2020年04月30日

◆雀庵の「革命聖地武漢再び」加油!

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red
Gables/108(2020/4/28】チャイナコロリは「人類共通の敵」だから右派と左派が手を握る「レーニンの人民戦線」「毛沢東の国共合作」という、まあ野合が可能かなあと思っていたら、何やらそんな場面が表に出始めたみたいだ。


花清漣女史は「中華ネトウヨの方方女史攻撃にみる習氏中国」(
2020/4/24)でこう記している。


<方方女史と私は共に1950年代生まれです。(ファンファン、本名は汪芳。武漢の作家、封鎖中の暮らしを日記に執筆し、各国で出版される運びとなった)


黒の文革時代、それに比べればまだましだったトウ小平の改革時代を体験しました。江沢民の時期に私は中国を去り、彼女は残りました。ネット時代ですから、その後の中国の変化を身を以て体験し、彼女は中国で、私は地球の裏側からそれを見てきました。


方方の作品は、武漢封印中の彼女自身の心の旅路で、不幸にして流行都市の犠牲になった武漢の人々の痛みを記録したものです。しかし人間として人生の痛みを感じ得る人ならば、現在の中国という、真実を話すことが稀で貴重なお国柄にあって、これがどれほど大切な作品かが分かっています。


少数の人々は、猫も杓子も万歳を三唱するしかない暗黒の時代にあって、社会の暗黒面を語ることができた彼女を褒め称えています。しかし世界をあべこべにしか見ることのできない「義和団2.0」(中共万歳のネトウヨ)たちは罵詈讒謗を浴びせて「社会の暗黒面を書いて西側に攻撃する武器を与えた」と非難しています>


ネットで検索したら「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った」というサイトに「封城(ロックダウン)下の武漢の暮らし 方方女史の『武漢日記』抄訳」があった。


ジャーナリスト・田畑光永氏の訳・解説で、とてもいい訳だなあ、どんな人なのだろうと調べたらWIKIにあった。御年85、渡部“頂門”亮次郎氏と同時代の記者だった。


<田畑光永(たばた みつなが、1935年8月29日 -
)は、日本のジャーナリスト。東京都出身。東京都立日比谷高等学校、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業後、1960年、TBSに記者として入社。中国政治を主たる専門領域とし、1972年の田中角栄首相の日中国交正常化の際にも同行取材を行った。
妻の田畑佐和子は、元岩波書店の編集者であり中国文学の研究者>


モロ“岩波文化人”で、当然中共に寄り添うリベラル≒アカモドキ、小生の大嫌いな人種だが、習近平中共にとって苦いことも書く(イエローカードを出す)リベラル≒アカモドキもいるのだ、皆が皆、腐れ男妾のテドロス飴じゃないようだ、というのは発見だった。以下、氏の記述と訳を部分引用する。


<田畑:新型コロナ肺炎はいまだに世界中で猖獗をきわめているが、発症の地となった中国の武漢市は1月23日から2ケ月半にも及んだ封鎖(中国語では「封城」)が4月8日に解けて、1100万市民の生活はようやくもとに戻りつつあると伝えられる。


市民にもきびしい外出禁止が課せられ、自由に買い物にも出られない中で、人々は文字通り息をひそめるようにして毎日をやり過ごしていた。


その実情については、わずかに3月10日、習近平主席が同市を訪れ、住宅団地を視察に回った際に、主席へのお付きの説明を聞きとがめた住民たちが「そんなのは全部嘘だ!」と、口々にベランダから声を上げたというニュースが伝えられたことがあったが、それ以外、外部からはほとんど知ることはできなかった。


しかし、その封城の中の生活を冷静に日々記録していた作家がいた。方方という女性作家による『武漢日記』がその作品である。


もっとも状況が状況であるから出版されたわけではなく、ネットで執筆と同時進行で広く読まれた。少ない日で5万人、多い日は15万人もの目に触れていた。すでに英訳、独訳の出版が決まっていると伝えられる。


この作品は現在、中国国内で大きな論議の的となっている。ご想像がつくと思うが、この作品がありのままを書いていることが中国にとってマイナスだと考える人々が、権力に近いところにいるからである。


『人民日報』系列の『環球時報』などには「中国の顔に泥を塗りたいのか」といった批判が見られる。それも外国語訳が出版されるとなってから激しくなったように感じられる。


私も何とかこの作品を読みたいものと思ったが、なかなか遭遇することができなかった。私もまだ入手した分全部を読んではいないのだが、早いほうがいいので、読んだ分から抄訳の形で、とりあえずご紹介する。果たして「中国の顔に泥を塗る」ものなのか、「泥とはなんだ」ということを頭の片隅に置いて読んでいただきたいと思う。



◆方方著『武漢日記』から(1)2月6日


今日の武漢はまた雨。空が暗い。暗い中の雨と風は一種のすごみを感じさせる。ドアを出たとたん冷風に打たれ、身震いする。


けれど今日はいいニュースがいろいろあった。最近で一番うれしい知らせだ。まずラジオで聞いたのだが、病気の蔓延は間もなくおさまるだろうということ。専門家という人が話していたのだが、私は信じられると感じた。


それからネット上で盛んに言われたのが、アメリカの研究所で新薬が開発され(中国の専門家が「人民の希望」と命名?)、金銀潭病院での試験では結果は大変によかったそうだ。


武漢人はみんな大喜びだ。外出禁止の規則がなければ早速、街中が大騒ぎになったろう。長く閉じ込められ、長く待ち望んでいた希望がやってきた。素早く、ちょうどいい時に、みんながうちしおれ始めたこの時に。


しばらくして、誰かがあれは嘘だったと言い、果たせるかな何の結果も出なかったとしても、それはそれでいいではないか。今はいいニュースとして聞こう。二、三日すれば、われわれの期待が本物だったとなるかもしれないのだから。


みんなが注目していた仮設病院が今日から正式に使われはじめた。中に入ったひとたちからのビデオや言葉が届いた。お粗末とかうるさいとか、そんな類の言葉が多い。でも、一日でできた建物だから、その分不完全なところはこれから早急に改善されるだろう。


人が大勢となれば、感じ方もまちまち、まして病人となれば、である。焦燥、不安、煩わしさ、混乱、すべてあるだろう。どうしたって家にいるようなわけにはいかないのだから。


武漢はここへきて一番大変なところを過ぎた。ここでさらに焦ってはだめだ。毎日あちらこちらへと彷徨っていたあの病人たちも(仮設病院ができ)、静かに室内で横になり、隔離されて医師の治療を受けられる。


なにはともあれ、本人たちにも、ほかのみんなにも、よかった。でなければ、今日のような天候の日は、彼らの中のどれほどの人が病状を悪化させたり、路上でたおれたりしたことか? だからわれわれは気持ちを抑え、我慢する。全体の状況が管理下におかれて、はじめて人は安穏を得ることができる。


我々自身はやはり家にいて、恐れないことだ。多少の熱や咳に慌てふためかず、冷静に対処しなければならない。


朝起きてスマホを見たら、お隣りさんからのメモがあった。娘さんが今日、野菜を買いに出たので、ついでに私の分も買ってきてくれて団地の入り口に預けてあるので、起きたら受け取って、とある。


それを受け取りに出て戻ると、同じ敷地内に住む姪から電話。ソーセージと「腐乳」(豆腐の漬物)をくれるという、団地の入り口で受け取ってもよかったが、結局、部屋まで一山、持ってきてくれた。

一か月閉じ込められても食べきれないほどだ。災難の中で、同じ船に乗り合わせたものどうしの助け合い、ありがたく、暖かい。


ブログを書き終えたところで、李文亮医師が亡くなったことを知る。彼は当局の「訓戒」処分を受けた8人の医師の1人で、自身もウイルス肺炎に感染した。今、武漢市の全員が彼のために泣いている。胸中、やるせなさでいっぱい。



『武漢日記』から(2)3月8日

(訳者注:前回は2月6日に書かれた日記だったから、それから1か月が過ぎている。残念ながら、その間の日記は入手できていない)


また雨。それもかなりの降り。寒気が音を立てる。昼間でも夕暮れのようだ。


遠い成都(四川省の省都)に住む劉先生が武漢の友人に託して魚を何匹か届けてくれた。ずいぶん固辞したが、結局、押し切られた。魚はきれいにさばいてあり、ネギ、しょうが、大根まで添えられていて、これでスープを作りなさい、簡単だから、との伝言。


また、私の日記で私の糖尿病を知り、ドライフルーツと手紙が居住区の事務所に届いていた。申し訳ないと同時に胸が熱くなった。友人の皆さん、心配してくれてありがとう


武漢の女は言葉のテンポが速く、声も高い。言葉の衝突ではまず負けない。もし相手も女性で、女2人が対決するとなったら、これは見ものだ。


思い出すのは、あの文化大革命の時代、娘の祖父は華中師範大の教授だったが、紅衛兵が彼をつるし上げようと家にやってきた。この時、祖母は祖父を家において、自分が出て行って、紅衛兵とやりあった。紅衛兵たちも相手がおばあさんでは手の施しようがなく、帰って行った。


この話を私は以前、ある文章に書いたことがある。そのせいか、今度の疫病戦中でも、日常のやれ集団購入でのいさかいとか、やれ居住区事務所との交渉とかを、自分の領分と考えて、多くの女性が出てきた。


武漢の女性は気が強く、声も大きい。ビデオを撮ろうとする連中をいくつも追い払い、大勢を震え上がらせた。武漢のすべての女性にエールを送る。


今日は「封城」46日目。疫病戦もこのところ、喜ばしいニュースが増えてきた。ある区域は試験的に封鎖が解除されて、仕事が始まるとひそかに伝えられている。友人が言うには、空港が運航再開の準備をしている、とか。この知らせは驚喜の上にもう1つ驚喜だ。そうなれば封鎖解除も近い。


医師の友人からの知らせもいいものだ。新しく確認された感染者が2日続けて少ない。明らかに減っている。感染が疑われる人はとっくに少なくなっている。仮設病院も順次、休院に入っている。一部の病院の日常的な外来診療も復活した。


ウイルスの蔓延を抑える戦いは現在、戦場整理の段階に入っている。すっかり終わるまで指を折りながら待つことにしよう。


疫病戦も終戦が近づくにつれ、市民生活の秩序が戻ってきたことが明白に感じられる。多くの居住区のサービス部の仕事も丁寧になり、態度もすこぶるよくなった。


記者が取材にくると、おおむね同じことを聞く。つまり「開城」(封鎖解除)した後、一番したいことは何か、というのだ。私はゆっくり休むこと、そして、この小説を完成させること、と答える。借りた借金は返さなければ、以後、誰も一緒に食事もしてくれなくなってしまう。


今日はまた『財新』(雑誌名)記者が香港の袁国勇院士(アカデミー会員、中国工程院院士、香港大学微生物系教授)を取材した文章を読んだ。


袁院士は武漢に来た第3団の専門家の1人で、今回の疫病戦でWHO(世界保健機構)が組織した合同視察団のメンバーであり、さらに香港特区政府の専門家顧問団の団員でもある。彼が記者に語った情報は真実、驚くべきものであった。


袁国勇氏:ひとつ本当の話をする。われわれが武漢で訪れた場所は多分、モデル地区であったろう。なにか質問をすると、直ちに答えが返ってくる。事前に準備ができていた

しかし、鐘南山(呼吸器医学界の長老的存在。新型ウイルス防疫研究グループのトップ)さんは非常にきびしくて、何度も「ほかにはいないのか?」「結局、これ以上、病人いないのだな?」「ほんとにここにはこんなにたくさんいるのか?」などと追及した。


しかし、答えはこんな具合だ。「私たちは今、検査を進めているところです。なぜなら湖北省疾病対策センターが国から検査キットを受け取ったのは1月16日だったのですから」


彼らは問い詰められて、最後にこう言った。「多分、神経外科の1人の患者から14人の医療人員が感染したようです」、「しかし、その医療人員たちも感染が確認されたわけではありません」


『財新』記者もきびしく質問を続けた。「あなた方が武漢病院を視察した時、主だった人ではどんな人がいましたか?」


袁国勇氏「武漢市衛生健康委員会、武漢市疾病センター、武漢市内の病院や湖北省の健康委員会などの人たちだった」


記者はさらに質問を続けた。「彼らはあなた方になにか隠しているようには感じませんでしたか」


袁国勇氏「食事の時、鍾南山氏と同じテーブルに1人の副市長が座った。顔色はよかったが、気は重そうだった。あの時、彼らはすでに大変なことが起こったと知っていたのだろう。なぜなら3つも専門家の代表団がやってきたのだから。少し前には仮に何か隠していたとしても、あの段階ではもはや隠すこともなくなっていたのではないか。


ただ彼らがしきりに強調したのは、検査キットは武漢に来たばかりだということだ。それがなければ診断を確定することはできないと」


なるほど、端緒はつかめた。調べるべきは調べてもらいたい。1つ1つ問いただせば、きっとなるほどという答えが出てくる。私、われわれ、みな知りたがっている。こんな重大事をなぜ隠そうとしたのか。


鍾南山院士の鋭くきびしい追及で、ようやくウイルスの人から人への伝染の情報が庶民にも伝わった。それによって武漢人は茫然と無知な状態から目覚めたのだ。あれがなければ、あと何日、騙され続けて、すさまじい、残酷な結果が出現することを知らずにいたことか。1000万人以上の武漢人のどのくらいが生き残れただろうか。


現在の問題は、1、袁国勇氏が言及したような人たちは必要なのか不要なのか、調査、再調査を。2、はじめの2つの専門家視察団はとてつもなく大変なことと知っていたのか。なぜ鍾南山院士のようにきびしく追及しなかったのか。袁国勇院士は記者の質問に「われわれ科学者は永遠に『軟情報』(兆候など)を軽視してはならない」と語っていた>(以上)


言論統制の国では「軟情報」の兆候、憶測、懸念、推理、予感、風評、空気、風などに頼らないと真実に近づけない。諜報活動は9割が新聞など公開された資料の分析、1割がスパイ活動(ヒューミント)によるものらしい。習近平はチャイナコロリの不都合な真実を隠すだろうが、政敵はそれを利用して習近平降ろしを図るだろうから、真実や真実らしきものは出てくるかもしれない。


中共の次期政権としては「すべて習近平とその一派が悪い」ということで終わりにして内外の損害賠償責任を逃れたいだろうが、米国も欧州も「はい、分かりました」と引き下がるわけがない。ウイルスとの戦争が終われれば壮大な「銭闘」が始まる。内憂外患。


第二次辛亥革命も武漢蜂起から! 香港、台湾の火が武昌、漢陽、漢口の武漢三鎮に飛び火する、革命聖地武漢再び! 加油! ハラハラドキドキ、五輪より興奮することは確実だ。


なんか長生きして参戦したいなあ、せめて見物したいなあという気分にはなるね。「老人の 気持ちが分かって 迎え来る」、いい句じゃない?(2020/4/28)

◆戦後の「神話」を捨てる秋がきた

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)4月29日(水曜日)通巻第6474号 <前日発行>  

戦後の「神話」を捨てる秋(とき)がきた
 国連、ヘイワケンポウ、五輪、人権、悪しき平等、生命尊重、民主主義

「国連幻想」に戦後日本人はしばし酔った。
巨額の拠金をむしられたが、それほどの美酒でもなかった。

恒久的平和という理想は、そもそも幻想なのである。日本人は軍事力を放棄し、諸国の正義と公正に信頼を寄せるというヘイワケンポウを押しつけられたが、占領軍が非占領国の基本法に干渉すること自体が国際法違反である。憲法は改正ではなく廃棄するべきものである。

地球市民というキレイゴトが世の中にウィルスのようにばらまかれて、この神話も長らく延命してきた。難民問題が浮上するとEUはシェンゲン協定を瞬時に忘れて国境を閉じた。コロナ騒ぎでは、もっと厳重に国境を締め、航空機も乗り入れが出来なくなった。地球市民より地域エゴという本質が露骨に復活した。理想はこれほどに脆弱なのだ。

民主主義社会が人類の理想というのも根本的におかしい。誰もが発言し、言論の自由が保障され、結社、宗教の自由が保障されている国は、地球上に半分もない。完全な民意の反映をメカニズムで確立しているのは日本だけだろう。

米国の選挙は登録制度があり、欧州議会選挙は5%ルール(台湾も同じ、トルコは10%)。つまり5%に満たない得票の政党は議会に参加する資格がないのである。

しかし縄文の時代から少数派、弱者を尊重してきた日本では、僅か1%前後の得票でも、当選できる。だから少数乱立となる。そのうえ民主主義の基本ルールは最大多数の最大幸福だから49%の意見を切り捨てても良いが、日本は野党の意見をあまりにも尊重するために、議会が円滑化しないという欠点を持つ。

民主制度に錯覚して惰眠をむさぼった挙げ句、首都や大阪府にはコメディアンが知事となり、長野ではペログロ作家、宮崎ではそのまんまが、参議院でも瞬間風速を背にして、面妖なタレントが当選する。政治はおちゃらけ、喜劇の劇場となったが、世の中はこんなものと受け止めている。

▼思想も哲学も外国の亜流、日本の芯を見失った

戦後の思想は西洋かぶれ、アメリカの亜流がはびこった。
戦前から日本の哲学はカント、ヘーゲルに学び、ヤスパース、ヘルダーリンなど、いまだにサルトルとか、近年の文明史ではトインビーは顧みられず、ジョセフ・ナイ、ハンチントン、フランシス・フクシマなどの所論に飛びつく人が目立った。「サル化」した日本を象徴する。

経済論壇においてもサミュエルソンからサマーズ。ドラッカーやミルトン・フリードマンやハイエクを別にしても、最近はピケティとか、日本本来の資本主義思想は顧みられず、歴史哲学にしてもニアール・ファーガソンとか。はては日本のことをまるで知らないジム・ロジャーズ等の予言師的相場師に群がるのは情けない話ではないのか。

石田梅岩などが足下にいるのに、多くが軽視してきた。
ようやく渋沢栄一、二宮尊徳、福沢諭吉が見直されたが、まだ少数派であり、思想界をみても、日本の源流に迫った藤田東湖、林小平、伊藤仁齋、大塩平八郎らが本格的に顧みられていない。山鹿素行も北畠親房も慈円も、ほとんど忘れ去られた。

政治思想でも、西?隆盛、吉田松陰ら基本の哲学を論ぜす、永田町は些末な政策論争に明け暮れている。筆者は国会中継をみないし、したがって朝日新聞は読まず、テレビも見ないので、逸材がいるのかも知れないが、政治家に大局観が失われるのも当然である。

総じて欧米の思想、理論をありがたがって亜流の議論に熱中しているうちに、日本の芯を見失ったのだ。

五輪信仰も幻想の類だろう。世界の常識は五輪もスポーツ大会の一齣に過ぎず、キリスト教的価値観から出発している。高い価値を置くべきではない。五輪ルールに日本の伝統的なスポーツのルールも適応させたのは誤謬だった。五輪への過剰な期待は慎むべきである。そうだ、コロナ災禍を機に、戦後の「神話」を捨てるべきときがきた 
      

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声 どくしゃのこえ READERS‘  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)10万円はそっくり「文科省『不正検定』を正す会」に寄付します。

28日の産経新聞で「文科省『不正検定』を正す会」の意見広告を見て、宮崎さんのメルマガに賛同の意見を書き込もうと考えていたら、まさにこのメルマガに藤岡信勝氏がその紹介をしておられた。

歴史教科書問題に関しては初期から関心を持ち、応分の支援もしてきたが、関係者の皆さんの長い地道な活動にもかかわらず、今回の唖然とするような文科省の検定結果である。

中央官庁である文科省が、ここまで反日姿勢を鮮明にして、具体的な行動に出るというのは、国家の中枢に極めて悪質ながん細胞が巣食い、国を滅ぼそうとしているということである。

「つくる会」の歴史教科書は右翼的でも何でもない、ごく穏やかな、むしろ穏やか過ぎると感じるほど穏当な内容である。

簡単に言えば、既得権益的にシェアを押さえている他の教科書会社の本に比べ、反日的姿勢が微弱で、国の歴史に対するほのかな愛情がこもっているという程度の印象の本である。

武漢ウィルスによる緊急事態で、一人10万円のお金がもらえるようである。年金生活者だから、基本収入は変わりなく、したがって10万円はそっくり「文科省『不正検定』を正す会」に寄付することにする。正す会は、賛同者に対しただちに具体的な運動方針を示し、文科省に対する直接的な行動を大衆運動として開始していただきたい。
出来得れば、ご賛同いただける読者諸氏にも、同様の行為をお願いしたい。(虎穴居士、横浜市)

  ♪
(読者の声2)先週でしたか、貴誌で宮崎正弘さんの「三島由紀夫五十年」の連載が『夕刊フジ』にあると知りながら、在宅勤務のため駅のスタンドへ行けず、何処で読めるかとおもっていました。

貴誌HPをひらいて、あ、ここに再録されているのだと、一気に通読、これは画期的な三島由紀夫論だと思います。
 とくに現在の三島の復活について、宮崎さんは次の3
点をあげられていて、満腔の賛意です。

「第1に、平成から令和に御代が移っても、日本の自律性の回復がないこと、すなわち憲法改正が進まず、他国の干渉で靖国神社参拝がかなわず、教科書がまだ自虐的であることへのいらだちがある。

第2に、日本人の精神が退嬰的(たいえいてき=進んで新しいことに取り組もうとする意欲に欠ける)で、ガッツ喪失、ましてや武士道精神の行方不明状況への不安が拡大し、三島への郷愁が現れている。

 第3に、経済のグローバル化より、文化の喪失への焦りが三島ブームの背景にある。三島は「断弦がある」と『文化防衛論』に書いたように万葉、古今和歌集から江戸時代の文化の高みに比べると、現代日本の文化に独自性も高尚も失われてしまったからである」。
  http://miyazaki.xii.jp/misima/index.html
    (SH生、江東区)

(読者の声3)「戦時」には冷静かつ非情な判断が必要です。いまの「戦役」では、「病毒性」「医療崩壊」「経済毀損」の三点観察から、その均衡点で、施策を決めるべきです。

これは医学専門家でなく政治の役割。

・日本経済の戦争並みの毀損は日々に進行しています。
・医療崩壊には関係者のご尽力のもと、いたっていません。

・「病毒性」の観点がもっとも不確実で混沌としていますが、「日本人の」死亡率が風邪並みに低いというこれまでの実績は、その機序が不詳とはいえ、武漢ウイルスの変異した第二波が襲来しても変わっていない、ということからもはや「事実上のエビデンス」と認定すべきではないでしょうか。

・すなわち非常事態を延長せず、長期戦に対応できるあらたな「行動変容」の指針とともに段階的にでも平常を取り戻すべきではないか。(石川県、ボケ脳)
  ♪
(読者の声4)親・知日・外交学者グレンコ・アンドリー氏、国連改革について中露を常任理事国から外そう、と主張している。

「愛国心を持って日本国を守ろうとするのは、グレンコ・アンドリー/ 遠藤誉/ 佐々木類ら、たった数名しかいない。日本中から真正日本国民は、事実上、一人残らず完全に消えた。」と中川八洋氏が激賛されて
いる。

グレンコ氏はウクライナ人で、散々ロシアに騙されて虐められて国を盗まれ、日本人に同じ轍を踏ませないために言論活動をされている。本職は本居宣長の研究らしい。

国連改革について、誠に正論を主張され、具体的な方法論まで展開されている。ただ批評するだけの論者とは違って犠牲者・受難者の切実感がある。一目惚れしてしまった。
 安全、安心な日本にはあまりにも親中、親露、親韓、親国連、指導者が多い。

彼らは敵国に無関心・無知でもある。特に外務省は、国連の駐日出先機関として、反日的組織になった。
氏の最新の動画、
Https://www.youtube.com/watch?v=bslVpD1bLds&feature=em-uploademail
 (KM生)

   ♪
(読者の声5)藤岡信勝先生が主導された「新しい教科書をつくる会」の教科書検定不合格に「人垣」の産経新聞広告が出ていました。問題の教科書審査官にはチュチェ思想に影響された人物がいるようです。
左翼というのは本当にどこからでも侵入してきますね。
   (HT生、大田区)


(宮崎正弘のコメント)1392人の有志が支えた意見広告ですが、寄付した人、全員の名前が羅列され、小生の知人、友人など、ためしに数えたのですが、66人が参加していました(全体の5%ですね)。クラウドファンディングは匿名か、非公開ですが、こんどの意見広告の人垣は異例中の異例でしょうね。


◆一部野党 国会登院自粛しては

阿比留瑠比



 新型コロナウイルスの感染拡大は、有事を想定していない憲法をはじめとするわが国の法的・社会制度的な脆弱(ぜいじゃく)さを可視化した。国会は国民の生命と財産を守るため、与野党がその垣根を越えて一致協力するところを見せてほしい。それでこそ政治は、国民の信頼を勝ち得るだろう−。

 そんな淡い期待を込めてここ2カ月ほど国会の様子を眺めてきたが、やはり現在の主流派野党にそれを望むのは八百屋で魚を求めるのに等しいらしい。

ためにする批判

 安部晋三首相は7日の衆院議院運営委員会で、日本維新の会の遠藤敬国対委員長が「現行憲法はこのウイルスのような国難を想定していなかった。憲法改正による緊急事態条項の創設が不可欠だ」と質問したのに対し、こう答弁した。

 「緊急時に国民の安全を守るため、国家や国民がどのような役割を果たしていくべきか憲法をどのように位置づけるかは、極めて重く大切な課題だ。新型コロナウイルス感染症への対応も踏まえつつ、国会の憲法調査会で、与野党の枠を超えた活発な議論が展開されることを期待したい」

 受けた質問に応じ、今後の課題についてごく当然のことを述べている。ところが、立憲民主党の蓮舫副代表は早速、ツイッターでこれにかみついていた。

 「今最大の目的はコロナウイルス感染症の収束に向けたあらゆる手段です。国民の命を守ることです。改憲議論への期待を口にするリーダーに、それは違うとなぜ、自民党から声が出ないのでしょう」

 どう読んでも難癖としか思えない。今回の緊急事態宣言を含め、現下の諸課題に全力で取り組むことと、その経験も取り入れて将来の在り方に関して答えることは何も矛盾しない。

 蓮舫氏は、自民党の憲法審幹事が3日、立憲民主党に「緊急事態における国会機能の確保」をテーマにした審査会開催を提案した際にもこう批判していた。

 「黙れ、と言いたくなった。今やるべきことは、国会の全ての審査をコロナウイルス感染症対策に特化し、与野党協議を徹底すること。国民のために、世界のために出来ることをすべき時でしょ」

 中国湖北省武漢市から政府のチャーター機で邦人第1陣が帰国した直後の1月29日の参院予算委員会で、持ち時間のほぼ全てを桜を見る会の追及に費やしたのは、はて誰だったか。

 蓮舫氏は安倍首相が2月末、全国の小中高校などに一斉休校を求めたときには「こんなめちゃめちゃなリーダーシップはない。すぐ撤回すべきだ」と主張していたが、今も休校要請は間違いだったと考えているのだろうか。


現場から「黙って」

 今回は蓮舫氏の言動を例に挙げたが、彼女に限らず主流派野党の政権批判には感情的で脊髄(せきずい)反射的なためにするものが多い。食傷気味でうんざりしていたところ、大阪維新の会代表の松井一郎大阪市長が現場の首長の立場から次のようにばっさり斬っていた。

 「無責任の立憲民主党や国民民主党、共産党は今年の1〜2月、新型コロナウイルスの危機が迫る中で桜を見る会や森友学園問題ばかりやっていた。もう、とにかく黙っていてもらいたい。行政はコロナの被害に遭っている人をサポートしていく実務の世界にいる。選挙目当てのパフォーマンスをしている人たちは閉じ籠もって、出てこないで」

 多くの国民もそう実感していることだろう。主流派野党は一昨年も国会審議に応じず17連休を享受したのだし、今年は国会に来るのを自粛したらよい。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 令和弐年4月9日
松本市 久保田 康文さん採録 
 

◆整形外科治療の光と影 (3)

小池 達也(医師)



膝や腰の痛みにサメの軟骨が良く効くという話がマスメディアでもてはやされています。どの程度の売り上げがあるのかは知りようもありませんが、薬局に行けばじつに多種類のサメ関連サプリメントが発売されています。

このブームのきっかけは、1998年1月13日にニューヨークタイムズという新聞(もちろんアメリカの新聞です)に載ったコラムでした。

コラムを書いたのはブローディという女性で、栄養関係に関する著書もたくさんある方です。彼女の愛犬は変形性関節症を患っていて、獣医に連れて行くと、軟骨の成分であるグルコサミンとコンドロイチンを含む薬を処方されました。

服用を続けていると、イヌの症状はかなり改善したそうです(新聞には痛みがなくなったと書いてありますが、どうやって訊いたのでしょうね)。そこで、テニスの後などに膝の痛みを覚えていた彼女は、なんとイヌ用の薬を服用してみたそうです。すると、2ヵ月後には、完全には痛みは取れないものの3割程度の痛みの軽減が認められ、

1年後には、レントゲン写真で変形性関節症が進行していたにもかかわらず、痛みは軽度で様々なスポーツ活動に参加することが出来ていると書いています。
 
この記事を契機として、世界中でサメ軟骨のブームが始まりました。

では、サメの軟骨に対して、臨床試験は行われているのでしょうか?レジンスタ医師は、200名ほどの変形性膝関節症患者を無作為に2群に分け、一方には1日1500mgのグルコサミンを投与し、残りの人には偽薬を投与し、3年間に痛みや関節の機能がどう変化するかを調査しています。

結果はグルコサミンを投与された群で、痛みも機能も改善していました。しかも、わずかですがレントゲン所見でも改善が認められたと報告しています。その後の報告でも効果は証明されていますので、変形性関節症の人がグルコサミンを服用することは悪くなさそうです。

しかし、いくつかの問題はあります。まず、服用する量がはっきり決まっていません。必ずしもたくさん飲めば良く効くということではなさそうです。目安としてはレジンスタの報告にある1日1500mgでしょうが、これはかなりの量です。

先日アメリカへ行った際に、薬局で1錠に1500mgのグルコサミンが含有されているサプリメントを3ヵ月分買ってきました。1錠の大きさは柿の種より相当に大きく、飲み込むのに苦労しそうです。さらに、コンドロイチンの方はまだはっきりとした臨床研究がされていないはずです。

そして、最も大きな問題は値段です。私がアメリカで購入したのは、3ヵ月分で3000円、月当たりわずか1000円です。日本ではひどいのになると月1万円ほどするものもあります。

最後に、グルコサミンにも副作用はあります。最も多いのは胃腸障害です。これらの事実を理解した上で、飲んでみるのも悪くはないでしょう。(再掲)
(大阪市立大学大学院医学研究科リウマチ外科学 )

2020年04月29日

◆雀庵の「岩波読んでアウフヘーベン?」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/107(2020/4/27】数年ぶりに岩波書店のサイトを見た。それによると今日は「哲学の日」だという。


<4月27日は「哲学の日」.紀元前399年のこの日にソクラテスが毒杯を仰いで死んだことに因みます.


哲学と言えば,難解で,役に立たないことの代表のように言われることもありましたが,近年「哲学の復権」が語られています。


私たちの生きる世界が,歴史的,社会的,人間史的な逼迫のなかにあり,悪い方向への転換点にあるのではないかという問題意識が,思索への回帰を促しているのかもしれません>

なんかこじつけて不良在庫の哲学書をさばきたいのかなあ。

哲学・・・難しそうだが、小生は「いかに生きるべきか、いかに死ぬべきか、考えて考えて考え抜いて実行する、死すとも可なり」という解釈、感じだな。

大辞林にはこうある。


<1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。

2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
「社長の経営術には一つの哲学がある」>

大学の哲学科は今は人気が下がっているらしい。哲学科で何を学ぶか。

<西洋と東洋の2大哲学から選択し、原理的、本質的な問題を考え抜く。

哲学は、古代ギリシア時代には学問全般を指していたが、近代に入って学問が専門分化していくなかで、あらゆる学問の基礎となる学問、世界や人生の根本となっている原理を探究する学問として位置付けられるようになった。

また、哲学という学問には、もう一つの領域がある。それはヒンドゥー教・仏教の思想から生まれたインド哲学、儒教・道教などの思想から成り立つ中国哲学のように、アジアの世界観や人生観・自然観から育まれた東洋哲学である>

結局、「いかに生きるか、いかにして人間の幸福に寄与するかが哲学、宗教の目標」と東洋大学創設者の哲人・井上円了は言っているから、小生の思いも間違いではないだろう。

まあ、それが就職に有効かどうかは採用する側の評価次第で、「6Gの市場規模を研究しました」「卒論は『ポスト・コロナと防疫』です」とかの方が実利的ではあるね。

戦後リベラル≒アカ≒アカモドキの牙城だった月刊誌「世界」は保守・反共・改革派の拡大で青息吐息、とっくに廃刊になっているだろうと思っていたら、何と生き残っており、森千香子・同志社大学教授が「友人が、政府の無責任なやり方に怒って発した言葉は『外出自体が感染症を拡大させる状況さえなかったら、暴動を起こしたい気分だ』」と書いていた。

暴動って火付け、強盗、殺人、破壊で犯罪であるが、著者も「暴動、分かる、その気持ち!」ということなのだろう。猫をかぶるからアカで、「奴は敵だ、敵を殺せ!」と表立って言うのはまずいだろうに。貧すれば鈍すだな。

岩波は通常の委託販売(返品可)ではなく「書店買取制」で、このために余程の販売力のある書店しか置いていない。先日ブックオフを覗いたら岩波のきれいな本がかなり多く並んでいた。つまり書店が廃業して叩き売ったわけだ。岩波延命して書店亡ぶ、みたい。

日販・出版流通学院の調査によると書店数は減少が続き、2019年版ではついに1万店を割り込んだ。大体、電車内で本、新聞、週刊誌を読んでいる人は数えるほど。わが街でも一時期は書店3店あったのが、今では日共系の小さな店だけしか残っていない。


同志諸君は「岩波文体」をご存知か。50年振りに平田清明著「市民社会と社会主義」(岩波)を読んでみた。


<西欧での社会形成が、市民的なものの資本家的なものへの転成として展開する時、この展開の過程には、商品・貨幣所有者への経済的転成が基底として展開すると同時に、市民的所有権の資本家的領有権への転変の過程が展開しているのであり、これらの過程に規定された政治的・道徳的な諸関係への転成もまた、進行するのである>

「おーい、誰か、救急車呼んでくれ、こいつも発狂したぜ!」

読者はこの数行だけでもまず卒倒し、中には脳神経損傷で一生癒えぬダメージを受けるだろう。小生はこんな悪文に鉛筆でやたらと傍線を引き、結局刑務所に隔離された。除染するのに40〜50年もかかってしまった。

悪書どころかモロ毒書だ。この先生、トロツキー50周年実行委員会世話人も務めていたから教え子の多くは前科者に転成し、病状は進行したことだろう。

マルクスボーイの臭いのする三宅邦彦と佐藤優あたりはまだ除染が進んでいない印象だが、ゼニに敏感だから「面舵いっぱい」とそのうち転向しそうだ。「無礼者め、転向じゃないぞ、アウフヘーベンと言え!」なんて怒り出しそうだ。へっ、分かったよ、嘔吐屁便め!(2020/4/27)


◆ラファイェット疑獄の再燃(3)

Andy Chang


AIT駐台大使がミサイルセールスマン

4月10日、美国在台協会(AIT)のモリアーティ理事長(Jmes F.
Moriarty駐台大使。
台湾名は「莫健」)が蔡英文総統と会見した。会見の目的はアメリカのRaytheon社の
ミサイルシステムの売り込みだった。アメリカの大使が直談判でフランスのミサイルよ
りもアメリカのを買えと言うのだ。

新新聞社の蕭介雲記者がフランスのミサイル売り込みを報道したのが4月5日である。
台湾の国会議員や新聞記者、民間の論客が反応していないのにアメリカの駐台大使が
直々のお出ましで蔡英文にアメリカのミサイルを買えと圧力をかけたのだ。アメリカの
反応は素早い。駐台大使のセールスなら蔡英文総統は断ることが難しいだろう。

フランス側のミサイル購買案は「誰かさん」が言い出したというが「誰かさん」の正体
は不明だ。海軍の高層部、青幇の武器セールスマン、蔡英文政権の内部、その全部かも
しれない。フランスの売り込みの背後に大きな勢力が動いているらしい事はわかるが、
アメリカの駐台大使と太刀打ちできるかどうか。

報道によるとモリアーティ大使はRaytheon社のMark-41の垂直ミサイル発射システム
を推薦したという。垂直発射システムは箱型で8基のミサイルを装填できる。艦隻型な
ら軍艦のデッキに埋め込む形で装着するが、移動トラックに装着した陸上型もある。
Mark-41はアメリカのロッキードマーチンのPhased Array Radar
System(SPY-1)
と連携して360°の広範囲防御ができること、イージス艦もこれを使っているし日本海
自のイージス艦金剛もSPY-1を使っっているので台湾がこのシステムを買えば米軍や日
本の海自と連携ができる。

台湾は既にMark-41の陸上型を買ったことがあるという。このシステムはミサイルの
垂直発射で360°の全方角防御システムであること、それにRIM-66
StandardからRIM-
67、RIM-161、RIM-166
StandardまでいろいろなStandard型ミサイルを装着でき
る。台湾が開発した天弓3型も使える。台湾の開発したミサイルは大抵アメリカのミサ
イルを真似たものが多いからアメリカのシステムを導入した方が有利だ。ただしラファ
イェットに装着すればミサイルもたくさん買うはずだ。

報道によるとMark-41をラファイェットに装着するには艦隻デッキの強度が足りない
可能性もあるという。現在のラファイェット艦に装着しているのは4連装の天弓発射シ
ステムでMark-41ではない。この点ではフランスの4連装型発射機が有利とも考えら
れる。

フランスはオトリ(Decoy)発射機とTAVITACの連携でAsterの三段販売。アメリカは
Mark-41
とSPY-1の連携でRIM型ミサイルの二段販売だ。でも、なぜこの時期にフラ
ンスやアメリカが台湾にミサイルの売り込みを始めたのか。これは私の憶測だが、台湾
のミサイルを開発製造している中研院の高雄工場で去年、工場の爆発事件があったとい
う。このため中研院のミサイル製造と納入期が遅れたから海軍が自力開発を中止して外
国から買う計画を立てたのかもしれない。確証はないがこれが真相なら汚職ではないか
もしれない。

at 07:47 | Comment(0) | Andy Chang

◆吉田茂は偉かった

高山 正之
 

朝鮮半島の人たちには至福の時だった日帝支配が終わると、米ソは李承晩と金日成を連れてきてそれぞれ南北の指導者にした。

朝鮮人に指導力などない。間もなくの昭和25年6月、北が南に攻め込んだ。

李承晩は一人だけ釜山に逃げた。これも「敵が来たら王様は江華島に逃げる」朝鮮人らしい振る舞いだ。

彼はそれでも不安で山口県に「臨時政府を建てる。準備しろ」と下命した。県知事は即座に断った。

米国も身勝手で、永遠に続けるはずの日本占領をすぐに打ち切り、翌26年、サンフランシスコで講和条約を結ぶことにした。

締結後、日本にはマッカーサー憲法を廃させ、再軍備させて米兵に代わって朝鮮で戦わせるつもりだった。

李承晩はそこに割り込んできて、戦勝国として講和会議に参加させろ、戦時賠償の権利を持たせろとマッカーサーに要求した。

お前は無関係の三国人だ、と一蹴された。

無関係では日本と賠償交渉もできない。で、朝鮮戦争さ中、日本の領海に線を引いて竹島を盗る李承晩ラインを敷き、交渉に応じろと日本に迫った。

自分たちの起こした戦争は米国と支那にみんな任せてしまう。こういう狡い立ち回りは白村江の戦いのころから得意だった。

かくて27年2月、日韓会談が開かれたが、日本はまず半島にある日本資産を返せと言った。

半島にある日本資産は韓国保有資産の85%を占めた。返したらあとに何も残らない。

韓国側は「あれはウリのものスミダ」とか言って「日帝支配の謝罪と日本の国家予算の10年分、21億ドルの賠償をよこせ」の一点張り。交渉は当然、決裂した。

李承晩は怒って日本漁船の拿捕と漁船員の拘束を始めた。死者も出た。嫌なら吉田茂と会わせろ、日韓会談も再開しろ。

吉田は李と翌年1月に東京で会った。李は爪のない指を見せ、日帝時代の拷問で剥がされたと言った。

それは嘘だ。李氏朝鮮時代には彼は捕吏に捕まり7年獄に繋がれて拷問された。吉田は李を河野一郎、スカルノとともに終生嫌った。

再開した日韓会談では久保田貫一郎が「謝罪とは何だ。山も緑にし、学校を建て電気も引いてやった」と事実を指摘した。

会談はまた決裂した。

吉田は感謝もない韓国を嫌って「駐日韓国代表部の閉鎖」と「漁船の攻撃的保護」と「拘束された漁船員と同数の在日の拘束」を命じた。

吃驚(びっくり)した李承晩は慌てて米国に「日米韓三国不可侵条約」を提案してきた。米国を使って日本の実力行使を抑え込もうという狡い手段だった。

吉田の跡を継いだ馬鹿な鳩山一郎は李承晩に手もなく騙され、本気で不可侵条約締結を考えたりした。

拿捕漁船員も李承晩の言うまま「日韓捕虜交換」で合意させられた。

日本側の捕虜とは服役中の在日殺人犯や密入国者のこと。彼らを永住権付で釈放することで漁船員が釈放された。日本人は韓国人を心から嫌った。

李承晩のあと、もっと悪賢い朴正熙が出てきた。彼は謝罪を求めない代わりに日本資産の返還はなしにし、その上に5億ドルのカネと技術援助を乗っけて日本側に呑ませた。

結局、日本人は日帝支配から韓江の奇跡まで実に70年間も彼らに貢がされ続けた。

一方の半島の民はその70年間で便所も荷車もない旧石器時代から世界屈指の工業国に成りあがった。

戦前から何度も朝鮮を訪れたGHQ外交局長W・シーボルトはその印象を「ひたすら陰湿な国。民は頑固で腹立たしい」と著書にたった6行書いている。もううんざりだと。

ハリス現駐韓米国大使が辞任すると言い出した。

そんな理由は「何をしても感謝もない。腹立たしいだけで付き合いたくもない」と同じ感想を語る。

日本はそんな国と関わりすぎた。コロナで付き合いを断って、その清々しさが十分分かっただろう。ハリスに倣おう


出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)4月30日号

    【変見自在】吉田茂は偉かった

◆整形外科治療の光と影(2)

小池達也(医師)



整形外科の分野ですばらしい発展を遂げていると考えられているのは、人工関節分野です。

現在では、肩・肘・股・膝・足関節に人工関節手術が施されますし、手や足の指関節にも応用が始まっています。

特に、股関節と膝関節に関しては膨大な数の手術が毎年日本中で行われています。成績も安定しており、それほど高度な手術でもなくなりつつあります。

しかし、本当に人工関節は進歩したのでしょうか。

1962年にチャンレイという先生が人工股関節手術を初めて実施されました。 今から振り返ってみても、良く考え抜かれたデザイン・材質・手術方法でした。

やっぱりパイオニアと呼ばれる人たちには何か光るものがあります。

このチャンレイ型人工股関節は長期成績も良く、スタンダードとなりましたが、もちろん完璧ではないので、チャンレイ自身を含め様々な改良が加えられました。(再掲)

ところが、それらの改良、良かれと思ったデザインや材質の変更は逆に長期成績を悪化させました。そうすると、また改良が加えられ、猫の目のようにくるくるとデザインや果てはコンセプトまで変わっていきました。

最近ようやく、コンセプトも成熟し成績も安定してきました。
しかし、改良が加えられ続けていた時代に人工股関節手術を受けてしまった人は恩恵を受けることが出来なかったわけです。

最先端のものが最良とは限らない好例ではないでしょうか。
これは人工関節の性格上、結果がすぐに出ないことが一番の理由です。
そして、この危険性は今後も出てくる可能性はあります。
 
では、人工関節手術などすべきではないのでしょうか。
そうではありません。歩くことさえ大変な方が、人工関節手術を受けて痛みなく歩けるようになった時の喜びは、本人でない我々でさえ感じることの出来る大きなものです。

「人生が変わった」・「旅行に行けるようになった」・「歩くのって楽しい」など、多くの喜びの声を聴かせていただける、医者にとっては実にやりがいのある手術です。

これを永続する喜びに変えるために、いくつかの合併症を克服してゆくのが、我々の今後の使命でしょう。

人工関節の合併症で厄介なのは感染とゆるみです。
ゆるみの方は、多くの研究により克服されつつありますが、異物を体の中へ入れる手術であることから、感染の危険性はなかなか解決されそうにはありません。

また、スポーツも可能になるような丈夫な人工関節もまだ存在しません。真の人工関節出現はもう少し先になりそうです。
 
ところで、最近ではナビゲーションといって、コンピュータが人工関節を入れる方向を指示するシステムやロボットが人工関節を入れる方法も実用化されています。
あなたは、ロボットと人とどちらに手術して欲しいですか?  (再掲)

(大阪市立大学大学院医学研究科リウマチ外科学)

2020年04月28日

◆雀庵の「最後の皇帝“習+四人組”は?」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/106(2020/4/26】ここ半世紀における「現代史の女傑/政治家編」と言えば、結構多くの人が「鉄の女、サッチャー」を挙げるだろう。


米国はレーガン、日本は中曽根、ソ連はゴルバチョフ、中共はトウ小平・・・ポスト冷戦時代への役者が揃ったような感じだった。サッチャーはフォークランド紛争で、WW2後に短期間ではあったものの「世界で一番豊かな国だった」アルゼンチンを撃沈し、再起不能にした。

「キリギリスめ、死ぬまでタンゴを踊ってろ!」みたい。老いてもさすが大英帝国、と世界は英国とサッチャーに敬意を表したものである。彼女はインテリ風で気品のあるなかなかの美人である。

世界史の表の舞台はそういう感じだったが、ロンドンの地球の裏側、支那の1960〜70年代、文革発狂中の北京では、毛沢東と夫人の江青が血染めの「中共裏面史」をせっせと編んでいた。「毛沢東の夫人履歴考」から引用する。


<毛沢東の3番目の妻となる江青(インテリ風で美人の人気女優)は2度の離婚後に上海へ行き1936年、評論家兼劇作家の唐納と結婚。唐納の自殺事件などのスキャンダルのあと、1937年8月下旬(蒋介石に追われた毛沢東の逃亡先)延安に入った。


1938年11月、毛沢東と結婚したが、このとき江青24歳、毛沢東45歳であった。


彼女は(雑誌の表紙を飾るほどの)美人で、肌が白く、両眼は生き生きしていた。化粧がうまく、大都市の香りのする瀟洒な雰囲気をもっていた。体つきはすんなりし、夏はレーニン服、冬は綿入れの軍服を着たが、ウェストラインはいつもはっきりしていた。


上海から延安に突如あらわれた美人女優に(女っ気のない洞窟暮らしの)毛沢東がフラフラとなったのも無理からぬところかもしれない。(同志諸君、男は哀しい動物だよなあ)

(建国後に)毛沢東が大衆から離れ皇帝化するとともに、江青は悪妻度を強めた。けれども結婚当時の毛沢東は、彼女が政治に口をはさむことを許さなかった。江青はもっぱら毛沢東の生活の世話をする役目であった。


江青は第一子を身ごもったあと、毛沢東が特に優しい態度をとらなかったことに傷ついた。毛沢東にとって女性が妊娠するのは当り前のこと。現に前婦との10年間に、子供を6人つくっている。

こうした毛沢東の無関心に、江青はヒステリーをおこして湯呑みを投げつけたこともある。毛沢東は詫びたが、話はこれで終わらなかった。(カマキリはオスを平然と食べる! 身につまされるぜ、男はつらいよ!)


毛沢東と江青がいつ別居したかについて明記した資料はないが(大躍進で大失敗、劉少奇、トウ小平など実務派/実権派から実権を奪われ、再起を画策していた)1962年ごろである。毛沢東は初老であり、江青も更年期のためヒステリー症状が激しくなり、(失意のどん底にあった)1959年には毛沢東は明らかに江青を避けるようになり、ついに別居するに至った。

江青はこうして毛沢東の生活秘書としての仕事が少なくなり、退屈してきた。それを見かねたのは気配り周恩来で、江青は中共中央の任命する5人の毛沢東付き機要秘書の仲間入りし、毛沢東の公務を手伝う機会を得た。

毛沢東が1966年5月に「文化大革命」を発動するや、江青はその政治舞台の先頭に立った。彼女は文革期に権力をふるうが、それは毛沢東が彼女にその任務を与えたことによる。

やがて林彪らが追放され、文革派は四人組(江青、王洪文、張春橋、姚文元)が残ることになった。毛沢東が継続革命や文革精神の継承にこだわる以上、江青を処分できない。まして彼女は表向きは依然として主席夫人である。

毛沢東はかつての同志たちを信頼できなくなり、江青に文化大革命の旗振り役を期待した。しかし、彼女は政治にはズブの素人であるから、むろん毛沢東の期待にこたえられない。毛沢東の耳には江青に対する悪口がしばしば聞こえてくる。

毛沢東と江青の関係は極端に悪かった。毛沢東は身辺の者にこう一人ごちた。「庶民が離婚したいときは裁判所に行けばよいが、私はどこへ持ち込んだらいいのか」


1976年9月の毛沢東の死後、江青は死刑判決をうけ、投獄されること十余年、1991年5月に首吊り自殺した>


毛沢東は江青という猛毒をもちいて権力を奪還し、結局、副作用で中共そのものをガタガタにしてしまった。トウ小平がどうにか再建のレールを敷いたが、文革の鬼っ子、習近平は、天安門広場で「毛沢東語録」を掲げる巨万の紅衛兵に答礼する毛沢東を見て「ワだば21世紀の毛沢東になる」と決意したのだろう。

皮肉にも「毛創り 習が壊して 北京晴れ」になりそうだ。


造反爆弾男・任志強氏の習近平宛て「諫言」で指摘する打倒すべき「新しい四人組」とは、矢板明夫・産経新聞台北支局長によると、「習とその側近の栗戦書・全国人民代表大会常務委員長、北京市の蔡奇書記、重慶市の陳爾書記の四人を指しているのではないか」とのことだ。

小生は、習近平の懐刀としてハエ叩き、虎退治にいそしんだ王岐山国家副主席も入れて「習+四人組」の計5人を天安門でその最期を見届けたいなあ。習の一人娘、これまで秘密にされていた「習明沢」の名前までさらされて、習は処刑か亡国宣言しか選択肢はない。

コロナ休暇にお薦め「続・紫禁城の黄昏」予約受付中!(2020/4/26)


◆3160万枚のマスクと

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)4月27日(月曜日)弐 通巻6471号   

3160万枚のマスクと509000着の保護服を不合格品で没収なにしろマスク参入の素人企業が中国でいきなり、8950社

 中国のマスク生産能力は4月下旬に日産1億1600万枚。新たに参入してきた素人マスク製造業者8950社を含めて、フル稼働で生産し、多くは「いまがチャンス」とばかりに輸出に廻しドルを稼いでいる。

不良品とのクレームがついた。

オランダが50万枚、カナダが100枚、医療用の基準を満たしていないとして突き返した。じっさいに病院で使い始めると、不良品が発見されたのだが、支払いをすませた後だった。

こうした不良品の返品はチェコやトルコでも発生、慌てた当局は輸出検査を強化したが、四月中旬までの合計で「3160万枚のマスクと509000着の保護服が不合格品であったため輸出直前に税関で没収した」と、中国国家市場規制委員会の副局長ガン・リン(女性。音訳不明)が認めた(アジアタイムズ、4月26日)。

即席ラーメンを食べた中学生4人が中国の山奥で死んだ事故があった。河北省では毒入り餃子、北京では肉の代わりに段ボールをつめた餃子が発見されたときは、日本が輸入元だったため日本のメディアも騒いだ。

粉ミルクでも死亡した乳児が大きく報じられた。だから中国人ツアーは日本にくると明治乳業か森永の粉ミルクを大量に買って帰る。

米国向けの中国産ペットフードで、アメリカ人家庭で飼われていた犬、猫およそ10000匹が死んで、訴訟に発展したこともあった。

不良品、偽物を作るのは、なにしろ中国伝統のお家芸なのだ。
    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 「もののあはれ」、「わび、さび」を理解したいと呉教授は必死で日本を学んだ

豪留学から日本に切り替え、韓国の出鱈目な日本認識批判に立った若者との対話

  ♪
WWUK & 呉善花『親日韓国人ですが、何か?』(悟空出版)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
呉善花(拓殖大学教授)が日本でデビューしてから久しい。出世作『スカートの風』はいまもロングセラーだ。

以後、呉さんのように韓国から来て、日本の良さに目覚めて言論活動をする人が輩出するかとおもいきや、ユーチューバーのWWUK氏が登場するまで、ながい空白が日本の言論界にあった。

ふたりは意気投合、のびのびと(日本でだからこそ、出来るのだろうが)、韓国人と日本人と差違、その文化のあまりの違いに関して実体験に基づきながら、意見を開陳してゆくので、説得力がある。

韓国の反日、侮日、憎悪、嫌悪。そのくせ、日本が好きで、日本にせっせと旅行に来るのだから、二重人格であることは多くの日本も気がついていた。

二人の議論は多岐に及ぶトピックスを取り上げるが、「反日」と「日本好き」という二律背反の心情分析の箇所を読むと、韓国人の基本的な発想、そのユニークさが理解できる。

圧巻は「恨」の韓国と「もののあはれ」の日本という、文化の基底に関しての考察である。

呉善花さんは伝統と感性が、たとえば花火でも、生け花でも茶道でも、日本人の感性にいきているとして、こう言われる。
 
「『もののあわれ』は日本人ならば誰にでもある、衰えゆく生命、か弱く小さな生命への感動です。そこから、自分自身をも含めて、弱きもの、小さきもの、不完全なものを肯定し、慈しみ大切にしていく考えへとつながっていきます。

『恨』は『もののあはれ』とは逆に、感動は『溌溂たる生命の躍動』ばかりに集中します。したがって、自分の『弱さ、小ささ、不完全さ』を『そうであってはならない』と否定し、そのためにありのままの自分を愛することが出来ず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思いこんでいきます。そのように、『もののあはれ』と『恨』は正反対の心の作用を持つと言えるでしょう」(131p)

半世紀から4半世紀前まで、評者(宮崎)はよく韓国へ行った。仕事の関係で1泊という旅も屡々あった。観光をしたことは殆どなかった。

70年代後半、まだ朴正煕政権の頃だが、韓国の閣僚の殆どが流暢な日本語を喋り、じつによく日本のことを知っていた。首相は金鐘泌で、藤島泰輔氏と一緒だった時は歓待を受けた。

1987年、いわゆるパルパル五輪前後には取材やら国際会議やらで、ソウルに数度行く機会があった。

まるで親日的な雰囲気があった。そうだ、あの頃の韓国は日本に憧れをもつ人が多かったのだ。

 先月亡くなったイドヒュン氏は知日派の紳士で、韓国版『諸君』のような保守の雑誌を主宰され、氏が呼びかけたシンポジウムでは高坂正堯氏と評者が講師だった。

つづく祝賀パーティには金大中、金泳三、「現代」の創業者の鄭周永の三人が揃ったほどの盛況だった。当時、この三人が大統領選挙を競っていたのだから、一雑誌のパーティに三人が顔を揃えるというのは、どれほどの影響力を保守系のメディアが持っていたか、おわかり頂けるかも知れない。

やはり1980年代後半だった。ソウルで世界ジャーナリスト会議が開催され、日本からは竹村健一、日高義樹、評者らが招かれた。米国からはレーガン政権のブレーンが目立ったから、反米ではなく親米ムードだった。もちろん韓国からは学者、ジャーナリストが多数参加していたが、会場では和気藹々としていた。

いったい、あの時代の雰囲気はどこへ消えてしまったのか
 そうだ、あのころの韓国の言論人において、『愛国』とは『反共』だったのだ。それがいまは『愛国』は『反日』、北朝鮮という全体主義の悪口を言わなくなった。これが驚くべき韓国人の意識の変化ではないか。
 本書を読みながら、そんな回想をしていた。
     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『新型肺炎、経済崩壊、軍事クーデターで、さよなら習近平』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪♪
宮崎正弘『新型肺炎、経済崩壊、軍事クーデターで、さよなら習近平』(ビジネス社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
「イカロスの翼」は、太陽に近付いたため翼が焼けてバラバラになり、墜落した。

──習近平ひきいる中国経済は「イカロスの翼」だ。
  銀行倒産、社債デフォルト、大量失業は、コロナ発生前から中国で進行していた。

──世界中で「一帯一路」が挫折して、工事現場では反中国運動、そして国際金融界では中国への不信が増大していた。
──国賓訪日延期、全人代延期、五中全会も開催できない。「さようなら、習近平」!
https://www.amazon.co.jp/dp/4828421769/


  ♪
5月1日発売予定
宮崎正弘『「コロナ以後」中国は世界最終戦争を仕掛けて自滅する』(徳間書店)
https://www.amazon.co.jp/dp/4198651167
 (予約受付を開始しております。定価1650円。アマゾンから予約の方は後日、最新情報にアクセスできる特典があります)。
      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)ことしの改憲集会はYOUTUBEのライブです。5月3日、午後2時から90分、ライブでお届けします。

出演は櫻井よしこ、ケントギルバード、田久保忠衛、百地章氏ら。


アクセス方法は「美しい日本の遣欧をつくる国民の会」のHPからできます。
 https://www.youtube.com/channel/UCDqbnOakcw0U8uGwUm2G6hw

ライブの主旨、「新型肺炎と中東危機」。

我が国の憲法には緊急事態条項がありません。国民の声明が危機に直面したときに、国民のいのちを守るための政府の行動をただめたもので、こんかいのコロナ災禍では「外出禁止」「大規模イベント終始」「休校」などの措置を強制でき、違反には罰金あるいは実刑を加える。

イタリア、スペイン、仏蘭西、ドイツでは憲法に明記され、憲法のない英国でも成文法によらぬ常識で同様な措置をとれるのに、日本には憲法に基底がないために、すべてが「自粛要請」となり、違反者を罰することは出来ません。
 さぁ当日ライブを見ましょう

共催 民間憲法臨調、美しい日本の憲法をつくる国民の会
    電話(03)5213−4323

 ♪
(読者の声2)憲法学者の小林直樹教授が、今年の2月に亡くなられていたようですね。朝日新聞、毎日新聞は、記事で報道したようですが、私はつい最近まで気がつきませんでした。日経新聞は「小林直樹氏(こばやし・なおき=東京大名誉教授)2月8日、くも膜下出血のため死去、98歳。告別式は近親者で行った 専門は憲法や法哲学。憲法の実証的な研究で学界をリード。平和憲法擁護の運動に主導的役割を果たした。著書に『法の人間学的考察』などと報じているのみです。

私は、この方の憲法の講義を受講しました。当時、何冊か岩波書店から出されていた書籍も読みましたが、熱心に説かれていた非武装中立論など、読んでいて空しく、愚論、愚著としか考えられなかった。読んだのは時間と金の無駄でした。

その頃、永井陽之助氏が「もう二度と米国と戦闘してはならないというのが、戦争で得た教訓であろう」と述べられたことについて、小林氏が「永井氏は、なぜ、もう二度と中国と戦争をしてはならない、と言わないのだろうか」と述べて、永井氏から「国際政治は、幼稚園児のようにみんな仲良く手をつないで、というわけにはいかない」と反論されていたと思います。
 手元にある永井著『平和の代償』の奥付を見ると、昭和42年1月初版となっています。私は、この書を大学3年生になった昭和42年8月の夏休み中に読んだのですが、小林著作とはまったく対照的に、強烈な衝撃を受けたことを、生々しく思い起こします。
 Wiki
で見ると、小林氏は「長野県小諸市出身。旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)、旧制水戸高等学校(現・茨城大学文理学部)を経て、1942年東京帝国大学文学部哲学科入学も法学部政治学科に転じる。東京帝大在学中に学徒出陣。二等兵、少尉等を経て、1947年高等文官試験合格」
 とあります。
 小林氏は1921年10月生まれですから、三島由紀夫氏より3年ぐらい年長ですが、「1947年高等文官試験合格」というのは、三島由紀夫氏と同期のはずです。これは、最後の「高等文官試験」でした。
 三島氏と異なるのは「東京帝大在学中に学徒出陣。二等兵、少尉等を経て」という「軍歴」でしょうか。陸軍で二等兵も体験されたということが、三島さんの戦後意識と決定的差異をもたらしたのかもしれません。なお、永井陽之助氏は1924年生まれですから、三島氏とほぼ同年、小林氏ともほぼ同世代です。
 今年は、三島由紀夫没後50年になります。
私もあらためて、全集(旧版)や関連書籍を読み返しているところです。宮崎三部作も読み返しました。私は昭和40年大学入学で、宮崎さんや森田必勝氏とは同世代ですが、当時は、まだ敗戦後20年、独立回復後13年程度に過ぎなかった。
 1956年度経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれてから、10年を経過していたとは言え、まだまだ「戦後」的状況が色濃く残っていたように思います。
 三島氏が自裁された昭和45年にしても、せいぜいが敗戦後25年、もうそれを倍する歳月が流れている・・・・・
   (椿本祐弘)



   ♪
(読者の声3)ウイルス騒ぎで、戦争の時より暗い気持ちだと高齢の知人、鬱になりそう、コロナ離婚になるかも?と言ってくる友人、毎日、医療現場働きずくめの友人は、ぐったり、と。
 毎日が日曜日の私は、本棚に宮崎さんの『中国が世界経済を破綻させる』(2012年刊行)。その隣りに三島由紀夫の『英霊の聲』『三島由紀夫研究<8>
』。このなかに宮崎さんの論文「『英霊の声』は現代日本に甦るか」があり、読み返しました。
「近松も芭蕉もいない昭和元禄」とあれば、「三島のいない平成元禄」
外国のカネに人が走り、そして「卑怯をも愛し」大不況がやってきて、日本の屋台骨はガタガタになった。
三島さんがお書きになった通りの今の我が国は、老齢化、晩婚化、団塊世代の生活保守、目を覆うばかりの現実は死からの逃避であり、刹那的享楽的であり、国家百年の大計など誰も顧みないと宮崎さんは、11年前に書いておられます。
中国が世界経済のみならず、人命を奪うコロナウイルス騒動の昨今、日本人として本来持っていた、ムラ社会、大家族制度、人間性を重んじる社会環境に慨嘆しつつ、宮崎さんは同論文で、今こそ三島由紀夫の「英霊の声」は読み返されるべきである、と結んでおられます。
(深井貴子)