2019年12月03日

◆自由を謳ったチェコの「ビロード革命」

宮崎 正弘


令和元年(2019)11月30日(土曜日)通巻6291号 <前日発行>

 ビロード革命から三十年。チェコにじわり浸透していた中国
自由を謳ったチェコの「ビロード革命」は「レノンの壁」の先駆者だった

 ビートルズの一員だったジョン・レノンが狂信的なファンによって銃撃
され、NYの自宅前で死亡した事件はいまも記憶に生々しい。
当時まだソ連の占領下にあって自由のないチェコの市民らはカレル橋の下
にある壁に自由への希求を落書きした。当局が壁を白く塗ると、翌日には
又「圧政や抑圧に反対するメッセージ」や絵が描かれて「レノンの壁」と
呼ばれ、自由化の象徴となった。

 レノンの壁は香港で再現され、市内の至る所に中国共産党批判、香港政
庁非難、香港警察への罵倒メッセージが書き込まれ、いってみれば香港の
風景になって溶け込んだ。

 そのレノンの壁の走りでもあるチェコ共和国で、中国のファーウェイ、
ZTE排斥の動きが急浮上した。
 チェコは「ビロード革命」のあと、経済の離陸をなによりも優先させ
た。経済的飛躍は瞠目するべきほどで、現在チェコの一人当たりのGDP
は22850ドル。従ってOECD入りも早かったが、1999年には
NATO加盟、2004年にはEUに加盟した。残る国家目標はユーロ入
りだが、これには国民の反対が根強く、別れたスロバニアが先にユーロ入
りしてもすこしも慌てない。

 ビロード革命の立役者で詩人のバーツラフ・ハヴェル大統領の人気と知
名度から、日本でもチェコのイメージは良好、日本企業257社が進出
し、累計38億ドルの投資をおこなっている。
 ハヴェル大統領は自由を尊重し、台湾を訪問して、中国の全体主義の脅
威を訴えたものだった。チェコの三つの大学には日本語の講座があり、若
者は漫画、アニメを好む。

 そのチェコで華為技術(ファーウェイ)とZTE(中興通訊)の使用が
禁止される。
「サイバー安全保障上、問題がある」とし、11月17日にチェコ情報当
局は年次報告をまとめて曰く。
「情報の漏洩が著しく、怪しい国の製品には慎重であるべきだ。公務員、
軍人、政府職員などの中国通信機器の使用を禁止する」とした。


▲詩人大統領時代からチェコは自由を尊重し、台湾との関係は東欧一良好

チェコの通信大手「テレフォンカ」はファーウェイと過去十五年、企業提
携をなしてきた。しかし、その共同作業も行き過ぎると安全保障の枠を超
える。
「チェコは主権国家であり、サイバーの安全保障上の懸念があれば、使用
と差し止めるは当然の主権行使」とした。

チェコの情報当局の年次報告書では、嘗てのソ連と同様に中国にそそのか
された代理人たちがチェコの政・財・官界に浸透しており、学会、慈善団
体、メディアにいたるまで中国旅行に招待し、あご足つき。もっとも重視
する外交目標はチェコと台湾との暖かい関係の分断に置かれているとして
いる。
チェコは台湾と外交関係はないものの、バーツラフ・ハヴィル大統領時代
から「自由」が尊重され、台湾への梃子入れが強く、親密か関係という側
面がある。

 しかしチェコ財界は中国の巨額投資に目が眩んでおり、条件が良ければ
チェコ企業の幾つかが標的となって中国資本に買収されていた。「チェコ
はEU諸国への玄関口」でもあり中国の外交戦略上、重要な拠点と位置づ
けられてきた。

チェコのゼマン大統領、バビチェ首相らチェコ政府はファーウェイ排斥に
傾いており、「サイバーの安全保障上の懸念が大きい」との理由があげた。
チェコ最大の通信企業テレフォンかとファーウゼイは十五年に亘って共同
事業を展開してきただけに、驚きを隠せない。在プラハの中国大使館は直
ちに抗議したが、チェコ政府の意思は固いようだ。

チェコのバーツラフ・ハヴィル初代大統領は劇作家、詩人、何回も投獄さ
れながら不屈の闘志で自由への讃仰を謳った。チェコ自由化の原点とも言
える「77憲章」の起草者であり、中国のノーベル平和賞、劉暁波の
「08憲章」に甚大な影響を与えた。ハヴェルの名前を冠してプラハ国際
空港はいまハヴェル空港と呼ばれる。
      
 
 書評しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 すぐに読んだ宮崎正弘氏の新作
  香港情勢をリアルタイムで解析、明快な論理と現場感覚と
  ♪
宮崎正弘『チャイナチ(CHINAZI)崩れゆく独裁国家中国』(徳間書店)
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                        評 奥山篤信

 アマゾンより配達あり、むさぶるように一気に読了した。僕の持論だ
が、書き手の賢さを判断するのは、その著書を流れるように読む視線とス
ピードがそのまま一致することが判断の基準だ。
えてしてカッコつけた学者や先生方の本は、論旨が明確でわかりやすくな
いので1行1行読者の読むスピードを途切れさせてしまうのだ。頭脳明晰な
著者は、難しい事柄をわかりやすく明快に書き綴るのだ。宮崎先生を尊敬
するのはメルマガにせよ著書にせよ、抵抗なく読破できるところだ。
前置きはそれぐらいにして、11月27日、ルピオ上院議員が上程した法案が
下院・上院で共和党・民主党の一致にて(ここが国家の危機をもたらす決
議は国論が一致する日本と異なるアメリカの偉大さだ)可決し、大統領の
思惑はあったのだろうが、無事署名して香港人権法案が可決した、
まさにその日に宮崎先生の本を読めたことは感慨深い、しかも原稿と出版
日が通常時間的ラグがあるのに、先生の香港への危険を厭わない<決死
行>(頭でっかちの保守論壇と異なり、先生は走りながら現地ルポを通じ
て書く目の当たりにする迫力があるのだ)もあり、まさにこの本は今そこ
にある危機を臨場感を持って、数分の誤差もなく書かれている点が素晴ら
しいのだ!
ところで<チャイナチ CHAINAZI>とは宮崎さんが香港で目撃し、その写
真をテレビ番組で発表したら視聴者から驚きの声があがったそうだ。もち
ろんシナの帝国主義独裁国家をあの犯罪国家ナチスになぞられた言葉だ。
センスがあるとしか言いようがない!要は優れた評論家とはその直感とセ
ンスなのだ!
本書では香港の問題、さらには台湾の問題、さらにアジア諸国へのシナの
浸透とその茶番劇、さらにはファーウエイ問題から将来を支配する先端技
術のシナ対アメリカ・日本の死闘などまで書かれている。これほどコンパ
クトにリアルタイムで香港問題などを一冊で読める本はないだろう。
それもくだらない学者や似非保守主義者の寄せ集め記事のようなものでは
なく、緻密な資料精査と実体験を通じての<ど迫力>の流れるような素晴
らしい筆致だ。市井の物書きの僕も学ぶところが大である。
結論からいえば宮崎先生の先見の明、予測、それはシナの崩壊への道だ。
<盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、鴨長明>
これは歴史の真実だ。
余談だが、あのフランシス法王の馬鹿げた日本での言動、何一つ心に刺さ
るものはない偽善と欺瞞であり(上智大学で偽善を悪として述べたがご自
分がその権化だろうが?)、挙げ句の果ては帰路の機内にて<長崎はキリ
スト教徒の街だ> さらにシナに触れて<シナが大好きだ。シナに行きた
い>などと馬脚を現し、シナに対して宗教家としてダライ・ラマのような
(シナを後継者決定に関与させない)毅然たるシナ支配を排除する意気込
みなど全くない、
まさに信者集めのためにシナ共産党とタグを組み御用教会を認知して、本
物の地下教会を切り捨てる節操のなさ、まさに偽善以外何の存在価値もな
いバチカンも2000年を経てシナと無理心中するような予感がしてならない
のだ。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 1992回】             
――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(10)
上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

    △
 「惡臭」を我慢していればこそ、やがて芝居は佳境に差し掛かり、舞台
の上には必ずや夢幻の世界が立ち現われ、至福の一刻がやってくる。加え
て芝居を軸に動く村人の生活に接することが出来たものを――実に惜しいこ
とをしたと思う。

 やがて6月20日、「重なれる山々の彼方に萍郷炭坑の煤烟を望む。濛々
として?空を焦がす煙筒の烟、無刺戟に眠りし如き我が胸を衝いて動揺せ
しむ」。萍郷から爪先上がりの山峡の道を「十五支里」ほど進むと、漢治
萍公司が経営する安源炭鉱に至る。「從業員五千人、一日の出炭量約二千
屯乃至三千屯なり。塊炭は其儘に輸出し、粉炭は骸炭の製造に用ふ」。

 上塚が安源炭鉱を訪れた3年後の1922年、毛沢東は劉少奇、李立三、夫
人の楊開慧らと共に同地で大ストライキを指導している。中国共産党正統
史観に基づくなら、毛沢東が指導した正統労働運動の発祥地ということに
なるわけだが・・・。

 6月23日、湘潭の街に上陸する。宿を求めて「凡そ十二三ケ所も尋ね」
たが、「悉く『没有房子』を以て拒絶せられ」たという。致し方なく知事
に依頼しようと知事公署に向かったところ、「途上白旗を掲ざせる小學生
の一隊に會ふ。旗面文字あり『日貨抵制』と。即ち日貨排斥のデモンスツ
レーションなり。宿を求めて斷はられし理由茲に於てか分明す」。

 宿の提供を承知した後、知事からは「學生講演團の排日演説あり、民心
稍昂奮の状態にあれば、無智なる者如何なる無禮を爲すやも計り難し、翼
(「冀」の間違いか)くば暫く市の調査を中止せられ度し、若し強て外出
せらるゝとせば、人の目に立たぬ樣」に行動せよとの忠告があった。

 湘潭は毛沢東の生まれ故郷である。1893年生まれだから、上塚が湘潭を
歩いた大正8(1919)年には26歳になっていた。北京で共産主義の洗礼を
受け、五四運動に刺激され湖南で新民学会を組織し、愛国運動を展開して
いる。

 毛沢東の生涯を詳細に綴った『毛沢東年譜 一八九三――一九四九 上
巻』(中共中央文献研究室編 中央文献出版社 1993年)の1919年6月の
項に、「6月 毛沢東は湖南学生聯合会幹部と夏季休暇を利用し青年・学
生を組織し、都市や農村、駅、埠頭に派遣し、愛国反日宣伝を行った」と
記される。ここで妄想を逞しくするなら、上塚が湘潭の街で出くわした排
日の動きは、毛沢東の指導によってなされたものかもしれない。

 24日、上塚は湘潭城外の総商会を訪ねる会長に面会するが、「應對無
愛想を極む」。転じて日本人経営の日清汽船会社に向かうが、「事務員は
支那人のみにて質問に對する答辯は一として要領を得ず」。次いで訪れた
中国人経営の船会社では、「經理先生冷かなる事水の如し。已ぬる哉已ぬ
る哉。今や日本人の立場悉く非なり」。

 「今日湘潭に於ける市民の態度は、少なからず我が感觸を害せり。此の
状態を以てしては如何に努力するも遂に所期の収穫を得る事不可能なり」
と慨嘆する上塚は、湖南省の霊峰で知られる「南嶽衝山の絶嶺に衣を振
ひ、此の鬱屈せる氣を晴らさん哉」と、知事に衝山行きを掛け合うのだ
が、「知事應ぜず頻りに其の危險を云々して思ひ止らく事を請ふ」。だが
上塚の執拗な申し出に遂には折れた。

 衝山県行きの汽船に乗り込むが、「船には北兵萬載して足の踏み入る
べき餘地もなし。無智可憐の兵は民衆に對して極めて暴慢なり。我等は房
艙(一等)の切符を所持し居れども既に北兵に占領せられて、如何に立退
きを迫るも應ぜず。止む無く事務長に五弗を追贈して、辛じて機關室の側
に一房艙を得たり」。

 6月29日、湖南省の省都である長沙到着。「久振りにて、殷賑の街路に
心躍るを覺ゆ」と記すが、激しい排日運動に迎えられた。
さて毛沢東が指導していたのだろうか。
          
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 読者の声どくしゃのこえREADERS‘ OPINIONS 読者声
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(読者の声1)貴誌6289号にあった書評のエミン・ユルマズ『米中新
冷戦のはざまで日本経済は必ず浮上する』に関してですが、いかに「日本
の株式市場に大相場がやってきて、株価は向こう40年で30万円になると世
紀の大予言」とは言っても、やっぱり噴飯ものでは。
日本のGDPは過去二十年以上も停滞しており、人口が減っていますよ。
(OECD生)。

(宮崎正弘のコメント)かれの言い分はコンドラチェフの波のように長期
間の波動論に似ていますが、40年から42年間のスパンで株価を読むと
そういう強気の予測が出来るという所論で、ま、参考意見の一つとして認
識すれば良いのでは、と思います

◆安珍・清姫伝説で有名な「道成寺」(御坊市)

                           石田 岳彦  弁護士


長い階段を数えながら登ると確かに62段でした。上りつめたところには仁王門があり、当然のことながら仁王さんが立っています。門をくぐって左側には金属製の手水鉢が置かれていました。
 
小学校の音楽の時間に教わった童謡「道成寺」にある「62段の階(きざはし)をあがりつめたら仁王さん 左は唐銅(からかね)手水鉢」との歌詞は事実でした。しばしば追憶と感傷にふけります。

安珍・清姫伝説で有名な道成寺です。

大阪からJRの特急で御坊駅まで。そこから普通電車に乗り換え(本数が少ないので、時間的余裕と人数に応じてタクシーを利用するのがよいかと思います)、1駅行くと道成寺駅です。

改札を通り、踏切を渡って、駐車場と土産物屋(兼食堂)に挟まれた短い参道を通り抜けると冒頭の階段へ至ります。

62段の階段を登りつめ、仁王門をくぐると、正面に本堂、その右側(東側)には三重塔。いずれも江戸時代の建物で、相応に貫禄があります。

もっとも私の(おそらく、ほとんどの参拝客の)お目当ては、境内西側にある鉄筋コンクリート製の宝仏殿・縁起堂の中で待っています。

宝仏殿・縁起堂は1つ繋がりの建物で、仁王門から見て、手前の、入り口のある建物が縁起堂、奥が宝仏殿です。

縁起堂では、和尚さんが絵巻物(のコピー)を拡げ、安珍・清姫伝説についてユーモアを交えながら、絵解き説法をしてくださいます。説法は頻繁に繰返し行われるので、そう待たされることはないでしょう。

次に述べるように、安珍と清姫の伝説は、事件それ自体は極めて陰惨で後味の悪いものですが、和尚さんの語りのお蔭で、全く暗くなりません(それはそれで問題な気もしますが)。

時は平安時代前期の醍醐天皇の御世。安珍という若い僧侶が、熊野三山の巡礼のために奥州から紀伊の国にやってきました。

ところが、道中、安珍が土地の有力者の屋敷に泊まった際、その屋敷の娘である清姫は安珍に惚れてしまい、還俗して自分と結婚してくれるよう強く迫ってきたのです。

結果から見ると、ここで安珍はきっぱりと断るべきだったのでしょうが、清姫の執拗な懇願を拒絶し切れず、結局、巡礼を終えたら帰り道にまた清姫に会いに来ると嘘をつき、屋敷を後にしました。

その後、清姫は首を長くして安珍を待ちますが、約束の日になっても安珍は訪れません。清姫は屋敷を抜け出し、安珍を探し出しましたが、安珍は人違いだと嘘をつき、清姫を相手にしようとしません。

これも結果論ですが、安珍はここできちんとした謝罪のうえ、清姫と一緒になるなり、きっぱりと拒絶するべきだったのでしょう。清姫は悲しみの余り、半狂乱になってしまい、やがて蛇の化け物になり、安珍を猛追します。

安珍は死に物狂いで逃げ、道成寺に逃げ込み、寺の僧侶らに事情を話しました。僧侶らは鐘楼に吊ってあった梵鐘を下ろし、その中に安珍を隠しますが、清姫の化けた大蛇は梵鐘に撒きつき、火を噴いて安珍を焼き殺してしまい、自身は入水自殺してしまいました。お終い(実際の説法では、この後、夫婦円満その他の在り難い和尚さんのお話が続きます。)。

この事件は、記録(?)に残っている限り、日本で最古・・・かは知りませんが(未遂でよければ、イザナギ、イザナミの黄泉比良坂の件が最古の事例として挙げられそうです)、おそらく最も有名なストーカー殺人事件でしょう。

歌舞伎、謡曲等、様々な芝居の題材になっていて、道成寺ものというジャンルを形成しており、縁起堂にも様々な道成寺もののポスターが張っていました。

和尚さんの絵解き説法を聴き終えたら奥の宝仏殿に進みます。

道成寺の創建には複数の伝承があり、時期についてもはっきりしないそうですが、遅くとも奈良時代前半には建立されていて、古い寺宝・仏像も少なからず残っています。

その中で最も有名で、かつ特筆するべきものは、やはり国宝に指定されている平安時代の千手観音立像・伝日光菩薩立像、伝月光菩薩立像の仏像3体でしょうか。

肉付きのよい、がっしりとした体躯の堂々たるお姿です(ご多聞にもれず、写真撮影禁止なので残念ながら画像はありません。)。ここで、あれっと思われた方もいるかも知れません。

というのも、日光菩薩、月光菩薩は本来、薬師如来の左右を守る脇侍であり、他の如来や菩薩につくことは基本的に無く、また、千手観音は単体で祀られることがほとんどで、脇侍がつくことは、まず無いからです。
   
そういうこともあり、実のところ、この3体が1つのセットとして作成されたものか否かについては確証がなく、争いがあるとのことでした。

ちなみに奈良市の東大寺の法華堂では、千手観音ではありませんが、不空羂索観音と日光菩薩・月光菩薩という組み合わせが見られます。

こちらについては、日光菩薩と月光菩薩が後になってから余所のお堂より移されてきたのではないかとの説が有力なのだそうです。

大阪からはやや遠いですが、早起きをすれば余裕をもって日帰りできるはずです。白浜温泉への行き帰りに途中下車をして立ち寄るのもよいかもしれません。 再掲

2019年12月02日

◆改憲 待ちぼうけでいいのか

阿比留瑠比

【阿比留瑠比の極言御免】改憲 待ちぼうけでいいのか 令和元年
(2019)11月29日

憲法改正を待ち望み自民党に期待した人々の率直な心境を、代弁してい
るかのようだった。憲法改正論議の促進を求める有識者による「憲法を国
民の手に! 言論人フォーラム」が27日に開いた記者会見で、百地章・国
士舘大特任教授が述べた次の言葉である。

「与党の態度に対しては非常に不満がある。与野党の合意が一つの慣行
だったかもしれないが、憲法審査会にも参加せず、審査会開催そのものに
反対する人たちがいる。そういう人たちとどうやって合意を作るのか。作
れるはずがない」

また、ジャーナリストの櫻井よし子氏も訴えた。

「(立憲民主党などは)国民投票法改正になぜ反対するのか。国会議員と
して(国民投票の権利を有する)国民主権を阻害するものだろう」

同感である。今国会も、憲法改正手続きを公職選挙法に合わせる国民投票
法改正案の成立は極めて困難となった。安部晋三首相が周囲に語るように
「来年の通常国会では必ずやる」つもりかもしれない。国会運営上、今回
は無理する必要はないとの判断もあったのだろう。

時間切れを狙う野党

だが、現在、これまで憲法改正に向けた取り組みを行ってきた諸団体や
保守系の各層から、「自民党は本気でやる気があるのか」との疑問が出て
いるのも事実である。筆者自身は、安倍首相の改憲に対する覚悟を感じて
いるが、少なくない改憲派から「待ち疲れた」との声も聞かされている。

百地氏が指摘する通り、野党の多くは憲法を改正すること自体したくない
ので遅滞戦術による時間切れを狙っている。この点については、いわゆる
改憲派とは言い難い毎日新聞も28日付朝刊で「時間稼ぎ」と明確に書いて
いた。誰の目にも明らかなことではないか。

「国民からみても、何をしているんだこの国会はと(映る)。今国会で国
民投票法改正案が仕上がらなければ、衆院解散を打ってでも国民に信を問
う必要があるのではないか」

日本維新の会の遠藤敬国対委員長は22日、記者団にこう述べた。

一方、日本の将来像に直結する憲法論議より、「桜を見る会」の招待者名
簿の破棄に使われた大型シュレッダーを視察する「シュレッダーを見る
会」の方が国会やメディアをにぎわすような現状では、日本のお先は真っ
暗だとすら思える。

いなすばかりの与党

憲法だけではない。貿易問題のみならず人権問題も重要な課題として浮
上した米中問題、核・ミサイル開発を継続する北朝鮮情勢、日米貿易交渉
の今後の行方・・・と、国会で議論を深めるべき課題は数多い。にもかか
わらず、野党は醜聞探しだけに躍起で、与党もそれを適当にいなすことに
安住しているように見える。

産経新聞は38年前の昭和56年元日の「主張」(社説)で、すでにこう訴え
ていた。

「まず日本国民の国防意識を高めることである。そのためにいまわれわれ
がなすべきことは何か。(中略)9条を改正し、自衛隊を憲法の条文上、
明確に認知することである。このことこそ、現下の緊急にして最重要の政
治案件である」

「憲法改正なくして日本の戦後は終わらない。(中略)国際情勢の変転の
中で、私はいまこの言葉を改めてかみしめている」

三歩進んで二歩さがることは政治手法としてあり得るが、同じところでい
くら足踏みを続けても、前進することはあり得ない。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

◆【変見自在】忠実な犬

高山 正之
 

先日の朝日新聞に「核」取材班記者の田井中某がローマ法王の来日につ
いての解説を書いていた。

ちょっと惹かれた。

ずいぶん前に「百円ラーメンが消える」という朝日の広島県版のトップ記
事が話題になった。

広島大学近くに老夫婦が経営する百円ラーメン屋があった。繁盛していた。

ところが3%の消費税が決まって材料費が値上がりし、もう百円では無理
になった。値上げしたら贔屓にしている学生さんに申し訳ないから店を閉
めることにしたというお話。

竹下登の消費税が弱者の善意をもろに打ち砕いた。タイムリーな記事だっ
たから読者が閉じる前に行きたい、何か援助できればと反応の輪が広がった。

支局長も、いい話だ続編を書けと言った。記者はもじもじして「実はあの
記事は作りもの。ラーメン屋の幟も自分で作って写真を撮った」と自供した。

一部捏造どころか記事すべてがインチキだった。

朝日はどうしたか。頬被りしてお詫びも訂正もなし。「記者の処分もなし
で、彼は今、本社に上がって核問題取材班に入り、外国を飛び歩いてい
る」と烏賀陽弘道著『朝日ともあろうものが』にあった。

もしかして件のラーメン記者かと思いつつ読んだ。本人かどうかは分から
なかったが、核廃絶に取り組む法王の訪日の意義を語る記事は、ラーメン
屋報道に似たものを感じた。

例えば「浦上天主堂は原爆で大破した」とある。

天主堂が交通事故に遭った風に書く。

確かに被害は酷かったが、煉瓦造りの正面も外壁もほぼ残っていた。広島
の原爆ドームほどのしっかりした威容だった。

しかしキリスト教国の米国には刺激が強すぎた。米国の強い要求で天主堂
は取り壊された。「大破」はそれを隠す狡い書き方だ。

記事は天主堂ゆかりの永井隆博士の『長崎の鐘』にも触れる。被爆の実態
が克明に綴られていたが「GHQの厳重な検閲の許で出版された。ただ日
本軍のマニラ大虐殺の報告と抱き合わせだった」と書く。

それは嘘だ。GHQは2年も出版させなかった。それを伏せ寧ろ好意的に
出してくれた風に読ませる。

もっと問題なのは抱き合わせたマニラ大虐殺の方だ。

話の出所はGHQ。「昭和20年2月、日本軍がマニラで女を犯しまくり、
市民10万人を殺した」と新聞発表して掲載させた。

これは大嘘だ。日本軍は米軍の総攻撃を前に市内のサントトーマス大に収
容していた欧米民間人3500人を解放した。戦火に巻き込まれないよう
にという日本軍らしい配慮だった。

米軍はその翌日から非白人だけになったマニラ市に徹底した砲爆撃を加
え、多くの市民が死んだ。自分で殺しておいてそれを日本軍のせいにする。

それをはっきり指摘したのはまだまともだったころの朝日だった。GHQ
発表に対し「我が軍はそんなことをしない」「証人を募って検証すべき
だ」と書いた。

GHQは即座に朝日の幹部を呼びつけ廃刊を申し渡した。ここからは邪推
も入るが、GHQは「ただ今後、米国の犬になるなら今回は二日の発行停
止で許そう」と言った。田井中はそれを今も忠実に守っているつもりなの
だろう。

彼は長崎に原爆を落としたB29ボックスカーを訪ねてオハイオ州の米空軍
博物館に行く。そこに「戦争を終わらせた」いい原爆投下機だとあった。

まだ原爆投下を正当化する米国人がいることに驚いて見せるが、それは余
りにもナイーブだ。

米政府はボックスカーも広島原爆の投下機エノラゲイも終戦後すぐ軍から
除籍し、エノラゲイの方はスミソニアン博物館に譲渡している。

さらには原爆を作ったロスアラモスとハンフォド、オークリッジの施設を
国立公園に指定し、その栄誉を讃えたばかりだ。

法王がどう説教しようとその根性は治らない。

それも分からにで米国を庇う。まだラーメン屋の嘘の方がましに見える。



出典:『週刊新潮』令和元年(2019)12月5日号
【変見自在】忠実な犬者:高山 正之
松本市 久保田 康文さん採録 


   

◆「戦い済んで日が暮れて」

宮崎正弘


令和元年(2019)11月30日(土曜日)弐通巻6292号 

「戦い済んで日が暮れて」。荒土と化しけた香港理工大学は再建6ヶ月
  逮捕者1100名のなかで、学生は46名しかいなかった

 火焔瓶3798本、爆発材料1339個、ガソリン缶が601,弓矢
573本、弓機28,投石機が12機。これらの「武器」が、武闘派が完
全に撤退後の香港理工大学から押収された。

学生食堂も職員室も図書館も、学生ホールも、破壊されていた。

復旧に半年はかかるだろうが、だれが補修予算を支払うのか。授業再開
は早くとも2020年旧正月明けになると大学当局は見積もった。

なかでも注目は香港理工大学の籠城戦は13日間にわたったが、1100
名の逮捕者のうち、当該学生はわずか46名。あとは「外人部隊」だった
事実。しかも18歳以下の若者およそ300名は釈放されたが、ほかの参
加者が他大学の学生なのか、一般市民なのか、それとも地元のヤクザや、
得体の知れない暴動希望者、狼藉大好き人間なのかは識別されていない。

長い裁判がまもなく始まることになり、クラウドファンディングによる資
金集めが活動の中軸に移行するだろう。。
 戦い済んで日が暮れたが、残ったのは夥しい「武器」の残骸だった。

   
(休刊のお知らせ)海外取材旅行のため12月3日から9日まで休刊です
 
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読者の声 どくしゃのこえREADERS‘ OPINIONS読者之声
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(読者の声1)宮崎正弘先生の新刊である、『CHINAZI(チャイナ
チ) 崩れゆく独裁国家・中国』(徳間書店)を早速購入し、いま半分ま
で読みましたが、いやぁ、面白いうえに迫力満点、そして悲壮なのです。
現場に立っているような描写ですね。

香港がなぜあれほどの大火的悲劇に見舞われたのか、その原因から現況ま
でがパノラマ的に把握できる。そのうえ、予測がシナリオ的に並んでいま
すが、民主化運動の胴元でもある『リンゴ日報』CEOのジミー・ライに
インタビューもされた経験があり、なにしろ宮崎先生は現場の場数を踏ま
れているから、なんだか香港の街の風景を見ているようでもありました。
マタイ伝の福音書「大義のために迫害される人は幸せである。天はかれら
のためにある」との聖書を奉じて若者らの突進があるという精神的な底力
もよく理解できました。残り半分を日曜日に読みます.(GF生、中野区)
  ♪
(読者の声2)先生の新刊『CHINAZI(チャイナチ) 崩れゆく独
裁国家・中国』(徳間書店)を読み終えました。早業なのに、文章に乱れ
がなく全体に整合性もあり、しかも貴著は「香港大乱もの」では一番乗り
です。
 
くわえて感心したのは先生が現地で撮影された写真が多数、挿入されて
おりましたが、日本のテレビの映像にはなかった現場ばかりで、そのうえ
撮影角度も絶好。雰囲気が伝わってきました。(HG生、取手)

(宮崎正弘のコメント)香港へは2回取材に行き、合計600枚ほどカメ
ラに収めましたが、その中から編集部が選んでくれた写真です。合計18
葉、このうち香港の写真が14 葉で、残り4葉は文中に出てくるボルネ
オ、トンガ、パプアニューギニアなどの「一帯一路」の中国関連です。


(読者の声3)トランプ米大統領が突然、アフガニスタンを訪問しまし
た。アフガンのガニ大統領と会談のほか、タリバンをめぐっての停戦に向
けた意欲を示したとされますが、本当の狙いは何でしょうか?  
(JJセブン)

(宮崎正弘のコメント)まだ一万二千の米兵が残留しており、クリント
ン、オバマと民主党がはじめた泥沼に尻ぬぐいをトランプはやらなければ
いけない。

ホンネは撤退ですが、ペンタゴンがこれには強く反対していて、ちゃんと
統幕議長が同席していますね。

狙いは何かといわれても一口で「こうだ!」という結論はだしにくい。
ベトナムから逃げたと同様な結末にするのか、もしそうなれば、アフガン
は中国の傘下に落ちる危険性が残り、イスラム過激派の爆薬倉庫、出撃基
地になります。パキスタンもインドも気が気ではないでしょう。

◆リハビリって、再び生きること

向市 眞知(ソーシャルワーカー)


「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとてもくせものです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利に安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリにのぞみをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者様もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練をさすだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者様、家族様のほうはリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたといっても、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとのもくあみです。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者様に訓練は意味をなしません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者様の協同作業です。療法士さんの訓練の20分が終われば、患者様自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さんまかせにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。

療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなればリハビリを打ち切らざるをえません。

患者様も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていくいきごみが大切です。

2019年12月01日

◆旧アスタナを蔽う中国の影

宮崎 正弘


令和元年(2019)11月27日(水曜日)通巻6288号    

カザフスタンの首都ヌルスルタン(旧アスタナ)を蔽う中国の影
  砂漠のシルクロード拠点、「一帯一路」の要である筈だが。。。。

世界最大の内陸国家(日本の7倍の面積)であるカザフスタンを27年間統
治したのはナゼルバエフ前大統領。先月の「即位の礼」にも、国の顔とし
て出席した。

新大統領のトカエフは副首相時代を含めて2回来日しているが、まだ「国
の顔「として国際的には認知されておらず、相変わらず、ナゼルバエフ前
大統領が活躍している。大統領ポストを降りても、事実上のカザフの顔な
のである。

ヌルスルタン・ナゼルバエフを、国民は「ナゼルカーン」と俗称してきた。

ナゼルバエフは旧ソ連時代の共産党書記。ソ連が崩壊するやまっさきに独
立し、レーニン像をすぐに撤去させた。

円滑に独裁の政治を確立出来たのも、豊富な石油、ガス、稀少金属に恵ま
れるからだ。日本が重視するのも、カザフスタンのウランとレアアースで
ある。

ナゼルバエフは突如、アルマトイからアスタナへ首都を移転した。
(1997年)。
黒川紀章が設計したオアシス都市建設に邁進した。筆者はそれまで首都
だったアルマトイには2回行っているが、緑の美しい都市で、砂漠のオア
シスの典型。鉄道もモスクワと繋がっており、英語の新聞があった。
♪「月の砂漠をはるばると」のシルクロードの浪漫が浮かんでくるような
街づくりだった。

ナゼルバエフは穏健な方法での権力委譲を模索してきた。副官として忠実
に彼に使えたトカエフに大統領ポストを継がせ、政治の裏に徹して国民の
不満を和らげる。しかし、依然としてこの国を統治しているのはナゼルバ
エフ一族であり、資源輸出利権を掌握していると言われる

2019年3月、新都市アスタナを「ヌルスルタン」と改称することになる。
ヌルスルタンは、ナゼルバエフの本名。しかも議会は圧倒的な賛成で、承
認したのだった。

カザフスタンの人口は1860万人。国土が日本の7倍。人口は日本の7
分の1強。


 ▲やっぱり浸透を始めたのはチャイナだった

なぜこの国に国政的な焦点が当たっているのか。
 
旧ソ連の枢要な地位をしめてきたカザフスタンは、深く静かに中国の浸透
ぶりが見られ、それがプーチンの神経に障っている。カザフスタンの人口
の15%はロシア人である。
 
旧宗主国ソ連の中核ロシアの顔色を見ながら、中国は最初にカザフスタン
と鉄道を繋ぎ、中国企業がそろりそろりと進出していたのが2000年頃
までの図である。

中国進出のラッシュアワーがやってきた。

鉱山開発、インフラ建設、石油基地など建設分野に中国企業はどっと、う
なるように進出し、おまけに中国人労働者を大量につれてきたため、どの
国でもそうだが、かならずもつれる。

パキスタンは現地雇用が殆どなく、中国からの労働者が囚人であったこと
をパキスタン国会が問題にした。スリランカで、モルディブで現地の雇用
はほとんどなく、不満が爆発して、ときおり反中暴動がおこる。アフリカ
諸国では逆に現地人を奴隷のように酷使するので、これまた反中国暴動が
頻発する。

それでも開発途上国はチャイナマネーが欲しい。中国の投資大歓迎、
AIIB歓迎となって、気が付けは「借金の罠」に陥落していた。

ナゼルバエフは自国のGDPが比較優位にあり資源を武器に外交力も確立
したが、彼はロシアを牽制するために中国の浸透を政治的武器として利用
したのだ。地政学上のパワー・バランスを熟慮すれば、カザフスタンが生
き残る道は、それしかない。周囲をすべて外国に囲まれ海の出口を持たな
い内陸国家の宿命である。

2019年9月10日から3日間、トカエフ新大統領は北京を訪問し、習
近平の出迎えを受けた。中国とカザフスタンは「永久的総合的パートナー
シップ」を声明し、全方位、相互互恵、共同挑戦などの綺麗な語彙を並べ
て、共同で開発に勤しむことなどを内外に鮮明にした。

中国はカザフスタンへ5G,スパコン、ブロックチェーンなどの技術供与、
技術開発援助など、従来のインフラ投資を超えたレベルの投資を約束し、
またシルクロードを「光明之路」などとして、ウィンウィンの関係を強調
した。

この新事態をどう見るか。
 
中国は知的財産権の保護などと、自国が守らない条項も平気で強調した
が、5G,スパコンなどの技術開発協力は「釣り餌」である。カザフスタン
の優秀な学生達はむしろロシアでの就労機会を模索する。


 ▲「中央アジア」の一帯一路の要

カザフスタンへ300億ドルの巨額をぶち込むとアドバルーンをあげた中
国の目的は地政学的に重要な位置を占めるカザフスタンの民衆と、隣接す
る新彊ウィグル自治区のムスリムと連帯させないためだ。

両国の共同宣言には「お互いの核心利益を尊重し、それぞれの分裂活動、
独立運動を支援しない」との文言を挿入している。

実際にカザフスタンにはウィグル暴動の際に夥しいウィグル人が逃げ込ん
でいる。

カザフスタンの85%をしめるカザフ人はイスラム教徒である。東トルキ
スタン独立運動の秘密基地もあり、トルコやドイツにあるウィグル独立運
動の諸団体と連携しているため、中国はSCO(上海協力機構)でテロ対
策を第一義として、各加盟国と情報の交換などをしてきた。

しかしながら世界的に拡がった人道主義に悖る中国のウィグル弾圧批判を
うけて、さすがのカザフスタンも中国への協力に熱心ではない。

またカザフタンが不満を抱くのは環境汚染、貿易不均衡、労働者の移入な
どであり、中国人労働者との賃金格差。加えての中国の領土的野心への警
戒などがあげられる。

上層部は中国歓迎、しかし底辺のカザフ国民は中国への不満を強めている
という構造になっている。

日本とカザフスタンとの関係は良好である。とくにカザフ国民が親日的な
理由はソ連に抑留された多くの日本兵が建設したオペラホウスなどの建物
が、巨大地震にも耐えて健全なこと、トヨタの進出などによって近代化が
進み、またJICAなどの農業支援で、農作物生産が顕著に伸びたことな
どによる。

日本外交はとくに資源外交の展開に力点を置いており、閣僚クラスの往来
も頻繁である。ナゼルバエフ前大統領は五回来日している。

2006年には小泉首相が歴代初の現職総理として公式訪問した。

2015年10月には安倍首相が「中央アジア外交」の核心として公式訪
問し、ナゼルバエフ大学で講演をしたが、ナゼルバエフ大統領も陪席し
た。同大学学長は日本人である。


◆「中曽根君を除名する!」

渡部亮次郎


河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。
死ぬ2日前(6日)の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、広間のソ
ファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭い
た。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、そ
の隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては
殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで
建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら
「今度、ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。
奴はボクが佐藤君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、
川島(正次郎=副総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行き
たいと言ってきた。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところ
へは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名する
とは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と
目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に
党内世論を操作したのは誰あろう川島と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していた
が,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を
拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派四天
王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と
滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてな
かったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし
記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の
七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするか
らね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起き
られなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、
今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年
67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人
(大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法
蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、NHKテレビで河野
一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の
言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平氏によると「大丈夫
だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだ
という。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年
後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を
歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由
民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選
出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので
神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自
由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議
員、防衛大臣河野太郎は孫である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元
よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都でる・・・
との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成し
た建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例
であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬
で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍
団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川
崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起
こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際
に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日
は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っ
ていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんの
か! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当っ
た」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言ってい
た、終生。2008・07・05

追記:中曽根さんは11月29日逝去された。享年101.

◆桜を見る会の攻防が示す政治の劣化

櫻井よしこ


問題だらけの朝鮮半島、要求する米国、一党独裁の不気味さを偽りの微笑
で隠して膨張する中国。日本はこうした難題に直面している。どれも解決
は容易ではない。そこでいま、一番働かなければならないのが政治家だ。
厳しい国際情勢を理解し、解決策を打ち出し、国益を守り通さずして、政
治家たる意味はない。

にも拘わらず、彼らは一体何をしているのか。日本共産党の田村智子氏が
11月8日の参議院予算委員会で首相主催の「桜を見る会」を取り上げた。
以降、多くの野党は恰(あたか)もこれが日本の最重要問題であるかのよう
に政権を攻め始めた。立憲民主党国会対策委員長、安住淳氏らは「徹底的
に」追及するそうだ。

首相は13日、来年春の会は中止し、招待の基準などを見直すと発表した。
確かに、桜を見る会への招待者は年々ふえており、ここで一旦中止して見
直すのは正しい判断であろう。元民主党衆議院議員で、現在は立憲民主・
国民・社保・無所属フォーラムに属する松原仁氏が批判した。

「我々も枠をもらって招待していましたが、安倍首相の場合、人数が多い
のが際立ちます。事務所が動員をかけたような形になっているのはどう見
てもやりすぎです」

民主党から自民党に移籍した衆議院議員の長島昭久氏はこう見る。

「民主党のとき、我々も全く同じことをしていました。各議員に招待枠が
あって、後援会の人々を招きました。招待客一人一人にどんな功績がある
のか明らかにせよと立憲民主は首相に要求していますが、地域で頑張って
いる方ではあっても特別の功労者ではない人を、私たちも沢山招いた。日
頃お世話になった方たちという意味では支援者の方々です。これは皆、同
じでしょう」

国会で説明すると明言

安住氏らは、安倍後援会は前夜祭を開いたが、1人5000円の参加費は安す
ぎると問題視する。最低「1人1万1000円かかる」と主張し、その差額を首
相側が補填していれば公職選挙法違反だと息巻く。この点についても長島
氏が語った。

「我々がパーティを開くとき、1人2万円の会費で、ホテルに支払う食事代
は精々1人2000〜3000円です。ホテル側にとって、数百人単位のお客が宿
泊し、食事をしてくれるのは大変有難いことで、格安にするのは自然なこ
とでしょう。立憲民主を含めて野党政治家はこのことを十分理解していま
す。にも拘わらず、細かなことに拘り追及し続けるのは、選挙を意識して
いるからです」

立憲民主、国民民主の両党はいまや共産党の支持なしに選挙に打ち勝つの
は難しい。とりわけ、立憲民主の若い政治家達の後援会組織はほとんど無
いに等しく、全国に支援組織を有する共産党の協力なしにはとても選挙を
戦えないとして、長島氏は厳しく分析する。

「旧民主党勢力、とりわけ立憲民主党にとっての共産党は、自民党にとっ
ての公明党よりも重要だと思います」

安倍首相が来春の会の中止と招待基準の見直しを決定しても、野党側は納
得せず、追及チームを11人態勢から3倍規模に拡大した。安住氏の徹底追
及の意向は首相のぶら下がり会見への批判からも読みとれる。「立憲民主
党国会Twitter」の「安住委員長ぶら下がり(総理ぶら下がりの受
け止め)2019年11月15日」から見てみよう。

氏が問題視する総理に対する取材は、15日の昼と夕方の2度、官邸記者ク
ラブの要請で行われた。昼の回で、「国会で説明するか」と問われ、首相
は「国会から求められれば、説明するのは当然です」と答えた。

立ち去りかけた首相に、記者が「集中審議に応じるか」との質問を放っ
た。それで首相は記者達の所に戻り、「当然です」と答えている。

求められれば必ず国会で説明すると明言したのだ。野党が論難する逃げの
姿勢ではない。

夕方、前述したように記者クラブ側の要請で首相は再び対応した。21分間
続いた説明は、「異例の長さ」と報じられた。この場で首相は前夜祭など
の費用は全て参加者の自己負担だったことなどを説明している。質問が途
絶えたとき「何か、ご質問どうぞ」と促してもいる。

さらに14〜15の質問の後、「本日時間がない中ということで、後日会見を
開く予定はあるか」と問われた。それに対して首相は「もし質問されるの
であれば、今、質問された方がよいと思いますよ」と答えた。

「改めて……」と記者が口ごもりながら重ねて問うと、首相は「改めて会見
ということであれば、今質問して下さい」と促した。

安住氏こそ記者を侮辱

昼の短いぶら下がりでは不十分だったとして記者クラブ側が要求し、夕方
に2度目の取材となった経緯を考えれば、夕方の時間までに、否、それ以
前から記者たちは調査し、質問を準備したはずだ。だからこそ首相は、い
ま聞いてくれれば答えますと言っている。首相は答えようとしていたので
あり、そこには他意も悪意もない。だが、安住氏はこのやりとりを以下の
ように批判した。

「大変驚きました。(略)失礼ですけど、総理番の記者のところに、突
然、準備のない記者さんに対して『私の言うことを聞け、私に質問し
ろ』っていう態度は(略)メディアの皆さんに対する冒涜でもあるしね」

どのような思考回路でこんな解釈になるのか。氏は前後の状況を知らずに
発言したのだろうか。繰り返すが、夕方の会見は記者側がもっと問いたい
として要求したものだ。当然、質問は準備されていた。首相は誠実に答え
こそすれ、「私の言うことを聞け」などという態度で臨んではいない。メ
ディアを冒涜してもいない。

安住氏の言う「準備のない記者さん」も事実ではない。記者達はこれまた
前述したが、準備していた。安住氏こそ記者を侮辱している。

安住氏はほかにも官邸の記者について次のように語っている。

「何もそういう準備をしていない、総理番の若い記者さんのところに突然
総理が降りてきて」「何にも知らない記者の前に来て」「何も基礎知識を
持っていない記者さんの前に突然来られて」「余りこのことに基礎知識の
ない記者さんたちを前に」と、延々と繰り返したのである。

官邸詰めの記者達も随分と軽く見られたものだ。立憲民主のたかだか一政
治家にここまで見下されて口惜しくないのか。政治の中枢を取材する記者
らが憤らないとしたら、これまた、なんと誇りなきことか。

日本は本当に多くの深刻な問題を抱えている。政治家なら、桜を見る会の
在り方は見直すとして、日本の運命を左右するより大きな課題に命懸けで
取り組むことだ。その心構えも発想もない野党政治家の存在の余りの無意
味さに、私は戦慄する。

『週刊新潮』 2019年11月21日号日本ルネッサンス 第877回

◆今月の法律コラム

                      川原 俊明 弁護士


 「養育費算定表、見直しへ」

 子どもがいる夫婦が離婚する場合には、
 養育費の金額が問題になることがあります。

 養育費については、基本的には「養育費・婚姻費用算定表」として
 裁判所が公表している基準に則って決めています。
 (ただし、この算定表はあくまで目安であり、
 個別具体的な事情によって養育費の金額は異なります。)。
 
 この算定表が見直されることが、
 2019年11月13日までに分かりました。最高裁は、
 新しい算定表を2019年12月23日に公表する予定とのことです。
 
 現行の算定表は、2003年に有志の裁判官により作成したもの
 でしたが、時代の経過に伴い、ひとり親世帯の生活実態に合っていない
 との指摘が出てきたことから、この度見直されることになりました。
 
 新算定表により、養育費がいままでより高額となるケースもあれば、
 変わらないものもあるとみられます。