2019年12月11日

◆弾劾調査は民主党の権力乱用である

Andy Chang


明らかに民主党は権力乱用と言われても構わずトランプを弾劾するつ
もりだ。

AC通信 No.766 Andy Chang (2019/12/05)
AC論説 No.766 弾劾調査は民主党の権力乱用である

12月4日水曜日、国会のNadler司法委員会はSchiff情報委員会会長
の弾劾調査報告を受け取ったあと、憲法に詳しい大学教授四名を委員
会に招聘してトランプ大統領の弾劾について質疑応答を行った。諮問
に召喚された四名のうち三名は民主党に献金、ヒラリーに献金した記
録もある民主党員で反トランプの教授である。あと一人は共和党側の
招待したJonathan Turley教授である。Turkey教授は共和党員でもなく
トランプ支持者でもないと自称している。

国会がトランプ大統領の弾劾調査を始めて既に70日経つ。12月2日
月曜日にシフ委員長は300ページの調査報告をNadler司法委員長に提
出すると発表したが、同じ月曜日にはシフ情報委員会の共和党が纏め
た125ページの反論を提出した。するとシフ委員長は共和党の反論を
「つまらない、意味がない」と言って却下した。委員長が独断で委員
の反論を却下するのは明白な権力乱用である。

3日火曜日にシフ委員長の調査報告が司法委員会に提出され、司法委
員会のNadler委員長は5日水曜日に3人の憲法に詳しい教授を招聘す
るとしたが共和党側はナドラー委員長に対し、トランプの密告者及び
シフ委員長を証人として喚問すべきと提案したが却下され、やむなく
もう一人の憲法の権威、Jonathan Turley教授を招聘した。

一方的な諮問会ではトランプ弾劾に賛成する教授の意見が結果として
採用されることになるが、実際にはターリー教授の弾劾に対する反対
意見が歴史に残る名講演と言われている。

反トランプの三人の教授はトランプが個人の政治的意図のためウクラ
イナ総統に対し、軍事援助の見返りにバイデン父子の調査を依頼した
ことは憲法違反で弾劾に値するとした。だが三人とも見返り要求(ク
イドプロクオ)だから憲法違反だったと言わず、トランプがウクライ
ナ総統に賄賂を与えたと言い替えた、つまりクイドプロクオでなくて
贈賄だから弾劾に値すると主張したのである。

これに対しターリー教授は詳しい理由を上げて民主党側の意見に反論
した。ターリー教授はシフ報告にあった弾劾理由は証拠が不十分で証
人12人の意見と又聞きしかなかったのに違法と結論したのはシフ委
員長の独断でる。シフ情報委員会もナドラー司法委員会も大統領弾劾
と言う重大事項に対して結論を先につけている。米国の歴史にある4
回の大統領弾劾案のなかでこれほど調査手続き不十分で証拠不十分、
大統領弾劾にあるべき手続きの欠如を指摘した。アメリカ歴史で起き
た弾劾案のうち、ジョンソン、ニクソン、クリントンの三人は、弾劾
に当たる犯罪証拠が十分だったのに今回はそれがない。クイドプロク
オは弾劾証拠不足だから贈賄に切り替えてもトランプには贈賄の証拠
がない、有罪判決は殆ど不可能と述べた。

ターリー教授はシフの報告書にあるトランプ大統領の権力乱用につい
ても反対意見を述べた。大統領が委員会の召喚に応じないことや資料
提出を拒否したのは大統領の権限内であり、オバマ大統領も国会の喚
問を拒否し、資料の提出を拒否したことを上げ、民主党委員がトラン
プを権力乱用で弾劾するのは無理と述べた。

最後にターリー教授は、民主党側はトランプが大嫌いだからマラー検
察官を使ってロシア癒着を調査したが結果は無実だった。これに続い
てウクライナ問題で大統領を弾劾し、それも証拠不十分だからその次
に権力乱用で弾劾する。それでもなお民主党がトランプを罷免するな
らこれこそ民主党国会の権力乱用であると結論した。

4日の諮問会のあと5日の朝、ペロシ国会議長はナドラー司法委員長
にトランプ弾劾法案を作成するよう要請した。ナドラー司法委員長は
この委託を受けてトランプ弾劾法案を作成してから来週9日の月曜日
に司法委員会でトランプ弾劾案の討論をすると発表した。

明らかに民主党は権力乱用と言われても構わずトランプを弾劾するつ
もりだ。トランプ弾劾が上院で否決されるのは殆ど確実だから、この
結果が来年の選挙で民主党に不利になるかも知れない。

ナドラー司法委員会の手続きが不十分でもとにかくトランプ弾劾案を
作成して投票すれば多数決で弾劾は成立する。Deep Stateは何が何で
もトランプを罷免したいのだ。ペロシ議長の予定では年末までにトラ
ンプ弾劾を上院に提出する。来週中に弾劾案を通し、急いで来年度の
予算12法案を20日までに通して上院に出してクリスマス休暇に入り
たい。弾劾が粗雑で法的手続きがなくても構わない。上院は予算を審
理してトランプに提出する。粗雑な予算を通せばトランプ大統領は予
算案を否決するかも知れない。

Deep State民主党には弾劾案の外に非常に憂慮していることがある。
Michael Horowitz 司法部総監察は来週月曜の9日に彼が長い時間をか
けて調査ていた2016年選挙のFISA案調査報告を発表する予定だ。こ
の報告が出たらヒラリーの選挙応援に関わったFBI、CIA、DNAと司法
部の高官が起訴される可能性大といわれている。来週はトランプ弾劾
の外に民主党が心配することがたくさんある。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これまではメルマガにAC通信を出していましたが、メルマガは来年一
月に閉鎖する発表がありましたので、この後AC通信はマグマグに発表
する予定となりました。メルマガに登記していた読者の皆様は以下の
メルマガ個別ページにログインして登記してください。

・メルマガ個別ページ http://www.mag2.com/m/0001690065.html

・新作メルマガページ http://www.mag2.com/new/
 明日から1週間掲載されます。ここでAC通信に登記できるはずで
す。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
メルマガAC通信バックナンバーはhttp://www.melma.com/backnumber_53999
ご意見はbunsho2@gmail.comまで
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


at 08:36 | Comment(0) | Andy Chang

◆韓国の思想的内戦 〜 

    伊勢雅臣


The Globe Now: 韓国の思想的内戦 〜『反日種族主義』を読む

 韓国内では、朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との命運を
かけた政治的・思想的内戦が展開されている。
■転送歓迎■ R01.12.08 ■ 50,523 Copies ■ 6,824,110Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/


■1.朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との戦い

 10月3日、9日と二度にわたって、文在寅政権に反対する50万人規
模のデモがソウル中心部に発生した。韓国の保守リーダーたちは、これを
「文明勢力」と呼んでいる。自由、人権、民主主義、市場経済、法治を信
条とする近代文明を守ろうという勢力である。

 彼らが反対している文在寅政権は、韓国を日米から離反させ、北朝鮮、
中国の仲間入りさせようとしている。中朝とも中華型の全体主義体制を
とっており、皇帝独裁を支える伝統的な朱子学と親和性が高い。

__________
つまり、いま韓国で展開している戦いは朱子学的全体主義勢力と自由民主
主義文明勢力との体制の命運をかけた、妥協が不可能な戦いなのだ,[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 とは、麗澤大学客員教授・西岡力氏の総括である。韓国内だけではな
い。日米 対 中朝の争いも、同様に両勢力の命運を賭けた戦いである。こ
れに負ければ、我々日本国民も自由、人権、民主主義を失う。そういう戦
いが目の前で展開されているのである。

 この「朱子学的全体主義勢力」の本質を学問的に明らかにした『反日種
族主義』[2]が、韓国で10万部を超えるベストセラーとなり、日本語版
も発売2週間で20万部を超えている。

 これを読むと、韓国内の前近代的な「種族主義」、すなわち思想的文化
的に閉ざされた集団に閉じこもり、他集団を敵とする古代呪術的体制が学
問的に解剖されており、こういう集団には、史実も学問的議論も国際常識
も通用しない事がよく判る。

 こういう種族主義的勢力に対抗して、生命の危険をかけても学問的に正
しい事実を伝えようとする著者・李栄薫氏のような「文明勢力」がいるこ
とを知ると、少しは希望も湧いている。


■2.「日帝をどのように批判したらいいのか分からなくなる」

『反日種族主義』では、「従軍慰安婦」「徴用工」「植民地化」など韓国
の訴える「反日」について、史実を踏まえて、その「嘘」が暴かれてい
る。講義を聞いた韓国の学生たちは次のような感想を漏らすという。

__________
「今まで教科書で習って来たことが事実ではないという点を受け入れる
と、日帝(JOG注: 日本帝国主義)をどのように批判したらいいのか分から
なくなる」
「日帝の植民地支配を正当化してしまうのではないかと怖くなる」[2, 827]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この感想自体が、韓国での研究も教育も非学問的なレベルのものである
事をよく現している。というのは学生たちは「日帝は批判すべきもの」と
いう前提を信じ込んでいるからだ。すなわち「日帝とは悪魔のように呪詛
すべきもの」という「呪術的信仰」が暗黙の前提となっている。これがま
さに「反日種族主義」の正体である。


■3.「日帝の所業に間違いない」

「呪術的信仰」の典型が「鉄杭騒動」である。日本は朝鮮を併合した後、
土地調査のため、朝鮮の歴史上初めての近代的測量を行った。その過程で
測量基準点の標識を朝鮮全土の高い山に設置した。

 朝鮮では、土地には人体のように気脈が流れているという古代中国起源
の風水の自然観が信じられていた。近代的測量の目的も技術も知らない当
時の朝鮮人たちは、大地に打ち込まれた鉄杭を見て、「倭人たちが朝鮮に
人材が出ないように穴(急所:つぼ)を塞ぎ回っている」と噂し、それを
広めた。住人たちは夜、山に登っては、この棒を抜いて、金槌で砕いたと
いう。

 この迷信を国策に利用したのが、金永三政権が1995(平成7)年2月に始
めた「光復50周年記念力点推進事業」だった。大統領の指示を受けた内
務省が全国の地方自治体に公文を送り、日帝が打ち込んだ鉄杭を見つけて
抜くよう指示をした。6ヶ月間で全国から439件の申告があり、うち日
帝が打ち込んだ鉄杭だとして除去されたものは18本だった。

 当時、『月刊朝鮮』の記者だった金容三氏は、この18本の鉄杭除去現
場を訪ね、事実を調査した。慶尚道亀尾市の金烏市で除去された鉄杭を鑑
定したのは、易術人・閔(ミン)スンマン氏だった。彼は「金烏山に鉄杭が
打たれている場所は風水学的に明堂(優れた場所)だ」と言った。「龍が天
に向かって立ち上がる場所に仏が横たわっており、その額の部分に鉄杭が
打たれていた」と言う。

 金氏が「仮にそうだとしても、この鉄杭が日帝が打った、という科学的
で客観的な証拠は何ですか」と訊くと、彼は「証拠はないが、金烏山は風
水的観点からして非常に重要なので、日帝の所業に間違いないと推定し
た」と答えた。


■4.「日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと」

 忠清北道永同郡で除去された鉄杭に関しては、郡庁の担当公務員が「日
帝が打ったと言う根拠がなく、そうなのかどうなのか迷いながら抜いた」
と語った。しかし、同年6月5日午後、盛大な山神祭とともに除去され
た。その行事は、日本のNHKやTBSも取材に来て、撮影したという。

 同じ地方の永春面(JOG注: 面は日本の村に相当)でも3本の鉄杭が発見
され、情報提供者たちは「1984年頃、永春面で抗日義兵と日本軍の間で大
きな戦争が起こった。それで、抗日運動が再び起こらないように、日帝が
将来、将軍の生所となる場所に鉄杭を打ち込んだのだ」と主張した。

 永春面の前・面長であった禹ゲホン氏は、「それは日帝が打ったもので
はなくて、解放後住民たちが北壁の下に舟の綱を結ぶために打ち込んだも
のだ」と証言した。禹氏は「郡庁の人たちにこの事実を何度も説明したけ
れど、どんなに話をしても聞き入れてくれず、日帝が打った鉄杭に化けて
しまった」と、虚しく語った。

 江原道揚口郡では3本の鉄杭が除去された。それは表面に錆もなく、あ
まりにも新しくきれいなので、最近作られたものに間違いないと、金氏は
思った。もしも日帝の仕業でなかったらどうしようかと、と心配した人々
が「専門家の考証を受けた後で除去するのがよさそうだ」という意見を出
したが、無視された。

 この鉄杭も、マスコミの大々的な注目を浴びながら引き抜かれ、ソウル
国立民族博物館で開かれた光復50周年記念の一部として展示された。そ
こには次のような説明文がつけられた。

__________
 民族抹殺政策の一環として、日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しよう
と、全国の名山に鉄杭を打ったり、鉄を溶かして注いだり、炭や瓶を埋め
た。風水地理的に有名な名山に鉄杭を打ち込み、地気を押さえ人材輩出と
精気を抑え付けようとしたのだ。[2, 2974]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果」

 住民たちが舟の綱を結ぶために打ち込んだ鉄杭まで持ち出して、それを
「日帝」が「民族の精気と脈を抹殺」するために打ったものだとする。何
の証拠もなく、自分たちの古代的信仰をそのまま日本への糾弾に使う。そ
れは事実ではない、という地元の証言も聞き入れない。

 しかも、それを首都の国立民族博物館という、学問的な権威が必要とさ
れる場所で堂々と語る。ここには、近代的学問の論理的な姿勢はまるでな
い。そしてそれがいかに恥ずかしい事か、という認識もない。

 李永薫教授は、韓国の教科書を執筆した歴史家は、日帝には「土地だけ
でなく食料も、労働力も、果ては乙女の性も収奪された、と教科書に書い
てきました。その全てがでたらめな学説です」と述べている。その精しい
内容は実証的な事実によって『反日種族主義』で検証されているが、「で
たらめな学説」が横行している理由について、こう述べる。

__________
 歴史家たちがでたらめな学説を作り出したのは、何かしらの邪悪な意図
からというよりは、無意識による、幼い頃から彼らが呼吸して来た、祖先
から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果だと言えます。[2, 556]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち「鉄杭」神話は、風水説という「伝統文化」に引きずられて生
み出され、広められたものである。そこには史実も合理性も学問的検証も
ない。ただ空理空論で世界のあるべき姿を追求した朱子学的世界観であ
る。李栄薫教授ら「文明勢力」が戦っているのは、このような前近代的思
考に閉じこもった人々なのである。


■6.風水で朝鮮総督府庁舎も解体

 金永三大統領は、鉄杭の除去に留まらず、旧朝鮮総督府の庁舎と総督官
邸の解体まで指示した。その理由も、風水研究家が次のような主張をし
て、世論をリードしたからだった。

__________
 北岳はソウルの主山だが、その優れた気脈が景福宮の勤政殿まで伸び、
その血脈を広げ、そこから国中に白頭山の精気を分け与えるというのが、
伝統地理家たちの考えだ。
ところが倭人たちが国土を強占した後、北岳の精気が景福宮に続く所に彼
らの頭領である朝鮮総督の宿所を造り、気脈の首を絞め、国気の出発点で
ある景福宮南側に総督府の庁舎を造り、首を絞め、口を塞ぐはめになっ
た。当然二つの建物を撤去し原状復旧することが風水の正道だ。[2, 2139]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 文化界の有名人氏たちも「日帝が朝鮮王朝の景福宮を破壊し、そこに朝
鮮総督府の建物を建てたため、国の脈が切れて国土が分断され、同族を殺
し合う悲劇が訪れた」と賛同した。朝鮮戦争まで、風水で説明する。

 1995年8月15日の光復50周年慶祝式で、朝鮮総督府庁舎の撤去作業
が始まり、翌年11月13日、建物の地上部分の撤去が完了した。朝鮮総
督府は日本統治時代に10年の工期を費やして完成した建物で、当時はイ
ギリスのインド総督府やオランダのボルネオ総督府を凌駕する東洋最大の
近代式建築物だった。


■7.「恥ずかしく清算すべき歴史」

 朝鮮総督府庁舎は、戦後も大韓民国の重要な歴史が刻まれた舞台だっ
た。1945年9月9日、ここで第9代朝鮮総督・阿部信行が米第24軍軍団長
ジョン・ホッジ中将に降伏文書を手渡した。ソウルに進駐した米軍は、こ
こを米軍政庁として使った。

1948年5月31日、中央庁の中央ホールで大韓民国の国会が開かれ、
同年7月17日には憲法がこの場で公布された。続いて7月24日には大韓民国
の初代大統領の就任式が、8月15日には大韓民国政府の樹立の宣布が、
中央庁の広場で行なわれた。

 この建物は1950年10月7日まで国会議事堂として使われ、その後は李承
晩大統領の執務室となり、朝鮮戦争で火を放たれたが、1962年11月22日、
復旧され、その後、中央行政府の庁舎として使用されてきた。

 朝鮮総督府庁舎は、大韓民国の建国以来の歴史の中心的舞台だったので
ある。それを風水で「国の脈が切れて国土が分断され」た事を理由とし
て、解体撤去するというのは、どういう心理だろう。風水を信ずる多くの
韓国民は快哉を叫んだが、金永三大統領の真の目的は別の所にあった。

 金泳三大統領の秘書官・金正男は、『月刊朝鮮』におけるインタビュー
で「金泳三大統領は、中央庁の建物で展開された韓国現代史が、自分の政
権の正統性とはほど遠い恥ずかしく清算すべき歴史なので、その建物に対
し愛着を感じなかったようだ」と発言している。

 今までの韓国現代史を「恥ずかしく清算すべき歴史」とするのが、金永
三大統領の歴史観だった。それは現在の文在寅大統領にも継承されてい
る。その歴史観を李永薫教授は、次のように要約してる。

__________
 日本の植民地時代に民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが
建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥
やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかす
んだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢
力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽った」 (『大韓民国の物語』
文藝春秋)。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち現在の大韓民国とは、「日帝時代の親日勢力」の残党がアメリ
カと結託して建てた国であり、本来の正統的国家は北朝鮮だというのであ
る。3代続いている北朝鮮の金王朝こそ、朝鮮の正統な支配者であり、ま
たその背後にある習近平の独裁政権も、伝統的な中華帝国の支配者と見る。

 中国も北朝鮮も、それぞれの前近代的な伝統に基づく独裁国家である。
そこには自由、人権、法治、市場経済という文明的概念はない。こういう
東アジアの朱子学的全体主義勢力と戦っているのが、韓国内の自由民主主
義文明勢力なのである。


■8.「今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」

 この夏、8月15日にもソウルで反文在寅の「太極旗デモ」が行われ、
参加者は「日本は敵ではない」「反日は反逆だ」などのスローガンを大声
で叫んだ。演説会でも「文在寅政権の反日は親北容共で韓国に有害だ」
「反日は愛国ではなく反逆、利敵だ」「今の日本は敵でなく、共産主義と
共に戦う味方だ」という発言が相次ぎ、参加者が大声で唱和した。[3]

__________
 現在の韓国の反日は、文政権とその支持勢力が主導する「親北反日」
で、それを見抜いた韓国の自由民主主義勢力がアンチ反日運動に立ち上
がって、韓国内で激しい政治的、思想的内戦を展開しているのだ。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 西岡力教授の結論である。香港のデモも本質は同じだろう。自由な日本
と台湾のすぐ隣、大陸との境界では、「激しい政治的、思想的内戦」が起
こっていることを我々は認識しなければならない。『反日種族主義』が韓
国でベストセラーになったのは、自由民主主義文明勢力の反撃の狼煙なの
である。
(文責 伊勢雅臣)

■『No.1141 日系移民がペルー社会を固めた「根っこ」』へのおたより

■(けんたれ3さん)

毎週、珠玉の記事をありがとうございます。
本記事に感動しました。

南米に移民して大変なご苦労をされたにもかかわらず、戦前の日本人は、
利他心とノブレスオブリージュが備わっている人が多く、それは一等国民
として恥ずかしくない恰好をという国家と歴史に対する誇りが根っこにあ
ると感じました。

フジモリ大統領の「正直・勤勉・技術」というスローガンも日本精神の根
本であると思いますし、われわれ日本人も肝に銘じておかねばならないと
思います。

昨今の若者による詐欺の隆盛などを見ますとある種、将来へ希望を持てな
い若者たちのテロという意味で以前のペルーと似ている気がします。

やはり、自身に健全な誇りを持てる国家観を醸成する教育と相対的貧困を
減らして将来に希望を持てる経済成長を前提とする経済政策また、少子高
齢化に対応した抜本的な社会保障制度の構築(これは言うは易くで経済成
長により全体的なパイを増やさないとどうしても限られたパイを奪い合う
ゼロサムゲームになって給付者と納付者の対立が避けられませんので)が
必要かと考えます。

とはいえ、天下国家を論じる前にわれわれ自身一人一人が「正直に誠実
に、報徳思想で自分のことだけでなく自分の身の回りのことにも奉仕して
付加価値のある製品やサービスを生み出していけるよう勤勉に働く」とい
うことを体現していきたいと決意を新たにいたしました

◆懐かしい博多弁

毛馬 一三

在阪の同じ福岡高校卒・盟友5人と定期機会に、定まりの喫茶店でコーヒーを飲みながら雑談を交わしていた。その時のことを想いだす。
その時の一幕。

盟友のひとりの渡邉征一郎君が、福岡から持ち帰ってきた「博多かるた」を披露した。高さ17p、幅12p、厚さ3pの箱入りの新「かるた」<博多を語る会編・西日本新聞社刊>で、ユーモラスな絵に面白い解説書きが添えられた異色の「かるた」だった。

「かるた」には、「博多の行事・祭事・博多弁」が、「いろは順」で構成されている。熟視するほど、懐かしい「博多情景」が飛び出してくる。全員が、この異色「かるた」を凝視した。

私は筑後出身で、私以外は、全員が博多っ子。たまに帰省することはあっても、郷里を離れて4〜50余年経つため、「博多弁」はすっかり皆忘れている。そのためか、少しでも記憶を呼び戻そうと気持ちを昂ぶらせながら見入っていた。

良かったことは、同「かるた」に、解説書が付いていたことだ。解説を読めば、「札」の文意がわかるようになっている。そこで「かるたの博多弁」思い出して、「この通りやな」と、頭を掻きながら大阪弁で呟く盟友もいた。

ところが、解説書を読んでも、何のことか分からない「博多弁」が沢山あった。例を上げると、「そ」の札。「そおついて わかる博多のよかところ」と解説に書いてある。「そおついて」って何?皆、首を傾げる。

<古代から大陸との文化交流の地だった博多には、いたるところに名所旧跡、歴史の地がある。ゆっくり町を「そおついて」(歩いて)回ると、路地裏のようなところにも、隠れた歴史を発見できる>と、解説書にはある。

なるほど、そんな意味の「博多弁」だったのか。

「かるた」が持ち込まれたことで、久しぶりに「博多弁や博多行事等」が話題となって楽しいひと時を過ごせた。しかし肝腎の郷里「博多弁」をすっかり忘れて仕舞っていたことに、お互い苦笑いすることが何時ものことだった。

実は、私の故郷は久留米。これまた博多弁と久留米弁とはまるきり違う。越境入学で福岡高校に入学したのだが、入学当時は、博多弁で授業する先生の言葉になかなか慣れず、仲間つくりにも苦労した。でも3年間経つ内に、何とか博多弁に馴染み、言葉の情緒も分かるようになった。

その後、東京の早稲田大学を経てNHKに入局して記者になった。とはいえ、私にとって博多弁は第2の故郷弁だ。なのに、純粋の博多っ子の盟友たちですら、懐かしい「博多弁」を咄嗟に思い出せないのには、聊か驚いた。時節の経過が災いする忘却の仕業なのだろうか。

そこで、懐かしい「博多弁」を、ウイキペディアを参照しながら、改めて頭の中に蘇らせみた。

<名詞>
•「かったりこうたい」…交互に。交代交替。
•「きさん」…貴様。
•「ど (ん) べ」…最下位。
•「こす」…こすいこと。
•「せこ」…せこいこと。
•「ちかちか」…チクチク
•「ごりょんさん」…主婦。

<動詞>
•「おっせこっせする」{サ行変格活用} …時間に追われてバタバタする。
•「くらす」 {サ行五段} …殴る。(「喰らわす」から)
•「くちのまめらん」{ラ行五段}…呂律が廻らない。
•「おらぶ」{バ行五段} …叫ぶ。
•「からう」{ワ行五段} …背負う。
•「きびる」{ラ行五段} … (紐などで) 縛る、束ねる。
•「こずむ」{マ行五段} …積み上げる。
•「ずんだれる」{ラ行下一段} …だらしない。
•「ぞろびく」{カ行五段} …引きずる。
•「たまがる」{ラ行五段} …びっくりする。
•「ねぶる」{ラ行五段} …舐める。
•「ねまる」{ラ行五段} …腐る。
•「のうならかす」{サ行五段} …なくす。
•「ねぶりかぶる」{ラ行五段} …うとうとする
•「腹かく」{カ行五段} …腹が立つ、苛立つ。
•「はわく」{カ行五段} …ほうき等で掃く。
•「ほがす」{サ行五段} …穴を開ける、穿孔する。
•「ほとびらかす」{サ行下二段} …ふやかす。
•「まどう」{ワ行五段} …弁償する。

<形容詞・形容動詞・副詞・連体詞>
•「しゃあしい (か) 」(語源は「せわし」)「じゃかしい (か) 」「せからしい (か) 」{形・シク} …うるさい、騒がしい。「そわそわすんな。しゃあしかぞ」[共通語訳]「そわそわすんな。気が散る。」
•「しょんない」{形・ク} …仕方ない。
•「しかたもない」{形・ク} …1. くだらない。どうでもいい。2. 期待して損する。
•「いっちょん」{副} … (否定語を伴って) 少しも。全然。
•「えずい」{形・ク} 怖い。
•「すいい」{形・ク} …酸っぱい。
•「そげな」{連体} … そんな。「そ」+「が」+「やうなる」
•「そげん」{副} … そんなに。そんなこと。そんなふうに。「そ」+「が」+「やうに」
•「どげな」{連体} … どんな。
•「どげん」{副} … どんなに。どう。どんなふうに。
•「なし」「なして」{副} …なぜ、どうして。
•「いたらん」{連体} …余計な。多くは「いたらんこと (するな / 言うな) 」の形で使用される。
•「なんかなし」{副} …とにかく。「なんかなし、電子辞書ば使わんで紙の辞書ば使うて見れ」>。

まだまだ懐かしい「博多弁」は沢山ある。どうか博多から離れてお暮しの方が、博多で過ごされた時のことをこの「博多弁」から思い出して頂ければ幸いだ。(了 修正再掲)   

2019年12月10日

◆モルディブ外相、「借金の罠」

宮崎正弘

令和元年(2019)12月9日(月曜日)通巻6298号<前日発行>

 「日本は中国の十分の一」に過ぎない。けれども無償援助は世界一
   モルディブ外相、「借金の罠」解決の糸口探ろうと「先輩」のスリ
ランカを訪問

  「日本は中国の十分の一」に過ぎない。
 何の話かと言えば、モルディブを訪れる観光客の数である。あの南イン
ド洋の群島に中国人ツーリストが年間39万人、他方、日本人も結構訪れ
るとはいえ、3万8000人(いずれも2018年)。

 ヤミーン前大統領は中国から無謀な借金を繰り返し、累積14億ドル。
ちなみにモルディブのGDPは30億ドルあるか、ないか。政府歳入の
70%は観光産業の収入である。全島は1192,このうちの111の
島々がリゾートとして外国人が訪れる。残り1000の島嶼、岩礁は無人
である。

 先月、北京を訪問したシャヒド外相は、「2023年までに年間100
万人の観光客が中国からやってくるだろう」と大甘の予測を開陳してい
る。現在、モルディブを中国各地との飛行機便は週に26便もあり、首都
マーレの街を歩くと、うじゃうじゃと中国人ツーリストがいる。繁華街に
は「竹中直人の店」などと看板もあるが、モスクと魚市場、北側の砂浜と
空港を結ぶ海上橋梁を中国が建てた。そのプロジェクトの関係者だ。
首都マーレでは日本人は稀にしか見かけない。なぜなら日本人ツーリスト
は首都に興味がなく、すぐにボートで沖合リゾートへ向かうからだ。

大統領選挙でチャイナマネーに汚れたヤミーン大統領が予期せぬ落選。新
たに大統領に選ばれたのはソーリフだが、目の前の難題は、中国の借金を
いかに減らし、一方で中国からの観光客を増やし、借金の罠に落ちずに
「政治決着」を図るかにある。
インドの支援を期待したが、インドはヒンズーの邦、モルディブはイスラ
ム教スンニ派だから、援助にも自ずと限界がある(無償援助は日本がトッ
プ)。

ヤミーン大統領は500万ドルの賄賂を受け取っていたとして、起訴さ
れ、拘束されて裁判を待っている。ヤミーンが弾圧してきた旧野党幹部ら
は亡命先のインドなどから陸続と帰国した。

さて政治決着をはかるためには如何なる手段があるか、「先輩」のスリラ
ンカへシャヒド外相は出向き、大統領選挙で勝利したばかりのラジャパク
サにあった。
ラジャパクサは兄弟で大統領である。兄のラジャパクサがシリナセに敗北
した前回の大統領選挙のあとを受けて、弟のラジャパクサが当選し、ただ
ちに兄(前大統領)を首相に任命した。つまり法治というより人知のスリ
ランカで本当実力者は兄貴の「首相」に移行している。

兄弟で大統領を分け合うのは稀なケースであり、しかし、スリランカ国民
が、いかに、政治力のダイナミズムとは無縁のレベルで選挙をしているか
がわかる。そもそもハンバントタ港を借金のカタとして中国へ99年の租
借を認めざるを得なくなったのは兄のラジャパクサ政権のときだったのだ
から。

そのスリランカからの移民が多数を占めるのが、モルディブゆえに、安全
保障上、地政学上インドが重要な同盟国だが、従来の結び付きはスリラン
カにある。
             
    
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1995回】                
──「支那を亡すものは鴉片の害毒である」──上塚(13)
上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

   ▽
 上塚は四川、雲南、貴州、湖南、湖北、河南、陝西、甘粛、江西、安徽
などから工業資源を集める「工業都市としての漢口」を調査する。詳細な
データは割愛するが、綿布、綿糸・紡績、製糸、毛織物、大豆、精毛、製
革、蛋白蛋黄、製茶、澄油などの部門におけるドイツの躍進振りが断然目
立つ。

その後の日中戦争期からはじまって現在に至るまで、やはり中国とドイ
ツとは「親和性」に富んでいるのだ。であればこそ、対外開放以後の両国
関係は極めて長い歴史に発していることを、忘れてはならない。

 漢口の後、上塚は長江を遡って四川への旅に。
 最初に足跡を印したのは、「漢口を去る上流二百四十哩一八九六年帝國
政府の要求により開港」することになった沙市である。同地における「吾
が居留民約五十、帝國領事館、郵便局、日清汽船、三菱、日本綿花、武林
等の官衙商館あり。何れも支那町にありて支那家屋の借家住居なり」。
日本の專管居留地の立地条件も悪く、貿易関連施設も整っていない。

 この姿に接した上塚は、「惟ふに專管居留地を定むるの意は、茲に帝
國の臣民を導きて安住の地を得さしめると共に、我が國の文化的並經濟力
を深く支那内地に及ぼすに存す。是れが爲めには市街の經營を爲ささるべ
からず」。だから「市區を定め江岸を築く」わけであり、その姿を「廣く
是を内地に紹介し眞面目なる識者並に商工業者を誘導し來る」べきだ。そ
れにもかかわらず、「當局は敢えて力を茲に致さず、寶玉の地を徒に荊棘
の内に放置しつゝある」。その理由が分からない、と首を傾げる。

 かくして上塚は日本政府当局者の無定見・無作為・無気力・無目的を
憤る。
 「沙市のみならず余輩は揚子江沿岸の到る處に沙市類似の日本居留地を
見たり。
他の列強が草原澤地を開き道路を建設し得岸を築き、樹を植ゑ水道を引
き、以て壮麗なる街區を作り支那人其他の外人を茲に導き、幾何ならずし
て殷賑なる自己中心の商區を構成し、朝には自動車を驅りて業に向ひ、夕
には輕車を走らせて悠遊するに比し、吾が帝國居留地の何ぞ貧弱なる。街
區整はず、道路惡しく、
泥濘時に膝を没せんとするは未だしも、甚だしきは當地に見るが如く一個
の建物すらなく徒らに荊棘に間に放棄」したままだ。かくして「吾人は痛
切に吾が當局の志豆の如きを感せずんばあらざるなり」となる。

たしかに上塚の憂憤も判らないわけではない。だが、先に見た田川大吉郎
の台湾経営構想──未開の蛮地である台湾を、日本の力で世界に誇れる
文明先進の地に押し上げてやる─を論じた際に指摘しておいたが、殖民地
や居留地の経営に関して西欧列強が共通して熟知していたはずのノーハウ
を、日本は残念ながら持ち合わせてはいなかった。

なぜ西欧列強は殖民地獲得に血眼になるのか。なぜ強引に居留地を求め、
自国のための貿易拠点に大改造するのか──これらの点に考えを及ばせ
ないままに、日本は西欧列強に倣って朝鮮半島や台湾にヒトとカネを投入
し、中国大陸各地に居留地を求めてみた。

だが殖民地経営に疎いがゆえに扱い兼ねてしまった。かくて朝鮮半島には
「内鮮一如」で、台湾には「一視同仁」という考えで対した。一方の居留
地は手に入れたものの放置したまま。

 殖民地とは資源を搾取・強奪するのであり、宗主国が「身銭を切っ
て」まで開発に乗り出すものではない。
富の収奪基地であればこそ、居留地は手に入れたら直ちに改造に取り掛か
るものであり、いつまでも放置しておくべきものではない──これを常識と
する西欧列強からするなら、日本のやり口は理解できなかった。かくて
「内鮮一如」「一視同仁」という日本が示す善意の「裏側」を、彼らは勘
繰ったに違いない。
ここに『最後発帝国主義国家』と呼ばれる日本のその後の悲劇の芽が胚胎
していたように思うのだが。
《QED》

【知道中国 1996回】                   
 ──「支那を亡すものは鴉片の害毒である」──上塚(14)
上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)


 いわば西欧列強クラブ入りを果たしたものの、人種差別を含む彼ら共通
の『暗黙のルール』に疎かった。
敢えて誤解を恐れずに表現するなら、千代田城内における立ち居振る舞い
関する言外のルールを熟知している吉良上野介とその仲間を前にした浅野
内匠頭の関係である。イジメをイジメとも思わず、強引に決められた規則
であっても素直に守ろうと我慢に我慢を重ねる浅野ではあったが、いつし
か我慢の限界、いわば回帰不能点を超えてしまい、やがて「松の廊下にお
ける刃傷沙汰」へと繋がったのでは。

 ワシントンやらロンドンにおける軍縮会議にしても、欧米列強のイジ
メに我慢を重ねた日本だが、ことABCD包囲網やらハル・ノートに至って堪
忍袋の緒が切れた。せめて一太刀喰らわせねば、である。

 さて上塚の旅に戻は沙市から長江を遡って宜昌へ。景勝地の三遊洞に
出掛けた。
 「洞を下れば、渓水に臨む所一屋ある、もと獨人の有なり。近時暴兵の
爲めに破壞せられ、未だ修繕の暇無く放置されたり。はからずして日本婦
人二名余等を見てニコヤカに迎ふ。即ち至れば二婦人の外に一外人あり」。
40歳前後のドイツ人だ。「余等を遇する事極めて慇懃なり」。長崎滞在の
経験のゆえに、殊に日本人を親しく思うとのこと。第1時大戦中も「孤獨
を守り、遂に歸還せずして宜昌に止まりしと云ふ」。かくて「意氣の壮な
るを思ふべし」と。どうやらドイツ人は、ちょっとやそっとのことでは逃
げ出さないようだ。

 それにしても、この「日本婦人二名」は、なぜ三遊洞に。ドイツ人と
の関係は如何。宜昌を離れた上塚は、宜昌峡、黄牛峡、□峡、牛肝馬肺
峡、巴峡、巫山大峡、瞿唐峡を経て、やがて「酒仙李白が詠じ」、
「蜀主劉備が陣没の地として史實の上に顯著な」る白帝城に臨んで、「嗚
呼君逝きてより二千年、治亂興亡、國を更ゆる事幾百度ぞ。

然も君臣至誠を以て相許したる世に此の如きを知らず。秋霜天地を震ふの
遺烈は、大江の流と共に限り無く、千載の下人をして感奮した起たしむ。
吾れ今東海より來つて其の跡を訪へば、廟前の老樹心ありてか中空に鳴
る。懷舊何ぞ去るに忍びんや。

嗟々『人生勿爲讀書子。到處不堪感涙多』。」と綴り、「至誠一貫先帝の
遺託を守り、孤を擁して南戰北伐、七十にして陣中没する迄、一意社稷を
念としたる義心」の人たる諸葛孔明への思いを晒す。

 どうも日本式の漢詩・漢文教育で育った往時の日本人は、そこに過剰
なまでの思い込みを託しがちだ。諸葛孔明に対し劉備が示した「三顧の
礼」にしても、「目上の人が格下の者の許に何回も出向き、辞を低くして
手助けを依頼する」とされる。

断られても断られても諸葛孔明の廬に足を運ぶ劉備も偉いが、自らの浅学
菲才を知るがゆえに出仕を辞退する諸葛孔明の姿も美しい。
かくして2人の関係は君臣水魚の交わりへと昇華し、諸葛孔明の「一意社
稷を念としたる義心」が貫かれた、ということになる。

 だが考えてみれば、出仕を断った相手の許に何回も出向く劉備もどう
かと思うが、何回も断ることで相手を試し、自らを高く売りつけようとし
たと思える諸葛孔明の魂胆も好きにはなれない。やはり日本人が中国古来
の英雄物語を日本式に読み解くことを止め、常識を働かせていたならば、
日本人の中国理解も少しはマトモであったはずだ。

白帝城を少し遡行した辺りで、上塚は「夜に乘じて、一妓、胡弓を彈ず
る男一人を從へ、輕舟を浮べ、流弦して上下」する「妓船」に出会う。
「唱燈兒」を称する妓女が乗り込み、「客の呼ぶあれば、曲目を書せる扇
子を出し其の擇ぶに任せ、手に竹版を拍つて歌ふ。聲は切々測々として遠
く渡る。蓋し千古の風流なり」。

やはり日本人は諸葛孔明の「一意社稷を念としたる義心」を賛仰する前
に、「千古の風流」を大いに楽しむべきだ。
その方が、より深い中国理解が得られただろうに。
           
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声  どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)今年も12月8日となりました。本年で日米開戦後78年、敗
戦後74年になりますか。こうした年数を思うと、あらためて三島由紀夫さ
んが自裁された時点では、まだ敗戦後25年でしかなかったことを認識させ
られます。
 ところで私は、真珠湾奇襲は、政略・戦略面においてまったくの愚策で
あったのであり、これを主導した山本五十六は「愚将」、大日本帝国を破
綻させた重要な罪責者だったと評価しています。
 少し古くなりますが、雑誌『歴史通』(ワック社)の2016年1月号が、
「山本五十六神話完全崩壊」「奇襲は天下の愚策だった」と題して、米国
で2011年に出版された「Attack on Pearl Harbor」というAlan D. Zimm氏
の著作を紹介しています。
 ジム(Zimm)氏は、真珠湾奇襲作戦には、戦術面でも多くの失敗、欠陥
があったことを指摘していますが、そもそも政略・戦略面において、山本
の構想は稚拙で愚劣なものであったことを述べています。
 山本は、真珠湾奇襲の目的として、開戦劈頭で米海軍と米国民の士気を
阻喪せしめること、米太平洋艦隊の侵攻を6か月遅らせること、を構想し
ていたようですが、これらは全くの妄想でしかなかった。
 「山本の構想で仮に太平洋艦隊の侵攻を6か月遅らせることに成功して
も、新造艦計画による米国の優位を妨げられるものではない。真珠湾攻撃
により全米国人の憤激は頂点に達し、官民あげて戦争目的の完遂に邁進す
ることになった。実際、米国が真珠湾、フィリピンの敗戦によって戦意を
喪失して講和するなど論外である。山本は根本的なことを大きく読み違え
ている。結局、真珠湾作戦が成功しても講和にならなければ、必然的に日
本が勝利する見込みのない米国との長期戦になる。」

 ジム(Zimm)氏は、以上のように述べていますが、山本が「根本的なこ
とを大きく読み違えた」ことの原因としては、山本は米国滞在の経験もあ
り、知米派などと言われてはいたものの米国という国、米国人について表
層的にしか理解し得ていなかった。
その要因の一つとしては、山本の英語力が高度のものでなかったことが挙
げられるのではないか、というのが私の推論です。
 もちろん、語学力が他国理解に不可欠絶対のものではないことは当然だ
としても、いくら滞在経験があっても、語学力が十分でないならば、滞在
によって得られる知見は限られてくるはずです。

 真珠湾作戦はともかくとしても、ミッドウェー海戦敗戦についての責め
の大部分は山本が負うべきでしょう。
 さらにミッドウェー作戦の際に、(部下には厳しい規律を課しておきな
がら)出撃直前に愛人を出撃地に招いてみたり、愛人に作戦の一端を漏ら
していたり、出撃後もその愛人に愚劣なラブレターを出していたり(これ
らは、一般将兵が行っていたら、検閲された上で叱責、厳罰を受けたは
ず)、人物的にも疑問を持たざるを得ないと、私は考えます。
 ミッドウェー作戦の際には、大艦隊を率いて後方に徒なる出撃を行った
のも、多くの部下に戦時手当を支給するための人気取りという面が相当に
あったと思われるし、惨敗した後の措置も甘いというほかないものであった。
また異常なほどの手紙好きで、開戦後も子供たちへの手紙書きに没頭して
いたことなど、「人気取り」という域を超えて、性格の異様さを感じさせ
ます。
そこに感じられる自己陶酔的独善性は、強引で愚劣な真珠湾奇襲、ミッド
ウェー海戦の作戦立案にもつながっているように私には思えます。
 その他、総体的に言って、山本は神格化、美化されすぎていると私は考
えています。(椿本祐弘)


(宮崎正弘のコメント)故郷は長岡です。長岡を焼け野原にした河井継之
助と山本五十六は長岡ではあまり評価されておらず、山本五十六記念館は
近年の開館(1999年)。河井にいたっては生家跡に一本の石碑しかありませ
んでした。長岡市に河井記念館ができたのは2006年です。
おそらく異常な高い評価を下した司馬遼太郎の『峠』の影響かな?
 
ただし奥只見の戦死場所には小さな河井継之助記念館(冬季は休館)があ
り、近年改修されたようです。
30年ほど前の雪の日、なぜか新撰組を調べていた中村彰彦氏と一緒
に、師走も29日だったか、この記念館へたどり着いたのですが、雪のため
休館でした。

 さて南洋戦陣を視察に出た山本長官はラバウルで三日を過ごし(ラバウ
ルの奥地にヤマモトバンカーが残存しています)。山本長官を乗せた飛行
機はブーゲンビル島上空で撃墜されたのですが、近年の研究により、長官
は墜落後も生きていて、救援機が来ないと認識し自刃したという説が有力
になってきました。

◆「あきたこまち」の誕生

       渡部 亮次郎


郷里の秋田県産の米「あきたこまち」が届けられ、コメの美味しさを堪能
した。新米が早く食べたいと、南国の早稲を買っていたが、比べるのもお
かしいぐらい秋田産が美味い。

「あきたこまち」の食味について公的食味試験機関「日本穀物検定協会」
1984年11月の総合評価は「0・944」。これは新潟県産「コシヒカリ」「0・
7〜0・8」、同「ササニシキ」は「0・5〜0・6」を大きく上回るものだった。

穀物検査官は「『あきたこまち』の高い数値はこれまで出たことがなかっ
た」と評した。これを契機にマスコミや流通業界の関心が高まり、とくに
県外における知名度向上に弾みがつき29年の歴史が流れた。

29年前の1984年9月7日に秋田県品種対策協議会を開催し、県農業試験場
が作り出した「秋田31号」を奨励品種に採用することを決定した。

同日、知事が県農協中央会長、県農業試験場長同席のもと記者会見を行
い、品種名を「あきたこまち」と命名し奨励品種に採用したことを発表した。

命名の由来は、秋田県雄勝町に生まれとされる美人の誉れ高い平安時代の
歌人「小野小町」にちなみ、秋田で育成した美味しい米として、末永く愛
されるように願いを込めた。

「あきたこまち」は、母親の「コシヒカリ」から良食味性を、父親の「奥
羽292号」から早熟性を受け継いでいる。このことから、寒冷地北部でも
新潟の「コシヒカリ」並の良食味米栽培が可能となり、倒伏や「いもち」
病に対する抵抗性も「コシヒカリ」以上の特性を持っている。

さらに、炊飯すると米粒に美しい光沢と粘りがあり、食味に関する特性は
申し分がなかった。

米どころ秋田県とは言いながら10a(1反歩=300坪)当たり平均収量は、
戦前(1945年以前)の200!)台から1950年頃には350!)台に急増。

その後、1955(昭和30)年は450!)、1965(昭和40)年には550!)と大幅な伸び
を示した。この要因は、戦後の食糧難時代に、農地解放に伴う生産者の増
産意欲の高揚とともに、保温折衷苗代、三早栽培(早播き、早植え、早刈
り)などの普及及び県の増産運動「健康な稲作り運動」と相まって、全県
民的な普及によって助長された。

こうした技術開発と多収品種の導入により1976年、1977年、
1980年には「単収日本一」となり全国で最も安定多収県として位置づけら
れた。また、全国の多収穫競作会では秋田県から「米作日本一」が続出す
るなど、多収技術が開花した時代であった。

しかし1970年代に入ると、全国的に米の生産過剰となり生産調整が始まっ
た。秋田県も政府米の在庫を抱えながら、多収栽培から脱却できない産地
であった。つまり、多収栽培を行うのではなく量より質、消費者に喜ばれ
る、売れる米づくりへと転換せざるを得なかった。

このような背景から、1974年に秋田県農協中央会が水稲育種事業の実施を
県に要請し、翌年に県が水稲育種事業の開始(再開)を決定した。

つまり秋田県では1913年から1941年までの25年間、交雑育種を手掛けて育
成したが、その後中断していたのだ。1977年の福井県農業試験場へ調査・
享受の折、同場で75年に交配した「コシヒカリ」(母)×奥羽292号(父)の
「福交60−6」のF2種子1株を譲り受けた。

譲受けた「福交60−6」は、1981年に系統選抜4年目(F6)を迎え、系統
名(地方番号)を「秋田31号」と命名した。1983年には系統選抜6年目
(F8)を迎え、1群8系統の栽植し2系統20株を選抜し育成段階を終了した。

当時「コシヒカリ」は育成して約30年になっていたが、それまで「コシヒ
カリ」を親に交配した品種を奨励品種に採用した事例がなく、「秋田31
号」が最初の品種であった。

しかも、「コシヒカリ」の欠点である耐病性、耐倒伏性、収量性を改善し
た早生品種で、食味は「コシヒカリ」を上回った。

県農協中央会と農協経済連が「美人を育てる秋田米」のキャッチフレーズ
を発表し、秋田県初の水稲新品種誕生に花を添えた。

県外出荷が開始された「あきたこまち」は、新品種?類の中で破格の仮渡
し金60Kg20,133円の高値で取引された。また、キャンペンガール「こまち
娘」が誕生し、市女傘を身につけた平安朝の姿と、秋田で育成した美味し
い米「あきたこまち」として大いに印象づけた。

秋田県農林水産技術センター農業試験場次長 児玉 徹氏作成の資料。

◆【変見自在】法王と献金

           高山 正之
 
ローマ皇帝コンスタンチヌスはネロ以来ずっと邪教扱いしてきた基督(キリス
ト)教の布教を初めて許した。

当時のローマ帝国ではギリシャ神話の神々の他、中東のミトラ神、エジプ
トのイシス神、ユダヤ人が目の敵にしたバアル神などが自由に信仰されて
いた。

それに基督教も晴れて付け加えられたわけだ。

しかし信徒はそれで満足しなかった。彼らは皇帝テオドシウスを焚き付け
て基督教を国教にし、他の宗教をみな禁教とさせた。

信徒はギリシャの神々を祀る聖地デルフォイを徹底的に破壊し、バアル神
殿も旧約聖書でギデオンがやったようにぶち壊した。

信徒が声高に「難病を治し、死人を蘇らせた奇跡」を語りだすと、アレク
サンドリアの美貌の哲学者ヒュバティアが「迷信を真実と教えるべきでは
ない」と批判した。

信徒は怒り、彼女を襲って牡蠣の殻で体中の肉を削り取って惨殺した。

基督教は他の宗教を許さない偏狭さと残忍さを特徴とした。

教会が街の中心に建てられ、人々は毎週ミサに参列し、赤ん坊が生まれれ
ば洗礼の儀式をそこで執り行った。そのたびに高額の献金を教会は要求した。

カトリックはとくに罪を強調し、高値で免罪符を売り出して儲けた。

異端審判や魔女狩りも熱心に行った。金持ちのユダヤ人が狙われ、親指を
潰し、焼けた鉄の靴を履かせる審問で、魔女であることを自白させると火
炙りにしてその財産を没収した。

教会の総本山バチカンはアーミッシュを嫌った。

彼らは聖書に生き、教会に行かなかった。教会に来なければ献金も洗礼代
も取れなかった。だから彼らを見つけるとすぐ殺した。

無教会主義を唱えた内村鑑三も時代が違えば殺される運命にあった。

16世紀の日本にも狭量で残忍な基督教を伝道するイエズス会がきた。

織田信長は「七宗が八宗になっただけ」とコンスタンチヌスのように認め
てやったが、彼らはすぐ本性を現した。高槻城に入った切支丹大名、高山
右近は城下の神社仏閣をぶち壊して坊主たちを殺した。

その狭量を秀吉がたしなめ、それでもあらためないので家光が禁教にした。

おかげで日本だけが不毛で残忍な宗教戦争の埒外にいられた。

欧米がそれに気づくのは今世紀に入ってからだ。

ボストン・グローブ紙が130人の少年を犯した神父を告発し、それをきっ
かけに英仏独などで神父の性虐待がぞろぞろ明るみに出た。基督教は狭量
で残忍なだけでなく淫乱だった。教会離れが急速に広がった。

結果、教会への献金が減りバチカンの財政も傾いた。

法王が訪日したのは献金に繋がる新しい信徒の獲得にあった。特に日本の
信徒数は人口比でたった0.03%でしかない。

実はマッカーサーも日本の基督教化を図り1500人の伝道師を呼んだほどだ。

しかしサレジオ会の神父が痴情の果てに日本女性を殺害。バチカンが彼を
国外に逃がしたこともあって信徒は減っていった。

そんな過去がある。法王はもっと慎重に事を運ぶべきだったが、来日前に
大きな失敗をやった。隠れ切支丹への対応だ。

明治維新を前に隠れ切支丹が大浦天主堂に現れた。いわゆる「信徒発見」だ。

ただ、隠れ信徒は教会に帰る派と、ひっそり信仰を続ける派に分かれていた。

法王は献金に繋がる教会派を「潜伏切支丹」と呼んで愛で、世界文化遺産
にもなったが、そうでない「隠れ」は切り捨てられた。

日本カトリック司教団の入れ知恵らしいが、この差別でバチカンのさもし
さも透けて見えてしまった。

法王は長崎、広島を訪れて核兵器廃絶を訴えたのは良かったが、なぜか東
電福島の避難民にも会って原発反対を語った。

9条の会や支那韓国とも通じる司教団。恐らくは献金を山と積んで法王を
政治利用したのだろう。

そんな謀(タバカ)りをやるから基督教は嫌われる。法王も後味が悪かっただ
ろう。



2019年12月09日

◆1億総白痴化は成った 

渡部 亮次郎


<1億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一(故人)がテレビの急速な普及を背景に生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いが強い。

元々は、1957(昭和32)年2月2日号の「週刊東京」(その後廃刊)における、以下の詞が広まった物である。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」

又、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。ここでも、作家の松本清張が、「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べている。

このように、当時の識者たちは、テレビを低俗な物だと批判しているが、その背景には、書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然としてあったと考えられる。

書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、その為には文字が読めなければならないし、内容を理解する為に自分の頭の中で、様々な想像や思考を凝らさねばならない。

これに対して、テレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れて来る音声を聞くだけである点から、人間の想像力や思考力を低下させるといった事を指摘しているようである。>『ウィキペディア』

都会でもいわゆる井戸端会議を聞くとも無く聞いていると、テレビが放った言葉や映像はすべて「真実」と受け取られて居る。だから納豆を朝夕食べれば痩せる、といわれれば、ちょっと考えたら嘘と分りそうなものなのに、納豆買占めに走ってしまう。

識者はしばしばマスメディアが司法、立法、行政に次ぐ「第4の権力」というが、実態は、マスメディア特にテレビを妄信する視聴者と称する国民の「妄信」こそが4番目の権力ではないのか。

手許に本がないので確認できないが、若い頃読んだものに「シオンの議定書」と言うのがあり、権力(政府)がヒモのついた四角い箱を各家庭に配置し、政府の都合の良い情報で国民を統一操作するという条項があった。

<シオン賢者の議定書
『シオン賢者の議定書』(しおんけんじゃのぎていしょ、The Protocolsof the Elders of Zion)とは、秘密権力の世界征服計画書という触れ込みで広まった会話形式の文書で、1902年に露語版が出て以降、『ユダヤ議定書』『シオンのプロトコール』『ユダヤの長老達のプロトコル』とも呼ばれるようになった。

ユダヤ人を貶めるために作られた本であると考えられ、ナチスドイツに影響を与え、結果的にホロコーストを引き起こしたとも言えることから『最悪の偽書』とも呼ばれている。

1897年8月29日から31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上で発表された「シオン24人の長老」による決議文であるという体裁で、1902年にロシアで出版された。

1920年にイギリスでロシア語版を英訳し出版したヴィクター・マーズデン(「モーニング・ポスト」紙ロシア担当記者)が急死(実際は伝染性の病気による病死)した為、そのエピソードがこの本に対する神秘性を加えている。

ソビエト時代になると発禁本とされた。現在、大英博物館に最古のものとして露語版「シオン賢者の議定書」が残っている。>『ウィキペディア』

議定書は19世紀最大の偽書とはされたが、19世紀末に既にテレビジョンの装置を予測し、しかもテレビを通じた世論操作を描いていたのだから、偽書を作った人物なり組織は天才的というほかは無い。

実際、日本では昭和28年のテレビ本放送開始とともに、大衆は力道山の空手チョップを通じて、電波の魔力にしびれていたが、あれから数十年、いまでは「テレビこそ真実」という妄想を抱くに至った大衆と言う名の「妄想」が権力と化している。

たとえばテレビがそれほど普及していなかった時代、政治を志す人間にとって知名度と言うものが、最大のウィークポイントとされた。名前を有権者にどれだけ知れ渡っているかが、勝敗の分かれ目であった。

しかし、今ではそれはテレビに出演することで大半を解決できる。まして出演を繰り返すことが出来れば「露出度満点」でたちまち知名度は上がる。大衆がとっくに白痴化してしまって「テレビは真実」と妄想しているから万全だ。

かくて政治はテレビ制作者に合わせた政治を展開するようになった。国会の予算委員会がNHKテレビのタイムテーブルどおりに運営されていることを見るだけで明らかであろう。

その実態に気付きながら自身は気付いてないフリをして5年間も政権を維持したのは、誰あろう小泉純一郎氏である。

成果が上がらないまま、大衆の人気が落ちてくると、テレビは「総理の支持率が落ちた」と放送し、大衆は更にテレビを信じて支持率を下げる、という何とか循環に陥りながら気付かない。自分自身で考えることを何故しないの。

なんで支持しないか、テレビがそういっていたから。どこがいけないかなんて、私分らない、テレビに聞いて、が実態じゃないか。

このように、大宅壮一や松本清張の指摘したテレビによる「1億総白痴化」はとうの昔に完成しており、日本と言う国はテレビに振り回される低級国家に成り下がってしまっているのだ。

したがって政治は真実からはなれてテレビを妄信する大衆の白痴状態に合わせた流れを辿ってゆくはずである。また若いも中年も思い描くと言う「痩せればもてる」信仰がある限り、関西テレビがいくら止めても「痩せる偽情報」はどっかのテレビから永遠に流れるはずである。

2019年12月08日

◆ 歳は足に来る(続)

石岡 荘十


数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。


このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については前回述べた。今回はその続編である。


先般、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。


はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。


血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると狭心症、詰まると心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

8/23、心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。ステントはステンレスで出来た金網のチューブである。

これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

治療を受けた東京女子医大では、ステントを使った心筋梗塞治療が今年すでに数百件に上るのに対して、足に使った症例は筆者でまだ56件目だという。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。が、成功症例はまだそれほど多くない。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。歳は足にくる。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。(再掲)


2019年12月07日

◆歳は足にくる(前)

   石岡 荘十

学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは、高校の友人と花見がてら玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。

こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)、それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。

一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。それから、少なくとも一キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。脊柱管はどこも狭くなっているところはない。

しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の一割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

では、ビッコの原因は何か。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。

これを立証するのが、「血圧波検査」だ。両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。

いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。(続く)


2019年12月06日

◆「黄砂アレルギー」に注意

毛馬 一三

花粉症歴の経験が全く無い筆者にとって、軽い風邪症状の一種かなと思って、余り気にも止めていなかった。

ところがとんでもない。次第に喉の違和感が痛みを伴うようになり、咳も痰も出るようになった。

そこで、慌てて近くの内科診療所に飛び込んだ。内科医は喉の症状を見た途端、「炎症がひどいですね」という。「原因は?」と訊いたら、「飛来してくる黄砂の黴によるものと思われます。花粉症ではありません」と教えてくれた。

同医師によると、黄砂によるいろんな健康被害で訪れる患者が、急増しているという。同医院から、

・抗生物質―フロモックス錠100mg(毎食後1錠・3日間分)
・咳を鎮める薬―メジコン錠15mg(毎食後2錠・7日分)
・痰や膿を薄めて、痰や鼻汁を出しやすくする薬―ムコダイン錠500mg(毎食後1錠・7日分)
・胃薬―セルベックスカプセル50mg(毎食後1カプセル・7日分)薬を貰った。

だが、マスクを付けて外出を余儀なくさせられた1週間が過ぎても喉の炎症と咳、痰共に治まる気配が無い。再診の結果、まだ喉の炎症は完治してないと診断され、改めて下記の薬を貰った。

・咳を鎮める薬―メジコン錠15mg(毎食後2錠・7日分)
・痰や膿を薄めて、出しやすくする薬―クリアナール錠200mg(毎食後1錠・7日間分)
・炎症を抑えて腫れや痛みを和らげる薬―ダーゼン5mg錠(毎食後1錠・7日分)
・SPトローチ0.2mg(28錠・1日4回)
・アズノールうがい液4%(5ml・1日4回)

2度目の薬を飲んだり、うがいを励行したところ、数日が経過してやっと喉の痛みや違和感がなくなり、咳と痰も出なくなった。

喉にこのような強度な症状が出たのは初めてのことだ。しかも気にはなっていた飛来の「黄砂」によるものだ。

今強烈になっている中国の大気汚染と原因が重なっているらしく、中国から飛来する「黄砂と大気汚染」が、日本に被害をなすりつけているのだ。気象庁も「中国で黄砂が急激に発生してる」と指摘している。日本が被害者になるのか。無性に腹が立つ。

話は後先になるが、<黄砂(こうさ)とは、中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が、強風を伴う砂嵐などによって上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛来し、地上に降り注ぐ気象現象。あるいは、この現象を起こす砂自体のこと>である。

細かい砂の粒子や、粒子に付着した物質、黄砂とともに飛来する化学物質などにより、さまざまな健康被害が生じる。

即ち、咳、痰、喘息、鼻水、痒みといった呼吸器官への被害や、目や耳への被害が目立つ。黄砂が多い日には、花粉症、喘息、アトピーなどのアレルギー疾患の悪化が見られる。>という。 
参考―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

花粉症で悩まされるだけでなく、黄砂アレルギーで健康被害を煩わされるのでは、堪ったものではない。

ところが肝腎の黄砂による呼吸器官への被害が、増えていることにはあまり知られていないようだ。

黄砂の飛来が顕著な九州や関西では、既にこの被害が出て問題化しているが、全国にも広がるだろう。

黄砂の飛来が予測される時は、TVの「天気予報」で早めに知らせてほしい。

しかも喉などに異常を感じたら、医療機関で診察を早めに受けられることをお勧めしたい。(了  再掲)