2019年09月24日

◆次のターゲットは親中派

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月24日(火曜日)通算第6206号 

次のターゲットは親中派のショッピングモール、商店
  再度の空港占拠は厳重警備に阻まれて失敗。だが勢い衰えず

香港の「民主運動」の勢いはまだ衰えていない。
 
22日(日曜)は空港が再度、ターゲットとなった。厳重な警備をかいく
ぐって空港ロビィへ行くには、パスポートと搭乗券が必要。SNSは「偽
造航空券をつくって潜り込もう」と呼びかけた。数百が空港に座り込んだ
が破壊行為はなかった。誰が呼びかけているのか、司令塔はともかく
ツィッターなのである。
 
混乱を怖れた当局は空港から市内へのエアポートエクスプレス(快速列
車)を途中の青衣、九龍を通過させ、いきなり終着の香港駅へと運ぶ作戦
に切り替えた。

このため、九龍のホテルを予約した旅行客は、香港島から再び乗り換えて
半島側に戻らなければならなくなった。この日、英国の老舗旅行代理店
トーマス・クックが倒産、クック航空で外国滞在中の旅客は60万人とい
われ、世界各地に積み残されたが、そういう客も香港で出たかも知れない。

もっとも荒れたのが屯門の地下鉄駅付近で、警官隊と衝突の最中に若者が
警官のピストルをもぎ取ろうとしたため、警察が「実弾を撃つぞ」と警告
する場面もあった。民主派は複数のショッピングモールに集合し、合唱大
会、吹き抜けロビィの四階、もしくは五階から長い垂れ幕を垂らし「民主
香港」「光復香港」「時代革命」などのスローガンを並べた。そのうえで
五星紅旗を踏みつけ、焼却して中国共産党を怒らせる行為が継続した。

また「親中派の商店に抗議しよう」と唱えられたため、商店街は一斉に
シャッターを下ろし、防御態勢に。警官隊も、ビルの外にバリケートを築
き、破壊行為を始めた抗議側に催涙弾を打ち込んだ。

なにしろ神出鬼没、直前に「某所にあつまろう」とSNSで呼びかけられ
るので、警官の出動は遅れがちとなる。
 
午後からはベットタウンの沙田などで、衝突が繰り返された。
 
他方、移民を扱う法律事務所は超満員の盛況。6月の騒擾発生以来、移民
申請が増えていたが、9月の特徴は「これまでの3倍、それも豪、カナだ
ではなくマレーシア、タイ、シンガポールへの移民希望が急増している。
費用はすべて込みで6万5000ドルが相場だが、スタッフを増やしても対応
できない」と移民法律事務所はいう(サウスチャイナモーニングポスト、
9月23日)。

香港に見切りをつけ、新天地求めて去る人が急増している事態も、大いに
留意しなければならないのではないか。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1960回】                 
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――徳田(15)
  徳田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

              △

徳田は「1925年末に第6回コミンテルン執行委員會總會(プレナム)
に出席するために」、当時労働組合評議会中央委員で神戸地方評議会議長
の「同志青柿善一郎」と共に上海入りした。

この年の春に起こった「上海の五・三〇事件をへき頭とする中國民族解放
運動の嵐は夏ごろから反動をよびおこした」。「市内は戒嚴令が布か
れ」、「勞働者のストライキはなお10月までつずいたが、その後はもはや
繼續する力を失つた」。

帝國主義の手先に支配された上海にわれわれが着いたのが十二月廿八日頃
であつた」。この時、「上海の街は反動に支配されて以來活氣を失つてい
た」だけではなく、「外國にたいする勞働者連のふんげきはいちじるしい
ものであつた」。

かくて埠頭で働く労働者は「日本人にとても不親切で敵對的だつた」。人
力車に乗っても以前とは勝手が違う。「敵對的な感情でいつぱいなの」
だ。料金を払う段になつても高い料金を吹っ掛けてくる。

そこで小競り合いとなる。「こうした小ぜりあいは要するに帝國主義にた
いする勞働者の犯行のうつぷんであつて、決して憎むべきではない」と、
なんとも心優しい。だが、さすがに共産主義者である。この種のイザコザ
も含め、「日本帝國主義の侵略は當然のむくいとしてわれわれ日本人が受
けねばならなかつたところである」と、じつに物分かりがいい。

「中國の同志は、われわれが上海に着いたしらせを受けるとすぐ旅館につ
かいをよこし、こまごまと上海の樣子をおしえてくれた」。「勞働者や民
族ブルジョワジーの大部分の、ソヴエト同盟にたいする親愛の情はいよい
よ増して」はいるが、やはり「帝國主義勢力の監視がはげしくなつていた
から以前よりはるかに警戒心を強くしなければならい」。

それでもソヴエト同盟、中国、朝鮮の同志たちの「同志愛のおかげで旅行
の一切の準備は整つた」ので、大晦日の晩に、「ソヴエト同盟の船で上海
から直接ウラジオへ行くことになつた」という。
 
時は変わって「1936年6月のはじめに、モスクワからシベリアを通過して
再び上海に戻つてきた」。だが、1936年には獄中だったはずだから、1926
年の間違いだろう。

ここまで読み進んで改めて感じたのだが、徳田の文章は「自分に対する鈍
感力」に横溢している。時系列は無頓着に近く、ひらがなが多用されてい
るうえにテ二ヲハの誤用が散見され、まことにもって読解に手こずるばかり。

いわば非論理的で感情の赴くままに綴られている。これで弁護士だったと
は思えない。とはいえ、こうでないと1928(昭和3)年の治安維持法違反
で逮捕されてから1945(昭和20)年秋に府中刑務所でフランス人ジャーナ
リストのロベール・ギランに『発見』されるまで、18年近くを獄中で過ご
し非転向を貫いただけではなく、出獄するやマッカーサー連合軍を「解放
軍」だなどと大歓迎できるわけがない。やはりネジが1本か2本、ズレて
いたようにも思える。

出獄から2カ月した12月には共産党書記長に。翌年には延安から戻った野
坂参三と共に衆議院議員に。だが1947(昭和22年)には三・一ゼネストに
関与し、連合軍との蜜月関係を解消。1950(昭和30)年6月には公職追放
処分を受けたが出頭を拒否。10月に大阪から北京に亡命し北京機関を組織
し、武装闘争を指示。共産党内に激しい路線対立を巻き起こしている。

結局、1953(昭和28)年に脳細胞血管痙攣のために北京で客死。

こう振り返ると徳田は非転向か、破天荒か、さて無天候(ノー・テンキ)か。

「しまいには私に向つて『お前は何という臆病者だ』」と徳田を罵った佐
野文夫に対し、徳田は「前後の考えもなく物見高い一時的勇氣の出る人間
はどうも後がよくない、と痛感する」と冷笑を投げ掛ける。
 だが佐野に対する評価は、そのまま徳田に当てはまるようだ。
           
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(読者の声1)宮崎正弘独演会は9月26日です。新宿で。主催は東アジ
ア文化研究会」。
中国ウォッチャーの第一人者、宮崎正弘氏が「2019年後半の展望−令和の
時代の東アジア情勢」のテーマで語ります。
           記
とき   9月26日 午後6時半(6時開場)
ところ  西新宿  常園寺 祖師堂ホール(地下会議室)  
http://www.joenji.jp/sp/access/
東京都新宿区西新宿7-12-5 
テーマ 「2019年後半の展望−令和の時代の東アジア情勢」
講 師 宮崎正弘氏(作家・評論家)
参加費 2,000円
連 絡 東アジア歴史文化研究会(事務局長:花田 成一)
TEL:080-7012-1782   Eメール:e-asia@topaz.ocn.ne.jp

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(読者の声2)23日の共同通信記事で、「北朝鮮新型ミサイル、探知で
きず 低高度、変則軌道で。北朝鮮が7月25日に発射した「新型戦術誘導兵
器」(朝鮮中央通信=共同)

日本政府が複数回、発射後の軌道を探知できなかったことが22日、分かっ
た。韓国軍は探知に成功したとみられる。日韓の軍事情報包括保護協定
(GSOMIA=ジーソミア)破棄が日本の安全保障に影響を及ぼす懸念も広が
りそうだ」と締めくくっています。

韓国側は、ミサイルの軌道追尾に成功したのは、本当でしょうか? そし
て、このような記事が配信される目的は何なのでしょうか?(ZER生)


(宮崎正弘のコメント)このところ、香港問題に集中していたので、朝鮮
半島分析はまたの機会に。。。


◆原発ゼロに立ち向かう台湾の若者たち

櫻井よしこ


香港も台湾も、若い世代が闘っている。彼らは果敢に中国共産党に立ち向
かっている。或いは政治を未来に向けて正しい方向に導こうと国民を動か
している。彼らのその勇気と気概を応援したい。

9月5日、10人余の台湾の人たちが訪ねてきた。20代の若者たちにまじって
64歳の李敏(リミン)博士と37歳の廖彦朋(リャオイエンペン)氏も意気
軒昂だ。李氏は台湾原子力学会理事長、廖氏は台湾の医学物理学会所属で
「核能流言終結者」(核の流言蜚語を打破する会)の一員だ。

「核能流言終結者」は黄士修(ファンシシュウ)という31歳の理論物理学
研究者が立ち上げた約30名の若い研究者から成る集団だ。彼らは台湾のエ
ネルギー政策を正しく導くために、李博士の全面的支援を得て、原子力に
ついての危険を煽る虚偽情報を論破する活動を続けている。台湾に広がっ
ていた原子力発電に関する虚偽情報の中でも特に黄氏の危機感を高めたの
が、驚くことに菅直人元首相が流布した情報だったという。日本の首相ま
で間違いを流し、原発危機を煽るなどあってはならないことだろう。

昨年11月24日、台湾では原子力発電に関する国民投票が行われたが、それ
を主導したのが黄氏らだった。国民投票に込められた目的は、「2025年ま
でに原発ゼロを実現する」という台湾政府のエネルギー計画を反転させ
て、原発をベース電源として位置づけることだ。

2011年に福島第一原発が水素爆発を起こしたとき、台湾でも反原発運動が
盛り上がった。当時建設中だった原発は工事が止まり、試運転中の原発は
停止された。そして16年1月、反原発を公約に掲げた蔡英文氏が総統に当
選した。蔡氏は稼働中の3基全てを、25年までに停止し、原発ゼロにする
と決定した。電力を自由化し、再生可能エネルギーを開発し、25年までに
全エネルギーの20%を再生エネルギーで賄うという蔡氏の政策は17年1月
に国会で承認された。

台湾の電力は火力が80%、原子力16.5%、残りを水力などに依拠する。そ
うした中、17年夏に、大規模停電が発生し、全契約世帯の約半分、700万
世帯が影響を受けた。

原発ゼロへの反対

真夏のうだる暑さの中で発生したこの大停電がきっかけとなって、台湾の
人々は安定的なエネルギー供給源として、原発の重要性を再認識したとい
う。年々乱調を烈しくする気候の背景に地球温暖化がある、という指摘も
広がった。電力の80%を化石燃料に頼り、CO2の排出を増やし続けてい
る台湾の現実についてもSNSで広く問題提起された。

日本も台湾も資源小国だ。原発を止めれば、化石燃料を輸入し、燃やし続
けるしかない。電力不足時に、ドイツのように他国から供給してもらえる
環境もない。李氏が語った。

「日本の経験から学ぶと、台湾にとって原子力発電の放棄はあり得ない。
しかし蔡政権は原発放棄を謳っています。そこで私たちは、国の未来、発
展の持続性を考えて、政府の政策は間違いであること、国民は原発ゼロを
望んでいないこと、化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けるのは間違い
であることを訴え、国民投票を求めたのです」

核能流言終結者の研究者と共に李博士は若者たちに向けて正しい科学的情
報を発信し続けた。情報はSNSで拡散され、原発ゼロ政策は逆に危険だ
という認識が広がった。

「李先生は原子力の専門家の中の専門家です。私は放射線の専門家です。
私たちは専門家として原子力発電所の安全性について議論し、若者たちは
それをよく学び理解を深めました。そうして私たちは力を合わせて、昨年
11月の国民投票に臨んだのです」と廖氏は振りかえる。

結果は驚くべきものだった。原発ゼロへの反対が非常に多かったのだ。

「投票率が50%以下なら国民投票は無効です。この基準は十分にクリアで
きましたし、投票者の約60%、589万人が政府の原発ゼロに反対を表明し
ました」

投票結果を受けて頼清徳行政院長(首相)=当時=は昨年11月27日、25年
までに原発を廃止する政策は強制力を失ったと語った。

他方、原発反対派は、国民投票で問うたのは原発ゼロ政策への賛否であ
り、原発再稼働を求めるということではないと、屁理屈を展開した。原発
ゼロを公約にして総統になった蔡氏は国民投票の結果を尊重するとは一言
も言わず、再生エネルギー計画などについて発言するばかりだ。

廖氏は、原発を稼働させ、重要なベース電源として位置づけるには、原発
の安全性を確認しなければならないと強調する。福島の復興情報はすでに
知ってはいたが、自分たちの目で確かめる必要があると考えて、若者たち
と共に福島を訪れた。

エネルギーで独立する

彼らが口々に語った。

「廃棄物を運んでいるトラックの運転手に、なぜここで働いているのかと
尋ねたら、『日本の為に役に立ちたい。福島をきれいにしたい』と答えま
した。本当に感動しました」

「店の食品の放射能レベルを次々に測りました。どれも皆安全で、買って
その場で食べました。福島の海底にいた平目も放射能を測りましたが、全
く問題がない。刺身にして皆で食べました。美味しかった」

「福島のあちらこちらで空気中の放射能も測定しましたが、東京より低
かった。全然、安心です」

彼らはこうした体験を映像に撮ってユーチューブで拡散するという。廖氏
も福島を訪ねて自信を深めたと語る。

「東京電力も日本政府も極めて真面目に復興の努力をしています。その態
度と復興の進展を見て、原子力発電をコントロールする力が人間にはある
と、私は自信を持ちました」

台湾の若い世代にとって原発の活用は、台湾独立の可能性と重なると彼ら
は言う。エネルギーの独立は経済の自立に欠かせない、台湾にとって死活
的問題だ。いま、若い世代が問うている。台湾は政治で消滅するのか、電
力政策の失政でなくなるのか、と。

再度強調するが、エネルギーの安定供給なしには経済は廃れる。安定した
経済成長なしには一国の自主独立は望めない。蔡氏は独立志向の人だが、
原発は否定する。結果、中国経済につけ込まれる可能性は否定できない。
だから廖氏らは、「原発再稼働」を掲げて再び国民投票に持ち込みたいと
語る。

こんなに一所懸命に台湾の自立を目指し、中国支配の排除を念じ、自主独
立を日々肝に銘じて発言する台湾の若者たちのなんと凜々しいことか。
翻って日本の若者たちはどうだろうか。私はつい、問うてしまう。日本の
若者よ、覚醒せよ、頑張れ。まぎれもなく、いまが正真正銘、頑張りどき
なのだ。

『週刊新潮』 2019年9月19日号 日本ルネッサンス 第868回

          

◆加齢疾病連発に悩まされた夏

石岡 荘十


今日書こう、明日こそはと思いながら、胸や背中を孫の手で掻くのに忙し
くて今日に至ってしまった。何の話か。すでに畏友毛馬一三氏が本誌で報
告しているように帯状疱疹“事件”の経緯についてである。

夏は、典型的な加齢疾病といわれる病につぎつぎと襲われ、悪戦苦闘した
3ヶ月だった。この間、私を襲ったのは帯状疱疹。発症から3ヶ月、やっと
終息にこぎつけたと思ったら今度は、加齢黄班変性といわれる眼球の疾病
である。これについては今なお加療の真っ只中であり、別稿で報告したい。

帯状疱疹の兆しが現れたのは6月の末のことだった。「夏バテ」というの
は夏だけの症状だと思われがちだが、気候の変化が激しい梅雨時や初夏に
も起こりやすい。

気温の乱高下に老体がついていけず、何もする気がしない。全身がともか
くけだるい。にもかかわらず梅雨明けの7月、以前からの約束もあって、
猛暑の中、秩父盆地のど真ん中にあるゴルフ場に出陣。疲労困憊、這うよ
うにして帰宅した。完全に体力を消耗していた。これが祟った。

思い返すと、その数日前すでに左胸の皮膚に違和感があり肋骨のあたりに
ピリピリ感があった。間もなく胸から左肩甲骨下にかけて赤い斑点がぽつ
ぽつ。ゴルフの後から左側の神経に沿って激痛が走るようになった。

にもかかわらず、まだ帯状疱疹とは気がつかず、市販のかゆみ止め軟膏
(レスタミン)を塗ったり、サロンパスの湿布を患部に張ったりして凌ご
うと試みていた。無知は恐ろしい。

そうこうしているうちに、赤い斑点は水ぶくれとなり、夜はベッドの上で
転々。背中を孫の手で掻きまくったものだから水ぶくれが破れ、かさぶた
へと変わったがかゆみと痛みは治まらなかった。

遂にたまらず、行きつけの病院の皮膚科に駆け込んだのはゴルフから3週
間を過ぎていた。

「帯状疱疹です。ずいぶん我慢強い方ですねぇ。もうかさぶたになり始め
ていますから、ペインクリニックに行きなさい」という。

帯状疱疹は、幼児に経験した水ぼうそうのウイルスが原因だ。ウイルスは
長い間体内の神経節に潜んでいて、加齢(50歳代〜70歳代)やストレス、
過労などが引き金となってウイルスに対する免疫力が低下すると、潜んで
いたウイルスが再び活動を始める。ウイルスは神経を伝わって皮膚に達
し、帯状疱疹として発症するとされている。

東京女子医大の統計によると、発疹する部位は、一番多いのが私のケー
ス。上肢〜胸背部(31.2%)、次いで腹背部(19.6%)、そして怖いのは
頭部〜顔面(17.6%)などとなっており、高校の友人が右顔面に発症。何
年か前のことだが、今でも顔面の筋肉がこわばっている。

最悪、失明をしたケースも報告されている。頚部〜上肢にも発症する。い
ずれの場合も体の左右どちらか一方に現れるのが特徴だ。

発症してすぐ気づき、すぐ適切な治療を受けた場合でも3週間は皮膚の痛
みや痒みが続く。痛みがやや治まってからも神経の痛みは容易に治まらな
い。数年間、痛みが消えなかったと言う症例もある厄介な加齢疾病である。

まして、私のケースは、初期治療のタイミングを逸した。その祟りで、い
まだにときどき、肋間や背中にピリピリと痛みが走る。

さて治療法である。皮膚科では坑ヘルペスウイルス薬を処方する。ウイル
スの増殖を抑える飲み薬で初期の痛みや痒みを抑える効果があるが、私は
そのチャンスを逃し、我慢強く無為に苦しんだ。

ペインクリニックでは、飲み薬と塗り薬を処方される。

【飲み薬】、

・鎮痛剤リリカプセル:今年4月、保健が適用されることとなった帯状疱
疹の最新特効薬だ。

・セレコックス:リリカカプセルが効かない場合に飲む頓服錠剤。炎症に
よる腫れや痛みを和らげる。
・メチコバール:末梢神経のしびれ、麻痺、痛みを改善する。

【塗り薬】、

・強力レスタミンコーチゾンコーワ(軟膏)

ペインクリニックでの治療5週間。月初旬にくすりの処方が終わった。発
症から3ヶ月の闘病であった。この間体力をつけようと金に糸目をつけず
美食に走った結果、太ってしまった。

毛馬一三氏が先日レポートしたとおりで、初動がこの病気治療の決め手で
ある。他山の石とされたい。




2019年09月23日

◆ソロモン、キリバスはカネでひっくり返り

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月22日(日曜日)通算第6204号 <前日発行>

 ソロモン、キリバスはカネでひっくり返り、次はツバルか?
  台湾断交ドミノ、懸念されてきたが、やっぱり現実となった

ソロモン諸島の台湾断交に続き、9月19日、キリバスが台湾に断交を通
知した。ソロモンは地理的には豪にちかいため、7月に豪のモリソン首相
が急遽訪問し、180億円もの経済援助をぶち挙げたばかりだった。ソロ
モンの裏切りは噂されていた。

つづくキリバスの素っ気ない断交に対して、台湾では呉外務大臣がただち
に記者会見し「台湾はキリバスと断交した。

中華民国の駐タマワ大使館は近日閉鎖する」とし、「キリバスの政治指導
者は、我が国に『高額』を露骨に要求し、旅客機の寄付も求めた」と語っ
た。「かれらは『借金の罠』に落ちた」。

中国はキリバスの外交姿勢を転換させるため、数機の旅客機提供を示して
いた。

キリバスの首都タラワから、ほかの環礁へ行くにも旅客機がなかった。首
都のタマワ近辺には戦前、日本軍が軍事要塞を築いた。タラワ空港は大東
亜戦争中に、米軍が上陸し、珊瑚礁を埋め立てて滑走路を敷いた。

キリバスは33の環礁からなる海洋国家、というより島と環礁の集合体。
人口は僅か11万人。この環礁のなかのクリスマス環礁で英米は嘗て核実
験を行った。キリバスのエリス諸島から、ツバルが独立した経過がある。

この国のGDPの半分は外国からの援助である。

海外へ出稼ぎに出た人々からの送金で経済が成り立っているため、カネの
提示が破格なら、外交方針はころりと変える。

かくしてソロモンから始まった『ドミノ』は、キリバスのあと、次はツバ
ルである。

これまでのツバルへの援助は豪、NZであり、英国領だった関係から大英
連邦の一員。宗教は英国国教会派に近い。そのうえ英国の総督が派遣され
ているし、元首はエリザベス女王である。

ツバル国旗はユニオンジャックに星がならぶ。GDPの66%が外国から
の援助である。日本は豪、NZにつぐ三位。累計援助額は134億円だ
が、日本大使はフィジー大使が兼任(バヌアツも兼任)。


 ▲ツバルには紀元前からラピタ人が上陸していた

ツバルには紀元前にラピタ人が丸木船で、フィジー、トンガあたりから
やって来た歴史があり、地質学、考古学上の研究対象である。

しかし人口僅かに1万人というミニ国家。

独立したのは1978年で、キリバスから分離したかたちだった。にもか
かわらず、或る意味で世界に有名なのは、海抜5メートルしかないため、
国が沈没する怖れが喧伝されたからだ。

南インド洋に浮かぶ島嶼国家のモルディブも海面すれすれだが、やはり中
国に転んで、借金の罠に落ちたと批判された。

安全保障の観点から中国の野望を読んだインドが猛然とモルディブに政治
攻勢をかけ、親中派で中国からの賄賂漬けに嵌ったヤミーン大統領を落選
させた。危うくモルディブの16の無人島が中国の手にわたるところだった。

ツバルの首都フィナフティには、フィジーのスバからのみ国際線が乗り入
れている。
 
「もしツバルが水没したら、全員をフィジーが引き取る」とフィジー政府
は豪語しているが、フィジーもまた中国の「借金の罠」に落ちて、首都ス
バにはチャイナタウンが出来た。ナンディ市内を歩いている観光客は殆ど
が中国人となった。

国際政治の舞台からみれば、このミニ島嶼国家が、国連では一票をもつの
である。

だから國際政治はややこしいが、国家としての「主権」があるとは言い難
いだろう。なにしろツバルの通貨は豪ドルであり、軍隊は保持せず、国会
は定員が15名。政党が存在しない。
    
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(読者の声1)1968年のチェコ事件後、ソ連に擁立されたフサークは1987
年、ゴルバチョフの民主化を含む改革の波を受けた民主化の動きの情勢
に、解任され、1989年に共産党支配は崩壊し、東欧諸国はソ連の支配から
脱しました。

中国市場での有利な立場を得る為、散々収奪した香港人に還さず、中共と
盗賊間の薄汚い取引から弾圧を強めて、22年後、直接武力統治の瀬戸際
2019年、はげしい独立運動が起きています。             
           
ソ連はロシア革命から70年後 1987年はゴルバチョフ改革のただなかでした。

共産党幹部のほぼ世襲制、特権による沈滞と経済ジリ貧の打破でソ連の再
生を目指したものでしょう。

それは失敗でしたが、あれだけの激変の割には動乱はかなりの規模でも、
少ない流血で軟着陸できたのは 人々のグラスノスチを作り出した結果と
考えます。

中華人民共和国は成立後70年の2019年ですが、金融詐欺による拠点作り
(一路一帯)として覇権国たらんとする冒険主義に邁進中でしたが、いきづ
まってきたようです。

ソ連の末期も不正。腐敗が進んでいた模様ですが、社会主義の分配が成さ
れていたのに対し、中国共産党はグローバル資本同様の独占資本主義を監
視網と公安警察軍により極端な、ジョージ・オーウェルの世界として、収
奪をしています。

桁外れ。5桁違いの資産(サウジの王族に近い)を成すのが主に世襲の組織
であり、腐敗の極地。また揚子江の巨大ダムはまるで最近の烈しい気候に
備えているようです、

災害を大きくする為、要らないビル土建も膨大。日本も五輪にいれあげ防
災はお粗末で風水害、地震被害大きくするのに任せていますが。。。。

ソ連の場合はバルト三国が発火点ですが、平和運動が主体でした。
ウイグル、内モンゴル、チベット自治区地域は広く、イスラムは戦争経
験あり、最近はドローンも存在します。弾圧支配 止めないと危ない。
習近平にはもう指導力がないように感じます。  

ゴルバチョフより非常にむずかしい と思いますが、膨大な負債の破綻
や、必要と思われる激変への軟着陸の準備を担う可能性がある人物があれ
ば、教えていただけないでしょうか。(SH生 北海道)

   
(宮崎正弘のコメント)なにしろSNSで離合集散をくりかえす香港の民
主派には統一組織がなく、カリスマ的リーダーが不在です。そのうえ、現
在までの逮捕者が500人を超え、これから裁判が始まります。

彼らの主張のなかで、「香港独立」は少数派、多くは「完全自治」の要求
です。抗議集会を遠くから見守る大半の香港市民は「現状維持」でしょ
う。「香港独立」は無理筋で、理由は単純明快。「食糧と水」を香港は中
国大陸に依拠しておりますから。

 トーマス・フリードマンがいみじくも指摘したように「彼ら香港の若者
たちは、ツィッター世代だ。各々が指導者であり、フォロアーであり、批
評家である。したがって収拾するのは難しいだろう」。


(読者の声2)香港問題のことですが、世界のメディア、とくに英米の新
聞もテレビも、民主活動家の味方ですね。日本のメディアはスポークスマ
ン的存在の黄之峰と周庭女史を大きく報じていますが、米国の論調はすこ
し違って「民主、人権」。香港政庁批判ではなく、直接的に中国政府への
非難となっています。こうした日米メディアの論調の乖離について、宮?
さんのみるところは如何でしょう
付け足しになりますが、20日金曜日の「ラジオ日本」で宮崎さんの痛快
な解説、一刀両断の分析を心地よく聞いておりました。(HF生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)ピューリタンが移住して建国した米国は、プロテ
スタントの国、つまりプロテスター(抵抗者、抗議者)に味方するのは当
然でしょう。

しかも香港の若者の多くはクリスチャン・ネームを持つほどに(黄之峰は
「ジョシュア」、周女史は「アグネス」。行政長官の林鄭女史だって
「キャリー」ですからね)中華社会の儒教伝統からはなれています。
米国と香港の心理的連帯感とは、キリスト教プロテスタンティズムが根底
にあるのではないか、と思われます。


◆原発ゼロに立ち向かう台湾の若者たち

櫻井よしこ


香港も台湾も、若い世代が闘っている。彼らは果敢に中国共産党に立ち向
かっている。或いは政治を未来に向けて正しい方向に導こうと国民を動か
している。彼らのその勇気と気概を応援したい。

9月5日、10人余の台湾の人たちが訪ねてきた。20代の若者たちにまじって
64歳の李敏(リミン)博士と37歳の廖彦朋(リャオイエンペン)氏も意気
軒昂だ。李氏は台湾原子力学会理事長、廖氏は台湾の医学物理学会所属で
「核能流言終結者」(核の流言蜚語を打破する会)の一員だ。

「核能流言終結者」は黄士修(ファンシシュウ)という31歳の理論物理学
研究者が立ち上げた約30名の若い研究者から成る集団だ。彼らは台湾のエ
ネルギー政策を正しく導くために、李博士の全面的支援を得て、原子力に
ついての危険を煽る虚偽情報を論破する活動を続けている。台湾に広がっ
ていた原子力発電に関する虚偽情報の中でも特に黄氏の危機感を高めたの
が、驚くことに菅直人元首相が流布した情報だったという。日本の首相ま
で間違いを流し、原発危機を煽るなどあってはならないことだろう。

昨年11月24日、台湾では原子力発電に関する国民投票が行われたが、それ
を主導したのが黄氏らだった。国民投票に込められた目的は、「2025年ま
でに原発ゼロを実現する」という台湾政府のエネルギー計画を反転させ
て、原発をベース電源として位置づけることだ。

2011年に福島第一原発が水素爆発を起こしたとき、台湾でも反原発運動が
盛り上がった。当時建設中だった原発は工事が止まり、試運転中の原発は
停止された。そして16年1月、反原発を公約に掲げた蔡英文氏が総統に当
選した。蔡氏は稼働中の3基全てを、25年までに停止し、原発ゼロにする
と決定した。電力を自由化し、再生可能エネルギーを開発し、25年までに
全エネルギーの20%を再生エネルギーで賄うという蔡氏の政策は17年1月
に国会で承認された。

台湾の電力は火力が80%、原子力16.5%、残りを水力などに依拠する。そ
うした中、17年夏に、大規模停電が発生し、全契約世帯の約半分、700万
世帯が影響を受けた。

原発ゼロへの反対

真夏のうだる暑さの中で発生したこの大停電がきっかけとなって、台湾の
人々は安定的なエネルギー供給源として、原発の重要性を再認識したとい
う。年々乱調を烈しくする気候の背景に地球温暖化がある、という指摘も
広がった。電力の80%を化石燃料に頼り、CO2の排出を増やし続けてい
る台湾の現実についてもSNSで広く問題提起された。

日本も台湾も資源小国だ。原発を止めれば、化石燃料を輸入し、燃やし続
けるしかない。電力不足時に、ドイツのように他国から供給してもらえる
環境もない。李氏が語った。

「日本の経験から学ぶと、台湾にとって原子力発電の放棄はあり得ない。
しかし蔡政権は原発放棄を謳っています。そこで私たちは、国の未来、発
展の持続性を考えて、政府の政策は間違いであること、国民は原発ゼロを
望んでいないこと、化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けるのは間違い
であることを訴え、国民投票を求めたのです」

核能流言終結者の研究者と共に李博士は若者たちに向けて正しい科学的情
報を発信し続けた。情報はSNSで拡散され、原発ゼロ政策は逆に危険だ
という認識が広がった。

「李先生は原子力の専門家の中の専門家です。私は放射線の専門家です。
私たちは専門家として原子力発電所の安全性について議論し、若者たちは
それをよく学び理解を深めました。そうして私たちは力を合わせて、昨年
11月の国民投票に臨んだのです」と廖氏は振りかえる。

結果は驚くべきものだった。原発ゼロへの反対が非常に多かったのだ。

「投票率が50%以下なら国民投票は無効です。この基準は十分にクリアで
きましたし、投票者の約60%、589万人が政府の原発ゼロに反対を表明し
ました」

投票結果を受けて頼清徳行政院長(首相)=当時=は昨年11月27日、25年
までに原発を廃止する政策は強制力を失ったと語った。

他方、原発反対派は、国民投票で問うたのは原発ゼロ政策への賛否であ
り、原発再稼働を求めるということではないと、屁理屈を展開した。原発
ゼロを公約にして総統になった蔡氏は国民投票の結果を尊重するとは一言
も言わず、再生エネルギー計画などについて発言するばかりだ。

廖氏は、原発を稼働させ、重要なベース電源として位置づけるには、原発
の安全性を確認しなければならないと強調する。福島の復興情報はすでに
知ってはいたが、自分たちの目で確かめる必要があると考えて、若者たち
と共に福島を訪れた。

エネルギーで独立する

彼らが口々に語った。

「廃棄物を運んでいるトラックの運転手に、なぜここで働いているのかと
尋ねたら、『日本の為に役に立ちたい。福島をきれいにしたい』と答えま
した。本当に感動しました」

「店の食品の放射能レベルを次々に測りました。どれも皆安全で、買って
その場で食べました。福島の海底にいた平目も放射能を測りましたが、全
く問題がない。刺身にして皆で食べました。美味しかった」

「福島のあちらこちらで空気中の放射能も測定しましたが、東京より低
かった。全然、安心です」

彼らはこうした体験を映像に撮ってユーチューブで拡散するという。廖氏
も福島を訪ねて自信を深めたと語る。

「東京電力も日本政府も極めて真面目に復興の努力をしています。その態
度と復興の進展を見て、原子力発電をコントロールする力が人間にはある
と、私は自信を持ちました」

台湾の若い世代にとって原発の活用は、台湾独立の可能性と重なると彼ら
は言う。エネルギーの独立は経済の自立に欠かせない、台湾にとって死活
的問題だ。いま、若い世代が問うている。台湾は政治で消滅するのか、電
力政策の失政でなくなるのか、と。

再度強調するが、エネルギーの安定供給なしには経済は廃れる。安定した
経済成長なしには一国の自主独立は望めない。蔡氏は独立志向の人だが、
原発は否定する。結果、中国経済につけ込まれる可能性は否定できない。
だから廖氏らは、「原発再稼働」を掲げて再び国民投票に持ち込みたいと
語る。

こんなに一所懸命に台湾の自立を目指し、中国支配の排除を念じ、自主独
立を日々肝に銘じて発言する台湾の若者たちのなんと凜々しいことか。
翻って日本の若者たちはどうだろうか。私はつい、問うてしまう。日本の
若者よ、覚醒せよ、頑張れ。まぎれもなく、いまが正真正銘、頑張りどき
なのだ。

『週刊新潮』 2019年9月19日号 日本ルネッサンス 第868回


◆台湾の総統選挙

Andy Chang
 

政治家の素質低下は世界共通の問題だが台湾の総統選挙は有権者が投票
を拒否するほど悪い。

三週間前の記事(No.751)で台湾の総統選挙で候補者や政治家の素質
の低下について書いた。政治家の素質低下は世界共通の問題だが台湾
の総統選挙は有権者が投票を拒否するほど悪い。

数週前までは民進黨の蔡英文と国民党の韓国瑜の外に郭台銘と柯文哲
が出馬する噂があった。郭台銘/柯文哲コンビ、郭台銘/王金平コンビ
などが話題だった。郭台銘の出馬は韓国瑜に不利なので、

国民党の長老31人が連名で国民党の団結と韓国瑜支持を新聞に掲載したと
ころ、郭台銘が怒って国民党を脱退する騒ぎとなった。藪を突いて蛇を出
すとはこのことだ。

だがその数日後に郭台銘は総統選挙に不出馬を発表したので、蔡英文
と韓国瑜の対決となり、韓国瑜では蔡英文に勝てないから国民党は韓
国瑜を更迭して別の候補者を立てる噂があった。

この時点では蔡英文の当選はほぼ確実と新聞は書いた。ところが郭台銘が
不出馬声明を出したすぐ後に元副総統の呂秀蓮が出馬すると発表したので
形勢が逆転して蔡英文に不利となった。

呂秀蓮は民進黨の元老だったが、去年の5月末に民進黨を脱退すると
発表した。しかし民進黨は彼女が正式に脱退した文書はないとしてい
る。民進黨の党首・卓栄泰はさっそく呂秀蓮と会談して立候補しない
ように説得したが効果はなく、呂秀蓮は独立派の喜楽島聯盟の推薦で
立候補すると決定した。

呂秀蓮が喜楽島聯盟を代表して立候補することは民進黨と蔡英文にと
って大きな痛手で、台湾人の独立派が民進黨に失望したことを意味す
る。つまり台湾人の独立系有権者が蔡英文に投票せず、

民進黨の国会議員候補者にも投票しない可能性がある。去年の中間選挙の
二の舞となったら国民党が再び政権を奪取するかもしれない。

一方、外省人選民の半分は中台統一に反対だから韓国瑜に不利、つま
り蔡英文と韓国瑜の双方ともに有利な状況ではない。しかし蔡英文に
対抗して出馬した呂秀蓮の人気も決して高くない。

民意調査によると呂秀蓮と蔡英文の二人を比べると蔡英文が72%で呂秀蓮
28%となっている。つまり呂秀蓮が立候補すれば蔡英文に不利だが本人の
当選も期待できず、韓国瑜に有利となるだけである。

選挙委員会の発表によると18日に始まった総統選挙の立候補登記で
は呂秀蓮組を含む8組(登記には正副総統の名前が必要)がすでに登
記を済ませた。蔡英文と韓国瑜の二組はまだ登記していない。

呂秀蓮以外の7組はみんな有象無象である。選挙規則によると、総統
選挙に登記した組は100万元の保証金の外に45日以内に280384人の賛
成者名簿を提出すべきで、もしも45日以内に賛成者が半数の149192
人に達しなかったら保証金を没収される。

だから8組が登記しても28万人の賛成者を獲得できなければ失格である。
だから最終的に選挙資格を獲得できるのは蔡英文、韓国瑜と呂秀蓮の三組
となる可能性が高いし、この三組の外に立候補しても勝ち目はない。

現状では蔡英文が優勢と保っているようだが蔡英文には致命的な問題
がある。それは彼女が84年にロンドン政経学院で取得した博士学位の
真偽問題である。

これは個人的な問題だが民間で調査している人が多数いて、今日までに有
名な学者が二人、別々にロンドン政経学院に赴いて調査した結果を発表し
ているので選挙に大きな影響を与えるのは間違いない。

以上の結果を総合すると韓国瑜は人気が日毎に下落して国民党が彼を
更迭する動きもある。呂秀蓮は個人的に人気がなく喜楽島聯盟の支持
者も多くない。

蔡英文は博士号問題が発覚したら選挙どころではないし、
当選しても辞職を迫られるかもしれない。今回の選挙は有権者が
どのように投票するか全く予測できない。
at 09:55 | Comment(0) | Andy Chang

◆望郷の念に浸っていた与謝蕪村

毛馬 一三

江戸時代中期の大阪俳人で画家であった与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)で生まれている。

ところが、その生誕地が大阪毛馬村だと余り周知されていない。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出て江戸に下っている。なぜ江戸へ下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な望郷は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだものの、母親が若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎにも成れず、周囲から私生児扱いの過酷ないじめに遭わされたことから、意を決して毛馬村を飛び出したに違いない。

蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だった。だが、この超有名な師匠との縁がどうして出来たのか、しかも師事として俳諧を学ぶことが、どうしてできたのか、江戸下りの旅費・生活費はどうやって賄ったのか、等々ミステリーだらけだ。

蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。

<寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、生誕地毛馬村をすり抜けて、頻繁に大阪にやって来ていた。

京都から淀川を船でやって来て大阪に上ったのは、生誕地毛馬村と少し離れている淀川(現在は大川)下流の源八橋の検問所があった船着き場だった。ここから上がって大阪市内に居る数多くの門人弟子らを訪ねて回っている。

また蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ねたり、蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を回るなど、大阪市内いたる所を巡回している   

特に、吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚は活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

ところで、蕪村の活躍の主舞台は、絵画・俳諧で名を上げた京都だとされている。だが実際は、大阪も上記の通り活躍の場だったのだ。これもあまり知られていない。

船着き場の源八橋から生誕地の毛馬まで歩こうとすれば、30分ほどしかかからない。それなのに蕪村は、生涯毛馬には一歩も足を踏み入れなかった。

やはり母の死後、家人から苛められ過ぎ、出家まで決意させられた辛い思いが、大坂に帰郷すれば脳裏を支配し、終生「怨念化」して立ち寄りを阻んだのだろう。それが「信念」だったとしたら、蕪村の辛さは過酷すぎるものだったと思える。

とは云うものの、蕪村の「望郷の念」は、人一倍あったのは間違いない。

自作の「春風馬堤曲」の中で、帰郷する奉公人娘になぞらえて生誕地毛馬への自己の想いを書き綴っている。この「春風馬堤曲」を弟子に送った時、「子供の頃、毛馬堤で遊んだ」と回顧する記述を付して、望郷の気持ちを伝えていることからも、「蕪村の悲痛な心境」が伺える。

蕪村の心の奥底に去来していたのは、「故郷は遠くにありて想うもの」であり、毛馬生誕地に一度も立ち寄らなかった理由が、故郷毛馬での生き様と深く結びつくだけに、蕪村人生の輪郭が、際立って浮かび上がってくる。

筆者が主宰したNPO法人近畿ホーラム21主催の「蕪村顕彰俳句大学」で、大阪市立大学と共同し2016年の今年から「蕪村生誕300年祭行事」開催を進めた。
淀川神社、地元淀川連合町会や蕪村通り商店街、地元俳句愛好家とも、共同事業に参加して頂いた。

「芭蕉・一茶」の生誕地では、生誕祭を含め様々な記念事業を行っている。しかし大阪では、大阪俳人蕪村生誕を顕彰する「お祭り」の過去実績は全くない。何としてでも、大阪俳人与謝蕪村の名を国内外に広めたいと考えている。

大阪を行脚しながら、生誕地毛馬町に一度も足を踏み入れなかった蕪村には、せめて「蕪村魂」だけでも寄越して貰いたいと思っている。「望郷の念」に浸されていた蕪村の「夢」を何とかして実現させることが、筆者の人生最後の願いでもある。(了)

2019年09月22日

◆世界から見た皇室――令和の御大典を寿ぎて

加瀬 英明


私は昭和天皇が崩御されて、殯宮伺候(ひんきゅうしこう)の1人としてお
招きをうけたほかに、何回か新宮殿にあがったことがある。

私はそのたびに、ヨーロッパの絢襴豪華な宮殿や、歴代の中国の皇帝が住
んだ北京の故宮と較べて、日本の皇居は何と違うのかと痛感する。

新宮殿のなかには金銀に輝く装飾や、人々を威圧する財宝が一つもない。
神社の雰囲気が漂っている。

皇居の杜に囲まれた宮殿の建築様式は、日本に上代から伝わる高床式で、
屋根に千木が組まれている。

天皇陛下がおわされるところに、まことにふさわしい。日本の国柄が表れ
ている。天皇が権力者ではなく、千古を通じて日本を精神的に束ねてこら
れたことを、感じさせられる。

私が親しくしてきた外国の元首も大使たちも皇居を訪れると、異口同音に
諸外国の宮殿とまったく異った空間であることに驚いたと、語っている。

天皇に拝謁した外国人は口を揃えたように、陛下が世界でもっとも謙虚な
人であられると述べている。歴代の天皇は「私」をお持ちになることがな
く、日本だけでなく、全世界の平和を真撃に祈ってこられたからだ。

私はアメリカの未来予測の大御所といわれた、ハーマン・カーン博士
(1922年〜83年)と親しかった。ハドソン研究所の創設者だった
が、著書『超大国日本の挑戦』によって知られていた。博士が来日した時
に、高松宮宣仁親王殿下の高輪の御殿にお連れして、御紹介したことが
あった。

その時に、殿下が兄宮に当たられる昭和天皇について、「私たちはせいぜ
い百年前後しか考えないが、(昭和天皇は)つねに、これまでの2000
年と、これからの2000年の時間によって、お考えになられている」と
仰言ったので、饒舌な博士がしばらく黙ってしまった。

外国人識者による日本論といえば、イギリスの大記者だったヘッセル・
ティルトマン氏(1897年〜1976年)を忘れることができない。戦
前、イギリスの名門日刊紙『ザ・ガーディアン』東京特派員として来日
し、戦後、日本に戻って吉田茂首相の親友として知られたが、在京の外国
特派員協会会長もつとめた。

私は当時からアメリカの新聞に寄稿していたが、26歳の時にティルトマ
ン記者の知遇をえて、戦前と占領下の日本における体験をきくうちに、目
を開かれることが多かったので、新潮社に話して同氏の回想録を『週刊新
潮』に、昭和40年に36週にわたって連載した。

このなかで、ティルトマン氏は満州国を絶賛するなど、日本の行動を擁護
している。 

そして、日本が建国以来国柄を変えることなく守ってきたことを、「日本
は2600年古い国ではない。2600年も新しい国だ」(『日本報道三
十年』、平成28年に 祥伝社が復刊)と述べている。

ティルトマン氏は私に「日本は古い、古い国であるのに、外国と違って廃
墟となった遺跡が一つもないのは珍しい。皇室が万世一系で続いているの
を説明しています」といって、伊勢神宮など多くの神宮や神社が20年あ
まりの周期で、式年遷宮―昔の姿のまま忠実に造営されていることをあげた。

私はギリシアのアテネで古代アクロポリスの丘にたつパルテノン神殿を訪
れたことがあるが、今日のギリシアのありかたとまったく無縁である。

私は『源氏物語』や、川端康成文学の名訳者として知られた、エドワー
ド・サイデンステッカー教授(1921年〜2007年)とも親しく、上
野池の端で催されたお別れの会で献杯の言葉をのべたが、口癖のように
「わたしは明治翻訳語の『指導者』という言葉が、大嫌いです。日本は和
の国です。最高神の天照御大神も権威であっても、権力はなかった」と嘆
いていた。

日本では、神代のころから合議制の「和」の国だったから、英語のリー
ダー、ドイツ語のフューラーに当たる言葉が存在しなかった。

日本の浮世絵を中心としたジャポニズムが、幕末から明治にかけて、西洋
の絵画、庭園、建築、服飾などに深奥な影響を及ぼしたが、視覚的なもの
にとどまった。

いま、日本の万物に霊(アニマ)が宿っているアニメや、日本発のエモジ、
自然と一体の和食から、人と自然が平等だというエコロジーまで、かつて
のジャポニズムをはるかに大きく超える、日本の心の高波が世界を洗って
いる。

ヨーロッパ、アメリカでは、エコロジーが新しい信仰となって、一神教を
置き換えつつある。日本の和の心がひろまることによって、抗争に明け暮
れる人類を救うこととなろう。

日本文化への共感が増すなかで、天皇の御存在に対する理解が、いっそう
深まることとなってゆこう。

◆イスラエル次期政権は

宮崎 正弘

令和元年(2019)9月21日(土曜日)
         通算第6203号 

イスラエル次期政権はガンツ元参謀総長か連立を主導へ
    ネタニヤフ政権の継続は難しい雲行き。米国外交にも影響

ユダヤ人の特質は「全員一致ならやめちまえ」である。

定数わずか120の国会(クネセト)の議席を巡り少数政党乱立。全国区だ
から、その選挙制度からも、乱戦となる。

今回の選挙で議席を得た政党が11もある、そのうえ、議席を得なかった
少数党が、じつ18.多彩さに鎬を削るコンクール?

ネタニヤフ首相は10年以上の長期政権となって、国民からかなり飽きられ
ている。

そのうえ、汚職の噂がついて回った。しかし米国トランプ政権と呼吸が
あって、米国大使館のエルサレム移転。ゴラン高原の併呑容認、そしてヨ
ルダン川西岸の入植拡大は黙認と、事実上の応援団長だった。

トランプ政権で実務的な中東問題を担当するのはイヴァンカの夫、クシュ
ナーであり、かれは屡々エルサレムとリヤドを往復し、イラン問題などを
協議してきた。トランプ政権はネタニヤフ続投と踏んでいたからだ。

ジョンボルトン補佐官が解任されたのも、イランに対する政策に一貫性が
ないとして、トランプ大統領と激論をしたことが原因の一つとされた。

事前のネタニヤフ有利という予測は修正された。

9月17日のイスラエル総選挙は、与党リクードと、新・野党連合の「青
と白」が議席35で同数。今後、連立相手を求め、政策調整がこれから進む。

リクードの唱える「大連立」を「青と白」が拒否しており、中間派の「我
が家イスラエル」をはじめとする少数政党のいずれを味方につけるかで、
政権の行方が右に曲がるか、左に逸れるかが決まる。

まず選挙結果を得票率でみるとリクードが26・27%、青と白が25・
95%と伯仲しており、議席数はともに仲良く35。

ということはどちらかが連立の主導権をとって他の少数政党を説得し、政
策協定を結んでいくことになるだろう。

議席数をみるとリクードも五議席増やしているが、青と白はいきなり24
義戦増だ。

リクードと連立を組む宗教政党「シャス」の議席獲得は8,ユダヤトーラ
連合が同8、これにハタシュタールが6議席。

野党側は従来の労働党が13議席も減らして6議席となった。

同様に議席減を記録したのは、「我が家イスラエル」が5議席に留まり,
右翼連合が5,「メレツ」が4,クラヌも同数4,そしてアラブ政党が
4.これら少数党の議席減は合計24,つまり、この少数政党が減らした
24議席がすべて「青と白」に流れ込んだ結果となった。


 ▲ネタニヤフ下野、大連立も先行き不透明

事前予測と開票速報の段階ではキャスティング・ボードを握るのは「吾が
家イスラエル」と言われたが、予測議席10が、結果は5に終わり、とて
も連立のキィを握るとは言えなくなった。

「我が家イスラエル」は「正統ユダヤ教徒の兵役免除、免税得点を廃止せ
よ」と公平を訴えて支持を伸ばしてきただけに、その敗北が意味するの
は、正統ユダヤ教徒への優遇措置に変更はないだろうと考えられる。

投票から2日後、ネタニヤフは敗北を宣言し、一方「青と白」のガンツは
「勝利宣言」をした。

この結果を踏まえ、米紙ワシントンポストは、ガンツ元参謀長が連立政権
を率いるだとうと予測した(9月20日)。

ガンツは18歳で軍隊へ入隊し、38年間軍人一筋の生活を送り、着々と
軍歴をあげて、幾多の戦争を指導し、現役組トップの参謀総長となって、
引退した。しばし実業界に身を置いたが、政治への関心が高く、新政党を
組織したのだ。世界の政界は「ガンツ? WHO?」だ。

さて日本への影響は殆どないが、米国は深刻な影響が出る。

イラン政策でネタニヤフと米国は一致してきた点が多いだけに、もしガン
ツ元参謀総長が率いる「青と白」が中核の連立政権となれば、外交政策に
多少の路線修正、とりわけイランへの姿勢に変化が出るかも知れない。


 ▲イスラエルと中国の怪しい関係

 問題は中国である。

中国はイランから大量の石油を輸入しているが、同時に武器を供与してき
た。イラン・イラク戦争ではイランと同時にイラクへもスカッドミサイル
を供与し、「死の商人」と言われた。

その中国が、イランと併行してイスラエルにも深く食い込んでいる。この
二重人格的多芸ぶりは、日本が到底真似の出来ない外交の多重性外交を発
揮する。

イスラエル重視の中国の狙いは、第一にハイテク、暗号技術、ハッカー防
御。つまり軍事方面でのテクノロジー取得である。イスラルは米国と協同
で開発していたアロウ・ミサイル技術を、米国の怒りをよそに、秘かに中
国へ供与していた。

イスラエルのコンピュータ特殊部隊はイランの原子炉設備のコンピュータ
システムにウィルスをしかけて開発を数年遅らせた。その技量を中国は教
訓としている。

第二は中国企業の多国籍化、とりわけM&A(企業合併、買収)のノウハ
ウを米国のファンドや乗っ取り屋から学び、欧米並びに豪、日本のハイテ
ク企業を巧妙に買収してきた。その秘訣を中国はユダヤ人から得たフシが
ある。

       
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1958回】                 
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――徳田(13)
  徳田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

     △
徳田は「(満鉄の)設備のほとんどすべてがツアール・ロシアの殘したも
の」と綴るが、「坊主憎けりゃ・・・」といった類の言い掛かりであるこ
とは明らかだ。

ここでモスクワで開催された極東民族大会への往復の旅程を追うと、
1921(大正10)年10月初旬の上海到着後、長江を遡って南京へ。南京から
北上し曲阜、済南を経て天津へ。天津から北上し山海関で満洲入りし、以
後は長春、ハルピンへ。ここで西に向かって満洲里でモンゴル入りした
後、「何となくソヴエト同盟入りの目的をその日のうちに達した」。

一方、モスクワからの帰路を見ると、「蒙古を通過したのは一九二二年の
三月末から四月の中旬にかけて」であり、その後は張家口、北京、天津、
徐州、南京、上海、大連を経て帰国している。おそらく各地に張り巡らさ
れたスパイ網から逃れるために、このように手の込んだ旅をせざるを得な
かったのだろう。

ところで徳田は、帰国から3年ほどが過ぎた1925年に上海に現れた。中国
共産党創立から4年後で、3回目の上海ということになる。

1923年のドイツ革命失敗「世界的に革命運動が低調とな」る一方、国内で
は1924年に「憲政會の加藤高明を中心とする資本家勢力の内閣が成立し
た」。こういった内外状況のなか、日本共産党内で「解黨の可否の論議が
鬪わされていた」。

それを知ったコミンテルンが日本共産党の中心人物を上海に呼び付けたの
である。

「1925年の1月に解黨を主張する側の代表として佐野文夫、青野季吉兩
君とこれに反對する荒畑寒村君と佐野學君と私が代表して上海でコミンテ
ルン代表者極東部長同志ボイチンスキーと會見することとなつた」わけだ。

「會見」とはいうものの、実態はボイチンスキーの前で釈明し、解党すべ
きか否かの指示を仰ごうというのだろう。(以後、徳田は「ヴォイチンス
キー」と記す)

「同志ヴォイチンスキーの住んでいた宿は日本人租界の中にあ」り、「事
務員級の人ばかり住んでいる相當大きなアパート式の家で、多くのソヴエ
ト同盟人が住んでいた」。

ここで徳田ら日本共産党員は解党問題に就いて「約一週間にわたつて晝夜
をわかたず論議した」のである。日本人租界にコミンテルンの拠点とは。
これを灯台下暗しというのだろうか。

徳田も「こういう家が何の不安もなく日本人租界内にあつたことからみて
も當時の上海の空氣がどんなものであるか察しがつく」。無政府状態とで
も言うべきか。

「上海での一週間の討論の結果黨を解體することの誤びようは全代表者
によつて認められた」。「特に当時の上海の革命的ふん圍氣がこれまで解
黨を主張していた人々をも勇気づけることのなつたのである」。じつは中
国共産党は1923年の第3回党大会で「黨全體として國民黨に參加する決議
が採擇」された。

この第一次国共合作が「上海の革命的ふん圍氣」を醸成させたことから、
「わが黨は再び勇氣りんりんと起ち上がった」という。「勇氣りんりん」
と少年探偵団の主題歌のようなアッケらかんとした表現が徳らしく微笑ま
しいが、まあ実態は「同志ヴォイチンスキー」に強く叱責されたというこ
とだろう。

じつは上海行きの船に日本のスパイが乗っているとの情報を事前に得てい
た徳田らは、「上海行の半客船である4千トン級の熊野丸に乘つた」。こ
の船も満員だったが、満員であることは「日本帝國主義がイギリスと中國
市場を爭つて動亂を援助し、その背景の下に中國に手をのばしていた」こ
との証拠だと言う。やはり日本帝国主義は「親の仇」か。

この時、非合法時代の日本共産党(第二次日本共産党)で書記長を務め、
1928(昭和3年)に湾の基隆で官憲包囲の中で拳銃自殺した「渡政」こと
渡邊政之輔も一緒だった。
「同志渡邊政之輔ははじめての外國行きだものだからすつかり有頂天にな
つて」いた。
          
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 読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS
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   ♪
(読者の声1海外放送を見ていたら、トランプ大統領について気になる報
道があった。それは米国の議員の発言だが、トランプは今八方ふさがりで
混乱しており戦争になる危険があると言う。

八方ふさがりとはトランプは再選を目指すので当面海外のトラブルは避け
たい。しかしそれを見こして海外の反米勢力が重大なトラブルを起こして
くる。イランのサウジ精油所攻撃は良い例だ。北の核問題もある。そこで
困ったトランプは解決が見いだせずフラフラ状態だという。それが逆に戦
争を起こす可能性があるということだ。

これが正しいかわからないが、日本が国防をトランプ個人に頼っているの
は危ない。失敗すると破滅する。日本の優先課題はやはり再軍備だ。国防
は外国と違い裏切らないからだ。

トランプの真の解決案は、日本やドイツのような地域の核になる国に核保
有を認めることであろう。米国は必死に核拡散を止めようとしているが、
止まらない。技術というものはそういうものなのだ。その結果、米国は途
方もない負担を背負い込んでいる。さらに不拡散の代償に必要な防衛代行
が出来ないことだ。いくら米国でも核の身代わり被曝はできないのだ。こ
うした状況で、地域に狂気じみた強気の指導者が出ると被害国も米国も屈
服せざるをえない。

ジョージ・ケナンの著書を読んでいると、第二次大戦の米国はまるで高校
生のようであったと批判している。

日本を滅ぼせばソ連が南下することは現在の目で見れば明らかだった。こ
れを当時外交専門家のマクマレが気づき、国務省に対日敵視方針を止める
ように建言したが握りつぶされてしまった。

その結果は戦後の冷戦であり被害国は勿論米国にとっても大損害だった。
これは米国の政治家が愚かであったからである。したがって日本は全面的
には米国に頼ることは出来ないのだ。(落合道夫)

◆韓国の味方になれ

黄 文雄


「韓国の味方になれ」文在寅がASEANで日本への圧力を叫ぶ愚かさ

人気記事国際2019.09.10 2123 by 黄文雄『黄文雄の「日本人に教え
たい本当の歴史、中国・韓国の真実」』

韓国の文在寅大統領がタイの有力紙「バンコクポスト」の取材に対してま
たも日本批判を展開し、ASEAN諸国に対して自国の味方につくことを要請
したことが報じられました。

台湾出身の評論家・黄文雄さんは自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教
えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、これまで文氏がASEANで繰
り返してきた外交的欠礼を指摘するとともに、そんなASEANでしか「日本
との反目」を呼びかけるほかなかった韓国の置かれた立場等を解説してい
ます。


プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学
院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、
評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国
人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【韓国】対日共闘をASEANに持ちかける文在寅大統領の愚

● 文氏「日本の報復は世界経済に悪影響」 ASEAN諸国へアピール狙う



9月1日からの東南アジア歴訪を前に、文在寅大統領は現地メディアの取材
に応じ、韓国への半導体素材輸出管理強化や「ホワイト国」除外につい
て、「日本の経済報復は、世界経済に悪影響を及ぼす」と日本を批判しま
した。加えて、ASEAN諸国に日本が対話に応じるように協力してほしいと
要請しました。

ただし、ASEAN諸国は非ホワイト国です。もともと韓国はアジアで唯一の
ホワイト国として優遇されていたわけですが、その優遇措置が外されたか
らといって、もともと優遇されていないASEAN諸国が韓国の味方につくは
ずもないでしょう。

やはり韓国には、「絶対に正しいのは自分たちだけ」という思い込みが強
いのでしょう。そして、みんなが自分の味方についてくれると思ってい
る。韓国政府は日韓GSOMIAの破棄について、「アメリカは理解してくれて
いる」と発表しましたが、アメリカ政府から即座に「それはウソだ」と否
定され、抗議を受けています。

彼らとしては、「誰もが正義である自分の側についてくれる、悪の日本な
どどこも応援するはずがない」と思い込んでいるのでしょう。

しかし、どう考えても、ASEAN諸国から好感度を得ているのは日本のほう
で、韓国ではありません。

日本の外務省がASEAN10カ国を対象に実施した世論捜査では、「過去50年
でもっとも貢献が大きかった国」として、日本を選んだ人が最多で55%、
以下、中国(40%)、米国(32%)、韓国24%、オーストラリア23%でした。

● 日本はなぜASEAN諸国で好感度が高いのか―中国専門家

その他の調査でも、ASEANの91%が日本を「信頼できる」と回答してお
り、もちろんこれはアジアで第1位です。

そもそも文在寅大統領は、今年3月にマレーシア、ブルネイ、カンボジア
というASEANの3カ国を歴訪しましたが、マレーシアではマハティール首相
との会談後に行った会見で、文在寅はマレー語ではなくインドネシア語で
挨拶したことが発覚。

さらに、イスラム教国で公の場での飲酒を禁じているブルネイで乾杯を提
案、さらにカンボジア訪問時には自身のSNSにカンボジアとは関係ない写
真をアップするなど、外交的欠礼を繰り返しました。

● 外交欠礼連発の文在寅大統領、イスラム国家では「乾杯」提案―韓国メ
ディア

結局、文在寅大統領はASEANにまったく興味がないということなのではな
いでしょうか。そんなASEAN諸国を利用して、日本政府に圧力をかけよう
としているわけです。

もちろんASEANとしても、表立って韓国に反論するわけもいかず、かと
いって変な答えをしてしまえば、「ASEAN諸国が韓国の言い分を理解して
くれた」と喧伝されてしまいます。日韓2国間の問題をASEANに持ち込まな
いでくれというのが、正直な気持ちでしょう。


もはやこの問題でアメリカの仲介は期待できず、かといってあからさまに
中国を頼るわけにもいかず、結局、ASEANくらいしが、不満のはけ口がな
かったということなのかもしれません。

at 09:44 | Comment(0) | 黄 文雄