2019年12月19日

◆よそ者の善意

     高山 正之
 

パシュトゥン人はパキスタンとアフガンにまたがって分布する。

勇猛で、18世紀には思い立って栄華を誇るサフャビ朝の首都イスファハン
を襲い、金銀財宝を奪った。

彼らはその金でアフガンに初めて王朝を建てた。根っからの盗賊民族とよ
く言われる。

悪さをしていないときは羊を追い、畑を耕す。

長閑に暮らしていても金持ちそうな旅人を見かければ即座に鍬を放り出し
て盗賊に変身する。

19世紀半ば、英軍がカブールを放棄して家族や娼婦など総勢1万5000
人で南に引き揚げ始めたときも彼らは見逃さなかった。

英軍の長い隊列のどこかを襲って殺し、奪った。1週間で隊列は消滅し、
ジャララバードの砦に辿り着けたのは医師のウイリアム・ブライドンただ
一人だった。ホームズの相方ワトソン君のモデルになった人物だ。

彼らはインダス川をカヌーで下っていた早大生すら見落とさず、人質にし
て莫大な身代金を取っている。
彼らは秋の収穫を終えると南のパキスタン側に戻る。

あるとき戻ったら国連難民高等弁務官事務所の職員が待っていた。「大変
だったでしょう」と難民キャンプに案内された。

ソ連が武力でアフガンに侵攻し、多くのアフガン人が難民化した、と西側
人権派が大騒ぎをして国連も救済に出た。パシュトゥンはそんなやわじゃ
ないのに。
でも彼らは黙ってキャンプに入り、日本などから贈られた毛布や衣料、電
気冷蔵庫まで心づくしの救援物資をいっぱい貰った。

満足しきった国連職員が去っていくと彼らは貰ったものを叩き売って我が
家のある村に戻っていった。
実は戻ってからも忙しい。持って帰った一袋7キロ詰めの生阿片を精製せ
ねばならない。

まず不純物を取り除いて消石灰を入れて煮立てる。ドロッとしてきたら今
度は塩化アンモニウムを混ぜる。最後に無水酢酸を加えてヘロインを抽出
する。
この工程が臭い。現役の記者だったころ、あの辺を歩いた。クエッタから
アフガンにいく途中には高い土塀で囲まれた家があって、そこからこの悪
臭が漂っていた。彼らは麻薬業者という顔も持っている。

降ってアフガン国境を越えるとすぐスピンバルダックという街に出る。訪
れて3年後にあのタリバンがここで生まれた。
初仕事は数人の少女を誘拐した無法者を襲い、少女を助け出し、犯人をイ
スラムの教えに従って処刑した。

正直、アフガンの民がいいことをするのはあまり見かけたことがない。こ
れはこちらが承知しているただ一つの善行だった。
だからと言ってタリバンはまともさを広めはしなかった。むしろ彼らの持
つよそ者嫌いを徹底させていったように思う。

特にモンゴル系のハザラ人を嫌い、見つけては生皮を剥いで殺した。
ハザラが根城にしたバーミアンも徹底的に破壊した。巻き添えであの巨大
な磨崖仏まで破壊されたのはよく知られる。

そういう人種偏見をこちらもスピルバルダックで体験した。通訳に雇った
タジク人が彼らの話すダリ語に通じていて、連中が襲ってくるという。
その場は何とか逃げ出せたが、そのあと同じルートで来た尾道市の学校教
諭二人が射殺体となって見つかった。座らせて後頭部に一発ずつ銃弾を撃
ち込む処刑スタイルだった。

そんなパシュトゥン人の世界で中村哲は彼らに寄り添って医療を施し、
1600本の井戸を掘ってきた。
ただ、掘った井戸で潤う人たちはにっこりするが、そうでない人は冷やや
かだった。脅しもあったという。

彼の活動に共鳴する日本人は多い。応援に行く人たちが多くなると彼らの
目はハザラを見る目に変わっていったとも聞く。
08年には手伝いに行った日本人青年が殺された。

彼らのよそ者嫌い昂じて今年は米国人NGO5人が殺された。
善意を煩わしく思う世界があることを中村医師は生涯をかけて教えてくれた。

出典:『週刊新潮』令和元年(2019)12月19日号

 【変見自在】よそ者の善意 著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡荘十


正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し始めた。まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”が、いかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。
「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣
歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。
というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。
ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな
スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ
つい先だってまで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。そこで、先日「ウイルスは季節に関係なく拡散しているのではないか、と疑わせる」と根拠もなく書いたが、最近の定説は私の山勘どおりだった。

インフルエンザは熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

新型インフルエンザの蔓延を経験した兵庫県医師会は、「兵庫県においても、初期規制の徹底で一旦ゼロとなったものが、再 び5月を上回るレベルになりつつあり、全数調査の全国的中止にもめげず、可能なPCR検査実施による確定数は増え続けています」と報告している。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

最近の厚労省の報道リリースを見ても緊張感はない。記憶に新しい水際検疫作戦は、世界の非常識だったことを最近になってしぶしぶ認め、方針転換に踏み切ったが、日本国内の企業は秋口に備えてマスクの買いだめに走っている。

やはり、この際の世界の常識は、WHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。   


2019年12月18日

◆「食育」の魁石塚左玄

渡部 亮次郎


食育(しょくいく)とは、食に関する知識を習得し、自らの食を自分で選
択する判断力を身に付けるための取組みのことである。

2005年に成立した食育基本法では、「生きるための基本的な知識であり、
知識の教育、道徳教育、体育教育の基礎となるべきもの」と位置づけられ
ている。

単なる料理教育のみならず、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化
についての総合的な教育も含んでいる。石塚左玄(いしづかさげん)の思
想が生かされている。

一般的ではなかったが、「食育」という言葉は明治時代から使われた。陸
軍の薬剤監(最高責任者)だった石塚左玄は1896(明治29) 年出版の『化学
的食養長寿論』の中で「体育智育才育は即ち食育なり」とはじめて食育と
いう言葉を使った。

現代の食育はこれらの著作をルーツにしながらも、法的根拠を持つ基本理
念が新たに定められている。

2002(平成14)年11月21日、自民党の政務調査会に食育調査会(会長:山
東昭子)が設置された。その目的はBSE問題や産地偽装など食の安全を揺る
がす事件によって生じた消費者の不安や不信感を、食育を通じて取り除く
ことだった。

翌2003(平成15)年に総理大臣(当時)の小泉純一郎が施政方針演説に取り
上げて食育という言葉が一般化した。

小泉総理は1988(昭和63)年に厚生省としては食が一番大事なのではない
かと述べていた。1993年には厚生省監修で『食育時代の食を考える』とい
う著書が出版されている。

著者服部幸應は自分の書いた『食育のすすめ』(1998年)を厚生大臣の頃
の小泉純一郎が読んだからと説明している。

2005年(平成17年)6月10日、食育基本法が成立した。食育によって国民
が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的とし
ている。

石塚左玄(1851年3月6日―明治42年=1909年10月17日)は日本の軍医・医
師・薬剤師。玄米・食養の元祖。

福井県出身。福井藩城下、近郷石塚村で漢方医の家に生まれる。大石内蔵
助の末娘の血筋を引く家系であった。幼少から皮膚病(アトピー)と重症
の腎炎にかかり晩年まで闘病生活を送る。

12歳で医者としての評価があったという。

陸軍で薬剤監となった後、食事の指導によって病気を治した。栄養学がま
だ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食
同源としての食養を提唱した事は驚異に値する。

「体育智育才育は即ち食育なり」と食育を提唱した。「食育食養」を国民
に普及することに努めた。

栄養学の創設者である佐伯矩が現・国立健康・栄養研究所をつくるための
寄付を募っていたとき、左玄の功績を耳にした明治天皇が「そういう研究
所があってもいいのでは」と述べ、その言葉で寄付が集まったという。

左玄。1868(明治元)、18歳のとき、福井藩医学校で勤務する。オランダ
語をはじめとした欧州の言語で解剖学などを学んだ。

1872(明治5)年東京大学南校科学局で御雇になる。
1873(明治6)年、その半年後、医師と薬剤師の資格を取得し、文部省医
薬局の助手を努める。

1874(明治7)年陸軍で軍医試補となる。そこで竹製のピンセットや、担
架、乾パン、乾燥野菜などの重要な発明をしている。
1881(明治14)年陸軍の薬剤監に任ぜられる。

退官後の1894(明治27)年薬学会誌に、「人類は穀食動物なり」、「飲食
物化学塩類論」、「飲食物の加里塩は酸素吸収の媒介者なり」を発表する。

1898(明治31)年頃には、東京市ヶ谷の自宅にある「石塚食療所」に全国
から患者が殺到するようになっていた。

1907(明治40)年「食養会」を創立した。信奉者には華族や陸軍高官、政
治家や財閥なども多くいた。

1909年(明治42年)10月17日、幼少期からの闘病の末、没する。享年58。

食本主義 「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、心身の
病気の原因は食にあるとした。人の心を清浄にするには血液を清浄に、血
液を清浄にするには食物を清浄にすることである。

人類穀食動物論 食養理論の大著である『化学的食養長寿論』は「人類は
穀食(粒食)動物なり」とはじまる。臼歯を噛み合わせると、粒が入るよ
うな自然の形状でへこんでいるため、粒食動物とも言った。

または穀食主義。人間の歯は、穀物を噛む臼歯16本、菜類を噛みきる門歯
8本、肉を噛む犬歯4本なので、人類は穀食動物である。穀食動物であると
いう天性をつくす。

身土不二 「郷に入れば郷に従え」、その土地の環境にあった食事をと
る。居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にす
ることで心身もまた環境に調和する。

陰陽調和 当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム
(塩分)とカリウムに注目した。陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバラ
ンスが崩れすぎれば病気になるとした。

ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚と動物性食品、カリウム
の多いものは野菜・果物と植物性食品となる。しかし、塩漬けした漬け物
や海藻は、塩気が多いためにナトリウムが多いものに近い。

精白した米というカリウムの少ない主食と、ナトリウムの多い副食によっ
て陰陽のバランスが崩れ、病気になる。

一物全体 一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
「白い米は粕である」と玄米を主食として奨めた。

智と才は食養に関係する。智と才は表裏の関係だが、「智は本にして才は
末なり」と智を軽視しないようにして、カリウムが多くナトリウムが少な
い食事によって智と才の中庸を得て、穀食動物の資質を発揮するとした。

軟化と発展力のあるカリウム、硬化・収縮力のあるナトリウムのバランス
に注目する。またカリウムは静性に属し、ナトリウム動性に属する。

幼い頃はカリウムの多い食事をとることで、智と体を養成する。思慮や忍
耐力や根気を養う。

また道徳心や思慮を必要とする場合もカリウムの多い食事にする。 社会
人に近づくにつれ、ナトリウムの多い食事にしていくことで、才と力を養
成する。ただし、ナトリウムが多すぎれば、命ばかりか身も智恵も短く
なってしまう。バランスが崩れすぎれば病気にもなるので中庸を保つよう
に食養する。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆日本衰退の大本の理由は緊縮財政である 

三橋貴明

 
『消費税収、初の20兆円超 20年度、最大の税目に
政府が20日に決定する2020年度予算案で、
消費税収が初めて20兆円の大台を超えることが16日、
分かった。19年度は半年分だった消費税増税の増収効
果が年間を通して出るためで、21兆円台に達する見通
しだ。所得税を上回り、消費税が最大の税目となる。

消費税は税収が景気変動を受けにくく財源として安定し
ているなどの理由で、1989年の導入以降も段階的な
増税が続き、税収全体の3分の1を支える形となった。
これに対し、税率を引き下げてきた法人税は20年度
の税収が12兆円程度にとどまる見通し。』

改めてグラフを見て恐怖を覚えるのですが、
消費税収は「異様」に安定しています。

何しろ、リーマン・ショックがあってすら、消費税収
はほぼ減らず、10兆円前後をキープしているのです。

消費税は減らしにくい個人消費にかかる
(というか、個人消費からはじき出される)
税金であるため、変動が少ない。

つまりは「安定財源」という話ですが、まさに安定財源
だからこそダメなのです、消費税は。

何しろ、弱者からも容赦なく徴収される税金が、消費税
なのです。失業者であっても、子供であっても、
消費税は払わなければなりません(お小遣いから買い物
をする子供も消費税を徴収されるので「可処分小遣い」
が下がります)

20兆円を人口で割ると、約15万7千円。我々は、
消費税として「毎年」15万円兆の消費税を徴収され
ている。四人家族ならば、60万円。しかも、毎年。

デフレが深刻化し、リーマンショックのような経済
危機が起きてさえ、年間15万円の所得を奪われる。
デフレから脱却できなくて、当たり前です。

というわけで、消費税は廃止を目指さなければなり
ませんが、ポイントは「消費税のみならず、日本の
緊縮財政が諸悪の根源」であることを共有しなけれ
ばならないという点です。

昨日のエントリーとも絡むのですが、ナショナリズ
ムに嫌悪感を持つ人々は、「減税」は好みます。
何しろ、徴税とは「国家」が我々の所得を奪い取る
行為です。

とはいえ、財政支出は?現在の日本は消費税を廃止
(最低でも減税)しなければならない局面ですが、
同時に「国民を救う」ために政府支出拡大も必須です。

以前から気になっていたのですが、反グローバリズム
を叫ぶ人には、なぜか同時に緊縮支持、厳密には
「政府はムダなカネを使うな!」と主張する人が本当に多い。

いや、あのね、政府が支出しないで、子供たちの安全を
守れるはずがないし、食の安全も強化することはできません。

政府が予算を使わずに、国民の安全を強化するなど、
そんな魔法があるわけないでしょ。

もちろん、貧困層を救う。特に、氷河期世代、
シングルマザー、激増中の高齢者の貧困、親の所得が理由で
教育を受けられない子供たちを救いましょう。
公務員の二割以上が非正規雇用で、官製ワーキングプア
問題を引き起こしている時点で、日本の恥です。

同時に、防災投資を拡大し、国民を自然災害から守ろうよ。
防衛力を強化し、科学技術を振興し、交通インフラを整備し、
生産性を高め、国民が豊かになる社会を目指しましょうよ。

すべて、やればいいのです。

もちろん、予算ではなく「供給能力」というボトルネック
はあるため、「優先順位」をつけるために政治家が議論する。
大いに結構ですよ。

とはいえ、「消費税を廃止し、不足する財源を
公共事業や防衛費を削減して賄おう」これではダメなのです。

トレードオフ発想から抜け出し、与党や野党の
「国民を想う政治家」が、反・消費税ではなく
「反・緊縮財政」で議論を深める(団結せよ、とは言いませんよ)
これ以外に、我が国が救われる道はないのです。

もちろん、「我々は消費税として、毎年、一人当たり
15万円もの負担を強いられている」というレトリックは、
財務省の緊縮路線を潰す上で、有効ではあります。
とはいえ、消費税を廃止し、別の支出を削るのでは、
結局は我が国の衰退は止められないのです。

アベ・ショックが始まりました。残念ながら、来年は五輪不況、
7月1日の再増税(ポイント還元終了)と、アベ・ショックが
深刻化することは避けられません。

なぜ、これほど悲惨な状態になるのか。安倍政権の緊縮財政
路線が「たった一つの原因」であり、他にはないのです。

というわけで、枝葉末節の議論ではなく、大本の
「緊縮財政路線を転換する」ことに、政治家には注力して
頂きたいのです。いずれにせよ、緊縮路線が転換されない限り、
国民が望む「政策」を推進することは不可能です。

それどころか、中途半端な緊縮の是正は、何しろ限られた
予算のパイの分配を変えるに過ぎないため、新たな
ルサンチマンを醸成し、国民を分断していくだけです。

日本衰退の大本の理由は、緊縮財政である。この「真実」
共有のために、皆様もご協力頂ければと存じます。


◆学問の神様は「政治左遷」

毛馬一三



■郷里九州福岡の友人からの手紙が届いた。添え書きに、「大宰府天満宮に初詣。道真公は、学問の神様というより政治家」と記されている。謎めいた書き様だった。

筆者も、今年の初詣は、高校受験と小学校1年生進学の孫の無事達成を祈って、大阪市北区の菅原道真を祀る「綱敷天神社」を詣でた。大宰府に流される時、淀川のこの地の「梅」に目を留め立ち寄ったことを縁起とする学問の神様の神社だ。

友人の「書き添え」が気になった。菅原道真が右大臣という宮廷要職から大宰府に「左遷」されたことは承知していた。が、「左遷の背景」など全く脳裏に浮かんだことはなく、むしろ「学問の神様」として幼少の頃から崇め参拝し続けてきただけである。

ところが友人がわざわざ「学問の神様というより政治家」と、この歳になり改めて添え書きしたのは、道真が「大宰府まで流されてきたのは政治絡み」であったことを伝えたかったのではないかと考えた。

となると、道真の大宰府への「左遷」とは、秀でた「学識」に対する貴族や官僚達の妬みや、やっかみからではなく、右大臣道真である「政治家」としての暗闘の絡みがあったことを指していることになる。

調べて行くうち、添え書きが納得出来るような気がしてきた。それはこうだ。

道真は、父から天才教育を受けて育ち、862年(貞観4年)弱冠18歳で文章生に合格、さらに870年(貞観12年)26歳で国家試験に合格。祖父や父と同じく式部少輔、文章博士もつとめ、いわゆる宮廷筆頭学者として名声を博した。

こうした博学な道真に目を付けた宇多天皇が、道真を右大臣まで重用し、藤原氏を後ろ盾にしながら、有力皇親、賜姓源氏を抑え込む政略遂行に利用した。しかも宇多天皇が譲位の時、新帝への上奏と勅命旨達は、必ず道真を経るようにまでの権力を与えた。お陰で道真は、遣唐使廃止も強行している。


これらが裏目に出て、宇多天皇(その後上皇・法皇)と、譲位された醍醐天皇との政争に巻き込まれることになった。しかもこの抗争が、宇多天皇が擁護する右大臣道真と、醍醐天皇の懐刀の左大臣藤原時平と政敵になるまでに発展、宮廷内の政争は激化した。

醍醐天皇になって実権を握った藤原時平は、味方の有力皇親、賜姓源氏に加えて、藤原氏一派までも纏めて「反右大臣道真」組織を作り上げ、道真を急速に破局に追い込んで行った。

しかも道真の娘を斎世親王(醍醐天皇の弟)に嫁がせたことが、醍醐天皇を廃することを企図していることだとの噂を宮廷内に流し、道真を完全孤立化させた。

その後、昌泰4年(911)1月25日、突然道真に「太宰権帥(だざいのごんのそち)」への左遷の「宣命」が出されたのである。

伝えられる「宣命」によると、道真は、「寒門より取り立てられ大臣になったのに知足の分を知らず、専権の心を以って前上皇を欺き、廃立を行って父子(宇多先帝と醍醐天皇)の慈を離間し、兄弟(醍醐天皇と皇弟斎世)の愛を破ろうとする」となっている。

道真の左遷の報せを聞いた宇多上皇が、内裏に駆けつけ醍醐天皇との面会を申し出たが、結局叶わなかった。頼みの綱だった上皇の擁護も受けることができず、左遷は実行に移された。肝腎の道真には、一言の釈明、弁解も許されなかったという。

政敵藤原時平の完全勝利に終わったわけで、「政治左遷」が見事に成功したことになる。政争に敗れた道真は、筑紫下向に当たり、自邸の梅に向かって「東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」と屹然と詠んだと伝えられる。

友人は、今年の初詣でこれを知り得たことから、恐らく筆者も同類であろうと考え、添え書きを寄越したに違いない。それも謎めいた書き方で。

添え書きを貰って、新たな菅原道真像が浮かび上がってきた。純粋博学な「学問の神様」と信じ込んでいた道真も、関った激しい「政争」に敗れ、九州築紫の大宰府に「左遷」させられた政治家だったのだ。(了)
参考―平凡社発行 「菅原道真」      2010.01.04

2019年12月17日

◆習近平、軍人事に大ナタ

宮崎 正弘


令和元年(2019)12月16日(月曜日)弐 通巻6309号   

習近平、軍人事に大ナタ。170名を大量に昇格させ、同時に勤務地移動
  人民武装警察も少将を新任、80万体制を縮小へ

中国軍の人事に大異動があった。

まず解放軍だが、12月12日に、7人が新しく「大将」に任命され、中央
軍事委員会のある八一大楼で軍事委員トップ全員出席の下、辞令交付式が
行われた。

許基亮・中央軍事委員会副主任、張又峡(同)、魏鳳和(国防相)、李作
成、苗華、張弁民らがみまもり、習近平からひとりひとりに辞令が手渡さ
れた。

新任の大将は次の七名

 何衛東(前任は上海常任委。以下同)、何平(東部戦区主任)、王建武
(南部戦区主任)、
 李橋銘(北部戦区司令)、周業寧(戦略ミサイル軍司令)、李鳳彪(旧
成都軍区司令員)、
 楊学軍(国防科学技術大学校長)。

先だって12月10日には新任中将が6名、少将が46名、昇格した儀式
が執り行われた。ほかの幹部を併せると合計170名が解放軍の組織内で
昇格する大異動人事となった。

これほど大量の人事発令は異例。もう一つの特色は、軍閥を作らせないた
めに、勤務地が移動されることだ。

すでに12月9日には人民武装警察(武警)でも36名の新少将が任命さ
れた。

これまで不明だった総数が80万人。これを40万人に縮小する計画があ
ることも判明した。人民武装警察は入国管理の任務にも当たるが、暴動鎮
圧で出番が多く、これまでは解放軍の受け皿のように扱われてきた。

皮肉にも退役軍人の抗議集会にも武警が駆り出された。退役軍人は
5700万人。この軍人OBへの恩給や年金だけでも膨大な予算になる。
しかし生活苦を訴える退役軍人らの不満は一向に解消されていない。

それはともかく中国軍は1979年の中越戦争以来、40年も実戦の経験
が無く、軍事パレードで装備の近代化、武器のハイテク化は図られている
が、戦闘実力がどの程度なのかは未知数である。

軍内には嘗て江沢民体制をささえたトップの徐才厚、郭博雄の失脚以来、
くすぶり続けた習近平への不満は払拭されておらず、軍事クーデターの噂
が絶えなかった。暗殺未遂も9回、それゆえ習近平は旧瀋陽軍区への視察
を厭がった。

また7大軍区を5戦区に再編したため、組織の再編プロセスでの齟齬があ
ちこちで発生し、人事面でも矛盾が目立った。本来なら中将クラスが統率
するべき集団軍でも、大佐クラスが集団長代理を務めることがあり、士気
に影響した。

こうした軍区の再編や部署の再組織化など小手先の入れ換えでは習近平の
不安は納まらなかった。

それゆえ今回は大量移動人事の発令と同時に勤務地の総入れ替えで、軍の
不穏な動きをシャットアウトした形になった。これによって軍が効率的に
動けるのか、どうかは別の問題である。
      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 湿度120パーセント、ぞくぞくするが、読み終えるとカラッとなる
  タイ現地在住20年。地元に溶け込んだ著者だからこそ、「怪談集」が
書けた

  ♪
高田篤臣・著、丸山ゴンザレス監修『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

亜細亜の怪談、幽霊話、悪霊、神霊。死体を巡る奇譚のてんこ盛り。ゴー
スト・ルポルダージュと名づけようか。湿度120%である。

ぞくぞくするほど面白いが、評者(宮崎)の興味は文化のアングルである。
宗教がまだ原始的な時代に、人々は何を信仰していたのか。その宗教的要
素が古代からからみ、その場所の風土、風習や文化、気候条件などが加味
されて、仏教の伝来以後も、その国、その地域独特の精霊信仰や幽霊、霊
魂の奇譚が語り継がれてきた。
もとよりキリスト以前にはミトラ教があり、ペルシアにはゾロアスター教
があった。その土台のうえに、独特なキリスト教が西欧に伝播し、中東に
はイスラム世界が拡がっていった。
 本書には、斯界の第一人者と云われる作家の京極夏彦が推薦文を寄せて
いる。
「おそれ、おののき、考える。ぼくらもまた、亜細亜に染み渡る濃密な霊
威に浸っている」と。

カンボジア内戦中、よく聞かされたのはピー(精霊)のことだった。キリ
ングフィールドの舞台を、評者は二回ほど訪ねたことがある。おどろおど
ろしい処刑場や惨い拷問場所、不衛生な監獄が、いまでは記念物のように
飾られ、おどろくなかれ、観光スポットとなっている。同時にここが心霊
スポットである。
こうしたスポットを尋ねる人々を「ゴースト・ツーリズム」というそうな。
日本でも安部晴明ブームが突発するあたりから、全国のパワースポットが
人気となり、とりわけ若い女性が集う。各地にそれらしき『聖域』が誕生
した。粗製濫造の観、なきにしも非ず、だ。
いったい何が面白くて、いかなる動機で著者はタイに棲み着き、霊異の研
究を始めたのか、ともかく研究に年季が入っているので、ページをめくり
ながらフト後ろを見ると霊がまとわっているような錯覚に陥る。

竹本忠雄氏は、やはりカンボジアで国連の救援活動に携わっていたとき、
ピーを経験され、また南米の古城ホテルに滞在した時は、一晩中、悪霊と
戦った経験談を聞かされたことがあるが、その城では昔、大虐殺があった
とか。
いや評者も、三島事件直後のある夜、友人の片瀬裕氏とオフィスにいて雑
談していた時、三島、森田両烈士の軍歌がこつこつと近付く幻聴に、ふた
り同時に陥った。興奮から冷めて原因を調べると風呂場の水が定期的に水
滴となって落下していた音だったのだ。三十年ほど前にも、中村彰彦氏と
会津若松の白虎隊記念館を見学して帰京した夜、霊が取り憑いた経験をし
ており、身近な問題として神霊や悪霊、精霊信仰をかなりの興味を抱いて
接してきた。

科学万能といわれる現代に、なお幽霊、怪談、心霊現象が起こる。
 日本には古代のアニミズムが拡大し、自然信仰から神道が生まれ、古事
記の物語は神代から始まる。
神道はしかし、ドグマがなく、経典も経文もない。いや布教さえしないの
だ。にもかかわらず現代日本人の大多数は正月に参詣するのは何故か。自
動車を買ったら神社に安全祈願に愛車を駆って行くだろう。建築現場では
地鎮祭をやらないと大工さんが工事を始めないのは何故?
東南アジアに共通するピー信仰は仏教の伝来以前からあった。
本書はタイでおきた怪談、怪事件を紐解きながら、ラオス、カンボジア、
ベトナム、ミャンマーなどへとゴースト・ツーリズムが続く。まさに怪作
となった。
   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  ♪
(読者の声1)メルマから貴誌の配信サーバが「まぐまぐ!」に変更され
たため、パソコンの受信者のみが登録出来る設定にしてしまったようです。
前の愛読者2万7千人のうち、登録出来たのは八千数百人。すべてがパソ
コンからの受信者で、登録出来ない2万人近くは、おそらくスマホ、タブ
レット、携帯からの受信者なのだと思います。
パソコン以外でも登録出来るように設定し直えないでしょうか。2万人も
の読者を失っていますから。(MK生)


 
  ♪
(読者の声2)貴誌の配信が「まぐまぐ」になってから「大本」での記事
確認やツイッターマーク等も消え、ツイッターで拡散も出来なくなり(多分
facebookでシェア拡散とかされていた方々も同様かと…)それを残念に思っ
ております!

せっかくの宮崎さんのメルマガ発信をより拡散できる(読者でない方々も
読める)カタチ(以前のような…)又はまぐまぐ記事を宮崎さん本人がツイッ
ター発信(宮崎正弘さんのツイッターアカウントで等) それを又、読者も
リツイート(拡散)できる体制とかあるとせっかくの情報もより多くの国民
や日本語が判り日本を愛する方々にも周知されるかと(反日勢にもより知
られますが…)(かしこ)


(宮崎正弘事務所より)同様な苦情をたくさん戴きました。ハイテクに明
るくないため、どうやって適応すれば良いのか分からず、専門家に相談し
ます。ツィッターとかフェイスブックとかは遣り方も分からず、せっかく
の御提案ですが、対応出来ません。

ともかくメルマ配信停止で発行をやめようかと思っていたのですが、辛う
じて続けております。

  ♪
(読者の声3)その後、日米開戦前の外交交渉などについては、井口武夫
『開戦神話』(中公文庫;2011年7月、初刊は2008年7月、英訳版2010年)
を読み返して、あらためて非常に参考になりました。
 
こうした重大な問題点の真相が、戦後の東京裁判対策、個人的又は組織的
な弁護等のために歪められており、必ずしも明らかにされているとは言え
ないことを残念に思います。

米国の軍事力がアジアから漸次後退を進めつつある現在、日米開戦前の国
際的状況について、冷静、衡平な歴史的考察を加える必要性がますます高
まっているのではないだろうか。

ただし、こうした外交交渉、対米通告時点というような政略問題は、軍事
的問題と関連はあるとしても、取るべき戦略の是非とは別個の問題であ
り、私は山本五十六連合艦隊司令長官が主導した真珠湾奇襲作戦という戦
略、戦術が愚策であったことは明らかだと思います。(椿本祐弘)

  ♪
(読者の声4)11月11日、米国では「復員(退役)軍人の日」として休日
である。翻訳したら「英霊の日」となるだろうが、そんな休日をいつに
なったら制定できるのだろうか。

その日に「ミッドウエー」という新しい映画が公開になった(制作費60億
円)。

真珠湾での屈辱を6ヶ月後に晴らす、戦の展開点となり、これは米国とし
ては輝かしい歴史的な出来事である故に、長く国民に記憶させるという意
味もある。NHKや文科省の自虐史観を植え込む、の反対である。

この映画を解説する25分の動画があったので見てみた。米海軍大学の歴史
学教授のクレイグ・レイモンド氏による両国が複雑な混乱した、いわばメ
クラ同士が戦っている様子を図を持って説明している。

双方とも情報不足のため、運が勝敗を決めて行った様だ。広い海では少し
離れると何も見えない。日本では暗号が解読され、待ち伏せされた、など
非を挙げているが勝てていた可能性も十分あった、様だ。その動画:
https://www.youtube.com/watch?v=wyFZ3cJRrcg

ついでに同氏の講演「真珠湾に至る経緯」(2016年12月録画)という
のもみて見た。日本の保守派の大東亜戦争歴史観は近年「修正」され真実
に近くなったわけだが米国の良心的な歴史家もその様に学問の真理を求め
ているに違いない、という希望と期待があるようだ。しかし彼はきっぱり
と「修正」を切り捨てる。

ここで大事な点は、国営の海軍大学とは普通の学問を追及するのではな
く、戦争に勝つことを目的としている。

真実はもちろん内輪では研究するだろうが、公の場では、一般国民に向け
ては、国家の公式の歴史認識を作り、維持するという義務があるのであろう。

これこそが日本の政府、教育、報道機関が真似すべき態度・行動であろう。

国民にとって、国家は常に正しい、誇るべき存在であるべきであり、その
ためには当然命を献げる。そのような「正しい」記憶・価値観こそが最大
の国防武器となる。それ無しには戦争にもならずに負けてしまう。それ故
に、映画などで正しく教育(洗脳)しつずける必要がある。当然、支那も
ロシアもやっている。(KM生)


(宮崎正弘のコメント)ニクソンの「アファーマティブ・アクション」成
立以降、米国も歴史教育はリベラリズムに冒され、国を愛さない人々が増
えています。

ケント・ギルバートがよくいう「米国での歴史教科書は、アメリカが好き
になるように書か入れている」というのは昔話になりつつあります。

あのベトナム反戦運動以来のリベラリズムは「アメリカン・アイデンティ
ティ」を破壊しました。それがクリントン、オバマというおかしな人を選
んだ。

米国世論の分裂、東海岸、ラストベルト地帯と西海岸は、中西部と南部の
価値観とはことなり、まるでアメリカは分裂しています。
  ♪
(読者の声5)再々シツコク投稿しておりまして、もう自粛せねば、と
思っているのですが、「読者の声」で「彼女(15歳のグレタちゃん)だけ
では無いだろうが、英語での会話に全く慣れており自国語の様に使ってい
る。スウェーデン語は日本語ほど英語に遠い、と言われる。」 

とあるのを見て、また投稿したくなりました。

私事になりますが、小生が生まれて初めて訪れた外国はスウェーデンでし
た。もう三十数年前のことで、スウェーデンにおける過疎地の地域政策調
査という目的だったのですが、このために、それまで英語など全く縁がな
かったところを、40歳近くになって英語学習を再開したのでした。

訪問前は、スウェーデン語の入門書も購入したのですが、スウェーデン語
はドイツ語と親近性があるのかと思っていたものの、単語などにもほとん
ど親近性を見出せなく、最低限の会話だけを丸暗記して出発しました。

行ってみると、同国では、首都ストックホルムでも、地下鉄駅掲示や、街
路・交通標識などはほぼスウェーデン語のみでしたが、口頭ではほぼ完全
に英語が通じました。

これは、人口が800万人台後半(1985年当時、2013年では991万人、その後
かなり移民を入れた結果であろう)であることもあり、出版業なども、特
に翻訳書などは採算規模までに至らず、また欧州内の小国ゆえに国際交流
が必然であることから、事実上の国際語である英語を習得せざるを得ない
ため、幼少期から英語教育を行っている結果だと考えられます。

しかし、しょせんは彼らにとっても英語が外国語であることには変わりは
なく、ストックホルムの訪問先で話していても、時々、言いよどんでいた
りしました。また、地方へ行くと、一般的会話もかなり通じなくなりまし
た。日常的に使っていない人の場合は当然のことでしょう。

「Let’s  go Dutch.」と言っても通じず、私が意味を教えたりしたこと
もありました。また、ストックホルムの訪問先で、ボスが、大きな声で
「日本人が来るようなので、ゆっくり話してやらないとな」とうすら笑い
を浮かべながら指示しているのを聞いて、「お前さん方は、しゃべるのは
速いのかもしれんが、計算は遅いようだから」と言って、手みやげに持参
したカシオの電卓をプレゼントしたりしたこともありました。

三十数年前は、日本経済が絶頂期に入り始めたころでした。

その頃、日本製自動車が同国で(国別での)トップ・シェアとなったとか
で、日本経済に対する関心は高かった半面、妙にプライドが高いような発
言をされて、人種差別的な反感のようなものも感じさせられました。

上述のように、三十数年前から100万人以上、10%以上の人口増が見られ
るようで、これは移民の増加によるものでしょう。藤原正彦お茶女大名誉
教授が、『月刊文藝春秋』8月号の巻頭随筆で、来日したスウェーデン人
学生が氏に語った同国の実情として、「スウェーデンでは、失業保険受給
者の過半数は移民であり、1000万人の人口に対し移民はすでに250万人と
なり、・・・移民の住む地区はスラム化し頻繁に暴動が起きています」と
いうことを述べておられます。

藤原氏がストックホルムを訪れたのは15年前だということですが、そのス
ウェーデン人学生の話では、「今は押し寄せた移民で何もかもすっかり変
わってしまった・・・私達は夢を見ていました。・・・」、「低賃金でほ
とんど税金を納めない人々のための健康保険や失業保険による財政逼迫、
言葉を話せない青少年を大量に引き受ける教育現場の混乱、治安の悪化や
国内労働者の賃金低下などが進んでいる」
といいます。

上記投書子は、「(15歳のグレタちゃんを)日本の保守派の有識者は、大
人に利用されたバカ、とかたづけている」と言われます。私も、その「保
守派の有識者」に近い感想を持っています。しょせんはコドモじゃないで
すか。

もう一度、舛添要一前都知事による小泉環境相への酷評を引用しておきます。

「一国を代表して国際会議で演説することの重要性が分かっていない。国
際会議と英語は暫し控えたほうがよい。」

大臣という立場でありながら、下手な英語をしゃべる若造の方が、15歳の
コドモよりもっと害が大きいのは言うまでもないでしょう。グレタちゃん
は、英語がうまいだけでもマシというものですが。(椿本祐弘)


(宮崎正弘のコメント)ストックホルムには3年前に、1度しか行ったこ
とがない小生としては現状は分かりませんが、人心が荒んでいることだけ
は感得できました。レッツゴーダッチは割り勘ですね。欧州ではよく使い
ます。
        
  ♪
(読者の声6)貴誌連載中の樋泉先生、この度は『知道中国』連載二千回
を達成された由。まことにおめでとうございます。この日本をして正気を
取り戻すためには「年寄りが頑張らねば!」と日頃より年寄り連を鼓舞し
つつ、率先垂範の姿勢に敬意を表します。

連載に取り組むに際し、無休で精進し、報酬を求めず、命が続く限り連載
を続け筆を置かない、という先生の三無(無休・無給・無窮)主義は、支
那人とりわけ北京の中南海に棲息する輩にとっては想像が及びもつかない
驚天動地の宣言です。

『知道中国』の目的の一つは、過去の日本人による支那研究論文、紀行、
視察報告書等のお人好しでノーテンキな報告や誤った内容を是正し、真実
の中国の歴史・政治・社会構造・思想等や中国人を理解することでしょう
から、支那学の泰斗と言われた内藤湖南についても容赦ありませんね。

湖南の著述の中身を指弾したのち、「(日本)列島の自然環境、他を疑う
ことを忌み嫌う類まれにウブな(日本人の)民族性に根差す日本漢学で
は、大陸に住む荒唐無稽民族のヒネクレタ感情を理解できそうにない、や
はり至難だ。」と嘆息されておられますように、道は険しく遠いとは思わ
れます。
今後益々のご健筆を祈念いたします。(鵜野幸一郎)


(宮崎正弘のコメント)連載の単行本化を望みたいですね。

◆「食育」の魁石塚左玄

渡部 亮次郎


食育(しょくいく)とは、食に関する知識を習得し、自らの食を自分で選
択する判断力を身に付けるための取組みのことである。

2005年に成立した食育基本法では、「生きるための基本的な知識であり、
知識の教育、道徳教育、体育教育の基礎となるべきもの」と位置づけられ
ている。

単なる料理教育のみならず、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化
についての総合的な教育も含んでいる。石塚左玄(いしづかさげん)の思
想が生かされている。

一般的ではなかったが、「食育」という言葉は明治時代から使われた。陸
軍の薬剤監(最高責任者)だった石塚左玄は1896(明治29) 年出版の『化学
的食養長寿論』の中で「体育智育才育は即ち食育なり」とはじめて食育と
いう言葉を使った。

現代の食育はこれらの著作をルーツにしながらも、法的根拠を持つ基本理
念が新たに定められている。

2002(平成14)年11月21日、自民党の政務調査会に食育調査会(会長:山
東昭子)が設置された。その目的はBSE問題や産地偽装など食の安全を揺る
がす事件によって生じた消費者の不安や不信感を、食育を通じて取り除く
ことだった。

翌2003(平成15)年に総理大臣(当時)の小泉純一郎が施政方針演説に取り
上げて食育という言葉が一般化した。

小泉総理は1988(昭和63)年に厚生省としては食が一番大事なのではない
かと述べていた。1993年には厚生省監修で『食育時代の食を考える』とい
う著書が出版されている。

著者服部幸應は自分の書いた『食育のすすめ』(1998年)を厚生大臣の頃
の小泉純一郎が読んだからと説明している。

2005年(平成17年)6月10日、食育基本法が成立した。食育によって国民
が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的とし
ている。

石塚左玄(1851年3月6日―明治42年=1909年10月17日)は日本の軍医・医
師・薬剤師。玄米・食養の元祖。

福井県出身。福井藩城下、近郷石塚村で漢方医の家に生まれる。大石内蔵
助の末娘の血筋を引く家系であった。幼少から皮膚病(アトピー)と重症
の腎炎にかかり晩年まで闘病生活を送る。

12歳で医者としての評価があったという。

陸軍で薬剤監となった後、食事の指導によって病気を治した。栄養学がま
だ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食
同源としての食養を提唱した事は驚異に値する。

「体育智育才育は即ち食育なり」と食育を提唱した。「食育食養」を国民
に普及することに努めた。

栄養学の創設者である佐伯矩が現・国立健康・栄養研究所をつくるための
寄付を募っていたとき、左玄の功績を耳にした明治天皇が「そういう研究
所があってもいいのでは」と述べ、その言葉で寄付が集まったという。

左玄。1868(明治元)、18歳のとき、福井藩医学校で勤務する。オランダ
語をはじめとした欧州の言語で解剖学などを学んだ。

1872(明治5)年東京大学南校科学局で御雇になる。
1873(明治6)年、その半年後、医師と薬剤師の資格を取得し、文部省医
薬局の助手を努める。

1874(明治7)年陸軍で軍医試補となる。そこで竹製のピンセットや、担
架、乾パン、乾燥野菜などの重要な発明をしている。
1881(明治14)年陸軍の薬剤監に任ぜられる。

退官後の1894(明治27)年薬学会誌に、「人類は穀食動物なり」、「飲食
物化学塩類論」、「飲食物の加里塩は酸素吸収の媒介者なり」を発表する。

1898(明治31)年頃には、東京市ヶ谷の自宅にある「石塚食療所」に全国
から患者が殺到するようになっていた。

1907(明治40)年「食養会」を創立した。信奉者には華族や陸軍高官、政
治家や財閥なども多くいた。

1909年(明治42年)10月17日、幼少期からの闘病の末、没する。享年58。

食本主義 「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、心身の
病気の原因は食にあるとした。人の心を清浄にするには血液を清浄に、血
液を清浄にするには食物を清浄にすることである。

人類穀食動物論 食養理論の大著である『化学的食養長寿論』は「人類は
穀食(粒食)動物なり」とはじまる。臼歯を噛み合わせると、粒が入るよ
うな自然の形状でへこんでいるため、粒食動物とも言った。

または穀食主義。人間の歯は、穀物を噛む臼歯16本、菜類を噛みきる門歯
8本、肉を噛む犬歯4本なので、人類は穀食動物である。穀食動物であると
いう天性をつくす。

身土不二 「郷に入れば郷に従え」、その土地の環境にあった食事をと
る。居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にす
ることで心身もまた環境に調和する。

陰陽調和 当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム
(塩分)とカリウムに注目した。陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバラ
ンスが崩れすぎれば病気になるとした。

ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚と動物性食品、カリウム
の多いものは野菜・果物と植物性食品となる。しかし、塩漬けした漬け物
や海藻は、塩気が多いためにナトリウムが多いものに近い。

精白した米というカリウムの少ない主食と、ナトリウムの多い副食によっ
て陰陽のバランスが崩れ、病気になる。

一物全体 一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
「白い米は粕である」と玄米を主食として奨めた。

智と才は食養に関係する。智と才は表裏の関係だが、「智は本にして才は
末なり」と智を軽視しないようにして、カリウムが多くナトリウムが少な
い食事によって智と才の中庸を得て、穀食動物の資質を発揮するとした。

軟化と発展力のあるカリウム、硬化・収縮力のあるナトリウムのバランス
に注目する。またカリウムは静性に属し、ナトリウム動性に属する。

幼い頃はカリウムの多い食事をとることで、智と体を養成する。思慮や忍
耐力や根気を養う。

また道徳心や思慮を必要とする場合もカリウムの多い食事にする。 社会
人に近づくにつれ、ナトリウムの多い食事にしていくことで、才と力を養
成する。ただし、ナトリウムが多すぎれば、命ばかりか身も智恵も短く
なってしまう。バランスが崩れすぎれば病気にもなるので中庸を保つよう
に食養する。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


◆中国の弾圧に日本こそ物申せ

櫻井よしこ


香港問題にどう対処するかは、日本がどんな国でありたいかという問いと
表裏一体である。

米国では、上下両院がほぼ全会一致で可決、トランプ大統領が署名して11
月27日、香港人権・民主主義法が成立した。一国二制度の下で香港人の高
度な自治が守られているかを調べ、人権侵害に関わった当局者の在米資産
の凍結や米国への入国禁止を大統領が決定するという内容である。

少なからぬ中国共産党幹部が米国に資産を有しているとみられるため、同
法には一定の効果が期待される。香港人は勇気づけられ、
星条旗を高く掲げた。反政府デモは再び激化する様相を見せている。一
方、北京政府は人民解放軍によるデモ隊制圧の訓練の様子を広く報道し、
これ以上の「自由な動き」は許容しない構えだ。米国への報復として米艦
船の香港寄港拒否なども発表した。

そうした状況下で日本の行動が問われている。周知のように、安倍晋三首
相は習近平国家主席を来春、国賓として迎える予定だ。同方針には強い反
対がある一方で、最終局面での方針転換は最悪の結果を招くとの外務省系
の主張もある。それは以下のような理屈に基づいている。

 ◎本気で介入し、香港を助ける気は米国政府にはない

 ◎介入すれば、香港経済は悪化し、香港との取引で大幅な黒字を得てい
る米国も利益を失う

 ◎日本人も日本国も所詮、香港問題に手出しはできない

 ◎従って香港人を無闇に煽り、期待を持たせることは却って問題を深刻
化させる

要は第三国は香港を助けることができない、香港は中国共産党の圧力に従
うしかないというわけだ。

確かに中国が「国内問題だ」と強弁し、他国の介入を極度に警戒する案件
で、わが国のみならず第三国ができることは限られている。世界第二の軍
事・経済大国の中国の壁は厚いからだ。

しかし、国際社会の価値観も、各国政府の中国に対する視線も、変化して
いる。そのことに日本こそ敏感でありたい。より良い方向に向かおうとす
る国際社会の変化と歩調を一にすることが日本の国益である。いま、ここ
で日本らしい価値観に立脚せずに、日本はどのような立場にこれから立ち
得るのかと思う。

中国の黒い支配

香港もウイグルも国内問題だとして野蛮な弾圧を加える中国政府への批判
を強めているのは米国だけではない。英国もフランスも、親中姿勢が目
立っていたドイツも同様だ。

国家が領域内の住民の「保護責任」を果たさず、「人類の良心に衝撃を与
える」危機的状況が発生した場合、たとえそれが国内問題ではあっても、
「人道的に介入できる」という方向に国際社会の潮流は明確に変化してい
るのだ。1999年、コソボ紛争において国連が主導した和平計画も、2004年
の国連北朝鮮人権法もその具体例だ。わが国こそ、国連よりも厳しい内容
の北朝鮮人権法を作ったではないか。中国に無為無策であり続けるのは、
国家として辻褄が合わず、道理も立たない。

この際、香港の状況を深く心に刻もう。彼の地では6月のデモ以来9月まで
の4カ月間で、自殺案件は256件、その他に2537件の死因不明の遺体が発見
された。

これは11月13日付の香港保安局発表の統計である。公式発表で、死因不明
の遺体が日々平均して21体も発見されているというのだ。中国出身の評論
家、石平氏が、香港は既に第二の天安門になったと断じたが、そのとおり
であろう。

これが共産党一党支配の中国のやり方である。眼前で進行中の非常事態
を、中国の国内問題だとして放置することは断じて許されないだろう。そ
んなことをした日には、必ず、近未来にわが国にも災いが、つまり中国の
黒い支配が及ぶ。

モンゴル出身の静岡大学教授、楊海英氏が新間聡氏と共に世に問うた『モ
ンゴル最後の王女』(草思社文庫)で訴えている点もまさに同じだ。氏は
同書で、民族問題は決して中国の国内問題ではなく、すべて国際問題だと
繰り返す。中国は「内政」を盾に、他国の介入を強く牽制するが、モンゴ
ル人弾圧を見過すことは、後述するように間接的にモンゴル人と日本人の
歴史を清算することであり、日中関係そのものにはねかえるというのだ。

同様に、チベット人への迫害はダライ・ラマ法王とその亡命政府を擁護す
るインドへの挑戦であり、ウイグル人虐殺は万単位のウイグル人を抱える
トルコ及び中央アジア諸国にとっての非常に厳しい国際問題だと、説明する。

香港の件に戻れば、香港問題は即、台湾問題である。台湾問題は即日本に
はねかえる。中国の言う国内問題は、日本に密接につながる国際関係連立
方程式なのだ。

少数民族自治の実態

それにしても中国は彼らの言う「国内問題」を、どのように片付けてきた
のか。楊氏は、チンギス・ハーンの末裔でモンゴル最後の王女、スチンカ
ンルの一生を辿ることで、中国の残虐的手法を描いてみせた。

王女スチンカンルは1927(昭和2)年に生れた。女児は聡明で美しく、10
歳になった頃、北京郊外の盧溝橋で日中戦争が始まった。やがて日本は敗
戦し、満蒙政策に協力したモンゴル人たちを後ろに残して引き揚げた。戦
後、モンゴル人を襲った悲劇の大きな原因のひとつが日本に協力したこと
だった。もうひとつの原因は彼らが中国から独立しようとしたことだった。

どちらの要因も中国共産党の憎しみを買い、そのためにとりわけ苛酷な弾
圧の日々がモンゴル人を待ち受けていた。58(昭和33)年に始まった「大
躍進」では王女スチンカンルも、その母の王妃も土中に掘った穴を住居と
した。

大躍進では農民2000万人が餓死したとされる。スチンカンルは灌木林に捨
てられた家畜の死肉を乾燥させて食し、辛うじて生きのびた。

66年に文化大革命が始まると、真っ先に文革の嵐に晒されたのもモンゴル
人だった。王家の血筋を引くスチンカンルにはとりわけおぞましい責め苦
が加えられた。大群衆の前でつるし上げられ、凄じい暴力を振るわれ、心
身共にボロ#裂#きれ#同然となった。彼女はやがて「私は反省する。反省
します」とぶつぶつつぶやき、頭を下げ続けるようになった。

楊氏は書いている。

「内モンゴル自治区では、中国人が一方的にモンゴル人をリンチし、殺害
するというジェノサイドが実行された。これが、少数民族自治という政策
の実態である」

中国共産党政府は心中深く、日本に強い敵愾心を抱いている。彼らの非人
道的手法を止めることは世界のためでもあるが、何よりも日本国のため
だ。日本の武器は価値観と道義である。それをいま、打ち出すのだ。

『週刊新潮』 2019年12月12日号日本ルネッサンス 第880回


◆春日局は光秀重臣の娘

毛馬 一三


春日局(かすが の つぼね)は、本名斎藤福(さいとう ふく)と云い、江戸幕府の3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」との名は、朝廷から賜った称号である。
ところが、福の父は本能寺の変で織田信長を暗殺した、明智光秀の重臣・斎藤利三で、福はその娘だった。

斎藤利三は捕えられ斬首されたが、そんな本能寺の変の主役の娘・福をどうして江戸幕府の大奥に招き入れ、大奥の頭の「春日局」にまで優遇したのだろうか。「謎」の一つだ。

<福は父斎藤利三の所領のあった丹後国の黒井城下館(興禅寺)で生まれる。丹波は明智光秀の所領であり、利三は重臣として丹波国内に、光秀から領地を与えられていた。
光秀の居城を守護するため、福知山城近郊の要衝である黒井城を与えられ、氷上群全域を守護していたものと思われる。福は、黒井城の平常時の住居である下館(現興禅寺)で生まれたとされている。

こうして福は、城主の姫として、幼少期をすごした。
その後、父は光秀に従い、ともに本能寺の変で織田信長を討つが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し、帰城後に坂本城下の近江国堅田で捕らえられて斬首され、他の兄弟も落ち武者となって各地を流浪していたと考えられている。

そうなって福は、母方の実家の稲葉家に引取られ、成人するまで美濃の清水城で過ごしたとみられ、母方の親戚に当たる「三条西公国」に養育された。これによって、公家の素養である書道・歌道・香道等の教養を身につけることができた。>ウイキペディア
このような歴史背景から見て行くと、明智光秀の重臣だった父親の血を惹く実の娘が、江戸幕府に召し上げられて、「春日局」となるとは、首を傾げたくなる訳だ。

大阪堺の歴史家によると、徳川家康は本能寺の変の前に、織田信長を訪ね酒杯を頂きながら戦況を交わしている。明智光秀はこの酒杯のお世話を担務したが、段取りを信長に嫌悪されて過激の叱責を受け、信長側近の地位を剥奪された。
そこで信長を将来の身を絶望恨み、本能寺の変を決意したという。

ここで重要なことだが、重臣斎藤利三を遣って、徳川家康に信長暗殺を秘かに伝え、本能寺の変に突入したのだそうだ。そして徳川家康には、無事に京都から大阪を経て、堺まで逃げ込む方策を告げたのだという。

密告通り、京都で「変」が起こったことを知った家康は、迎えに駆けつけてきた斎藤利三の強力家来に誘導されて方策通り、堺に向けて脱出。そのあと伊賀の多数の忍者に擁護されながら、本拠城の三河城に苦労して辿りついたという。
この行動は、恰も本能寺の変とは「無縁」であり、むしろ「被害者」たる姿勢を世間に見せ付ける行動を敢えて披露したように見える。堺にはそれを裏付ける資料もが少々あるというのだ。

つまり、家康にとって、斎藤利三は命の恩人ということになる。秀吉にとってもゆるせない反乱重臣の一人斎藤利三こそ、家康にとっては恩返しをしなければならない重要人物であることは間違いないことになる。つまり、「福」は紛れもない命の恩人の娘だったのだ(歴史家)。
ところが、もう一つの見方もある。「謎」の二つ目である。

つまり、家康がすみやかに京都を脱出出来たのは、家康と光秀の間で、信長を暗殺する方策を事前から立案し合っていたものではないか。その脱出方策の実行を斎藤利三に任せ、家康の身の安全と、信長後任の詰めまでも、申し合わせていたのではないかと云う見方もある。つまり、家康こそ「暗殺首謀者」だとの見方だ。

方策は見事に成功した。ところが斎藤利三は斬首された。となれば上記と同様、家康は、紛れもない命の恩人の娘だった「福」に、父親の恩を返してやることを考えたに間違いないと考えられる。

さて、<福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。慶長9年(1604年)に2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)の乳母に正式に任命される。このとき選考にあたり、福の家柄及び公家の教養と、夫・正成の戦功が評価されたといわれている。
家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・江の下で大奥の公務を取り仕切るようになる。寛永3年(1626年)の江の没後からは、家光の側室探しに尽力し、万や、楽、夏などの女性たちを次々と奥入りさせた。

また将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握る。
寛永6年(1629年)には、家光のほうそう治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま10月には上洛して御所への昇殿を図る。
しかし、武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため、血族であり(福は三条西公条の玄孫になる)、育ての親でもある三条西公国の養女になろうとしたが、既に他界していたため、やむをえずその息子・三条西公条と猶妹の縁組をし、公卿三条西家(藤原氏)の娘となり参内する資格を得ている。

そして三条西 藤原福子として同年10月10日、後水尾天皇や中宮和子に拝謁、従三位の位階と「春日局」の名号及び天酌御盃をも賜るのである。

その後、寛永9年(1632年)7月20日の再上洛の際に従二位に昇叙し、緋袴着用の許しを得て、再度天酌御盃も賜わる。よって二位局とも称され、同じ従二位の平時子や北条政子に比定する位階となる。
寛永11年に正勝に先立たれ、幼少の孫正則を養育、後に兄の斎藤俊宗が後見人を務めた。寛永12年には家光の上意で義理の曾孫の堀田正敏を養子に迎えた。

寛永20年(1643年)9月14日に死去、享年64。辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」。法号は麟祥院殿仁淵了義尼大姉。墓所は東京都文京区の麟祥院、神奈川県小田原市の紹太寺にある〉。  ウイデペディア。
このように「福」の奇跡的な生涯を見て行くと、上記に<武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため>とあって、これを秘匿した工作がはっきりしてくる。「謎」の一つは解けそうだ。

しかも、素晴らしい殿中での政治的画策の実現を図る、「福」の明晰な頭脳が分かる。

しかし、家康と明智光秀が共謀者同士だったかの、二つ目の「謎」は分からない。
                                        
この「春日局」の生涯には、誠に興味が深い。      以上

2019年12月16日

◆香港警察の超過勤務手当は

宮崎 正弘


令和元年(2019)12月14日(土曜日)通巻6306号 

 戦い済んで日が暮れて(その2)
  香港警察の超過勤務手当は15億円だった

 香港警察は1万1000名。六ヶ月にわたるデモ、集会、衝突の連続で、
週末はほぼ出動し、早朝から深夜まで。「超過勤務手当」が支給された。
警官ひとりにつき毎月60時間の平均的な超過勤務手当が支給された。

 香港の警備予算は202HK億ドル。そして9億5000万HKドルが、警官の
「残業」手当だけで、追加支給された。

 アムネスティインターナショナルは残忍な弾圧ぶりに抗議の声をあげて
いるが、香港が問題にしているのは初めての「財政赤字」である。
観光客激減、有名ブランドほぼ壊滅、小売店の売り上げ不振などで、不動
産取引も激減し、歳入が未曽有の落ち込みを示した。

 廃墟から立ち上がらなければならない小売店、スタバ、吉野屋、元気寿
司、中国工商銀行、中国銀行、地下鉄駅、ローカル軽鉄駅、道路標識と信
号の改修工事等々、これらは再建にいったいいくらかかるのか。

 荒土と化けた香港中文大学、理工大学などは年内に改修工事は間に合わ
ず、来年早々の授業再開まで、キャンパスは閉鎖される。
これらの再建工事費用は誰が負担するのか、台風保険はあるが、暴動被害
保険はない。
香港財閥第一の李嘉誠は、被害店舗の再建に、一軒当たり50万HKドル
を寄付すると公表しているが、その程度ではとてもカバーできない。

     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 書評 しょひょう BOOKREVIEW 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
もし日本が中国の支配下にはいり、日本語を禁止され、中国語を強要さて
漢族優先の歴史教育に従わないと、刑務所にぶち込まれると仮定したら?

  ♪
トルグン・アルマス著、東綾子訳『ウィグル人』(集広舎)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 ウィグルの悲劇とは、はるか遠き異郷で起きている現実なのだが、日本
のメディアは報道に不熱心だし、日本人の多くは「われ関せず」、おそら
く大多数の日本人には興味のないことである。
 
しかし、もし。
日本が中国に征服されて、その支配下に組み込まれ、女たちは強制的に
中国人と結婚を強要され、学校では日本語を禁止され、日本語の書籍は焼
却処分され、小学校から中国語の習得が義務となる。そのうえ全体主義独
裁の中国国旗に忠誠を誓わされ、日本語を喋ったり、漢族優先の歴史教育
に従わないと、刑務所にぶち込まれ、強烈に洗脳されることになるだろう。

それでも不服と反抗したら、拷問され、男は強制労働に駆り出され、女は
強姦され、あるいは臓器を摘出されるという地獄の未来図を仮定したら?

いまウィグルで何が行われている現実である。

しかしどうしてそうなったか。冷酷な現実を、私たちはもっと身近な、切
実な問題として再認識できるのではないか。

本書はウィグル人が紀元前数世紀から文明を開化させて豊穣な歴史を歩
み続けてきた史実を概略的に述べた一大叙情詩とも言える大作である。
 あたかも、日本から神話が消え、日本書紀も古事記も焼却処分され、も
し持っていたら、刑罰の対象となる日が来ると想像してみるとよい。
実際にウィグル人は神話も歴史も否定された。
 
本書は甦るウィグル版日本書紀。つまり『ウィグル紀』だ。
 「ウイグル・カガン国」から「カラハン朝」、「天山ウィグル国」、そ
して「甘州ウィグル国」へと至る正史でもある。

人類最古の文字はメソポタミア文明をひらいたシュメールである。シュ
メール文字をもとに作られたアラム文字は、ソグド文字や突厥文字に類似
し、紀元前2000年にはウィグルの地に伝わったと著者のアルマスは言う。
 紀元前七世紀、中央アジアの一角に勢力を誇った凶奴、2世紀頃には鮮
卑があらわれて、凶奴を西へ追いやり、やがて5世紀後半には東に柔然、
西に突厥、南の吐藩(チベット)が、7世紀後半には鉄勒がおこり、中支
あたりに唐王朝が勢力を蓄えてきた。ウィグルは大国だった。

凶奴、突厥、鉄勒などチュルク系が、トルコへの南下をはじめる一
方、ウィグルには幾つかの王朝が交替した。

こうした歴史の変遷をダイナミックに活写しつつ、ウィグル人の一大叙情
詩を詠った。解説を書いた三浦小太郎氏は言う。

「遊牧民族特有の、民族や国境を軽々と越えていく自由は精神の躍動」が
本書にあふれており、「どこまでも続く草原をかけ行く人々の息遣いが文
章の間から風の音とともに聴こえてくるような、限りなく開かれた歴史」
となっている。
名著と言ってよい。
むろん、中国は本書を発禁処分としており、ウィグルは古代から中国の領
土であったと洗脳教育を続けている。
    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)国の独立性について考えて見ました。
 ブーゲンビル島の様な小さな島が独立できるのか、全く不見識な衆愚意
見ですな。日本で、「独立」の定義をきちっと指示したうえで、「独立賛
成」か「独立反対」かを問うてみたらよい。恐らく8割の人間が、「独立
反対」に回るだろうと思う。

アウタルキーを考えると、独立とは、げに厳しいものなのである。鉱物資
源があっても技術がなければ採掘することもできないし、或いは精錬する
こともできない。

そうすると、外国の経済支配に身を任せる(従属する)ことになる。しか
も食糧の自給は出来ているのか?(多分できていないと思う)

あまりにも考えの浅い人間が多すぎる。現状の生半可な独立状態
に甘え、いつの間にか國體を壊されつつあることを顧みない。

今の日本でも、江戸時代、明治時代、昭和初期〜大東亜戦争前、戦後の昭
和、現在と比べて見ると、独立國としての性質は、昭和初期〜大東亜戦争
前>明治時代>戦後の昭和>現在だと思う。

ところが、その昭和初期〜大東亜戦争前ですら、国防の燃料たる石油につ
いては完全にアメリカに従属していたのだ。

「独立」と言う二文字にかかっているあまりにも大きな重圧を感じ取るこ
とが出来なくなれば、國は久しからず、崩壊する。

日本人に対しても、国際金融や国際資本に対する甘え、そして廃れつつあ
る昭和の技術など、「国の独立性」に関する思い違いを厳に戒めたい思い
でいっぱいだ。近代、独立と言うことで西洋列強に騙されて、滅ぼされた
国が如何に多いことか、と言うか、当に大日本帝国とタイ王国を除くと独
立を維持できた國は皆無なのだ。寝言は是非夢の中で言ってほしいもの
だ。(KH生)

  ♪
(読者の声2)12月13日放映の日本文化チャンネル桜「フロント JAPAN」
葛城奈海VS宮崎正弘は下記ユーチューブで見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=NMwwXRHxadI

とりわけ宮崎さんの出番は44分ごろから1時間3分あたり。赤穂討ち入り
の思想の大本は山鹿素行にあり、その尊皇討奸の思想は後世の吉田松陰に
流れた。赤穂浪士の義挙の先達は明智光秀の本能寺の変だという身震いす
るような解釈。多くの人が、見るべきと思いました。
 これから宮崎正弘先生の『明智光秀 五百年の孤独』を書店に行くとこ
ろです。(TY生、千葉市)