
     中国の景気浮揚策、ことごとく当てが外れて、先行きは暗い
*********************************

世界に先駈けて中国のスマホメーカー四社が、11機種の5G製品を発売
した。世界初というニュースが流れたが、以後、売れているという情報が
ない。

中国は5G特許に関して世界一を喧伝している。注意深く、その中味をみ
ると、特許は地上局に集中している。

しかも「出願で世界一」。だが「特許成立件数」ではないというポイント
に注視しておくべきだろう。

自動車販売が急激に落ち込んだ。しかも習近平が高らかに吹いた喇叭は
「EV自動車」であり、補助金をつけて強制販売した。その後の売れ行きは?

じつはEV優先策を無言のうちに引っ込めて「ハイブリッド」と併行して
の開発となっていた。
 
販売減梃子入れのため、制限してきたナンバープレートの発給制限緩和に
広州市が踏み切ると、杭州、天津、貴陽の各市と海南省が追随した。同時
に中古車取引にかけてきた税品を引き下げた。

それでも、鉄鋼生産を増やすという。鉄は国家なりという古典的経済の象
徴を、中国の威信にかけて守るのか?

世界景気が後退し、家電が売れ行き不振、新車販売が急減している状況
に、鉄鋼を「増産」するのはいかなる算段なのだろう。

在庫が増えればダンピング輸出、アジアの経済を掻き乱すが、中国は自分
さえ良ければ他国がどうなろうと構わないというエゴ丸出し。いずれダン
ピング提訴で、巨額の罰金が待っているが、目先の処方箋は増産、増産、
増産である。

中国政府は生産調整を目指し、減産を奨励したが、過去の強気の設備投資
により、生産能力は漲るほどある。生産能力が11億トン、実需はおそら
く6億トンだが、8億トン前後を生産している。

国有企業はそれぞれがお家の事情があり、国の政策を全面的に受け入れら
れないため、ひそかに増産するのだ。

この宿命的矛盾は、要するに全体主義システムの欠陥からきている。
 
中国は3月の全人代で、その年のGDP成長率を発表するから、国有企業
ならびに行政単位の市、県、村、鎮のトップはなんとしても、その数字
(ちなみに2019年は6%〜6・5%)を死守しようとし、或いはそれ以上
の数字をはじき出すために無理を重なる。

でたらめな計画の元に借金を増やし、なにがなんでも目標達成。あげくの
はてが、誰も乗らない地下鉄、クルマが通らない橋、高速代金が高くて敬
遠されるハイウェイや、事故が頻発するトンネル、テナントが入らない
ショッピングモール、そして狢と狸の住み家となった高層マンションが集
合してのゴーストタウンの乱立。

成長率が落ちて、ゴーストタウン化が進み、工場が閉鎖された。潜在的失
業は数百万人にのぼる。砂上の楼閣、蜃気楼の繁栄はやがて泡沫のように
消滅するだろう。のこるのは史上空前の借金である。

窮余の一策としての「一帯一路」は国内余剰在庫と余剰労働力の処理のた
めのプロジェクトだった。ところが、世界中から「借金の罠」と非難をあ
びて世界各地で頓挫、中断している。

こうした「実績」を基にして「輝かしい歴史」を歌いあげる国慶節が10月
1日に迫り、北京は健軍パレード準備に追われている。国慶節は滑稽節?
           
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(読者の声1)貴誌前号にある台湾総統選挙ですが、呂秀漣がたとえ出馬
しても、蔡英文優位は不変ではないでしょうか?
 それより定数113の立法員(国会)選挙で、どうやら国民党が第一党
に復帰しそうです。(UY生、広島県)


(宮崎正弘のコメント)まだ正式な選挙戦が始まっていませんので、なん
とも言えませんし、中国が四中全会を終えると、台湾に対して、如何なる
情報戦を展開するか。

現段階では、蔡英文優位状況という、あくまでも情勢論です。

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡荘十


正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し始めたが、まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”がいかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。
「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣
歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。
というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。
ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな
スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ
つい先まで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。

インフルエンザは、熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

やはり、この際の世界の常識は、WHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。   

2019年09月25日

◆次のターゲットは親中派

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月24日(火曜日)通算第6206号 

次のターゲットは親中派のショッピングモール、商店
  再度の空港占拠は厳重警備に阻まれて失敗。だが勢い衰えず

香港の「民主運動」の勢いはまだ衰えていない。

22日(日曜)は空港が再度、ターゲットとなった。厳重な警備をかいく
ぐって空港ロビィへ行くには、パスポートと搭乗券が必要。SNSは「偽
造航空券をつくって潜り込もう」と呼びかけた。数百が空港に座り込んだ
が破壊行為はなかった。誰が呼びかけているのか、司令塔はともかく
ツィッターなのである。
 
混乱を怖れた当局は空港から市内へのエアポートエクスプレス(快速列
車)を途中の青衣、九龍を通過させ、いきなり終着の香港駅へと運ぶ作戦
に切り替えた。

このため、九龍のホテルを予約した旅行客は、香港島から再び乗り換えて
半島側に戻らなければならなくなった。この日、英国の老舗旅行代理店
トーマス・クックが倒産、クック航空で外国滞在中の旅客は60万人とい
われ、世界各地に積み残されたが、そういう客も香港で出たかも知れない。

もっとも荒れたのが屯門の地下鉄駅付近で、警官隊と衝突の最中に若者が
警官のピストルをもぎ取ろうとしたため、警察が「実弾を撃つぞ」と警告
する場面もあった。民主派は複数のショッピングモールに集合し、合唱大
会、吹き抜けロビィの四階、もしくは五階から長い垂れ幕を垂らし「民主
香港」「光復香港」「時代革命」などのスローガンを並べた。そのうえで
五星紅旗を踏みつけ、焼却して中国共産党を怒らせる行為が継続した。

また「親中派の商店に抗議しよう」と唱えられたため、商店街は一斉に
シャッターを下ろし、防御態勢に。警官隊も、ビルの外にバリケートを築
き、破壊行為を始めた抗議側に催涙弾を打ち込んだ。

なにしろ神出鬼没、直前に「某所にあつまろう」とSNSで呼びかけられ
るので、警官の出動は遅れがちとなる。

午後からはベットタウンの沙田などで、衝突が繰り返された。
 
他方、移民を扱う法律事務所は超満員の盛況。6月の騒擾発生以来、移民
申請が増えていたが、9月の特徴は「これまでの3倍、それも豪、カナだ
ではなくマレーシア、タイ、シンガポールへの移民希望が急増している。
費用はすべて込みで6万」5000ドルが相場だが、スタッフを増やして
も対応できない」と移民法律事務所はいう(サウスチャイナモーニングポ
スト、9月23日)。

 香港に見切りをつけ、新天地求めて去る人が急増している事態も、大い
に留意しなければならないのではないか。
    
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1960回】                 
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――徳田(15)
  徳田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

              △

 徳田は「1925年末に第6回コミンテルン執行委員會總會(プレナム)に
出席するために」、当時労働組合評議会中央委員で神戸地方評議会議長の
「同志青柿善一郎」と共に上海入りした。

この年の春に起こった「上海の五・三〇事件をへき頭とする中國民族解放
運動の嵐は夏ごろから反動をよびおこした」。「市内は戒嚴令が布か
れ」、「勞働者のストライキはなお10月までつずいたが、その後はもはや
繼續する力を失つた」。

「帝國主義の手先に支配された上海にわれわれが着いたのが12月28日頃で
あつた」。この時、「上海の街は反動に支配されて以來活氣を失つてい
た」だけではなく、「外國にたいする勞働者連のふんげきはいちじるしい
ものであつた」。

かくて埠頭で働く労働者は「日本人にとても不親切で敵對的だつた」。人
力車に乗っても以前とは勝手が違う。「敵對的な感情でいつぱいなの」
だ。料金を払う段になつても高い料金を吹っ掛けてくる。

そこで小競り合いとなる。「こうした小ぜりあいは要するに帝國主義に
たいする勞働者の犯行のうつぷんであつて、決して憎むべきではない」
と、なんとも心優しい。だが、さすがに共産主義者である。この種のイザ
コザも含め、「日本帝國主義の侵略は當然のむくいとしてわれわれ日本人
が受けねばならなかつたところである」と、じつに物分かりがいい。

「中國の同志は、われわれが上海に着いたしらせを受けるとすぐ旅館につ
かいをよこし、こまごまと上海の樣子をおしえてくれた」。「勞働者や民
族ブルジョワジーの大部分の、ソヴエト同盟にたいする親愛の情はいよい
よ増して」はいるが、やはり「帝國主義勢力の監視がはげしくなつていた
から以前よりはるかに警戒心を強くしなければならい」。

それでもソヴエト同盟、中国、朝鮮の同志たちの「同志愛のおかげで旅行
の一切の準備は整つた」ので、大晦日の晩に、「ソヴエト同盟の船で上海
から直接ウラジオへ行くことになつた」という。
 
時は変わって「1936年6月のはじめに、モスクワからシベリアを通過して
再び上海に戻つてきた」。だが、1936年には獄中だったはずだから、1926
年の間違いだろう。

ここまで読み進んで改めて感じたのだが、徳田の文章は「自分に対する鈍
感力」に横溢している。時系列は無頓着に近く、ひらがなが多用されてい
るうえにテ二ヲハの誤用が散見され、まことにもって読解に手こずるばかり。

いわば非論理的で感情の赴くままに綴られている。これで弁護士だったと
は思えない。とはいえ、こうでないと1928(昭和3)年の治安維持法違反
で逮捕されてから1945(昭和20)年秋に府中刑務所でフランス人ジャーナ
リストのロベール・ギランに『発見』されるまで、18年近くを獄中で過ご
し非転向を貫いただけではなく、出獄するやマッカーサー連合軍を「解放
軍」だなどと大歓迎できるわけがない。やはりネジが1本か2本、ズレて
いたようにも思える。
出獄から2カ月した12月には共産党書記長に。翌年には延安から戻った野
坂参三と共に衆議院議員に。だが1947(昭和22年)には三・一ゼネストに
関与し、連合軍との蜜月関係を解消。1950(昭和30)年6月には公職追放
処分を受けたが出頭を拒否。10月に大阪から北京に亡命し北京機関を組織
し、武装闘争を指示。共産党内に激しい路線対立を巻き起こしている。
結局、1953(昭和28)年に脳細胞血管痙攣のために北京で客死。

こう振り返ると徳田は非転向か、破天荒か、さて無天候(ノー・テンキ)か。

「しまいには私に向つて『お前は何という臆病者だ』」と徳田を罵った佐
野文夫に対し、徳田は「前後の考えもなく物見高い一時的勇氣の出る人間
はどうも後がよくない、と痛感する」と冷笑を投げ掛ける。
 だが佐野に対する評価は、そのまま徳田に当てはまるようだ。
           
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)宮崎正弘独演会は9月26日です。新宿で。主催は東アジ
ア文化研究会」。

中国ウォッチャーの第一人者、宮崎正弘氏が「2019年後半の展望−令和の
時代の東アジア情勢」のテーマで語ります。
             記

とき   9月26日 午後6時半(6時開場)
ところ  西新宿  常園寺 祖師堂ホール(地下会議室)  
http://www.joenji.jp/sp/access/
東京都新宿区西新宿7-12-5 
テーマ 「2019年後半の展望−令和の時代の東アジア情勢」
講 師 宮崎正弘氏(作家・評論家)
参加費 2,000円
連 絡 東アジア歴史文化研究会(事務局長:花田 成一)
TEL:080-7012-1782   Eメール:e-asia@topaz.ocn.ne.jp

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(読者の声2)23日の共同通信記事で、「北朝鮮新型ミサイル、探知で
きず 低高度、変則軌道で。北朝鮮が7月25日に発射した「新型戦術誘導兵
器」(朝鮮中央通信=共同)

日本政府が複数回、発射後の軌道を探知できなかったことが22日、分かっ
た。韓国軍は探知に成功したとみられる。日韓の軍事情報包括保護協定
(GSOMIA=ジーソミア)破棄が日本の安全保障に影響を及ぼす懸念も広が
りそうだ」と締めくくっています。
韓国側は、ミサイルの軌道追尾に成功したのは、本当でしょうか? そし
て、このような記事が配信される目的は何なのでしょうか?
    (ZER生)


(宮崎正弘のコメント)このところ、香港問題に集中していたので、朝鮮
半島分析はまたの機会に。。。


◆原発ゼロに立ち向かう台湾の若者たち

櫻井よしこ


香港も台湾も、若い世代が闘っている。彼らは果敢に中国共産党に立ち向
かっている。或いは政治を未来に向けて正しい方向に導こうと国民を動か
している。彼らのその勇気と気概を応援したい。

9月5日、10人余の台湾の人たちが訪ねてきた。20代の若者たちにまじって
64歳の李敏(リミン)博士と37歳の廖彦朋(リャオイエンペン)氏も意気
軒昂だ。李氏は台湾原子力学会理事長、廖氏は台湾の医学物理学会所属で
「核能流言終結者」(核の流言蜚語を打破する会)の一員だ。

「核能流言終結者」は黄士修(ファンシシュウ)という31歳の理論物理学
研究者が立ち上げた約30名の若い研究者から成る集団だ。彼らは台湾のエ
ネルギー政策を正しく導くために、李博士の全面的支援を得て、原子力に
ついての危険を煽る虚偽情報を論破する活動を続けている。台湾に広がっ
ていた原子力発電に関する虚偽情報の中でも特に黄氏の危機感を高めたの
が、驚くことに菅直人元首相が流布した情報だったという。日本の首相ま
で間違いを流し、原発危機を煽るなどあってはならないことだろう。

昨年11月24日、台湾では原子力発電に関する国民投票が行われたが、それ
を主導したのが黄氏らだった。国民投票に込められた目的は、「2025年ま
でに原発ゼロを実現する」という台湾政府のエネルギー計画を反転させ
て、原発をベース電源として位置づけることだ。

2011年に福島第一原発が水素爆発を起こしたとき、台湾でも反原発運動が
盛り上がった。当時建設中だった原発は工事が止まり、試運転中の原発は
停止された。そして16年1月、反原発を公約に掲げた蔡英文氏が総統に当
選した。蔡氏は稼働中の3基全てを、25年までに停止し、原発ゼロにする
と決定した。電力を自由化し、再生可能エネルギーを開発し、25年までに
全エネルギーの20%を再生エネルギーで賄うという蔡氏の政策は17年1月
に国会で承認された。

台湾の電力は火力が80%、原子力16.5%、残りを水力などに依拠する。そ
うした中、17年夏に、大規模停電が発生し、全契約世帯の約半分、700万
世帯が影響を受けた。

原発ゼロへの反対

真夏のうだる暑さの中で発生したこの大停電がきっかけとなって、台湾の
人々は安定的なエネルギー供給源として、原発の重要性を再認識したとい
う。年々乱調を烈しくする気候の背景に地球温暖化がある、という指摘も
広がった。電力の80%を化石燃料に頼り、CO2の排出を増やし続けてい
る台湾の現実についてもSNSで広く問題提起された。

日本も台湾も資源小国だ。原発を止めれば、化石燃料を輸入し、燃やし続
けるしかない。電力不足時に、ドイツのように他国から供給してもらえる
環境もない。李氏が語った。

「日本の経験から学ぶと、台湾にとって原子力発電の放棄はあり得ない。
しかし蔡政権は原発放棄を謳っています。そこで私たちは、国の未来、発
展の持続性を考えて、政府の政策は間違いであること、国民は原発ゼロを
望んでいないこと、化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けるのは間違い
であることを訴え、国民投票を求めたのです」

核能流言終結者の研究者と共に李博士は若者たちに向けて正しい科学的情
報を発信し続けた。情報はSNSで拡散され、原発ゼロ政策は逆に危険だ
という認識が広がった。

「李先生は原子力の専門家の中の専門家です。私は放射線の専門家です。
私たちは専門家として原子力発電所の安全性について議論し、若者たちは
それをよく学び理解を深めました。そうして私たちは力を合わせて、昨年
11月の国民投票に臨んだのです」と廖氏は振りかえる。

結果は驚くべきものだった。原発ゼロへの反対が非常に多かったのだ。

「投票率が50%以下なら国民投票は無効です。この基準は十分にクリアで
きましたし、投票者の約60%、589万人が政府の原発ゼロに反対を表明し
ました」

投票結果を受けて頼清徳行政院長(首相)=当時=は昨年11月27日、25年
までに原発を廃止する政策は強制力を失ったと語った。

他方、原発反対派は、国民投票で問うたのは原発ゼロ政策への賛否であ
り、原発再稼働を求めるということではないと、屁理屈を展開した。原発
ゼロを公約にして総統になった蔡氏は国民投票の結果を尊重するとは一言
も言わず、再生エネルギー計画などについて発言するばかりだ。

廖氏は、原発を稼働させ、重要なベース電源として位置づけるには、原発
の安全性を確認しなければならないと強調する。福島の復興情報はすでに
知ってはいたが、自分たちの目で確かめる必要があると考えて、若者たち
と共に福島を訪れた。

エネルギーで独立する

彼らが口々に語った。

「廃棄物を運んでいるトラックの運転手に、なぜここで働いているのかと
尋ねたら、『日本の為に役に立ちたい。福島をきれいにしたい』と答えま
した。本当に感動しました」

「店の食品の放射能レベルを次々に測りました。どれも皆安全で、買って
その場で食べました。福島の海底にいた平目も放射能を測りましたが、全
く問題がない。刺身にして皆で食べました。美味しかった」

「福島のあちらこちらで空気中の放射能も測定しましたが、東京より低
かった。全然、安心です」

彼らはこうした体験を映像に撮ってユーチューブで拡散するという。廖氏
も福島を訪ねて自信を深めたと語る。

「東京電力も日本政府も極めて真面目に復興の努力をしています。その態
度と復興の進展を見て、原子力発電をコントロールする力が人間にはある
と、私は自信を持ちました」

台湾の若い世代にとって原発の活用は、台湾独立の可能性と重なると彼ら
は言う。エネルギーの独立は経済の自立に欠かせない、台湾にとって死活
的問題だ。いま、若い世代が問うている。台湾は政治で消滅するのか、電
力政策の失政でなくなるのか、と。

再度強調するが、エネルギーの安定供給なしには経済は廃れる。安定した
経済成長なしには一国の自主独立は望めない。蔡氏は独立志向の人だが、
原発は否定する。結果、中国経済につけ込まれる可能性は否定できない。
だから廖氏らは、「原発再稼働」を掲げて再び国民投票に持ち込みたいと
語る。

こんなに一所懸命に台湾の自立を目指し、中国支配の排除を念じ、自主独
立を日々肝に銘じて発言する台湾の若者たちのなんと凜々しいことか。
翻って日本の若者たちはどうだろうか。私はつい、問うてしまう。日本の
若者よ、覚醒せよ、頑張れ。まぎれもなく、いまが正真正銘、頑張りどき
なのだ。

『週刊新潮』 2019年9月19日号日本ルネッサンス 第868回


◆京都山科の歌人

渡邊 好造


”百人一首”など古来の和歌には、「山科」が数多く登場する。

”百人一首”は、鎌倉時代の歌人・藤原定家が100首を選んだ歌集のことで、京都小倉山で編纂されたので通称”小倉百人一首”ともいう。主に古今集(平安時代)、新古今集(鎌倉時代)から選んでいる。"小倉"があるなら他にもあるのかとなるが、確かに"源氏"" 女房"" 後撰"" 武家" が頭につく”百人一首”もあるにはある。

その何れもが、制作年や編者が明確でなく、小倉で洩れた歌人を補っただけのものもあり、”百人一首”といえば"小倉"を指すとみてよい。今回の"山科だより"は、この”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」を紹介する。

山科の地名、駅名にも名前が残る有名歌人といえば「小野小町」である。"小野御霊町"にある”随心院(真言宗)”は、小野一族の邸宅跡に正暦2(991)年=平安時代=「僧・仁海」が創建した。「小野小町」は仁寿2(852)年=平安時代=に宮廷を辞した後、40年間当院内の遺跡”小町の井戸”辺りに住んでいたという。

「小野小町」が詠んだ和歌のうち、”百人一首”(原典・古今集=以下同じ)にとりあげられ、とくによく知られているのはこの一首で、境内に歌碑がある。

『花の色は移りにけりないたずらに 我が身世にふるながめせしまに』(桜の花の色はスッカリ褪せた。私の美しかった姿も衰えた。むなしく世を過ごし物思いにふけっている間に)。

"北花山河原町"の”元慶寺(天台宗)”は、「僧・遍昭」が貞観11(869)年=平安時代=に創建し、”百人一首”(古今集)に詠まれた彼の和歌の碑がある。

碑には『天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ』(空に吹く風よ、天への雲の通り道をふさいでしまってくれ。美しい舞姫の姿をもうしばらくの間ひきとめておきたいのだ)とある。


"四ノ宮泉水町"に天文19(1556)年=室町時代=に開創された”山科地蔵徳林庵(臨済宗)”には、町名の語源となる「四之宮人康」(さねやす=第54代仁明天皇第4皇子)と、歌人「蝉丸」(せみまる=正式呼称はせみまろ)の2人の供養塔がある。

両人とも平安時代(9世紀)に生きた歌人だが、「蝉丸」は"四ノ宮"から約2キロほど東の滋賀県大津市に入った峠"逢坂の関"に庵を構え、近くには”蝉丸神社”もある。なぜ山科に「蝉丸」の供養塔があるのか、「人康」との関係は、交流は、など明確ではない。その共通点は両人とも琵琶の名手であったことのようである。
 
 ”百人一首”(後撰集)にある「蝉丸」の歌、『これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関』(ここから行く人帰る人、それを見送る人、知合いの人とそうでない人も、ここで出逢いを繰返す。これがこの逢坂の関なのだ)がよく知られている。

 ”百人一首”に登場する地名でもっとも多いのが"逢坂(の関)"("難波"と同数)で、行政エリアは滋賀県大津市だが京都市山科区との境界線上の峠である。

ついでながら、全国46都道府県のうち県庁所在都市がピッタリ接しているのは、この京都府京都市(山科区)と滋賀県大津市の他は、東北の山形県山形市と宮城県仙台市しかない。

「清少納言」(枕草子で知られる平安時代女流作家)は、”百人一首”(後拾遺集)で『夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ』(夜の明けないうちに鶏の鳴き真似をして、夜が明けたように見せかけた中国・函国関の故事まがいの騙しの手をつかっても、私とあなたの間にある関所は開けませんよ)と詠んでいる。

「三条右大臣藤原定方」(平安時代公家・歌人)は、”百人一首”(後撰和歌集)で悩ましく、意味深な歌を披露している。

『名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな』(「逢坂山」だから"逢える"、「さ寝」だから"一緒に寝られる(さは接頭語)"、名前通りの「かづら=葛・つるくさ」ならそのツタを手繰り寄せると、人に知られずあなたの家で逢いそして一緒に寝る、そんなことが出来ればいいのに)。

”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」が詠む和歌には、平安・鎌倉貴族のなんとも優雅で、他に心配事はないのかと言いたくなるお気楽な宮廷生活が滲みでている。そんな宮廷生活を歴史書以上に現代に語り継いでいるのが、和歌なのだろう。(完)