2019年09月08日

◆香港危機、日本は北京に厳しく警告せよ

櫻井よしこ


1週間前の8月18日、香港で170万人、住民の約4分の1に当たる群衆が街路
を埋め尽した。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」
改正案に反対するデモだ。参加者数は凄まじかったが、デモは全体的に統
制がとれており、香港人は中国政府の非民主的香港政策を拒否するとの強
いメッセージを、全世界にきちんとした形で伝えた。

人口750万の香港は14億の北京に力で勝てるはずはなく、国際社会の道理
を味方にするしかない。香港人は国際社会の賛同を得るべく、また北京政
府につけ入る隙を与えないよう、街頭活動も暴力的局面に至る前に、さっ
と退いている。

ところがその1週間後の25日、香港警察はデモ隊に初めて発砲し、人間を
吹き飛ばす程の水圧で鎮圧する放水車も初めて導入した。

発砲の理由を、香港警察は26日未明の記者会見で、「生命の危険があり、
6人の警官が拳銃を抜いた」、「うち一人が空に向けて威嚇射撃した。必
要で適切な行動だった」とし、発砲を正当化した。だが、説明をそのまま
受け入れることはできない。

北京政府は強い力で香港の自治権と香港人の自由剥奪を試みる。デモ終息
に向けて軍事介入も止むなし、の方向に向かっている。この決定は、8月1
日から11日まで開催された北戴河会議で定められた。「産経新聞」外信部
次長の矢板明夫氏が語る。

「10日余りの会議の前半はかなり紛糾して、長老たちが習近平を批判した
といいます。米中貿易戦争も香港問題も何ひとつ上手くいっていないから
です。しかし長老たちにも名案はない。10月1日の建国70周年も近づいて
くる。それまでに香港問題を解決しなければならない。それで軍介入とい
う強硬手段も仕方がない、という結論になったのです」

その場で反対したのは朱鎔基元首相ただ一人だったという。北戴河会議に
出席する長老たちには香港問題の早期解決を欲するもうひとつの理由がある。

香港人を悪者にする

たとえば温家宝元首相の息子やその妻らが香港利権にどっぷり浸かってい
る事例が2012年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙で特集されたよう
に、長老たち全員が香港利権の受益者だと考えてよい。彼らは甘い利権の
蜜をすする邪魔をされたくない、早く混乱を鎮めてほしいのだ。

北戴河会議終了直後に、二つの顕著な動きがあった。まず、12日、北京政
府は香港に隣接する広東省深圳(しんせん)に10万人規模の武装警察を集
結させ、その映像を国営メディアで報じさせた。同日、中国政府は香港で
の抗議活動に「テロリズムの兆候が現れ始めた」と批判し、香港の裁判所
は抗議運動参加者に撤去命令を発した。命令に従わなければ逮捕も当然と
いう法的条件が整えられたのだ。

第二の動きは楊潔篪(ようけつち)中央政治局委員が訪米し、ポンペオ国
務長官と会談したことだ。楊氏は米国側に、香港問題解決のために強硬手
段もあり得ると説明したと見られる。

この間の8月9日、学生や市民らは香港国際空港に集結し始めた。11日には
香港市内のデモで警官が至近距離から水平に構えて撃ったビーンバッグ弾
が、女性の右目を直撃し、女性は失明したと伝えられる。無残な映像は瞬
時に拡散された。市民らは強く反発し、12日も空港を占拠し、午後全便が
欠航した。警官が市民を装ってデモ隊に潜入し、暴力行為を煽っていたこ
とも判明した。

約1世紀、イギリスの統治下で民主主義を楽しんだのが香港人だ。彼らの
骨身に刻まれた民主主義を踏みにじる習氏の戦略が成功する地合は香港に
はないだろう。矢板氏が語る。

「結論から言えば習近平は悉く失敗したのです。学生や市民らは、北京政
府の思惑を警戒して、13日以降、さっと退いた。米国では、それまで香港
に関心を抱いているとは思えなかったトランプ大統領が、14日になって急
に『香港問題は人道的に解決すべきだ』と発言しました。18日にトランプ
氏は更に踏み込んで『天安門事件のようなことになれば中国との貿易問題
でのディールははるかに難しくなる』と牽制しました。すべて藪蛇になっ
たのです」

北京政府の狙いは、香港人が襲撃したという状況を捏造して、香港人を悪
者にすることだ。そうすれば香港基本法18条を適用できる。18条とは、
「動乱が発生して」「緊急事態に突入」した場合、中央人民政府、つまり
北京政府は中国の法律を香港に適用できるというものだ。

現在の香港の秩序は「一国二制度」の下で守られている。だが、18条を適
用すれば、香港の法秩序全てを白紙にして、中国本土と同じ法の下に置く
ことが可能になる。

最も強い声を発する責任

矢板氏の説明だ。

「抗議行動に参加して拘留されている香港人はいま、700人です。投石な
どはみんな微罪です。彼らはすぐに釈放され、ヒーローになりますから、
北京から見ると逆効果です。中国の国内法を適用すれば何千人も何万人も
逮捕して、中国本土に連行し懲役15年とか20年、無期にしたり、拷問も虐
殺も可能になります。中国共産党はこの種の強硬手段で抗議活動を終息さ
せられると考えているのです」

そうした中、冒頭の170万人参加の8.18抗議行動が行われた。共産党のや
り方を知悉する香港人だから、8.18デモでは一切の暴力行動を慎んだ。卵
やトマトも投げてはならないと申し合わせた。中国に口実を与えないよう
に賢くデモをした。

にも拘わらず、1週間後の8月25日の抗議集会では、警官を「生命の危険」
に突き落とす暴力行為があったという。果たして事実か。

実は、デモ隊の中に香港人ではない大陸の人間が紛れ込んでいて、警官に
殴りかかっていた事例が判明した。その映像もSNSで広く拡散された。
矢板氏は、天安門事件のときも同じだったと語る。

「あのとき市民の中に大量の私服警官が入っていて、天安門で軍の車両や
バスを襲撃し、火をつけたのです。彼らは放火してすぐに逃げ、後に残さ
れた市民や学生が大量に逮捕され殺されました。これが中国共産党の常套
手段です」

天安門事件当時、ケ小平は天安門での動きが中国全土に広がるのを恐れて
弾圧に乗り出した。香港人の民主主義を求める心が中国本土の人々の胸に
届けば届くほど、習氏も弾圧と軍介入に傾くだろう。

ここで日本は何をすべきか。天安門事件後、北京政府をまっ先に許したの
は日本だった。今回、日本は北京政府に30年前と同じ甘い態度をとっては
ならない。最も強い非難と警告の声を発する責任があるのは日本政府だ。
香港は日本に期待し、台湾も日本を見ている。香港の学生や市民の側に立
ち、中国政府に厳しく注文をつけることなしに、価値観外交を唱える資格
など無いのである。

『週刊新潮』 2019年9月5日号 日本ルネッサンス 第866号


◆「なめたらいかんぜよ」

   渡部亮次郎


2010年1月10日の産経新聞「小沢氏に訪米要請」にはのけぞった。小沢氏
が如何に「政府」要人では無いとは言え、米政府が、小澤「幹事長」に是
非とも会って「理解と支援を強く望んでいる」というのなら、お出でにな
るのが筋だろう。

<【ワシントン=時事】オバマ米政権の対日政策を担うキャンベル国務次
官補(東アジア・太平洋担当)は8日、時事通信との会見で、日米安全保
障条約改定50周年を記念して、19日に日米両政府が声明を出す計画である
ことを明らかにした。

また、米政府が交渉するのは日本政府代表だが、民主党の小澤一郎幹事長
は「極めて重要な役割を認識している」と述べ、小澤幹事長の訪米を要請
した。

同次官補は、安保条約改定が行なわれた1960(昭和35)年1月19日は「最も
根幹的勝つ重要な日米安保同盟が樹立された非常に重要な日だ」と指摘。

19日に、外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス
2)や両国首脳の声明発表を希望していると述べた。

「我々の交渉相手は日本政府の公式な代表だが、小沢氏の極めて重要な役
割についても認識している。今後、同氏の理解と支援を得られることを強
く望んでいる。是非、同氏に訪米して欲しい。

同氏との充実した対話を模索することに非常に関心を持っている。」>

これに対する小沢氏の反応は明らかでないが、小沢氏は国務次官補(局長
クラス)に舐められたのだから、訪米するわけには行かないだろう。

紳士同士、武士同士の間なら、用事のあるほうが相手を訪問するのが筋だ
ろう。それなのに、日本の命運を左右するもんだいだから
小澤のほうから、訪米したらどうかというのでは、まるで属国の目下のも
のを「呼びつける」のと同じである。

時事通信の記者もどうかしている。何故、この点を質さなかったのか。国
務次官補程度とはいえ、米政府高官に単独インタビューできて舞い上がっ
たのか。

いずれにせよ、この際、小澤氏は訪米すべきではない。北京観光団引率に
次ぐ失態になる。2010・1・10

◆3時間以内の搬送

毛馬 一三


脳の病気も心臓の病気も怖い。父親が68歳で、また私のすぐ下の弟も45歳で、「脳溢血」で亡くなった。家系が高血圧症みたいで、私自身も40歳を境に血圧が閾値を越えるようなったため、以後病院の血圧降下剤を朝服用している。

子供の頃から偏頭痛持ちで、加齢と共に頭痛に襲われる度に、「脳溢血」ではないかと身が縮む思いがする。

今は、大阪市総合医療センターで2か月1度、同センターの腎臓高血圧症科医師の診察を受けている。診察毎の問診、血圧測定に加え、定期的に血液検査やCT検査を受けて、「とくに症状に問題はない」との診断結果が出ると、ホット胸をナデ降ろす。

ところで以前の外来診察担当の脳外科安井敏裕元部長が、大阪市総合医療センター3Fの「さくらホール」(定員350人)で市民公開講座で講演をした。

その講演の演題が、なんと「もし脳卒中になったら」だった。脳卒中になった本人があれこれ手筈できる訳はないので、<脳卒中になった肉親を発見したら、家族はどうしたらいいのか>、であろうと考えいた頃である。

安井元部長の後援腰を抜かすようなことを告げられ、大いに驚いた。

<脳溢血で倒れたら、2時間59分以内に専門病院に搬送してください。3時間以内だと助かる可能性は大です。3年くらい前にその時間内だと助かる薬が出たからです>と述べた後、<大切なことは、倒れた時間をしっかり確認し、それを医師に必ず知らせることが必須条件。搬送後の各種検査には最低でも1時間かかります。一刻を争うことをしっかり認識していて欲しいです>。
安井敏裕元部長の講演内容はこんなことだった。

3時間が勝負の時間か。そういえば、元NHK同期記者の石岡荘十氏も、本欄で「脳溢血」「心筋梗塞」は、3時間内に病院に搬送されれば、救命率は高いと書いていた。

そこで、「3時間の搬送」とは内容が少し異なるが、石岡氏がメルマガ「頂門の一針」に掲載した「異端の心臓外科医」を、同メルマガの掲載の許諾を得て 下記に転載した。心臓手術で生を与えてくれた一人の医師が浮かび上がる。命の尊さを考えるのにいい機会だと思うからである。

<◆「異端の心臓外科医」>
石岡荘十

この病院には、日本の北の端、南の涯から、1人の医師のウデを信じた患者が群がっている。そう、大袈裟ではなく患者が群がって来る感じなのだ。

小田急相模大野駅に隣接したホテルの最大ホールに、どっちかといえば、飾りつけ豪華な会場の雰囲気に似つかわしくない高齢者が続々と参集した。その数520人。「考心会」のメンバーである、といっても誰もわからない。「心臓手術後の生活を考える会」の創立10周年の総会の時である。

「考心会」の会員は現在なんと1000人。その共通点は、かつて同じひとりの心臓外科医の“手にかかった”患者だということだ。南淵宏明医師に胸を切り開かれたという“過去”を持っている人たちである。心臓手術経験者の患者の会としては、多分、最大だろう。

南淵宏明医師は、神奈川県大和市にある大和成和病院で心臓手術を始めた時から、自分が手がけてきた患者の“予後”、つまり手術後の生活がどうなっているか、そこまで面倒を見るのが心臓手術外科医の責任だと考えている。

といっても、南淵医師がその日集まった元患者の全員を覚えているわけは、当然ない。患者にとって自分の執刀医はただ1人、彼だが、彼にとっては、記憶の限界を超える患者1人ひとりを覚えていられるはずはない。

南淵医師はその日の記念講演で、こう言う。

「お集まりの皆さん全員を、正直言って全部覚えているわけではありません。ですが、これはやばいぞって、冷汗をかきながら必死になって手術した患者さんのことは良く覚えています。今日ここにいらっしゃる○○さんとか---。あれは危なかった(笑)。大部分の皆さんのことを覚えていないということは、大部分はうまくいったということです。もしいま不具合がありましたら、このあと遠慮なく言ってください」

考心会は、年1回総会を開き、その都度、南淵医師を始め、ほかの医師や看護師も出席して、術後・予後の相談に乗っている。もちろん無料だからか、長い列ができる。それだけでなく、あちこちで患者が医師にせがんで一緒に記念写真まで撮っている。これは同窓会では、と思わせる風景である。 

南淵医師は奈良医科大学出身。まあ、はっきりいって、わが国の医師のキャリアでいえば、「うん?」という出自だが、彼は飛び出した。それも流行のアメリカではなく、オーストラリア、シンガポールで修行を積む。

というと、わが国では、「なーんだ、そんな国で?」と思うかもしれないが、心臓手術に関しては、かの国はじつはわが国の心臓外科技術を遥かに超えるとんでもない先進国なのである。

わが国のレベルは先進国の中では最低、という現実は知られていない。国民は、日本はアジアの先進国だと思わされている。だから帰国した彼を、受け入れない、叩く、排除する。いじめである。この国の業界は一旦、医局を飛び出した医者は受け入れない掟がある。

しかし、たまたまいろいろあってたどり着いた今の病院で、心臓外科部門を創設、年間数百例という手術実績とその成功率で群を抜き、その合間を縫って、あろうことかタケシの番組に出演して業界告発まがいの発言を繰り返し、軟派の週刊誌に週1連載エッセイを書き、業界内幕の実態暴露に近い本を続々出版。

こんなことをすれば村八分になるのは当然だけど、心臓手術で人工心肺を使わず、心臓を動かしたまま細い血管の縫合をやってのけるバイパス心臓手術(オフポンプ)の実績を重ねて、特にこの分野で名を成す。

で、「あいつは一体何者だ」と業界だけではなく、その評判は心臓に不安を抱える素人にまで関心をもたれる存在となった。だが、相変わらず業界では“異端”である。

つまり業界の常識から言えば「変わり者」なのだが、患者の気持ちから言えば、この人しかないと思うのは当たり前だろう。それが本文冒頭の現象をもたらしている。

地域住民が、いつも頼りにしている立派な建物の病院に駆け込んでも、心臓病に関する限り、まともな治療、特に外科治療をできるところは稀である。治療が難しい患者が来ると手に負えない。そこでどうするか。

「そうだあの心臓病専門病院に転送しよう」ということになる。リスクを回避しようと逃げまわっているのだ。そんな患者が、大学病院から、それも東北の大学病院からヘリコプターで南淵医師のいる病院に送られてくることもある。珍しいことではない。
 
南淵医師は、48歳。身長180センチを超える大男だ。指も、これが心臓外科医かと思わせるほど太い。だが、繊細な感覚の持ち主、と見た。患者に接する笑顔は少年のそれである。

心臓手術では世界屈指といわれ、数少ない応援団のひとり、京都大学医学部の米田正始心臓外科教授は、こう言う。

「彼とは考え方が同じです。ほかでは手に負えない手術だからこそやりがいがある」と。

2019年09月07日

◆ロシアの同胞的同盟国の中枢を訪問

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月4日(水曜日)弐 通算第6185号   

 ボルトン補佐官、ロシアの同胞的同盟国の中枢を訪問
  ルカシェンコのベラルーシへ米国高官訪問は20年ぶり

 ジョン・ボルトン米大統領補佐官(国家安全保障担当)は、先週から東
欧四カ国を訪問している。とくにウクライナでは航空機エンジンのモトー
ル・シーチ社を狙って中国が株式の過半を買収しようとている動きに「重
大な関心がある」として、直近の中国の「借金の罠」を説明した。

その後、ボルトンはベラルーシを訪問し、ルカシェンコ大統領と会談し
た。ブレジンスキー補佐官以来の米国高官のベラルーシ訪問であり、20
年以上の空隙があった。

最近、ルカシェンコはエネルギー問題でモスクワの態度に立腹、ロシアか
ら距離をおく政治的動きを見せていた。

またモルドバを訪問し、親米的な新首相(女性)と友好的な雰囲気の中で
会談した。モルドバは国内に親露のドリエステ自治区を抱えており、付近
は治安が悪いうえ、隣接するのがウクラナイナのオデッサ港。ルーマニア
との合邦は民族的理想の目標だが、現実は夢想に近い。

ボルトンは最終訪問地のワルシャワに入り、同国のファーウェイのスパイ
逮捕や5G基地局の関連などを突っ込んで話し合うと見られる。ポーラン
ドは政府調達からファーウェイを外したが、民間でのスマホ市場では中国
製品が溢れている。

ボルトンの旧東欧、とりわけウクライナ、ベラルーシはソルジェニツィン
が言ったように「スラブ兄弟国」であり、加えてのモルドバ、ポーランド
への米国政府高官の訪問はプーチンにとっては愉快なことではないだろう。
     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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  菅原道真はなぜ遣唐使廃止を建言したのに失脚したのか
   太宰府での禊ぎ、怨念は天変地異をもたらしたという伝説

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松本徹『六道往還記、天神の道・菅原道真』(鼎書房)
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松本徹全集第5巻である。この巻に納まった作品のなかで、前者の『六道
往還記』については、嘗て小覧で紹介した。

したがって本稿では、菅原道真に絞ってみたい。

 評者(宮崎)が小学、中学の頃、学生服着用だったが、かならず「管
公」か、「楠公」ブランドだった。管公は学問の神様、楠公は日本武士道
の象徴。それほど親しまれた。楠公像は皇居前広場にあり、神戸へ行けば
湊川神社に祀られている。

菅原道真を祭る神社と言えば、京都の北野天満宮だけではない。天神とい
う地名も、天満宮も日本中にある。評者の街のなかにも天満宮があり、受
験シーズンとなると境内に合格祈願の絵馬が溢れだす。全国に天満宮は無
数、総本山は京である。

それほど尊敬を集めている歴史上の英雄であるのに、菅原道真の人とな
り、その作品を知る人はそれほど多くはない。

道真は第一に文章の達人であった。漢詩をこよなく愛し、作詩する一方
で、和歌にも大きな足跡を残した。

漢詩と和歌の天才というのは、その唐風にあきたらず和風に力点を置きつ
つバランスを取ったという意味だけではない。しかし道真は和歌の天才歌
人として、現代に伝えられている。漢詩も多く残したという側面を知らな
い人が多い。

当時の日本の文化、芸術、言語的環境は、唐風に染まっていた。いまの日
本で言えばグローバリズムに染まっているような他律的精神環境があった。

古事記、日本書紀は漢字で書かれているが、古事記は大和言葉を、漢字を
借用しているのに対して日本書紀は最初から漢文、中国語である。
 ひらかな、カタカナの発明は道真の後の時代である。

松本氏はこう書く。

「この時代、公の文書はあくまで漢文であり、政務を公事たらしめる要の
役割を担っていた。漢字という異国の文字を綴って文章とすることが、こ
の国の政治的体制を築き、定め、かつ、動かすことに直結していた」
(239p)。

変化が起きた。日本文化、文学の変容だった。
 
「宇多天皇の関心は、漢詩から離れることはなかったが、唐風一色の朝廷
の在り方に飽きたらぬものを覚え、かつ、後宮の女たちの好みの変化をう
けて、この国土に根差した、より自らの感覚に添った催しや歌に関心を向
けるようになっていた。それに対して道真は、讃岐での日々における自ら
の『詩興』の変化を自覚して、その展開を考えながら、適確に応じて行っ
たと、と捉えてよかろう」(253p)

遣唐使廃止の建言に至る心境、芸域の変化を下記のようにまとめられる。
 
前提として宮廷の文化的感覚の変化、服装、装飾から絵巻もの、角張った
ものをさけ、きつい色彩を遠ざけ、「なよやかな優美さを追求するように
なっていた」。

ゆえに、「このような変化を公式に、きちんと認めるのに、遣唐使の廃止
決定ほど相応しいものはなかったろう。(中略)これは或る意味では、道
真自身が拠って立つところを、自ら掘り崩す方向へ時代を導くことでも
あったのも確かであった」(266p)

道真の失脚は、遣唐使廃止が原因ではなかった。

あまりに顕然と出世しすぎたことが、ライバル達の嫉妬を倍加させ、加速
させ、讒言を呼び込んだと考えられる。

令和日本の現代。太宰府にある天満宮は参道に人が溢れるが、驚くことに
多くが中国人ツアーである。遣唐使を廃止した日本の英雄を、なぜ中国人
が拝みに来るのか訝しい現象だ。まして日本の神道の意味もわからずに、
名所だから立ち寄って、要するに土産を買うのが目的である。

太宰府政庁跡にも観光客が溢れだした。日頃、観光コースから外れた場所
であり、地面があるだけで、訪れる人が少ない、というよりいない。政庁
跡地という看板と、柱の跡くらいしか残っていないからである(ただし菅
原道真は太宰府に「左遷」され、蟄居を命じられていたため、政庁にも
通ってはいない)。

さて道真の出生地と伝承される場所は6つも7つもある。「ここが管公生
誕地だ」という伝説となった土地があり、じつは特定されていない。

松本氏はまず、出生地伝説の土地をたずねる。この作品は旅日誌風であ
り、ともかく菅原道真が辿ったすべてを巡礼の如く、思いを込めて巡るの
である。果てしなく歩き、その現場にたって、土地の風を、土地の匂い
を、そして土地の人々の会話を通じて、一歩でも実相に近付こうという、
一種ルポルタージェ技法を用いての、道真論である。

出生地から、京都での自宅跡地、讃岐赴任時の旅路、讃岐の住まい。そし
て太宰府に左遷となって船で瀬戸内海を各地に寄港しながら尾道、防府と
一ヶ月かけた失意の旅の跡を、克明にたどりながら、松本氏は残された歌
を思い出し、解釈し直し、そのときの道真の心境に迫ろうとする。まさに
意欲的な労作である。文学論でもありながら、この本は評伝の域を超えた
歴史志操を中軸に置いている。思想ではない、「志操」である。

道真の生涯は、言ってみれば志操で一貫した。

幼きときから文章の才能を見出されて天皇の側近として政治にかかわりな
がらも、俗世の出世、嫉妬、派閥争いには恬淡として距離を置き、だから
こそ疎まれ、嫉妬され、讒言された。

ところが道真は百年後には神となり、天皇が参拝に行くことになった。

           
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 訃報
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佐藤雅美(さとうまさよし)氏
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直木賞作家の佐藤雅美氏が7月29日死去された。享年78。

筆者は彼と3年ほど会っていなかった。佐藤氏は『大君の通貨』で文壇に
鮮烈デビュー。その後、独自な味わいのある捕物帖などでベストセラー作
家となる。そんな佐藤氏を紹介してくれたのは西尾幹二氏で、当時、江戸
時代の通貨改革等で辣腕をふるった新井白石や荻生?来などの研究会が
あった。江戸時代の経済情勢など佐藤氏は学者でもないのにやたら詳しい
人だった。

伊東に引き籠もっての執筆活動で、伊豆から都内の会合にでるときはホテ
ル泊まりだった。夕方から酒をはじめ、早寝が得意というのは筆者とたい
そう意見が合い、ちなみに「何時に寝るのか?」と聞くと「午後5時」の
由。いくらなんでも早すぎますね、と言いあった会話を思い出す。

意外な逸話は昭和45年、三島事件の直前に佐藤氏は(たぶん『週刊現代』
の取材で)、馬込の三島邸を訪問した経験があり、インタビューがおわっ
て帰ろうとすると「もう、帰るのかね?」と三島由紀夫から引き留められ
た逸話を披露されたことがある。

それで、筆者は佐藤氏に『憂国忌』の発起人をお願いしたのだった。
 合掌。


◆「わが祖国」を聴きながら

渡部 亮次郎


高く済んだ秋空の下(もと)、ひさしぶり、MDでスメタナの「わが祖国」
を聴きながら、落葉で金色に輝く公園の道を散歩した。いつもは「ラジオ
深夜便」の録音を再生したのにつづいて聴くのはモーツアルトかベートー
ヴェンなのに。

なにか壮大で厳粛な気分に浸ることができるからである。とても演歌や
フォークソングではこうは行かない。祖国、国土、独立、さらに故郷の風
物への愛を強烈に感じる。

連作交響詩『わが祖国』 (わがそこく、Ma Vlast) は、ベドルジハ・スメ
タナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響
詩から成る。スメタナは聾唖者になっていた。

全6作の初演は、1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にあ
る会場で行われた。この曲は、近来、毎年行なわれるプラハの春音楽祭の
オープニング曲として演奏されることが恒例になっている。

1 ヴィシェフラド  2 ヴルタヴァ  3 シャールカ  4 ボヘミアの牧場
と森から  5 ターボル  6 ブラニークの6曲から成るから、通しで聴け
ば1時間20分ぐらいかかる。

音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、ある貴族の家の音楽教師の
座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストからの資金援助を受
け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)となるが、作曲活動を続け、この
出来事の後に書かれた代表的な作品が『わが祖国』である。

1 ヴィシェフラド
『高い城』とも訳される。かつてボヘミア国王の住んでいた、プラハの大
きな城が描かれた作品。1874年に作曲された。吟遊詩人が古代王国の栄枯
盛衰を歌う、という内容である。

この作品の冒頭に現れ、全曲を通じて繰り返し用いられる旋律の最初の部
分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭)が音として刻まれている。

2 ヴルタヴァ 『モルダウ』の名で知られる。一連の交響詩群の中で最
も知られた作品であり、単独で演奏されたり、録音されることも多い。ヴ
ルタヴァ川(モルダウ川)の、源流近くからプラハへと流れ込むまでの様
子が描かれている。1874年に作曲された。 スメタナの故郷を思う気持ち
が現れている。

3 シャールカ 1875年に作曲された。シャールカとはチェコの伝説に登
場する勇女の名である。恋人に裏切られたことによって男への復讐を決意
した、という。そのシャールカが男の兵士達を策略にはめて皆殺しにす
る、という(男性にとっては首筋が寒くなる)内容である。

4 ボヘミアの牧場と森から 1875年に作曲された。ボヘミアの美しい風
景を音楽としたもの。途中、ドイツ風の歌やボヘミア風の歌といった民族
的な旋律も現れる。

5 ターボル 1879年に作曲された。ターボルとはボヘミア南部の町の名
である。フス派の人々の拠点であった。フス派の戦士の不屈の戦いを描い
ている。彼らの間で歌われたコラール『汝ら神の戦士たち』が用いられて
いるが、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

6 ブラニーク 1879年に作曲された。ブラニークとはボヘミア中部の山
地の名である。その山々の深い森の中にて1000年前のチェコ民族の守護聖
人と勇士達が眠っており、チェコ民族が存続の危機に瀕した時に彼らがよ
みがえって救いの手を差し伸べる、という伝説がある。

曲は、邪悪に覆われた祖国をその勇士達が勝利を収めて解放する、という
内容である。

ベドジフ(またはベドルジハ、ベトルジヒ)・スメタナ(Friedrich)
Smetana, 1824年3月2日― 1884年5月12日)

ビール(チェコ・ビール)の醸造技師の息子として、ボヘミア北部のリト
ミシュル(Leitomischl)に生まれた。若い頃にピアノとヴァイオリンを
学び、家族の参加していた趣味的な弦楽四重奏団で演奏していた。

父親の反対にも拘らず、音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、あ
る貴族の音楽教師の座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストか
らの資金援助を受け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)になっても作曲をつづけた。のち
1884年に正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、この地で生涯を終え
た。ヴィシェフラトの有名人墓地に葬られている。

スメタナは、明確にチェコの個性の現れた音楽を書いた最初の作曲家であ
るといわれる。そのため、チェコ国民楽派 の開祖とされる。

彼の歌劇の多くは、チェコの題材に基いており、中でも『売られた花嫁』
は喜劇として最もよく知られている。彼は、チェコの民俗舞踊のリズムを
多用している。

また、彼の旋律は民謡を彷彿とさせる。同じ様にチェコの題材をその作品
中に用いた作曲家として知られる アントニン・ドヴォルザークに大きな
影響を与えた。

主な作品

歌劇
『ボヘミアのブランデンブルク人』(1862)
『売られた花嫁』(1863)
『ダリボル』(1867)
『リブシェ』(1872)
『二人のやもめ』(1874)
『口づけ』(1876)
『秘密』(1878)
『悪魔の壁』(1882)
『ヴィオラ』(未完)

管弦楽曲
祝典交響曲 作品6(1853)
交響詩『リチャード三世』(Richard III)作品11(1857-58)
交響詩『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858-59)
交響詩『ハーコン・ヤルル』(Hakon Jarl)作品16 (1861-62)
連作交響詩『わが祖国』(Ma Vlast)(6曲)(1874-79)
祝典序曲 ニ長調 作品4(1848-49)
プラハの謝肉祭

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876)
弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83)
ピアノ三重奏曲ト短調作品15(1855)
『わが故郷から』(ヴァイオリンとピアノのための、2曲)(1880)

「わが祖国」の初演から100年に当たる1982年に、記念演奏会が東京で開
催された。(演奏は、ヴァーツラフ・ノイマンの指揮によるチェコ・フィ
ルハーモニー管弦楽団)同公演はライブ録音され、翌年レコードとして発
売された。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2007・11・14


◆香港危機、日本は北京に厳しく警告せよ

櫻井よしこ


1週間前の8月18日、香港で170万人、住民の約4分の1に当たる群衆が街路
を埋め尽した。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」
改正案に反対するデモだ。参加者数は凄まじかったが、デモは全体的に統
制がとれており、香港人は中国政府の非民主的香港政策を拒否するとの強
いメッセージを、全世界にきちんとした形で伝えた。

人口750万の香港は14億の北京に力で勝てるはずはなく、国際社会の道理
を味方にするしかない。香港人は国際社会の賛同を得るべく、また北京政
府につけ入る隙を与えないよう、街頭活動も暴力的局面に至る前に、さっ
と退いている。

ところがその1週間後の25日、香港警察はデモ隊に初めて発砲し、人間を
吹き飛ばす程の水圧で鎮圧する放水車も初めて導入した。

発砲の理由を、香港警察は26日未明の記者会見で、「生命の危険があり、
6人の警官が拳銃を抜いた」、「うち一人が空に向けて威嚇射撃した。必
要で適切な行動だった」とし、発砲を正当化した。だが、説明をそのまま
受け入れることはできない。

北京政府は強い力で香港の自治権と香港人の自由剥奪を試みる。デモ終息
に向けて軍事介入も止むなし、の方向に向かっている。この決定は、8月1
日から11日まで開催された北戴河会議で定められた。「産経新聞」外信部
次長の矢板明夫氏が語る。

「10日余りの会議の前半はかなり紛糾して、長老たちが習近平を批判した
といいます。米中貿易戦争も香港問題も何ひとつ上手くいっていないから
です。しかし長老たちにも名案はない。10月1日の建国70周年も近づいて
くる。それまでに香港問題を解決しなければならない。それで軍介入とい
う強硬手段も仕方がない、という結論になったのです」

その場で反対したのは朱鎔基元首相ただ一人だったという。北戴河会議に
出席する長老たちには香港問題の早期解決を欲するもうひとつの理由がある。

香港人を悪者にする

たとえば温家宝元首相の息子やその妻らが香港利権にどっぷり浸かってい
る事例が2012年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙で特集されたよう
に、長老たち全員が香港利権の受益者だと考えてよい。彼らは甘い利権の
蜜をすする邪魔をされたくない、早く混乱を鎮めてほしいのだ。

北戴河会議終了直後に、二つの顕著な動きがあった。まず、12日、北京政
府は香港に隣接する広東省深圳(しんせん)に10万人規模の武装警察を集
結させ、その映像を国営メディアで報じさせた。同日、中国政府は香港で
の抗議活動に「テロリズムの兆候が現れ始めた」と批判し、香港の裁判所
は抗議運動参加者に撤去命令を発した。命令に従わなければ逮捕も当然と
いう法的条件が整えられたのだ。

第二の動きは楊潔篪(ようけつち)中央政治局委員が訪米し、ポンペオ国
務長官と会談したことだ。楊氏は米国側に、香港問題解決のために強硬手
段もあり得ると説明したと見られる。

この間の8月9日、学生や市民らは香港国際空港に集結し始めた。11日には
香港市内のデモで警官が至近距離から水平に構えて撃ったビーンバッグ弾
が、女性の右目を直撃し、女性は失明したと伝えられる。無残な映像は瞬
時に拡散された。市民らは強く反発し、12日も空港を占拠し、午後全便が
欠航した。警官が市民を装ってデモ隊に潜入し、暴力行為を煽っていたこ
とも判明した。

約1世紀、イギリスの統治下で民主主義を楽しんだのが香港人だ。彼らの
骨身に刻まれた民主主義を踏みにじる習氏の戦略が成功する地合は香港に
はないだろう。矢板氏が語る。

「結論から言えば習近平は悉く失敗したのです。学生や市民らは、北京政
府の思惑を警戒して、13日以降、さっと退いた。米国では、それまで香港
に関心を抱いているとは思えなかったトランプ大統領が、14日になって急
に『香港問題は人道的に解決すべきだ』と発言しました。18日にトランプ
氏は更に踏み込んで『天安門事件のようなことになれば中国との貿易問題
でのディールははるかに難しくなる』と牽制しました。すべて藪蛇になっ
たのです」

北京政府の狙いは、香港人が襲撃したという状況を捏造して、香港人を悪
者にすることだ。そうすれば香港基本法18条を適用できる。18条とは、
「動乱が発生して」「緊急事態に突入」した場合、中央人民政府、つまり
北京政府は中国の法律を香港に適用できるというものだ。

現在の香港の秩序は「一国二制度」の下で守られている。だが、18条を適
用すれば、香港の法秩序全てを白紙にして、中国本土と同じ法の下に置く
ことが可能になる。

最も強い声を発する責任

矢板氏の説明だ。

「抗議行動に参加して拘留されている香港人はいま、700人です。投石な
どはみんな微罪です。彼らはすぐに釈放され、ヒーローになりますから、
北京から見ると逆効果です。中国の国内法を適用すれば何千人も何万人も
逮捕して、中国本土に連行し懲役15年とか20年、無期にしたり、拷問も虐
殺も可能になります。中国共産党はこの種の強硬手段で抗議活動を終息さ
せられると考えているのです」

そうした中、冒頭の170万人参加の8.18抗議行動が行われた。共産党のや
り方を知悉する香港人だから、8.18デモでは一切の暴力行動を慎んだ。卵
やトマトも投げてはならないと申し合わせた。中国に口実を与えないよう
に賢くデモをした。

にも拘わらず、1週間後の8月25日の抗議集会では、警官を「生命の危険」
に突き落とす暴力行為があったという。果たして事実か。

実は、デモ隊の中に香港人ではない大陸の人間が紛れ込んでいて、警官に
殴りかかっていた事例が判明した。その映像もSNSで広く拡散された。
矢板氏は、天安門事件のときも同じだったと語る。

「あのとき市民の中に大量の私服警官が入っていて、天安門で軍の車両や
バスを襲撃し、火をつけたのです。彼らは放火してすぐに逃げ、後に残さ
れた市民や学生が大量に逮捕され殺されました。これが中国共産党の常套
手段です」

天安門事件当時、ケ小平は天安門での動きが中国全土に広がるのを恐れて
弾圧に乗り出した。香港人の民主主義を求める心が中国本土の人々の胸に
届けば届くほど、習氏も弾圧と軍介入に傾くだろう。

ここで日本は何をすべきか。天安門事件後、北京政府をまっ先に許したの
は日本だった。今回、日本は北京政府に30年前と同じ甘い態度をとっては
ならない。最も強い非難と警告の声を発する責任があるのは日本政府だ。
香港は日本に期待し、台湾も日本を見ている。香港の学生や市民の側に立
ち、中国政府に厳しく注文をつけることなしに、価値観外交を唱える資格
など無いのである。

『週刊新潮』 2019年9月5日号  日本ルネッサンス 第866号


◆<健康百話> 肝臓の血液検査

片山 和宏(医師)


 〜血液検査って、一体何がわかるのでしょうか?〜

血液は人間の体の隅々まで行き来し、栄養や要らなくなったものをあちらこちらに運んでいるわけですから、血液は体のいろんな部分の情報をもっているわけです。

血液検査をすることで、非常に多くのことがわかるようになってきました。ただし、これも体の部分によって、また病気によって血液に結果が出やすい場合と、とても出にくい、いやほとんど血液検査ではわからない病気もたくさんあります。

たとえば、体の動脈硬化の状態は血液検査ではほとんどわかりませんし、また胃や大腸に癌などのできものができているかどうかも、ほとんど分からないのが現状です(但し癌によっては腫瘍マーカーという血液検査で一部わかることがありますが、あくまで参考データと考えた方がいいくらいです)。

ですから、人間ドックや健康診断では血液検査とともに、血液でわかりにくい部分は胃のレントゲンなどの検査を組み合わせていくことが大事になるわけです。

肝臓はというと、血液にのせて体のあちこちに栄養分を送りつける中心的な存在ですので、肝臓の状態は血液検査でわかりやすいという特徴があります。

ただ、肝臓は働き者でとても多くの仕事をこなしていますから、肝臓の状態を表している血液検査も非常にたくさんあり、ひとつだけをみて状態を考えることはできません。
 
そこで私は、患者に肝臓の血液検査の説明をするときには、肝臓を緑の多い、川のきれいな山に例え、肝臓の病気を山火事に例えて説明しています。

アルブミンや血液凝固機能:緑(木々)の多さ、ビリルビン:川の透明度、GOT / GPT:山火事の火の大きさ、ヒアルロン酸:緑が無くなってみえてきた地肌の大きさ。アルブミン、凝固機能、ビリルビンという血液検査の組み合わせは、医師が肝臓の働きを評価するときによく使う組み合わせですし、ヒアルロン酸はどのくらい肝硬変に近付いているかを判断する指標です。

肝機能検査として有名なGOT / GPTは、実は肝臓の機能を表しているのでは無く、肝臓の病気の勢いを表しているということが分かっていただけるかと思います。
火の大きい(GPTの高い)山火事は、早く火の勢いを小さくしないといけませんが、その時点での肝臓の元気さ(働き)はまた、別なのです。

このことを踏まえて、一度血液検査を眺めていただけると視野が拡がるのでは?

             大阪厚生年金病院  (再掲)

2019年09月06日

◆雀庵の「洗脳、扇動、恐怖政治は限界に」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/23(2019/9/5)】山本夏彦翁は「正義はやがて国
を亡ぼす」と書いたが、政治、特に外交は「昨日の敵/友は、今日の友
/敵、明日の敵/友」で、永遠に変わらないのは「国益だけ」という論はよ
くある。

過去を見ても、鬼畜米英は日本の親友みたいになった。支那の国民党は敵
だったが、台湾に引き籠ってから日本は仲良くなった。国民党の敵の中共
が台頭すると日本は掌返しで日中友好と叫び出した。「サヨナラ台湾、
ニーハオ北京」・・・

明日はどうなるのか、分からない。いずこの国も“国際政治天気予報”に敏
感になっているが、積み木崩しでアレヨという間に状況が変わるから、国
家経営は実に難しい。

芥川龍之介の「侏儒の言葉」は面白かった。ビアスの「悪魔の辞典」、モ
ンテーニュの「随想録」みたいに秘伝辛子が入っているが、「悪魔の辞
典」を日本に紹介したのは芥川だそうだ。彼は「随想録」も読んでいる。

「侏儒の言葉」は『文藝春秋』に1923/大正12年1月から1927/昭和2年の自
死まで断続的に連載された。頭が良過ぎるというか、早熟というか、35歳
で逝くのはチョットナーという気がする。早世とか夭折は当時の文壇の流
行病だったのだろうか。

「侏儒の言葉」から引用(要約)する。

<古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思わ
れていた。が、これは正反対であろう。むしろ政治的天才とは「彼自身の
意志を民衆の意志とする」もののことを云うのである。

少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。

この故に政治的天才は俳優的天才を伴うらしい。ナポレオンは「荘厳と滑
稽との差は僅わずかに一歩である」と云った。この言葉は帝王の言葉と云
うよりも名優の言葉にふさわしそうである。

民衆は大義を信ずるものである。が、政治的天才は常に大義そのものには
一文の銭をも投じないものである。唯民衆を支配する為には大義の仮面を
用いなければならぬ。しかし一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱す
ることを得ないものである。もし又強いて脱そうとすれば、如何なる政治
的天才もたちまち非命に倒れる外はない。

つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである。この故に
政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない>

「彼自身の意志を民衆の意志とする」・・・ヒトラーの演説は実に民衆の
魂を高揚させたのだろう。彼自身が演説中に興奮して倒れ込むこともあっ
たという。エクスタシー、ヒステリー、失神・・・まさに名優だ。

「JFK」ケネディの(カネと野望に溢れた父親が雇っただろう)ゴースト
ライター、スピーチライターは実に優秀だった。JFKのオツムは普通なが
ら、軍歴があり(日本軍に撃沈され漂流、これを父親は「英雄譚の物語」
にした))、イケメンで(TV映りが良いように化粧をした)、病的な女好
き(秘せられたろう)という男の演説は、しかし、聴衆を大いに魅了した。

モンテーニュ曰く――

<ある修辞学者は、「自分の仕事は、小さな事柄を大きそうに見せ/思わ
せることである」と言った。スパルタでなら詐術師として鞭打たれたに違
いない。

(古代アテナイ全盛期の王に次ぐ事実上の最高権力者ペリクレスの政敵に
対して)王は「角力(すもう)ではどっちが強いのか、ペリクレスか、そ
れとも汝か」と尋ねたところ、彼はこう答えた。

「どうとも言えませぬ。わたしが角力で彼を地に投げても、彼は並み居る
人々に向かって『自分は倒れはしなかった』と言い張り、結局勝ってしま
います」

王はさぞかし驚いたことだろう。

婦人の化粧は男の目を欺くが、大した損害ではない。ところが修辞学者は
我らの目ではなく判断を欺き、変えることを職としている。クレタのよう
に秩序、善政のもとにある国々は、雄弁家をあまり尊重しない。


アリストン(スパルタ王)は賢明にも修辞学を「人民を納得させる学問」
と言った。ソクラテスとプラトンは「欺きかつへつらう術」と言った。マ
ホメット教徒は修辞学を無用の長物として子弟に教えることを禁じた。

またアテネ人は、修辞学が彼らの都においてはなはだ重んじられたために
いかに世を毒したかを悟り、人の感情を煽り立てるような部分を削除させた。

修辞学は、常軌を逸した群衆や暴徒を扇動したり操縦したりするために案
出された道具である。医薬のように病める国家においてのみ使用される道
具である。

俗衆や無知の者、誰でも彼でもが何でもなしえた国々、たえず物情騒然の
国々には(修辞学に長けた)雄弁家が集まった。これらの共和国において
は、雄弁の助けを借りずに衆望を負いえた人物はほとんど見られないので
ある。

ポンペイウス、カエサル、クラッシュス、ルクルス・・・いずれも己の雄
弁を大きな頼りとして、とうとうあれほどの高位まで昇ったのである。雄
弁を武器以上に活用したのである。

政治が安定しないと雄弁家が百家争鳴、暗愚軽信の庶民は耳に快い美辞麗
句に魅せられてしまい、理性によって物事の真偽を識別するに至らない、
一人の君主をいただく国は、そうでない国々ほどに雄弁を必要としないよ
うだ・・・>


我らの隣人、支那、半島は概ね権力者の暗闘と民の暗愚軽信の「私利私欲
的支那人(シナジー)効果」で何百年も活火山だ。時々女が火に油を注
ぐ。いつ大噴火するか分からない。

香港政府は中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正
案の正式撤回を表明した(9/4)。建国70週年を迎える10月1日の国慶節前
後あたりまでは香港に対する中共軍の攻撃はなさそうだ。


この“休戦”は習近平と上海閥(香港に強い)、共青団(海軍に強い)との
合意によるものだろう。習近平は建国70周年を安泰に迎える代償として何
を譲歩したのか。

地球を俯瞰すれば、独裁国家の「洗脳、扇動、恐怖政治」は限界に来てい
る、と小生は思う。不都合な政敵を闇討ちするようなやり方ではとても国
際競争を乗り切れはしない。少なくとも中共は香港の普通選挙を認めなけ
れば香港市民は手を緩めないのではないか。

<9月11日から12日にかけて、香港で「一帯一路」サミット2019が開催さ
れることになっている。参加者は部長級ではあるものの、現状では開催可
能なはずがない。では、どうするつもりなのか?・・・他の都市に移して
開催するだろうと推測される。その都市はどこかと考えた時に「深セン」
が有力候補として考えられる>(遠藤誉・中国問題グローバル研究所所長)

こんな騒擾の中で「一帯一路」会議で訪中するのは三跪九叩頭の属国によ
るお見舞いみたいで、中共を警戒する多くの国から反発を買うのではないか。

香港人を圧殺すれば台湾人は中共の侵略に命懸けで反発する。外資系企業
や人材は逃げ出し、ロシアのように孤立するしかない。連邦制国家への移
行は出血の最も少ない体制転換だ。習近平がそれを成せば永遠の名君とし
て、成さねば永遠の暴君として歴史に刻まれるだろう。

発狂亭“香港加油!台湾加油!”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(141)2017/1/12】承前【産経】広告「宮崎
正弘『日本が全体主義に陥る日』」。個人の自由の抑制、社会・集団の利
益優先・・・多かれ少なかれ先進国は選挙で政権を選ぶから、右や左にぶ
れる危険性は常にあるし、回復力もあるから、大きく国を棄損することは
なさそうだ。

阿比留瑠偉ボナパルト「実現しつつある『高麗共和国』」、「誰が大統領
になるにせよ、韓国の従中、反米、反日、親北の左派路線は今後ますます
強まりそうで、在韓米軍の撤退すら現実味を帯びてきそうだ」。韓国は自
殺するのだろう、ほとんど狂気。

石平「習政権を襲う“黒船”トランプとの貿易、南シナ海、台湾という3つ
の戦線」。米中はお互いにジャブは打つけれど、激烈な権力闘争を抱える
習としては当面は様子見でいくしかないだろう。

伊藤元重「正論 グローバル化が諸悪の根源か」。それはどうかは分から
ないが、ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に動き回ると、国柄、公序
良俗、価値観などが壊れる危険性は高い。制御できないとかなりヤバイ。
2019/9/5

◆「きりたんぽ」怖い

渡部 亮次郎


今やご存知のように秋田料理「きりたんぽ」は殆ど「全国区」になった
が、味は全く落ちてしまった。地元秋田では、空港や主要駅で「土産」と
して通年販売する都合上、潰した飯の中に「防腐剤」を入れ始めたので、
「コメの秋田」の美味しさは全く無くなった。

同じ秋田県でも、山形や宮城県に隣接する県南では、きりたんぽは食べな
い。あれは県北のもの。昔は南部藩だった鹿角郡が発祥の地。あの辺に暮
らした熊の狩猟師「またぎ」が作り出したもの、といわれている。だが、
私は秋田県人の癖に、県北に住むようになるまで全く知らなかった。

昭和33(1958)年6月、NHK秋田放送局大館市駐在通信員になって、大館
市内に下宿し、いろいろな取材を始めた。

大館警察署の取材は早朝4時に起きて行く。勿論、他社は誰も来ていな
い。管内の火事、交通事故の一報が沢山入っている。そのなかから適当な
ものを、それなりの文章にして、秋田放送局へ電話で送稿。

受けるのは、当直のアナウンサー。大体新人だ。だが、ローカル放送は午
前6時。その前の5時は仙台から東北地方全域向けの放送。そこでアナウン
サー殿に頼んで仙台に吹き込んでもらう。

仙台の報道課には記者が泊まっている。デスクが昨夜仕組んでいった
ニュースはすべて昨日までのもの。大館発の交通事故や火事は唯一の
「ニュース」だ。かくてNHK仙台発の午前5時の「管内ニュース」は、
毎朝「大館発」だらけ。面白かった。

そのうちに忘年会のシーズンになった。各社の記者は老人ばかり。出世は
止まっているから、官庁や商工会議所にたかって酒を呑むことばかり考え
ている。

こちらは「明日」に望みを賭けている身だから、「たかり」は避けたい。
だが、まだ民放記者の駐在の無い時代。宴席からNHKが欠けると目立つ
とかで、「そこは付き合い」と引っ張られる。

のだから、終いには「きりたんぽ怖い」になってしまった。あれから50年
以上過ぎたが「きりたんぽ怖い」は治らない。2020・1・5


◆香港危機、日本は北京に厳しく警告せよ

櫻井よしこ


1週間前の8月18日、香港で170万人、住民の約4分の1に当たる群衆が街路
を埋め尽した。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」
改正案に反対するデモだ。参加者数は凄まじかったが、デモは全体的に統
制がとれており、香港人は中国政府の非民主的香港政策を拒否するとの強
いメッセージを、全世界にきちんとした形で伝えた。

人口750万の香港は14億の北京に力で勝てるはずはなく、国際社会の道理
を味方にするしかない。香港人は国際社会の賛同を得るべく、また北京政
府につけ入る隙を与えないよう、街頭活動も暴力的局面に至る前に、さっ
と退いている。

ところがその1週間後の25日、香港警察はデモ隊に初めて発砲し、人間を
吹き飛ばす程の水圧で鎮圧する放水車も初めて導入した。

発砲の理由を、香港警察は26日未明の記者会見で、「生命の危険があり、
6人の警官が拳銃を抜いた」、「うち一人が空に向けて威嚇射撃した。必
要で適切な行動だった」とし、発砲を正当化した。だが、説明をそのまま
受け入れることはできない。

北京政府は強い力で香港の自治権と香港人の自由剥奪を試みる。デモ終息
に向けて軍事介入も止むなし、の方向に向かっている。この決定は、8月1
日から11日まで開催された北戴河会議で定められた。「産経新聞」外信部
次長の矢板明夫氏が語る。

「10日余りの会議の前半はかなり紛糾して、長老たちが習近平を批判した
といいます。米中貿易戦争も香港問題も何ひとつ上手くいっていないから
です。しかし長老たちにも名案はない。10月1日の建国70周年も近づいて
くる。それまでに香港問題を解決しなければならない。それで軍介入とい
う強硬手段も仕方がない、という結論になったのです」

その場で反対したのは朱鎔基元首相ただ一人だったという。北戴河会議に
出席する長老たちには香港問題の早期解決を欲するもうひとつの理由がある。

香港人を悪者にする

たとえば温家宝元首相の息子やその妻らが香港利権にどっぷり浸かってい
る事例が2012年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙で特集されたよう
に、長老たち全員が香港利権の受益者だと考えてよい。彼らは甘い利権の
蜜をすする邪魔をされたくない、早く混乱を鎮めてほしいのだ。

北戴河会議終了直後に、二つの顕著な動きがあった。まず、12日、北京政
府は香港に隣接する広東省深圳(しんせん)に10万人規模の武装警察を集
結させ、その映像を国営メディアで報じさせた。同日、中国政府は香港で
の抗議活動に「テロリズムの兆候が現れ始めた」と批判し、香港の裁判所
は抗議運動参加者に撤去命令を発した。命令に従わなければ逮捕も当然と
いう法的条件が整えられたのだ。

第二の動きは楊潔篪(ようけつち)中央政治局委員が訪米し、ポンペオ国
務長官と会談したことだ。楊氏は米国側に、香港問題解決のために強硬手
段もあり得ると説明したと見られる。

この間の8月9日、学生や市民らは香港国際空港に集結し始めた。11日には
香港市内のデモで警官が至近距離から水平に構えて撃ったビーンバッグ弾
が、女性の右目を直撃し、女性は失明したと伝えられる。無残な映像は瞬
時に拡散された。市民らは強く反発し、12日も空港を占拠し、午後全便が
欠航した。警官が市民を装ってデモ隊に潜入し、暴力行為を煽っていたこ
とも判明した。

約1世紀、イギリスの統治下で民主主義を楽しんだのが香港人だ。彼らの
骨身に刻まれた民主主義を踏みにじる習氏の戦略が成功する地合は香港に
はないだろう。矢板氏が語る。

「結論から言えば習近平は悉く失敗したのです。学生や市民らは、北京政
府の思惑を警戒して、13日以降、さっと退いた。米国では、それまで香港
に関心を抱いているとは思えなかったトランプ大統領が、14日になって急
に『香港問題は人道的に解決すべきだ』と発言しました。18日にトランプ
氏は更に踏み込んで『天安門事件のようなことになれば中国との貿易問題
でのディールははるかに難しくなる』と牽制しました。すべて藪蛇になっ
たのです」

北京政府の狙いは、香港人が襲撃したという状況を捏造して、香港人を悪
者にすることだ。そうすれば香港基本法18条を適用できる。18条とは、
「動乱が発生して」「緊急事態に突入」した場合、中央人民政府、つまり
北京政府は中国の法律を香港に適用できるというものだ。

現在の香港の秩序は「一国二制度」の下で守られている。だが、18条を適
用すれば、香港の法秩序全てを白紙にして、中国本土と同じ法の下に置く
ことが可能になる。

最も強い声を発する責任

矢板氏の説明だ。

「抗議行動に参加して拘留されている香港人はいま、700人です。投石な
どはみんな微罪です。彼らはすぐに釈放され、ヒーローになりますから、
北京から見ると逆効果です。中国の国内法を適用すれば何千人も何万人も
逮捕して、中国本土に連行し懲役15年とか20年、無期にしたり、拷問も虐
殺も可能になります。中国共産党はこの種の強硬手段で抗議活動を終息さ
せられると考えているのです」

そうした中、冒頭の170万人参加の8.18抗議行動が行われた。共産党のや
り方を知悉する香港人だから、8.18デモでは一切の暴力行動を慎んだ。卵
やトマトも投げてはならないと申し合わせた。中国に口実を与えないよう
に賢くデモをした。

にも拘わらず、1週間後の8月25日の抗議集会では、警官を「生命の危険」
に突き落とす暴力行為があったという。果たして事実か。

実は、デモ隊の中に香港人ではない大陸の人間が紛れ込んでいて、警官に
殴りかかっていた事例が判明した。その映像もSNSで広く拡散された。
矢板氏は、天安門事件のときも同じだったと語る。

「あのとき市民の中に大量の私服警官が入っていて、天安門で軍の車両や
バスを襲撃し、火をつけたのです。彼らは放火してすぐに逃げ、後に残さ
れた市民や学生が大量に逮捕され殺されました。これが中国共産党の常套
手段です」

天安門事件当時、ケ小平は天安門での動きが中国全土に広がるのを恐れて
弾圧に乗り出した。香港人の民主主義を求める心が中国本土の人々の胸に
届けば届くほど、習氏も弾圧と軍介入に傾くだろう。

ここで日本は何をすべきか。天安門事件後、北京政府をまっ先に許したの
は日本だった。今回、日本は北京政府に30年前と同じ甘い態度をとっては
ならない。最も強い非難と警告の声を発する責任があるのは日本政府だ。
香港は日本に期待し、台湾も日本を見ている。香港の学生や市民の側に立
ち、中国政府に厳しく注文をつけることなしに、価値観外交を唱える資格
など無いのである。

『週刊新潮』 2019年9月5日号  日本ルネッサンス 第866号