2019年11月30日

◆雀庵の「台湾」、幼女“花蓮”を背に突撃

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/57(2019/11/29】60年安保騒動は小4の時で、こ
れに触発されて憲法を読んだ。本音と建前、表と裏でこの世は成り立って
いるのか、とショックを受け、欣求浄土、厭離穢土、厭世気分で小6の時
には真剣に自殺を考えた。ありゃあ、天下の悪法だな、有害図書。

憲法ショック以来、「人はなぜ生きるのか、如何に生きるべきか」を60年
間考えてきたが、この頃何となく分かってきた。

1)生物として:繁殖し、命のバトンを次代につなぐこと。これは本能だな。

2)人間として:天職を得て、知恵、技、創意工夫で半歩でも一歩でも前
進し、次代を育て、技、思考のタスキをつなぐこと。これは意識と努力が
必要だ。

この(2)は人類にとってプラス面とマイナス面がある。便利になる、生
産性向上になるのは良いが、牽引する人は賢くなるかもしれない半面、
「専門バカ」になりやすい。脳みその容量は限られているからオールマイ
ティの賢者(統率者、哲人など)にはまずなれないのではないか。

また、利便を享受する側は、雑巾一つ縫えない、炊事洗濯まるでダメとい
う「只のバカ」に退化しやすい。

専門バカが1割、只のバカが9割、2つの集団の差異はどんどん大きくなる
が、これが人類の発展と呼べるのかどうか・・・

キリスト教の一派「アーミッシュ」の生き方はとても興味深い。WIKIから。

<アーミッシュ(含むメノナイト)は移民当時の生活様式を守るため、電
気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話など)も家庭内にはない。
原則として現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前
と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいる。

自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方は拒否
するのである。

アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。その
ため、自動車は運転しない。商用電源は使用せず、わずかに、風車、水車
によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。

移動手段は馬車によっているものの、ウィンカーをつけることが法規上義
務付けられているため、充電した蓄電池を利用しているとされる。しか
し、メノナイトは自動車運転免許を持つことが許されており、家電製品も
使用している。

アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイ
デンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけ
を導入しているのである>

近代、産業革命以前というと、日本では江戸時代だ。「電車、自動車、先
端医療だけは享受したい、それ以外はNO!」というのは、あまりにもご都
合主義だから、とても「清貧」とは言えない。夏彦翁曰く「ならぬ昔には
戻れない」、東海道を徒歩で行くなんてできやしない。

人類の叡智は発展しているように見えても、プラスマイナスゼロなのかも
しれない。生き方なんて何千年も前から哲学者が研究し尽くしており、
「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」(老子、釈迦)とい
う小生の座右の銘はすっかり身に着いた。

この言葉を教えてくれた宗教学者は自宅の金庫に3000万円を隠していたそ
うだが、領収書なしで貰った講演料などを申告せずに課税を逃れていたわ
けだ。理想と現実は違うことが多い。小生だってその学者の立場になった
らそうしていたかもしれない。

ま、面白おかしく、のんびり生きていくことに満足できない人は棺桶に入
るまで「如何に生きるか」を考え続けるのだろう。小生は「結局、分から
なかったが、考えることに意義があるんだから、ま、いいか」と思うの
じゃないか。

信長は「さすが光秀、如何ともし難し」、家康は「やはり腹八分目は正論
だったな、天ぷらが旨すぎた」と苦笑したろう、晋作は「ああ面白かっ
た、おうのを頼んだぜ」と言って大往生したろう。

子をなさなかった愛妾おうのは晋作の息子を養子とし、明治41年、66歳で
天寿を全う、天国では晋作に膝枕をさせ三味線で、

♪男なら 三千世界の鳥を殺し 主と朝寝がしてみたい 酔えば美人の膝枕
醒めりゃ天下を手で握り 咲かす長州桜花 高杉晋作は男の男よ 傑いじゃ
ないかな

と歌っていることだろう。おうのと年下の正妻の雅(まさ)は姉妹のごと
く仲が良かったようで、一緒に晋ちゃんの墓に眠っている。男はそうあり
たいね。

令和の晋ちゃんは北京に媚びてどうするのかね。呆けたか?

さてさて台湾清軍残兵討伐の石光真清らの戦い。周花蓮は出陣の石光の足
に縋りつく。幼くして既に女だ。恐るべし。石光の手記「城下の人」から。

<水堀頭に駐屯してから五日目の朝、遠くに激しい小銃の音を聞いた。間
もなく下士哨から伝令がきた。敵兵約百名が襲来、下士哨は村はずれに散
開して戦闘中である。敵の小銃は約三十挺と推定さる・・・とのことで
あった。

私は一分隊を率いて救援することにした。すると周花蓮がちょこちょこ歩
きながら私の後を追ってきて、足に縋りついて離れない。残留組の志田軍
曹が苦笑しながら抱き上げると泣き出した。これを見た井手口一等兵は、

「おう、よしよし、三全世界に頼る者は中尉殿一人ですわい。わしが連れ
てゆく・・・」

と言って、周花蓮を背嚢代わりに背負った。志田軍曹は井手口の背中に子
供をくくりつけながら父親のようなことを言った。

「井手口、銃先に気をつけろよ・・・竹藪を潜りぬける時はな、いいか、
顔をはじかれるからな・・・注意しろよ」

私たちは待ちかねたように銃声の激しい村落を目指して駆けつけた。

嘉義城守備の残兵らしく、装備も悪く、予備もないようっだったから、私
は右翼に回って一分隊を指揮して突撃した。周花蓮を背負った井手口も銃
を構えて突撃した。間もなく敵は三十ほどの死体を遺棄して逃走した。

母の背にあったころから、不幸にも戦塵にまみれたこの子は、この品育段
戦にも、泣き出しもしないで背負われていた>


♪腰の大刀にしがみつき 連れていきゃんせ何処までも 連れて行くのは
やすけれど 女は乗せない戦車隊

なんていう歌は戦前はよく歌われていたようだ。「戦車隊」のところは
「いくさ船」とか「砲兵隊」とか代えていた。間もなく前線に配備され
る、今夜が最後の酒宴になるかもしれない、同郷の馴染みの芸者とも永遠
の別れか・・・元気よく歌っても悲哀がうかがえる。

戦争文化とか戦時の花、悲喜劇、喜怒哀楽といったものが、「平時」が長
く続くと消えていく。いいことなのかどうか・・・苛められると反撃もせ
ずに自殺とか・・・なんかなあという感じはするな。

発狂亭“爽やかな秋晴れに誘われて、縄文遺構の森林公園を満喫、紅葉が
始まり、富士山がよく見えた、まるで天国”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(174)2017/1/22】産経、島田耕「(トラン
プに)何を言われても、最善の策は無視することかもしれません。クール
に無視を決め込んでもらいたいものです」。

苛められたらシカトすればいい、殴られたら黙って耐えろ・・・って、こ
いつ、産経の編集長だって! 自分に不都合なニュースは朝日、毎日、東
京のように無視するつもりだ。トランプショックで発狂したか!

リベラル≒アカモドキの右往左往は見ものだな。(つづく)2019/11/29

◆チェコにじわり浸透していた中国

宮崎 正弘


令和元年(2019)11月30日(土曜日)通巻6291号 <前日発行>
 
 ビロード革命から30年。チェコにじわり浸透していた中国
自由を謳ったチェコの「ビロード革命」は、「レノンの壁」の先駆者だった

 ビートルズの一員だったジョン・レノンが狂信的なファンによって銃撃
され、NYの自宅前で死亡した事件はいまも記憶に生々しい。

当時まだソ連の占領下にあって自由のないチェコの市民らはカレル橋の下
にある壁に自由への希求を落書きした。当局が壁を白く塗ると、翌日には
又「圧政や抑圧に反対するメッセージ」や絵が描かれて「レノンの壁」と
呼ばれ、自由化の象徴となった。

レノンの壁は香港で再現され、市内の至る所に中国共産党批判、香港政庁
非難、香港警察への罵倒メッセージが書き込まれ、いってみれば香港の風
景になって溶け込んだ。

そのレノンの壁の走りでもあるチェコ共和国で、中国のファーウェイ、
ZTE排斥の動きが急浮上した。
 
チェコは「ビロード革命」のあと、経済の離陸をなによりも優先させた。
経済的飛躍は瞠目するべきほどで、現在チェコの一人当たりのGDPは
22850ドル。従ってOECD入りも早かったが、1999年には
NATO加盟、2004年にはEUに加盟した。残る国家目標はユーロ入
りだが、これには国民の反対が根強く、別れたスロバニアが先にユーロ入
りしてもすこしも慌てない。

ビロード革命の立役者で詩人のバーツラフ・ハヴェル大統領の人気と知名
度から、日本でもチェコのイメージは良好、日本企業257社が進出し、
累計38億ドルの投資をおこなっている。
 
ハヴェル大統領は自由を尊重し、台湾を訪問して、中国の全体主義の脅威
を訴えたものだった。チェコの三つの大学には日本語の講座があり、若者
は漫画、アニメを好む。

そのチェコで華為技術(ファーウェイ)とZTE(中興通訊)の使用が禁
止される。

「サイバー安全保障上、問題がある」とし、11月17日にチェコ情報当
局は年次報告をまとめて曰く。

「情報の漏洩が著しく、怪しい国の製品には慎重であるべきだ。公務員、
軍人、政府職員などの中国通信機器の使用を禁止する」とした。


▲詩人大統領時代からチェコは自由を尊重し、台湾との関係は東欧一良好

チェコの通信大手「テレフォンカ」はファーウェイと過去十五年、企業提
携をなしてきた。しかし、その共同作業も行き過ぎると安全保障の枠を超
える。

「チェコは主権国家であり、サイバーの安全保障上の懸念があれば、使用
と差し止めるは当然の主権行使」とした。

チェコの情報当局の年次報告書では、嘗てのソ連と同様に中国にそそのか
された代理人たちがチェコの政・財・官界に浸透しており、学会、慈善団
体、メディアにいたるまで中国旅行に招待し、あご足つき。もっとも重視
する外交目標はチェコと台湾との暖かい関係の分断に置かれているとして
いる。

チェコは台湾と外交関係はないものの、バーツラフ・ハヴィル大統領時代
から「自由」が尊重され、台湾への梃子入れが強く、親密か関係という側
面がある。

しかしチェコ財界は中国の巨額投資に目が眩んでおり、条件が良ければ
チェコ企業の幾つかが標的となって中国資本に買収されていた。「チェコ
はEU諸国への玄関口」でもあり中国の外交戦略上、重要な拠点と位置づ
けられてきた。

チェコのゼマン大統領、バビチェ首相らチェコ政府はファーウェイ排斥に
傾いており、「サイバーの安全保障上の懸念が大きい」との理由があげた。

チェコ最大の通信企業テレフォンかとファーウゼイは15年に亘って共同事
業を展開してきただけに、驚きを隠せない。在プラハの中国大使館は直ち
に抗議したが、チェコ政府の意思は固いようだ。

チェコのバーツラフ・ハヴィル初代大統領は劇作家、詩人、何回も投獄さ
れながら不屈の闘志で自由への讃仰を謳った。チェコ自由化の原点とも言
える「77憲章」の起草者であり、中国のノーベル平和賞、劉暁波の
「08憲章」に甚大な影響を与えた。ハヴェルの名前を冠してプラハ国際
空港はいまハヴェル空港と呼ばれる。
      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 すぐに読んだ宮崎正弘氏の新作
  香港情勢をリアルタイムで解析、明快な論理と現場感覚と

  ♪
宮崎正弘『チャイナチ(CHINAZI) 崩れゆく独裁国家中国』(徳間書店)
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                         評 奥山篤信

 アマゾンより配達あり、一気に読了した。僕の持論だが、書き手の賢さ
を判断するのは、その著書を流れるように読む視線とスピードがそのまま
一致することが判断の基準だ。

えてしてカッコつけた学者や先生方の本は、論旨が明確でわかりやすくな
いので1行1行読者の読むスピードを途切れさせてしまうのだ。頭脳明晰な
著者は、難しい事柄をわかりやすく明快に書き綴るのだ。宮崎先生を尊敬
するのはメルマガにせよ著書にせよ、抵抗なく読破できるところだ。

前置きはそれぐらいにして、11月27日、ルピオ上院議員が提出した法案が
下院・上院で共和党・民主党の一致にて(ここが国家の危機をもたらす決
議は国論が一致する日本と異なるアメリカの偉大さだ)可決し、大統領の
思惑はあったのだろうが、無事署名して香港人権法案が可決した、まさに
その日に宮崎先生の本を読めたことは感慨深い、しかも原稿と出版日が通
常時間的ラグがあるのに、先生の香港への危険を厭わない<決死行>(頭
でっかちの保守論壇と異なり、先生は走りながら現地ルポを通じて書く目
の当たりにする迫力があるのだ)もあり、まさにこの本は今そこにある危
機を臨場感を持って、数分の誤差もなく書かれている点が素晴らしいのだ!

ところで<チャイナチ CHAINAZI>とは宮崎さんが香港で目撃し、その写
真をテレビ番組で発表したら視聴者から驚きの声があがったそうだ。もち
ろんシナの帝国主義独裁国家をあの犯罪国家ナチスになぞられた言葉だ。
センスがあるとしか言いようがない!要は優れた評論家とはその直感とセ
ンスなのだ!

本書では香港の問題、さらには台湾の問題、さらにアジア諸国へのシナの
浸透とその茶番劇、さらにはファーウエイ問題から将来を支配する先端技
術のシナ対アメリカ・日本の死闘などまで書かれている。これほどコンパ
クトにリアルタイムで香港問題などを一冊で読める本はないだろう。

それもくだらない学者や似非保守主義者の寄せ集め記事のようなものでは
なく、緻密な資料精査と実体験を通じての<ど迫力>の流れるような素晴
らしい筆致だ。市井の物書きの僕も学ぶところが大である。

結論からいえば宮崎先生の先見の明、予測、それはシナの崩壊への道だ。
<盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、鴨長明>
これは歴史の真実だ。

余談だが、あのフランシス法王の馬鹿げた日本での言動、何一つ心に刺さ
るものはない偽善と欺瞞であり(上智大学で偽善を悪として述べたがご自
分がその権化だろうが?)、挙げ句の果ては帰路の機内にて<長崎はキリ
スト教徒の街だ> さらにシナに触れて<シナが大好きだ。シナに行きた
い>などと馬脚を現し、シナに対して宗教家としてダライ・ラマのような
(シナを後継者決定に関与させない)毅然たるシナ支配を排除する意気込
みなど全くない、

まさに信者集めのためにシナ共産党とタグを組み御用教会を認知して、本
物の地下教会を切り捨てる節操のなさ、まさに偽善以外何の存在価値もな
いバチカンも2000年を経てシナと無理心中するような予感がしてならない
のだ。
       
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1992回】             
――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(10)
上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

            △

「惡臭」を我慢していればこそ、やがて芝居は佳境に差し掛かり、舞台の
上には必ずや夢幻の世界が立ち現われ、至福の一刻がやってくる。加えて
芝居を軸に動く村人の生活に接することが出来たものを――実に惜しいこと
をしたと思う。

やがて6月20日、「重なれる山々の彼方に萍郷炭坑の煤烟を望む。濛々と
して?空を焦がす煙筒の烟、無刺戟に眠りし如き我が胸を衝いて動揺せし
む」。萍郷から爪先上がりの山峡の道を「十五支里」ほど進むと、漢治萍
公司が経営する安源炭鉱に至る。「從業員五千人、一日の出炭量約二千屯
乃至三千屯なり。塊炭は其儘に輸出し、粉炭は骸炭の製造に用ふ」。

上塚が安源炭鉱を訪れた3年後の1922年、毛沢東は劉少奇、李立三、夫人
の楊開慧らと共に同地で大ストライキを指導している。中国共産党正統史
観に基づくなら、毛沢東が指導した正統労働運動の発祥地ということにな
るわけだが・・・。

6月23日、湘潭の街に上陸する。宿を求めて「凡そ十二三ケ所も尋ね」た
が、「悉く『没有房子』を以て拒絶せられ」たという。致し方なく知事に
依頼しようと知事公署に向かったところ、「途上白旗を掲ざせる小學生の
一隊に會ふ。旗面文字あり『日貨抵制』と。即ち日貨排斥のデモンスツ
レーションなり。宿を求めて斷はられし理由茲に於てか分明す」。

宿の提供を承知した後、知事からは「學生講演團の排日演説あり、民心稍
昂奮の状態にあれば、無智なる者如何なる無禮を爲すやも計り難し、翼
(「冀」の間違いか)くば暫く市の調査を中止せられ度し、若し強て外出
せらるゝとせば、人の目に立たぬ樣」に行動せよとの忠告があった。

湘潭は毛沢東の生まれ故郷である。1893年生まれだから、上塚が湘潭を歩
いた大正8(1919)年には26歳になっていた。北京で共産主義の洗礼を受
け、五四運動に刺激され湖南で新民学会を組織し、愛国運動を展開している。

毛沢東の生涯を詳細に綴った『毛沢東年譜 一八九三――一九四九 上巻』
(中共中央文献研究室編 中央文献出版社 1993年)の1919年6月の項
に、「6月 毛沢東は湖南学生聯合会幹部と夏季休暇を利用し青年・学生
を組織し、都市や農村、駅、埠頭に派遣し、愛国反日宣伝を行った」と記
される。ここで妄想を逞しくするなら、上塚が湘潭の街で出くわした排日
の動きは、毛沢東の指導によってなされたものかもしれない。

24日、上塚は湘潭城外の総商会を訪ねる会長に面会するが、「應對無愛想
を極む」。転じて日本人経営の日清汽船会社に向かうが、「事務員は支那
人のみにて質問に對する答辯は一として要領を得ず」。次いで訪れた中国
人経営の船会社では、「經理先生冷かなる事水の如し。已ぬる哉已ぬる
哉。今や日本人の立場悉く非なり」。

「今日湘潭に於ける市民の態度は、少なからず我が感觸を害せり。此の状
態を以てしては如何に努力するも遂に所期の収穫を得る事不可能なり」と
慨嘆する上塚は、湖南省の霊峰で知られる「南嶽衝山の絶嶺に衣を振ひ、
此の鬱屈せる氣を晴らさん哉」と、知事に衝山行きを掛け合うのだが、
「知事應ぜず頻りに其の危險を云々して思ひ止らく事を請ふ」。だが上塚
の執拗な申し出に遂には折れた。

衝山県行きの汽船に乗り込むが、「船には北兵萬載して足の踏み入るべき
餘地もなし。無智可憐の兵は民衆に對して極めて暴慢なり。我等は房艙
(一等)の切符を所持し居れども既に北兵に占領せられて、如何に立退き
を迫るも應ぜず。止む無く事務長に五弗を追贈して、辛じて機關室の側に
一房艙を得たり」。

6月29日、湖南省の省都である長沙到着。「久振りにて、殷賑の街路に心
躍るを覺ゆ」と記すが、激しい排日運動に迎えられた。
さて毛沢東が指導していたのだろうか。
            

◆桜を見る会の攻防が示す政治の劣化

櫻井よしこ


問題だらけの朝鮮半島、要求する米国、一党独裁の不気味さを偽りの微笑
で隠して膨張する中国。日本はこうした難題に直面している。どれも解決
は容易ではない。そこでいま、一番働かなければならないのが政治家だ。
厳しい国際情勢を理解し、解決策を打ち出し、国益を守り通さずして、政
治家たる意味はない。

にも拘わらず、彼らは一体何をしているのか。日本共産党の田村智子氏が
11月8日の参議院予算委員会で首相主催の「桜を見る会」を取り上げた。
以降、多くの野党は恰(あたか)もこれが日本の最重要問題であるかのよう
に政権を攻め始めた。立憲民主党国会対策委員長、安住淳氏らは「徹底的
に」追及するそうだ。

首相は13日、来年春の会は中止し、招待の基準などを見直すと発表した。
確かに、桜を見る会への招待者は年々ふえており、ここで一旦中止して見
直すのは正しい判断であろう。元民主党衆議院議員で、現在は立憲民主・
国民・社保・無所属フォーラムに属する松原仁氏が批判した。

「我々も枠をもらって招待していましたが、安倍首相の場合、人数が多い
のが際立ちます。事務所が動員をかけたような形になっているのはどう見
てもやりすぎです」

民主党から自民党に移籍した衆議院議員の長島昭久氏はこう見る。

「民主党のとき、我々も全く同じことをしていました。各議員に招待枠が
あって、後援会の人々を招きました。招待客一人一人にどんな功績がある
のか明らかにせよと立憲民主は首相に要求していますが、地域で頑張って
いる方ではあっても特別の功労者ではない人を、私たちも沢山招いた。日
頃お世話になった方たちという意味では支援者の方々です。これは皆、同
じでしょう」

国会で説明すると明言

安住氏らは、安倍後援会は前夜祭を開いたが、1人5000円の参加費は安す
ぎると問題視する。最低「1人1万1000円かかる」と主張し、その差額を首
相側が補填していれば公職選挙法違反だと息巻く。この点についても長島
氏が語った。

「我々がパーティを開くとき、1人2万円の会費で、ホテルに支払う食事代
は精々1人2000〜3000円です。ホテル側にとって、数百人単位のお客が宿
泊し、食事をしてくれるのは大変有難いことで、格安にするのは自然なこ
とでしょう。立憲民主を含めて野党政治家はこのことを十分理解していま
す。にも拘わらず、細かなことに拘り追及し続けるのは、選挙を意識して
いるからです」

立憲民主、国民民主の両党はいまや共産党の支持なしに選挙に打ち勝つの
は難しい。とりわけ、立憲民主の若い政治家達の後援会組織はほとんど無
いに等しく、全国に支援組織を有する共産党の協力なしにはとても選挙を
戦えないとして、長島氏は厳しく分析する。

「旧民主党勢力、とりわけ立憲民主党にとっての共産党は、自民党にとっ
ての公明党よりも重要だと思います」

安倍首相が来春の会の中止と招待基準の見直しを決定しても、野党側は納
得せず、追及チームを11人態勢から3倍規模に拡大した。安住氏の徹底追
及の意向は首相のぶら下がり会見への批判からも読みとれる。「立憲民主
党国会Twitter」の「安住委員長ぶら下がり(総理ぶら下がりの受
け止め)2019年11月15日」から見てみよう。

氏が問題視する総理に対する取材は、15日の昼と夕方の2度、官邸記者ク
ラブの要請で行われた。昼の回で、「国会で説明するか」と問われ、首相
は「国会から求められれば、説明するのは当然です」と答えた。

立ち去りかけた首相に、記者が「集中審議に応じるか」との質問を放っ
た。それで首相は記者達の所に戻り、「当然です」と答えている。

求められれば必ず国会で説明すると明言したのだ。野党が論難する逃げの
姿勢ではない。

夕方、前述したように記者クラブ側の要請で首相は再び対応した。21分間
続いた説明は、「異例の長さ」と報じられた。この場で首相は前夜祭など
の費用は全て参加者の自己負担だったことなどを説明している。質問が途
絶えたとき「何か、ご質問どうぞ」と促してもいる。

さらに14〜15の質問の後、「本日時間がない中ということで、後日会見を
開く予定はあるか」と問われた。それに対して首相は「もし質問されるの
であれば、今、質問された方がよいと思いますよ」と答えた。

「改めて……」と記者が口ごもりながら重ねて問うと、首相は「改めて会見
ということであれば、今質問して下さい」と促した。

安住氏こそ記者を侮辱

昼の短いぶら下がりでは不十分だったとして記者クラブ側が要求し、夕方
に2度目の取材となった経緯を考えれば、夕方の時間までに、否、それ以
前から記者たちは調査し、質問を準備したはずだ。だからこそ首相は、い
ま聞いてくれれば答えますと言っている。首相は答えようとしていたので
あり、そこには他意も悪意もない。だが、安住氏はこのやりとりを以下の
ように批判した。

「大変驚きました。(略)失礼ですけど、総理番の記者のところに、突
然、準備のない記者さんに対して『私の言うことを聞け、私に質問し
ろ』っていう態度は(略)メディアの皆さんに対する冒涜でもあるしね」

どのような思考回路でこんな解釈になるのか。氏は前後の状況を知らずに
発言したのだろうか。繰り返すが、夕方の会見は記者側がもっと問いたい
として要求したものだ。当然、質問は準備されていた。首相は誠実に答え
こそすれ、「私の言うことを聞け」などという態度で臨んではいない。メ
ディアを冒涜してもいない。

安住氏の言う「準備のない記者さん」も事実ではない。記者達はこれまた
前述したが、準備していた。安住氏こそ記者を侮辱している。

安住氏はほかにも官邸の記者について次のように語っている。

「何もそういう準備をしていない、総理番の若い記者さんのところに突然
総理が降りてきて」「何にも知らない記者の前に来て」「何も基礎知識を
持っていない記者さんの前に突然来られて」「余りこのことに基礎知識の
ない記者さんたちを前に」と、延々と繰り返したのである。

官邸詰めの記者達も随分と軽く見られたものだ。立憲民主のたかだか一政
治家にここまで見下されて口惜しくないのか。政治の中枢を取材する記者
らが憤らないとしたら、これまた、なんと誇りなきことか。

日本は本当に多くの深刻な問題を抱えている。政治家なら、桜を見る会の
在り方は見直すとして、日本の運命を左右するより大きな課題に命懸けで
取り組むことだ。その心構えも発想もない野党政治家の存在の余りの無意
味さに、私は戦慄する。

『週刊新潮』 2019年11月21日号日本ルネッサンス 第877回

◆歴史現場に立ち会える記者稼業

毛馬 一三


NHK記者として入局したのは、早大卒業の昭和36年。入局直後、NHK「研修所」で、記者としての基礎的な受講を3か月受けた後、長崎・佐世保局に配属された。

佐世保局には、松尾龍彦デスクと評論家の日高義樹氏(元ワシントン支局長)が先輩記者として赴任しておられたため、現場記者としての取材の仕方、原稿の書き方など親身になって指導してもらった。

新人記者として、「警察」と「労働団体」、「米軍佐世保基地」回りを担当させられた。

佐世保局での取材は、取材範囲が広域なのと、米海軍の基地を抱えていたため、基地問題や労働諸問題に追われ、「夜討ち・朝駆け」の取材は日常のことだった。

その佐世保記者として、今でも忘れられない強烈なことが2つあっことを思い出す。それを以下、追々。

ひとつは、昭和38年11月22日、アメリカから最初に来た「衛星放送」で、ジョン・F・・ケネディー大統領が暗殺事件を見たことだった。最初の「衛星放送」が、大統領暗殺と重なったことに驚愕した。

米軍海軍基地に出入りが自由だった筆者は、同基地の通訳を通じて、大統領暗殺事件に対する基地内の混乱状況を記事にした。反響が大きかった。

二つ目は、筆者が「米原潜佐世保入港」を「スクープ」したことである。

その「スクープ」を出したのは、佐世保局からではなく、NHK福岡放送局からだった。しかも入港より丸1日早い、昭和39年11月11日早朝6時だったのである。

もともと、「米原潜佐世保米軍海軍基地入港」が最初に公表されたのは、昭和38年3月であった。この日から「何時、入港するのか」が、全国的に焦点となっていた。

この公表以来、佐世保では地元社会党系労働組合が「原潜入港反対闘争本部」を立ち上げ、市民団体も呼応して、大規模な「入港反対闘争」がはじまった。佐世保は、米海軍基地周辺を中心に騒然となり出した。「安保闘争の佐世保版」だった。

とりわけ被爆地長崎と隣り合わせの現場佐世保では、米原潜搭載の「核」持込みの懸念が市民らを強く刺激し、急遽集結した各地の革新団体や全学連が、デモ行進や集会を繰り広げ、騒動は日増しに激化していった。

その反対闘争の労働取材担当記者だった筆者は、入港反対闘争本部だった当時の佐世保地区労(佐世保地区労働組合会議)本部に、夜討ち朝駆けを行い、反対運動の動静を追い続けた。

当時、総評系の佐世保労働組合の中核組織「全駐労」の委員長だった石橋政嗣氏が、衆院議員に転身して社会党書記長に就任していたことから、この反対運動は当時野党第一党の社会党と緊密に連携しながら、全国規模の反対運動に発展していった。

筆者は、帰郷する石橋書記長に纏わり、「反対運動」の中央の方針をしつこく取材して回ったことから、気難しい石橋書記長から特に目を掛けて貰う間柄となった。

同時に、地元の社会党系「佐世保地区労闘争本部」の速見魁議長、小島亨事務局長、西村暢文本部員らからも熱心な取材を気に入られ、極めて親密な関係を築くことが出来た。

この取材は、歴史の現場を直に目撃できるという、正に「記者冥利」に尽きる無上の喜びであった。しかも現場で親交を深めた取材対象の人脈とも、立場を超えた人間同士の触れ合いが出来ることも嬉しかった。そうした教訓は、駆け出し記者の記者魂を育ててくれた。

そんな折の昭和39年11月10日の夜10時過ぎ、佐世保放送局で当直の勤務をしていた筆者に、佐世保地区労の小島事務局長から電話が入った。

「あなたの家に電話をしたら、当直と聞いたので電話をしました。実はね、石橋書記長から、あなただけに伝えなさいと今、指示があったので連絡します」。

小島事務局長はそう言った上で、「米原潜シードラゴンが12日朝、佐世保に入港する」という、極秘情報を伝えてきた。筆者は、足が諤諤と振るえ、感謝の意を短く伝えるのがやっとだった。

すぐさま、福岡放送局報道課長の自宅に架電して、その情報を伝えると共に、これから出稿する旨を伝えた。報道課長は「直ちに東京政治部の首相官邸キャップに連絡し、政府から確認を取って貰う。君は、米原潜12日入港の記事を急いで書き、送りなさい」という指示が出た。

11日の2時ごろ、原稿を送ろうとしているところに、報道課長から電話が来た。「官邸キャップが政府筋に確認したが、どうも煮え切らない返事だったようだ。東京政治部では、引き続き政府関係者に当たるが、「スクープ」として当面は福岡発から流しなさいと言っている。原稿をすぐ送ってくれないか」ということだった。

そこで、「米原潜あす佐世保入港、現地では大規模集会やデモ」という内容を原稿にすることにして、「闘争本部」幹部に再度裏付け取材をして上、急ぎ福岡局報道課に送稿した。「闘争本部」で特に友好の深い西村暢文氏に「他紙は気付いていませんよね」と念を押し、確認を取ることを忘れなかった。他紙は、知らなかった。

これが他社より1日早くNHK福岡局から「原潜あす佐世保入港」のスクープが全国に発せられたいきさつである。NHK東京発の同関連ニュースが放送されたのは、「米原潜」が入港する12日午前6時のニュースからであった。従って「他紙」「他放送局」を抜いた「スクープ」となった。

先述の西村暢文氏から、「あなたのスクープで、闘争本部が一層盛り上がり、原潜反対闘争のとっかかりになった。感謝」という予想外の電話が掛かって来た。

歴史の現場にいち早く立ち会える記者稼業とは、この上ない人生の幸せである。人脈が豊富になることも大いなる喜びだ。

いろいろ思い出はあるが、記者として佐世保局でのこの2件は忘れることが出来ない(了 再掲)

2019年11月29日

◆「中曽根君を除名する!」

                        渡部亮次郎


河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。
死ぬ2日前(6日)の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、広間のソ
ファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭い
た。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、そ
の隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては
殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで
建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら
「今度、ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。
奴はボクが佐藤君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、
川島(正次郎=副総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行き
たいと言ってきた。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところ
へは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名する
とは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と
目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に
党内世論を操作したのは誰あろう川島と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していた
が,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を
拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派四天
王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と
滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてな
かったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし
記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の
七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするか
らね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起き
られなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、
今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年
67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人
(大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法
蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、
NHKテレビで河野一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の
言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平氏によると「大丈夫
だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだ
という。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年
後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を
歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由
民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選
出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので
神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自
由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議員
河野太郎は孫である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元
よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都である・・・
との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成し
た建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例
であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬
で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍
団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川
崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起
こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際
に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日
は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っ
ていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんの
か! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当っ
た」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言ってい
た、終生。2008・07・05

追記:中曽根さんは29日逝去された。享年101.



◆旧アスタナを蔽う中国の影

宮崎 正弘


令和元年(2019)11月27日(水曜日)通巻6288号    

カザフスタンの首都ヌルスルタン(旧アスタナ)を蔽う中国の影
  砂漠のシルクロード拠点、「一帯一路」の要である筈だが。。。。

世界最大の内陸国家(日本の7倍の面積)であるカザフスタンを27年間統
治したのはナゼルバエフ前大統領。先月の「即位の礼」にも、国の顔とし
て出席した。

新大統領のトカエフは副首相時代を含めて2回来日しているが、まだ「国
の顔「として国際的には認知されておらず、相変わらず、ナゼルバエフ前
大統領が活躍している。大統領ポストを降りても、事実上のカザフの顔な
のである。

ヌルスルタン・ナゼルバエフを、国民は「ナゼルカーン」と俗称してきた。

ナゼルバエフは旧ソ連時代の共産党書記。ソ連が崩壊するやまっさきに独
立し、レーニン像をすぐに撤去させた。

円滑に独裁の政治を確立出来たのも、豊富な石油、ガス、稀少金属に恵ま
れるからだ。日本が重視するのも、カザフスタンのウランとレアアースで
ある。

ナゼルバエフは突如、アルマトイからアスタナへ首都を移転した。
(1997年)。
黒川紀章が設計したオアシス都市建設に邁進した。筆者はそれまで首都
だったアルマトイには2回行っているが、緑の美しい都市で、砂漠のオア
シスの典型。鉄道もモスクワと繋がっており、英語の新聞があった。
♪「月の砂漠をはるばると」のシルクロードの浪漫が浮かんでくるような
街づくりだった。

ナゼルバエフは穏健な方法での権力委譲を模索してきた。副官として忠実
に彼に使えたトカエフに大統領ポストを継がせ、政治の裏に徹して国民の
不満を和らげる。しかし、依然としてこの国を統治しているのはナゼルバ
エフ一族であり、資源輸出利権を掌握していると言われる

2019年3月、新都市アスタナを「ヌルスルタン」と改称することになる。
ヌルスルタンは、ナゼルバエフの本名。しかも議会は圧倒的な賛成で、承
認したのだった。

カザフスタンの人口は1860万人。国土が日本の7倍。人口は日本の7
分の1強。


 ▲やっぱり浸透を始めたのはチャイナだった

なぜこの国に国政的な焦点が当たっているのか。
 
旧ソ連の枢要な地位をしめてきたカザフスタンは、深く静かに中国の浸透
ぶりが見られ、それがプーチンの神経に障っている。カザフスタンの人口
の15%はロシア人である。
 
旧宗主国ソ連の中核ロシアの顔色を見ながら、中国は最初にカザフスタン
と鉄道を繋ぎ、中国企業がそろりそろりと進出していたのが2000年頃
までの図である。

中国進出のラッシュアワーがやってきた。

鉱山開発、インフラ建設、石油基地など建設分野に中国企業はどっと、う
なるように進出し、おまけに中国人労働者を大量につれてきたため、どの
国でもそうだが、かならずもつれる。

パキスタンは現地雇用が殆どなく、中国からの労働者が囚人であったこと
をパキスタン国会が問題にした。スリランカで、モルディブで現地の雇用
はほとんどなく、不満が爆発して、ときおり反中暴動がおこる。アフリカ
諸国では逆に現地人を奴隷のように酷使するので、これまた反中国暴動が
頻発する。

それでも開発途上国はチャイナマネーが欲しい。中国の投資大歓迎、
AIIB歓迎となって、気が付けは「借金の罠」に陥落していた。

ナゼルバエフは自国のGDPが比較優位にあり資源を武器に外交力も確立
したが、彼はロシアを牽制するために中国の浸透を政治的武器として利用
したのだ。地政学上のパワー・バランスを熟慮すれば、カザフスタンが生
き残る道は、それしかない。周囲をすべて外国に囲まれ海の出口を持たな
い内陸国家の宿命である。

2019年9月10日から3日間、トカエフ新大統領は北京を訪問し、習
近平の出迎えを受けた。中国とカザフスタンは「永久的総合的パートナー
シップ」を声明し、全方位、相互互恵、共同挑戦などの綺麗な語彙を並べ
て、共同で開発に勤しむことなどを内外に鮮明にした。

中国はカザフスタンへ5G,スパコン、ブロックチェーンなどの技術供与、
技術開発援助など、従来のインフラ投資を超えたレベルの投資を約束し、
またシルクロードを「光明之路」などとして、ウィンウィンの関係を強調
した。

この新事態をどう見るか。
 
中国は知的財産権の保護などと、自国が守らない条項も平気で強調した
が、5G,スパコンなどの技術開発協力は「釣り餌」である。カザフスタン
の優秀な学生達はむしろロシアでの就労機会を模索する。


 ▲「中央アジア」の一帯一路の要

カザフスタンへ300億ドルの巨額をぶち込むとアドバルーンをあげた中
国の目的は地政学的に重要な位置を占めるカザフスタンの民衆と、隣接す
る新彊ウィグル自治区のムスリムと連帯させないためだ。

両国の共同宣言には「お互いの核心利益を尊重し、それぞれの分裂活動、
独立運動を支援しない」との文言を挿入している。

実際にカザフスタンにはウィグル暴動の際に夥しいウィグル人が逃げ込ん
でいる。

カザフスタンの85%をしめるカザフ人はイスラム教徒である。東トルキ
スタン独立運動の秘密基地もあり、トルコやドイツにあるウィグル独立運
動の諸団体と連携しているため、中国はSCO(上海協力機構)でテロ対
策を第一義として、各加盟国と情報の交換などをしてきた。

しかしながら世界的に拡がった人道主義に悖る中国のウィグル弾圧批判を
うけて、さすがのカザフスタンも中国への協力に熱心ではない。

またカザフタンが不満を抱くのは環境汚染、貿易不均衡、労働者の移入な
どであり、中国人労働者との賃金格差。加えての中国の領土的野心への警
戒などがあげられる。

上層部は中国歓迎、しかし底辺のカザフ国民は中国への不満を強めている
という構造になっている。

日本とカザフスタンとの関係は良好である。とくにカザフ国民が親日的な
理由はソ連に抑留された多くの日本兵が建設したオペラホウスなどの建物
が、巨大地震にも耐えて健全なこと、トヨタの進出などによって近代化が
進み、またJICAなどの農業支援で、農作物生産が顕著に伸びたことな
どによる。

日本外交はとくに資源外交の展開に力点を置いており、閣僚クラスの往来
も頻繁である。ナゼルバエフ前大統領は五回来日している。

2006年には小泉首相が歴代初の現職総理として公式訪問した。

2015年10月には安倍首相が「中央アジア外交」の核心として公式訪
問し、ナゼルバエフ大学で講演をしたが、ナゼルバエフ大統領も陪席し
た。同大学学長は日本人である。


◆「しょっつる」は苦手?

渡部 亮次郎


「しょっつる」は秋田の冬を代表する名物鍋。標準語でいえば「塩汁」。
秋田弁では「汁」が「つゆ」になり「つる」に訛る。ただし私の生まれた
旧八郎潟沿岸では材料の海魚が獲れないから「しょっつる」は造らない。

だから、おかしな事に秋田生まれの私が「しょっつる」を初めて食べたの
は40歳を過ぎてから、秋田市川反(かわばた)の料亭だった。もう塩辛も食
べられるようになっていたから結構、「美味い」と思った。

「しょっつる」の「汁」だけは瓶詰めで東京・日本橋「三越」でも売って
いて、向島(下町)生まれの家人が好物のようで、冬になると「東京しょっ
つる鍋」を食べる。秋田では名物ハタハタを使うが、無い時は適当な魚を
入れる。

「しょっつる」は秋田の冬の名物、伝統的にはハタハタで作る魚醤。現在
作られている「しょっつる」はハタハタに限らず色々な魚で作られてい
る。ハタハタ料理にも付き物。

一般的にはハタハタもしくはタラと豆腐、長ネギと一緒に鍋で煮る
「しょっつる鍋」が有名。「きりたんぽ鍋」など、他の料理の味付けにも
用いられ、ラーメンのスープに(特に隠し味として)使われる場合もある。

創作和食の店ではドレッシングや付けダレなどに混ぜる(いずれも隠し味
として)などの工夫も見られる。

しょっつる=魚醤は魚を塩とともに漬け込み、自己消化、好気性細菌の働
きで発酵させて出た液体成分が魚醤。黄褐色〜赤褐色、暗褐色の液体である。

熟成により、特有の香りまたは臭気を持つが、魚の動物性タンパク質が分
解されてできたアミノ酸と魚肉に含まれる核酸を豊富に含むため、濃厚な
うま味を有しており、料理に塩味を加えるとともに、うま味を加える働き
が強い。また、ミネラル、ビタミンも含んでいる。

日本では、近代的な食生活において、塩分濃度が高く風味が独特な魚醤
は、醤油やうま味調味料の普及により一般家庭での使用は減っているが、
いくつかの地方には魚醤を用いる文化が残っており、郷土料理などに利用
されている。

主なものでは、秋田で「しょっつる」(塩汁)のほか、能登で「いしる」
(魚汁)、香川で「いかなご醤油」が製造され、地元を中心に使用されて
いる。この他1990年代後半ころから伝統的製法とは異なる製法が開発さ
れ、商品が製造販売されている。

そのひとつに「ほっけ醤油」がある。北海道・寿都(すっつ)町 北海道
日本海、寿都名産のほっけを塩漬けにし、じっくり自然発酵させた天然発
酵・本醸造の調味料(魚醤)。

ほっけ醤油「寿都のだし風」は地元商工会・寿都水産加工業組合所属メー
カーで組織する寿都魚醤醸造委員会が立ち上げ、製造販売している。ほっ
け醤油を使った各種一夜干しなども販売。また、伊豆諸島でくさやを製造
する際に用いられるくさや液も魚醤の一種であると考えられる。

アジア、特に東南アジアの沿岸部を中心に、日本、中国なども含め、いく
つかの文化圏で用いられており、特にタイをはじめとする東南アジアで
は、塩を除けば、ほぼ唯一の塩味の調味料で、非常に多くの料理に用いら
れる。また、これらの文化圏の中には、なれずしを作る伝統を残している
地域もある。

東南アジアでは、タイのナンプラー、ベトナムのヌックマム(ニョクマム
とも) が世界的に有名である。他にも、フィリピンのパティス(patis)、
カンボジアのトゥック・トレイ、ラオスのナンパー(nam paa)、ミャン
マーのンガンピャーイェー(ngan-pya-ye)、インドネシアのケチャップ・
イカン (kecap ikan) などがある。中国の広東省やマカオの魚露(ユーロ
ウ)も地元で広く使われている。

これらの言葉はおおむね「魚の水」という意味である。福建省福州で?露
(キエロウ、1文字目は魚編に奇)といい、厦門のケチャップ(鮭汁)の
「鮭」と同じく塩辛を意味する語と、「露」を組み合わせている。


歴史的には、古代ローマにおいてもガルム(ラテン語: garum)と呼ばれ
る魚醤が使われていた。現在でもアンチョビーペーストやサーディンペー
ストがある地帯は、かつてはアンチョビやサーディンの魚醤油が使われて
いた痕跡である。

ケチャップは、トマトから作られるトマトケチャップが有名になっている
が、ケチャップの語源は、福建省や台湾の「鮭汁」 (kechiap) という魚
醤をさす言葉であるとする説が有力である。

もともとの製法は地域によりかなり異なっており、生の魚を塩漬けにした
り、干物にして用いるもの、特定の魚種だけを使う場合や網にかかった魚
をみな使う場合、オキアミなどを原料とする場合がある。

基本的に、用いる魚の種類によって、大きな魚の場合には内臓、頭、ヒレ
などを、アンチョビなど利用価値の低い小型の魚の場合には、丸ごとを用
いる場合が多い。

原則として、魚を大量の塩とともに漬け込み、そのまま数ヶ月以上発酵さ
せる。熟成が進むと、魚の形が崩れ、全体が液化してくる。その液化が進
んだものを、漉して用いる。

熟成の度合いは地域によって異なり、熟成度が少なく、魚の香りの強いも
のから、熟成が進みチーズのような発酵した匂いが中心のものもある。魚
と塩だけで熟成させるものの他に、これに野菜や香草類を加えて味を調え
るものもある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008・11・11


◆桜を見る会の攻防が示す政治の劣化

櫻井よしこ


問題だらけの朝鮮半島、要求する米国、一党独裁の不気味さを偽りの微笑
で隠して膨張する中国。日本はこうした難題に直面している。どれも解決
は容易ではない。そこでいま、一番働かなければならないのが政治家だ。
厳しい国際情勢を理解し、解決策を打ち出し、国益を守り通さずして、政
治家たる意味はない。

にも拘わらず、彼らは一体何をしているのか。日本共産党の田村智子氏が
11月8日の参議院予算委員会で首相主催の「桜を見る会」を取り上げた。
以降、多くの野党は恰(あたか)もこれが日本の最重要問題であるかのよう
に政権を攻め始めた。立憲民主党国会対策委員長、安住淳氏らは「徹底的
に」追及するそうだ。

首相は13日、来年春の会は中止し、招待の基準などを見直すと発表した。
確かに、桜を見る会への招待者は年々ふえており、ここで一旦中止して見
直すのは正しい判断であろう。元民主党衆議院議員で、現在は立憲民主・
国民・社保・無所属フォーラムに属する松原仁氏が批判した。

「我々も枠をもらって招待していましたが、安倍首相の場合、人数が多い
のが際立ちます。事務所が動員をかけたような形になっているのはどう見
てもやりすぎです」

民主党から自民党に移籍した衆議院議員の長島昭久氏はこう見る。

「民主党のとき、我々も全く同じことをしていました。各議員に招待枠が
あって、後援会の人々を招きました。招待客一人一人にどんな功績がある
のか明らかにせよと立憲民主は首相に要求していますが、地域で頑張って
いる方ではあっても特別の功労者ではない人を、私たちも沢山招いた。日
頃お世話になった方たちという意味では支援者の方々です。これは皆、同
じでしょう」

国会で説明すると明言

安住氏らは、安倍後援会は前夜祭を開いたが、1人5000円の参加費は安す
ぎると問題視する。最低「1人1万1000円かかる」と主張し、その差額を首
相側が補填していれば公職選挙法違反だと息巻く。この点についても長島
氏が語った。

「我々がパーティを開くとき、1人2万円の会費で、ホテルに支払う食事代
は精々1人2000〜3000円です。ホテル側にとって、数百人単位のお客が宿
泊し、食事をしてくれるのは大変有難いことで、格安にするのは自然なこ
とでしょう。立憲民主を含めて野党政治家はこのことを十分理解していま
す。にも拘わらず、細かなことに拘り追及し続けるのは、選挙を意識して
いるからです」

立憲民主、国民民主の両党はいまや共産党の支持なしに選挙に打ち勝つの
は難しい。とりわけ、立憲民主の若い政治家達の後援会組織はほとんど無
いに等しく、全国に支援組織を有する共産党の協力なしにはとても選挙を
戦えないとして、長島氏は厳しく分析する。

「旧民主党勢力、とりわけ立憲民主党にとっての共産党は、自民党にとっ
ての公明党よりも重要だと思います」

安倍首相が来春の会の中止と招待基準の見直しを決定しても、野党側は納
得せず、追及チームを11人態勢から3倍規模に拡大した。安住氏の徹底追
及の意向は首相のぶら下がり会見への批判からも読みとれる。「立憲民主
党国会Twitter」の「安住委員長ぶら下がり(総理ぶら下がりの受
け止め)2019年11月15日」から見てみよう。

氏が問題視する総理に対する取材は、15日の昼と夕方の2度、官邸記者ク
ラブの要請で行われた。昼の回で、「国会で説明するか」と問われ、首相
は「国会から求められれば、説明するのは当然です」と答えた。

立ち去りかけた首相に、記者が「集中審議に応じるか」との質問を放っ
た。それで首相は記者達の所に戻り、「当然です」と答えている。

求められれば必ず国会で説明すると明言したのだ。野党が論難する逃げの
姿勢ではない。

夕方、前述したように記者クラブ側の要請で首相は再び対応した。21分間
続いた説明は、「異例の長さ」と報じられた。この場で首相は前夜祭など
の費用は全て参加者の自己負担だったことなどを説明している。質問が途
絶えたとき「何か、ご質問どうぞ」と促してもいる。

さらに14〜15の質問の後、「本日時間がない中ということで、後日会見を
開く予定はあるか」と問われた。それに対して首相は「もし質問されるの
であれば、今、質問された方がよいと思いますよ」と答えた。

「改めて……」と記者が口ごもりながら重ねて問うと、首相は「改めて会見
ということであれば、今質問して下さい」と促した。

安住氏こそ記者を侮辱

昼の短いぶら下がりでは不十分だったとして記者クラブ側が要求し、夕方
に2度目の取材となった経緯を考えれば、夕方の時間までに、否、それ以
前から記者たちは調査し、質問を準備したはずだ。だからこそ首相は、い
ま聞いてくれれば答えますと言っている。首相は答えようとしていたので
あり、そこには他意も悪意もない。だが、安住氏はこのやりとりを以下の
ように批判した。

「大変驚きました。(略)失礼ですけど、総理番の記者のところに、突
然、準備のない記者さんに対して『私の言うことを聞け、私に質問し
ろ』っていう態度は(略)メディアの皆さんに対する冒涜でもあるしね」

どのような思考回路でこんな解釈になるのか。氏は前後の状況を知らずに
発言したのだろうか。繰り返すが、夕方の会見は記者側がもっと問いたい
として要求したものだ。当然、質問は準備されていた。首相は誠実に答え
こそすれ、「私の言うことを聞け」などという態度で臨んではいない。メ
ディアを冒涜してもいない。

安住氏の言う「準備のない記者さん」も事実ではない。記者達はこれまた
前述したが、準備していた。安住氏こそ記者を侮辱している。

安住氏はほかにも官邸の記者について次のように語っている。

「何もそういう準備をしていない、総理番の若い記者さんのところに突然
総理が降りてきて」「何にも知らない記者の前に来て」「何も基礎知識を
持っていない記者さんの前に突然来られて」「余りこのことに基礎知識の
ない記者さんたちを前に」と、延々と繰り返したのである。

官邸詰めの記者達も随分と軽く見られたものだ。立憲民主のたかだか一政
治家にここまで見下されて口惜しくないのか。政治の中枢を取材する記者
らが憤らないとしたら、これまた、なんと誇りなきことか。

日本は本当に多くの深刻な問題を抱えている。政治家なら、桜を見る会の
在り方は見直すとして、日本の運命を左右するより大きな課題に命懸けで
取り組むことだ。その心構えも発想もない野党政治家の存在の余りの無意
味さに、私は戦慄する。

『週刊新潮』 2019年11月21日号日本ルネッサンス 第877回

◆認知症には「散歩」が効果

向市 眞知


以前、住友病院神経内科先生の「認知症」の講演を聴きに行きました。その時、「こんな症状があったら要注意!」という話から始まり、下記の11の指摘がありました。

1、同じことを何度も言ったり聞いたりする
2、ものの名前が出てこない
3、置き忘れやしまい忘れが目立つ
4、時間、日付、場所の感覚が不確かになった
5、病院からもらった薬の管理ができなくなった

6、以前はあった関心や興味が失われた
7、水道の蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ
8、財布を盗まれたといって騒ぐ
9、複雑なテレビドラマの内容が理解できない
10、計算のまちがいが多くなった
11、ささいなことで怒りっぽくなった

「これらがいくつかあったり、半年以上続いている時は、専門病院へ行きましょう」といわれました。

私自身、同じことを言ったり、物の名前が出てこなかったり、置き忘れやささいな事で怒りっぽくなったなあと思い当たるフシがいくつもありました。専門診療の対象といわれてしまうと本当にショックです。

「認知症」というと周りの人に迷惑をかけてしまう問題行動がクローズアップして、その印象が強いのですが、新しいことが覚えられない記憶障害もそうです。また、やる気がおこらない意欲の低下もそうですし、ものごとを考える思考力や判断する力、そして手順よくし処理する実行力の低下も「認知症」の症状です。

「認知症高齢者」のかた自身の不安は、時間や場所がわからなくなったり、体験そのものを忘れていく中で暮らしているのですから、自分以外の外界のすべてが不安要因になってしまうのです。

ご本人は真剣に外界を理解しようとしているのですが、家族は「ボケ」「痴呆」ということばの印象から、「認知症だからわからないだろう、理解できないだろう」と思い込んでいる例が多くみられます。
 
診察室でなんとご本人を目の前にして「認知症高齢者」の失態を平気でドクターに訴えたり、「母さんがボケてしまって」とはばかりもなく言ってしまったりします。

その瞬間に、ご本人はその家族に対してまた不安をつのらせてしまいます。また話を向けられたドクターも、ご本人を前にしてウンウンとうなづくべきか、ほんとうは困っているのです。

うなづけば家族は安心しますが、ご本人はドクターへの信頼感をなくしてしまいます。

よく「まだらボケ」とか言いますが、「正気の時もあるからやっかいだ」と表現されるご家族もあります。しかしそれは逆で、やっかいと考えるのではなく正気の部分があるのならその正気の部分を生かして日常生活を維持するようにしむけてみませんか。
 
「認知症」があっても、くりかえし続けている一定の日常生活はできるはずです。老年期以前の過去の生活を思い出させてあげると、高齢者は自分の価値を再発見し、意欲も湧いてくるとききました。

高齢者にとって脳機能の低下だけではなく、視覚や聴覚、味覚や嗅覚などの感覚もおとろえてきていることを理解してあげてください。

すべてを「認知症」の一言でかたづけてしまわないで下さい。見えやすくする、聞こえやすくするというような場面の工夫で問題行動が小さくなることもあります。
 
「認知症だからわからないだろう」と思い込むのは大まちがいです。「言ってもしかたない」と決めつけるのは悪循環です。「認知症」の方の感じる外界への不安を考えると、情報が遮断されると余計に不安が大きくなります。

どしどし情報を与えることが不安の軽減につながります。そのために外出しましょう。

「認知症」には「散歩」の効果があります。外界の空気は聴覚、視覚、嗅覚への刺激になり、脳の活性化につながります。
                       医療ソーシャルワーカー

2019年11月28日

◆親中派大物議員の何君堯が落選

宮崎 正弘


令和元年(2019)11月26日(火曜日)通巻6286号 <前日発行>

親中派大物議員の何君堯が落選。「こんなことありか?」
  香港区議選、およそ85%が民主系。ランドスライドが起きた

11月24日、一切の暴力的衝突がなく、催涙ガスもゴム弾も火焔瓶の嵐
もなく、しかも香港は快晴。早朝から投票所には長い列が出来たが、投票
率が71・2%と史上空前の記録を更新した。およそ294万人が投票所
に足を運んだことになる。

結果はどうだったか。香港のヤングパワーが山を動かしていた。中国をの
ぞく世界のメディアが祝福ムードの報道をした。

親中派の大物、何君堯(現職立法委員)がよもやの落選。屯門地区は中国
大陸系や、地元ヤクザの支配する地区であり、まさか。「こんなことあり
か」と選挙事務所。

とくに何君堯が恨まれたのは7月21日の民主派襲撃(元朗駅)のヤクザ
の黒幕とされ、また民主の壁(レノンウォール)のビラを剥がし、街を綺
麗にしようという「清掃運動「の先頭にも立ってきた。このため選挙開始
直後に「お前はクズだ」と言われて反政府の男性からナイフで斬りつけら
れた。

屯門周辺は親中派が多い選挙区だが、現職の区議会議長も落選した。

沙田地区では民陣の責任者、今子木が当選した。かれはLGBT支持者で
もあり、2回、親中派ギャングに襲撃されて負傷していた。おなじく民陣
女性闘士の黄文萱も当選した。

日本でも知られる雨傘革命の指導者・黄之峰は立候補を拒否されたため、
代理人を立てた。その代理人である林浩波は早々と当選した。

香港時間午前7時時点で、民主派が獲得議席は288議席。対する親中派
は42議席。無所属が24名。80以上の民主派の勝利というランドスラ
イドが起きた。
  
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読者の声 どくしゃのこえ READESRS‘ OPINIONS 読
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(読者の声1)韓国はどこへ向かうのか。本気で北朝鮮との連邦国家を目
指すのか。北朝鮮もまた南北統一を目指して核武装までしている。この同
床異夢の中文政権は朝鮮半島を錯乱しているだけか。又韓国の経済は大丈
夫か 等気になる事山積です。
今回講演は李相哲先生です。事前申し込み下さい。
弘志会 幹事 福井成範  fukuima@tree.odn.ne.jp
                 TEL090-3090-5452
           記 
1.日時:令和元年11月30日(土) 15:30〜17:30
2.内容:1530〜1700 講演 :龍谷大学教授 李相哲 先生
   「朝鮮半島問題と文在寅政権」
     1700〜1730  質疑応答
1800〜(1830)1930  懇親会(近傍居酒屋)
3.場所:サムティフェイム新大阪4F 「4FーG」会議室 
  TEL:06(6885)9000     〒543-0021 大阪市淀川区西中島
6-5-3(JR「新大阪」駅より徒歩9分、地下鉄御堂筋線「西中島南方」駅
より徒歩4分。

地下鉄御堂筋線「新大阪」より徒歩6分、阪急京都線「南方」駅より徒歩5分
4.会費:講演のみは1,500円 懇親会参加者は4,500円(但し不足分カ
ンパ要請)
学生は無料
5.主催: 弘志会 (幹事福井成範  fukuima@tree.odn.ne.jp
          TEL090-3090-5452