2019年09月11日

◆忍者「曾良」が松尾芭蕉に随行した

毛馬 一三


本誌に掲載した拙稿「芭蕉終焉(しゅうえん)の地って?」の第2弾。

上記拙稿とは、松尾芭蕉の「終焉の地」が大阪・南御堂向かいにあった花屋仁左衛門の離れ座敷であったことや、辞世の句といわれる「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」を、この座敷の床で亡くなる4日前に詠んだものであることを、筆者は不覚にも知らなかった。それを偶然このことを知る機会を得たことから、驚きに見合って綴ったものだった。

芭蕉は、大阪などで死ぬなど夢だに思いもせず、早く床払いをして好きな旅を続けたいとの気持であったと、様々な文献が記している。

だが、思いもよらず病(食中毒といわれる)は悪化、意に反して終焉を迎えるのだが、見守る弟子たちの顔を眺めながら「死」が迫るのを悟り、幸せな生涯だったと瞑目しながら、逍遥と死の旅についたようだ。


冒頭の拙稿に、「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏から下記の寄稿頂いた。

<深川・芭蕉記念館 は拙宅の近くです。徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。江戸の発展とともに新たな市街地、農地が必要となり、土地の開発が始まった。大阪からきていた深川八郎右衛門が新田を開発、慶長元年(1573年)深川村と称したのが始まり。

江戸の下町と言えばなんと言っても深川。出発地は都営新宿線森下駅。駅を出て新大橋通りを浜町方面に5分ほど歩いていくと隅田川にかかる橋が見えてくる。これがこの通りの名前になっている新大橋。橋の手前の十字路を左に曲がりしばらく歩いていくと、最初の目的地「芭蕉記念館」がある。

芭蕉は、延宝8年(1680年)江戸日本橋から深川の草庵に移り住んだ。元禄2年(1689年)3月、曾良を伴い奥の細道の旅に出発した。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まる奥の細道。岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅。

「芭蕉記念館」には 当時、芭蕉が着ていた袈裟を初め芭蕉庵を模したほこら、句碑 などがある。記念館の裏木戸を出るとそこはもう隅田川のほとり。川沿いの道を左に少し歩いていくと史跡庭園があり、芭蕉像や芭蕉庵のレリーフがある。 先日来日した李トウキ前台湾総統もご覧になって行った>。

この寄稿を読ませて貰った時、芭蕉に纏わる新たな衝撃が脳裏を駆け巡った。それは、<徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。(そんな未開発の深川だったが、その深川から)元禄2年3月、「曾良」を随行して奥の細道の旅に出発した。(略)岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅>というくだりである。

江戸から東北、北陸地方を150日間で踏破した2400キロ(600里)の道程を踏破したと言うが、とんでもない距離だ。単純に計算すると1日16キロ歩いたことになる。だが当時の旅はそんな生易しいものではない。

江戸時代の元禄期といっても、 江戸から東北、北陸地方には、のんびり歩き通せる平坦な道が整っていた筈はない。ほとんどが山道・峠道であり、山を越えるしか方法はなかった。

筆者も、数年前福井の江戸時代以前からある「鯖街道」を歩いたことある。山道の勾配は天地の差ほどの高低を繰り返し上り下りした。山道もない場所は絶壁を横切るしかない。ましてや橋はほとんどなかった。大雨で河が氾濫、足止めを食うことも日常茶飯事だったろう。

「奥の細道」によると、2人は何と1日に48キロ(12里)を 歩いた日があったという。幾ら昔の人が健脚だったとはいえ、老齢の芭蕉(46)と随行者曾良(41)が、そんな長距離を1日で踏破できたと考えるだけでも、驚きが渦巻く。

だから、ここから「第2弾」を書きたくなったのだ。

つまり芭蕉は、こうした異常な歩き方の速さや、伊賀の上野の生まれであることから「忍者」ではなかったかと論じられてきた。それはまた別の機会に譲るとして、ここで気になるのは、むしろ芭蕉の弟子扱いをされた、「曾良」の方だ。

「曾良」のことは、純朴な芭蕉の巡教なお供だという印象が強く、「忍者」だとはあまり知られていない。

調べてみると、こんな具合だ。

<曾良は、幕府とのつながりが緊密で、当時日光工事普請を巡ってあった伊達藩と日光奉行の対立を探る秘密裡の調べを、幕府が「曾良」に命じられたという。その目的と行動を秘匿するため、芭蕉の旅を巧みに利用したというのが、専門家の間では定説となっている。

その「曾良」は、さらに社寺や港の荷役の動きを調べる秘密任務も担っていたらしく、北前舟が立ち寄る日本海沿岸の港として酒田、瀬波、新潟、直江津、出雲崎、金沢、敦賀を丹念に秘索して回っている痕跡が残されている。

その秘索行動が、なんと芭蕉の旅の日程と、無理なく調合する形になっている事実が証拠なっているのには驚かされる。

きっと幕府からの支度金が潤沢だったため、俳句仲間の豪農や商人のお世話や句会の興行収入だけでは吟行生計が出来なかった芭蕉の懐具合が、この「曾良」の秘行任務を受け入れざるを得ないことになり、随行を認めたものであろうと専門家は指摘する>。

こう見てくると、「曾良」という旅の随行者は、芭蕉に接近して仮弟子に登用してもらい、巧に芭蕉を利用して、幕府隠密の任務を隠密裡に遂行していった紛れの無い“忍者”だったのだ。

芭蕉の終焉の時、「曾良」のその床の横には居なかった。公務を理由に葬儀にも参列しなかったという。やはり芭蕉に心酔して傍に連れ添った弟子ではなかったのだ。

果たして「曾良」は、芭蕉の死後、幕府巡見使九州班員に正式に身を転じている。
               (了)              参考・ウィキべディア
           

2019年09月10日

◆雀庵の「華僑が世界にばらまく悪弊」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/25(2019/9/8)】前回紹介した「金儲けの神
様」邱永漢(1924−2012年)の死後、2015年4月「遺族3人が東京国税局か
ら遺産20数億円の申告漏れを指摘された。また2013年までの2年間に配当
約10億円を所得として報告していなかった」(日経2015/4/29) 。

大物は「死してもカネを離しませんでした」、根性が違う。西武グルー
プの2代目、堤義明もドタバタ劇はあったが、その処理で3兆円の資産を投
じ、それでも残ったカネが50億円だという。あっらー、カネは偉大なり!
 別世界。

毎日100万円、1か月3000万円、1年で3億6000万円使っても14年以上もか
かる。小生にとっては地獄だな。奨学金財団を創ってさっさと処理したい
(ま、あり得ないね)。

堤義明は観光産業に造詣が深かったが、傘下のコクド(現NWコーポレー
ション)の八ヶ岳高原ロッジ&ヒュッテ総支配人から「売上を伸ばす知恵
はないか」と相談を受けて視察に行ったことがある。

美しいお嬢様風のロッジはさておき、この「ヒュッテ」は徳川義親(尾
張徳川家19代当主、侯爵)の邸宅を移築したもので、小生のようなイタズ
ラ坊主からすれば実に高貴、気品あふれる令嬢そのもの。

「アーッ、なんて素晴らしいんだろう、一度でも寝てみたい・・・ここ
は泊まれるんですか?」「いや、今は物置にしています」。

何と! まるで眠れる森の美女、小公女セーラを雨ざらしの物置にする
なんて。「このヒュッテ、キレイにしたら売れますよ、結婚式場にもなる
し・・・好き心のカップルなら一度だけでもこんな素敵なおとぎの国で愛
の交歓をしたいもんです」

まあ、そんなアドバイスをしたが、総支配人が派閥抗争で消えてしまっ
たので、話は終わってしまった。噂によると総支配人は若き堤義明の身代
わりでムショに入り、そのお情けで総支配人になったんだとか。

今、このリゾートではヒュッテを夏場にレストラン、ティールームとし
て使っているから、まあ小生の口先三寸的ソリューションは役立ったのか
もしれない。

世界中に新天地を求めた華僑は、国家を(吸血鬼、簒奪者と呪詛して)
まったく信じない代わりにカネと宗族(男系男子の血脈集団)を崇拝す
る。カネの力を知っているから、悪弊(彼らにとっては常識)を世界にば
らまく。日本の海外旅行業界でもそれに染まっている。

1)航空会社から旅行業者へ支払われる「キックバック」。契約書がない
リベートというか報奨金だ。まあ“人参”で、旅行業者は必死でニギリ(ノ
ルマ)を達成しようと励む。追いつめられると叩き売り、「タダでもい
い!とにかく乗ってくれ」。

旅行会社は次期の仕入れ枠が削られてしまうから必死で、航空会社も
ロードファクター(利用率)を高めるために「空気を運ぶよりまし」と黙
認する。

バッタ屋が二束三文で残席を買って、激安ツアー、激安チケットとして
売る。HISはこうして大手にのし上がった。

2)現地旅行会社(ランドオペレーターとかツアーオペレーターと言う)
による「ランドフィーゼロ」。地上費(ホテル代、観光バス代、美術館な
どの入場料、昼食代など)は要りません、タダでOK。

ウマイ話には裏があり、客を土産屋に送り込む。「1日5店回しは当たり
前、10店回しまでは許容範囲」。現地旅行会社はショッピングコミッショ
ンで地上費を賄い、利益も得るわけ。

もちろんお娼妓さんも紹介してコミッションを得る。まるでポン引き。

日本の旅行業者もキックバックを得られるからウィンウィン。昔は添乗
員に払われていたので、1年添乗して家が建たない奴はバカだ、と言われ
たものである。

それを元手に起業した人も多かったが、1975年あたりからコミッション
は直接、会社に入るようになったから、「金ぴかの歩く高級ブランド」だ
らけだった添乗員は一気に最底辺の仕事になってしまった。「好きじゃな
いととてもできないわ」と皆言う。

当時では年間300日働いても年収300万円、今でも人気のある添乗員
(ファンがつく)でもせいぜい500万円だろう。TV(テクニカルビジッ
ト、産業視察旅行)で特定分野の造詣が深く評判のいい40〜50歳の添乗員
でも700万円程度だと思う。

3)地獄の沙汰も金次第、多くの交渉事がワイロ、リベートに左右され
る。民間取引から政府などの認可が必要な案件(空港の発着枠など)も、
袖の下が潤滑油になる、無理も通る。「満員です」、これがワイロ次第で
「古くからの友達、優先させます、大丈夫!」。カネ、コネの世界。

まあ、そんな感じで華僑がいる国ではアングラマネーが動かないとビジ
ネスは上手くいかない。それで誰も損しない(本当は客や真面目な会社が
損しているのだが)、皆ハッピーなんだから波風を立てることもあるま
い、と多分世界中が華僑式ビジネスに汚染されてしまった。みんなお代官
様、越後屋さん。平次さんも「まあ、あんまり派手にやらねえでくれよ」
と見逃してくれる。

実際、いろいろな国への資金・物資援助が正しく使われてるかどうか、
誰にも分かってはいないのではないか。北朝鮮への援助のコメが、市場で
堂々と売られている。赤い羽根共同募金が最終的にどこへ行っているの
か、分からない。怪しいNGOはそれで食っているのではないか。

華僑なら「騙される奴が悪い」「カネがあれば難交渉でも上手くいく」
となるのだろうが、少なくとも日本人は「機械あれば機事あり、裏はとも
かくも、表はキレイにしておかないと」と思うだろう。

支那系の大企業で初の日本支社長(海軍主計局上がり)になった人はほ
とんど華僑みたいだった。人間関係=金銭関係で、「油断するとネコババ
される」と常に社員を疑っていた。女子社員がトイレに行くと「あなた、
いつも30分もトイレに行く、会社の金を盗んでいるようなものです」と詰
り、小生にまで「うちの部長とあなたは仲良しだから、本当にこの請求書
は正しいのですか」なんて疑ったりしていた。

給料はとても良かった。ところが数年たつと「あなたは有能だから取締
役になってくれませんか、ついては株主になってください」。給料が高い
分、株を買わざるを得ないようにして、大方の社員は「こんなワンマンの
銭ゲバの下でカネを絞られてはたまらない」と辞職する。

支社長は「人材は高給で釣れるし、辞めてもらってもどうということな
い」と屁の河童。

社員曰く「あいつは粗にして野だが卑でもある、とにかく卑、卑、卑。
頭のてっぺんから足のつま先まで卑!」と言って辞職した。(この方は
時々産経に記事を書いている。自宅で料理教室も開いたとメールが来た)

因みに支社長の奥様はマンションころがしの天才、息子は日銀マン。一
家を挙げて「銭ゲバ家族」!華僑より出でて華僑より欲深! 儲け話が来
ると「100万円くれたら話に乗りますよ」、詐欺師は尻尾巻いて逃げる。
まさに華僑もマッツァオ!タフ!

極くたまにアジアの暴動などでは華僑が狙われる。香港でも中共とウィ
ンウィンの華僑の大財閥は嫌われているらしい。あまりにえげつなく華僑
式ビジネスをやると叩かれるのではないか。

発狂亭“粗にして野だが貧でもある”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(143)2017/1/12】野口健「自分を追い詰
めず苦しいと認める」。

<多種多彩な活動を続ける上で重要なことは、自分の精神的キャパを把
握することだ。人間の精神力、集中力には限界があるから過剰に自身を追
い詰めてはいけない。苦しい時には苦しいと認めること。

一時の正義感や思い付きだけでは活動は続かない。人生も活動も短距離
走ではないのだから。何よりも大切なのは本人がその活動に夢やロマン、
新たな可能性を感じていること。どんな活動にもワクワクしたい。また活
動を「やりっぱなし」で終えるのではなく、形にまとめ、次につなげてい
くことも重要だ。

今年も一歩一歩、コツコツと焦らずに積み重ねていきたい>

哲学者というか、求道者とか、武蔵のような風格がある。彼は歴史に名
を刻むだろう。

「建設現場 進む自動化 高齢化で130万人離職(平成26年比で37年に
は)の見通し 鹿島、日本初のダンプカー導入」

<複数の重機を一人で操られるようにするが、リモコンによる遠隔操作
とは異なり、一度指示した作業を各重機が連携しながら自律的に繰り返す
点が大きな特徴。改造費は1台当たり500万円・・・>

単純肉体労働者はやがて粗大ゴミになるのか?「窓際が あった時代が
 懐かしい」(サラリーマン川柳)

・・・・

土方では 生きていけない 世となりぬ 汗水流す 現場は消える(修)

京急事故で高齢ドライバーは駆逐されるのだろうな(つづく)2019/9/8


◆「西側メディアの香港報道は偏向している

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月3日(火曜日)通算第6182号  


 「西側メディアの香港報道は偏向している。中国の内政に干渉するな」
中国外交部、豪、カナダ、NZなどで「反香港デモ」の組織化を急ぐが。
***************************************

 香港。これほどの政治的影響を持つとは、誰もが想定外だっただろう。
とくに北京政府、 中国共産党は深い衝撃に包まれている。世界のメディ
アが注目し、連日大きく報道しているため、軍による鎮圧に踏み切れない
からだ。

 香港の抗議活動はとうとう四ヶ月目に入り、その支持と連帯が世界中に
拡大した。
欧米諸国の留学生らは香港の学生支持集会を各地で開催しているが、なか
には身銭をきって、香港へ駆けつける若者もいる。台湾でも、香港問題が
次期総統選挙の流れを完全に変えた。蔡英文再選の可能性が濃厚になった
のだ。

 リトアニアの首都ビリュナスでは、香港の抗議活動に連帯する「人間の
鎖」が実施され、多数のリトアニア市民が参加した。同時にリトアニア外
務省は中国大使を呼んで、暴力的弾圧、ヒューマニズムの尊重などを訴え
たという(サウスチャイナモーニングポスト、2019年9月1日)。

 外国にいる中国人留学生は躊躇いと、北京からの監視、「愛国行動」へ
の参加要請(というより強要)に動揺し、複雑な心理状況に陥っている。
 オーストラリア(豪)には120万人もの中国人が暮らし、このうち
44%が中国大陸からの移民、香港からの移民は6・5%(2016年の
統計。現在はもっと増えているが、速報統計がまだない)。

 カナダには176万人もの中国移民が暮らすが、このうち753000
人が中国大陸から、216000人が香港からの移民である。この移民の
間にも香港問題で、コミュニティを二分化させてしまった。

たとえば豪シドニーでは中国領事館の指示によって「北京支持」集会とい
う時代錯誤的なイベントが行われたが、参加者はわずか五百名だった。か
れらのプラカードは「愛中国、愛香港。反港独、反暴力」という抽象的な
もので、配られた五星紅旗を力なく振って、ともかくアリバイ証明的だっ
たそうな。

 彼らの参加動機、言い分は「香港問題はインドにおけるカシミール問
題」とか、北京政府のプロパガンダを鵜呑みにしている。香港の学生の多
くは「香港独立」を言っているのだ。

 中国人留学生の多い西側諸国のキャンパスでは「レノン・ウォール」と
いう壁新聞が登場して盛んな書き込みが行われている。
まるで文革終息期の70年代後半、北京の「西単の壁」の如し。

 豪、カナだ、そしてニュージーランドの中国人留学生同士の衝突も各地
で伝えられている。「西側のメディアは反中国的であり、じつに偏向して
いる」と北京政府支持の若者らは発言しているが、移民コミュニテイィで
の強い支持が見られない。
バンクーバーで行われた北京支持行進には五星紅旗を前面に飾ったフェ
ラーリが登場し、失笑を買った。
 
 またホワイトハウスや、キャンベラの豪国会前、NZウェリントンの国
会前などでは日頃の法輪功活動を横目に、チベット、ウィグルからの留学
生らが香港と連帯している。
 すでに香港の抗議活動は四ヶ月、香港の八つの大学では授業ボイコット
に12000名の学生が参加した。この動きは高校、中学にも拡大している。

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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読
者之声
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(読者の声1) 宮崎さんの最新刊『神武天皇「以前」』(育鵬社)を早速
読みました。
皇室への敬愛溢れる内容に、共感するところが大いにありました。日本全
国の縄文遺跡を巡り、その場に立って文明史的な意義を読み取り、時には
縄文人の思考に同化して、神々を思う。
古代の生活の中で生まれた信仰が、数千年の時間軸を垂直に貫いて、今の
日本人の血肉となっていることを、改めて感じ入りました。縄文土器の過
剰ともいえる装飾性や、極端なまでにデフォルメされた意匠には、この時
代にすでに、現代の前衛を凌駕する芸術家が存在していたことを証明する
ものだと思います。
 今回の御代替わりにおける、全国津々浦々で沸き起こった祝祭空間にも
触れておられますが、例え悪乗りであろうとも、そして国民の多くがその
深い意味は理解していなくても、天皇を戴く臣下として、御即位の喜びを
爆発させたことの意義は大きいのではないかと思います。
左翼教育が敗れたといってもいいのではないでしょうか。
今秋の大嘗祭に向けて、皇室への関心もまた深まるものと思います。願わ
くば、国民が男系継承の正統性に目覚め、これを断固推進する政治の実現
に向けて世論の大波が立ち現れることを祈りたいと思います。
    (浅野正美)


(宮崎正弘のコメント)読後感第一号有り難う御座いました。あまりの早
さに驚きましたが、正確にお読みいただけたようです。じつは西尾幹二先
生からも電話を頂き、「驚いた。中国論から明智光秀、西?に飛んだかと
おもうと、今度は古代の浪漫。しかも類書の縄文本とは異なって机上の文
献取材ではなく、縄文遺跡の多くを実際に足で歩いて目撃した印象を綴る
ばかりか、世界の古代遺跡の現場にも立って文明比較を行っている点が斬
新です」とのご感想でした。

  ♪
(読者の声2) 「日本文化チャンネル桜」から番組のお知らせです。番組
名:「闘論!倒論!討論!2019  日本よ、今...」
テーマ:「中国の侵略行為と香港・台湾・日本の未来」(仮)
放送予定:令和元年9月14日(土)夜。日本文化チャンネル桜、
「YouTube」
「ニコニコ・チャンネル」オフィシャルサイト&インターネット放送 So-TV
<パネリスト:50音順敬称略> 潮匡人(評論家)、加瀬英明(外交評
論家)
河添恵子(ノンフィクション作家)、三浦小太郎(評論家)、宮崎正弘
(作家・評論家)
鳴霞(月刊『中国』編集長)、矢板明夫(産経新聞外信部次長)
司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表)

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1948回】                 
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――?田(3)
!)田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

  △
 ?田は「ビラを書いたり、工場の中に飛び込んで、勞働者の間で宣傳を
やつたり、ストライキの相談にあずかつたり彼らと共に行動する方が得手
であつた。その他には爭議の交渉をやつたり、裁判所で判事や檢事と鬪う
のが得意であつた」が、語学などは不得手だった。
だが、極東大会への出席は「指導者からの話でもあり餘り行き手がないと
いうことだから喜んで引受けた」とのこと。

とはいえ、「行き手があまりなかつたのもまた指導者が彼らの尊重してい
る同志をやりたくなかつたのも理由のあることだつた」と記すことも忘れ
てはいない。?田は、当時の日本共産党指導者に嫌われていたということか。

外国船舶が並んだ上海埠頭を目にした?田は、「帝國主義の狂暴さを示
し、中國民族を奴れい視している象徴が、上海の大玄關にあつた」と記し
た後、「まるで蠅の群」のように屯すジャンクを目にして「中國固有の力
は全くこの片隅に閉そくされているかつこうであつた」と憤慨する。

「當時の上海は平和な街だつた」。北京では日本やイギリスを後ろ盾に
した軍閥の抗争、広東では孫文率いる国民党と反国民党軍閥の騒乱が続い
ていた。だが上海を支配している軍閥が「中立的な立場に立つて平和を維
持しようとつとめていたことと、英米日の三國がここを中國全體えの商品
の入口として平和を確立することに熱中していたからである」。

だが、「この平和の中には、國際的な權力にたいして大きな反對的要素
がスクスクを育つていた。それは――上海が工業的にまた交通的に發展する
に從つて生じてくる勞働者階級の成長であつた」。わけても、その中核は
「海員と港灣勞働者」であった。

「同志チャン・タイ・レイ」に連れられ、「日本租界の西はずれのスコッ
ト路に面した小さな家をたずねていつた。その家の主人はアメリカ系のユ
ダヤ人で、夫婦と五つぐらいの可愛いい娘の三人家族」だつた。その家の
客間で、「上海では最古参の同志で、メーリングといふオランダ人」に引
き合わされる。?田は「日本の情勢やら日本の共産主義者の活動について
彼らに話さねばならなかつた」。

 ?田は英語が全くダメで、「同志チャン・タイ・レイ」は日本語がダ
メ。そこで一計を案じた?田は筆談とした。
!)田が「紙と鉛筆をとり出して漢字を並べて書く」。それを「どんどん通
譯する」。「そうしたらとても喜んでまるで遠くから歸つてきた子供を可
愛がりでもするように歡待してくれた」という。トッキュウよ、喜ぶのは
まだまだ早い!

!)田が中国語に通じていたわけでもなさそうだし、日本語⇒漢字の羅列⇒
英語の順に訳したとして十二分に意思が伝わったとも思えない。
漢字だから通じるだろうなどと考えるのが誤解の始まりであることを、?
田のみならず日本人は十二分に心得ておくべきだ。おそらく「アメリカ系
のユダヤ人」であれ「メーリングというオランダ人」であれ、日本人なん
ぞ適当にあしらっておけ、といったところではなかっただろうか。当時の
共産主義運動の「真実の一端」が顔を覗かせているような気がする。

さて「お茶のあとでビールが出た」が、それが「新しく栓を抜いたので
はなく、飲みのこしらしく、ちつとも泡がたたないのだ」。
そこで?田は健気にも「彼らはこんなにまで節約して苦しい黨活動をつず
けているのだつた」と感激している。だが、チョッと待て! そこまでし
て気の抜けたビールを飲む必要はないはずだ。
感激屋・?田の面目躍如だが、このような天衣無縫ぶりが後に吉田茂に好
まれたのだろう。それにしても素直と言うのか。単純と言うべきか。おそ
らく海千山千の「同志チャン・タイ・レイ」、「アメリカ系のユダヤ
人」、それに「メーリングというオランダ人」からすれば、直情径行・単
純明快の?田を相手にすることなどは赤子の手を捻るより簡単だったに違
いない・・・
ヤレヤレ。
《QED》

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
知道中国 1949回】                    
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――?田(4)
!)田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

  △
「同志メーリング」は「五十歳前後の温厚な紳士」ということだが、かつ
てジャワ島でオランダ殖民地政府経営の鉄道で技師を20年間ほど勤めなが
ら「ジャワの鐵道勞働者の生活權をまもるために鬪い」、労働組合を組織
し、「第一次世界大戰後の恐慌時代にこの勞働組合をひきいてジャワで大
ストライキを指導し」ている。
根っからの社会主義者であり、「大戰後コミンテルンが成立した後は共産
主義者としてオランダ共産黨にはいり、ジャワでも共産主義運動をはじめ
た」というからには、正真正銘の筋金入りの共産主義者だろう。

ジャワで大規模な鉄道ストを指導したり、ジャワ人でコミンテルン執行
部入りした先鋭的共産主義者を育てたことから、彼はオランダ殖民地政府
から追放処分を受けた後、「すでに三年も上海に住つている」。彼は「中
國共産黨の創立にも力をつくし、また上海を本據としての諸國の共産主義
者の連絡に缺ことのできない人物となつていたのである」。

「きわめて温好で人ずきのいい人物」で?田を「まつたく自分の子供の
ように可愛がつてくれた」とのことだが、彼は「獨身で上海に居をかま
え」、「自分の下女として四十いくつになる日本婦人を雇」い、「(彼女
は)とてもやさしくて忠實なのだとほめていた。だから特別日本人はなつ
かしいといつて笑つていた」。だが、よくよく考えれば、この「四十いく
つになる日本婦人」は単に「自分の下女」だけだったのだろうか。

「同志メーリング」「四十いくつになる日本婦人」のみならず?田も、
共産主義者のタテマエとホンネの落差、シュギに絡めた男女関係の曖昧さ
に首を傾げざるを得ない。といったところで「四十いくつになる日本婦
人」のその後だが、やはり他人事ながら気になる。

 ?田の旅に戻る。
 上海から南京に向かった?田は、途中で太湖に立ち寄った。さすがに共
産主義者である。物見遊山ではない。観光名所でも頭に浮かぶのは革命、
カクメイ、革命だった。

「太湖は日本の琵琶湖の數倍もあつて、岸邊は高いヨシにおおわれてい
る爲に、かつこうな盗賊のかくれ場所になつているという話だつた。とこ
ろが日本帝國主義の中國侵略の後にはバルチザンのよりどころとなつた。
戰爭が進むにしたがつて盗賊は次第に押しのけられて中國ソヴエトのバル
チザン部隊のきわめて有利な根據地となつたのである。現在でもこの勢力
は相當大きなもの」と記す。
「パルチザン部隊」も元は「盗賊」だっただろうに。

中国共産党が長江南岸の小さな根拠地を作ったり、「上海で革命勢力が
ときどき大きな力を發揮できるのも、太湖周辺の湿地帯に重要な勢力集積
地があるためと思う」。かくて「こうした大自然を中國革命軍がきわめて
有利に使いこなしていることは、われわれにとつて大きな?訓だ」と結論
づける。

後に中国に亡命した?田は「北京機関」を組織し、1951年2月の第4回全
国協議会(四全協)において反米武装闘争を掲げ、「山村工作隊」「中核
自衛隊」によるゲリラ闘争で全国農山村に「解放区」を拡大する方針を打
ち出した。
一般には毛沢東による中国革命を模倣したと言われる。だが直情径行で多
情多感の?田である。太湖が目に入った瞬間、頭の中には荒唐無稽な革命
的夢物語が宿ったのではなかろうか。

大きな湖の周辺のヨシが鬱蒼と茂る広大な湿地帯を舞台に、神出鬼没な
行動を重ねながら権力と戦う。まさに「『水滸伝』の世界」であり、そこ
に?田も魅了されたに違いない。 

気の抜けたビールを前に「彼らはこんなにまで節約して苦しい黨活動を
つずけているのだつた」と感激したり、太湖周辺に広がる広大な「盗賊の
かくれ場所」に「大きな?訓」を得たり。
トッキュウという共産主義者は、どこまで行ってもトンチンカンでお人好
しの感激屋。憎めないといえばそれまでだが、それにしても脇が甘すぎな
いかい・・・。
《QED》

◆「大紀元」を知ってますか

渡部亮次郎


大紀元(だいきげん、英: The Epoch Times)は、新聞とインターネット
を報道媒体とする華僑系報道機関である。

2000年5月、ニューヨークで“中国共産党言論統制を突破する”華人たちに
よって設立された。2011年1月現在、新聞では9ヶ国語、ウェブサイトでは
17ヶ国語でそれぞれ各国支局により運営されている。

日本では東京都台東区に事務所を置き、中国語版を2001年、日本語版を
2005年から発行している。

数年前、私は東京での社員集会に招かれて講演したことがある。社員の多
くは来日後「反共」になった女性が大部分だった。

アメリカ国内に11の支社を持ち、日本やカナダ、イギリス、ドイツなど、
世界30カ国にグループ社がある。

ワシントンD.C.やニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ボス
トン、カナダ、オーストリア、香港、台湾では日刊で、他の国・地域では
週刊で発行している。 全世界での中国語版の発行は週120万部。他に英語
版、ドイツ語版、フランス語版、ロシア語版、韓国語版、日本語版を発行。

紙面およびウェブサイトで、「中国共産党の圧力に屈せずいかなる検閲も
受けていない」ことを売りにしており、「中国国内では発信されない自由
民主に基づく視点」で、中国時事や文化記事を中心に報道している。

中国大陸以外で生活する中国人向けに記事は書かれており、中国共産党の
内政や外交問題を報道し続けている。特に中国共産党に対する報道姿勢は
非常に批判的である。

特に中国大陸における法輪功迫害問題(例:大量虐殺罪と拷問罪で中国前
江沢民国家主席がスペインおよびアルゼンチン裁判所で民事告訴されるな
どについては、他メディアが取り上げない事実を報道している。

他にもチベット民族、ウイグル民族やモンゴル等の少数民族に対する虐殺
や人権蹂躙に関する問題、中国共産党員の国外スパイ活動、中国大陸の環
境問題、中国の民主化運動などについて盛んに報じている。

『九評共産党(共産党についての九つの論評)』という社説を発表し、こ
の中で大紀元は中国共産党の暴政を糾弾し、同党の解体要因を指摘した。

九評共産党について中華民国元総統・李登輝は、「人も山河もみな、本源
へ帰る。奥の細道にたたずむ平安のみなもとを希求するすべての人々に、
この本を薦める」と評価し、「道徳的覚醒を促す」と出版社博大書店へ
メッセージを送った。

中国臓器狩り問題 の追究に熱心だ。2006年3月、中国人ジャーナリストR
氏は大紀元の単独取材の中で、東北部の瀋陽市近郊にある大型刑務所に数
千人の法輪功学習者が監禁され、当局が彼らを殺害した後、販売目的で臓
器を摘出している事を暴露した。

同問題が世界に明るみになった後、カナダの著名人権弁護士デービッド・
マタスと、カナダ政府元内閣大臣デービッド・キルガーは中国の臓器狩り
問題について調査依頼を受け、2007年7月、法輪功学習者が生きたまま臓
器を摘出されるというショッキングな内容を含んだ報告書「血塗られた臓
器狩り」を発表した。

この問題は世界のメディアや人権団体が注視している。この件でアルゼ
ンチンやオランダ、スペインなどで江沢民らを「人道に対する罪」で起
訴する動きがある。

受賞  2005年8月、アジア系アメリカ人ジャーナリスト協会の全国報道
賞、アジア・アメリカ問題ネット報道部門で優秀賞を受賞。 2005年9月、
カナダ全国マイノリティーメディア協会の2005年メディア賞を受賞。

2006年4月20日、アメリカのホワイトハウスで行われた中国の胡錦濤国家
主席の歓迎式典で、大紀元の女性記者・王文怡(ワン・ウェンイ)が式
典中、ジョージ・ブッシュ大統領の目前で胡錦濤を批判する発言(中国
共産党による臓器狩り問題に対して抗議する内容)を叫んだとして、国
際問題になった。その後、大紀元はアメリカ政府に謝罪し、王記者は解
雇された。2012・4・9

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://www.epochtimes.jp/

◆いちごの生産者だった夏

石岡 荘十


「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏が、本誌に掲載した「いちごの話」を読んで思い出したことがある。小学5年生だった一夏、私はいちごの生産者の端っくれだった。

敗戦翌年5月、私たち一家は中国の天津から引揚げ、父親の生家である秋田県・八森村へ落ち着いた。秋田音頭のしょっぱなに出てくる「八森ハタハタ、男鹿でオガブリコ〜」のあの寒村だ。

生家は父が若くして東京に出た後、弟(叔父)が家を継いで百姓をやっていたが、赤紙一枚で徴兵され満洲(中国東北部)の最前線へ。終戦と共に、シベリアへ持って行かれ、留守宅は祖母と叔母が幼い子ども2人を抱えてほそぼそと稲作百姓をやっていた。そこへ、われわれ一家4人が転がり込んだのである。

ご多聞に洩れず、農家も食糧難だった。畑で芋やナス、キュウリ、トマトを作り、山に入って山菜を採り、新米の収穫まで食いつなぐこととなった。

間もなく、生まれて初めての田植えにも駆り出される。父と母は、元を質せば百姓の生まれだから昔取った杵柄、手際はいい。慣れないとはいえ、小学5年生の私と中学生の兄、も立派な労働力だった。

夏。小柄だが目端の利く祖母が、そのころはまだ珍しかったいちごの栽培を始めた。ビニールハウスなどまだない。夜明けと共に、学校へ行く前に畑でいちごを摘む。

取立てのいちごを大きな背負い駕籠いっぱいに入れてこれを担ぎ、学校へ行く途中集荷所まで運ぶのが私の役目だ。集荷所までは子どもの足で小1時間。その日の売り上げを受け取り、空になった駕籠を担いで学校へ行く毎日だった。

草鞋を履くのも初めてなら、駕籠を背負って学校へ行くのも生まれて初めての経験であった。荷は肩に食い込み、草鞋の緒で足の指の間からは血が滲んだ。

何より恥ずかしかった。紺サージの制服にぴかぴかの革靴で学校に通っていた天津での生活は、いまやここでは別世界の出来事だった。そのうえ、学校の行き帰りには、「引揚者、引揚者」と蔑まれ、いじめにもあった。

それでも田植えで泥まみれになり、田の草をとり、秋には稲刈りもした。そうこうしているうちに秋。11月には父の仕事先が群馬。・高崎と決まり、半年過ごした秋田を後にしたのだが、この頃には、ずーずー弁もまあまあ操れるようになり、いじめっ子たちとの間にも友情が芽生えていた。

高台の集落を去る日、その日は日曜日だったが、10人ほどのガキが口々に大声で「まだ、こらんしぇ」(また、来いよ)といつまでも手を振ってわが一家を見送ってくれたのだった。

高校を卒業するまで高崎で過ごした。その後東京へ進学、就職。で、ここまで想い返してみると、報道に関わった日々を含めて、ニュース原稿は腐るほど書いたが、秋田を去った後、モノを生産したことは一度もなかったことに気がつく。

70年を越える今日まで、形のあるモノを生産した経験はいちご作りだけだった。あの夏、私はいちごの生産者の端くれだった。幼い肩に食い込むいちご駕籠の重みを懐かしく思い出す。

それにしても、いまどきの季節外れの、ビニールハウス育ちのいちごの味の薄いこと。自分が作って売ったあの本物のいちごの味覚に出会うことは二度とないのかもしれない。    

2019年09月09日

◆雀庵の「華僑が世界にばらまく悪弊」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/25(2019/9/8)】前回紹介した「金儲けの神
様」邱永漢(1924−2012年)の死後、2015年4月「遺族3人が東京国税局か
ら遺産20数億円の申告漏れを指摘された。また2013年までの2年間に配当
約10億円を所得として報告していなかった」(日経2015/4/29) 。

大物は「死してもカネを離しませんでした」、根性が違う。西武グルー
プの2代目、堤義明もドタバタ劇はあったが、その処理で3兆円の資産を投
じ、それでも残ったカネが50億円だという。あっらー、カネは偉大なり!
 別世界。

毎日100万円、1か月3000万円、1年で3億6000万円使っても14年以上もか
かる。小生にとっては地獄だな。奨学金財団を創ってさっさと処理したい
(ま、あり得ないね)。

堤義明は観光産業に造詣が深かったが、傘下のコクド(現NWコーポレー
ション)の八ヶ岳高原ロッジ&ヒュッテ総支配人から「売上を伸ばす知恵
はないか」と相談を受けて視察に行ったことがある。

美しいお嬢様風のロッジはさておき、この「ヒュッテ」は徳川義親(尾
張徳川家19代当主、侯爵)の邸宅を移築したもので、小生のようなイタズ
ラ坊主からすれば実に高貴、気品あふれる令嬢そのもの。

「アーッ、なんて素晴らしいんだろう、一度でも寝てみたい・・・ここ
は泊まれるんですか?」「いや、今は物置にしています」。

何と! まるで眠れる森の美女、小公女セーラを雨ざらしの物置にする
なんて。「このヒュッテ、キレイにしたら売れますよ、結婚式場にもなる
し・・・好き心のカップルなら一度だけでもこんな素敵なおとぎの国で愛
の交歓をしたいもんです」

まあ、そんなアドバイスをしたが、総支配人が派閥抗争で消えてしまっ
たので、話は終わってしまった。噂によると総支配人は若き堤義明の身代
わりでムショに入り、そのお情けで総支配人になったんだとか。

今、このリゾートではヒュッテを夏場にレストラン、ティールームとし
て使っているから、まあ小生の口先三寸的ソリューションは役立ったのか
もしれない。

世界中に新天地を求めた華僑は、国家を(吸血鬼、簒奪者と呪詛して)
まったく信じない代わりにカネと宗族(男系男子の血脈集団)を崇拝す
る。カネの力を知っているから、悪弊(彼らにとっては常識)を世界にば
らまく。日本の海外旅行業界でもそれに染まっている。

1)航空会社から旅行業者へ支払われる「キックバック」。契約書がない
リベートというか報奨金だ。まあ“人参”で、旅行業者は必死でニギリ(ノ
ルマ)を達成しようと励む。追いつめられると叩き売り、「タダでもい
い!とにかく乗ってくれ」。

旅行会社は次期の仕入れ枠が削られてしまうから必死で、航空会社も
ロードファクター(利用率)を高めるために「空気を運ぶよりまし」と黙
認する。

バッタ屋が二束三文で残席を買って、激安ツアー、激安チケットとして
売る。HISはこうして大手にのし上がった。

2)現地旅行会社(ランドオペレーターとかツアーオペレーターと言う)
による「ランドフィーゼロ」。地上費(ホテル代、観光バス代、美術館な
どの入場料、昼食代など)は要りません、タダでOK。

ウマイ話には裏があり、客を土産屋に送り込む。「1日5店回しは当たり
前、10店回しまでは許容範囲」。現地旅行会社はショッピングコミッショ
ンで地上費を賄い、利益も得るわけ。

もちろんお娼妓さんも紹介してコミッションを得る。まるでポン引き。

日本の旅行業者もキックバックを得られるからウィンウィン。昔は添乗
員に払われていたので、1年添乗して家が建たない奴はバカだ、と言われ
たものである。

それを元手に起業した人も多かったが、1975年あたりからコミッション
は直接、会社に入るようになったから、「金ぴかの歩く高級ブランド」だ
らけだった添乗員は一気に最底辺の仕事になってしまった。「好きじゃな
いととてもできないわ」と皆言う。

当時では年間300日働いても年収300万円、今でも人気のある添乗員
(ファンがつく)でもせいぜい500万円だろう。TV(テクニカルビジッ
ト、産業視察旅行)で特定分野の造詣が深く評判のいい40〜50歳の添乗員
でも700万円程度だと思う。

3)地獄の沙汰も金次第、多くの交渉事がワイロ、リベートに左右され
る。民間取引から政府などの認可が必要な案件(空港の発着枠など)も、
袖の下が潤滑油になる、無理も通る。「満員です」、これがワイロ次第で
「古くからの友達、優先させます、大丈夫!」。カネ、コネの世界。

まあ、そんな感じで華僑がいる国ではアングラマネーが動かないとビジ
ネスは上手くいかない。それで誰も損しない(本当は客や真面目な会社が
損しているのだが)、皆ハッピーなんだから波風を立てることもあるま
い、と多分世界中が華僑式ビジネスに汚染されてしまった。みんなお代官
様、越後屋さん。平次さんも「まあ、あんまり派手にやらねえでくれよ」
と見逃してくれる。

実際、いろいろな国への資金・物資援助が正しく使われてるかどうか、
誰にも分かってはいないのではないか。北朝鮮への援助のコメが、市場で
堂々と売られている。赤い羽根共同募金が最終的にどこへ行っているの
か、分からない。怪しいNGOはそれで食っているのではないか。

華僑なら「騙される奴が悪い」「カネがあれば難交渉でも上手くいく」
となるのだろうが、少なくとも日本人は「機械あれば機事あり、裏はとも
かくも、表はキレイにしておかないと」と思うだろう。

支那系の大企業で初の日本支社長(海軍主計局上がり)になった人はほ
とんど華僑みたいだった。人間関係=金銭関係で、「油断するとネコババ
される」と常に社員を疑っていた。女子社員がトイレに行くと「あなた、
いつも30分もトイレに行く、会社の金を盗んでいるようなものです」と詰
り、小生にまで「うちの部長とあなたは仲良しだから、本当にこの請求書
は正しいのですか」なんて疑ったりしていた。

給料はとても良かった。ところが数年たつと「あなたは有能だから取締
役になってくれませんか、ついては株主になってください」。給料が高い
分、株を買わざるを得ないようにして、大方の社員は「こんなワンマンの
銭ゲバの下でカネを絞られてはたまらない」と辞職する。

支社長は「人材は高給で釣れるし、辞めてもらってもどうということな
い」と屁の河童。

社員曰く「あいつは粗にして野だが卑でもある、とにかく卑、卑、卑。
頭のてっぺんから足のつま先まで卑!」と言って辞職した。(この方は
時々産経に記事を書いている。自宅で料理教室も開いたとメールが来た)

因みに支社長の奥様はマンションころがしの天才、息子は日銀マン。一
家を挙げて「銭ゲバ家族」!華僑より出でて華僑より欲深! 儲け話が来
ると「100万円くれたら話に乗りますよ」、詐欺師は尻尾巻いて逃げる。
まさに華僑もマッツァオ!タフ!

極くたまにアジアの暴動などでは華僑が狙われる。香港でも中共とウィ
ンウィンの華僑の大財閥は嫌われているらしい。あまりにえげつなく華僑
式ビジネスをやると叩かれるのではないか。

発狂亭“粗にして野だが貧でもある”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(143)2017/1/12】野口健「自分を追い詰
めず苦しいと認める」。

<多種多彩な活動を続ける上で重要なことは、自分の精神的キャパを把
握することだ。人間の精神力、集中力には限界があるから過剰に自身を追
い詰めてはいけない。苦しい時には苦しいと認めること。

一時の正義感や思い付きだけでは活動は続かない。人生も活動も短距離
走ではないのだから。何よりも大切なのは本人がその活動に夢やロマン、
新たな可能性を感じていること。どんな活動にもワクワクしたい。また活
動を「やりっぱなし」で終えるのではなく、形にまとめ、次につなげてい
くことも重要だ。

今年も一歩一歩、コツコツと焦らずに積み重ねていきたい>

哲学者というか、求道者とか、武蔵のような風格がある。彼は歴史に名
を刻むだろう。

「建設現場 進む自動化 高齢化で130万人離職(平成26年比で37年に
は)の見通し 鹿島、日本初のダンプカー導入」

<複数の重機を一人で操られるようにするが、リモコンによる遠隔操作
とは異なり、一度指示した作業を各重機が連携しながら自律的に繰り返す
点が大きな特徴。改造費は1台当たり500万円・・・>

単純肉体労働者はやがて粗大ゴミになるのか?「窓際が あった時代が
 懐かしい」(サラリーマン川柳)

・・・・

土方では 生きていけない 世となりぬ 汗水流す 現場は消える(修)

京急事故で高齢ドライバーは駆逐されるのだろうな(つづく)2019/9/8


◆「2049 香港」は「CHINAZI」か?

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月6日(金曜日)弐通算第6189号  

英国、豪州、カナダの中華社会が鮮明に分裂した

英国ロンドンの「中華街華人総会」の会場風景を新華社が中継した。会長
が挨拶にあって「香港の生活は破壊されている。学生達の暴力はいけな
い。『暴民』を排除する香港警察をわれわれは断固として支持する」と発
言した。

驚くべき時代錯誤ととるべきか、いやこれが外国で暮らす中国人の生き延
びる知恵なのか?

かつて香港は英国領だった。

香港返還に際しての条件は「一国両制度」を50年間保証することだったの
である。

また英国は返還前後から積極的に移民受け入れ政策を採ってきた。チャイ
ナタウンはロンドンに宏大に拡がるばかりか、マンチェスターにもグラス
ゴーにもある。

中国支配を嫌って英国へ来たのに、英国の華僑らは、中国共産党が支配し
ようとしている香港の繁栄と安定ばかりを望み、自由や民主を等閑視する
のは何故か?

世代間ギャップが著しいからだと情報通は言うが、むしろ若い世代が香港
警察を支持しているのは、どうやって説明するのだろう。香港では中学生
までもが民主、自由を求めて抗議活動に参加しているというのに?

謎解きは簡単である。香港からの移民枠は終わり、いま英国が受け入れて
いるのは中国本土からの留学生と投資移民である。夥しい留学生は香港か
らではなく、中国大陸からである。かれらはロンドンにある中国大使館に
登録を義務づけられ、その指示に従って五星紅旗を振るために指定された
場所に集まるのだ。

だから英国の中華街が香港政庁を支持しているかのような錯覚の印象が造
られるわけだ。

「一国両制度」は2047年に終わる。あと28年!

そのとき香港もチャイナチ(CHINAZI)の属国になっているのか、
自由社会の一員として高度の自治を拡大しているのか。

若者がいう「生きるか、死ぬかの戦い」は、民主化抗議行動は香港で、ま
だまだ納まりそうになり。

逃亡犯条例を撤回する前、キャリー・ラム(林鄭月峨。広東語で「林」は
ラムと発音)行政長官は、中国国務院の香港マカオ弁事処主任の張暁明と
深センの近くで会合を持っており、条例撤回に関して、中国側の返答がな
かったことから、撤廃黙認と読んだらしい。


 ▲暴動鎮圧の教訓を間違った二つの外国事例に求めた

 ¥この間、キャリー・ラムが部下に命じたのは二つの暴動の収拾方法を
教訓に出来るかという調査だった(サウスチャイナ・モーニングポスト、
9月5日)

第一は、2011年にロンドンのトッテナム地区で発生した暴動。これは
警察官が黒人の容疑者射殺に端を発して暴動となり、商店への略奪がひろ
がり、失業中の若者多数が参加し、合計五名が死亡、多数が負傷した。人
種差別型暴動としてはロスアンジェルス暴動に似ている。

キャメロン政権(当時)は、徹底した厳罰で臨み、SNSで暴動を煽った
若者にも禁固四年という厳罰で臨んで力で封じ込めた。

第二は昨秋から毎週土曜に行われたフランスの「黄色ベスト」「黄色ジャ
ンパー」デモ、スタイルは香港の抗議方式に似通っている点もあるが、物
価高のための賃上げと、マクロン大統領の辞任を要求していた。
フランス政府は譲歩せず、自然消滅を待った。

しかし、香港政庁が教訓として参考にした事例は間違いであり、本来なら
台湾の向日葵運動に学ぶべきだったのである。

台湾政府はいかにして、あの向日葵学生運動を沈静化させたのか?
国民党は学生らの立法院議事堂という未曽有の事態に、徒らに警官隊を導
入して力による弾圧を避け、学生に妥協ポーズを示しながら、次第に軟化
させて学生らが退去するのを辛抱強くまった。

というのも、台湾の民衆は向日葵学生運動を強固に支援し、医療チームな
どを組織し外国語に堪能な人は翻訳チームも組織し、外国メディアに忽ち
にして翻訳文を交付、義援金は遠く海外からも集まっていた。

支援集会には50万人があつまるという民衆のうねりを目にして、馬英九
政権は平穏な解決を目指した。

このスタイルが、2年後の2016年に香港に伝播し、あの「雨傘革命」
に繋がったのだった。
     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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昭和30年代までの日本は波瀾万丈、人情が溢れた時代だった
 奇遇が奇遇を呼び、不思議な奇縁が取り持って、多彩な人生が展開した

  ♪
桜井修、小河原あや『霧に消えゆく昭和と戦中派』(春吉書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 評者(宮崎)は、この本の推薦の辞として以下を書いた。

「美しい日本は昭和時代にあった。(この本は)昭和はるかなれど単なる
郷愁や回顧ではなく、立体的に『あの時代』を凝視した文化論になってい
る。日本人はやさしく清らかに精一杯生きた。昭和の栄枯盛衰、あの日本
の精神は濃霧に覆われ、やがて消えて行くのか?」。

この短文が本書の全体を顕すわけではないが、特徴をのべれば、そういう
ことになる。

 昭和が終わり、平成も終わり、いま令和の時代。つまり昭和は歴史教科
書に述べられる年表枠の「歴史」となって、30歳以下の人には古典的な時
代だという認識になる。

小唄、浄瑠璃、義太夫、浪曲は廃れ、任侠映画は作られなくなり、音楽は
意味不明で無国籍、腰を振るだけのニューミュージックが全盛。日本人の
心の琴線を揺らした情緒豊かな演歌はどこへ行ったのだろう? なにしろ
「歌うたい」のことを「アーティスト」と言うのだから。
 
飲み屋街から流しのギターは消え、赤提灯や縄のれんの居酒屋も少なく
なって、渋谷の恋文横丁はヒッピー風情が闊歩し、一歩横丁へ入ればラブ
ホばかりだ。

本書は「敗戦前後の映画的回想」と副題にあるように、映画が基軸にある
文化論、というより昭和の日常を描いている。やはり郷愁と回顧、懐メロ
の世界である。

インタビュー形式で桜井修氏から豊富な体験談を小河原女史が根掘り葉掘
り聞き出す仕掛けとなっているが、解説を書いている奥山篤信氏を含めて
3人の共通点は『映画』が大好きというポイントである。
だから話がまとまりやすく、回顧のスピードも早い。

主人公の桜井氏は昭和元年生まれ、なるほど三島由紀夫と同年齢であり、
共通の時代認識がきっとある。東大から朝日新聞に入ろうとするが、ひょ
んなことから住友信託銀行に入行、やがては社長、会長を務めた。

評者、そういえば住友銀行最高顧問だった伊部恭之助氏と親しくしていた
時代があり、木内信胤先生が主催した『経済計画会議』では毎月顔を合わ
せた。伊部氏は三島由紀夫の親戚でもあった。

かと言って本書には三島のミの字も出てこないのだが、かわって黒澤明が
登場する。桜井氏は、黒沢作品のなかでも『野良犬』が一番印象的だとい
うので、評者は強く納得した。三船敏郎が刑事役でピストルを盗まれたた
め必死の捜索をする、あの焦燥に満ちた、汗だらけの風貌。三船の熱演で
したね。

3人ほど映画好きではないけれども、評者も結構、ハリウッドの近作を見
ている。種明かしは単純。国際線機内である。欧州を往復すると、たぶん
五、六本。先週もインドネシア往復で四本ほど、日本公開前のハリウッド
映画も観た。

さて映画より、もっと個人的に面白かったのは、桜井氏が石動(いする
ぎ)に疎開していて、バスで40分くらいで行ける金澤に出かけた体験談だ。

戦災に遭わなかった古都に、敗戦弐週間目に着流しの婦人が街を闊歩して
いて驚いたこと。香林坊を歩けば書店が無数にあったことにひどく感心し
たとする箇所である。

金澤の古書街は評者が高校生の頃も自転車で市内全域の古本屋を歩いてい
るが、大宅壮一がきたときは、トラック一杯買っていったという逸話が残
るほど、戦災を逃れたので、重要な書籍があった。

なによりも京都と金沢は奇跡的に空襲を逃れたので戦前の日本文化が連続
していた。金澤に住んだことのある五木寛之の作品も金澤を舞台に選んだ
小説があるが、三島が金澤を描写したのは『美しい星』である。

ただし地付きの金澤人は戦災に遭わなかった所為で、頑迷なほど保守的な
姿勢があり、都市計画が進まず、ところが拙宅は引き揚げ組だったので、
昔の兵舎の馬小屋をベニヤ版で仕切っただけの応急住宅に十年を暮らし
た。旧家の人たちが引き揚げ者を白い目でみていたことを一種戦慄的に思
い出すのだ。

ともかく郷愁と悲哀と懐かしさ、こころが休まる本だった。
       

◆「大紀元」を知ってますか

渡部亮次郎


大紀元(だいきげん、英: The Epoch Times)は、新聞とインターネット
を報道媒体とする華僑系報道機関である。

2000年5月、ニューヨークで“中国共産党言論統制を突破する”華人たちに
よって設立された。2011年1月現在、新聞では9ヶ国語、ウェブサイトでは
17ヶ国語でそれぞれ各国支局により運営されている。

日本では東京都台東区に事務所を置き、中国語版を2001年、日本語版を
2005年から発行している。

数年前、私は東京での社員集会に招かれて講演したことがある。社員の多
くは来日後「反共」になった女性が大部分だった。

アメリカ国内に11の支社を持ち、日本やカナダ、イギリス、ドイツなど、
世界30カ国にグループ社がある。

ワシントンD.C.やニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ボス
トン、カナダ、オーストリア、香港、台湾では日刊で、他の国・地域では
週刊で発行している。 全世界での中国語版の発行は週120万部。他に英語
版、ドイツ語版、フランス語版、ロシア語版、韓国語版、日本語版を発行。

紙面およびウェブサイトで、「中国共産党の圧力に屈せずいかなる検閲も
受けていない」ことを売りにしており、「中国国内では発信されない自由
民主に基づく視点」で、中国時事や文化記事を中心に報道している。

中国大陸以外で生活する中国人向けに記事は書かれており、中国共産党の
内政や外交問題を報道し続けている。特に中国共産党に対する報道姿勢は
非常に批判的である。

特に中国大陸における法輪功迫害問題(例:大量虐殺罪と拷問罪で中国前
江沢民国家主席がスペインおよびアルゼンチン裁判所で民事告訴されるな
どについては、他メディアが取り上げない事実を報道している。

他にもチベット民族、ウイグル民族やモンゴル等の少数民族に対する虐殺
や人権蹂躙に関する問題、中国共産党員の国外スパイ活動、中国大陸の環
境問題、中国の民主化運動などについて盛んに報じている。

『九評共産党(共産党についての九つの論評)』という社説を発表し、こ
の中で大紀元は中国共産党の暴政を糾弾し、同党の解体要因を指摘した。

九評共産党について中華民国元総統・李登輝は、「人も山河もみな、本源
へ帰る。奥の細道にたたずむ平安のみなもとを希求するすべての人々に、
この本を薦める」と評価し、「道徳的覚醒を促す」と出版社博大書店へ
メッセージを送った。

中国臓器狩り問題 の追究に熱心だ。2006年3月、中国人ジャーナリストR
氏は大紀元の単独取材の中で、東北部の瀋陽市近郊にある大型刑務所に数
千人の法輪功学習者が監禁され、当局が彼らを殺害した後、販売目的で臓
器を摘出している事を暴露した。

同問題が世界に明るみになった後、カナダの著名人権弁護士デービッド・
マタスと、カナダ政府元内閣大臣デービッド・キルガーは中国の臓器狩り
問題について調査依頼を受け、2007年7月、法輪功学習者が生きたまま臓
器を摘出されるというショッキングな内容を含んだ報告書「血塗られた臓
器狩り」を発表した。

この問題は世界のメディアや人権団体が注視している。この件でアルゼ
ンチンやオランダ、スペインなどで江沢民らを「人道に対する罪」で起
訴する動きがある。

受賞  2005年8月、アジア系アメリカ人ジャーナリスト協会の全国報道
賞、アジア・アメリカ問題ネット報道部門で優秀賞を受賞。 2005年9月、
カナダ全国マイノリティーメディア協会の2005年メディア賞を受賞。

2006年4月20日、アメリカのホワイトハウスで行われた中国の胡錦濤国家
主席の歓迎式典で、大紀元の女性記者・王文怡(ワン・ウェンイ)が式
典中、ジョージ・ブッシュ大統領の目前で胡錦濤を批判する発言(中国
共産党による臓器狩り問題に対して抗議する内容)を叫んだとして、国
際問題になった。その後、大紀元はアメリカ政府に謝罪し、王記者は解
雇された。2012・4・9

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://www.epochtimes.jp/

◆脳梗塞「2時間59分だとOK!」

安井 敏裕 (脳外科医)

 
脳卒中とは、脳に酸素やブドウ糖などの栄養を送る血管が「詰まったり、切れたり、破裂して」、にわかに倒れる病気の総称である。脳卒中には、脳梗塞(詰まる)、脳出血(切れる)、くも膜下出血(破裂)の三種類ある。

この病気の歴史は古く、「医学の父」と言われているヒポクラテスは既に今から2400年前の紀元前400年頃に、この脳卒中の存在を認識し「急に起こる麻痺」という表現で記載している。脳卒中による死亡率は日本では癌、心臓病に次ぎ、第三位で、毎年15万人程度の人が亡くなっている。

しかし、本当に問題となるのは、脳卒中が原因で障害を持ち入院あるいは通院している人たちが、その約10倍の150万人もいることである。現在、脳卒中の中では、脳梗塞の発生頻度が突出して多い。2分20秒に一人が脳梗塞になっていると言うデータもあり、全脳卒中の70%程度を占めている。

この最も多い脳卒中である「脳梗塞」について、大きな治療上の進歩があったので紹介する。

脳梗塞は、脳の動脈が血栓や塞栓という血の固まりのために詰まることで起こる。この血の固まりで閉塞さえた血管から血流を受けていた部分の脳は、いきなり脳梗塞という不可逆的な状態になってしまうのではなく、数時間の猶予があり、徐々に脳梗塞になる。

この数時間の間に血流を再開してやれば、再度、機能を回復できることになる。いわば、「眠れる森の美女」のような状態で、医学的には、このような状態の部分の脳を「ペナンブラ」と言う。見方を変えると、この部分は、血流が再開しないと数時間後には脳梗塞という不可逆的な状態となってしまう訳である。

このペナンブラの部分に血流を再開する方法として、古くは開頭手術をして、目的の血管を切開し、中に詰まっている血の固まりを取り除く方法を行っていたこともあるが、それでは、多くの場合に時間がかかりすぎ、再開通させた時には、ペナンブラの部分は既に脳梗塞になっている。また、間に合わないばかりか、出血性梗塞というさらに悪い状況になってしまうことさえある。

開頭術の次に登場した再開通法は、カテーテルという長い管を血管の中に通し、その先端を詰まった部分にまで誘導して、血栓を溶かす薬を注入する方法である。

この方法では開頭手術よりも早く、血管を再開通させることができるが、この方法であっても、血管が閉塞してから6時間以内に再開通させないとペナンブラが脳梗塞になってしまうことが防げないし、間に合わずに血流を再開させた場合には、やはり脳出血が起こってしまう。

このようなことから、一時、我々脳卒中に関わる医師は、口には出さないが、最も理屈にあった治療法である「急性期に閉塞血管を再開通させて脳梗塞になることを防ぐ」と言う治療を諦め、虚無的になっていた時期がある。再開通させることを諦め、梗塞に陥ってしまった脳自体の治療として、脳保護薬や低体温療法へと興味が移行していた時期もあった。

しかし、米国で1996年から特別な手技や道具が不要で、ただ静脈内注射するだけで詰まった血管の血栓を溶かしてくれるアルテプラーゼと言う薬の使用が始まり、2002年にはヨーロッパ連合(EU)でもこの薬剤による血栓溶解療法が認可された。

わが国でも日本脳卒中学会を中心にこの薬の早期承認を厚生労働省に求めたが、「日本人を対象とした治験で良い結果が出ない限り承認できない」という厚生労働省の方針に答える準備のために時間がかかり(drug lag)、米国から遅れること約10年の2005年10月11日に漸く承認された。

この薬は血管に詰まった血栓を溶かしてくれる血栓溶解剤で、発症後3時間以内に静脈内注射するだけで良好な予後が得られる。

しかし、この薬剤は両刃の剣で、39項目に渡る使用基準を尊守しないと、脳出血の危険性が著しく増大することが分かっている。従って、厚生労働省も非常に厳しく市販後調査(2.5年間に3000例以上の全例調査)を課している。現在は、言わば試運転ないしは仮免状態と心得て、慎重に使用する必要がある。

そして、この薬剤を用いるためには、一定の講習を受ける必要があり、全国で130回以上行われ、8000人以上が受講した。実際に、この薬剤を発症後3時間以内に注射するには、患者さんには、遅くとも発症後2時間以内に病院へ到着してもらう必要がある。

すなわち、病院へ到着しても、患者の診察、一般検査、脳のCT検査、家族への説明など、最低1時間は必要であるためである。そのために、最初にこの薬剤の使用を始めた米国では、脳梗塞を“ブレインアタック(brain attack)”と言い直し、社会全体に向かって、その緊急性を啓発した。

すなわち、“Time is brain. Time loss is brain loss.”などの標語で注意を喚起した。日本においても脳梗塞を“ブレインアタック”という緊急を要する疾患として一般の方々に認識していただくために、学会や医師会などの啓発運動も行なわれるようになっている。

さらに、平成9年3月に創設された日本脳卒中協会においても、毎年5月25日〜5月31日までの一週間を脳卒中週間と定め啓発運動に努めるようになっている。脳卒中週間をこの時期にしたのは、とかく脳卒中は冬に多いと思われがちであるが、脳卒中の中で最も多い脳梗塞は、最近の研究では6−8月に増えだすため、脳卒中予防は夏から気をつけなければならないことを啓発するためである。

この週間で使用される標語も、昨年(2006年)はアルテプラーゼの使用が認められたことを念頭において「一分が分ける運命、脳卒中」であった。2001年の日本での脳梗塞急性期来院時間調査の結果では36.8%の患者が3時間

以内に来院している。この中の一部の方がアルテプラーゼ治療を受けることになるが、この割合をさらに増やして、本薬剤の恩恵を受ける人を増やす必要がある。

この治療では10年の経験を持つ米国では、この治療を受けるためには、@患者の知識、A救急車要請、B救急隊システム、C救急外来、D脳卒中専門チーム、E脳卒中専門病棟、とういう六つの連鎖の充実と潤滑な流れを推奨している。
 
一般市民への啓発や行政への働きかけなどが必要である。一方で、来院から治療までの時間も1時間以内にする努力が病院側に求められている。いつでも、3人程度の医師が対応できなければならないし、他職種(レントゲン部門、検査部門、看護部門)の協力も不可欠である。(了) (再掲)

2019年09月08日

◆「2049 香港」は「CHINAZI」か?

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月6日(金曜日)弐 通算第6189号  

「2049 香港」は「CHINAZI」か?
   英国、豪州、カナダの中華社会が鮮明に分裂した

英国ロンドンの「中華街華人総会」の会場風景を新華社が中継した。会長
が挨拶にあって「香港の生活は破壊されている。学生達の暴力はいけな
い。『暴民』を排除する香港警察をわれわれは断固として支持する」と発
言した。

驚くべき時代錯誤ととるべきか、いやこれが外国で暮らす中国人の生き延
びる知恵なのか?

かつて香港は英国領だった。

香港返還に際しての条件は「一国両制度」を50年間保証することだった
のである。

また英国は返還前後から積極的に移民受け入れ政策を採ってきた。チャイ
ナタウンはロンドンに宏大に拡がるばかりか、マンチェスターにもグラス
ゴーにもある。

中国支配を嫌って英国へ来たのに、英国の華僑らは、中国共産党が支配し
ようとしている香港の繁栄と安定ばかりを望み、自由や民主を等閑視する
のは何故か?

世代間ギャップが著しいからだと情報通は言うが、むしろ若い世代が香港
警察を支持しているのは、どうやって説明するのだろう。香港では中学生
までもが民主、自由を求めて抗議活動に参加しているというのに?

謎解きは簡単である。香港からの移民枠は終わり、いま英国が受け入れて
いるのは中国本土からの留学生と投資移民である。夥しい留学生は香港か
らではなく、中国大陸からである。かれらはロンドンにある中国大使館に
登録を義務づけられ、その指示に従って五星紅旗を振るために指定された
場所に集まるのだ。

だから英国の中華街が香港政庁を支持しているかのような錯覚の印象が造
られるわけだ。

「一国両制度」は2047年に終わる。あと28年!

そのとき香港もチャイナチ(CHINAZI)の属国になっているのか、
自由社会の一員として高度の自治を拡大しているのか。

若者がいう「生きるか、死ぬかの戦い」は、民主化抗議行動は香港で、ま
だまだ納まりそうになり。

逃亡犯条例を撤回する前、キャリー・ラム(林鄭月峨。広東語で「林」は
ラムと発音)行政長官は、中国国務院の香港マカオ弁事処主任の張暁明と
深センの近くで会合を持っており、条例撤回に関して、中国側の返答がな
かったことから、撤廃黙認と読んだらしい。


 ▲暴動鎮圧の教訓を間違った二つの外国事例に求めた

この間、キャリー・ラムが部下に命じたのは二つの暴動の収拾方法を教訓
に出来るかという調査だった(サウスチャイナ・モーニングポスト、9月
5日)

第一は、2011年にロンドンのトッテナム地区で発生した暴動。これは警察
官が黒人の容疑者射殺に端を発して暴動となり、商店への略奪がひろが
り、失業中の若者多数が参加し、合計5人が死亡、多数が負傷した。人種
差別型暴動としてはロスアンジェルス暴動に似ている。

キャメロン政権(当時)は、徹底した厳罰で臨み、SNSで暴動を煽った
若者にも禁固四年という厳罰で臨んで力で封じ込めた。

第二は昨秋から毎週土曜に行われたフランスの「黄色ベスト」「黄色ジャ
ンパー」デモ、スタイルは香港の抗議方式に似通っている点もあるが、物
価高のための賃上げと、マクロン大統領の辞任を要求していた。
フランス政府は譲歩せず、自然消滅を待った。

しかし、香港政庁が教訓として参考にした事例は間違いであり、本来なら
台湾の向日葵運動に学ぶべきだったのである。

台湾政府はいかにして、あの向日葵学生運動を沈静化させたのか?
国民党は学生らの立法院議事堂という未曽有の事態に、徒らに警官隊を導
入して力による弾圧を避け、学生に妥協ポーズを示しながら、次第に軟化
させて学生らが退去するのを辛抱強くまった。

というのも、台湾の民衆は向日葵学生運動を強固に支援し、医療チームな
どを組織し外国語に堪能な人は翻訳チームも組織し、外国メディアに忽ち
にして翻訳文を交付、義援金は遠く海外からも集まっていた。
支援集会には50万人があつまるという民衆のうねりを目にして、馬英九
政権は平穏な解決を目指した。

このスタイルが、2年後の2016年に香港に伝播し、あの「雨傘革命」
に繋がったのだった。
    。
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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昭和30年代までの日本は波瀾万丈、人情が溢れた時代だった
 奇遇が奇遇を呼び、不思議な奇縁が取り持って、多彩な人生が展開した

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桜井修、小河原あや『霧に消えゆく昭和と戦中派』(春吉書房)
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評者(宮崎)は、この本の推薦の辞として以下を書いた。
 
「美しい日本は昭和時代にあった。(この本は)昭和はるかなれど単なる
郷愁や回顧ではなく、立体的に『あの時代』を凝視した文化論になってい
る。日本人はやさしく清らかに精一杯生きた。昭和の栄枯盛衰、あの日本
の精神は濃霧に覆われ、やがて消えて行くのか?」。

この短文が本書の全体を顕すわけではないが、特徴をのべれば、そういう
ことになる。

昭和が終わり、平成も終わり、いま令和の時代。つまり昭和は歴史教科書
に述べられる年表枠の「歴史」となって、30歳以下の人には古典的な時
代だという認識になる

小唄、浄瑠璃、義太夫、浪曲は廃れ、任侠映画は作られなくなり、音楽は
意味不明で無国籍、腰を振るだけのニューミュージックが全盛。日本人の
心の琴線を揺らした情緒豊かな演歌はどこへ行ったのだろう? なにしろ
「歌うたい」のことを「アーティスト」と言うのだから。
 
飲み屋街から流しのギターは消え、赤提灯や縄のれんの居酒屋も少なく
なって、渋谷の恋文横丁はヒッピー風情が闊歩し、一歩横丁へ入ればラブ
ホばかりだ。

本書は「敗戦前後の映画的回想」と副題にあるように、映画が基軸にある
文化論、というより昭和の日常を描いている。やはり郷愁と回顧、懐メロ
の世界である。

インタビュー形式で桜井修氏から豊富な体験談を小河原女史が根掘り葉掘
り聞き出す仕掛けとなっているが、解説を書いている奥山篤信氏を含めて
三人の共通点は『映画』が大好きというポイントである。
だから話がまとまりやすく、回顧のスピードも早い。

主人公の桜井氏は昭和元年生まれ、なるほど三島由紀夫と同年齢であり、
共通の時代認識がきっとある。東大から朝日新聞に入ろうとするが、ひょ
んなことから住友信託銀行に入行、やがては社長、会長を務めた。

評者、そういえば住友銀行最高顧問だった伊部恭之助氏と親しくしていた
時代があり、木内信胤先生が主催した『経済計画会議』では毎月顔を合わ
せた。伊部氏は三島由紀夫の親戚でもあった。

かと言って本書には三島のミの字も出てこないのだが、かわって黒澤明が
登場する。桜井氏は、黒沢作品のなかでも『野良犬』が一番印象的だとい
うので、評者は強く納得した。三船敏郎が刑事役でピストルを盗まれたた
め必死の捜索をする、あの焦燥に満ちた、汗だらけの風貌。三船の熱演で
したね。

3人ほど映画付きではないけれども、評者も結構、ハリウッドの近作を見
ている。種明かしは単純。国際線機内である。欧州を往復すると、たぶん
5、6本。先週もインドネシア往復で四本ほど、日本公開前のハリウッド
映画も観た。

さて映画より、もっと個人的に面白かったのは、桜井氏が石動(いする
ぎ)に疎開していて、バスで四十分くらいで行ける金澤に出かけた体験談だ。

戦災に遭わなかった古都に、敗戦弐週間目に着流しの婦人が街を闊歩して
いて驚いたこと。香林坊を歩けば書店が無数にあったことにひどく感心し
たとする箇所である。

金澤の古書街は評者が高校生の頃も自転車で市内全域の古本屋を歩いてい
るが、大宅壮一がきたときは、トラック一杯買っていったという逸話が残
るほど、戦災を逃れたので、重要な書籍があった。

なによりも京都と金沢は奇跡的に空襲を逃れたので戦前の日本文化が連続
していた。金澤に住んだことのある五木寛之の作品も金澤を舞台に選んだ
小説があるが、三島が金澤を描写したのは『美しい星』である。

ただし地付きの金澤人は戦災に遭わなかった所為で、頑迷なほど保守的な
姿勢があり、都市計画が進まず、ところが拙宅は引き揚げ組だったので、
昔の兵舎の馬小屋をベニヤ版で仕切っただけの応急住宅に十年を暮らし
た。旧家の人たちが引き揚げ者を白い目でみていたことを一種戦慄的に思
い出すのだ
ともかく郷愁と悲哀と懐かしさ、こころが休まる本だった。
         
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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  ♪
(読者の声1) 「日本文化チャンネル桜」から番組のお知らせです。きた
る10日(火曜日)の「フロント JAPAN」は、当日、香港から帰国
予定の宮崎正弘さんをゲストにホスト福島香織さんで「香港問題」の総括
(中間報告かも)を特集の予定です。
10日夜、ユーチューブでは11日早暁からご覧になれます。

  ♪
(読者の声2)朝日新聞の発行部数は、朝日社内のひそひそ話で四百万部
を割り込んでいるらしいですね。共産党の『赤旗』がついに百万部を割り
込んで、悲鳴を挙げているとか。ここで産経新聞にうんと伸びて欲しいの
ですが。。。。(TY生、板橋区)


(宮崎正弘のコメント)小生、半世紀以上前の学生時代、朝日新聞の朝・
夕刊を配り、3区域の集金もしていましてので、いまも販売店とは付き合
いがあります。

販売店の店主らは大方が保守で、紙面論調には顔をしかめる人が多いので
すが、部数激減の直接原因は(1)学生、受験生が新聞をまったく読まな
い(2)ネットでニュースを得ているので、購読意欲が湧かないという理
由であり、イデオロギー的偏向が読者のニーズに答えていないという人は
殆どいません。激減ぶり、販売店の現場の悲鳴は、そんな生やさしいもの
ではないです。