2019年12月16日

◆「エリート愚民」を駆除せよ

三橋貴明


『三橋貴明の「新」経世済民新聞』

以下の文章は、近々出版予定の拙著の序文からの抜粋です。

日本は、この20年間ですごく衰えました。
そのことに気づいている人はたくさんいるでしょう。
しかし多くは面倒なので、気づいていないことにしている。
気づいていないということにする――このことが、日本の衰えをよけい加速
しています。

これは、経済力だけではありません。
政治力、知的判断力、技術力、生産力、外国との交渉力、説得力、気力、
コミュニケーション力など、すべてにわたって言えることです。
要するに日本人は、やる気がなくなっています。
これを放っておくと、日本は間違いなく滅びます。
日本が滅ぶというのは、私たち日本国民の生活や精神が完全に自立性を失
うこと。

それはどんな形で表れているでしょうか。
国際的な面では、アメリカや中国などの大国の動向に常に翻弄されています。
彼らの顔色をうかがわなくては、国がもたなくなっている。
国内的な面では、政治が求心力を欠き、為政者だけでなく、みんながバラ
バラに行動して、国としてのまとまりが取れなくなっています。
しかもそれを自由の実現と勘違いしています。
そしてこれらのことをきちんと問題にするために必要な総合的な視野を
失って、思考停止に陥っています。

たとえば、次のようなバカなことを言う人がいます。
2040年ごろには「高齢者世代の生活保護率は4倍増で1割を超える」から、
これに対処するために「消費税率を13%にする必要がある」というのです。

この記事を書いた人は誰でも知っている有名な経済学者で、東大教授を務
めたこともあります。
この記事の他の部分も二重、三重の意味で間違っているひどい記事なので
すが、そこまで突っ込む必要もありません。
小学生でも気づく間違いがあります。
消費税率をあげて一番苦しむのは、低所得の高齢者世代ですから、そんな
ことをすれば生活保護に頼らなくてはならない高齢者がますます増えるこ
とになります。
これはほとんど落語です。
こういうバカなことを一流(?)と見なされている経済学者が平気で言う
のです。
しかも誰も反論しません。
日本は知性を失った、そういう国になり下がったのです。

いったいどうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
とりあえず、いちばん大きな社会的枠組みで考えてみましょう。

二つ考えられます。

一つは、75年前の敗戦によってアメリカに魂を抜かれてしまい、その状態
がいまだに続いていること。
もう一つは、いったん近代の豊かさを知ってしまったために、だれもが、
「もうこれでいい」「このまま安眠を妨げないでほしい」とどこかで思っ
ていること。

でも本当は、アメリカの洗脳や日本近代が達成した豊かさは、実際には、
いずれも過去に起きたことの記憶のなかにしかありません。
ところがその記憶がいつまでも惰性として残っているのです。
アメリカには相変わらず奴隷のように依存しています。
政治的にも経済的にも、属国の位置に甘んじています。

また前回のメルマガで示した通り、日本はもう豊かではなく貧困国に転落
しつつあります。
それなのに、一度経験した豊かさが邪魔をして、そうした現実を現実とし
て見る目を曇らせているのですね。
感覚の麻痺です。

どうすればよいのか。
みんなが学問に目覚めることです。

え? いまさら? とあなたは耳を疑ったかもしれません。
学問なら十分に確立し、発達している、とあなたは思うでしょうか。
たしかに全国には大学が800もあり、さまざまな研究機関は腐るほどあり
ます。
ノーベル賞受賞者は毎年のように出ています。

でも私の言う「学問」は、アカデミズムが提供する難しい専門的な知識
や、大学など教育機関で行われている研究のことではありません。
ここで言う「学問」とは、特に、現実に立ち向かう一つの「態度」であ
り、思考力を作動させる「構え」のことを指しています。
いっときの情報に惑わされず、あることが何を意味しているのかについ
て、徹底的に脳細胞を駆使して考えることです。
そしてある結論に到達したら、それを公表し、他の人たちの考えと突き合
わせて、理性的な議論を積み重ねることです。
これは広い意味で、「思想」と言い換えても同じでしょう。

福沢諭吉が『学問のすゝめ』を書いたころには、まだ思想という言葉はあ
りませんでした。
それで学問という言葉を使ったのでしょう。
でも筆者は、彼が学問という言葉に込めた思いは、いまなら「思想」と呼
ぶべき概念にぴったり合っていると確信しています。

もちろん、この態度や構えが実際に生きるために、一定の知識や情報はぜ
ひ必要です。
しかしそれらは思考力をはたらかせるためのツールに過ぎません。
私たち自身がこれらのツールを活用しなかったら、それらは死物に過ぎま
せん。
これは言ってみれば当たり前のことです。
ところが私たち日本人は、いつしか、この「当たり前」を放棄してしまい
ました。
毎日洪水のように押し寄せる知識・情報を無気力に受け入れ、それを疑う
ことをやめてしまいました。
あるいは、SNSなどの手軽さをよいことに、感情的、衝動的な反応を返
すのみです。
誰もが自分の考えを持っているつもりになっていますが、ほとんどの場
合、それはどこかで得た情報を受け売りしているだけです。
情報選択能力とそれについての判断能力を失ってしまったのです。
それらに疑いを持って自分なりの考えを固め、その考えについて人と真剣
に議論する習慣を私たちは棄てたのです。
この習慣を取り戻さない限り、日本に未来はないでしょう。

今から約140年前に、福沢諭吉は『学問のすゝめ』を書きました。
西洋文明の圧倒的な襲来を前にして、彼は、それを排斥するのでもなく、
盲信するのでもないという態度を貫きました。
その文明や制度の優れた点をいち早く自家薬籠中のものとすることによっ
て、西洋の政治・外交の圧力に対抗するという戦略を彼は徹底させたのです。
敵に立ち向かうには何よりもまず敵をよく知ること、孫氏の兵法にもあ
る、よく言われる言い習わしですね。
そうしなければ、日本を独立国家として立国することができず、早晩、西
洋の植民地主義に飲み込まれてしまったでしょう。
他のアジア諸国がそうであったように。

福沢諭吉と聞くと、誰もが思い浮かべるのが、「天は人の上に人を造ら
ず、人の下に人を造らず」というセリフですね。
近代的な平等精神を日本で初めてはっきり宣言したものとして知られてい
ます。
彼の故郷・中津にある福沢記念館にも、この言葉が大きく掲げられています。
でも福沢はそんなことを言っていません。

え? 何だって。『学問のすゝめ』の冒頭にそう書いてあるじゃないか、
とあなたは思ったかもしれません。
しかしよく読み直してみてください。
正しくは、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」な
のです。
この「言えり」をほとんどの人が見逃しています。
「言えり」とは「世間ではそう言われている」という意味です。
世間ではそう言われているが、世の実態はそうなっていない。
それはなぜか。
それは日本の牢固たる身分制度、門閥制度が幅を利かせて、一人一人の自
主独立の精神を阻んでいるからだ。
この自主独立の精神を養うことこそが、いま求められている。
つまりまず知識・情報を蓄積し、次にその知識・情報を活用して現実に起
きていることを正しく認識すること、そうして得た広い視野を、社会をよ
りよくするために役立てること、それが彼の言う「学問」だったのです。

もちろん彼は、それが当時のすべての民衆に可能だとは考えていませんで
した。
彼はこの書や他の書の随所で、一般民衆を「愚民」と呼んでいます。
無原則な平等主義者ではなかったのです。
しかしまた、彼は愚民が愚民のままでよいとも考えていませんでした。
なるべく日本の一般民衆が自主独立の精神を学んで、愚民でなくなってほ
しい。
それが彼の願いでした。
「一身独立し、一国独立す」という有名な言葉は、その彼の願いを端的に
表しています。
福沢の時代に差し迫った課題は、欧米列強の進出に対していかに日本の独
立を守るかということでした。
そのためには、「愚民」がこれまで身につけてしまった卑屈さからできる
だけ脱し、自立した気概と精神を身につけることが不可欠だ――そう彼は考
え、その実現を目指して「学問」の必要を説いたのです。

ではいまの日本の課題は何でしょうか。
私は、福沢の時代と同じだと思います。
言い換えると、現代日本は彼の時代から140年経った現代でも、「一身独
立し、一国独立す」が果たせていないのです。
いまグローバリズムの大波が日本に押し寄せています。
欧米ではすでにグローバリズムに対する反省が沸き起こっているのに、日
本のいまの政権は、愚かにもこの大波を積極的に受け入れています。
これは政権ばかりではありません。
学者や政治家や財界の大物やジャーナリズムが率先してそのお先棒担ぎを
やっているのです。
その態度は、グローバリズムへの批判意識を持たずにただ追随していると
いう意味で、まさに「卑屈」そのものという他はありません。

こうして現代の「愚民」は、一般民衆であるよりは、むしろエリートたち
だと言えるでしょう。
しかも始末に悪いことに、彼らは世俗の権威を手にしているので、その権
威を傘に着て、自分たちの誤った信念を一般民衆に押し付けています。
日本のエリートたちの多くは、国策にかかわる部分で、この誤った信念に
固執しています。
それで、国民はその被害をさんざんにこうむってきました。
ですから、いまの日本にとって最重要な課題は、むしろこうした「エリー
ト愚民」の精神の腐敗をいかに駆除するかという点にあります。
この課題を果たせずに、グローバリズムの浸食から国民生活を守ることは
できません。
じつを言えば、これはもう手遅れなほどに、深く浸食されてしまっている
のです。
時間はもうあまり許されていません。
まずなすべきこと――自ら考える力を取り戻し、日本にはびこる害虫「エ
リート愚民」を見つけ出して、即刻駆除せよ!


◆麻生副総理のマスコミ論

【阿比留瑠比の極言御免】麻生副総理のマスコミ論


発売中の月刊誌『文藝春秋』(令和2年1月号)に掲載された麻生太郎副
総理兼財務相のインタビュー記事が、とにかく面白い。麻生氏らしい歯に
きぬ着せぬ物言いで、政策課題や世相を斬りまくっている。例えばこんな
ふうにである。

「韓国側が(いわゆる)徴用工判決で差し押さえしている民間企業の資産
の現金化などを実行したら(中略)韓国との貿易を見直ししたり、金融制
裁に踏み切ったり、やり方はいろいろあります」

「安倍(晋三)総理が本気で憲法改正をやるなら、もう一期、つまり(自
民党)総裁四選も辞さない覚悟が求められるでしょう」

「(父方の系統に天皇を持たない)女系天皇などありえません」

いくら攻撃しても・・・

詳しくは同誌を読んでもらいたいが、筆者は麻生氏が安倍政権とマスコミ
の関係について述べている部分が特に興味深かった。麻生氏は朝日新聞が
平成17年1月、13年1月に放映された慰安婦をテーマにしたNHKの番組
に、当時の安倍官房副長官が圧力をかけたと報じた事例を挙げ、こう語っ
ていた。

「まったく事実無根でした。あの頃からでしょう。朝日は安部晋三という
政治家についてことごとくバツ印をつけるようになりました」

「しかし、朝日がいくら安倍さんを攻撃しても、若い人はもう新聞を読ん
でいませんよ」

新聞をはじめとするマスコミの社会への影響力が年々衰えていることは、
筆者も身にしみて感じている。弊紙にとっても対岸の火事ではない厳しい
現実だが、政府首脳にここまではっきり言われると、時の移り変わりを思
わざるを得ない。

ともあれ朝日の圧力報道当時、安部首相の周囲には「マスコミを敵に回す
とよくない。朝日は何十人の記者を使ってあなたの身辺を探り、何でもい
いから不祥事を探そうとするだろう」と懸念し、何らかの手打ちを勧める
人もいた。インターネットがまだ十分普及しておらず、政治家が自ら発信
する手段は限られていた時代だった。

だが、安部首相はひるまず月刊誌『諸君!』などを通じて徹底的に反論を
続け、記事を批判した。以下のような激烈なものである。

「こうした報道姿勢がいかに薄っぺらな、欺瞞(ギマン)に満ちたものであ
るかということを、国民は見抜いている」(同誌17年3月号)

「朝日報道に底に流れる邪な意図は、次第に白日の下にさらされようとし
ている。多くの国民はそれをじっと見守っている」(同誌17年4月号)

見透かされる逆恨み

朝日にしてみれば、一人の若手政治家にここまで真っ向から反撃されるの
は初めてだったろう。結局、圧力の存在に関しては当のNHKも否定し、
朝日は、当時の社長が「不確実な情報が含まれてしまった」と釈明するハ
メになった。

麻生氏はこうした経緯から、朝日が安部首相を逆恨みするようになったと
やんわり指摘したといえる。筆者は、この頃からもともと疑念が持たれて
いたマスコミの政治報道に対する国民の信頼が、いよいよ薄まっていった
と考える。

そして現在、野党は安倍政権打倒のため、「桜を見る会」問題などでマス
コミと「共闘」し、現地視察の場面などの映像をマスコミに撮らせること
で国民へのアピールを狙っている。

だが、影響力と信頼感が弱まったマスコミと連動してパフォーマンスばか
りに走っても、低意を国民に見透かされ、「もう見ていませんよ」と言わ
れるのがオチなのではないか。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

◆認知症には「散歩」が効果

向市 眞知


以前、住友病院神経内科先生の「認知症」の講演を聴きに行きました。その時、「こんな症状があったら要注意!」という話から始まり、下記の11の指摘がありました。

1、同じことを何度も言ったり聞いたりする
2、ものの名前が出てこない
3、置き忘れやしまい忘れが目立つ
4、時間、日付、場所の感覚が不確かになった
5、病院からもらった薬の管理ができなくなった

6、以前はあった関心や興味が失われた
7、水道の蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ
8、財布を盗まれたといって騒ぐ
9、複雑なテレビドラマの内容が理解できない
10、計算のまちがいが多くなった
11、ささいなことで怒りっぽくなった

「これらがいくつかあったり、半年以上続いている時は、専門病院へ行きましょう」といわれました。

私自身、同じことを言ったり、物の名前が出てこなかったり、置き忘れやささいな事で怒りっぽくなったなあと思い当たるフシがいくつもありました。専門診療の対象といわれてしまうと本当にショックです。

「認知症」というと周りの人に迷惑をかけてしまう問題行動がクローズアップして、その印象が強いのですが、新しいことが覚えられない記憶障害もそうです。また、やる気がおこらない意欲の低下もそうですし、ものごとを考える思考力や判断する力、そして手順よくし処理する実行力の低下も「認知症」の症状です。

「認知症高齢者」のかた自身の不安は、時間や場所がわからなくなったり、体験そのものを忘れていく中で暮らしているのですから、自分以外の外界のすべてが不安要因になってしまうのです。

ご本人は真剣に外界を理解しようとしているのですが、家族は「ボケ」「痴呆」ということばの印象から、「認知症だからわからないだろう、理解できないだろう」と思い込んでいる例が多くみられます。
 
診察室でなんとご本人を目の前にして「認知症高齢者」の失態を平気でドクターに訴えたり、「母さんがボケてしまって」とはばかりもなく言ってしまったりします。

その瞬間に、ご本人はその家族に対してまた不安をつのらせてしまいます。また話を向けられたドクターも、ご本人を前にしてウンウンとうなづくべきか、ほんとうは困っているのです。

うなづけば家族は安心しますが、ご本人はドクターへの信頼感をなくしてしまいます。

よく「まだらボケ」とか言いますが、「正気の時もあるからやっかいだ」と表現されるご家族もあります。しかしそれは逆で、やっかいと考えるのではなく正気の部分があるのならその正気の部分を生かして日常生活を維持するようにしむけてみませんか。
 
「認知症」があっても、くりかえし続けている一定の日常生活はできるはずです。老年期以前の過去の生活を思い出させてあげると、高齢者は自分の価値を再発見し、意欲も湧いてくるとききました。

高齢者にとって脳機能の低下だけではなく、視覚や聴覚、味覚や嗅覚などの感覚もおとろえてきていることを理解してあげてください。

すべてを「認知症」の一言でかたづけてしまわないで下さい。見えやすくする、聞こえやすくするというような場面の工夫で問題行動が小さくなることもあります。
 
「認知症だからわからないだろう」と思い込むのは大まちがいです。「言ってもしかたない」と決めつけるのは悪循環です。「認知症」の方の感じる外界への不安を考えると、情報が遮断されると余計に不安が大きくなります。

どしどし情報を与えることが不安の軽減につながります。そのために外出しましょう。

「認知症」には「散歩」の効果があります。外界の空気は聴覚、視覚、嗅覚への刺激になり、脳の活性化につながります。
                       医療ソーシャルワーカー

2019年12月15日

◆スラウェシ島南部の洞窟で「大発見」

宮崎 正弘


令和元年(2019)12月13日(金曜日)通巻6304号 

インドネシアはスラウェシ島南部の洞窟で「大発見」 
44000年前と推定される壁画が発見された 

インドネシアはスラウェシ島。昔のセレベル島である。
 こ
としの2月ごろまで、インドネシアの新首都移転候補地のひとつが、この
島のマカッサルだった。8月に最終決定がおりて、カリマンタンのバリッ
パパンの北側の密林を開発し新首都と決まった。

さてスラウェシ島のことである。

この島の南部の洞窟で、なんと4万4000年前と推定される壁画が発見
された。洞窟の上部に豚とバッファローが描かれ、赤く採色されている。

もとより、この洞窟壁画は2017年、豪のグリフィス大学人類環境研究
センターが発掘調査していたときに洞窟のかなり上層部で発見されていた。

下記英紙『ガーディアン』(2019年12月11日)に写真がある。
https://www.theguardian.com/science/2019/dec/11/earliest-known-cave-art-by-modern-humans-found-in-indonesia

『サウスチャイナ・モーニングポスト』(12月12日)には他の洞窟絵
画の写真。↓
 https://www.scmp.com/news/asia/southeast-asia/article/3041714/oldest-story-ever-told-painting-pigs-cave-wall-indonesia

科学的な年代測定に手間取り、ようやくにして3万5100年前から4万
3900年前のものと同センターのアダム・ブルムン考古学者が、発表し
た。考古学、文化人類学者らの学術的な検証の結果である。この「大発
見」は人類史を書き変えることになる。

旧セレベスが、いまのスラウェシ島であることは述べたが、戦前、この島
の都マカッサルには1万5000人ほどの邦人が住んでいた。同盟通信の
支局もあった。この関係で現在も日本総領事館がある。

筆者は、この夏、マカッサルへも足を延ばした。是非とも見たかった場所
は「リアンリアン先史公園」にある古代人の動物壁画だ。

この洞窟壁画は5千年前、我が国の縄文中期に石灰質の洞窟に動物画が描
かれたのだ。フランスのラスコー洞窟の動物壁画を連想する。

ラスコーの洞窟壁画は1940年に偶然発見され、人類史最古、2万年前
にクロマニヨン人によって描かれた。環境保全のため、フランスの現場は
立ち入り禁止、レプリカがパリに博物館が作られ、夥しい人出が続いている。

インドネシアの洞窟壁画、リアンリアン先史公園のほうだが、当該現場へ
はマカッサル市内からタクシーを雇って一時間ほど。そこで粗末な小舟に
乗り換え、水流れを溯り、マングローブの密林地帯を抜け、やっと着いた
のは小島の船着き場なのである。

さらに、そこからは徒歩で?、凸凹なけものみち、洞窟をくぐり抜け、小
さな滝、苔むした洞窟の先に画があるのだが、望遠レンズでようやく見ら
れるくらいだった。案内人の老人は明らかに人種が違う。別れ際、チップ
を渡すと初めて笑顔をみせた。

望遠レンズでしか見られなかった動物壁画、じつはレプリカが、ジョグ
ジャカルタの世界遺産ブロブドール仏教遺跡のなかにある博物館に飾られ
ている。

日本の壁画は高松塚古墳のものが一大事件となったが、時代的にいえば、
七世紀。歴史学の対象ではあっても考古学的な意味はあまり大きくない。
     
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之
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  ♪
(読者の声1)82年前の今日。南京陥落の日です。

日本軍が南京入城、蒋介石軍は武漢へ逃げ、さらに重慶へ逃げこんだ。毛
沢東は、そのもっと遠隔地の延安の洞窟にこもり、ひたすら身を守っていた。

ところが、戦後の歴史では「敗残逃亡紀」が「長征」となり、洞窟の逼塞
は「耐久戦」と書き変えられた。

笑い話から82年、ありもしなかった南京大虐殺の政治洗脳が、日本人を
去勢させた。こういう風に老生は近代史を見ておりますが、如何?
  (FH生、茨城)


(宮崎正弘のコメント)まったくその通りです。30年以上も前から故渡部
昇一先生たち先先人の努力によって、中国の嘘放送は満天下にさらされて
います。しかし、だらしないのは日本のメディアでしょう。かれらが中国
とGHQの合作洗脳工作に、まだ脳死状態が続いていますから。


  ♪
(読者の声2)とびっきりの講演会のお知らせ
            記
演題 「所感を述べる」
講師 元内閣総理大臣 小泉純一郎 先生
日時 令和2年1月29日(水)PM6:00〜
定員 先着90人(要予約)
会場 神奈川県民サポートセンター3F 304号会議室(JR横浜駅西口徒
歩3分ヨドバシカメラ裏手)
問い合わせ先 045-263-0055

  ♪
(読者の声3)戦争の分析

 1.歴史分析の五大ポイント
私は、日本人としての自覚、国際的な広い視野、政治的な高い視点、合理
的な因果関係、新情報などを心がけています。特に日本人が気づくべきな
のは、1991年にソ連は滅び左翼の日本悪者論が否定されたことです。

戦後の日本軍国主義、日本帝国主義侵略論などの定義のないレッテル非難
は破棄されたのです。

 2.レバタラ史観の無駄

これはああしたら、こうしたらの妄想です。私もよく考えたものです。し
かしある時、相手も同じことをしたらどうか、と考えると時間の無駄であ
る事に気づきました。そこで若い人には「レバタラ焼鳥史観」は止めるよ
うに話しています。

大東亜戦争の場合は、結局原爆が鍵です。このためか、戦前日本はすでに
原爆を開発していたという信じがたい話まで作られています。しかしパキ
スタンの大統領は日本が原爆を開発していたら、日米戦争自体起こらな
かったと述べています。

 3.プロパガンダ

政治的な謀略宣伝にも注意が必要です。日本悪者論が否定されたので、被
害者偽装が行われています。しかし南京市民30万人大虐殺事件などは物証
皆無、人口統計から科学的に否定されました。歴史の真実は神ならぬ身、
人間には分かりません。そこで明白な事実から因果関係を構築し、その事
件の真実の可能性を狭めることが歴史研究者の仕事と考えています。
                         ( 落合道夫)
  ♪
(読者の声4)真珠湾奇襲攻撃といえば広島・長崎であり、最近翻訳され
た「成功していた日本の原爆実験─隠蔽された核開発史」の原本ロバー
ト・ウィルコックス氏の「Japan's Secret War」(第3版)英語版を図書
館から借りて来て読みましたが、本の大部分は色々の人に会って、沢山の
資料を探しましたが、終章で彼の結論は「原爆の実験が成功したと言う証
拠はなかった。多分隠蔽・破棄されたのだろう。

この種の秘密は往々にして後になって出てくるから、それを期待する。」
と言う努力したがダメでした、と言う話であった。これを日本版では、核
実験成功、として読者を騙している。 
 
 この戦争中当時米国の様子を調べた、「 Plutopia: Nuclear Families,
Atomic Cities, and the Great Soviet and American Plutonium
Disasters」と言う本があり、いかにウランの精製には膨大な資源と人材
が必要であったか、と言う話がある。

コロンビア川にある巨大な水力ダムの電気を使い、その為に科学者、作業
員のため数千人のために新しく町を作りその膨大な作業に当たるのだが、
放射能汚染を受けた作業員を解雇し帰宅させ不審なを遂げる、など戦争中
であるから人権・健康を無視した政府の行動があった。それを読むと、北
朝鮮でのウラン製錬があったかもしれない、と言う話は「可能性」でしか
なく、もし真実であれば、かなり大規模でなければ必要なウランを製造で
きず、そのための人材・資源も膨大であり、かなりの証拠や証人が残って
いたはずである、と思われる。肝心の原爆実験は多くの人が目撃したはず
だが、一人しか証人がいない、というのも不思議だ。

朝日やNHKが反日的な嘘の報道をするが、保守派がその真似をする必要は
ない。 この本は1946年にでた新聞記事を元にしており、当時世界的にも
米国の原爆を民間人殺略に使用したことに対する批判が出始め、その対策
として「いや、日本だってやっていた。当然出来れば使っていたに違いな
い」と言う反論のための世論操作であった、ようだ。

この記事もこの本も根拠とする証拠はただ一人の一つの証言であり、名前
は隠し、『Tsetusuo Wakabayashi(偽名)」の極めて劇的な原爆の実験の
模様を使っている。ちなみにその記事では原爆を「Genzai bakudun」と書
いており、記者がどの程度の正確さ・知識をもっていたか疑問である。
(the Atlanta Constitution新聞、 記者David Snell.)   

ウィルコックス氏の本の中にも、これ以外の証拠は見つからなかったと、
結論している。この話が何故公に米国でも日本でも報道され議論されな
かったかと言うと信頼性のない、嘘(洗脳報道)だったからである、と考
える。

これは朝日新聞ではなく、保守派の団体が、「南京虐殺は本当だった」と
言う主張するというおかしな狂った現象である。元自衛隊の翻訳者が何故
苦労して翻訳したのだろうか。この男も反日なのだろうか。気味の悪い世
の中になってしまった。(KM生)

◆「きりたんぽ」怖い

渡部 亮次郎


今やご存知のように秋田料理「きりたんぽ」は殆ど「全国区」になった
が、味は全く落ちてしまった。地元秋田では、空港や主要駅で「土産」と
して通年販売する都合上、潰した飯の中に「防腐剤」を入れ始めたので、
「コメの秋田」の美味しさは全く無くなった。

同じ秋田県でも、山形や宮城県に隣接する県南では、きりたんぽは食べな
い。あれは県北のもの。昔は南部藩だった鹿角郡が発祥の地。

あの辺に暮らした熊の狩猟師「またぎ」が作り出したもの、といわれてい
る。だが、私は秋田県人の癖に、県北に住むようになるまで全く知らな
かった。

昭和33(1958)年6月、NHK秋田放送局大館市駐在通信員になって、大館
市内に下宿し、いろいろな取材を始めた。

大館警察署の取材は早朝4時に起きて行く。勿論、他社は誰も来ていな
い。管内の火事、交通事故の一報が沢山入っている。そのなかから適当な
ものを、それなりの文章にして、秋田放送局へ電話で送稿。

受けるのは、当直のアナウンサー。大体新人だ。だが、ローカル放送は午
前6時。その前の5時は仙台から東北地方全域向けの放送。そこでアナウン
サー殿に頼んで仙台に吹き込んでもらう。

仙台の報道課には記者が泊まっている。デスクが前夜仕組んでいった
ニュースはすべて昨日までのもの。大館発の交通事故や火事は唯一の
「ニュース」だ。かくてNHK仙台発の午前5時の「管内ニュース」は、
毎朝「大館発」だらけ。面白かった。

そのうちに忘年会のシーズンになった。各社の記者は老人ばかり。出世は
止まっているから、官庁や商工会議所にたかって酒を呑むことばかり考え
ている。

こちらは「明日」に望みを賭けている身だから、「たかり」は避けたい。
だが、まだ民放記者の駐在の無い時代。宴席からNHKが欠けると目立つ
とかで、「そこは付き合い」と引っ張られる。

のだから、終いには「きりたんぽ怖い」になってしまった。あれから50年
以上過ぎたが「きりたんぽ怖い」は治らない。2020・1・5


◆トランプ弾劾状とFISA調査報告

Andy Chang
 

12月9日月曜日、アメリカの政治史で二つの重要発表があった。第一は民
主党多数の下院司法委員会のナドラー委員長がトランプ大統領の弾劾状を
発表したこと。第二は司法部のHorowitz 司法監督長官の提出した2016年
総選挙の際にFBIが法廷にFISA(外国諜報調査許可)を申請してトランプの
部下だったCarter Pageをロシア側のスパイと言う嫌疑をデッチ上げ、FBI
が調査する許可を法廷に申請した事件についての調査報告である。

デッチ上げの証拠とはスティール文書である。2016年の総選挙でヒラリー
を当選させるため、トランプの部下のCarter Pageをがロシアのスパイ嫌疑
法廷にスパイ調査許可を申請した。しかもトランプが大統領に当選、就任
後もトランプ罷免運動を続けた。マラー検察官を任命して2年で2500万ド
ルを使って調査したがトランプのロシア疑惑の証拠がなかった。

民主党はトランプ大統領の就任した2017年1月からトランプ罷免陰謀を続
けていた。今回のウクライナ事件の調査でシフ情報委員会長は300ページ
の報告を司法委員会に提出し、ナドラー司法委員会長は4人の大学教授を
召喚して意見を聴取した。ペロシ国会議長は直ちにナドラー委員長に弾劾
状の作成を指定した。情報委の調査は権力乱用で不完全だったし、司法委
の調査が一日だけでペロシは司法委に弾劾状を作成せよと命じたのだ。

ナドラー司法委員長が作成した弾劾状は「権力乱用」と「議会妨害」の2
つの理由を上げた。シフ委員長が作成した報告でトランプがウクライナ総
統に「見返り(Quid Pro Quo)」を要求した証拠が薄弱なので「見返り」
を「贈賄(Bribe)」に変更したけれど、これも決定的でない。だから最
後に「権力乱用」としたのである。

もう一つの「国会妨害」とはトランプがシフ情報委員長の資料提出や部下
の証人喚問を拒絶したことである。シフ委員長の調査は正当な手続きを踏
まなかったのでトランプが拒絶する理由は十分にあった。しかもホワイト
ハウスの法律顧問は資料提出を拒絶する8ページの理由書をシフ委員長に
提出している。オバマ、クリントン、ブッシュなど歴代大統領も国会の召
喚や資料提出を拒絶したがこれが弾劾理由となったことはない。つまり弾
劾状の二つの理由は理由不足である。

民主党Deep Stateはどうしてもトランプを弾劾したい。証拠不足でも理由
不十分でもアメリカの政治史にトランプ弾劾の記録を残したいのである。
情報委も司法委もペロシ議長もフォーマルな手続きを経ずトランプ弾劾を
記録に残す理由は来年の選挙のためである。司法委員会は弾劾案を多数決
で通し、総会でトランプ弾劾を批准して年末休暇に入る。年が明けるとト
ランプ弾劾は上院の弾劾裁判となる。共和党多数の上院で議員の3分の2
の賛成がなければ弾劾は却下される。

民主党はなぜ不公平で正式な手続きを経ていないトランプ弾劾を急ぐのか。

民主党側には来年の総選挙でトランプに勝てる候補者が居ない。弾劾を急
がないとトランプが当選する。シフ委員長が記者に答えた「トランプ弾劾
は法廷訴訟では間に合わない。選挙前にトランプを罷免しなければならな
いのだ」が民主党の弾劾を急ぐ意図を明らかにしている。

上院議員3分の2の賛成がなければトランプ罷免は成立しない。それでも
Deep Stateはトランプが弾劾されたと言う汚名を歴史に残したい。たとえ
弾劾に失敗してもトランプ弾劾の汚点を選挙に利用して民主党有利に持ち
込む戦略である。だが上院の裁判で民主党Deep Stateの「理由なき弾劾」
が民主党の選挙に不利になる可能性もある。

上院の弾劾裁判ではシフ委員長の「魔女狩り」が白日下に晒される。トラ
ンプ大統領は「上院は真っ先に密告者、シフ議員とバイデン息子の3人を
裁判で宣誓証言させるべきだ」と述べた。マッコーネル上院議長は裁判に
ついて殆ど意見を述べていない。リンゼイ上院議員は「密告者の身許も知
らないで大統領を罷免するなどあり得ない」と述べた。

元を糾せばウクライナ事件とは密告者がシフ議員と部下2人と共同で作成
した「見返り要求」の弾劾である。密告者が大統領を弾劾した。密告者は
バイデンの部下でウクライナ汚職に関わっていたと言われている。密告者
の身元を隠して一国の大統領を罷免するとはとんでもない。シフ議員が密
告者とつるんで弾劾をデッチ上げたとも言われている。上院の弾劾裁判は
シフと密告者の関係を明らかにする必要がある。

次にHorowitz 司法監督長官のFISA調査報告である。

2016年の選挙の際にFBIは法廷にトランプの部下のCarter Pageがロシアの
スパイである嫌疑を調査する許可(FISA)を申請した。FISAの理由書は主
にヒラリーと民主党本部の金で雇った元MI6のChristopher Steeleが作成
したスティール文書を根拠としている。コーメイFBI長官はFISA申請で
「スティール文書は信頼できる」と署名した。トランプが大統領になった
後もFISA申請は3回も延期された。それでも政治的意図がなかったと言う
のはオカシイ。ホロウイッツは「政治的意図は証明できなかった」と述べ
ただけである。

FBIはトランプの当選後、大統領に就任した後もFISAを使ってトランプの
ロシア疑惑を調査し、マラー検察官を指名して2年も調査を続けたのであ
る。Carter Pageをロシアスパイにデッチ上げた理由はトランプを弾劾す
る根拠である。Horowitz はFBIとヒラリー、スティール、ブレナンCIA長
官、クラッパーNSA長官との関連を調べなかったから調査不十分である。

報告書が出たあとFBIが選挙に関わったトランプ降ろしの陰謀調査は今後
さらに発展していくだろう。つまりFBIのコーメイFBI長官、マッケイブ
元FBI副長官、Peter Stzrok、司法部のBruce Ohrなど、司法部とFBIの高
級官僚がトランプを落選させるため、そのあとも続けて弾劾するために
FISAを申請した。Horowitz 総監はFBI/DOJのFISA申請について調査報告を
発表したが、彼の調査報告には「FBIのFISA申請には17件の重大かつ根本
的なエラーがあった」としたが、関係者が犯した重大なエラーが(トラン
プ降ろしの)政治目的を意図していた事実は見つからなかったと結論した。

17件の重大なエラーがあっても政治的意図は見つからなかったのはオカ
シイ。発表の後コーメイ元FBI長官は直ちに潔白が証明されたとツイート
した。

ホロウイッツ報告の発表後、バー司法部長とトランプ降ろしの犯罪調査を
命じられたDurham法官は直ちに「ホロウイッツ報告はFBI内部の調査のみ
で不完全である。報告に同意できない部分がある」と発表した。

つまりホロウイッツ報告はFBI/DOJの内部文書の調査で、しかも総監には
当事者を告発する権限を持たない。バー司法長官や外部のダーハム法官に
は関係者を起訴する権限がある。ホロウイッツ総監も「この報告ではFISA
申請の関係者が潔白と結論していない」と述べた。

リンゼイ上院議員は「もしもFBIが本当にアメリカのためにロシアスパイ
を調査していたのならCater Pageのスパイ疑惑を直ちにトランプに通報す
べきだった。それをしなかったのはFBIが反トランプだった証拠である」
と述べた。Deep Stateの反トランプ陰謀についての調査はこれから大きく
発展するだろう。

at 09:07 | Comment(0) | Andy Chang

◆毛馬を出奔した蕪村の理由

石岡荘十


インフルエンザというか、「はやり風邪」の記述を歴史の中にたどると、今で言う「新型インフルエンザ」はじつは昔から繰り返し起きていたことがわかる。だからいまさら「新型」というネーミングは「いかがなものか」と首をかしげる感染症や公衆衛生の専門家が少なくない。

南北朝時代を描いた歴史物語、「増鏡」にこんな記述がある。

「ことしはいかなるにか 、しはぶきやみはやりて、ひとおおくうせたまふ」「しはぶき」は咳のことだから「咳をする病で多くの人が死んだ」ということだ。また、「大鏡」には、1006年前の寛弘8年(1011年)6月、一条法皇が「しはぶきやみ」のため死亡したと書かれている。

ずっと時代を下って享保18年(1733年)、大阪市中で33万人が流行性感冒にかかり、2,600人が死亡。

注(蕪村が庄屋を引き継げず、庄屋:問屋・宿屋を売却して、毛馬を出奔した。家族も
身内も、蕪村に家督を継ぐがさせようとしたが、父親が死んだ以上、絵だけに頼って
江戸へ下り、俳人巴人を訪ねて、弟子となった。インフルエンザが人生を変えたI

この流行は江戸へ蔓延し、人々は藁人形で疫病神を作り、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らし、はやし立てながら海辺で疫病神を送った、とある。

これらの出来事は、いずれも6月、7月の暑い季節に起きており、疫学的に証明されたわけではないが、どうも、寒い時期に起きるいわゆる季節性の風邪とは違うようだ。

さらに、江戸時代には天下の横綱・谷風がはやり風邪にかかり本場所を休んで、連勝記録が止まってしまった。世間では「谷風もかかったはやりかぜ」と怖れ、四股名にひっかけて、はやりかぜのことを「たにかぜ」と呼んだそうだ。

天保6年(1835年)の「医療生始」という書物には「印弗魯英撒(いんふりゅえんざ)」の言葉が早くも見える。

そして1918年春から翌年にかけて、第1次世界大戦の最中、海の向こうではアメリカに端を発した史上最悪のインフルエンザ「スペイン風邪」がヨーロッパに持ち込まれて猛威をふるい、やがて全地球に蔓延する。

感染者は当時の全地球人口の三分の一の6億人、いろいろな説があるが死者は5000万人に達したといわれる。日本では、大正7年のことだ。当時の人口5500万人に対し最新の研究では死者は48万人に達していたと推定する説もある。当時の新聞の見出しはこうだ。

「西班牙風邪遂に交通機関に影響(東京朝日新聞 大正7年10月31日)」。「電信事務も大故障(読売新聞 大正8年2月6日)」---。

スペイン風邪については↓。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4570052/

これらは明らかに、季節性のインフルエンザとは違った。スペイン風邪の病原体が「新型インフルエンザ」と同じA型インフルエンザH1N1と分かったのは、1933年になってからのことである。

つまり、いま問題になっている新型インフルエンザはじつは「新型」でもなんでもなく、「旧型」のリバイバルなのである。その後1997年、アラスカの凍土の中から発見された4遺体から、肺組織の検体が採取され漸くスペイン風邪の病原体の正体が科学的に裏付けられた。

スペイン風邪だけでなく、6月や7月の湿気の多い梅雨のむし暑い季節に流行った「しはぶきやみ」もじつはいまの新型インフルエンザのご先祖様の仕業だったかもしれない。

「新型インフルエンザは時々現れる。1580年以来10〜13回パンデミック(世界規模の蔓延)が発生している」(国立感染症研究所の岡部信彦情報センター長)のである。

アジア風邪は1956年に中国南西部で発生し、翌年から世界的に流行した。ウイルスはA型のH2N2亜型である。H、Nの詳しい説明は素人には手に負えないのでここでは省くが、新型インフルエンザH1N1の親戚筋、「いとこ」か「はとこ」だ。死者はスペインかぜの1/10以下であったが、抗生物質の普及以降としては重大級の流行であった。

40年ほど前、前回の「パンデミック」である香港風邪(H3N2)が1968年に発生。6月に香港で流行を始め、8月に台湾とシンガポールに、9月には日本に、12月にはアメリカに飛び火する。結局、日本では2,000人、世界では56,000人が死亡したと言われている。日本では3億円事件のあの年である。

10年前、1998年にも香港風邪が流行った。このときはH3N2ウイルスだったが、アジア風邪(H2N2)のフルチェンジだったといわれる。

一昨年2007年に流行ったAソ連型インフルエンザの先祖は、30年前の1977年のソ連風邪(H1N1)だ。因みに、ソ連と名前が付いているが、“原産地”、つまり発祥地は中国だといわれている。1977年5月に中国北西部で流行をはじめ、同年12月にシベリア、西部ロシア、日本へ、さらに翌年1978年6月にはアメリカへと飛び火。

ウイルスがスペイン風邪と同型だったということで、研究室に保存されていたスペイン風邪のウィルスが何かの理由で漏れ出したという憶測もあるくらいよく似ている。

これらスペイン、香港、ソ連の風邪は、いずれも近年も流行を繰り返しているA香港型インフルエンザのご祖先、鳥インフルエンザから変異した新種のウィルスによるものだといわれている。

「新型インフルエンザ」とは、人間はまだ感染したことがない新種のインフルエンザのことを言い、新種のウィルスであるため、人間にとっては免疫が働かないとされているが、じつは中にはリバイバル、ちょっと“化粧直し”をして姿を現すものもあることがわかる。

いま大騒ぎしている新型インフルエンザは英語では‘Swine Flu’という。

‘New Type Influenza’などとは言わない。「新型」とまったく別のインフルエンザのような印象を与えるネーミングをしているのは日本だけのようだ。いま流行っているのはブタ由来のインフルエンザなのだが、死亡率が高く本当に怖いのは鳥由来のインフルエンザ(’Avian Flu’ Bird Flu’)である。

過去にも何度か鳥インフルエンザの“震源地”となった中国大陸の関連情報について業界では、今ひとつマユツバだという見方もある。ことによったら香港風邪のリバイバル型が周辺国を窺っているかもしれない。

軍事的な脅威ばかりが声高に議論されているが、ウイルスに対する警戒を怠ってはならない。


2019年12月14日

◆住民投票は独立賛成が97%

宮崎 正弘


令和元年(2019)12月13日(金曜日)弐 通巻6305号 

パプアニューギニアのブーゲンビル島、住民投票は独立賛成が97%
  やっぱり背後で暗躍したのは中国の覇権野望だった

ブーゲンビル島。そう、山本五十六が搭乗した軍機が撃墜され、戦死した
島である。
 
さきごろ、2週間をかけて行われた「独立か、自治か」の住民投票で
97%の住民は「独立」という意思を示した。

完全自治」を選択したのは2%、ちなみにブーゲンビル島の有権者は19
万人弱。首都ポートモレスビーの政府は焦燥の色を隠せない。

長く続いた武装闘争は、ブーゲンビル武装勢力とパプアニューギニア政府
軍の内戦だったが、犠牲者が2万人を超え、パプアニューギニア政府は英
国の戦争請負業に解決を依頼した。

この背後にはオーストラリアとニュージーランドの支援があった。豪も
NZも、パプラニューギニアは、自分たちの縄張りと認識しているからだ。

現に2018年に首都ポートモレスビーで開催されたAPECは、豪が空軍、
陸軍を派遣し、警備を分担した。国際会議場はまるまる中国が寄付した。

ブーゲンビル島に何があるのか。
 
埋蔵580億ドルにものぼると推定される鉱山がある。同鉱脈に随生する
金、レアメタル。豪のリオテントの子会社が独占的な「採掘権」をもって
開発し、操業を続けてきた。

戦争の原因は資源をめぐる開発権争奪、ハイテク時代に使われるレアメタ
ル需要の激増という背景があり、パプアニューギニア政府は、突如豪から
採掘権を取り上げ、国有化計画を提示した。

資源ナショナリズムは、こうした発展途上国ながら資源リッチの国々の指
導者がとりやすい政策である。

嘗てのスーダンも、ジンバブエも、ザイール(現コンゴ民主共和国)も、
資源を巡る内戦と、その背後にあった大国の思惑と策謀によって武装勢力
との内戦が繰り返されてきた。

中国はブーゲンビル島の政治指導者に「空港、道路整備を援助します」な
どを「シルクロートプロジェクトの一環」として巧妙に持ちかけていた。
鉱山を横合いから掠め取る魂胆がありありとしている。
豪政府は警戒を強めている。
 
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 1999回】              
 「支那を亡すものは鴉片の害毒である」上塚(17)
上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

        ▽
周囲を高い山脈に囲まれた四川では西南から東北に長江が流れ、烏江、岷
江、沱江、嘉陵江の4本の河。

四川の地名の由来である。

このような自然豊かな巨大な盆地であればこそ、「所謂千里の沃野天府の
地」と呼ばれる。その四川にあっても「最も膏沃なる地方と稱せらるゝ成
都重慶間を結ぶ交通幹路」である東大路を旅する。

「東大路の名物は乞食と旌表門である。乞食は至る所形勝の地に占據し
て、通行客に施錢を乞うて居る。其の數は誠に夥しい數に上るのであ
る」。「最も膏沃なる地方」だからこそ、その豊かさを求めて周辺の貧し
い地方から貧民が押し寄せて来たに違いない。

封建王朝時代には、儒教道徳の精華を体現したような善行者の名前を公示
し、朝廷や地方長官が広く顕彰した。

これを一般に旌表と呼び、旌表の証として村の入口など目立つ所に建てた
意匠を凝らした門を旌表門と呼んだ。いわば旌表門は、ここは善行者を生
んだ素晴らしい集落だ。この集落の誰々が善行を積んだ、ということを広
く内外に誇示するための標識ということになる。その旌表門が「實に立派
なもので、其の精巧、華麗は他の省に於て絶えて見ない所である」とは、
やはり東大路が豊かであることの傍証でもあるわけだ。 
 
だが、誰に知られることもなく為すべきを為すことが善行というものだろ
う。こう考えるなら、麗々しく旌表門を建ててまで、広くこれ見よがしに
善行を訴えねばならないということは、それだけでも善行者が稀にしか現
れなかったことを意味しよう。

孔子の時代から「巧言令色鮮し仁」とも「剛毅朴訥は仁に近し」とも言わ
れてきたが、これ見よがしに建てられた旌表門は恰も「巧言令色」に近
く、また「剛毅朴訥」とは限りなく遠いように思える。いわば旌表門は仁
とは馴染まないはずだ。かりに善行を根柢で仁が支えているとするなら、
旌表門は余り褒められた建造物とは言えそうにない。もっとも善行と仁と
が無関係ならば、それまでではある。

以下は、「所謂千里の沃野天府の地」と呼ばれる四川にあっても「最も膏
沃なる地方と稱せらるゝ成都重慶間を結ぶ交通幹路」である東大路の旅宿
での体験だ。毎度ながら汚い、汚い、嗚呼汚いの連続ではある。

部屋内は一面土間であつて日光の透かしが良くないから常に濕つて居る。
天井は屋根裏で天井板を嵌めたのは殆ど見當たらない。毎日の掃除は土間
の一角に止つて居るので天井、壁、戸等には塵や蜘蛛の巣が一杯で、旅馴
れぬ人には、一見惡寒を催さしめずには措かない」。じつは旧い中国家屋
は日本家屋のように天井板が張ってない。土間に立って見上げれば、目に
入ってくるのは瓦の裏側とその瓦を支える梁だけ。簡便至極の構造だ。

宿の調理場は街路に面した店頭にある。そこで「洗ひ流した汚物は何の遠
慮も無く悉く街路の上に運ばれる」。ゴミ捨て場然とした街路は「臭氣
紛々、一見直に嘔吐を催さしめる」。こんな惨状を見せつけられたら、
「運んで來る飯も咽喉を通らぬのであるが、矢張り眼をつぶり觀念して食
べる内に馴れて來る」。

確かに「矢張り眼をつぶり觀念して食べる内に馴れて來る」ものだ。半世
紀ほど昔の香港の屋台でのこと。目の前の箸立てに張ったクモの巣も、誰
が使ったか分からないうえに油でギトギトにコーテイングされたような
(ということは絶対に洗ってはいない)箸でも、「矢張り眼をつぶり觀
念」すれば、いつしか気にならなくなってしまうもの。屋台のオヤジの
青っ洟が付いた土司(トースト)だって、その部分をちぎって捨て去れ
ば、「矢張り眼をつぶり觀念して食べる内に馴れて來る」ものだ。経験者
が言うのだから間違いない。

まあ厠だって「矢張り眼をつぶり觀念」すれば、その「内に馴れて來る」
ものではあるが、そういかない時もある。宿の母屋の裏手が厠房、つまり
大小便所だった。《QED》 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)日本文化チャンネル桜から番組のお知らせです。13日(今
晩)放送の「フロント JAPAN」はホスト葛城奈海さん、ゲスト宮崎
正弘さんでお送りします。

テーマは「英国選挙保守党圧勝」「あれから82年、南京入城」「明日は赤
穂浪士討ち入り」など盛りたくさんの内容になります。(日本文化チャン
ネル桜)

◆「習近平の国賓訪日」に反対  

         北野 幸伯


皆さんご存知のように、私は最近、「習近平の国賓訪日」
に反対しています。

それで、しばしば、それ関連の記事を書いています。

なぜ、習近平の国賓訪日はまずいのか?

ダイヤモンドオンラインで4つの理由をあげています。

まだの人は、是非ご一読ください。

https://diamond.jp/articles/-/221300


ところで、「習近平の国賓訪日反対」について、いろいろ
な人が言及するようになってきました。

今回ご紹介するのは、産経新聞の大御所、古森義久先生の
記事です。

タイトルは、

<まるで米国への挑発、習近平「国賓招待」の危うさ>

JBpress 12/11(水) 6:00配信

重要なポイントをご紹介します。


<安倍政権が来年(2020年)春、中国の習近平国家主席を
国賓として日本へ招待する計画を進めている。

この計画が国際的に反発を買う見通しが強くなってきた。>

習近平の国賓訪日は、

「国際的に反発を買う見通しが強くなってきた」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そうです。

なぜ?

<日本の対中融和政策が民主主義諸国の動きに逆行すると
して非難の声が高まっているのだ。

とくに米国の対中政策を阻害するとみられる危険性も高い。
>(同上)

「日本の対中融和政策が民主主義諸国の動きに逆行する」

そうです。

どういうことでしょうか?

古森先生は、欧米が、中国に対して警戒心を強めている例
を挙げておられます。

たとえば、NATOも中国を敵視しはじめた。

(NATOの主敵は、ロシア。)

<西欧諸国が多数加わる北大西洋条約機構(NATO)の29カ
国も、12月上旬に開いた首脳会議で中国からの「挑戦」を
初めて提起した。

首脳会議の成果をまとめた「NATO宣言」のなかで、中国の
最近の軍拡を含む影響力拡大を「挑戦」とみて、「正面か
ら対峙」する必要性を初めて宣言したのだ。>

(同上)

そして、アメリカは最近、香港問題、ウイグル問題で法律
を成立させています。

<ごく最近も、米国の政府や議会では、香港人権民主主義
法の施行、チベットやウイグルの人権弾圧に対する制裁措
置、台湾の民主主義への賞賛、といった動きがみられた。

そのすべてが中国共産党政権の人権弾圧への強い非難とな
っていた。>

(同上)

▼アメリカの戦いは、中国共産党政権崩壊までつづく

古森先生は、アメリカの反中政策は、質的にこれまでとは
全然違うと書いておられます。

<ここに来て米国の対中政策はついにルビコン川を渡った
といえるだろう。>(同上)


(@ルビコン川を渡る=

もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行
動を起こすこと。)

<中国共産党政権の人権弾圧に対する糾弾は、“中国の心
臓部”への攻撃となるからだ。共産党の独裁支配は人権弾
圧なしに無期限には続けられない。

共産党の人権弾圧を糾弾することは、共産主義を支える根
本の教理、つまりイデオロギーを否定することになる。>

(同上)

<トランプ政権はなぜ最近、中国の人権弾圧への非難を激
しくしているのか。

10月末のマイク・ポンペオ国務長官の演説が、その理由を
説明していた。

ポンペオ長官は次のように述べた。

「米国はこれまで中国共産党政権の人権弾圧とその基礎と
なるイデオロギーの民主主義陣営への敵対性を過少評価し
てきた。

米中間の諸課題は、もはやそのイデオロギーの基本的な相
違に触れずには論じられない」。>(同上)

これ、非常に重要です。

「イデオロギーを否定する」ということは、

「共産党の一党独裁を否定する」のと同じです。

つまり、アメリカの戦いは、「共産党の一党独裁体制が崩
壊するまで」つづくことになる。

▼アメリカは、日本に「参戦」を求める

<ポンペオ長官はさらにこんなことも語った。

「中国共産党のイデオロギーは、米国など民主主義諸国
との闘争と世界制覇のために軍事力の行使や威迫をも辞
さない。

だから米国は全世界の民主主義国と共同で中国の脅威と
対決する必要がある」

この部分を読めば、米国が日本にも中国との対決の姿勢
を求めていることは一目瞭然である。>(同上)

<だから米国は全世界の民主主義国と共同で中国の脅威
と対決する必要がある」>

<米国が日本にも中国との対決の姿勢を求めている>

決定的ですね。

日本は、中国を挑発する必要はありませんが、はっきりと
同盟国アメリカの側にいる必要があります。

▼同盟国を「サクッ」と裏切る日本政府

安倍総理は4年前、アメリカ議会でいいました。

<2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。

日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったので
す。

そのときでした。

米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。

本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、
支援の手を差し伸べてくれました。

私たちには、トモダチがいました。

被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。

そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてく
れた。

──希望、です。

米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、
将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはな
りません。

米国国民を代表する皆様。

私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。

アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良
い場所にしていこうではありませんか。

希望の同盟──。

一緒でなら、きっとできます。>

この言葉が「真実」だったのかが試される時がきました。

日本の同盟国アメリカが、中国に戦いを挑んだからです。

希望の同盟国である日本は、「世界をはるかに良い場所」にす
るために動かなければなりません。

(ウイグル人が100万人強制収容されない方が、世界ははるか
に良い場所になるでしょう。)

ところが日本は、同盟国の敵である中国に接近しはじめたので
す。

しかも急速に。

なんと愚かなことでしょう。

1939年、第2次世界大戦がはじまりました。

日本は、愚かにも「ユダヤ人絶滅」を宣言しているナチスドイ
ツに接近。

1940年、日独伊三国同盟が成立しました。

それで必然的に敗戦したのです。

日本は今、ウイグル人100万人を強制収容所にぶち込んで洗
脳している中国に接近しています。

しかも、米中覇権戦争がはじまった直後からこういう動き
をしている。

嗚呼、日本は、また愚かな指導者のせいで敗戦するのでし
ょうか?

何の責任もない天皇陛下は、独裁者を喜ばせたい日本政府
のせいで、

「独裁者の友達」と批判されることになるのでしょうか?

<日本の習主席の国賓招待は、米国が非難する人権弾圧の
最高責任者への最大の厚遇となる。

習主席の責任下にある中国当局の行動を是認していると受け
取られてもおかしくはないだろう。>

(同上)


日本国民は、「また敗戦」するのでしょうか?

古森先生は、記事をこう締めくくっておられます。

<日本としては、習主席を国賓として歓迎する日本の動
きが米国に対する挑発に近いメッセージと受け取られな
いような考慮が必要だろう。>(同上)


というか、「国賓訪日」やめさせてください。

反対している自民党議員の皆さま、どうかがんばってくだ
さい。

心から応援しています

◆「浜辺の歌」の取材であわや

渡部 亮次郎


歌謡歌手の岩崎宏美が1日未明、深夜便で「浜辺の歌」を歌った。この時間
には「琵琶湖周航の歌」を舟木一夫が、「浜千鳥」を森繁久弥が歌ってい
た。「歌謡歌手の歌う叙情歌」だった。

その中の一曲「浜辺の歌」の取材であわや一命を取り落とすところだった
22歳の秋を思い出した。

私は大学を出てNHK秋田放送局に就職。1968年だった。6月からは大館
駐在の記者として、市役所前の下宿を根城に秋田県北部全体のニュースを
カバーしていた。

そうしたある日、米内沢(よないざわ)で作曲家、故成田為三の記念音楽
祭がある、と聞いた。まだテレビが地方まで普及していない時代。音楽祭
というのはどんなのか知らないがラジオにとってはうってつけの素材だろう。

ところが下宿で調べると録音テープが底をついているではないか。早速秋
田の局へ電話して、客車便で送ってもらう手配をした。夜9時ごろの奥羽
線下り急行で大館駅に到着することになった。

大学を出てまだ1年目とはいえ、既にいっぱしの酔客になっていた。
急行が到着するまで時間がある。一杯飲み屋で日本酒を飲み始めた。
銚子で2−3本は確かに飲んだ(酔った)。

時計を見て、自転車に跨った。坂道を下って駅を目指した。間もなくタク
シーにはねられて道端に吹っ飛んだ。新品の自転車はくちゃくちゃ。そこ
は坂下の十字路。確かに即死しても可笑しくなかったが、起き上がってみ
たら、額に小さな瘤ができているだけで亮次郎はちゃんと生きていた。

多分、酔っていたために無抵抗だったのがよかったのだろう。翌日は汽車
で米内沢をめざし、音楽祭の一部始終を録音して事無きを得たのであっ
た。デスクには秘匿した。老齢になって初めて人に語る真実である。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、成田 為三
(なりた ためぞう)は1893(明治26)年12月15日―1945(昭和20)年10月
29日)秋田県出身の作曲家。

秋田県北秋田郡米内沢町(現在の北秋田市米内沢)の役場職員の息子とし
て生まれる。1909(明治42)年、鷹巣准教員準備場を卒業、秋田県師範に
入学。同校を卒業後鹿角郡毛馬内小学校で教鞭を1年間執る。

1914(大正3)年、上野にある東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に入
学。在学中、ドイツから帰国したばかりだった在野の山田耕筰に教えを受
けた。1916年(大正5年)頃、『はまべ(浜辺の歌)』を作曲。

1917(大正6)年に同校を卒業。卒業後は九州の佐賀師範学校の義務教生
をつとめたが、作曲活動を続けるため東京市の赤坂小学校の訓導となる。
同時期に『赤い鳥』の主宰者鈴木三重吉と交流するようになり、同誌に多
くの作品を発表する。

1922(大正11)年にドイツに留学。留学中は当時ドイツ作曲界の元老と言
われるロベルト・カーンに師事、和声学、対位法、作曲法を学ぶ。

1926(大正15)年に帰国後、身に付けた対位法の技術をもとにした理論書
などを著すとともに、当時の日本にはなかった初等音楽教育での輪唱の普
及を提唱し、輪唱曲集なども発行した。

1928(昭和3)年に川村女学院講師、東洋音楽学校の講師も兼ねた。
1942(昭和17)年に国立(くにたち)音楽学校の教授となる。1944(昭和
19)年に空襲で自宅が罹災、米内沢の実兄宅に疎開する。生家は阿仁川へ
りにあったが1959(昭和34)年に護岸工事で無くなっている。

実家で1年の疎開生活を送った後、1945(昭和20)年10月28日に再び上京
するが、翌日脳溢血で53歳の生涯を閉じる。葬儀は玉川学園の講堂で行わ
れ、国立音楽学校と玉川学園の生徒によって「浜辺の歌」が捧げられた。

遺骨は故郷の竜淵寺に納骨された。故郷の米内沢には顕彰碑が建てられ、
「浜辺の歌音楽館」で為三の業績を紹介している。

「浜辺の歌」や「かなりや」など歌曲・童謡の作曲家、という印象が強い
が、多くの管弦楽曲やピアノ曲などを作曲している。しかし、ほとんどが
空襲で失われたこともあり、音楽理論に長けた本格的な作曲家であったこ
とはあまり知られていない。

愛弟子だった岡本敏明をはじめ研究者の調査では、作品数はこれまでに
300曲以上が確認されており、日本の音楽界で果たした役割の大きさが再
認識されつつある。2012・5・1