2020年02月29日

◆年を超えた忘年の友 直さん

加瀬英明


 年を超えた忘年の友 直さん(園田外相)


福田赳夫内閣が昭和51(1976)年に発足した翌年に、私は40歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、第1回福田・カーター首脳会談の詰めをはじめ、対米交渉の第一線に立った。

その後、福田、鈴木善行内閣で、園田直外相の顧問、中曾根内閣で首相特別顧問として、レーガン政権を相手に折衝した。

大平正芳外相と、園田外相の2人が、私の記憶にもっとも深く刻まれている。

昭和47(1972)年に、田中角栄内閣のもとで、日中国交正常化が行われた。私は33歳で、月刊『文藝春秋』などに寄稿していたが、日中国交正常化に強く反対した。

私は毛沢東政権が歴代の中華帝国と、変わらないとみていた。当時、中国は中ソ戦争に脅えて、日本を必要としていた。日中貿易は世界で最大だった。私は米国が中国と国交を樹立してから、後追いすべきだと主張した。

だが、朝日新聞をはじめとする大手新聞が「日中友好」を煽る狂態を演じて、世論を一色に染めあげていた。

私は大平外相に会って、オフレコで「いま政府が相手にしているのは、空想上の中国であって、現実の中国ではないでしよう」と貭したところ、毒虫を噛み潰したような表情を浮べて、「そうです」と答えた。

中国に一方的に有利な形で、日中国交正常化が行われた。台湾を切り捨てたが、台湾と領事関係を保てたはずだった。いまも歪(いびつ)な日中関係をつくった、戦後外交の大失敗だった。

私が園田氏を知ったのは、中学生の時だった。鎌倉の家の近くに改進党の実力者の大麻唯男氏が住んでいたが、子がなかったことから、よく菓子など御馳走になった。

園田氏は改進党の青年将校で、大麻邸で待つあいだに、私と将棋をするようになった。その時から、「直(ちょく)さん」と呼ぶようになった。

私がニューヨークに留学していた時に、園田外務政務次官がやって来て、「マッカーサーに会いたい」といった。元帥はマンハッタンに住んでいた。親しいニューヨーク・タイムズ紙記者に頼んだところ、簡単に約束がとれた。私が通訳をした。この時のことを、後に『文藝春秋』誌に随筆を書いたが、「これほど面白い随筆はない」と絶賛された。

カーター政権が77年1月に発足して、3月に日米首脳会談が予定された。直さんから「目玉がないが、知恵がないか」と求められたので、「カーター大統領に、日本が国連安保理事会の常任理事国となるのを支持すると、いわせることができる」と、メモを届けた。

当時、日本はすでに経済大国になっていたが、新聞は1人当たり国民所得が「ベネズエラ以下」と書きたてていた。私は日本国民に、自信をもたせたかった。

私はカーター政権の国家安全保障会議(NSC)担当特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授や、カーター大統領の師のハンフリー元副大統領と親しかった。

前年、カーター氏が大統領当選者となった時に、郷里のジョージア州の村にあった政権準備事務室を訪れて、カーター一家、政権発足後に官房長となったジョーダン氏などの側近と親しくなった。

福田総理からワシントンに使いしてほしいといわれた。「外務省顧問」という肩書を貰うことになった。外務省の山崎北米局長と会ったが、「そんなことはできるはずがない」と、木で鼻をくくったような対応だった。

前もって、ブレジンスキ補佐官、上院議員になっていたハンフリー元副大統領などに電話をして了解をとっていたので、総理一行が出発する前日にワシントンに入った。

出発する前夜に、直さんから電話があった。「ところで肩書だが、外務省がごねるから、首相特別顧問で頼みましゅ」(天草出身だったから、サ行がそうなった)というので、「出世しました」と礼をいった。

共同声明に、私の“目玉”がうたわれた。

その後、米国から要人が来ると接待したが、官房長官室で機密費を貰った。部屋に小さな金庫があって、直さんが屈んであけると、段ごとに5、10、20万円が白い封筒に入っていて、ポケットから手帳を取り出して、名前と金額を書き入れた。いつも10万円貰った。

ある時、私に20万円の封筒を寄こして、「間違えた」といって手を伸ばした。私が「男は受け取ったものは返しません」と拒むと、「あげましゅ」といって、顔を綻ばせた。

園田外相の訪米に随行したが、ある夜、ホテルの大臣の部屋で、大臣、NHK出身の渡部亮次郎、後に国連大使となった佐藤行雄両秘書官と水割をのんでいた時に、私が直さんに「アメリカでハト派の発言はやめたほうがよい」と注意したところ、人前だったからか、眼を剝いて「戦場で塹壕のなかを転げまわったことがない者に、平和を語る資格がない」と、珍しく私に怒った。咄嗟に「火事を出したことがない者に、消防を語る資格がないんですか」と切り返したら、「いまの発言を取り消しましゅ」と、謝った。

直さんは中国戦線で見習士官として、砲火を潜った。終戦寸前に少佐で、空挺隊長としてサイパン島に突入することになっていた。

直さんは座談が当意即妙で、お洒落だった。

深紅の上着の裏地に歌麿の春画が、あしらわれていた。ヘーグ国務長官の宴席で上着を脱いで披露したので、夫人たちがいっせいに目を背けた。苦労人で、男らしく、実直、天真爛漫だったから、外国人を魅了した。

私と23歳の差があった。直さんに童心があったから、弟のようだった。『和漢朗詠集』に「年を超えた忘年の友」という漢籍があるが、そうだったのだろう。

いまの国会議員は、テレビの体温がないキャスターのように淀みなく話すが、酸いも甘いも分からない味盲だから、座談に味わいがない。政治がつまらなくなった。平沢勝栄議員が、数少ない例外だろう。


◆世界に急拡大、武漢肺炎は

宮崎 正弘

 
令和弐年(2020)2月28日(金曜日)通巻6378号  <前日発行>  

世界に急拡大、武漢肺炎は南米からアフリカへと地球の裏側にも
なぜか、イタリアの北部で罹患400,死者12人。

二次感染の元凶が韓国とイタリアになった。

韓国の怪しげなキリスト教団(新天地教会)は、武漢で信者の集まりを開催し、その帰国者が感染していたため、またたくまに罹患者を拡げた。日本のクルーズ船感染をのぞけば日本の罹患者は174人。韓国はいきなり数百。

またイランでも保険省高官が罹患して大騒ぎになった。イランと北京間には直行便があり、軍人の行き来がさかんである。イランの場合は、太陽光発電所に派遣された中国人労働者との関連が調査されている。

北部イタリアを旅行し、感染して帰国したら突如コロナウィルス災禍に襲われたのが遠くブラジル、ナイジェリア。

おなじく北部イタリアを旅行して帰国し、感染を広げたのがフィンランド、ギリシア、北マケドニア、クロアチア、スペイン、オーストリアなどである。共通はミラノ、ベネチア観光組が多いことである。

中国に近い韓国は国境を接する北朝鮮と兄弟。中国人の多い香港、シンガポール、タイでの大規模な罹患拡大は理解できるし、チャイナタウンの多い米国に拡がるのも当然だろう。トランプ政権はペンス副大統領に対策チームの組織化を命じ、非常事態に対応する。

さて、安物、偽物輸出で潤った中国が、プロジェクト輸出の基軸としてきたシルクロード(一帯一路)。この重要な国家プロジェクトが、コロナウィルス災禍で、バタリと工事が止まった。プロジェクトが野垂れ死にするリスクがでたのも、工事現場にエンジニアらが中国から戻らず、工事の進捗が危ぶまれるようになったからだ。

インドネシアのジャカルタ→バンドン間の新幹線工事は完成予定時期をとうに過ぎたが、ようやく着工に漕ぎ着けた段階である。

現場のエンジニアの百名が旧正月で中国に帰ったまま戻れず、またインドネシアは、米国同様に中国からの入国を認めていない。

インドネシアのコバルト鉱山開発は中止を勧告されている。

カンボジアの工事現場では2万人が戻らず、バングラデシュは火力発電所建設を中止した。パキスタンのCPEC(中国パキスタン経済回廊)はあちこちで頓挫している。
 キルギスでは中国支援の物流センターの建設が、住民の反対で中止された。
 
 いま藁にも縋りたい中国は、習近平の国賓訪日延期に遭遇して、いよいよ窮地に追い込まれた。「さようなら、習近平」と言える日が近い?


◆日本人の連帯力がウイルス克服の鍵

櫻井よしこ


新型コロナウイルスの感染が日本国内で広がりつつある。2月14日、東京、神奈川、沖縄、和歌山、北海道、愛知の6都道県で新たに8人の感染が判明した。

気になるのは感染ルートを辿れる場合とできない場合が混在していることだ。たとえば東京の感染者二人は、その前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性と濃厚接触があった。タクシー運転手は屋形船で遊覧しており、そこには武漢からの旅行者を世話した屋形船の従業員がいた。

神奈川県の感染者はダイヤモンド・プリンセス号の乗客の搬送などに携わった消防局職員だ。

沖縄の女性タクシー運転手はダイヤモンド・プリンセス号の乗客を乗せて観光案内をしていた。

他方、北海道の感染者は感染ルートがはっきりしない。愛知の男性感染者は2月7日までハワイ旅行をしていたが、やはり感染ルートは不明だ。

中国人との接触も中国への渡航歴もなく感染が起きたとすれば、それは三次感染以上の感染が国内で起きている、つまり日本にはすでに感染が広がっているということだ。私たちは新たな段階に入ってしまったと考えるのが正しいだろう。そこで大事なのは、大感染のパニックを引き起こさずに、ウイルスを管理していくことだ。目に見えない敵のコントロールは極めて難しい。だが、ウイルスの性質と日本人の資質を考えれば、可能だと私は思う。

まず、新型コロナウイルスの性質を見ておこう。これまでに判明しているのは、新型コロナウイルスの感染力は一般のインフルエンザウイルスと異なり、未発症の段階でもヒトヒト感染を起こすが、致死率は0.6%から1%と見られることだ。これはSARS(重症急性呼吸器症候群)の致死率10%より低く、インフルエンザの0.1%より高い。

助け合いの精神

東京大学医学部教授の橋本英樹氏は「たちの悪いインフルエンザと考えればよいでしょう」と、語る。

であれば、新型コロナウイルスは、十分注意しなければならないが、かといって過度に恐れる相手ではない。新型コロナウイルスの決定打となる治療薬はまだ開発されていないため、現在は対症療法しかない。それでも普通に健康で普通に体力のある人は、基本的なルールを守ることでウイルスに打ち勝てるという。

そのためには外出から戻ったらまず、十分な手洗い、うがいを欠かさないことだ。余り無理をせず睡眠と栄養をとり、ウイルスと戦う体力を維持することに尽きる。医療水準だけでなく、一人一人の行動と心構えが大事な要素であり、その意味で私は日本人は大丈夫だと考えている。

2009年に日本列島を襲った新型インフルエンザのことを想い出したい。感染力は強く、とりわけ高齢者の致死率が高いとして恐れられた。私は当時百歳近い母と暮らしていたために、この新型インフルエンザウイルスから母を守るべく心掛けたことなどを鮮明に記憶している。

当初政府は、今回と同じく新型インフルエンザウイルスの上陸を阻止する水際作戦に力点を置いていた。しかしそうした中で海外渡航歴のない人々の集団感染が判明したのだ。その時点で政府の対処方針は、今回と同様、水際作戦から重症化を防ぐ作戦へと転換した。軽症患者には十分な注意と指導を徹底して、地元の病院、或いは自宅で療養してもらい、重い症状の人をふやさないという作戦である。

当時、私も即、母の生活パターンを変えた。週3回から4回に上っていた母の外出を減らして自宅ですごしてもらうようにしたのだ。その上で私も、そしてわが家に出入りする人々全員に、手洗い、うがいを徹底してもらった。橋本氏は「まず、自分が感染源にならないようにすることが大事」だと強調したが、私もこうして自身を守り、周囲の高齢者や弱い存在を守れるよう心掛けた。そしてそれは成功した。

自分の健康と周りの人、他者、さらに社会全体の健康を重ね合わせて考えることが大事である。それは連帯意識と助け合いの精神に直結する。

あの3.11の東日本大震災で大地震と大津波に襲われたとき、東北地方の人々を中心に、日本人は全員が助け合った。自分の身を守ったうえで、自分より弱い人たち、お年寄りを、皆が助けた。一緒に頑張った。こうした日本人の資質から見ても、このコロナウイルスを管理していくことは、日本人には出来るはずだ。

高齢者は感染すれば、20%から30%の確率で重症に陥り易いという。とりわけ糖尿病などの基礎的疾患のある高齢の人はリスクが高い。

万が一、感染すれば、呼吸器をつけたりして全身を管理する必要も生じてくる。感染者がどっとふえて集中すれば、大病院といえども限界にぶつかる。高度の治療を供給できる十分な病室の準備は容易でなくなるだろう。このウイルスには前述のような感染力があって広がり易いのである。それだけに爆発的な流行を抑えることが大事である。

中国人は本当に気の毒

そのために何をしたらよいのか。前述のように自身の健康管理の徹底が第一だが、感染した場合、私たちは保健所や厚労省に殺到するのでなく、地元の医師や病院を活用することが大事になる。そしてここに政府のリーダーシップが求められる。十分な情報を国民に提供し、感染しても、どこでも良質な医療が受けられる態勢を、各地域の医療機関を有機的に結んで作り上げることだ。そのことへの信頼や安心感さえ築くことができればパニックは起こらない。症状が軽い場合、普通のインフルエンザの患者同様に各地の病院が治療し、或いは患者は自宅で静養して、コロナウイルスに打ち勝てるのではないか。それができるのが日本の文明・文化の本当の力ではないかと思う。

武漢で何が起きているのか、正確には見えてこないが、武漢に封じ込められている中国人は本当に気の毒だ。いま、武漢では夜から朝までの「アルバイト」募集が盛んに行われているという。夜を徹して「死体」を搬送するのだそうだ。新型コロナウイルスで亡くなった人々の遺体である。火葬場は一日中フル回転しても間に合わないといわれる。

国民のための医療などが整っていない国では弱い人ほど真っ先に犠牲になる。それでも中国の惨状の実態は外部世界には説明されない。国民のための情報開示よりも、習近平国家主席や中国共産党を守るための情報隠蔽が先行するからだ。しかし隠しても隠しきれない。習氏も共産党も、決定的に国民の、そして国際社会の信頼を失いつつある。

日本にも新型ウイルスの感染が広がるいま、わが国は国民、人間中心の体制を作り上げよう。国民の資質、政府

『週刊新潮』 2020年2月27日号
日本ルネッサンス 第889回

◆健康百話  風邪と肺炎にご注意!!

柴谷涼子(感染管理認定看護師)


風邪やインフルエンザが流行し始めました。特にこの時期、朝晩の気温の変化が激しいことに加えて、空気が非常に乾燥するため、風邪の原因になるウイルスの活動も活発になり、風邪をひきやすくなります。

●事前の予防
 外出から帰った後の「うがいと手洗い」が基本です。また、お天気の良い日には、日光浴や散歩など適度な運動をするよう心がけ、入浴により身体を清潔にしておくことも大切です。

●高齢者にとり肺炎は危険な病気
 肺炎はお薬の進歩によって、かなり治療ができるようになりましたが、高齢者にとってはまだまだ怖い病気です。とくに糖尿病や心臓、呼吸器系に慢性的な病気を抱えている方、腎不全や肝機能障害のある方も罹患しやすく、病状も重くなる可能性があります。厚生労働省が報告している人口動態統計でも肺炎による死亡率はここ数年上昇してきています。

肺炎は細菌やウイルスなどいろいろな原因で起こりますが、肺炎を起こす原因となる細菌に「肺炎球菌」があります。

●肺炎球菌による肺炎を予防
 「肺炎球菌」は、健康な人でも鼻腔などに常在する菌です。しかし加齢などにより免疫力が低下すると、病気を引き起こしやすくなります。日本では、ペニシリンという抗生物質が効きにくい肺炎球菌の割合が増加しています。抗生物質の効きにくい肺炎球菌による肺炎に罹患すると、治療に難渋する場合があります。

 そこで、「肺炎球菌」によって起こる肺炎を予防するワクチンが、肺炎球菌ワクチンです。ただし、肺炎球菌ワクチンを接種してもこれ以外の原因で起こる肺炎は残念ながら予防することはできません。
 
ワクチンを接種して得られる免疫は約5年以上持続するといわれています。

次のような方に「肺炎球菌ワクチン接種」をおすすめします。
・65歳以上の高齢者 
・心臓や呼吸器系に慢性疾患のある方 
・糖尿病の方 
・腎不全や肝機能障害のある方

肺炎球菌ワクチンの接種については、最寄りの病院やかかりつけの医師にご相談下さい。
肺炎球菌ワクチンのみでなく、インフルエンザワクチンをまだ接種がしていない方は、是非接種してください。(再掲)

             大阪厚生年金病院 看護部看護ケア推進室

2020年02月28日

◆雀庵の「昔ペキン屋、今ペンキ屋」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/78(2020/2/26)】はい、私がお尋ねの「ペンキ屋シーチン」でございます。雨の中、よくぞお出でくだすった。氷雨ですね、ずいぶん寒かったでしょう、まあ、コーヒーで体を温めて、一息ついてください。

ええ、若い頃は寒くたって苦にしませんでしたけどね、今は冬場の外の仕事は辛くなりました。手はかじかむ、鼻水は垂れる、クシャミは出る・・・塗料の伸びも悪いんで手間もかかるんですよ。高いところですと北風も強いですから涙もポタポタ・・・泣きが入ることもあります。


いえ、別にペンキ屋を志していたわけではないんですよ、最初は「ペキン屋」を目指していたんです。北京ダックは関係ないんですが・・・あれはなかなか乙ですな、銀座アスターあたりですと見た目もきれいですし、客筋もいい、なかなかの高級料理です。

私ら庶民は溜池の頤和園なんぞでよく集ったもんで、霞が関に近いから結構人気でした。新宿の隋園別館は昔はバラックのような店で、汚いけれど安くて旨かった、店には北京語が飛び交っていたもんです。

客は店ではなく料理に付くんですね。腕のいい料理人は引っ張りだこで、条件がいいと子分を連れてごっそり移っちゃう。逃げられた店は大変です、ウエイターが厨房に入ったりするんですが、どうしても味は落ちる、客は細る、腕のいい料理人を引っ張るにはとてつもない金が要りますから・・・

大陸のいい人材はまず香港に民族移動した、涙が出るほどの旨い中華料理を食べたければ香港へ行け、という時代が文革中の1970年代から盛んになりました。料理人にとどまらず、優秀な人材は大陸に見切りをつけ、世界に流出したんです。

文革が終わっても1989年には6.4天安門大虐殺があった。こんな国に夢はないと、多くの若者が逃散しました。香港返還の1997年前後からは英国の支援もあって優秀な若者はカナダ、豪州、さらに米国、欧州、日本、アジアに移住しました。自由を求め、夢を求め、竹のカーテンを乗り越えて異郷を目指したのです。

まるで亡国の民です。

ご存知のように1970年代から日米など西側世界は中共と国交回復するようになります。80年前後からトウ小平は外貨獲得のために外国人の支那旅行を一部解禁しましたが、日本も含めて「中国旅行事情」がよく分からない。激しい情報ニーズがあり、それを提供すれば値段が高くても買ってくれる、ここにビジネスチャンスがあり、「ペキン屋」が誕生する素地ができたというわけです。

はい、まるで矢野経みたいです(笑)。

大陸に西側世界が大使館を置き始めた時代ですから、旅行関係の情報なんて有名観光地以外のはまずない。そういう情報や経験者の体験、人物往来、政府や民間の動きを調べる。警察庁だか警視庁の公安担当者までが「ペキン屋」を訪ねてくる。公安は「情報を見て、前科は問わない」のです(笑)。

まあ、そんな風にして「ペキン屋」は味をしめ、やがて米国のド田舎を紹介したり、「クルーズ時代幕開け」なんていう情報を集め、煽り、拡散して、多少なりともお役に立ったかもしれません。家族を養うこともできましたから、まあ及第点でしょう。

余計な話ですが、外国から観光客を呼び寄せるインバウンド、日本なら訪日旅行ですね、これは売り物がない「貧しい国の産業」というのが業界の認識です。戦後の日本は「ゲイシャ、フジヤマ」で外貨を稼ぎました。芸娼妓も第一線で頑張ったんです。

でもね、外国人旅行者が増え過ぎるといろいろ問題も出てきますから、今の時代ではほどほどがいいんですよ。

IR(統合型リゾート)は本来は大規模な国際会議・見本市・ホール・イベント施設を備えた集積地というものです。ビジネスのための施設ですが、それだけでは楽しさに欠けるでしょうから音楽会、演劇、芸能、スポーツなどの娯楽要素も用意しました、お好きな方はカジノもどうぞ――そういうものなんです。カジノは刺身のツマ、色添えなんです。

MICE(ミーティング、インセンティブ、コンベンション、エグジビション)、それを受け入れるIR施設も大産業です。一つのイベントには世界中から優秀な人材が集まり、最高の情報を発信します。開催地は潤います。

枝葉末節ばかりを見て、肝腎要の幹を見ずにアーダコーダ言う、知的レベルはロウソク屋が電灯を、人力車夫が電車や自動車を非難したのとまったく変わらない。暗愚は100年たっても暗愚かと、いささか情けなく思います。

ああ、余計なおしゃべりをしてしまいました、老いの繰り言ですね。そう「ペンキ屋シーチン」の話でしたね。そもそも私がペンキ屋に興味を覚えたのは・・・・

永遠のエンドレステープだな。チャイナコロリは「もうどうにも止まらない」ような・・・この際だから習近平は毛沢東を真似て「大体わが国は人口が多すぎる、半分になったって7億もいる!」と豪語したらいい。皆ビックリして黙るぜ。「人権で14億を食わせられるのかよ、半分やるから持ってけ!」とか。

思い残すことなく罵詈罵倒罵詈雑言、面白い奴、と人気が急上昇したり。♪ここらでやめてもいいコロナ、と天も情けをかけてくれるかもね。(つづく)2020/2/26


◆ニューデリーで暴動、多数の死傷者

宮崎 正弘
 

令和弐年(2020)2月27日(木曜日)通巻6377号  

ニューデリーで暴動、多数の死傷者。
  トランプ訪印を荒々しく歓迎したインドはどうなる?

昇龍の勢い、イカロスの翼が墜落した。中国である。
対照的に中国のサプライチェーンとは無縁だったインドは、すくすくと経済成長を続けてきた。スズキの新車販売は軽々と百万台、トヨタもホンダもインドで本格生産に入り、南のチェンナイには東京からの直行便も就航した。

安倍首相はモディ首相と親しく、出身地のグジャラート州へも飛んで、新幹線工事を決めた。日本企業のインド進出は1000社を突破し、ニューデリー近郊には日本人村も出現、デリーの高級ホテルには日本食堂も多数。

暗転の様相が生産現場や建築サイトに出た。個人破産が増えて新車販売が減少し、インド景気がマイナス局面に陥落した。

トランプ大統領がインドを訪問した。この時を狙ったかのような荒っぽい歓迎が、デリーの暴動だ。すでに死傷者多数、治安悪化、トランプは「これはインドの内政問題」としてコメントを避け、帰国の途に就いた。


◆日本人の連帯力がウイルス克服の鍵

櫻井よしこ


新型コロナウイルスの感染が日本国内で広がりつつある。2月14日、東京、神奈川、沖縄、和歌山、北海道、愛知の6都道県で新たに8人の感染が判明した。

気になるのは感染ルートを辿れる場合とできない場合が混在していることだ。たとえば東京の感染者2人は、その前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性と濃厚接触があった。タクシー運転手は屋形船で遊覧しており、そこには武漢からの旅行者を世話した屋形船の従業員がいた。

神奈川県の感染者はダイヤモンド・プリンセス号の乗客の搬送などに携わった消防局職員だ。

沖縄の女性タクシー運転手はダイヤモンド・プリンセス号の乗客を乗せて観光案内をしていた。

他方、北海道の感染者は感染ルートがはっきりしない。愛知の男性感染者は2月7日までハワイ旅行をしていたが、やはり感染ルートは不明だ。

中国人との接触も中国への渡航歴もなく感染が起きたとすれば、それは3次感染以上の感染が国内で起きている、つまり日本にはすでに感染が広がっているということだ。私たちは新たな段階に入ってしまったと考えるのが正しいだろう。そこで大事なのは、大感染のパニックを引き起こさずに、ウイルスを管理していくことだ。目に見えない敵のコントロールは極めて難しい。だが、ウイルスの性質と日本人の資質を考えれば、可能だと私は思う。

まず、新型コロナウイルスの性質を見ておこう。これまでに判明しているのは、新型コロナウイルスの感染力は一般のインフルエンザウイルスと異なり、未発症の段階でもヒトヒト感染を起こすが、致死率は0.6%から1%と見られることだ。これはSARS(重症急性呼吸器症候群)の致死率10%より低く、インフルエンザの0.1%より高い。

助け合いの精神

東京大学医学部教授の橋本英樹氏は「たちの悪いインフルエンザと考えればよいでしょう」と、語る。

であれば、新型コロナウイルスは、十分注意しなければならないが、かといって過度に恐れる相手ではない。新型コロナウイルスの決定打となる治療薬はまだ開発されていないため、現在は対症療法しかない。それでも普通に健康で普通に体力のある人は、基本的なルールを守ることでウイルスに打ち勝てるという。

そのためには外出から戻ったらまず、十分な手洗い、うがいを欠かさないことだ。余り無理をせず睡眠と栄養をとり、ウイルスと戦う体力を維持することに尽きる。医療水準だけでなく、一人一人の行動と心構えが大事な要素であり、その意味で私は日本人は大丈夫だと考えている。

2009年に日本列島を襲った新型インフルエンザのことを想い出したい。感染力は強く、とりわけ高齢者の致死率が高いとして恐れられた。私は当時百歳近い母と暮らしていたために、この新型インフルエンザウイルスから母を守るべく心掛けたことなどを鮮明に記憶している。

当初政府は、今回と同じく新型インフルエンザウイルスの上陸を阻止する水際作戦に力点を置いていた。しかしそうした中で海外渡航歴のない人々の集団感染が判明したのだ。その時点で政府の対処方針は、今回と同様、水際作戦から重症化を防ぐ作戦へと転換した。軽症患者には十分な注意と指導を徹底して、地元の病院、或いは自宅で療養してもらい、重い症状の人をふやさないという作戦である。

当時、私も即、母の生活パターンを変えた。週3回から4回に上っていた母の外出を減らして自宅ですごしてもらうようにしたのだ。その上で私も、そしてわが家に出入りする人々全員に、手洗い、うがいを徹底してもらった。橋本氏は「まず、自分が感染源にならないようにすることが大事」だと強調したが、私もこうして自身を守り、周囲の高齢者や弱い存在を守れるよう心掛けた。そしてそれは成功した。

自分の健康と周りの人、他者、さらに社会全体の健康を重ね合わせて考えることが大事である。それは連帯意識と助け合いの精神に直結する。

あの3.11の東日本大震災で大地震と大津波に襲われたとき、東北地方の人々を中心に、日本人は全員が助け合った。自分の身を守ったうえで、自分より弱い人たち、お年寄りを、皆が助けた。一緒に頑張った。こうした日本人の資質から見ても、このコロナウイルスを管理していくことは、日本人には出来るはずだ。

高齢者は感染すれば、20%から30%の確率で重症に陥り易いという。とりわけ糖尿病などの基礎的疾患のある高齢の人はリスクが高い。

万が一、感染すれば、呼吸器をつけたりして全身を管理する必要も生じてくる。感染者がどっとふえて集中すれば、大病院といえども限界にぶつかる。高度の治療を供給できる十分な病室の準備は容易でなくなるだろう。このウイルスには前述のような感染力があって広がり易いのである。それだけに爆発的な流行を抑えることが大事である。

中国人は本当に気の毒

そのために何をしたらよいのか。前述のように自身の健康管理の徹底が第一だが、感染した場合、私たちは保健所や厚労省に殺到するのでなく、地元の医師や病院を活用することが大事になる。そしてここに政府のリーダーシップが求められる。十分な情報を国民に提供し、感染しても、どこでも良質な医療が受けられる態勢を、各地域の医療機関を有機的に結んで作り上げることだ。そのことへの信頼や安心感さえ築くことができればパニックは起こらない。症状が軽い場合、普通のインフルエンザの患者同様に各地の病院が治療し、或いは患者は自宅で静養して、コロナウイルスに打ち勝てるのではないか。それができるのが日本の文明・文化の本当の力ではないかと思う。

武漢で何が起きているのか、正確には見えてこないが、武漢に封じ込められている中国人は本当に気の毒だ。いま、武漢では夜から朝までの「アルバイト」募集が盛んに行われているという。夜を徹して「死体」を搬送するのだそうだ。新型コロナウイルスで亡くなった人々の遺体である。火葬場は一日中フル回転しても間に合わないといわれる。

国民のための医療などが整っていない国では弱い人ほど真っ先に犠牲になる。それでも中国の惨状の実態は外部世界には説明されない。国民のための情報開示よりも、習近平国家主席や中国共産党を守るための情報隠蔽が先行するからだ。しかし隠しても隠しきれない。習氏も共産党も、決定的に国民の、そして国際社会の信頼を失いつつある。

日本にも新型ウイルスの感染が広がるいま、わが国は国民、人間中心の体制を作り上げよう。国民の資質、政府の在り方、国柄の違いでこの危機を乗り越えよう。

『週刊新潮』 2020年2月27日号
日本ルネッサンス 第889回

◆「黄砂アレルギー」に注意

毛馬 一三

花粉症歴の経験が全く無い筆者にとって、軽い風邪症状の一種かなと思って、余り気にも止めていなかった。

ところがとんでもない。次第に喉の違和感が痛みを伴うようになり、咳も痰も出るようになった。

そこで、慌てて近くの内科診療所に飛び込んだ。内科医は喉の症状を見た途端、「炎症がひどいですね」という。「原因は?」と訊いたら、「飛来してくる黄砂の黴によるものと思われます。花粉症ではありません」と教えてくれた。

同医師によると、黄砂によるいろんな健康被害で訪れる患者が、急増しているという。同医院から、

・抗生物質―フロモックス錠100mg(毎食後1錠・3日間分)
・咳を鎮める薬―メジコン錠15mg(毎食後2錠・7日分)
・痰や膿を薄めて、痰や鼻汁を出しやすくする薬―ムコダイン錠500mg(毎食後1錠・7日分)
・胃薬―セルベックスカプセル50mg(毎食後1カプセル・7日分)薬を貰った。

だが、マスクを付けて外出を余儀なくさせられた1週間が過ぎても喉の炎症と咳、痰共に治まる気配が無い。再診の結果、まだ喉の炎症は完治してないと診断され、改めて下記の薬を貰った。

・咳を鎮める薬―メジコン錠15mg(毎食後2錠・7日分)
・痰や膿を薄めて、出しやすくする薬―クリアナール錠200mg(毎食後1錠・7日間分)
・炎症を抑えて腫れや痛みを和らげる薬―ダーゼン5mg錠(毎食後1錠・7日分)
・SPトローチ0.2mg(28錠・1日4回)
・アズノールうがい液4%(5ml・1日4回)

2度目の薬を飲んだり、うがいを励行したところ、数日が経過してやっと喉の痛みや違和感がなくなり、咳と痰も出なくなった。

喉にこのような強度な症状が出たのは初めてのことだ。しかも気にはなっていた飛来の「黄砂」によるものだ。

今強烈になっている中国の大気汚染と原因が重なっているらしく、中国から飛来する「黄砂と大気汚染」が、日本に被害をなすりつけているのだ。気象庁も「中国で黄砂が急激に発生してる」と指摘している。日本が被害者になるのか。無性に腹が立つ。

話は後先になるが、<黄砂(こうさ)とは、中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が、強風を伴う砂嵐などによって上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛来し、地上に降り注ぐ気象現象。あるいは、この現象を起こす砂自体のこと>である。

細かい砂の粒子や、粒子に付着した物質、黄砂とともに飛来する化学物質などにより、さまざまな健康被害が生じる。

即ち、咳、痰、喘息、鼻水、痒みといった呼吸器官への被害や、目や耳への被害が目立つ。黄砂が多い日には、花粉症、喘息、アトピーなどのアレルギー疾患の悪化が見られる。>という。 
参考―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

花粉症で悩まされるだけでなく、黄砂アレルギーで健康被害を煩わされるのでは、堪ったものではない。

ところが肝腎の黄砂による呼吸器官への被害が、増えていることにはあまり知られていないようだ。

黄砂の飛来が顕著な九州や関西では、既にこの被害が出て問題化しているが、全国にも広がるだろう。

黄砂の飛来が予測される時は、TVの「天気予報」で早めに知らせてほしい。

しかも喉などに異常を感じたら、医療機関で診察を早めに受けられることをお勧めしたい。(了  再掲)     


2020年02月27日

◆米軍のアフガン撤退

No.775 Andy Chang 
(2020/02/25)


最近はコロナウイルスのニュースばかりであまり話題になっていないが、アメリカはアフガニスタンのタリバンと平和交渉を二週間ほどつづけていて、今週末には平和交渉が成立すると思われる。

平和協定でアメリカ側は135日以内に米軍の兵力を13000人から8600人に減らすとしている。マイク・オンペオ国務長官は25日、「最終結論は出ていないがアメリカは暴力の削減がなければ平和協定にサインしない」と述べた。

トランプ大統領の目標はアメリカが国外紛争から手を引くことである。アメリカは前後20年も中東の動乱に介入している。アメリカ国民は戦争反対、外国の動乱介入に反対である。報道によるとアメリカは20年の中東介入で死者2900名、負傷者2万名を出したという。

ブッシュ、クリントン、オバマ、トランプと続く歴代大統領は様々な手段で中東の平和に介入してきた。オバマとヒラリーはアルカイーダに武器を提供してチュニジアからリビア、続いてエジプトの「独裁者」を排除して民主政権を作った。エジプトの次に提供した武器をシリアに移そうとしたが、アルカイーダが拒否したのでベンガジ事件でアメリカのスティーブン大使などが殺害された。オバマがシリア介入に失敗したのでシリアは反アサド、クルド族の独立運動、ISISの反乱が起き、トルコとロシアも介入した。

トランプはシリア撤退の次にアフガニスタンの兵力を削減する。アフガニスタンの現政権はアメリカが作った暫定的平和だが反対派の暴力事件が続いている。今回の平和交渉は現政権のAshraf
Ghani大統領の政権を5年維持することを条件に反対派と平和交渉している。反対派のAbdullah
Abdullahは既に勝利宣言をしたので平和協定が成立してもGhani政権が長続きするとは思えない。

平和交渉はアメリカ側のZalmay
Khaliliad代表とアフガン側の15名が参加している。アフガン側15名とはGhani政権の代表5名と反対派の代表10名である。各々の主張が違うので平和交渉はかなり難しい。アメリカは135日以内に兵力を8600名まで削減するとしているから平和協定のあと暫く動乱が起きなければよい。

アメリカは過去20年の中東介入で得るものはなかった。トランプは歴代大統領が成功しなかった中東から撤退を成功させたことで選挙を有利にするはずだ。


at 08:05 | Comment(0) | Andy Chang

◆二・二六事件から84年

宮崎 正弘

 
令和弐年(2020)2月26日(水曜日)通巻6376号 
<二・二六事件から84年>

 トランプのインド訪問はどれだけの成果をあげたのか
   「凡庸な会談」とメディアは酷評した。

1月24日から2日間、トランプ大統領はメラニア夫人を伴ってインドを訪問した。観光の目玉タジハールに立ち寄ったあと、モディ首相の地盤であるグジャラート州で10万人の歓迎集会に出席した。

首都のニューデリーを避けたのは、過去2ケ月に亘って暴動が発生しており治安が悪化、「市民法」をめぐって反対派の暴力によって、11人が死亡している。また首都圏ではモディ首相の支持率が低迷しており、地域の選挙でモディ与党が大敗している。

1月24日に開催された米印首脳会談は、貿易、安全保障、地政学、5Gなど多岐にわたる議題を討議した。しかし見える形の成果は30億ドルの武器供与だった。シーホーク24機、アパッチヘリ6機、レーダー、通信機器など。

インドはロシア製武器で防衛システムがほぼ完成されているため、基盤となる兵器体系が、F16戦闘機など、いきなり全体のシステム変更を余儀なくされる米国の兵器体系を供与されても、効率が悪いとされ、小規模な武器商談に留まった。

インド太平洋戦略では日米にインドと豪を加えての防衛システムの構築が急がれているが、インドが強く議題としたのはパキスタン問題だった。とくにカウンター・テロリズムへの協同、そして中国問題だった。

消息筋に拠れば、中国問題では両国の意見はあまり噛み合わず、とくに5Gの排斥を求める米国に対し、既に基地局や工場、販売の普及などでファーウェイ製品はインド市場に浸透しており、5Gの完全な排斥は無理というインドの立場は変わらなかった。

トランプは「最初の段階に過ぎない」と演説したが、トランプのインド訪問の果実は凡庸だったとメディアの多くが酷評した。

      
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【知道中国 2035回】                      
──「理屈に拘泥せざる支那人の心境を、余は面白しと感じたり」──遲塚(1/5)
遲塚金太郎『新入蜀記』(大阪屋號書店 大正15年)

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遲塚麗水(慶應2=1866年〜昭和17=1942年)は駿河生まれ。講談社の創業者・野間清治が明治44(1911)年に創刊した大衆娯楽誌『講談倶樂部』に中里介山、長谷川伸らと共に拠った大衆文芸作家。大正4(1915)年に山東地方を歩いて記した『山東遍路』(春陽堂 大正4年)で登場している(拙稿1742回〜1744回)。

冒頭の「凡例」に、「新入蜀記は、著者は昨年3月、程を上海より起し、長江沿岸の名勝史蹟を踏遍して三峽を踰へ、四川に入り、重慶より成都に至る一百餘日の汗漫の游びをしるしたる日記なり」とある。「昨年」は14(1925)年に当たるから、今回の四川旅行と前回の山東旅行との間には10年の時が流れている。


この10年間を振り返ると、21カ条要求に基づく日華条約調印(1915年5月5日)、五・四運動(1919年5月4日)、五・三〇事件(1925年5月30日)と反日・排日感情を誘発、刺激する動きが起こっている。これに対し、日本側に反発の動きが高まるのは必然だが、東洋経済新報社に拠る三浦銕太郎や石橋湛山らを中心に「満洲放棄論」や排日運動への過度の反発を諌める見方も生まれた。

一方の中国に目を転ずると、1919年の五・四運動失敗の灰燼の中から1921年には中国共産党が誕生する一方、国民党の基盤強化を目指した孫文はソ連の援助を受け顧問を招き、1924年には国民党を改組し、共産党員による個人資格の入党を認めた(第1次国共合作)。同時に孫文は「連ソ・容共・扶助工農」を掲げ、軍閥と帝国主義打倒を打ち出す。

孫文が「革命、未だ成らず」を遺して北京で客死した1925年に起こった五・三〇事件は、反帝国主義運動として全国各地に波及した。同年7月、国民党は広州に国民政府を設立し、翌26年には?介石が国民政府軍を率いて北伐を開始し、中国統一への道を進み始めている。

遲塚の旅行は1925年3月から100日余ということだから、孫文の死も五・三〇事件も、この間に起こっている。

だから旅行と同時進行で起きていた重大事件に対する現地での反応などに関する報告を期待したいところだが、「旅次各地方に割據する群雄の消長と民心の險易とは、我邦に在りては未だ全く知られざるもの多けれども、この書は唯著者が遭遇し親睹したるものゝみを記し、議論を挾むことを避けたり、要は讀者諸賢の周密なる考索と推斷とに任す」(「凡例」)としているところから、敢えて「時評」の類は避けたのだろう。そこで遲塚の考えを踏まえながら、『新入蜀記』を読み進むことにしたい。

「潮は漸く?色より褐色となり、やがて味噌汁のごとき色となる、西蔵の高原より湧く楊子江の、泥土を海に齎し來る」なかを進み、遲塚の乗る長崎丸は「上海の埠頭に着す」。

翌日は上海城内の雑踏を抜けて湖心亭へ。「湖心亭といふと、水碧に沙明かに、彫欄是を繞つてさながらにして晴波を弄するに堪へたる處なるべしと讀者は思ふけれども、實は穢雜なる市廛の細溝を流れ出づる糞や小便の水を堪へたる池」に過ぎなかった。

 中央に位置する亭は高く尖った屋根を持つ「古風な建築なれど、修理もせずして荒廢に任せ」たまま。そこが「料理店となりて、茶を飲むもの酒を酌むもの、立錐の餘地なきほどにて、拳を鬪はし、歌をうたひ、紛然、雜然、奇態百出す、昔の小學校讀本ではないが、凡そ地球上の人種のうちにて、第一番に饒舌なるは支那人にて、更に一番高聲に語るものも亦支那人なり、尋常一樣に會話の時にても?みつくやうに大聲疾呼」している。「その饒舌にして且大聲の持主なる支那人の群居する此等茶館の喧囂は、氣の弱き東洋の一文士も、耳を掩ふて走り且僵れんとするなり」。

だが彼らと共に過ごし、彼らの「?みつくやうに大聲疾呼」に慣れ親しんでしまうと、「その?みつくやうに大聲疾呼」を心地よく感じるようなってしまうから不思議だ。

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【知道中国 2036回】                    
 ──「理屈に拘泥せざる支那人の心境を、余は面白しと感じたり」──遲塚(2/5)
遲塚金太郎『新入蜀記』(大阪屋號書店 大正15年)

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「流石は東洋の大埠頭、上海の殷賑」を前にしては、「有體に言へば大阪も神戸も東京も横濱」も顔色ナシ。「世界列強の仲間入りをなせる我が日本も、この點だけは恥かしき次第なり」。「さりながら上海の繁華は、居留地の繁華なり、支那全國の富人は、兵革を怖れて、財寶を携へ、妻拏を提げ、安全地帶なる居留地に邸宅を構へて、その生命財産の安固を謀れるなり、亦悲むべきかな」。いわば上海の繁華は列強に蹂躙されたうえでの蜃気楼に過ぎない、という事だろう。

長年の憧れの地であった西湖へ。「晴好雨奇の西湖の景勝」であるはずが目の前に広がる光景は大いに違っていた。「全く幻滅の悲哀を感ぜざるを得ざるを憾むなり」。

それというのも、「水は碧落を湛へて鏡のごとく明かなるべしと思ひしに、濁り且淀みて纓をあらふどころか足さへ洗ふに堪へず」。もはや「風致の十の七八を殺ぎた」る惨状だ。木々の枝は「惡少年に攀折せられて見る影もなく」、水面に浮かぶ東屋は「一箇の廢屋に過ぎず」、諸処を飾る「仙人姿の木像俗惡さ」、周囲に配された所縁の「樓閣のけばけばしさ」は限りなく、建物を飾る彫刻は「姿態痴拙を極めたり」。

「前人の詩に文に、劇賞されたる西湖の名が、その實に較べて雲泥の相違なりしは、頗る東海の游子をして失望せしめた」。これを要するに西湖なんぞは濁った水溜まりに過ぎず、周囲を飾る建物は「俗臭紛々人をして鼻を掩ふて辟易せしむ」ものでしかなかった。聞くと見るとでは大違い。話が違い過ぎる。幻滅の極み、といヤツだろう。

かくして「一體支那の古蹟といふ古蹟は、今や例の軍閥の跋扈から、大抵は荒廢するまゝに放棄して、顧みるものもないのは情けないこと」になる。とはいえ「風流氣のない」俄成金や新興軍閥の「重修で全く凡俗の精舎となつたのも亦淺間しい次第」ではある。

名庭園の誉を持つ庭園を訪れたが、「誠に見すぼらしきに驚かざるを得なかつた、一體支那人は、園藝には極めて稚拙の國民である、その盆栽を作るにしても、枝を撓め葉を剪りて、全く自然の姿趣を傷づけ、極めて俗惡のものにして了ふのである」。

やはり「支那の園藝家に自然を擒ふるの技術の乏しいことを切に思つた」。だが、考えてみれば、その前提として自然そのものに対する考え方、自然の捉え方が違う以上、彼らに日本の園芸家のそれを求める方がムリというもの。ナイモノ強請り、というヤツだ。

廬山での黄昏時のことである。「家々早やくも燈火を催す、靄のうちにそゝり立つ禮拝堂の鐘樓より、夕の祈?の鐘の音靜かに鳴り渡れば、碧眼金髪の童男童女等、誘ひ合ひて、石の柱に蔦かづらの這ひまつはる?會の門に入る、やがてピアノの音に和して、讃美の歌の聞えたり、今日は日曜日なり」。かくして「支那の廬山に在りながら、身は遠く瑞西(スイス)あたりの山の市に在るかと疑はれたり」と。

廬山辺りに「碧眼金髪の童男童女」だけが住んでいるわけはなく、彼らの両親が居るはず。両親、殊に父親はどんな仕事をしているのか。宣教師だけが一帯に住んでいたとは思えない。「碧眼金髪」の“深謀遠慮”を改めて知る思いだ。

次は湖南省長沙だが、「こゝは湖南唯一の埠頭とて人口10萬を超え、市街も殷賑なり、さりながら、排外の空氣は頗る濃厚にて、左傾學生に使嗾されたる無頼漢ども、賣國奴と彫刻したる大いなる木印を手にして、棧橋際に屯し、武陵丸より下り來る支那船客を捉へて、その背に印を捺すなり」。武陵丸は長江を上下する日本の船会社である日清汽船の所属である。

いわば日本船籍の船を利用したから「賣國奴」というわけだ。「支那官憲、我が領事館の抗議に遭へば、嚴に非違を糺彈すべしと口のみ言ひて、しかも彼等が爲すがまゝに放任す」。さて「無頼漢ども」の背後で、若き日の毛沢東は工作していたのだろうか。

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読者の声  どくしゃのこえ   READERS‘  
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(読者の声1)貴誌6375号に掲載の西村眞悟先生の論文は、不文法あるいは習慣法と日本国憲法という名の属国憲法の問題を考える根本的な要因として、我々が一度熟読して、憲法について深く考える機会とすべきだと思います。

私はいわゆる現実主義者の方々が唱える9条への「加権」のようなものは邪道であるばかりか、多くの日本人の心に響かない論だと思います。

憲法の本質を考えるとともに、本当にWGIPの洗脳から覚めないと、日本は亡国の危機に瀕していると思います。
(関野通夫)


(宮崎正弘のコメント)改憲への発議もなされないまま安倍政権は終わりを迎えているようです。「加憲」さえ、いまの与党の体たらく、公明党への配慮過剰をみていると、実現は難しいでしょう。

もっとも小生は現行憲法無効、廃棄論ですので、改正にも反対ですが。。。

廃棄すれば、自動的に「五ケ条の御誓文」に戻ることになり、これだけあれば、あとは不文律で運営できます。
 戦後、「解釈の変更」でやって来ましたが、国防から福祉まで矛盾だらけですから。

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(読者の声2)北朝鮮の現状とアジアの民主化

韓国人権運動家、都希侖(ドヒュン)氏(拉北脱北人権連帯代表)講演会の
お知らせ
 
韓国の人権運動家、都希侖氏がこの度来日いたします。都氏は拉北脱北人権連帯代表として、これまでも韓国人拉致被害者の救援や北朝鮮の人権問題に取り組んでこられました。
 
また、都氏は、昨年12月、韓国にて香港、台湾、ウイグルなどの人権活動家を招いて韓国でシンポジウムを開催し、中国・北朝鮮に代表される全体主義体制に自由民主主義と人権の理念で対峙する必要性を訴えました。

今回の講演会では、都氏がこれまで様々な情報を得てきた北朝鮮内部の最新情報について、また、今後の人権改善と民主化への道のりなどを語っていただければと思います。コロナウイルスの問題などで、北朝鮮や中国の人権問題から目がやや離れがちな傾向がありますが、多くの皆様方のご参集をよろしくお願いします。