2019年12月26日

◆中国人医学研修生が生体サンプル

宮崎 正弘 


令和元年(2019)12月24日(火曜日)弐 通巻6319号  

中国人医学研修生が生体サンプルを米国から盗み出そうとしていた
 とんずら寸前にボストン空港でFBIが逮捕。中味は生物化学兵器?

 12月初旬の事件だ。
 ボストンのローガン國際空港で、中国人医学研修生ゼン・ザオソン(音
訳=鄭蔵城)の荷物検査の結果、怪しい生体サンプル21固を発見され、た
だちにFBIが拘束した。
大半が茶色の液体だった。しかも申告されておらず、米国から中国へ運ぼ
うとしていた。FBIの内偵捜査は、ハイテクの企業やシンクタンク、ラ
ボ、そして病院にも向けられている。

 拘束された中国人は29歳。広東省にある孫逸仙大学のエリートとされ、
ボストンのベス・イスラエル病院で研修をうけてきた。
帰国に際して「友人から預かった」として、物質(具体的にそれらが何で
あるかは公表されておらず、病原菌か、新薬研究のための材料か、あるい
は生物化学兵器に転用可能なものかは不明である)をスーツケースに隠し
持っていた。

 FBIは中国人学生、研修生の実態調査に乗り出しており、シリコンバ
レーばかりか、全米の大学ラボ、企業の研究所などに在籍する中国人のな
かでも怪しい人物を特定して内偵を続けているのだ。このため、すでに
3700名から四千名と言われる中国人が、急遽、帰国している事実がある。

 すべてが表面化したのは2018年12月1日、カナダのバンクーバで乗換の
ために立ち寄ったファーウェイ副社長兼CFOの孟晩舟の拘束だった。
米国は直ちに身柄の米国移送を要求した。ところが親中派のトルードー首
相は優柔不断、中国が直ちに釈放せよとの恐喝にふるえ、いまだに裁判を
継続中で、孟晩舟はカナダの豪邸に居座っている。

 そして同じ日にサンフランシスコ郊外で、物理学の天才といわれた張首
晟スタンフォード教授がなぞの自殺を図った。
張教授は、面妖な財団を設立して、ハイテク開発に卓越した人材を集め、
中国へ就労を斡旋する機関の責任者という別の顔があった。
FBIは内偵を続けていたのだ。この自殺は、孟晩舟拘束事件の直後に起
こったため、本当に「自殺」だったのかと今も怪訝な声があがっている。
       
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書BOOKREVIE 
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 蒋介石独裁が徐々に弛緩し、民主化の波が静かに押し寄せていた
  激甚だった李登輝vs国民党幹部との戦いと苦悩を再現する現代史

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浅野和生編『台湾の民主化と政権交代 ──蒋介石から蔡英文まで』(展転社)
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 台湾現代史を活写した歴史参考書。というより分かりやすい現代史である。
 登場人物も日本になじみの深い台湾政治家ばかりか、対応した日本側の
団体、そのときの日本側の政治家と、その人脈が総攬的に登場し、内容は
と言えば、活劇のように政変の裏話が満載である。
 このシリーズはすでに第六弾だが、もっとも身近に現代社会としての台
湾の実相を描き出している。
大袈裟ではなく、この一冊で台湾の戦後史が把握できる上、差し迫った総
統選挙を前に復習のテキストとしても有益である。
 とくに台湾の戦後の民主化がいかにして達成されたか、その民主化の選
挙がいかに行われて、また複数政党制に移行したあとの民進党内の抗争
も、淡々と描く。
 なにより面白いのは第四章の国交断絶以後の日台間系と、日本側の議員
連盟の系譜であり、評者(宮崎)は、一時期この場に居合わせているの
で、登場する人物像を含めて、その流れ、派閥により温度差が再現されて
いると思った(日台間系にもっとも鈍い反応を示したのが田中派だった。
ついで大平派)。
台湾との交流継続を信念を持って展開していたのは旧福田派の面々で、と
りわけ佐藤信二や、玉置和夫、藤尾正行、中川一郎、渡邊美智雄、森嘉
郎、中山正照、浜田幸一らだった。
断交一年後、日本の国会議員団は自民党を軸にチャーター機を飛ばして台
北を訪問した。当該日華議員団は百名近く、評者は随行記者団の幹事をお
おせつかり、記者会見や歓迎会などに出席したものだった。
とくに日程上、数次も懇談の場所があったため上記議員らとはとりわけ親
しくなって、数ヶ月後の「青嵐会」結成では、いちはやく『青嵐会 血判
と憂国の論理』(浪漫)という本まで編集し刊行した。いきなりのベスト
セラーとなった。
 さて蔡英文総統の父親は南部屏東の客家系で、父親の祖父はパイヤン族
である。母方は福建省系である。李登輝元総統も客家系である。
 つまり習近平がいうところの「われわれは血肉でつながった同胞」とい
うのは嘘である。『台湾の多数は大陸の漢人と血が同じではない』のだ
(127p)。
 2018年から国民党が盛り返し、高雄市長選で韓国諭が当選した背景
は民進党の不人気にあったが、それが如何に逆転現象となったのか、また
李登輝時代の野百合運動が原点となった、ひまわり学生運動が勃興し、そ
れを支持する台湾国民が五十万人のデモをおこなった背景に、馬英九とそ
りの合わない国会議長の王金平が国会占拠という学生らの不法行為にもか
かわらず警官を導入しなかった経緯など、知られざるディティールが述べ
られている。
 台湾ファンには必読文献である。
            
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読者の声  どくしゃのこえ  読者之声  ドクシャノコエ
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(読者の声1)1月18日(土)のアジア自由民主連帯協議会講演会のお知
らせです。
テーマ:「令和2(2020)年、アジア民主化の現状と展望」
https://freeasia2011.org/japan/archives/5719
東京でオリンピックが開催される令和2年、安倍首相は、現時点では4月
に習近平主席の国賓待遇での招待を決定しています。ますます国内で民主
化運動や
各民族への弾圧を強め、国際的にも覇権主義を露にしている中国政府の代
表を国賓待遇で招くことは、日本国が国際的に誤ったメッセージを発する
ことになりかねません。しかし同時に、アメリカにおけるウイグル人権法
の制定に象徴されるように、国際社会はアジアの民主化に向けて声を挙げ
つつあります。今年、わが協議会が目標とするアジアの民主化への現状と
展望について、ペマ・ギャルポ会長が講演いたします。どうか多くの皆様
方のご参加をよろしくお願いいたします。


◆日本の出生者数、過去【120年】で最少に

北野幸伯


今回は、出生者数に関する衝撃的なお話です。

内閣府のデータをみてみましょう。

https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/shusshou.html

日本の歴史上、出生数が最高だったのは1947年です。

この年に生まれた子供は、269万人!

第2次ベビーブームの1973年、出生者数は209万人。

この年の出生率は2.14。

以後46年間(!)にわたって、日本の出生者数は、右肩下
がりで減少しつづけています。

そして、今から3年前の2016年、ついに出生者数は100万人
を割り込みました。

この年は、97万6979人です。

100万人割れは1899年以降はじめてということで、大騒ぎ
になりました。

しかし、これは「悲劇のはじまり」に過ぎなかったのです

こちらをごらんください。

19年出生87万人下回る見込み衛藤少子化相「深刻な状態」

共同 12/10(火) 12:45配信

衛藤晟一少子化対策担当相は10日の閣議後記者会見で、
2019年の出生数が87万人を下回る可能性があることを
明らかにした。

1899年の統計開始から初めての90万人割れで、21年と
見込んでいた想定より2年早い。

衛藤氏は「深刻な状態として強く認識している」と述
べた。>

「100万人を割った!」と騒いでいた3年後、今度は90万人
を割る。

2019年の出生者数は、ここ120年間でもっとも少ないのです。


このままいくと、日本の人口、2050年には1億人をわります。
2100人には5000万人を割り、今の韓国レベルになります。

その後も増えていく保証はなく、いったいどこまで減りつ
づけるのか誰にもわからない。

そして、政府は愚かにも「移民で人口を増やそう」と考え
ている。

2100年頃になると、「中国人が日本人より多い」となる可
能性もあります。

その時、ウイグルやチベットの悲劇が繰り返されない保証
はあるでしょうか?


少子化問題は、現状日本最大の問題です。

憲法改正よりも先に取り組んでいただきたい。


ちなみに出生率は政策で増やすことができます。
私が住んでいたロシアの出生率は1999年、1.16でした。

しかし、その後「母親資本」(マテリンスキーカピタル)
制度によって、激増。2015年には、1.75まで増えました。

どうすれば日本の少子化問題は解決できるのか?

at 08:03 | Comment(0) | 北野幸伯

◆中国の印象悪い84.7%

MAG2NEWS編集部

尖閣や人権侵害が原因か?
9月に実施された世論調査で、中国に対して「良い」印象を持っている日
本人が15%しかいないことがわかったと産経新聞、日本経済新聞が報じ
た。これについて中国外交官は「とても低くてショックでした」ともらし
ていたという。低いながらも、中国に「良い」印象を持つ日本人の割合は
4年連続上昇している。


今回の調査結果について、日本のネット上では「15%も良い印象を持って
いることに驚く」「好かれる訳がない」と否定的な意見がある一方で
「ネットとテレビから与えられた情報がない」「交流をもっと進化させな
いと理解は深まらない」と指摘する声も挙がっている。


世論調査に表れた日本人の中国不信 「良い印象」たったの
15%https://t.co/pDgVdZwAkc#中国不信


この世論調査は、「言語NPO」が18歳以上の男女を対象に日中両国で行
なったもの。有効回収標本数は2597だった。中国の印象を「良くない」と
感じている日本人は84.7%と高いままであるが、「良い」印象と答える割
合は、16年の8%、17年の11.5%、18年の13.1%…と、実は4年連続で上昇して
いる。

これには、中国外交官が、両国を「青少年交流推進年」と位置づけて友好
事業に力を入れてきたことが背景にある。来年春に予定されている習近平
国家主席の「国賓」としての訪日を前に、「良い」印象の割合がより伸び
ることを期待していただけに、残念な結果となった。


人権侵害と民族差別についてのイメージが強く残ってしまった他、尖閣諸
島問題なども、要因として考えられる。6日に発表された、内閣府による
世論調査の結果では、日本国民の尖閣諸島への関心が高まったこともわ
かっている。

このような結果になったことについて、外交官は「日本の新聞やメディア
では中国人に対するマイナス報道が多い」と指摘。さらに「メディアには
社会に対する責任があり、中日関係の改善と発展に向けて建設的な役割を
果たしてほしい」と訴えたとのこと。

中国に「良い」印象を持つ日本人の割合が15%と低かったのに対して、日
本に「良い」印象を持つと回答した中国人の割合は45.9%。これは、調査
を始めた2005年以降で最も高い数値であり、両国民の温度差が浮き彫りに
なった。

◆紫式部と蕪村の「和紙」

毛馬 一三

書き出しは、大阪俳人与謝蕪村のことからだ。蕪村(幼名:寅)は、生誕地大阪毛馬村で幼少の頃、母親から手ほどきをうけて高価な「和紙」を使って「絵」を描いて、幼少時期を楽しんでいた。

寅は、庄屋の子供だったから、高価な「和紙」を父から自在に貰って、絵描きに思いのままに使ったらしい。

その幼少の頃の絵心と嗜みが、苦難を乗り越えて江戸に下り、巴人と遭遇してから本格的な俳人となったのも、この幼少の頃「和紙」に挑んだ「絵心」とが結び付いたらしい。

さて、本題―。

高貴な「和紙」の事を知った時、ジャンルは違うが、紫式部が思い切り使って「和紙」を使って「世界最古の長編小説・源氏物語」を書いたことを思い出した。

そのキッカケは、福井県越前市の「和紙の里」を訪ねてからである。

越前市新在家町にある「越前和紙の里・紙の文化会館」と隣接する「卯立の工芸館」、「パピルス館」を回り、越前和紙の歴史を物語る種々の文献や和紙漉き道具の展示、越前和紙歴史を現す模型や実物パネルなどを見て廻った。

中でも「パピルス館」での紙漉きを行い、汗を掻きかき約20分掛けて自作の和紙を仕上げたのは、今でもその時の感動が飛び出してくる。

流し漉きといって、漉舟(水槽)に、水・紙料(原料)・ネリ(トロロアオイ)を入れてよくかき回したあと、漉簀ですくい上げ、両手で上下左右に巧みに動かしていくと、B5くらいの「和紙」が出来上がる。まさにマジックの世界だ。

ところでこの越前和紙だが、今から約1500年前、越前の岡太川の上流に美しい姫が現れ、村人に紙の漉き方を伝授したという謂れがある。

山間で田畑に乏しかった集落の村人にとり、紙漉きを伝授されたことで、村の営みは豊かになり、以後村人はこの姫を「川上御前」と崇め、岡太神社(大瀧神社)の祭神として祀っている。

<その後大化の改新で、徴税のため全国の戸籍簿が作られることとなり、戸籍や税を記入するために必要となったのが「和紙」である。そのために、越前では大量の紙が漉かれ出したという。

加えて仏教の伝来で写経用として和紙の需要は急増し、紙漉きは越前の地に根ざした産業として大きな発展を遂げてきている>。

さて長編小説「源氏物語」の作者紫式部は、執筆に取り掛かる6年前の24歳の時(996年)、「和紙」の里・越前武生に居住することになり、山ほどの「和紙」に囲まれて、存分に文筆活動に励んだ。

当時、都では「和紙」への大量の需要があったらしく、宮廷人も物書きも喉から手が出る程の「和紙」だったが、手には入らなかった。

ではどうして都にいた紫式部が、遥か離れた「和紙」の里越前の武生に移住してきたのか。それはご当地の国司となった父の藤原為時の“転勤”に関わりがある。文才だけでなく、商才に長けた為時の実像が浮かび上がる。

<為時は、中級の貴族で、国司の中で実際に任地へ赴く“転勤族”だったそうで、996年一旦淡路の国(下国)の国司に任命されるが、当時の権力者・藤原道長に賄賂の手を使って、転勤先を越前の国(上国)の国守に変更してもらっている。はっきり言えば為時は、淡路の国(下国)には赴任したくなかったのだ。何故なのか。

当時、中国や高麗からの貿易船が日本にやってくる場合、海が荒れた時や海流の関係で、同船団が「越前や若狭」の国を母港とすることが多く、このため海外の貴重な特産品が国司のもとに届けられ、実入りは最高のものだったという>。

藤原為時一族は、中級の貴族ながら文才をもって宮中に名をはせ、娘紫式部自身も為時の薫陶よろしく、幼少の頃から当時の女性より優れた才能で漢文を読みこなす程の才女だったといわれる。

これも商才に長けたばかりでなく、父親の愛情として、物書きの娘に書き損じに幾らでも対処できる「和紙」提供の環境を与えたものといわれる。

<この為時の思いは、式部が後に書き始める「源氏物語」の中に、武生での生き様が生かされている。恐らく有り余る「和紙」を使い、後の長編小説「源氏物語」の大筋の筋書きをここで書き綴っていたのではないだろうか。平安時代の歌集で、紫式部の和歌128 首を集めた「紫式部集」の中に、武生の地で詠んだ「雪の歌」が4 首ある。

越前武生の地での経験が、紫式部に将来の行き方に影響を与えたことはまちがいない。と同時に式部は、国司の父親のお陰で結婚資金をたっぷり貯め込むことも成し遂げて、約2年の滞在の後、京都に戻り、27歳になった998年に藤原宣孝と結婚している>。

越前武生の生活は、紫式部にとり「和紙」との出会いを果たして、後の世界最古の長編小説への道を拓くことに繋げた事は、紛れもない事実であろう。

<紫式部の書いた「源氏物語」の原本は現存していない。作者の手元にあった草稿本が、藤原道長の手によって勝手に持ち出され外部に流出するなど、「源氏物語」の本文は当初から非常に複雑な伝幡経路を辿っていたという。

確実に平安時代に作成されたと判断できる写本は、現在のところ一つも見つかっておらず、この時期の写本を元に作成されたと見られる写本も、非常に数が限られているという>。
 
この歴史の事実と筆者の推論を抱きながら、「紫式部公園」に回り、千年前の姿をした高い式部像に対面してきた。

北京五輪の開会式の時、中国の古代4大発明の一つとして「紙」を絵画の絵巻をCGで描き、国威を高らかに示した。

この紙が7〜800年後に日本に渡り、「和紙」となった。その後、「世界最古の長編小説を書いた女性が日本にいた」ということは、中国は勿論諸外国は知らない。

参考:ウィキペディア、: 青表紙証本「夕顔」 宮内庁書陵部蔵 
(加筆再掲) 

2019年12月25日

◆抗議の輪はトルコから香港へ

宮崎 正弘

 
令和元年(2019)12月24日(火曜日) 通巻6318号  

 中国のウィグル族弾圧はナチ、抗議の輪はトルコから香港へ
  イスタンブールで反・北京のウィグル人が結集、トルコ政府は黙認

トルコのエルドアン政権が微妙な政治姿勢を採っているため、同じチュル
ク系同胞でもありイスラム教の連帯から見れば、本来、全面支援するべ
き、「ウィグル独立」を如何に考えているのか不透明なところがある。

エルドアンはイスラム回帰を標榜し、西側の価値観を緩やかに排除してき
た。トルコ国内の大学にはモスクを設置し、シリアを巡る西側との抗争で
は、とりわけクルド族問題で米国、並びにNATO諸国と衝突を繰り返
し、ついにはロシアに異常接近して、S4400ミサイルシステムを導入、
米国を怒らせたが、そのまま平然と訪米して、トランプ大統領と会見する
という離れ業を演じた。

さて、そのトルコのイスタンブールで、2019年12月20日、在留ウ
イグル人の大集会が開催された。

東トルキスタンとしての独立を謳い、北京の展開しているウィグル自治区
における血の弾圧に抗議するため、およそ2000人が集まったのだ。参
加者の前衛には白マスク。右目の周辺に月と星、口は中国の五星紅旗が蔽
い、「口封じ」を意味した。同じデザインの仮面を着用した集会が香港で
も二日後に開催され、数千人が集まった。

トルコには現在、およそ30のウィグル人の団体が確認されており、最低
でも五万人、最大30万人のウィグル人が生活している。その多くが弾圧
からのがれ、ウルムチ、カシュガル、ホータン、イリなどから、タイを経
由するなど、遠いルートを逃亡の旅を続けてきた人々である。

とくに2009年7月5日のウルムチ暴動(ウィグル人2000人が中国
人暴徒に殺害された)以後、世界のウィグル人の組織に助けられている。

トルコ国内には「東トルキスタン独立運動」の過激派のアジトもあるとさ
れ、2002年に国連がテロ組織を認定、米国が追随したため、「東トル
キスタン」としての独立運動に懐疑の目がかけられてきた。

それから、じつに15年後の2017年に、トルコ政府は「東トルキスタ
ン独立運動」をテロ組織に追加認定したのも、中国からの圧力だった。


▲トルコとウィグル族の関係は血の繋がる兄弟 

エルドアン(トルコ大統領)がウィグル族問題に対して、微妙な理由は、
中国のウィグル族弾圧を「人類の恥」だと攻撃、罵倒したかと思えば、そ
の口を固く結んで北京を訪問し、テロリスト摘発に協力すると言明した
り、実際にアンカラやイスタンブールでは、隠れて暮らす東トルキスタン
独立運動の活動家を監視しているとされるが、態度が一貫していないよう
に見えるからである。

トルコとウィグル族の関係は血の繋がる兄弟である。もともとが中央アジ
アの遊牧民であり、突厥、鉄勒、大月氏などの国名で歴史に登場するよう
に、このチュルク系がカザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルク
メニスタン、そしてトルコへの広範に繋がるのである。

チュルクはソグド系が支配したとされるペルシア、パキスタンあたりを南
下して、セルジュク・トルコの傭兵となった時期もあり、さらに西進して
アナトリア半島に行き着き、トルコを統治するようになった。

1992年12月にはトルコで「東トルキスタン民族代表会議」が開催さ
れた。米国、豪、パキスタン、サウジ、スイスなど37ヶ国から代表が駆
けつけ、国旗、国歌、國微などが決められた。(「西トルキスタン」と
は、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどを指す)。
 この時からチュルク系に人々は中央アジアに於ける失地回復、そのシン
ボルとしての「東トルキスタン」再建が理想となったのだ。

2019年7月には国連でウィグル弾圧に抗議する決議が行われたが、エ
ジプト、アルメニア、リビア、ブータン、ロシア、フィリピン、パキスタ
ン、オマーン、カタール、クエートなど中東のイスラム国を中心に南スー
ダンなども参加した。イランだけが例外だった。
       
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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政治理想は濃霧の中に行方不明、米国民主党には陳腐な議論だけが残った
  アメリカ崩壊の危機を救ったのはトランプではなかったのか?

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渡邊惣樹『アメリカ民主党の崩壊 2001−2020』(PHP研究所)
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日本には所謂「アメリカ通」が多い。

しかし『アメ通』達の分析は彼らの知っている範囲のアメリカであり、と
くに日本の大手メディアの特派員、大学教授、シンクタンクの人々は、か
れらのプリズムからアメリカを眺めた報告でしかない。自称「アメリカ
通」が書いたものを含めてあまたの書籍が本屋へ行くと並んでいるが、お
よそ読むに値するものは少ない。無内容というより意味のないことを書き
連ねる「論客」ばかりが目立つ昨今である。

特派員も学者も、大半がリベラル偏向で、結論的にトランプは人種差別、
ナチなどとするアメリカ民主党の政治プロパガンダを真に受けている。
日本人特派員はニューヨークタイムズとワシントンポストを読んでから記
事を書く。アメリカ人の多くがすでに愛想をつかしたCNNが、「かくか
く報じた」などと、さも正統な分析のように、極左ジャーナリズムの二番
煎じをテレビ局が得意げに流している。だから大方が、予測を外すばかり
か、分析が根本的に間違っているのだ。

ならば在ワシントンの日本大使館はちゃんとした情報を取っているのか?
2016年に「ヒラリー当確」と満腔の自信を持って「予測」し、トラン
プ陣営と一切のコネクションがなかったのが、わが外務省であったことを
お忘れなく。

本書は数々のスクープ的著作で知られる渡邊惣樹氏の新作だが、ワシント
ン分析に乗り出した。

しかも、民主党の2001年から2020年の荒削りながら大統領府に巣
くったリベラル、左派の動向と政治ロビィスト、その政治イベントや綱
領、政策などの民主党の基本骨格の変遷を提示した「歴史」本であり、し
かも「アメリカ本」が夥しき市場にあって、独特な持ち味がある。

本書は感情的に民主党を論じたものでもなければ、徒らに一方的に盲目的
にトランプを称賛してもいない。あくまでも客観的事実を照らし合わせ、
現実を照合すれば(そのためのグラフや数字データは貴重な資料だ)、ア
メリカ民主党の運命は、冷酷なひびきを伴うが「崩壊の危機」に直面して
いるという。

読み終えると、そういう印象が強烈に浮かんでくる。

本質的な分析箇所は次の箇所だ。

アメリカの民主党はリベラル政党ではなく、「フェミニスト、グローバリ
スト、社会主義者、弱者利権政治家らに乗っ取られた極左政党」に成り下
がった。

その若き人たちの極左に引っ張られて党幹部が右往左往している。

「弱者は、けっして他者に寛容ではない。弱者の側にたって途端に、彼ら
が正しいと考える思想を他者に強要する。妥協を探るリアリストの視点を
欠く原理主義者となる。アメリカ社会では、すでに弱者が権力者になると
起こるおぞましい現象が起きている」。
 
したがって冒頭にはやくも大胆な予測である。

2020年大統領選挙はトランプ再選が確実だが、最大の関心事は「民主
党がどんな負けかたをするのかにある」とし、「場合によってはアメリカ
型二大政党制の崩壊もある」。

 ▲トランプが大転換をもたらした

ブッシュ・ジュニア、ビル・クリントン、ドナルド・トランプという3人
の大統領は、じつは同じ1946年生まれであり、共通する戦後体験が基
底になるものの。3人は出自もバックグランドも異なるために、それぞれ
が戦後の認識に巨大な乖離がある。

大統領になった順番は、ビル・クリントン(1993−2001)、ブッ
シュ・ジュニア(2001−2009)、そしてドナルド・トランプ
(2017−)。

3人とも戦後の1946年生まれなことは述べたが、生年月日の順番は逆
になり、トランプが「年長」の1946年6月14日、ブッシュは7月6日、
そしてクリントンが8月19日である。ちなみにどうでもよいことだ
が、評者(宮崎)も、1946年生まれである。

したがって彼らとは同世代ゆえに世界を見る目に共通の世界観が被さる。
 なぜこんなことを書いたかと言えば、戦後四分の三世紀、世界は激変し
たからだ。

第一にアメリカ一極体制が終わったこと、軍事的政治的に、である。アメ
リカは「世界の警察官を降りた」というオバマの発言がそれを象徴する。
アメリカ・アズ・ナンバーワンの時代は、気がつかない裡に終わってお
り、単独での軍事行動をとることは珍しくなった。

第二にドル基軸体制は、その性格を変質させていること。ブレトンウッズ
体制の基軸だったドル決済は金本位制の下でこそ信任が篤かった。けれど
もニクソン・ショック以後は英国ポンドに加えて、ユーロ、円という多国
籍通貨がIMFのSDRに加わり、2016年からは人民元も加わった。
となるとドルが基軸通貨を継続している所以はペトロダラーに変質してい
るからである。

第三に国家のあり方が変わり、帝国とネイションステート(国民国家)と
いう色分けがなされるようになったのが戦後政治だ。アメリカは多文化国
家となってナショナルな要素を希釈化してしまった。

第四に進歩史観が崩れ去り、左翼全体主義が人類の理想とされた時代は、
ソ連の崩壊で轟音たてて崩壊した。にもかかわらず民主党の思想的立脚点
は進歩史観である。

第五に保護主義からブロック経済へと進んできた貿易体制は、世界の国境
を取り除くというグローバリズムが全盛を極めたことによって拡大してき
た。EUの結束、WTO。

ところが、EU破綻の兆候が英国離脱(BREXIT)、世界が期待して
いたWTO(世界貿易機構)も中国の傍若無人な貿易マナー破りによって
機能不全に陥り、急激に衰退し、保護貿易主義的な経済ナショナリズムが
台頭した。それがこの四分の三世紀の経済的歩みである。この問題の詳細
は、四月頃を予定している渡邊氏と評者との共著で、くわしく語るつもり
なので、このコラムでは以上の概要に留める。

さて本書は民主党の現代史、というより直近史であるからにはクリントン
末期からブッシュ、オバマ政権と移り変わり、過去を全否定する形で登場
するトランプによって、従来の米国の路線が転覆した。その経緯を渡邊氏
は綴る。

結局、ブッシュ・ジュニア政権も、共和党の看板を掲げながらも、じつは
政策は民主党と変わりがなかった。つまりクリントン、ブッシュ・ジュニ
ア、オバマの三代政権を支配したのはネオコンだという史観に渡邊氏は立
脚している。


▲ネオコン思想が三代政権の基底にあった

渡邊惣樹氏の「ネオコン観」と言えば、広範な文脈で捉えられており、評
者が、嘗て『ネオコンの標的』(二見書房)で、定義した狭義のネオコン
解釈ではなく、どちらかといえば、馬淵睦夫大使や藤井厳喜氏のいう
「ディープ・ステーツ」に近い。

ディープステーツを敵視するのがトランプ大統領だ。

狭義のネオコンは「元トロッキスト、転向組、ユダヤ人が多い」という特
色があって、アービン・クリスタル親子やロバート・ケーガン(その夫人
がウクライナ民主化で暗躍したヌーランド)、リチャード・パールらを指
し、保守本流にいたチェイニーや、ジョン・ボルトンは含めなかった。渡
邊氏は、後者もネオコンに含める。つまり本書に於けるネオコンはディー
プ・ステーツと同義だ。

大統領選挙において不可欠の3要素はEMMといわれ、「Eは選挙民の熱
狂、ひとつ目のMは資金、次のMは選挙民への適確なメッセージである」。
 
トランプが立候補表明するまでの米国の言論空間といえば、「報道の自
由」「表現の自由」は希薄だった。

なぜならメディアの主流が左翼であり、保守の主張を黙殺するか、激烈に
批判した。自分以外の主張を受け付けない、排撃するのが民主党リベラル
派と、それを擁護するリベラルメディアの特質であり、彼らがトランプを
『反知性』とレッテル張りしたが、じつは民主党こそが『反知性』であ
る、と渡邊氏は批判する。

民主党がおかしくなったのは、基本的にJFK時代から唱えられ、ニクソ
ンが法制化し、レーガン時代から実施が顕著となった「アファーマティ
ブ・アクション」(少数派と女性への配慮。たとえば大手企業は雇用に黒
人、ヒスパニックの雇用割合を義務づけられた)だ。

つぎに「ポリティカル・コレクトネス」(通称「ポリコレ」)という制約
で、差別用語などが禁句となった。「言葉狩り」と言い換えても良いだろう。

次第次第に言論空間は極めつきに狭くなり、表現者は臆病になり、左翼か
らの攻撃に敏感となったために心理も萎縮し、むしろ自由な表現が制約さ
れ、ついには人前でトランプ支持を言うことさえ憚られた(いまはトラン
プ支持を自由気ままに表現できる状況にもどりつつあるが。。。)

メディアの横暴は容赦なく保守に襲いかかり、痛烈な罵声が浴びせられた
(日本のメディアが酷評する対象も似ている)。

こうした窮屈な言論状況をぶち破る必要があった。ぶち壊したのはツィッ
ターというSNS時代の新兵器。ユーチューブ、主張を唱えるHPや、
ネットでのテレビ局の開局だった。だからウォールストリートジャーナル
のような保守のメディアまでトランプを批判したが、少数意見はミニコミ
とミニ・テレビ局とツィッターが代弁し、それが瞬く間に言論空間を席巻
した。

CNNの視聴者は75万人しかいなくなった。逆にフォックスニュースは
250万人。これを日本に当てはめると桜チャンネル、林原チャンネル、
言論テレビ等のミニ放送局が、NHKを視聴率で凌いだということである。

クリントン時代から推進されてインターネット革命は、オバマ政権で
SNSによる言論空間に革命が起きていた。民主党は、この間、穏健派、
保守派、中間派がおおきく後退し、左派に乗っ取られていた。しかも左派
を操ったのが、共和党に陣取っていたネオコンであり、その一派がオバマ
政権に雪崩れ込んだのだ。

 ▲民主党は惨敗し、分裂する可能性が高まった

渡邊氏は次のように書く。
 
「民主党は、ターゲットとした弱者層に『失われた』権利を回復しなくて
はならないと訴えた。弱者であることを意識させることは難しくない。殆
どのケースで、外見だけで弱者に所属していると自認できた。所属するグ
ループ(黒人、移民、少数民族、女性など)を見渡せば、容易にわかっ
た。この思想とも言えない権力を掴むための主張(戦術)が、アイデン
ティティ・リベラリズム(IL)である」。
 
弱者が強者に変貌すると、他人に強要するのが極左の特質である。
 民主党は自分で自分の行動、主張に制約をかけて、とどのつまりは身動
きが取れず、過激な左翼や社会主義者が党の中軸を揺らしたばかりか、主
導権を握るまでになった。
 
YES WE CAN と呪文のように唱えてヒラリーを退けてオバマが
当選したとき、米国内の黒人やヒスパニックの歓呼の声が鳴り響いた。
ところがオバマ政権下の黒人の失業率(9・5%)はブッシュ時代のそれ
(7・7%)より酷くなり、こんな筈ではなかったという不満が拡がって
いた。
 
民主党の支持層が離れだした。

現時点で言えば、例えば黒人のトランプ支持が30%近くとなり、ヒスパ
ニックは50%に近い。絶対の、鉄壁の民主党支持が民主党の候補者や訴
えに愛想を尽かし、2020年にはトランプに票を投じることになると予
想される。

結局、「オバマは、外国企業のロビイストだった人物に推されて大統領に
上り詰めた政治家だった。当選すると、ウィリアム(悪名高きロビィス
ト)を大統領首席補佐官に抜擢した。オバマ政権では、外国企業に奉仕す
ることを生業にしてきたロビイストが幅をきかせていた。だからこそ、ヒ
ラリーの利益誘導的街区緒にも鈍感だった」

「(オバマの)政治の本質は(弱者ではなく)強者に寄り添ったものだっ
た。メディアは相変わらず『弱者代表』のオバマには甘い報道を続けてい
たが、実態は伴っていなかった」(134p)。

ヒラリーが自宅にサーバを移し、機密に属する通信を自分のパソコンから
発進し、アラブの春を操り、リビアで大失敗をやらかして失脚したが、メ
ディアは頬被りを続けた。国務省を外交と利権(政治献金、寄付)とリン
クさせて「ヒラリー商会」に化かし、政治資金の受け皿に慈善事業とかの
財団を設立し、政策を売り歩いて世界をロビィ工作のために行脚した。そ
れがクリントン・ヒラリー外交だったのだ。

こうみてくると、日本のメディアが伝えているトランプは、真実とは異な
る、異形に歪められた印象をもたらし、そこにくわえて左派ジャーナリズ
ムの誤謬にみちた報道によってアメリカの読み方を間違えているのである。

著者は2020年の大統領選挙で、トランプの圧勝を予想している。
        
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読者の声  どくしゃのこえ  読者之声  ドクシャノコエ
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   ♪
(読者の声1)先の小生投稿で、山本元大将の英語力について、「He
learned enough English to carry on rudimentary conversations and
to read with ease.」中の「enough」を副詞と述べましたが、あらためて
読み返すと、名詞であるEnglishの前に置かれた形容詞のようですね。

もっとも、意味としては、「彼の習得した英語能力は、どうにかこうに
か、簡単な会話をできる程度で」という私の解釈でよいと思いますが。
 ついでに、英文解釈について述べると、半藤一利氏の著作に『レイテ沖
海戦』(PHP1999年刊)があります。

この中で、小沢艦隊によるオトリ作戦の成功を知らせた電報が栗田長官の
手に届かなかったことが、レイテ海戦の帰趨に決定的な影響を与えたこと
に関して、次のように述べられています。

「なぜこれが栗田長官の手にとどかなかったのか。その理由は、瑞鶴(小
沢艦隊旗艦)の送信機が故障していたから、というのが、一般にいわれて
いた、いままでの通念であった。」

さらに、このことに関して、米戦略爆撃調査団の一員として終戦後に来日
し、関係者に尋問調査した米国人の著作(昭和22年刊)の中から、次のよ
うに引用されています。

「・・・・この広い戦場にまたがる複雑な作戦が成功するかどうかは、主
として各部隊が適切なタイミングで動くかどうかにかかっており、それは
また、各部隊の間に情報が迅速正確に流されるかどうかにかかっていた。
小沢艦隊が航空攻撃を開始したことを知らせる緊急電報、つまりハルゼイ
をとらえた第一電は、豊田と栗田とにあてて発信されたが、『明らかに』
(原文では傍点)瑞鶴の送信機が故障していたため、そのどちらにも届か
なかった」

「『明らかに』という言葉に傍点をつけたが、これはapparently の邦訳
であり、それは普通の場合、実際には調べなくてもロジックとして当然そ
うあるべきだという意味に使う言葉である。・・・・・・・アメリカ的な
判断からすれば、当然瑞鶴の送信機が故障していたとしか考えられず、し
たがって『明らかに』という言葉になった、と思われるのである。」と述
べられている。

ここで、半藤氏は、「apparently は普通の場合、実際には調べなくても
ロジックとして当然そうあるべきだという意味に使う言葉である」と述べ
るのであるが、apparently は、「(実際はともかく)外見上は、見たと
ころでは」(推論)の意味で使われることが多い副詞であり、「明白に」
という意味でつかわれることは「まれ」である(アンカーコズミカ英和辞
典)。

この場合、ここで使われた意味が、「明白に」という意であろうと、
「(実際はともかく)外見上は、見たところでは」という意であろうと、
(全体が推論であるから)論理の筋としてはあまり変わらないのである
が、私には、後者に解する方が、はるかに推論であるという点が明確にな
るのであり、著者がわざわざ原文中の単語を取り出してまで誤った(と私
には思える)主張をしている点、一読した際に抵抗を感じたものである。
 このような細かいことを述べたのは、「神は細部に宿る」という言葉も
あり、英文の解釈も、時にはその誤った解釈により大きな過ちを招く結果
となることもある、ということを言いたいからで、外国語を読む上での、
文法、語彙力の重要性を強調したいからです。(椿本祐弘)


   ♪
(読者の声2)貴著『チャイナチ』(徳間書店)をようやく読み終えると
ころです。香港の自由護持、抵抗運動と中国政府の強行介入を望見し、こ
の成り行きをどう見ればよいka.

分析を秋頃から待っていたので、いつもの早業で御本が出版され、なにし
ろその文章化の迅速なるに、つくづくと感嘆しました。(KK生、世田谷区)

  ♪
(読者の声3)遅ればせながら貴著『神武天皇以前』(育鵬社)を拝読し
ました。時間をかけてじっくりと読みましたので読後感が遅れた次第です
が、宮崎先生の教養、いつもながらの驚きです。

小生も縄文好きで、随分と読んできたのですが、これほどの作品にはめっ
たにあうことはなかった。学問的な裏打ちは当然ですが、なによりもロマ
ンティズムが満ちあふれています。現代日本人が失った愛国の熱情が響き
わたります。

私も日本文化の基層としての縄文をいつも考えていますが、貴著に展開さ
れた独自な理論に触れ、縄文への夢がより高まりました。(KS生、目黒区)
 

◆「なめたらいかんぜよ」

   渡部 亮次郎


2010年1月10日の産経新聞「小沢氏に訪米要請」にはのけぞった。小沢氏
が如何に「政府」要人では無いとは言え、米政府が、小澤「幹事長」に是
非とも会って「理解と支援を強く望んでいる」というのなら、お出でにな
るのが筋だろう。

<【ワシントン=時事】オバマ米政権の対日政策を担うキャンベル国務次
官補(東アジア・太平洋担当)は8日、時事通信との会見で、日米安全保
障条約改定50周年を記念して、19日に日米両政府が声明を出す計画である
ことを明らかにした。

また、米政府が交渉するのは日本政府代表だが、民主党の小澤一郎幹事長
は「極めて重要な役割を認識している」と述べ、小澤幹事長の訪米を要請
した。

同次官補は、安保条約改定が行なわれた1960(昭和35)年1月19日は「最も
根幹的勝つ重要な日米安保同盟が樹立された非常に重要な日だ」と指摘。

19日に、外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス
2)や両国首脳の声明発表を希望していると述べた。

「我々の交渉相手は日本政府の公式な代表だが、小沢氏の極めて重要な役
割についても認識している。今後、同氏の理解と支援を得られることを強
く望んでいる。是非、同氏に訪米して欲しい。

同氏との充実した対話を模索することに非常に関心を持っている。」>

これに対する小沢氏の反応は明らかでないが、小沢氏は国務次官補(局長
クラス)に舐められたのだから、訪米するわけには行かないだろう。

紳士同士、武士同士の間なら、用事のあるほうが相手を訪問するのが筋だ
ろう。それなのに、日本の命運を左右するもんだいだから
小澤のほうから、訪米したらどうかというのでは、まるで属国の目下のも
のを「呼びつける」のと同じである。

時事通信の記者もどうかしている。何故、この点を質さなかったのか。国
務次官補程度とはいえ、米政府高官に単独インタビューできて舞い上がっ
たのか。

いずれにせよ、この際、小澤氏は訪米すべきではない。北京観光団引率に
次ぐ失態になる。2010・1・10


◆企業のカレンダー

                         馬場伯明


1986(昭和43)年に大学を卒業。川崎製鉄に入社し倉敷市の水島製鉄所に
配属された。あの頃「今年はどんなカレンダーを貰えるかなあ」は年末の
楽しみの一つだった。

あれから50年を超えた。日本中の大半の大企業から中小企業まで、自社を
宣伝するために(独自の)カレンダーを制作していた。意匠には日本の観
光地の四季の風景、伝統的な印象派の画家の絵、当代の著名な絵・書・彫
刻、特殊な素材や奇抜なデザインの現代美術などが使われた。今もまだ、
その「伝統」は残っている。

水島製鉄所は社員12,000人に加え下請業者8,000人を抱えていた。世界に
冠たる製鉄所には納入業者や下請け業者が群がっており、師走には責任者
が筒状のカレンダーを小脇に340万坪の広大な敷地に散らばる事務所など
を車で巡回していた。

私が8年間勤務した総務部の事務所の端っこには大きな段ボール箱が置か
れていた。部課長が貰ったカレンダーを女子社員が受け取り無造作にそこ
へ投げ入れていた。私たちは12月の半ばには好みのカレンダーを持ち帰り
他部課の社員にも配った。

人気があるカレンダーはすぐなくなる。大原美術館の絵画で構成されてい
るクラレ、斬新なカーデザインの三菱自動車、また、化学工業の旭化成や
石油の日本鉱業など、コンビナートの一流企業は費用をかけ華麗なカレン
ダーを制作していた。それらを誰もがほしがった。

では、(わが)川崎製鉄のカレンダーはどうだったのか。じつは、世の風
潮(トレンド)とは違っていた。世間では、俳優、歌手、プロ野球や体操
などのスポーツ選手、名所旧跡の観光地や山岳風景の写真、新旧の絵画作
品などが全盛であった。しかし、川鉄のカレンダーは漢字と数字だけの単
純なデザインだった。35×40cm大で1ヶ月1枚の12枚綴り。

ところが、世の中、何が幸いするかわからない。このカレンダーは隠れた
ところで人気があった。各所から求められた。その「人気」とは何だろう
か。それは、ずばり「(実際に)使える」ことである。

各所で非常によく使われていたのである。

漢字と数字だけのカレンダーは、一見、味も素っ気もない。だが、風景や
人物はカレンダーの本質ではない。年月日こそ実用である。企業でも評価
が高かったが、とくに役所や公共施設では重宝がられた。

なぜ人気があり評価が高く重宝されたのか。次のことが考えられた。

第1.(変な)絵がないのがよかった。役所などには常に不特定多数の人
が訪れる。銭湯の壁画のような富士山の風景や特定の美人俳優の笑顔で
あっても万人が好むわけではない。

第2.カレンダーを切り離し前後の月を並列に掲示すれば業務予定の確認
がしやすい。1〜12月を事務所に並べて貼っている企業もあった。後年、
ある企業が3ヶ月分を縦につなげて見ることができるカレンダーを作った。

第3.とにかく目立たないデザインであり場に溶け込んでいた。そう、事
務所の壁に黒や赤の太字の数字が「で〜〜ん」と並べば、事務所内の環境
や雰囲気が乱れ、微妙な違和感に包まれる。

川鉄の「数字と曜日だけのカレンダー」は(身贔屓で言えば)控え目で品
がよかった。地色は薄いグレーと水色系の落ち着いた中間色。文字や数字
は太めではなく黒系統だがどぎつい真っ黒ではない。字体はすっきりした
ゴシック体であり遠くからも視認ができた。土日・祝日の薄い赤色の数字
が自然なアクセントになり好感度を上げていた。

第4.これが決定的なダメ押しであった。つまり「川崎製鉄」という企業
名は表示されているが小さく色も薄く目立たない。「株式会社」の文字も
ない。常識的な企業では「せっかく高価なカレンダーを制作するのだから
自社名とロゴマークを強くアピールしなさい」となる。カレンダーを貰う
相手ではなく自社ファースト(自利)の姿勢なのだ。

ところが、制作企業の意図とは反対に、黒々とした太い企業名とロゴを前
に、カレンダーを受け取り掲示する企業・役所・家庭などはたじたじとな
り、結果、掲示をやめる。ただし、優れた絵画や風景写真のカレンダーで
は最下段の企業名を切り捨て掲示する人もいるという。

それに、県市やなどは特定のカレンダーの企業と癒着しているのではない
かなどと勘ぐられるのを嫌う。だが、企業は企業名やロゴが見えなくては
何のためにカレンダーを配布するのか、わからなくなる。

ということで、絵がなく企業名の文字も小さい川崎製鉄のカレンダーは人
気ものとなった。では全国の人気が低いカレンダーの末路はどうなるの
か。企業、役所、学校、家庭で選ばれ1年間掲示されるカレンダーは幸運
である。余ったものはどうなるのか。私の経験では妻や家族に気に入られ
ないものはすぐ「ボツ」になる。

しかし、カレンダーは紙質がいいので転用が効く。白い裏面は幼児のお絵
かきや落書きに適する。カットして揚げた天婦羅の受け紙にもよい。丈夫
で白く大きさも適度だからイベント会場での観客の順路指示用紙にもでき
る。練習用画用紙の代わりにもなる。

しかし、それでは「トホホ・カレンダー」だ。本来の宣伝目的が果たせな
い。近年カレンダーの年末配布の宣伝効果を疑問視し配布に消極的な企業
が増えているらしい。「猫も杓子もカレンダー」という時代は去ったのか
もしれない。

それでも、上質な絵付きカレンダーは不滅である。生き残っていく。たと
えば、代表的な印刷企業の大日本印刷のカレンダーは出色である。絵の部
分と数字・曜日のバランスがいい。何よりも「大日本印刷」が小さい文字
で右下端にある(日付の数字の面積の1/5!)。小さくても「どの会社の
ものだろうか?」と逆に大きな関心を持たれる。

もう一社あげる。大林組のカレンダー。日本の伝統的な建築を構成する部
位を特集し日本の伝統美を表現している。2019年のテーマは「支(構
造)、2020年は「窓」だ。居間に掛ければ空気がなごむ。しかも、社名は
漢字ではなく「OBAYASI」の小さな文字だ(日付数字の1/8!)。緑の扇形
ロゴが最下段中央にちょこんとあるだけ。結果として印象に残るすばらし
いカレンダーである。

この2社の人たちとは川崎製鉄に勤務していた頃たまに飲食を共にした。
カレンダーがいいと「いい企業だなあ・・」とも思ってしまう。いいカレ
ンダーは絵入りであっても企業の宣伝のツールとしてなお捨てがたいもの
なのである。

国宝級の蒐集品の図版が毎年採用される上品な企業カレンダーがあり、私
は古くからのファンである。が、ただ一つ不満がある。企業名の表示が大
きいのだ。「小さければねえ〜〜。貴社名は切り取れない。失礼だ
し・・」といただいた方にぼやいた。じつは、再来年(2021年)のカレン
ダーにひそかに期待している。(2019.12.25 千葉市在住)

追記(長い追記ですがお許しを・・・)
1. 大日本印刷と大林組のカレンダーを紹介したが、それがすべてではな
い。私が知っているだけ。他にもいいものがあると思う。
2. 企業カレンダーではなくオリジナルな創作カレンダーがネットで売ら
れている。個性的なものが多い。池袋の専門店で買ったことがある。
3. 小形の卓上式のカレンダーが流行している。デザインに趣向を凝らし
たものが多い。「2020開運歴」(藪内佐斗司・東京藝大教授謹製)は伝
統・荘厳・滑稽・(そして)美しい・・・最高である。

4. カレンダーと言えば、恒例のというか、おなじみの「三日坊主めくり
ご教訓カレンダー」が健在だ。2020年大賞は、2020.10.6〜8の「アウト0
時−シンデレラ」である。落ち込んだ夜であっても、翌朝にこのカレン
ダーを眺めれば元気よく出勤できる。
5. そして、川鉄の人気のあのカレンダーは、その後どうなったのか。私
は知っているけど・・・(笑)(了)

◆あなたはイヌ派? それともネコ派?

眞鍋 峰松

   
最近のある雑誌に次のような記事が載っていた。『 現在、家庭で飼われている犬は1035万頭、猫は996万頭という。飼い始めたきっかけは、ペットフード協会の調査では“生活に癒やし・安らぎがほしかったから”がトップだ。かつては、犬は番犬として“警備関係”、猫はネズミ対策を担当していたが、今や「癒やし・安らぎ」が“お仕事”となっているようである。

そこで「生活の中に癒やしや安らぎを感じられることは、当然、人間の心身の健康にも影響するはず。では、飼い主の寿命を伸ばしてくれるのは、犬と猫、どちらなのか」』というのである。     

昔の我が家では、家の中にいつも犬や猫がいた。犬・猫の両方を同時に飼っていた時期も相当長かったのだが、どちらかと言えば、私は犬の方に親しみを感じている。 

飼っていた3、4匹の猫の方は今でも名前も顔も覚えているが、いずれも雑種のオスばかり。そのせいか、猫は思春期(犬猫でもこう表現するかどうか知らないが)でその時期に達すると、メス猫を求めてか、飼い主の知らない間に家出し行方不明になるケースが多く、なお且つ、自宅の柱などは猫の爪跡だらけ・傷だらけ。

これに対し、犬の方はオス・メスを問わず、飼い主の不注意で家から脱走した場合にも、必ず我が家に戻って来た。 また、猫は長年可愛がっていても強い野性を保ったまま。気に障ると飼い主と雖もすぐに手に噛みついたり、爪で引っ搔く。一方、犬は飼い主にいたって柔順で、余程のことが無い限り噛みつくことはない。 これが私の体験的犬・猫論。  

また、同雑誌の記事の中には、『犬を連れて散歩すると、男性では0.44歳、女性では2.79歳も健康寿命が伸びるという調査結果があります。一方、猫はどうか。犬ほどはっきりしたデータはないようで、猫は散歩もしつけも必要がないが、逆にいえば猫を飼っていても飼い主の運動不足解消にはつながらず、直接的な健康効果は期待薄だ』とのこと。 

さらに、『ひとりで暮らす高齢者の場合、飼い犬や飼い猫がいることはすごく救いになります。例えば70代の方なら“この子のためにあと10年は生きなくちゃ”とか“80までは元気でいなくちゃ”という話もよく聞きます。どちらも生きがいになっている部分はとても大きいのです。

老人ホームでも、犬や猫、小鳥を飼い始めたら4割もいた寝たきりの入居者がゼロになった、動物と触れ合った後は血圧が下がったという事例がある』という。              

これまでペットの人気を二分してきた犬と猫。 長く犬のリードが続いていたが、猫が逆転する日が近々やってきそうで、小型犬ブームが落ち着き、散歩やしつけの手間から犬を飼う人が減る一方で、猫を家庭に迎える人が増えている、という。 

面白いことに、メディアでも猫人気が顕著。ある動物プロダクションでは、かつては犬への仕事依頼が8割を占めたが、最近は猫が6割にのぼる。複数のペットのブログランキングでは猫が軒並み上位を占める、という。                                                     
このように、犬に逆風となっている原因は、飼い主の高齢化が大きい。足腰が弱った高齢の飼い主にとって、散歩に連れて行くのもひと苦労。その上、国内で飼われる犬猫の平均寿命は約14歳で、猫の状況は判然としないのだが、犬は30年前の2倍近くに延びたという。 

もともと7〜8歳で高齢とされる犬猫だが、室内飼育が増えて、バランスの取れた餌の良質化や、事故や病気をもらう危険性が減って長寿化が進む。

本来、犬猫も寿命が延びること自体は喜ばしい話なのだが、飼い主にとって一番頭が痛いのは、老齢化し寝たきり状態になったペット犬・猫の介護の問題。 まして、飼い主の高齢化も進むとなると、特に大型犬の場合、更に深刻化する。これらは最近身近でよく見聞きする話だ。

とは言っても、表題の質問。飼われる側の犬や猫自身にとっては、飼い主の寿命が短かろうが長かろうが知ったことではない・責任も持てない、飼う方の勝手でしょう、と言いたいところだろう。

2019年12月24日

◆EUをぶち壊す移民難民の破壊力

伊勢雅臣


 欧州各国の国民共同体はメルケル首相の「難民ようこそ」政策によって
破壊されつつある。
■転送歓迎■ R01.12.22 ■ 50,647 Copies ■ 6,865,417Views■


■1.NGOの船がシャトル便のように救助した難民を運んでくる

『世界一安全で親切な国日本がEUの轍を踏まないために 移民 難民 ド
イツ・ヨーロッパの現実2011-2019』の著者・川口マーン惠美さんが講演
で「朝鮮半島で有事が起これば、日本にも難民が押し寄せますよ」と話し
ても、「聴衆は誰もピンときていなかった」という。

「日本海は波が荒いからボロ船では越えられない」と言う人もいたが、確
かにアフリカから難民が地中海を渡って船で押し寄せるのに比べれば、日
本海を越えてくるのは難しいだろう、と私自身も考えていた。それが愚か
な希望的観測であることを、川口さんは欧州の事実をもって論破する。

 しかし、EUに押し寄せている難民たちも、実は、自力で地中海を渡っ
てくるわけではない。・・・彼らは密航斡旋業者に大金を支払い、木の葉
のような船に乗り込まされる。
 救助は、以前は偶然通りかかった商船や漁船、EUの国境警備隊などが
行ったが、今では、民間船は難民を助けて連れてくると密航幇助(ほう
じょ)に問われるようになったため、救助できない。そこで、その代わり
に大活躍しているのがNGO(JOG注:非政府組織)の船だ。
 大型で立派な船も多いところを見ると、このNGOの「遭難救助」活動
の裏には、それをちゃんと経済的に援助している人たちがいるようだ。
「救助」に際して、NGOと犯罪組織が連携している可能性も疑われてい
る。いずれにせよ、NGOの船はあたかもシャトル便のように、救助した
難民をせっせとイタリアやマルタに運んでくる。[1, p3]

 いくら日本海の波が荒くとも、どこかのNGOが立派な船を出して、難
民を拾い上げ、対馬や北九州に運んでくるだろう。朝鮮総連など、その役
を引き受けそうな組織は日本国内にも事欠かない。


■2.難民を送り込む斡旋業者

 津波のように押し寄せる難民に業を煮やしたイタリア政府は、2018年6
月、いつものように難民を乗せて来航したNGO船「アクアリウス」号の
入港を拒否した。この船は難民を救助してヨーロッパに連れてくることを
目的として、フランスのNGOがチャーターした船で、2016年だけで1万
人以上もの難民をイタリアに運んだ。

 しかし、入港拒否も通じない手口もある。

 たいていの斡旋業者は、沖合に出たところで、自分たちだけ小型のモー
ターボートなどで逃走し、遭難のSOSを出し、あとはイタリア海軍に救
助させるという方法を取るようになった。安い老朽貨物船なので、船など
放棄しても暴利は残る。
ひどい業者になると、船を故意に壊したり、乗客を海に飛び込ませたりし
て、難民船が難民とともに出発港に戻されないようにしていたという。

 こうして航行不能になった船に残った難民、あるいは海に飛び込んだ難
民は、助け出す他に手はないだろう。2014年には危険な地中海ルートで
EUに到着した難民が18万人に達し、犯罪組織にとっては「人間密輸」
は麻薬や人身売買よりもすっと儲かるビッグ・ビジネスに成長していた。


■3.難民を送り返すのも難しい

 辿り着いた難民は送り返せば良いではないか、と多くの日本人は思う
が、事態はそれほど甘くない。確かに現在の国際的な取り決めでは「政治
的に迫害されている人たち」以外は難民資格は認定されず、庇護されない
ことになっている。しかし、このルールが守れるかどうかは別の問題だ。


 当時のドイツでは、到着する難民があまりにも多く、難民資格のある人
とない人を区別できないまま、自己申告の通りにどんどん入国させた。そ
の際、シリア人、アフガニスタン人は、政治亡命が認められやすかったた
め、他の国から来た経済難民までがシリア人やアフガニスタン人に化た。
それどころか、テロリストも入国したので、そのあとEUのあちこちで無
差別テロが起こった。ある国の治安を乱し、弱体させたければ、早い話、
難民を大量に送り込めばよい。

 たとえ母国に送り返そうとしても、母国が特定でき、しかもその母国が
入国を認めなければならない。2017年にドイツで検挙された外国人犯罪者
のうち三番目に多かったのがナイジェリア人だったが、そのうちの重罪犯
でさえナイジェリア政府が引き取りを拒むため、母国送還ができないでい
る、という。


■4.「ドイツ人は理性を失った」

 欧州への移民が激増したのが2015年だった。前年の約60万人が、いき
なり132万人へと倍以上となった。引き金となったのがドイツのメルケ
ル首相の難民受け入れのメッセージだった。

 当時、イラクやシリアからの難民がトルコからエーゲ海を渡り、ギリ
シャを経由して、陸路ハンガリーに押し寄せていた。徒歩でやってくると
言っても、スマホで犯罪組織に支払いさえすれば、食料や水の補給もでき
たし、スマホの充電を商売とするスタンドまで登場した。

 ハンガリー政府は突貫工事で高さ4メートルの鉄条網の壁を作ったが、
ドイツなどEU諸国は人権無視だと非難した。その鉄条網の隙間を抜け
て、難民は続々とハンガリーに入ってきた。

 そんな時に、ニュースに流れたのが、シリア人の3歳児の遺体がエーゲ
海の海岸に打ち上げられた写真だった。この写真は後にフェイクだと報道
されたが、ハンガリーからオーストリアに向かって続々と歩む難民たちの
光景とともに報道されて、ドイツ国民に衝撃を与えた。

 9月4日、メルケル首相は「ハンガリーにいる難民を受け入れる」と発表
し、その日のうちにブタペストからミュンヘンに8千人もの難民が列車で
到着した。ミュンヘン市民の多くが中央駅に出向いて「ドイツへようこ
そ」「我々は難民を愛す」などといったプラカードを持って歓迎した。

 この映像が中東やアフリカの若者をヨーロッパに向けて突き動かした。
9月、10月の2ヶ月で31万8千人の難民がドイツに到着した。地中海経由で
EUに入った難民も10月だけで21万8千人と、前年1年分より多かった。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、この極端な難民増加を「ド
イツの寛大な難民政策のせい」とした。

 ドイツ国内でも、この無謀な難民受け入れに、年間20万人程度の上限を
作らなければ大変なことになる、という意見は強かった。しかし、メルケ
ル首相は「受け入れ人数の上限は作らない」と頑固に言い張った。あるイ
ギリスの政治学者は「目下のところイギリス国内では、ドイツ人は理性を
失ったという印象が支配的だ」と語った。


■5.メルケル首相の「理想」

 川口さんの見解では、メルケル首相は理性を失ったのではなく、彼女な
りの計算があるらしい。2018年にベルリンで開かれた第2回アフリカ会議
で、アフリカ諸国の発展のための10億ユーロの投資ファンドの設立ととも
に、さらなる「難民ようこそ政策」を発表した。

 そのうえ、メルケル首相は、すでにドイツに入っているアフリカ難民の
うち、難民資格を得られなかったアフリカ人に対して、労働ビザ、および
大量の学生ビザを発行し、産業界の経営者たちを感動させた。
産業界にとっては、ドイツ政府がビザを出した見返りに、アフリカ諸国と
の商談が軌道に乗るのも喜ばしいが、それ以上の得策は、難民の中の優秀
な人たちが母国送還を免れ、合法労働者、あるいは、留学生に切り替わる
ことだ。学生の中の何割かは、いずれ質の良い労働者や技術者になるだろう。

 移民も難民も流入の仕方が違うだけで、入ってしまえば同じ労働力だ。
ドイツ産業界としては無数の難民から優れた頭脳と、平凡な頭脳・技術で
も安価な労働力を得られれば、自らの競争力強化を図れる。労働力になら
ない難民を養うコストや犯罪の増加は国と国民の負担なので、自分たちに
は直接関係ない。

 こんな「難民ようこそ政策」で支持率が大幅に下がっても、他のEU諸
国からの批判が高まっても政策を堅持するメルケル首相の頭の中にあるの
は、別の「理想」があるのではないか、と川口さんは疑う。

 彼女の心の奥深くにある理想の世界が、国境が消え、あらゆる民族が混
在し、ドイツという国も消滅した、ひたすらグローバルな世界なのだとし
たら、彼女の行動の謎はすっきりと解ける。

 国家という共同体をぶち壊し、「ボーダーレス」の世界を作るには、難
民の破壊力を利用するのが最も効果的だろう。


■6.「難民ようこそ」政策へのEU諸国の反発

 メルケル首相の「難民ようこそ」政策は、他のEU加盟国との軋轢(あ
つれき)を生み、また国内外で保守政党の支持率を上げている。

 保守派で、難民受け入れの上限設定を主張している「ドイツのための選
択肢」(AfD)」への支持率は着実に上昇し、2017年以来、連邦議会では
野党第一党となった。メルケル首相は地方選連敗の責任をとって、党首を
辞任し、2021年での政界引退を表明している。

 フランスのマリーヌ・ルペン氏率いる「国民連合」は当初からメルケル
首相を批判し、難民の受け入れ人数を制限すべく、EUの難民政策修正を
求めている。フランス国民も、すでにフランスで定着している移民も含
め、ルベン氏の政策を支持し、国民連合は第一党に躍り出た。

 イギリス人がEU離脱を決心した大きな原因の一つが、やはり移民だと
言われる。2004年のEUの東方拡大で、ポーランドなどから大量の移民が
流れ込み、このままEUに留まっていては、移民・難民の受け入れを自国
で制御できなくなる、そうなれば自国の主権さえ失われていく、と危惧し
たようだ。

 東欧諸国もドイツの姿勢を冷ややかな目で見ている。ソ連の抑圧を経験
しているので、人権を守るにも、まずは自国の平和と繁栄が大前提、とい
う現実が見えている。EU議会の副議長の一人であったポーランド人は、
こう語っている。

 メルケル首相が難民に国境を開いたのは、ドイツの歴史のセンシティブ
な部分と関係しているのだろうからドイツの勝手だが、それをEUレベル
で行えというのはおかしい。EUの規定に、マルチ文化にならなければな
らないなどとは書いていない。ポーランド国民は、祖国を、現在、フラン
スの多くの街で見られるような風景にするつもりはない。

 メルケル首相の難民政策こそ、EUの結束を内部から揺さぶっているの
である。


■7.「ナチスへの道」?

 上記の発言で、「ドイツの歴史のセンシティブな部分」という表現に留
意する必要がある。川口さんはこの点をこう説明している。

 ドイツ人は、自分たちが外国人に何かを要求したり、禁止したりする
と、またしても碌(ろく)でもないこと(ホロコーストの二の舞)につなが
り、全世界の人々から非難されるのではないかということを、本能的とも
言えるほど強く恐れている。
とりわけ政治家は、外国人排斥者と言われることだけは絶対に避けたいと
思っており、自ずと、外国人の犯罪は問題視しないほうが安全という保身
のバイアスが強く掛かる。そこで、見て見ない振りをすることを正当化す
るため、外国人の存在を、「多文化共生」とか「アイデンティティーの尊
重」とかいう言葉で飾り立てることになった。


「難民ようこそ」政策に異を唱える人々はナチス扱いされかねない。
AfDの地方議員が覆面をつけた三人の男に襲撃された際でも、「同議員
が移民に対する憎しみを振りまいたので、襲撃されたのは自業自得であり
『ナチは出ていけ』運動は正しい」とする論調まで現れた。

 多くのドイツのマスコミも、外国人排斥と見なされないよう、移民によ
る犯罪はなるべく頬被りし、その一方でAfDを「極右」政党と報道する
ことが多い。2019年1月には憲法擁護庁が、AfDを監視対象とするかど
うかの検討調査を開始すると発表した。

「ナチス」という自虐史観に囚われて、移民難民に関する公正な報道も自
由な議論もできないドイツの風潮は、「朝鮮植民地化」という自虐史観か
ら、在日の犯罪や不法な生活保護受給を報道・議論することすら「ヘイ
ト」と見なされる日本の状況とそっくりである。


■8.移民・難民の破壊力

 川口さんの本を読んでいると、こうしたドイツの移民難民政策の失敗は
我が国ではほとんど報道されていないことに気がつく。こうした事実も踏
まえずして、日本国内では人手不足という経済要因だけで、移民政策が主
張されている。

 この点については、左派政党、左派マスコミも同様で、国民国家という
現在の体制をぶち壊すには、移民難民の破壊力こそ、最も効果的なのであ
る。「革命は銃口から生まれる」としたマルクス主義の暴力路線が失敗し
たあと、彼らが期待しているのは、移民難民の大量流入によって、日本国
の枠組み根底から破壊することだろう。

 中国には他国を乗っ取るために大量の移民を送り込む「洗国」という伝
統的戦術がある[a]。そんな戦術を持つ人口大国が隣りに存在する、とい
う点では、我が国はEU以上の危機に直面しているのである。 幸いなの
は、ヨーロッパとは違って、我が国の危機はまだ顕在化していない、とい
う点だけである。

 この危機を乗り越えるには、移民難民の破壊力を理解して、自分たちの
共同体を守ろうという日本国民の意思が必要不可欠である。
(文責 伊勢雅臣)

◆保守党の勝利はトランプ再選の前兆か

宮崎 正弘


令和元年(2019)12月23日(月曜日) 通巻6317号   

BREXITの英国で保守党の勝利はトランプ再選の前兆か
  労働党大敗の原因は「社会主義化」を有権者が怖れたからだ
 
もし英国選挙で野党の「労働党が勝つと、より社会主義的政策が進み、英
国株式市場の大手企業350社の時価総額が53兆円も凹む」というのは
選挙期間中のプロパガンダ、つまりアジ演説に過ぎない。

だが、よほどパンチがあったようで、英国総選挙(12月12日)は、ボ
リス・ジョンソン率いる保守党が単独過半を獲得し、労働党は予想を超え
る大敗を喫した。コービン労働党党首は辞任を表明した。

報道の分析によれば「鉄道、水道の国有化は社会主義であり、非効率をま
ねき経済を停滞させる」と主張した保守党の宣伝が奏功したというが、は
たしてそうか。鉄道も水道も本来は国有が望ましいのではないのか。

そこで選挙結果を精密に眺めると、保守党の得票率は、驚くなかれ僅か1
ポイントしか上昇しておらず、原因は野党の分裂状況だったのだ。

小選挙区制だから一人区に二つ、三つと野党が立候補すれば労働党の票が
割れる。実際にこの労働党の基礎今日が、保守党ではなく、自由民主党と
ブレグジット党へ流れ、結果的に労働党が365議席、労働党は203議
席、自由民主党11.ブレグジット党はゼロ。選挙区の事情によるとはい
え、保守党の大勝利は1987年のサッチャー以来となった。

さて重要なポイントがある。

スコットランドでは独立を主張する「スコットランド民族党」(略称
SNP。スタージョン女性党首)が13議席伸ばして48議席に躍進した
ことだ。

同地域の八割。しかも保守党は、この地域では7議席を失う大敗だった。
2016年に行われた住民投票では「英ポンドが使えなくなる」との宣伝
が奏功して、独立反対票が多く、一度は引っ込めた独立だが、これにより
「もう一度、住民投票を」と叫ぶ声が強くなる。2020年の住民投票も
確実となった。
 
スコットランド独立は民族自決の立場に立てば当然であるが、この原理原
則は状況によって異なるだろう。スコットランドの人口は600万足らず
であり、英国との連合王国のままのほうが経済的にはメリットが大きい。

欧州にとって悪夢は。現状の変更である。

パルセロナ独立はスペイン内乱の再来を予兆させるように、或いは英国に
とって北アイルランド独立運動が、事実上再燃しているように、スコット
ランドの独立は欧州議会においても、厄介な問題を孕んでいる。

住民投票の結果、独立と出ても、カタロニアがそうであるように、あるい
は香港、台湾の現状を見れば、主張は主張として受け取られても、現実は
難しい。

現実の独立とは地方行政機構のうえに中央政府、それにともない外務省、
教育省など行政機構の再編が必要であり、そのうえ独自の軍隊が必要になる。

通貨は独自の主権通貨を発行することになり、フラッグキャリアも必要だ
し、国連への代表も、そのうえ主要国に大使館を開設し、大使を任命する
必要性がでてくる。そうした経済的負担を度外視しても、独立したいと動
いたのが、嘗ての旧ソ連の14カ国であった。

逆にユーゴスラビアの分裂は、対ソ連戦の外交上の延長として欧米が支援
した。セルビアをやりこめる、孤立させる。最終的にはセルビアからさら
にコソボをもぎ取って無理矢理独立させた。

国連はコソボ独立を認めたが通貨はユーロであり、警備はNATO軍があ
たり、たとえば日本は大使館業務をウィーンの日本大使館が兼務する。コ
ソボの独立はかたちだけである。東チモールもまた大国の不条理により、
インドネシアの思惑はみごとに無視されて進んでしまった。

保守圧勝と喜んではおられず、英国政治は深刻な近未来の状況変化に備え
なければ行けなくなったのである。
       
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 2004回】          
 ──「支那を亡すものは鴉片の害毒である」──上塚(22)
上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

           ▽

叙州出立から25日程を経た11月7日、雲南省の省都・昆明に到着し苦難の
旅を終える。
 
「壓しつける樣な東門の大樓をくぐつて、城内に進み、幾何ならずして日
本領事館の前に轎は停つた」。堂々たる構えの「大きな支那風の公館であ
る」。「正館の賓室に導かれ待つ」と、「デツプリと肥えた、如何にも親
みのある本田代理領事が出て來られた。『良く無事でありました。さぞ御
苦勞でありましたらう』」。

やがて夫人や「時吉警部や生田、奥村等の館員諸君も飛んで來られて祝福
を申される。實に故郷に歸つた心持ちであつた」。

昆明での宿は、日本人経営の商社である府上洋行だった。

「親切な主人の導きで、2階の洋室に腰を下ろした時は、重慶以來二ケ月
の疲勞が、一時に起る思ひがした」。

昆明在住の日本人は、雲南省最高権力者・唐継堯の顧問である「陸軍大
佐(當時中佐)山縣初男氏を初めとし」、領事官員、保田洋行に府上洋行
関係者、医師、理髪師、植木師に加え「佛、米、露の各國人の夫人たる
人々が六人、合計二十五人である」。彼らは「故國を遠く離れ、殊に交通
不便な土地に在る事とて、日常極めて親密に往來して居る」。

「既に十數年(途中一時歸朝服務された事もあるが)、雲南に顧問たる
人で、日本人として雲南を訪ふ者は、氏の厄介にならぬ者は無い」とされ
る山縣は、日本の士官学校に学んだ唐継堯に招請されて昆明に滞在し、省
政府の財政・軍事などにつき相談に与かっていた。

じつは大正初年頃から末年までのことだが、昆明滞在の日本人は100名を
超え、日本から大工や左官を呼び日本流の座敷を作り、省政府高官の邸内
には桜が植えられていた。さらには昆明湖には日本製モーターボートが浮
かんでいたというから、日本との関係も深かったわけだ。

保田、府上の両洋行関係者について「雲南に古い人である。あらゆる困
難と戰ひ抜いて、日本商品を雲南人に紹介して居られる努力は、多とせね
ばならぬ」と紹介している。それにしても気になるのが「佛、米、露の各
國人の夫人たる人々が六人」である。彼女らは、どのような経緯で異国の
夫に伴われ昆明にやって来たのか。そもそも彼女らの夫たちは、昆明で何
をしていたのか。疑問は次々に起こる。

上塚は「四川雲南間を踏破した日本人は極めて稀である。

其の稀な人々の多くが、途中で何かの被害に遭つて居る。それに、自分
が、極めて無事に雲南省城に辿り着いた事は、在留同胞の諸君が、心から
喜んでくれた所である」。歓迎会として「在留同胞の多數が昆明湖に舟を
泛べ、西山に登つて、一日の宴遊を恣にした」とのことだが、その「舟」
は果して日本から持ち込まれたモーターボートだったのか。

ところで「四川雲南間を踏破した日本人は極めて稀」とするが、上塚が
旅した大正8(1919)年より12年ほど早い明治40(1907)年に雲南省を踏
査した日本人がいた。

橿原神宮、平安神宮、明治神宮、朝鮮神宮、靖国神社神門、築地本願寺な
どを設計した建築家の伊東忠太(慶応3=1867年〜昭和29=1954年)である。

じつは『揚子江を中心として』は昆明着で終わり、以後は「列國覇權夢の
跡」と題する長江流域に於ける列強による鉄道利権競争の分析となる。

そこで、参考までに伊東の旅を追うことで、雲南省、つまり中国西南辺境
に当時の日本人がどのように関心を示したいたのかを素描しておくこと
も、「列國覇權夢の跡」の理解の一助となろうか。

日露戦争勝利から2年後の明治40(1907)年の秋から冬にかけて、伊東は
貴州省の省都・貴陽から雲南を抜け、さらに緬甸(ビルマ)北部までを歩
いている。

主たる目的は中国西南に残る寺廟、仏塔などの旧い建築物の調査だった
が、旅の先々で出会った日本人について、「支那旅行談」(『世界紀行文
学全集』修道社 昭和46年)に書き残していた。
           
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 読者の声  どくしゃのこえ  読者之声  ドクシャノコエ
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(読者の声1)中共の動向

1.中共政権の弱点

1)無権威性:これは権力に正統な権威がないことである。現代の正統な
権威は伝統と投票によるが、中共には双方ともない。

思想の宗主国ソ連は崩壊してマルクス主義は否定された。毛沢東の無謬性
も否定された。そして21世紀だというのに国民に参政権がないのだ。米国
では元奴隷の国民系国民まで参政権を持っている。そこで民族主義にす
がっているが、民族主義は国民の政治的平等を前提にしているから民族主
義も階級社会の共産主義独裁とは矛盾する。

2)経済発展と独裁の内部矛盾

経済発展には情報と人の移動が不可欠でこれも独裁の維持と矛盾する。し
かし外貨がないと過剰人口10億の食糧が買えない。時代が変わっているか
ら毛沢東時代の飢餓には戻れない。したがって米国と対立することは出来
ない。社会は人と情報の交流により変化し強権でも止めることは出来ない。

2.中共の変化

1)弁証法の大原理:万物は流転する。誰も止めることは出来ない。必ず
変質する。それは既に始まっている。老子は物事の変化の始まりは気が付
かないが後から見ると分かると記している。

2)民族の深層の変化

国民の価値観が取り締まる側も含めて流動している。これも誰も止めるこ
とは出来ない。 革命は生活が良くなると起こる。フランス革命、ロシア
革命も社会が発展したところで発生した。おそらく豊かになると逆に不満
が高まるのだろう。

中共政権は北京大学のマルクス研究会を禁止したという。またリベラル主
義の研究を禁じたという。現代中共は再び革命前夜ということになるのだ
ろうか。      (落合道夫)

   ♪
(読者の声2)生出寿著『凡将山本五十六』(徳間書店;1983年)を読み
返しました。

全体的によく書かれていますが、結論としては、冒頭の「まえがき」に書
かれているように、「山本が真の名将であったならば、まず日米戦を阻止
したであろう。また、どうしても日米戦が起こったとしても、さらに最後
には敗れるにしても、あのような無残な大敗をすることはなかったはずで
ある」ということに尽きると思います。

上記著作は、現在は文庫になっているようですが、刊行後40年近く経った
今の時点でも、十分に一読に値すると私は思います。

以前に、イアン・トールが『太平洋の試練』(原著;2012年、翻訳;2013
年文藝春秋社)の中で、山本の語学力について、「彼は海外を広く旅行し
た国際派で、軍縮交渉でしばしば海軍の代表を務めた。初歩的な会話がで
き、すらすらと読める程度には英語を学んでいた」と述べていることを紹
介しましたが、やっと原書を発見したので、原文を紹介します。
 「He learned enough English to carry on rudimentary
conversations and to read with ease.」

ここで、enough という副詞が使われていますが、副詞としての enough
には、「十分に」「全く、十二分に」という意味とともに、「まずまず、
どうにかこうにか」という意味があり、私が常用しているアンカーコズミ
カ英和辞典では、「She sang well enough.」という例文を挙げ、「彼女
はまあまあ上手に歌った」と訳されています。私は、上記の用法は、この
意味で、「彼の習得した英語会話能力は、どうにかこうにか、簡単な会話
をできる程度で」という意味だと思います。

私は、山本の語学力からして、滞米経験があると言っても十分な情報収集
はできなかったのではないか、と述べましたが、上記生出著書では、山本
が2年間駐米大使館付武官をしていた際のエピソードとして、次のように
述べられています。

「山本は、外交と軍政と航空を重視してきたが、あとはこれというほどの
ものはなく、情報収集とか暗号となると、むしろ性に合わなかったようで
ある。・・・(駐米武官の間、後輩に対して、)『成績を上げようと思っ
て、こせこせ、スパイのような真似をして情報なんか集めんでよろしい』
といっていた。また海軍省から何か調査して報告書を出せという電報が
入っても、『こんなくだらんこと、ほっとけ、ほっとけ』といって、やら
せなかったという。」

私には、とんでもない思い違いであるように思われます。外交官、駐在武
官とは、まさに、時には「こせこせと、スパイのような真似をしてでも」
情報を集めることこそ、その使命ではないのか。また、調査報告を軽視す
るのでは、何のために在外駐在しているつもりなのだろうか。

また、ミッドウェー海戦の直前、愛人を呉にまで呼び出した件について
は、生出氏も「60歳に近いおやじが、それも3週間後には国家の存亡を賭
ける大作戦をひかえる連合艦隊司令長官が、こんなことをするとは思えな
い、というのがふつうである。しかし、山本はそれをやった」と述べてい
ます。

常識からしても、ちょっと考えられない感覚であり、とても「ふつう」と
は思えない。現在のプロ野球監督であっても、キャンプ地へ「愛人」を呼
び寄せるようなことがあれば非難をあびるのではないだろうか。それは、
現在と当時では倫理感覚が異なるというような次元以前の問題ではないか。

山本は、死後、国葬をもって遇されています。しかし、当時の情報下にお
いてでさえも、国葬は適当ではないという意見もないではなかったという
のは当然であったでしょう。元陸軍中将佐藤賢了が、当時も国葬に反対
し、敗戦の後も、「ミッドウェー失敗いらい、わが海軍はほとんどその決
戦力を失ってしまい、戦勢はこの一戦を境として逆転した。その罪は万死
に値する」と述べているのは至当ではないだろうか。(椿本祐弘)


  ♪
(読者の声3)越後湯沢周辺のスキー客について。先週末は白馬、今週末
は越後湯沢周辺とスキー事情を見てきました。

北海道ニセコ、白馬の状況は先般貴メルマガに掲載していただきました。
オリンピックで本格的スキーリゾートの地位を確立した白馬を除くとあと
の本州の代表的なスキーリゾートは越後湯沢地域(湯沢、石打、苗場,か
ぐらみつまた)ごたぶんに漏れず、雪不足。稼ぎ時の正月を控えて大問
題。中国人が下支えをして居る。

イヤー、中国人のスキー客の多さにびっくり。2022年の北京の冬季オリン
ピックが決まってから中国政府がスキー等の冬場のスポーツを振興してい
るそうだ。2018年の冬季オリンピックが韓国の平昌に決まての動きと軌を
一にするようだ。

先週末の白馬でも中国人客の多いことは見てきたがマジョリティではな
かった。

白馬の場合のマジョリティはオーストラリア人? 越後湯沢地域は圧倒的
に中国人客が多いようだ。湯沢のレストランなど中国語のメニューは当た
り前、苗場などは中国語のスキー教室が盛ん。みつまた高原へ上がるため
にケーブルかーに乗ったが8割くらいが中国人。家族ずれが目立つ。

小学生、中学生を連れた若い家族づれ。宿泊も民宿だけではなく、苗場プ
リンスのような大手のホテルも多く使っているらしい。一人っ子政策が基
本のはずだから複数の子ずれは余裕のある家族だからこそなのかもしれな
いが、それにしては多い、多すぎる。色々聞いてみると新潟空港に中国か
ら直接のりいれている飛行便があるとのこと。新潟駅から越後湯沢は一時
間もかからない。

東京からも一時間半以下なので、アクセスがしやすいようだ。それにして
も爆買的な金の落とし方とは違うが中国パワーを垣間見た気がする。
マクロ的な趨勢からしたらごく限られた一局面の瞬間的な現象であとみな
すべきなのでしょうか?

宮崎さん石平さん等がおしゃるように遠からず中国経済は崩壊するはずと
の予測が嘘のように感じた週末でした。(木内信胤の信徒)

  ♪
(読者の声4)評論家 潮匡人先生講演会「激動の2020年 どうする日本」
https://www.kokuchpro.com/event/5cb43c6000579bd9359a39db53cfa535
 激動の年と言われる2020年、日本は目の前に危機が迫っている。日本は
一体どうなるのか、日本はこれからどうすべきか。メディアでもお馴染
み、安全保障の第一人者である潮匡人先生が分かり易く目からウロコ間違
いなしの内容で語ります。

【講師】潮匡人(うしお まさと)先生 国際安全保障学者、評論家
https://sites.google.com/site/ussy02
昭和35年生まれ。早稲田大学法学部卒。
旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。航空教育隊区隊長、第8航空団計器小隊
長、同304飛行隊付幹部、大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程
修)、航空総隊司令部幕僚(総務課兼防衛課)、長官官房(広報課)勤務等を
経て3等空佐で退官。聖学院大学政治経済学部専任講師、防衛庁広報誌編
集長、帝京大学人間文化学科准教授、拓殖大学(日本文化研究所) 客員教
授など歴任。アゴラ研究所フェロー。公益財団法人「 国家基本問題研究
所」客員研究員。NPO法人「岡崎研究所」 特別研究員。めざましテレビ、
朝まで生テレビ!、ビートたけしのテレビタックル、報道2001、とくダ
ネ!、新・情報DAYSニュースキャスターをはじめとするメディアに多数出
演。著書は『安全保障は感情で動く』(文春新書)『誰も知らない憲法9
条』(新潮新書)等25冊。
           記
とき     1月18日(土)14時30分〜16時30分(開場:14時)
ところ    文京シビックセンター26階 スカイホール(文京シビック
センター内)東京都文京区春日1-16-21
交通:東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園駅」直結or都営三田線・大江
戸線「春日駅」徒歩1分
参加費    事前申込:1500円、当日申込:2000円、事前申込の大学
生:500円
高校生以下無料
【懇親会】17時〜19時頃 参加費:事前申込3500円、当日申込4000円
【申込先】1月17日21時迄にメール又はFAXにて(当日受付も可)(懇親会
は1月16日21時迄)
 ★当日は混雑が予想される為 事前申込の無い方の入場は講演10分前とさ
せて頂きます
【主 催】千田会 https://www.facebook.com/masahiro.senda.50
     FAX 0866-92-3551 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp
【後援】新しい歴史教科書をつくる会東京支部
新しい歴史教科書をつくる会 岡山県支部