2019年11月21日

◆「痰の話」で思い出す支那

石岡 荘十(ジャーナリスト)


‘35京都で生まれ、そのすぐ後から敗戦2年後まで中国(当時は支那)に
留め置かれた。幼い頃の記憶はもちろんないが、物心ついて以降、見聞
きしたかの国の“文化”といまの日本のギャップを、本メルマガの反響
欄が思い起こさせた。 

幼い頃の記憶はこうだ。

その1。

夏の日、父の仕事が休みのある日、「支那人と犬入るべからず」という
立て札が入り口にある公園に家族そろって出かけ、公園の中の、支那人
以外のためのプールで家族で泳ぐ。ある日、帰りに天津市内でも最高級
の中華料理店でそろって子豚の丸焼きを食った。

糞をしたくなって、用を足そうと便所へ行くと便器のはるか暗い、深い
底にうごめく動物がいて、驚いて下を見ると、数匹の豚が新鮮な私の排
泄物をむさぼっていた。今思えばここでは完璧な“食の循環”が実現し
ている。

だが、これで私は完全に食欲を失った。これがトラウマになって、決し
て宗教上の理由ではなく、長い間、私はブタが食えなかった。

その2。

小学校の同級生に、当時の天津領事の息子(小山田あきら?)がいて、
放課後、いつも領事館へ遊びにいっていた。ほとんどは広大な領事公邸
の中で遊んでいたが、ある日、門の外に来る物売りの声に誘われて外に
出た。

天秤にかけた台に切り分けた瓜が載っていた。それが喰いたくて「どれ
がうまい?」と私たちに付き添ってきた領事館の守衛に聞いた。守衛は
「ツエーガ(これだよ)」と指差したのは、ハエが一番多く群がってい
る瓜だった。

“動物学的”に言ってそれはそうだろうと納得したのはずっと後のこと
だが、ハエがたかっているのは汚いという考え方は彼らにはないらしい。

いつだったか大分昔、多分、日中国交回復の頃、「中国にいまや1匹の
ハエもいなくなった」という提灯記事をどこかの新聞で読んだ記憶があ
るが、決して信じなかった。私の幼い頃の確かな記憶が記事のウソを見
破った。

その3。

父が勤めていた会社の管理職住宅は鉄筋コンクリートの一戸建ての“豪
邸”で、玄関を入ったところに、日本流で言うと、女中部屋があった。
女は阿媽(アマ)と私たちが呼んでいた纏足の小柄な女だったが、時々、
旦那が小さな女の子を連れて泊まりに来ていた。

女中部屋は6畳ほどの小さな部屋だったが、遊びに行くと、部屋の隅に
花瓶のような形の壷が置いてあって、そこに時々、「ペッ」と痰を吐く、
というか飛ばす。

それがまた結構遠くから正確に痰壷のど真ん中に命中するのを、何の不
思議もなく見ていたのを思い出した。ホールインワンどころではない。
アルバトロス級である。北京オリンピックで「痰飛投」などという種目
が出来たら間違いなく金だろう。

人前での屁は慎むが、食事中、げっぷは割と平気でやる。屁は平気だけ
ど、げっぷは禁忌という国もあると聞く。生活習慣がそんなに違う民が
十数億人もすぐそこにいる。

痰。さてどうするか。

話題はそれますが、昭和18・9年当時、幼馴染の父、小山田天津領事
とその家族の消息を知りたいと思っています。その頃、いつもアイスキ
ャンディーを作ってくれた、髪の長い、美しいお姉さまがいました。確
か、「たえ」さんでした。


2019年11月20日

◆雀庵の「怒涛の進撃!台湾コレラ・マラリア連合軍」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/53(2019/11/16】若い頃、レンタカーで米国中
西部と南部を巡った。当時、日本人にとって米国は加州など西海岸と、NY
など東海岸であり、それ以外はほとんど“未開地”だった。米国への旅行者
を増やすためには“未開地”をまずは旅行会社にシツコク紹介すべしと、米
国商務省や州観光局、受け入れ旅行会社、ホテル、航空会社などが力を入
れ始めていた。

時は建国200年(1976)の「バイセンテニアル」の熱気が続いており、旅
行業界では「ディスカバー・アメリカ」キャンペーンの動きが始まりそう
な雰囲気があった。

そうした追い風の中で小生らは日本人にアピールしそうな地、施設を取
材して回ったのだ。その時に「アメリカにはキャンピングカー(アルミ合
金製の巨大なエアストリーム)がずいぶん多いなあ」と気づいた。エアス
トリームを住宅として使う人も多く、気候に合わせて全米を移住する人も
珍しくない。

キャンピングカー専用地は電機、上下水道、ガスなどのインフラが整備
され、車のホースをガチャンと繋げば快適に暮らせる仕組みになってい
る。専用地以外でも発電機や水のタンクがあれば暮らせるから、荒野など
で野趣に富んだ生活も楽しめる。

自然災害の多い日本でもエアストリームは役に立つのではないか。小人
数なら住宅の代わりになる。避難は楽だ。

普通の家でも、土台の上に耐震板を置き、その上に家を建てる。耐震板
は地面から3メートル(1F分)、4つほどの非常用電動ジャッキで上げ下げ
できる仕組みにし、大雨、氾濫が危惧されそうなときは上げておく。

この設備は3階建て4LDKの戸建て住宅なら1000万円ほどの追加費用で可能
だろう(半分は公的資金補助を!)。

このところわが街では世代替わりによる建て直しが盛んだが、ヘーベル
ハウスが目立つ。ヘーベルハウスは何十年も前から人気だが、東日本大震
災のときの津波か数年前の大洪水で流されなかった映像は注目を浴びたろう。

クライアントの課長が、「今、ヘーベルハウスで建て替えしているんだ
けれど、やたらと基礎が大きいのよ。職人に聞いたら、標準より1ミリで
も小さいとダメだし食らうから、大きめに造るんだとさ。大き過ぎればハ
ツリで削ればいいんで、強度は高いから問題なしだって」と言っていた。

ヘーベルハウス(など頑丈系住宅)+洪水対震ジャッキで、おおよその
自然災害はクリアできるのではないか。天空をたえず支え続けるアトラス
(タイタン族の勇者)に因んで「アトラス工法」として業界全体で開発し
たらいい。アトラスは子沢山だったから繁栄の象徴でもあるね。縁起がいい。

天空を支えながら50億年、雨が降ろうが地震だろうが立ちっぱなし、立
位専門、倒れない、流されない、つぶされない! 「雨が多い日でも安
心、ヘベラナイハウス」ってコピーどうよ。

ジャダレを言っている場合じゃないな、香港はこのままだと第2の天安門
事件になる。習近平を引き吊り降ろさないと大虐殺は免れまい。日米加英
豪乳印+台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどが台湾海峡、東
シナ海、南シナ海に艦船を遊弋させて警戒威嚇しないと、マオイスト習近
平は暴れだす。

上海閥と共青団派は国内でマオイスト習に圧力をかけ、足を引っ張らな
ければ、核戦争も起こりかねない。何しろ毛沢東は「人民の半分が死んだ
ところで問題ない、まだ3億も残っている」と豪語して並み居るワルを震
え上がらせた殺人鬼だ。大躍進で5000万、文革で1億を殺してもヘッチャラ。

習近平は文革で父とともにひどい目に遭い、姉は自殺したのに、「オ
ラ、第二の毛沢東になるだ!」と決心し、糟糠の妻を捨てアイドルと再婚
する、綱紀粛正の名のもとに他派閥を粛正する、同志である支配階級の資
産を防衛するために人為的に不動産価格を高値で維持する、民営企業を国
有化する、結局は「死屍累々、それでも問題ない、まだ7億も残ってい
る」という、毛沢東並の巨悪、骨の髄からマオイストなのだ。

毛沢東にはそれなりの戦略、理論、哲学、知性、悪知恵があった。習近
平はその“真似っ子”に過ぎない。わけのわからん貧困層(習の紅衛兵予備
軍)は習大人を拝んでいるが、ある程度の教育を受けた人民は腹の底では
バカにしている。

上海閥と共青団派は経済力をつけて緩やかに資本主義市場経済の国へと
軟着陸したい。習近平は先祖返りで国有企業中心の「大習帝国」皇帝を夢
見ている。

この狂気のマオイストの悪夢を内から崩すのが上海閥と共青団派の歴史
的使命だ。反中共連合戦線同志諸君の任務は鉄のカーテンで習近平版「紅
衛兵」の軍事的経済的海空域進出を阻むことである。内圧と外圧で習近平
一派を駆逐する、芋づる式に北、ロシアを封鎖し、やがて解放する、それ
なくして21世紀の人類の安寧はない。

帝国陸海空軍は今こそ「前へ!」、八紘一宇の世界を目指して立ち上が
るべし! お、お、俺も連れてってくれえ!

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、行く手を阻むコレラ、さらにマラリ
アも参戦するという熱帯病地獄に! 明治28年7月下旬にはコレラで兵力
は半分以下になり、自身も罹患した石光の手記「城下の人」から。

<「中尉殿、しっかりして下さい。弱いことを言ってはいけません。必
ず、必ず井手口が治して差し上げます」と寝台に縋りついて肛門を押さえ
たまま泣き出した。

私の顔の肉も落ちたが、看病する井手口の方が、もっと、もっと、痩せ衰
えてしまった。「中尉殿、もう少しの辛抱です。我慢なさって下さい」

私は何も食べられなかった。井手口もまた何も食べなかった。

「中尉殿、もう峠は越えました。3日目です。元気を出してください。
中尉殿・・・」

井手口は私の耳元で泣き笑いしながら言った。こうして、不思議にも私は
生き返ったのである。

こんな治療方法に効果があったのものかどうか、私には判らないが、医
薬品もなくなっていたし、治療の方法もなかったから、窮余の策として、
兵士たちの間で田舎の民間療法でも思い出して、始めたものだと思われる。

いずれにしても私が命拾いしたのは、まったく井手口寅吉のお蔭であっ
た。私は彼にどう感謝してよいか判らない。終始、私と共にあって、私の
影のように働いていた。無事私と共に凱旋したが、それから10年の後、後
備兵として召集されて奉天の戦闘で戦死したと聞いている。


新竹城周辺の敵も、増援部隊を得てようやく掃討することができた。それ
からは、私たちの部隊は師団長の指揮下に入ったから今までの大隊行動と
違って窮屈になった。師団はそこから大行動を起こして南下し、嘉義城を
目指して進撃を開始した。

その頃、病み上がりの私は、今度はマラリアに罹って高熱に苦しみ、文
字通り骨と皮だけの身体になってしまった。また井手口は不眠の介護をし
てくれて快復に向かったが、到底、乗馬する力もなかったので、井手口が
街から驕輿(こし)を調達して来て、これに私を乗せ、兵士たちが代わる
代わる担いで行軍してくれた>

コレラ・・・小生もフィリピン取材で罹患して3・7、21日間隔離された
が、医療の進歩でひどい症状はなかった(会社から「自己責任だ」と始末
書を取られたのは不本意だったが、まあ、過労死なんていう言葉もない時
代だから、とやかく言ってもせんない。汚名は挽回すれば良し、グダグダ
言うのは企業戦士の恥。そういう実にいい時代だった)。WIKIで調べたら――

<コレラは腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下が
る。急速に脱水症状が進み、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚
脱を起こし、死亡する。治療を行わなかった場合の死亡率はアジア型では
75〜80%に及ぶ。コレラ罹患時には脱水のみならず消化管を休めることが
大切なので、先進国医療では絶食・水分経口摂取禁が基本である>

医療方法がない中で従卒、井手口の治療として「湯たんぽで石光の低体
温化を防いだ」「脱水症状を抑えるために物理的に肛門に栓をした」のは
大正解であったわけだ。

予防法も治療法もない長い長い暗黒時代に民間療法として伝えられたも
のだろう。古人の知恵、侮るべからず。

真夜中に稲荷神社の大木に「習近平一党絶滅」と書いた紙を釘打ちし
て、油揚げを捧げ、お百度参りしたら願いは叶うか。不審者としてパクら
れたら「信教の自由だ」と抗議すべきか、「わしゃ、お狐様の言いなすっ
たことをしただけじゃ」ととぼけるか、いずれにしても治療中の身だで、
邪険にはされないだろう。化外の人の特権・・・俺はついに特権階級か!?

発狂亭“秋晴れで気分良し”雀庵の病棟日記から。うん? ブタ箱も老人
仕様を進めている?


【措置入院 精神病棟の日々(170)2017/1/21】産経「留置室バリアフ
リー 警視庁 全国初、高齢化に対応」、「警視庁によると、65歳以上の
留置人は平成19年から増加し、24年以降は高止まりの状態が続いていると
いう。1年間に新たに留置された65歳以上の割合についても、17年は約3%
だったのが、26年は約7%に増えている」。

この病棟の男性患者で小生は最年長で、小生のようなクラッシュ・グラ
ンパ、不逞老人が増えているということ。実に悩ましいことだ。家族や世
間に遠慮して静かに暮らしていかないと害獣として駆除されるだろう。
(つづく)2019/11


◆大嘗祭 〜「安国と知ろしめせ」

伊勢雅臣


1.新嘗(にいなめ)とは「産屋の忌み」

 11月14日(木)・15日(金)にかけて大嘗祭(だいじょうさい)が行われ
た。5月1日に行われた「剣璽等継承の儀」と、10月22日の「即位礼正殿の
儀」によって、天皇の位の継承は済んでいるはずだが、これらに加えて大
嘗祭を行う意味はどこにあるのか? 実はそこに我が国の文化伝統の深い
「根っこ」が秘められている。

 稲の収穫儀礼として毎年、秋に行われるのが、新嘗祭(にいなめさい)で
あり、天皇が即位された最初の年に行われる新嘗祭が、大嘗祭である。こ
の「にいなめ」という不思議な言葉の語源を辿ると、その「根っこ」が見
えてくる。

 工藤隆・大東文化大学名誉教授は『大嘗祭ー天皇制と日本文化の源流』
で、もとは「ニフノイミ」だったのが、「ニフナミ」から「ニヒナメ」と
なった、という説を提示している。それによると「ニフ」とは「産屋」、
「ノイミ」は「の忌(い)み」で、合わせると「産屋の忌み」となる。


■2.「産屋の忌み」

「産屋」というのは、新しく収穫された稲穂は新たに誕生した「稲魂」で
あるという考え方から来る。マレイ半島では、まさにこの「産屋の忌み」
を示す古代の収穫儀礼が伝わっている。

__________
巫女が田に出かけ、前もって定めておいた母穂束から稲魂を収め取る。
「米児」と呼ばれる七本の稲束を魂籠に納める。・・・家では主婦がその
魂籠を迎え、寝室に迎え入れ、枕の用意してある寝具用のござむしろの上
に安置し、規定の呪儀のあとで白布をかぶせておく。
そのあと 主婦は、三日間「産褥(さんじょく) にあるときに守らねばなら
ないのとまったく同じタブー」を厳守する。・・・
一方、田に遺されていた母穂束は最後に主婦によって刈り取られ、家に持
ち帰られる。「稲魂の母」「新しい母」と呼ばれ、子を出産した母として
扱われる。[1, 4102]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 水田耕作は揚子江の中下流で始まったとされている。そこで紀元前
6〜5千年には稲作を始めていたのが長江文明で、漢民族の黄河文明より
古い。しかし、戦闘的な漢民族に追いやられて、中国南部から東南アジア
に移り、一部は台湾から日本にやってきたと考えられている[a]。した
がって、マレー半島と日本列島で類似した農耕儀礼が残っていても不思議
ではない。

 我が国でも古代には、一般民衆の家々で同様の「産屋の忌み」が行われ
ていたようで、『萬葉集』には次のような和歌もある。

__________
誰(たれ)そこの屋(や)の戸押(お)そぶる新嘗(にふなみ)にわが背を遣(や)
りて斉(いは)ふこの戸を
(きょうはニイナメなので私の愛しいあなたを外に出して儀礼を行ってい
ます。それなのに、誰か(あなた)が(まるで訪れてきた神のように)戸を
押して揺らしています。)[1, 1825]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■3.マレイ半島の収穫儀礼と大嘗祭の類似

 マレイ半島の収穫儀礼には「大嘗祭の重要な要素のほとんどすべてが
揃っている」と、工藤教授は指摘する。

__________
「巫女」はサカツコ(酒造児)、「稲魂」は神聖な稲、「稲魂を収め取る」
行事は抜穂、「寝室」は大嘗殿内陣、寝具用のござむしろは白端御帖(し
らべりのおんたたみ)、「白布」は衾(ふすま)、「枕」は坂枕などに対応
する。[1, 4112]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 サカツコは「酒(サカ)の(ツ)童女・巫女(コ)」で、稲から酒を造る未婚
の娘である。大嘗祭では悠紀(ゆき)、主基(すき)両国の現地から占いで選
ばれる。このサカツコが「抜穂」、すなわち育った稲を抜く。そして大嘗
宮に向かう行列においても、神聖な稲の黒木輿(くろきのこし)の前を、白
木輿(しろきこし)に乗って先導する。

 大嘗殿内陣には、敷き布団(白端御帖)、枕(坂枕)、夜着(単、ひとえ)、
掛け布団(衾)と寝具一式が揃っている。これが何を意味するのか、いろい
ろな説がある。しかし、上述のマレイ半島の「米児を寝具用のござむしろ
の上に安置し」という点に引き比べると分かりやすい。稲の新生児を寝か
しておく寝具なのだ。


■4.降臨したニニギノミコトは稲穂の稔りの象徴

 衾は天孫降臨のシーンにも出てくる。天照大神の孫・ニニギノミコトは
生まれたばかりの姿で「真床追衾(まとこおうふすま)」にくるまれて、地
上に送られた。「ニニギ」とは「日本米の原種である古代の赤米が赤らん
で実った姿をいうもの」と、本居宣長は『古事記伝』で解釈した。そこか
ら「ニニギノミコトは稲穂の稔りを象徴する穀童を意味する」とされてい
る。[2, 324]

 マレイ半島の「米児」を寝具に安置するのと、『古事記』で「穀童」が
寝具にくるまって地上に天降るのと、この酷似は偶然ではありえないだろう。

 そもそも、天照大御神が孫のニニギノミコトを降臨させた狙いはどこに
あったのか。天孫降臨が決められた経緯は、「大祓詞(おおはらえのこと
ば)」という祝詞の冒頭にこう語られている。

__________
 八百万(やおよろず)の神等を神(かむ)集(つど)えたまひ、神議(はか)り
に謀(はか)りたまひて、我が皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(と
よあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)を安国(やすくに)と平らけく知ろ
しめせと事依(ことよ)さしまつりき。[2, 553]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち高天原の神々が相談した結果に基づいて天照大神が「我が皇御
孫命」すなわちニニギノミコトに、「豊葦原の瑞穂国」を「安国」、安ら
かな国とするよう治めよ、と委任されたのである。

「豊葦原の瑞穂国」について、皇學館大学・真弓常忠教授はこう語る。

__________
 わが国の古い呼び名を「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)
という。豊かな稲穂の稔りに恵まれた国を意味する。葦の豊かに茂る原は
みずみずしい稲も育つとの経験によった名であるが、必ずしもあるがまま
の姿ではなく、多分に期待と祈りをこめた讃め言葉である。
 日本の神話を記す『古事記』には、天照大御神がはじめて稲を得られた
とき、これこそが天下万民の「食いて活くべきもの」とされて、「斉庭
(ゆにわ)の穂(いなほ、高天原の神聖な稲穂)」を皇孫ニニギノミコトに授
けられて、天降らしめられたと伝える。・・・

 天上の稲を地上に移し替えて、この国を文字通り稲穂の豊かに実る国に
しようというのが、古人の共通の願いであった。[2,328]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 わざわざ赤子を天降りさせたというのは、生まれたばかりの新生児ほど
霊威が強いという古代の信仰によるものらしい。

 新たに収穫された稲穂を嬰児と見立てて、丈夫に育つよう寝床にくるむ
という点では、マレイ半島の古俗も日本神話も共通であるが、日本神話で
はそれを民間習俗に終わらせずに、国家の始原の物語に位置づけている点
が異なる。


■5.前天皇の死と新天皇の誕生

 新しく生まれた稲穂を迎える大嘗祭・新嘗祭も、基本的にはマレイ半島
の古俗と同じ起源を持っているのだろう。ニニギノミコトの降臨にも関係
がありそうだが、実際、どのような儀式が行われるのか。

 大嘗祭では、冬至の頃の一日、夜7〜9時に天皇が悠紀殿に進まれて儀
式を行い、その晩の午前2時からは主基殿で同じ儀式を繰り返す。冬至の
頃に行われる理由を工藤教授はこう説明している。

__________
『日本書紀』によれば、初代神武から持統天皇(41代)までは、前天皇の
死→新天皇の誕生が基本だった。[1, 4426]

大嘗祭当日の行事は、季節の衰弱の秋の部分が前天皇の衰弱および稲の収
穫に対応した午後九時頃からのユキ殿での行事であり、深夜零時前後が冬
の極まりで季節の仮死、すなわち前天皇の死(天皇霊の持続性という視点
からは仮死)また収穫後の稲の仮死を象徴し、
午前二時頃からのスキ殿での行事は季節の復活の春の始まり、新しい稲の
子の誕生、新天皇の誕生を象徴しているとしてよいだろう。[1, 4438]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.天皇の聖なる使命を新たに伝える儀式

 悠紀殿、主基殿での儀式とはどのようなものか。天皇は斎戒沐浴の後、
神に食事を捧げ、御自らも箸をとられる。『国史大事典』の説明を引用す
ると:

__________
陪膳の采女たちが奉仕して、八重畳の東の神座と御座に米と粟の飯・粥に
黒酒(くろき)・白酒(しろき)を中心とした数々の料理の品々の神と天
皇の膳を並べる。天皇は神の食薦(けごも)の上に神饌の品々を十枚の葉
盤(ひらで)に取り分けたものを供え、その神饌の上に神酒をそそぐ。そ
して天皇も箸をとってたべる形をとる。この神事が神饌親供である。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが、悠紀殿の夕御饌(ゆうみけ)、主基殿の朝御饌(あさみけ)と繰り
返される。この儀式はどういう意味を持っているのか? 真弓教授は、こ
う説かれる。

__________
 その稲は、皇祖天照大神より授けられた「斉庭の穂」である。それは皇
祖=日神(ひのかみ)の霊異がこもっている。これをきこしめす(JOG注: お
食べになる)ことは、皇祖の霊威を身に体し、大御神とご一体になられる
ことである。そういう意義をもっておこなわれるのが大嘗祭であり、それ
を年々くり返して霊威の更新をはかられるのが新嘗祭である。[2, 576]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 工藤教授は、西郷信綱・横浜市立大学名誉教授の次の指摘を引用している。

__________
 世々の天皇はみなホノニニギの命であり、新たなホノニニギの命として
初代のホノニニギの命を大嘗宮で再演するのである。つまり、たんに次々
に位を受け継ぐのではなく、高天原直伝の君主として、それぞれ新規に瑞
穂の国に降臨する。[1, 4416]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 つまり、ここでも天皇は代々、ニニギノミコトの生まれ変わりであり、
新しい天皇となられる際に、天照大御神をお迎えして、「安国と平らけく
知ろしめせ」との委任を新たに受けられる。そして、毎年の新嘗祭でもこ
れを繰り返され、この「聖なる使命」を確認されるのである。


■7.国民の幅広い参加

 大嘗祭も新嘗祭も、皇室だけの儀式ではない。国民も様々な形で参加す
る。まず悠紀殿、主基殿で供される神聖なる稲穂をとる田は、亀の甲を焼
いてその亀裂によって神意を判ずることによって選ばれる。概ね悠紀は京
都より東、主基は西国から選ばれる。今回は栃木県と京都府が選ばれた。

 悠紀(ゆき)とは斉酒(ゆき)で、「神聖な酒」の意だとされている。神聖
な米から酒も作るので、こう呼ばれたのだろう。主基(すき)は「次」で第
二の儀式だから、という説もあるが、工藤教授は「サ(神聖な)キ(酒)」が
転じた言葉という説を提唱している。

 両国から提供される米以外に、紀伊国からあわびやさざえ、海藻等6
種、阿波国からあゆ、橘子(たちばなのみ)など12種、淡路国から壺など
容器3種類などが調進される。また神に献上する生糸を作り、服を織るの
は参河国(三河)と阿波国だ。こうした様々な献物を納める行列を迎えるの
が、現在の鹿児島県あたりからやってきた隼人百余人である。

 大嘗祭、新嘗祭は、天皇が天照大御神から授けられた聖なる使命への決
意を新たにする儀式であるが、その儀式を支える多くの民の姿をご覧にな
る事で、その責任の重大さをいよいよ感じとられたであろう。また、民の
方も、この神聖な儀式を支える行為を通じて、天皇の聖なる使命を自分た
ちもお助けしなければ、という思いを新たにしたろう。

 大嘗祭、新嘗祭は、天皇と民が互いに支え合い、助け合う心を新たにす
る、いかにも「和の国」[b]にふさわしい儀式であった。


■8.アニミズム文化圏の中で唯一、近代国家を創り上げた国

 マレイ半島の収穫儀式は、稲の命を人間と同様に見なすアニミズム文化
である。同様のアニミズム文化が長江以南から東南アジアにかけて広く見
られるが、それらの民族は国家を作らなかったか、作っても弱小であっ
た、と工藤教授は指摘する。

「アニミズム系文化には、自然と共に生きる思想と、自然が与えてくれる
恩恵に感謝しながら生きる節度ある欲望の利点がある」[1, 4891]と工藤
教授は指摘するが、その穏やかさのためか、遊牧民族や一神教教徒には敵
(かな)わなかった。長江文明が漢民族に追いやられたり、近代に西洋諸国
の植民地とされたのも、その一例であろう。

 しかし、我が国は、アニミズム文化圏の中で、唯一強力な近代国家を創
り上げた。マレイ半島と同じ収穫儀式を基底としながらも、そこから国家
建設の神話と民の平和を願う国家的理想を生み出した。それを洗練された
伝統儀式として発展させ、1300年以上も継続してきた。大嘗祭で我々が目
にしたのは、そういう奇跡だった。

 自然の命を人間と同様に見なすアニミズム文化は、一神教による近代文
明の自然破壊を転換させる智慧を備えている。また一人ひとりの人間の命
を大切にする思想は、共産主義などの独裁を否定し、国民を大切にする福
祉国家の在り方を指し示す。古代のアニミズム文化を発展させて、唯一近
代国家を創り上げた我が国は、そういう道を世界に指し示す事ができるの
である。

◆習近平の国賓来日を歓迎しない雰囲気が出てきた

宮崎 正弘


令和元年(2019)11月16日(土曜日)通巻第6277号 

習近平の国賓来日を歓迎しない雰囲気がでてきた
中国、先手を打って北大教授を「解放」。人質カードだったことが分かる

ゲーム感覚で言うと、劣勢になると規則違反をやる。

使い果たしたカードを補うには、新カードを突如駆使する。それが日本人
教授を理由もなく拘束し、人質カードとする遣り方だ。
 突然、とてつもないイチャモンをつけて劣勢を恢復する。この遣り方は
山賊、匪賊特有のルール違反。
 
なにしろ法治のない国のトップが香港政庁に対して「法治」を守るために
抗議活動を規制せよと「法治」遵守をいうのだから、あべこべである。

事実上の人質だった北大教授を「解放」して、恩を売るカードを切った。
相手からそれなりの見返りか譲歩を引き出したに違いない。

永田町でも、ようやく中国批判が表面化した。

中国共産党の国民監視、インターネットやツィッターの操作などによっ
て、ウィグル民族の弾圧、チベット問題、そして台湾への軍事的威嚇か
ら、香港への規制強化命令等々。こんな国のトップを日本は「国賓」とし
て招待しようとしているのだから、政財界ならびに外務省において、退潮
気味だった「親中派」の見えないパワーが、日本の指導層に依然として浸
透している事態の深刻さを示す。

もし習近平の国賓来日が実現すれば、つぎに中国が当然のように要求する
のは天皇訪中である。法治を踏みにじる国に、天皇訪中はあってはならな
いことだろう。

       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 いまさら言われなくても天皇は日本の元首である
世界も日本国の元首を天皇と認識しているのだが、なぜ日本人だけが?

  ♪
竹田恒泰『天皇は「元首」である』(産経新聞出版)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

いまさら言われるまでもなく天皇は我が国の元首である。
 
ところが、改めて言わなければならないほどに日本人の歴史認識が劣化し
た。というより無くなったのだ。頭脳は空白、という日本人が増えたからだ。

小泉政権下で皇室典範の議論が起きた時、有識者会議なるものが開かれた
が座長はロボット工学の専門家だった。天皇はロボットなのか、政府の歴
史認識の甘さ、そのいい加減さに立腹した人が多い。

「天皇制打倒」を言ってきた日本共産党が、天皇陛下が詔をもって国会開
会をなされる(憲法第七条二項。天皇の国事行為としての「国会召集」)
に出席しはじめた。

この重要な儀式に従来は欠席してきたのが日本共産党だった。それが出席
するようになった。

いつの間にか「しんぶん赤旗」が元号を用いているのである!

革命的な変化ではないか。ついでにいえば自民党の有志議員が習近平の国
賓来日に疑義を呈しているが、日本共産党は中国共産党の人道に反した政
策を批判し始めている。このことも大いに注目する必要がある。
 
さて先帝のご譲位を、「退位」と書いた日本のメディアが多かったが、ご
譲位と書き直すべきだろうし、そもそも現行憲法は国際法違反であって直
ちに廃棄すべきシロモノでしかなく、皇室典範は宮家がお決めになること
である。

それを政府が決めるなど僭越も甚だしい。

ところが、この枢要且つ重要な議論を忘れ、永田町は本末転倒、枝葉の議
論に熱中している。桜を見る会がどうしたこうしたと幼稚園以下の議論を
展開している様は異様としか言いようがない。
ま、日本の国会議員の教養は、ここまで堕ちているわけで、政治家とはつ
ねに暗殺の危機をかいくぐる命懸けの営為であることを自覚していない。
 したがって、決意のほども熱意も、なにほども国民には伝われない。評
者は、したがって国会中継なる戯言の応酬、戯れには興味がない。
 本書は、明治天皇の玄孫である竹田氏が、譲位、皇位継承、皇族方のご
結婚、天皇陵の考古学的調査など、メディアが垂れ流す表面的な議論では
なく、我が国の歴史の深い淵からのぼってくる霊威に導かれたかのように
正統を希求し、そこからあらゆる問題を言及されるため、説得的であり、
納得できる本である。
            


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ♪♪
三島由紀夫氏追悼 第49回 追悼の集い『憂国忌』
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 三島由紀夫先生の没後49年にあたり、政界、言論界でも「最後の檄
文」の主張にもある憲法改正の方向性が出てきました。5月に新帝が御即
位されて令和の御代となりました。大嘗祭も厳粛に執り行われ、これらの
環境変化に対応した「三島由紀夫の天皇論」をテーマとするシンポジウム
を開催します。
           記
 日時   11 月25 日 (月) 午後6時 (午後5時開場)
 場所   星陵会館大ホ|ル (千代田区永田町二の十六の二)
 資料代  お一人 2千円 
 <
、順不同)プログ(敬称 略
                   総合司会  佐波優子
午後六時  開会の挨拶   三島由紀夫研究会代表幹玉川博己    
               
 シンポジウム  「三島由紀夫の天皇論」
             金子宗徳、荒岩宏奨、藤野博、菅谷誠一郎 
 追悼挨拶    「憲法改正の時が来た」 参議院議員   中西 哲  

午後八時十五分    閉会の辞  全員で「海ゆかば」斉唱    
        (なおプログラムは予告無く変更になることがありま
す。ご了承下さい)
(憂国忌代表発起人)入江隆則、桶谷秀昭、竹本忠雄、富岡幸一郎、中村彰彦
           西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アンディ・チャンのアメリカ通信  アンディ・チャンのアメリカ通信
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
公聴会は一方的な「魔女狩り裁判」を公平に見せかけて国民がテレビで観
戦する「サーカス」となったのである。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

AC通信 No.763 Andy Chang (2019/11/14)
AC論説 No.763 魔女狩りからサーカスへ

11月13日、トランプの弾劾調査はこの日から公聴会となった。公聴会だか
ら公平な裁判になるかと言うとそうでもなく、相変わらず民主党のシフ委
員長が10人ほどの証人喚問を来週の金曜日まで並べている。共和党側の証
人喚問要求は再来週になる。しかも公聴会での諮問時間も公平に両党議員
に分けられるのでなく民主党が先に質問し、共和党側の反対尋問は時間切
れになる可能性もあるという。相変わらずシフ委員長の独裁裁判だ。

元は密告者の告発があったからトランプの弾劾調査が始まったのだ。
ペロシ議長が総会議決を取らずに弾劾調査を始めたのは違法である。シフ
委員長は非公開証言を3週間も続行し、トランプに不利な証言だけを公開
していた。これが違法と言われたのでペロシは「後出しジャンケン」で下
院の票決を取って弾劾調査を正当化しようとした。

そのうちに密告者がバイデンの部下でウクライナの汚職問題について働い
ていたことが明らかになり、密告者は罷免陰謀の片割れだと言われるよう
になった。

つまり弾劾調査は魔女狩りだと言われるようになった。それでシフ委員長
は弾劾調査を非公開から公聴会に変更して不公平な調査を公平に見せるよ
うにした。公聴会は一方的な「魔女狩り裁判」を公平に見せかけて国民が
テレビで観戦する「サーカス」となったのである。

公聴会の初日の証人はシフ委員長が選んだテイラー駐ウクライナ臨時代理
大使と国務院のジョージ・ケント国務次官補代理だった。2人ともトラン
プ大統領に不利な証言をすると思ったが証言の結果は反対となったようだ。

メディアはトランプがバイデンの調査を見返り要求したと証言したと報道
した。実際には共和党議員の反対尋問で2人とも直接経験した証拠がない
ことがハッキリした。この他にもシフ委員長に不利な証拠が出て一日目の
公聴会はシフ委員長の惨敗と言える。


ケント氏は証言で「政敵の調査を外国に要求するのは適当でない」と述べ
た。テイラー大使は冒頭証言で「私は誰の見方でもない。知っていること
だけを証言する」と述べた。ところが共和党議員の反対尋問になったら二
人の証言は誰かからの又聞きや、新聞の報道で知ったことだったので、
「又聞きは証拠ではない」と言われて沈黙する場面が相次いだ。共和党の
ヌーネン副委員長は「どうして民主党が特に選んだ証人はトランプ大統領
に「異見」がありながら証言は又聞きばっかりで証拠にもならない」と述
べた。

ジム・ジョーダン議員が二人に対し、「貴方は大統領に会ったことがあり
ますか?」と聞いたら二人ともノーと答えた。次に「大統領と電話で話し
たことがありますか?」と聞かれ、二人ともノーと答えた。それでジョー
ダン議員が「トランプ大統領が罷免に値する罪を犯したと思う人は手をあ
げて下さい」と言ったら二人とも手を上げなかった。

シフ委員長が選んだトップ証人が「有罪と言えない」と証言したのだ。実
に惨憺たる結果である。

共和党側はハンター・バイデンを喚問することを要求したが、シフ委員長
は断固拒否した。ハンター・バイデンは父親のバイデン副大統領のおかげ
でブリスマの顧問になって毎月5万ドルの月給取りとなったが、その後で
ウクライナの司法が調査を始めたのでバイデン副大統領は米国の援助金10
億ドルを盾にしてショーキン検察官を罷免させたのである。ハンター・バ
イデンを喚問するのは当然だがシフが拒否した。

共和党議員は密告者の証人喚問も要求したが、シフ委員長はこれも拒否し
た。密告者の告発があったからトランプの弾劾調査が始まったのだから密
告者を喚問するのは当然だが、シフ委員長は密告者の名前を秘密にするた
め証人喚問は許可しないという。誰が考えてもわかるように、ある人(馬
の骨)が勝手な告発をしただけで確認も証言も取らずに大統領を罷免でき
るはずがない。

だからジョーダン議員が「名前も知らない人の告発があった。この告発に
ついて本人から証拠も説明も取れず、密告者の名前はシフ委員長一人しか
知らないのは荒唐無稽なことだ」と言ったら、シフ委員長はすかさず「私
は彼の名を知らない」と返事した。こいつは大問題だ。シフは三度目の嘘
を吐いたのだ。

9月に密告者の告発があったからシフ委員長の弾劾調査が始まったのであ
る。その時にシフ委員長は密告者の名前は知らないと公言した。

ところが数日後に密告者がシフ議員の部下に告発を相談したことがわり、
シフ議員はこれを認めて密告者の名は知っていると認めた。

つまりシフは二度ウソを吐いたのである。今回の公聴会でシフ氏は三度目
の嘘、密告者の名は知らないと述べたのである。

シフのウソ発言で今後はシフ委員長と密告者、二人の「宣誓証言」を求め
る方向に進むと見られる。この二人が宣誓して証言台に立つなら弾劾調査
のクライマックスとなに違いない。

魔女狩り裁判は最初は密告者の告発だった。

しかし密告者が弾劾陰謀の片割れとなったので、シフ委員長は密告者を隠
して見返り要求がトランプの罪だと言い出した。

ところが見返り要求は罪にならないことがだんだんハッキリして、月曜日
から民主党議員は「見返り」を「賄賂」と言い換えるようになった。

賄賂とはトランプ大統領がウクライナへの資金援助でバイデン調査を依頼
したというのである。だが見返り要求を賄賂と言い換えても罪にならない
と法学者は一蹴した。

最後に、民主党は強引にトランプ罷免を票決して上院に持ち込むと見られ
る。そして上院はこれを受けて裁判を開始すると言われている。裁判が長
引けば来年一月の民主党の候補者のプライマリー選挙に影響するので民主
党に不利となる。結果はどうなるかわからない。
                アンディ・チャン氏は在米評論家)
  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声   どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ♪
(読者の声1)貴誌前号に香港の多くの大学が軍事要塞となって決戦に備
えているとされましたが、「最後の決戦」となると、人民解放軍が導入さ
れ、第二の天安門事件となる、という意味でしょうか?
 そうなれば、西側は中国制裁に踏み切らざるを得なくなりますね。
  (DE生、多摩市)


(宮崎正弘のコメント)今晩か明晩、大衝突の可能性があります。過去
六ヶ月の香港大乱で暴力のエスカレートは、土曜・日曜に起きています。
学生以外の若者達が合流するからです。

香港政庁は先手をうって「18万公務員のなかで、デモに参加して拘束され
た場合、ただちに停職処分を課す」とアナウンスしています。
 
最後の決戦という意味は、海底トンネルとハイウェイが封鎖され、鉄道が
停まっています。すでにレストランも食糧原材料がなくなり営業ができな
い店が頻出しており、市民生活が物流停止によって支障を来しています。
つまり物理的に、最終段階にあることは明確です。警察としては交通アク
セスの再開と物流再開のため、道路の確保が先決。それが学生との武力衝
突の引き金になるでしょう。

◆大阪にある「自然の滝」

毛馬 一三


大阪のまち中に、自然の「滝」があることを知ってる?と訊いても、多分大方の人は首を傾げるに違いない。ビルの屹立する大都会大阪のまち中で、そんな湧き水が集まり、「滝」となって流れ落ちる光景など想像出来ないからだろう。

紛れも無く私もその一人だった。が、つい先日知人が話の序でに教えてくれた上、そこに案内までしてくれたことがきっかけで、「大阪市内で唯一の滝」の在りかを知ることが出来た。

その「滝」は、大阪市市内の夕陽が丘近郊にあった。「玉出の滝」といった。聖徳太子が建立した四天王寺前の大阪市営地下鉄「夕陽ヶ丘駅」を出て谷町筋から西に向かうと、「天王寺七坂」や「安居神社」、「一心寺」など、寺社や名所が点在する上町台地の歴史のまち、伶人町の中にある。

その天王寺七坂のひとつ、清水坂を登り、細い道を行くと清水寺に着く。本堂の前を抜けて墓地に挟まれた石段にさしかかると、水音がかすかに耳朶を打った。足早にそちらに向かうと、目指す「玉出の滝」に着いた。

「玉出の滝」は、「那智の滝(和歌山)や不動の滝山(岩手)」のように山の頂上から滝壺めがけて怒涛のように流れ落ちる巨大な滝とはスケールが違う。

境内南側の崖から突き出した三つの石造樋から、水道水と同じ程度の量の水がまとまって流れ落ちる、こじまりとした滝だ。

しかし5メートル下の石畳を打つ三筋の水の音は、大きな響きを伴い、その響きは人の心の奥底の隅々にまで行き渡る、いかにも「行場の滝」という感じだ。

知人によると、この「滝」には、落水で修行する常連の人がいるが、新年には滝に打たれて、延命長寿などを祈願する人が訪れるという。

実は、この「玉出の滝」を見た瞬間、京都の清水寺にある「音羽の滝」と瓜二つだと感じた。私の亡くなった母親のいとこの嫁ぎ先が京都清水寺の皿坂にある清水焼の窯元だったので、そこに遊びに行った時見たのが、この「音羽の滝」だった。

案の定、この清水寺は京都の清水寺を、寛永17(1641)年に模して建立した寺で、かつては京の清水にあるような懸造りの舞台も存在していたらしい。

さて、大阪唯一のこの「玉出の滝」は、近くにある四天王寺の金堂の下の清竜池から湧き出る霊水が、ここまで流れてきて滝となっているという言い伝えもあるところから、大阪の歴史の香りと地形の面白さを感じさせてくれる。

余談ながら、この「玉出の滝」の側に、冒頭に記した「安居天神」がある。真田幸村の憤死の跡として知られている神社である。

大阪夏の陣で決戦を挑んだ西軍の真田幸村は、天王寺口(茶臼山付近)に布陣した。徳川方の主力が天王寺方面に進出してくることを予測してのことである。

真田幸村の狙いは、家康の首を取り豊臣家を再興させる戦略だった。真田隊は一丸となって突撃を開始、東軍の先鋒越前軍一万三千を撃破。ついに家康の本陣営に突入。この真田陣の猛攻で、家康の旗本は大混乱に陥り、ついに家康の馬印までが倒されたという。

馬印が倒されたのは、武田信玄に惨敗した三方ヶ原の戦い以来、2度目だった。家康も本気で腹を切ろうとしらしいが、側近に制止され思い止まる。家康が幾多の合戦で切腹の決断を迫られたのは、後にも先にも生涯でこれが2度目である。

だが、真田隊も猛反撃に遭って劣勢となり、今度は家康が、総攻撃を命じた。幸村の要請にも拘らず大阪城からの加勢は現れず、戦場で傷ついた幸村は、ここ「安居天神」の中の樹木に腰を下ろして手当てをしているところを、越前軍の兵に槍で刺され、落命した。

こんな大都会のまちのまん中で、行場ともいうべき市内で唯一の「玉出の滝」が、真田幸村の戦場の近くであったことなどと結びつけて思い馳せていくと、この小さい滝の周辺は見て回るだけでも楽しい歴史が蘇ってくる。(了 再掲)

2019年11月19日

◆嘗てロシアマフィアが資金洗浄に利用した

宮崎 正弘


令和元年(2019)11月17日(日曜日)参 通巻第6280号 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆
嘗てロシアマフィアが資金洗浄に利
用したのはキプロスだった
いまは沿ドニエステルとウクライナ東部にマフィアとFSBのハッカ
ー部隊

ロシアの諜報機関FSB(ロシア連邦保安局)と言えば、米国のFBIの
ような防諜専門ではなく、謀略を展開する秘密組織、前身はなく子も黙る
KGB。あのプーチン大統領の出身母体である。

中国軍のハッカー部隊ほどの規模ではないが、ハッカー専門部隊も持って
いる。

ビットコイン搾取で、ロシアのFSBが関与している疑惑が浮上した。

被害総額4億5000万ドル相当、発覚が遅れたのは「外国」扱いを受ける危
険地域からハッカー部隊がビットコインの取引所を攻撃したからだ。

小誌の2016年8月13日付けで、筆者は次の情勢報告をしている。

(引用開始)「ウクライナばかりか、旧ソ連圏の東欧諸国がプーチンに揺
さぶられている。

まずモルドバである。ルーマニアへの合邦復帰を望むモルドバは国内にロ
シア系の未承認国家「沿ドニエステル共和国」を抱えており、ロシア軍が
駐屯しているため、どうしてもロシアの顔色を窺う。2015年からわず
か一年でモルドバは、行政トップの首相が五人も交代したほどの政局不安
を抱えている(ちなみにロシアはトルコ制裁で農作物の輸入を制限したた
め、この沿ドニエステルからトマトを緊急に輸入していた)。

モルドバの経済沈下の発端は銀行のスキャンダルだった。モルドバの3つ
の銀行が中央銀行によって免許停止処分となった。原因はロシア財閥のマ
ネーロンダリングに手を貸していたという疑惑である。過去五年の間にロ
シア新興財閥はモルドバの銀行を通じて200億ドルを資金洗浄してい
た」(引用止め)。


 ▲モルドバがまた暗転していた。
 
そのモルドバのロシア人居住区は「沿ドニエステル」、事実上の独立国家
である。

ここにロシアのマフィアが蝟集し、ビットコイン取引で合計4億5000万ド
ルが、「蒸発」していた。モルドバ領内に、未承認国家ゆえに国際機関の
監視も行き届かず、沿ドニエステルは無法地帯とも言える。
ここが彼らの活動拠点となる。

馬淵睦夫氏は元ウクライナ兼モルドバ大使である。数年前に、「モルドバ
からウクライナへバスで入ろうと計画しているが、どの道を行ったら良い
か?」と尋ねたことがある。すると「沿ドニエステルを避けるバスルート
がありますよ」と助言を受けた。

モルドバの首都キシニューはこじんまりとまとまって意外に美しい街で公
園が多い。此処へはイスタンブール経由で入国し、3泊した。長距離バス
ターミナルからのオデッサ行きはミニバス、後の座席にはロマ(ジプ
シー)の母子が座り、騒がしかった。地図で見ると短い距離だが、国境の
検問に時間を取られ、六時間ほどかかったような記憶がある。

2016年に大統領選挙へのロシアのネット集団の介入は主にヒラリー陣営を
狙ったが、この作戦の主犯と見なされる「ファンシー・ベア」集団は、東
ウクライナが拠点である。

ウクライナの東部は、ウクライナ中央政府(キエフ)の統治が及んでいない。
 
ベルギーからの冷凍コンテナが英国に陸揚げされ、トラックのなかで、
「中国人」が39名死亡していた事件があった。偽の中国パスポートを保有
していたためだった。その後の調査で、遺体は全てベトナム人だった。


 ▲ベトナム ー 中国 ― ウクライナを結ぶマフィアルートが存在している

なぜこんなことが起きるのか。

ベトナムのマフィアと中国のマフィアが連携し、この闇ルートにウクライ
ナのマフィアが絡んでいるからである。かれらのドル箱となった密航ルー
トもまた、東ウクライナ経由だった。EUへの密入国ルートを利用する犯
罪者集団が、バックにあることが判明している。

嘗てロシアマフィアが資金洗浄に利用したのはキプロスだった。

その一部がマルタへ移動し、そのマルタは中国のマフィアが進出し、魑魅
魍魎の地域となった。そしてドニエステルとウクライナ東部に蝟集したマ
フィアとFSBのハッカー部隊が組んでいたという闇が浮かんだのである。

世界の闇は果てしなく深い。

       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声   どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
(読者の声1)貴誌前号「読者の声」の投稿は印象的でした。即位式、大
嘗祭における雅な音楽は雅楽。そして投書子は、三島由紀夫の『蘭稜王』
を連想するという、当意即妙。そういえば、三島由紀夫追悼会『憂国忌』
は来週ですね。(DF子、千葉)

  ♪
(読者の声2)このところの貴誌の香港情勢分析ですが、ほかの大手メ
ディアがカバーしない詳細にふれていてとても参考になります。

大学が軍事要塞となって、学生が戦闘訓練をしており、「大学は武器庫に
なった」との口実で警官隊が導入され、激しい武力衝突が繰り返され、
まったくカルチェラタンンていどの騒ぎではなくなりましたね。

バルセロナで、チリで、フランスで、デモが大荒れですが、これらは香港
の影響でしょうか。
 
それはともかく中国大陸からの留学生は深センへ逃げ去り、台湾、日本か
らの留学生は帰国、そのうえ台湾は香港学生の編入を認める由です。
 こうなると香港の大学は向こう数ヶ月、授業がないことになり、卒業は
延びるのでしょうか。

昭和44年でしたか、東大入試が中止され、あのときの受験生らは、京都大
学、東北大学や早慶に流れました。香港大学、中文大学という老舗名門校
も、そういう宿命になるのでしょうか。

縁戚の子が香港に留学しているので心配です。(TY生、茨城)


(宮崎正弘のコメント)小生のまわりにも、あの年、東大を受けられな
かった後輩たちがいます。それぞれ京都、東北そして早稲田、慶応へと散
りましたが、ひとり京都大学へ行ったT君は、翌年また東大を受け直して
合格しましたっけ。

◆ある筈ない民主化中国

渡部亮次郎


中国の「漁民」が尖閣諸島に攻めてきて以来「経済の改革があったのだか
ら政治も改革、民主化になぜなら無いのか」と良く質問される。それに対
する私の答えは「カネが溜まっただけ人民に対する統制はきつくなり、比
例して民主化は遠くなります」。

経済の開放(外資導入)と改革はケ小平の若い時からの夢だった。しかし
経済の改革開放をやれば政治の改革開放が不可避であり、それは共産党独
裁の否定に繋がるから古い指導者たちはこぞってケを避けようとした。

ケの三度に及ぶ失脚は、それぞれに理由は別だがそのそこで共通している
のは改革開放思想。「黒猫でも白猫でも鼠を良く捕る猫がいい猫」思想で
ある。

三度目の失脚のときは既に老齢でもあったが、毛沢東がやがて死ねば自分
が天下を取り、改革開放路線を実現する事は夢では無いことを信じて自ら
を鼓舞していた。幸い周恩来の変わらざる支援により命永らえ奇跡の復活
を遂げた時、毛沢東は既にこの世になかった。

田中角栄内閣で締結を公約しながら、田中内閣は勿論、三木内閣でも実現
しなかった日中平和友好条約の締結について中国の動きが俄然、積極的に
なってきたのは、この頃である。

福田内閣で官房長官から外務大臣に横滑りした園田直(すなお)はNHK記
者だった私を秘書官に起用する一方、剣道の弟子で中国で育った民間人を
「使者」として北京にしばしば派遣、旧知の廖承志周辺の動きを探った。

その結果、復活したケ小平が党の主導権をとり経済の改革開放に舵を切り
替えつつあることを確認できた。日中平和友好条約締結への積極姿勢も、
ここに鍵のあることを確認できた。

以後、中国は日本の外資導入を梃子とし、経済の改革開放政策により、今
や日本を抜いて世界第二位の経済大国になありつつある。だからアメリカ
を初めとする西側の政治、経済学者は今度は政治面での民主化を予想した
いところだが、これは絶対望みは無い。

民主化すれば経済原則上、不要な共産党は否定される。彼らは排除され抹
殺されること必定である。彼らが人民にしてきたことを今度はそのまま適
用される。だから中国共産党は政治の民主化は絶対行なわない。

経済の改革開放にとって共産党は邪魔以外の何物でもないから政治に対し
て賄賂で打開する以外に無い。したがって共産党は損じする限り賄賂が自
動的に転がり込む。構造的賄賂の舞い込む天国を
捨てる共産党「皇帝」などいない。民主化は反革命の成就後だ。



◆「中曽根君を除名する!」

渡部亮次郎


河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。
死ぬ2日前(6日)の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、広間のソ
ファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭い
た。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、そ
の隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては
殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで
建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら
「今度、ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。
奴はボクが佐藤君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、
川島(正次郎=副総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行き
たいと言ってきた。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところ
へは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名する
とは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と
目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に
党内世論を操作したのは誰あろう川島と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していた
が,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を
拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派四天
王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と
滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてな
かったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし
記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の
七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするか
らね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起き
られなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、
今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年
67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人
(大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法
蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、NHKテレビで河野
一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の
言葉」として広くこれが信じられてきたが、息子の河野洋平氏によると
「大丈夫だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようと
したのだという。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年
後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を
歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由
民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選
出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので
神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自
由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議員
にして防衛大臣の河野太郎は孫である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元
よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都である・・・
との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成し
た建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例
であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬
で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍
団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川
崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起
こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際
に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日
は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っ
ていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんの
か! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当っ
た」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言ってい
た、終生。2008・07・05


◆中性脂肪が気になる人の食事療法

庄司 哲雄


<中性脂肪とは>

血液中の中性脂肪(トリグリセリドともいう)には二つの由来があり、食事で摂取した脂肪が小腸から吸収され血液中に現われたものと、肝臓で炭水化物から脂肪に作り変えられて血液中に放出されたものがあります。

いずれも、体の組織でエネルギーとして利用されるのですが、血液中の濃度が極端に(1000mg/dL以上)増えすぎますと、急性膵炎を引き起こすことがありますし、それほどでない場合でも(150mg/dL以上)動脈硬化の原因のひとつになります。

<中性脂肪を下げる食事の第一歩>

食事療法の基本は、摂取エネルギーの適正化です。脂肪の摂りすぎのみならず、炭水化物の過剰も中性脂肪を増やしてしまいますので、全てのトータルを適正にする必要があります。
身体活動度にもよりますが、標準体重1Kgあたり25〜30kcal/日程度が適切です。肥満気味の方は少なめにし、減量を目指します。アルコール多飲や運動不足は中性脂肪の大敵です。

<炭水化物と脂肪のどちらをひかえるか>
各人の食習慣により異なる場合がありえますが、炭水化物1グラムで4kcal、脂肪1グラムで9kcalですから、脂肪摂取を控えることが大変効果的です。

<ジアシルグリセロールとは>

少し難しくなりますが、中性脂肪とはグリセロールという物質に脂肪酸が3つ結合した構造(TAG)をしており、いわゆる「油」です。これに対して、脂肪酸が2つだけ結合した油もあり、これをジアシルグリセロール(DAG)といいます。同じような油であっても、小腸で吸収されてからの代謝が異なるため、中性脂肪の値や体脂肪への影響の程度に差があります。

通常の油TAGは、小腸で膵リパーゼという酸素のはたらきで、脂肪酸が2つはずれ、脂肪酸ひとつだけが結合したモノアシルグリセロール(MAG)に分解されます。それぞれは吸収された後、小腸でまた中性脂肪に再合成され、血液中に放出されます。

一方、DAGは中性脂肪へ再合成されにくいため、食後の中性脂肪の上昇が小さく、また体脂肪の蓄積も少ないといわれています。最近、DAGを利用した機能性食品が開発されています。しかし、DAGの取りすぎもカロリー 過剰につながりますので、通常の油TAGとの置き換え程度にすべきでしょう。

<脂質低下作用のある機能性食品>

動物に含まれるステロールという脂質の代表はコレステロールですが、
植物には植物ステロールという脂質が含まれます。これは小腸でのコレステロール吸収を抑制する働きがあります。

<専門医に相談すべき病気>

中性脂肪の増加する病態には、糖尿病やある種のホルモン異常、稀には先天的な代謝障害もありますので、一度は専門の先生にご相談いただくのも大切だと思います。(再掲)
<大阪市立大学大学院代謝内分泌病態内科学  >

2019年11月18日

◆雀庵の「怒涛の進撃!台湾コレラ・マラリア連合軍」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/53(2019/11/16】若い頃、レンタカーで米国中
西部と南部を巡った。当時、日本人にとって米国は加州など西海岸と、NY
など東海岸であり、それ以外はほとんど“未開地”だった。米国への旅行者
を増やすためには“未開地”をまずは旅行会社にシツコク紹介すべしと、米
国商務省や州観光局、受け入れ旅行会社、ホテル、航空会社などが力を入
れ始めていた。

時は建国200年(1976)の「バイセンテニアル」の熱気が続いており、旅
行業界では「ディスカバー・アメリカ」キャンペーンの動きが始まりそう
な雰囲気があった。

そうした追い風の中で小生らは日本人にアピールしそうな地、施設を取
材して回ったのだ。その時に「アメリカにはキャンピングカー(アルミ合
金製の巨大なエアストリーム)がずいぶん多いなあ」と気づいた。エアス
トリームを住宅として使う人も多く、気候に合わせて全米を移住する人も
珍しくない。

キャンピングカー専用地は電機、上下水道、ガスなどのインフラが整備
され、車のホースをガチャンと繋げば快適に暮らせる仕組みになってい
る。専用地以外でも発電機や水のタンクがあれば暮らせるから、荒野など
で野趣に富んだ生活も楽しめる。

自然災害の多い日本でもエアストリームは役に立つのではないか。小人
数なら住宅の代わりになる。避難は楽だ。

普通の家でも、土台の上に耐震板を置き、その上に家を建てる。耐震板
は地面から3メートル(1F分)、4つほどの非常用電動ジャッキで上げ下げ
できる仕組みにし、大雨、氾濫が危惧されそうなときは上げておく。

この設備は3階建て4LDKの戸建て住宅なら1000万円ほどの追加費用で可能
だろう(半分は公的資金補助を!)。

このところわが街では世代替わりによる建て直しが盛んだが、ヘーベル
ハウスが目立つ。ヘーベルハウスは何十年も前から人気だが、東日本大震
災のときの津波か数年前の大洪水で流されなかった映像は注目を浴びたろう。

クライアントの課長が、「今、ヘーベルハウスで建て替えしているんだ
けれど、やたらと基礎が大きいのよ。職人に聞いたら、標準より1ミリで
も小さいとダメだし食らうから、大きめに造るんだとさ。大き過ぎればハ
ツリで削ればいいんで、強度は高いから問題なしだって」と言っていた。

ヘーベルハウス(など頑丈系住宅)+洪水対震ジャッキで、おおよその
自然災害はクリアできるのではないか。天空をたえず支え続けるアトラス
(タイタン族の勇者)に因んで「アトラス工法」として業界全体で開発し
たらいい。アトラスは子沢山だったから繁栄の象徴でもあるね。縁起がいい。

天空を支えながら50億年、雨が降ろうが地震だろうが立ちっぱなし、立
位専門、倒れない、流されない、つぶされない! 「雨が多い日でも安
心、ヘベラナイハウス」ってコピーどうよ。

ジャダレを言っている場合じゃないな、香港はこのままだと第2の天安門
事件になる。習近平を引き吊り降ろさないと大虐殺は免れまい。日米加英
豪乳印+台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどが台湾海峡、東
シナ海、南シナ海に艦船を遊弋させて警戒威嚇しないと、マオイスト習近
平は暴れだす。

上海閥と共青団派は国内でマオイスト習に圧力をかけ、足を引っ張らな
ければ、核戦争も起こりかねない。何しろ毛沢東は「人民の半分が死んだ
ところで問題ない、まだ3億も残っている」と豪語して並み居るワルを震
え上がらせた殺人鬼だ。大躍進で5000万、文革で1億を殺してもヘッチャラ。

習近平は文革で父とともにひどい目に遭い、姉は自殺したのに、「オ
ラ、第二の毛沢東になるだ!」と決心し、糟糠の妻を捨てアイドルと再婚
する、綱紀粛正の名のもとに他派閥を粛正する、同志である支配階級の資
産を防衛するために人為的に不動産価格を高値で維持する、民営企業を国
有化する、結局は「死屍累々、それでも問題ない、まだ7億も残ってい
る」という、毛沢東並の巨悪、骨の髄からマオイストなのだ。

毛沢東にはそれなりの戦略、理論、哲学、知性、悪知恵があった。習近
平はその“真似っ子”に過ぎない。わけのわからん貧困層(習の紅衛兵予備
軍)は習大人を拝んでいるが、ある程度の教育を受けた人民は腹の底では
バカにしている。

上海閥と共青団派は経済力をつけて緩やかに資本主義市場経済の国へと
軟着陸したい。習近平は先祖返りで国有企業中心の「大習帝国」皇帝を夢
見ている。

この狂気のマオイストの悪夢を内から崩すのが上海閥と共青団派の歴史
的使命だ。反中共連合戦線同志諸君の任務は鉄のカーテンで習近平版「紅
衛兵」の軍事的経済的海空域進出を阻むことである。内圧と外圧で習近平
一派を駆逐する、芋づる式に北、ロシアを封鎖し、やがて解放する、それ
なくして21世紀の人類の安寧はない。

帝国陸海空軍は今こそ「前へ!」、八紘一宇の世界を目指して立ち上が
るべし! お、お、俺も連れてってくれえ!

台湾清軍討伐の石光真清らの戦い、行く手を阻むコレラ、さらにマラリ
アも参戦するという熱帯病地獄に! 明治28年7月下旬にはコレラで兵力
は半分以下になり、自身も罹患した石光の手記「城下の人」から。

<「中尉殿、しっかりして下さい。弱いことを言ってはいけません。必
ず、必ず井手口が治して差し上げます」と寝台に縋りついて肛門を押さえ
たまま泣き出した。



私の顔の肉も落ちたが、看病する井手口の方が、もっと、もっと、痩せ衰
えてしまった。「中尉殿、もう少しの辛抱です。我慢なさって下さい」

私は何も食べられなかった。井手口もまた何も食べなかった。

「中尉殿、もう峠は越えました。三日目です。元気を出してください。
中尉殿・・・」

井手口は私の耳元で泣き笑いながら言った。こうして、不思議にも私は
生き返ったのである。

こんな治療方法に効果があったのものかどうか、私には判らないが、医
薬品もなくなっていたし、治療の方法もなかったから、窮余の策として、
兵士たちの間で田舎の民間療法でも思い出して、始めたものだと思われる。

いずれにしても私が命拾いしたのは、まったく井手口寅吉のお蔭であっ
た。私は彼にどう感謝してよいか判らない。終始、私と共にあって、私の
影のように働いていた。無事私と共に凱旋したが、それから十年の後、後
備兵として召集されて奉天の戦闘で戦死したと聞いている。


新竹城周辺の敵も、増援部隊を得てようやく掃討することができた。それ
からは、私たちの部隊は師団長の指揮下に入ったから今までの大隊行動と
違って窮屈になった。師団はそこから大行動を起こして南下し、嘉義城を
目指して進撃を開始した。

その頃、病み上がりの私は、今度はマラリアに罹って高熱に苦しみ、文
字通り骨と皮だけの身体になってしまった。また井手口は不眠の介護をし
てくれて快復に向かったが、到底、乗馬する力もなかったので、井手口が
街から驕輿(こし)を調達して来て、これに私を乗せ、兵士たちが代わる
代わる担いで行軍してくれた>

コレラ・・・小生もフィリピン取材で罹患して3・7、21日間隔離された
が、医療の進歩でひどい症状はなかった(会社から「自己責任だ」と始末
書を取られたのは不本意だったが、まあ、過労死なんていう言葉もない時
代だから、とやかく言ってもせんない。汚名は挽回すれば良し、グダグダ
言うのは企業戦士の恥。そういう実にいい時代だった)。WIKIで調べたら――

<コレラは腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下が
る。急速に脱水症状が進み、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚
脱を起こし、死亡する。治療を行わなかった場合の死亡率はアジア型では
75〜80%に及ぶ。コレラ罹患時には脱水のみならず消化管を休めることが
大切なので、先進国医療では絶食・水分経口摂取禁が基本である>

医療方法がない中で従卒、井手口の治療として「湯たんぽで石光の低体
温化を防いだ」「脱水症状を抑えるために物理的に肛門に栓をした」のは
大正解であったわけだ。

予防法も治療法もない長い長い暗黒時代に民間療法として伝えられたも
のだろう。古人の知恵、侮るべからず。

真夜中に稲荷神社の大木に「習近平一党絶滅」と書いた紙を釘打ちし
て、油揚げを捧げ、お百度参りしたら願いは叶うか。不審者としてパクら
れたら「信教の自由だ」と抗議すべきか、「わしゃ、お狐様の言いなすっ
たことをしただけじゃ」ととぼけるか、いずれにしても治療中の身だで、
邪険にはされないだろう。化外の人の特権・・・俺はついに特権階級か!?

発狂亭“秋晴れで気分良し”雀庵の病棟日記から。うん? ブタ箱も老人仕
様を進めている?


【措置入院 精神病棟の日々(170)2017/1/21】産経「留置室バリアフ
リー 警視庁 全国初、高齢化に対応」、「警視庁によると、65歳以上の
留置人は平成19年から増加し、24年以降は高止まりの状態が続いていると
いう。1年間に新たに留置された65歳以上の割合についても、17年は約3%
だったのが、26年は約7%に増えている」。

この病棟の男性患者で小生は最年長で、小生のようなクラッシュ・グラ
ンパ、不逞老人が増えているということ。実に悩ましいことだ。家族や世
間に遠慮して静かに暮らしていかないと害獣として駆除されるだろう。
(つづく)2019/11