2020年09月30日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(83」

                   “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/193(2020/9/28/月】土曜の夜中に寒くて目を覚ました。温度計を見たら21度、ちょっと前まで昼間は29度もあったのに急に冷えてきた。今冬初めて暖房23度にしたが、頭はボーっとして悪寒もあり、風邪を引いたようだ。夏中はバスタオルをお腹に掛けていたが、タオルケットを出して秋に備え、風邪薬を飲んだ。


日曜日は終日、ベッド。体調不良だと脳ミソもブルーになる、マイナス思考になる。当たり前だが、鬱病の人はどん底に落ちやすい、こんな風に。


体力は落ちるばかりで、やりたいことはさっさとやっておきたいと思うのだが、やりたいことだらけで、優先順位をつけるにしてもそれなりに調査研究しておかなければ判断ができない。


基礎的な調査研究だって結構手間暇がかかるから、それにも優先順位をつけなければならない。どれから手を付けるべきか・・・もうほとんど迷路の中を右往左往、行ったり来たり・・・ああ、私はあの世に逃げ出したい・・・鬱病が昂じてくるのが分かるのだ。


まあ死神による希死念慮、自殺願望、デストルドー、タナトスとかのお誘いで、「アンタなりによー頑張った、もうええやろ、楽になったらどうや」とささやくわけ。



この鬱病は抗鬱剤で抑えるしかないのだが、脳みそ、思考力、興味、関心までが抑制されるので、「ただ何となく生きている」風になり、ちっとも興奮しない。つまり、面白くない! 生きている実感がない! 元気がでない! ほとんど死んでる!


クスリやめますか それとも人間やめますか? 医者の言うことは分かる、されど人間は考える葦やで、小生はただの生きてるだけの葦でいることには耐えられない。抗鬱剤治療と葦人間でいることは両立しない、しかし治療をしなければ精神劣化を抑制できるかもしれないが、プッツンしやすく、概ねあの世行きになる。


どないしよ・・・


鬱病者の多くは社会人として暮らしているだろうが、表面的には普通に見えても、傷つきたくない、人間関係のストレスには耐え難い、再発症を避けたい、と引き籠り志向があるだろう。一方で引き籠れば社会から落伍するからそれも避けたい・・・心は揺れ動く、千々乱れる、安定、安心しない、不安だ。どないしたらええねん・・・ああ逃げたい・・・


「昨日まで面白い話でみんなを笑わせたりして元気だったのに・・・」、先輩の奥浩平が自殺したら周辺の人は皆同じようなことを言った。奥浩平は「せめて最期は」と、明るく陽気な青年を演じて見せたのだろう。


溢れるばかりの過剰な正義感、強烈な自我、鋭い感受性、その裏側の壊れやすい繊細な心、無力という挫折感、自己嫌悪、そして孤独・・古人曰く「青春は概ね悲惨である」


壮年になると仕事、子育てなどで忙しくて死神は消えるが、老人になると一応は人生義務編ゲームは終わり、大体が好き勝手に生きていいよ、と牧場に放牧される。役割がなくなった役者、声がかからない俳優・・・おまけに脳ミソも体もよれよれで、まるで「老残」、廃車寸前、「晩年は概ね悲惨である」。で、老人は青年のようにナイーブに戻っちゃう。これが問題だ!


一般社団法人日本老年医学会によると――


<わが国は高齢化率23%超という高齢者社会であると同時に、高齢者の自殺率も高い。自殺には一般に精神疾患が関与することが知られているが、高齢者では特にうつ病・うつ状態が関与する割合が高い>


鬱病老人はいかに晩年を生きるべきか、難しい問題だ。抗鬱剤治療で実験動物みたいに穏やかに(死者の如く)生きるか、治療せずに短命ながら喜怒哀楽、天国と地獄の思考サーカスの中でそれなりに「人間らしく」生きてみるか、あるいはプッツンしたらしたでそれでいいとか・・・


ところが全国3500万の同志諸君、プッツン自殺することで周辺の人を悲しませたり悩ませたりする権利なんてないわけよ、だろ? ここが問題だ。


君の自裁を知った人々の中には「私が余計なことを言ったからかなあ」「もっと優しくしてあげればよかった」なんて悩む奇特な人もいるかもしれない。


つまり唐突な「ちゃぶ台返し」ではなく、周囲の皆がそれなりに受容できるような「大義に死す」とか「なすべきことはした」とか、できれば穏やかな死を遂げる、これが「上」やで、「あしたの上」。燃え尽きて真っ白な灰になるのは「特上」、男の夢だなあ。


その一方で当てつけ自殺、これは天も苦い顔をする「下」、邪道だな。このところコロナ禍もあってか自殺者が増えているようだが、付和雷同的な安直自殺も「下」だろう。


「立派な最後でした」と誉められなくとも、せめてそれなりに、自分らしい始末、エンディング、フェイドアウトの演出、お別れの会、相続、葬儀の準備、香典返し、会葬御礼、初七日、四十九日あたりまではきっちり準備しておくのが人間としての勤めではないか。


格調高い遺書も筆で和紙に書かなあかんさかいな、70の手習いやで・・・衝動的な死は美しくないし、「終わり良ければ総て良し」ルールに違反しとるで。


こう考えると「死出の旅」の準備は面倒くさくてウンザリ、「生きてる方がましだ」となる、つまり小生のような鬱病ヂヂイから死神は離れていくわけね、「よーグチャグチャうるさいやっちゃ、こいつはまだ期が熟してないから次回へ回そう」と。


かくして鬱病者は危機(チャンス?)を脱するわけ。落ち込んだ時はそれなりに症状を記し、整理、分析(自己省察)していくと脳ミソが落ち着く・・・やってみなはれ。


そうだ、「シーチン・メソッド」! 俺が世界の鬱病患者を救うのだ、「21世紀のフロイト」、“死の商人、ダイナマイト・ドン!”ノーベル医学賞は俺で決まりだ! ほとんど躁状態・・・やっぱ変かなあ。


なお、愛人のことは絶対に漏らさないこと。これだけは静かにあの世に持っていかないと小便塚になるね。小生の父は母に「女とは別れた」と一言、母は札束をもって女を訪ねて「永らくお世話になりました」と挨拶、それできれいさっぱり。海舟を真似れば「10年振りに親父とお袋が同衾していたのを見て、さすがの俺もびっくりさせられたぜ」


今はそういう粋な時代じゃないからなあ、権妻のあった昔が懐かしい・・・妾となした子、相続の際には大騒動になるから早めに手を打つべし。該当者はくれぐれも注意して下さい。


さて、前回に続いて、中共毛沢東の指導する妄想餓狼「毛躁兇徒」による内モンゴル殲滅戦について楊海英著「中国人の少数民族根絶計画」から学んでいこう。


<(中共はなぜモンゴル人を根絶やしにしたかったのか)国際情勢も影響した。1956年の「ハンガリー動乱*」は共産党支配体制の改革を求めていたが、ソ連の武力干渉で数十万が反革命罪で処分され、社会主義陣営に動揺をもたらした。(*推定で死亡2500〜3000、負傷1万3000、難民20万人)


東欧諸国の知識人たちの反共思潮を見た中共は「反右派運動」を発動し、中共に不満を抱く120万人を粛清した。(1949年の建国宣言の際、多くの人々は共和制になると思っていたろう。中共独裁になる、まさか自分が殺されるとは夢にも思わなかったのではないか。毛沢東に騙されたのだ)


中共はスターリン亡き後は(独裁に否定的なソ連を敵に回して内部を固めるため)「ソ連修正主義批判」「中ソ対立」を鮮明にしていく。



この際に重要な問題になってきたのは、ソ連とモンゴル人民共和国が国境を越えて侵攻してきたときに内モンゴルのモンゴル人がどう動くかである。


中共にとってモンゴル人は二つの「前科」がある。一つには、1932年の満洲国建国の際に、日本に協力したこと。もう一つは、日本軍が去った後に、モンゴル人民共和国と内モンゴル(日本の影響下で役人軍人になった人が主軸)との統一を進めたことだ。


このために中共にとってモンゴル人は「日本刀をぶら下げた奴ら」で信用できなかった。


モンゴル人にとって敵はずっと中国で、中国からの独立は19世紀末からの民族の宿願だった。それを実現するためには日本の力でもロシアの援助でも、なんでも利用したかったのだ。


日本の力を借りて、中国人たちを追放して、独自の国家を創りたかった。これが満州国時代のモンゴル人の素直な心情でした>


毛沢東・中共は現実無視の政策で支那全土をユートピアとは反対のヘル(地獄)、ディストピア、飢餓地獄にしてしまい、毛は名ばかりの盟主に追いやられていく。


その段階で毛をさっさと殺すなり幽閉するなりしておけば1億人もの死傷は出なかっただろうに・・・掛けた情けが仇となり・・・


実務派の劉少奇やトウ小平は教条主義一転張りの毛沢東路線を改めていくが、毛沢東は初心なガキ「紅衛兵」を使嗾、動員して実務派を叩き、個人独裁復活を狙う。文化大革命という狂気の内乱、民族浄化が内モンゴルで始まるのだ。(つづく)

◆習近平、標準中国語に変更を強制し

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)9月28日(月曜日)通巻第6653号  

 南モンゴル(内蒙古自治区)。小中学校の授業でモンゴル語をやめる
習近平、標準中国語に変更を強制し「中華民族の復興」をやり遂げるとか

 南モンゴル(内蒙古自治区)は日本の敗戦のどさくさに、中国が侵略した。多数のモンゴル人は迫害され、漢族の入植が進み、気がつけばモンゴル族が少数に転落していた。
中国共産党の圧政によって数十万の犠牲がでた。

 チベットでは120万人が犠牲となり、ウィグルでは現在100万から200万人のウィグル人が強制収容所において「職業訓練」と称する洗脳教育を受けている。ウィグル語が消される懼れがある。言語は民族の文化、伝統を守る重要な手段である。

 南モンゴル(内蒙古自治区)では、9月新学期から小中学校の授業に使われてきたモンゴル語をやめ、標準中国語に変更するとした。

 これは中華統一を掲げる習近平の強制的な文化政策の現れだが、モンゴル族から言えば、重要な民族のアイデンティティが抹殺されることになる。

 たちまちSNSで諸外国に伝わり、ワシントンではモンゴル移民らが集会を開催して反対の声をあげた。現地でも住民の抗議デモ、授業のボイコットが続き、相当数の逮捕者がでた。

 2022年までを目標にモンゴル族が通う民族学校で「国語」など3科目の授業を中国語で教え、教科書そのものも中国語に改編してしまう。ただし北京政府は「3科目以外は教科書を変更しない。バイリンガル教育は維持される」と釈明している。

 言葉を失うと民族は文化を消滅させられる。

 げんにチベットの若者たちで、四川省や青海省の都会で暮らすチベット族は中国語しか喋れない。

 筆者自身も四川省のチベット族居住区で体験しているが、チベット族の若い女性らに聞くと「両親は喋ってますが、私たちは(チベットの)字も読めないし、まわりはすべて漢字ですし、教科書も」とあっけらかんとしている。
この悲劇的な現実を帰国後に、ペマ・ギャルポ氏と話していたら、悲しい顔をされた。

 米国のインディアン居住地には多くの遺蹟が残り、いまでも電気もガスも水道もない集落を形成し、文化と伝統を守っている。ところがかれらは「言葉を失った」。英語しか話せず、先祖の言葉は消えている。

 そして集落の長が、日本からのテレビ取材斑とのインタビューに応じ、こう言った。
 「あなた方は自分たちの言葉で生活しているのでしょう?」

        
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 2139回】      
 ──英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港21)

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 香港版国家安全法などと言う物騒な法律などは夢想すら出来なかった当時である。今では考えられないような奇妙なまでに工夫された商売──長閑で、トンマで、それでいて何処か哀愁を帯びていた──に、時にお目に掛かったものだ。

あの程度の商売で、どれほどの収入が得られたのかは不明だが、兎にも角にも商売として成り立っていたのだろう。

 なによりもお世話になったのは、やはり京劇のカセット・テープ屋だった。

 京劇にのめり込み、年中無休で京劇小屋に通うようになった経緯については、いずれ書き留めておかねばならないが、いまは京劇カセット・テープ屋通いに留めておく。


 ある日の昼休みだった。研究所の廊下を歩いて居ると、どこからともなく京劇が聞こえてくる。戯迷(京劇狂い)の哀しいサガというのか。歌であれ楽器の伴奏であれ、京劇が聞こえてくると心がウキウキし、音の方向に足が自動的にロックオンされてしまう。

まるで「ハーメルンの笛吹き男」に誘われるネズミのように進むと、事務員の洪さんがカセット・テープで京劇──それも文革で消えたはずの古典京劇──を、さも嬉しそうに聞いているではないか。


 京劇の基本は歌劇であるから看るのではなく聴く。そこで基本的には「看戯」と言わずに「聴戯」と表現する。
 当時、香港でも文革の影響を受け京劇と言えば革命現代京劇のレコードであり、ビクトリア公園の向かいに店を構えていた老舗レコード店の「楽聲唱片」でも、古典京劇のレコードの入手は困難だった。

なぜ洪さんが文革で打倒された名優たちのカセット・テープを持っているのか。こういう珍品を密かに売っている所がある。紹介してやるから行ってみないか、と。一も二もなくお願いし、教えてもらった住所を訪ねた。

 佐敦道に面した富都酒店(ホテル)の並びの安っぽい老朽ビルの高層階だったように記憶する。ドアの前に立って呼び鈴を鳴らす。暫くすると足音がして木製のドアが開けられた。

鉄製のドア越しに新亜研究所の洪さん名前を出して来意を告げると、二重になった鉄製のドアを開けて中に招き入れてくれた。ウナギの寝床のような細長く狭い部屋の壁には、役者名と演目が手書きされたカセット・テープが並んでいる。


 馬連良の『借東風』、周信芳の『肅何月下追韓信』に目が吸い寄せられる。見当たらなかった譚富英の『空城計』と李多奎の『釣金亀』を注文して、その場を後にした。持ち帰って耳を傾ける。

文革で非業の死を遂げただけに、もはや聴くことなどできないと思っていた名優の絶唱と思えば、心に染み入らないわけがない。だが、時々挟まる異音が気になる。雑音ではなく、どうやら中国のアナウンサーによる詳細な解説のようだ。


 その後、何回か通って分かったことだが、中国で放送された古典京劇番組を録音し、それをダビングして売り出した。戯迷の間に噂が広がり、結構な商売になっているという。それにしても著作権もヘッタクレもない不思議な商売である。


文革で古典京劇は封建社会の残滓として完膚なきまでに批判され、兵士や労働者を主人公にした革命現代京劇以外は中国からは消え去った──当時、日本で雨後の筍のように出版された文革関連本では、こう説かれていた。

だが、しがないカセット・テープ屋で知る限り、そうではなさそうだ。日本で喧伝されているほどではなく、適当に息抜きしながら文革が行われていたということだろうか。これを言い換えるなら、やはり日本人の中国理解は日本式に厳格で一辺倒で短兵急に結論を求め過ぎるように思う。


 自転車で回って顧客の車を掃除する洗車屋、荷車に古本を並べた移動販売の古本屋、飲茶の客の間を回って馬票(馬券)を売りつける馬票屋など・・・世界の金融センターへと変貌するなかで、いつしか香港は彼らの生息を許す「空き地」を失っていたようだ。
     

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■読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)日本人の報復感情について考えてみました。
小生も宮崎先生同様にTVを観ない主義なので昨今の人気TVドラマ「半沢直樹」も観た事はないが新聞の記事によれば大人気という。どうやら主人公が口走る「培返し」が人気の秘密らしい。
「培返し」とは、理不尽に耐えてきた人間が発する報復感情の言葉であろう。そこで日本人の、その報復魂について論じてみたい。
 12月ともなれば、赤穂浪士の討ち入りの日に合わせ忠臣蔵の映画やTVドラマが相変わらずの人気である。これも理不尽に切腹させられた藩主の無念を晴らすための忠臣達による仇討ち、つまり報復であった。
 江戸時代には、敵討、または仇討ちは、直接の尊属を殺害した者に対して私刑として復讐を行うことを公認した制度である。下手人が藩外へ逃げれば、自藩の警察権は他藩へは及ばないため止むを得ない措置だったのだろう。犯人は大抵は人込に紛れ易い江戸へ逃げ込むことが多く、追っ手も江戸で犯人捜しをすることが多かったようだ。鬼平犯科帳にもそんな話がよく出てくることはファンならご存知であろう。
 さて、日本政府は、敗戦直後の昭和21年3月6日、GHQの英文原案をもとにした「憲法改正草案要綱」を公表させられた。白洲次郎は、翌7日付の手記に「敗戦最露出の憲法案は生る。『今に見ていろ』という気持ち抑えきれずひそかに涙す」と書いている。
 原爆投下と主要都市への焼夷弾投下による無差別殺戮への報復を密かに誓った日本人は、白洲と同様に敗戦直後には数多くいた筈である。
 敗戦後75年、現在の日本人は果たしてどうだろう。
 西鋭夫は、ドイツ人の復讐感情について、当時の事情を語っている。
「第一次世界大戦は1918
から1919年に終わるのですが、そのときにイギリスやフランス、特にフランス連合軍がドイツにもうものすごい、絶対払えない賠償金をかけて。それに重工業、機械を全部取り上げて。ドイツでは餓死が出るくらい、貧困のどん底に落ちるわけです。それで、ドイツの国民の中に共通した1つの心は「必ず復讐する」
 英仏が過酷な賠償支払いを独に求めたことがナチスドイツの台頭をもたらし、ヒトラーは国民から選挙により正当に選出されたのである。ここからドイツによる報復戦争、つまり第二次世界大戦が始まったのである。
 しかし第二次世界大戦敗戦後のドイツは日本同様に、すっかり報復感情を失ってしまったのだろうか。
 話を日本に戻すと、GHQにより押し付けられた米製憲法と教育制度、言論統制により日本人は完全に洗脳され、去勢されてしまい、報復魂まで失ってしまったのではないか。
 50年後、100年後にも「培返し」だと叫べる日本人は果たしているのだろうか。
(ちゅん)

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(読者の声2)貴誌9月26日付通巻第6652号「読者の声」で、私は、辛坊治郎なる人物による、「菅首相と竹中氏に共通しているのは「努力が大切」という意識と「怠け者は嫌いだ」ということです」という見方について批判的に紹介しました。

 物事には、いろいろな見方があることは当然のことで、一つの見方を一方的に非難、否定することは慎むべきでしょう。

 秋田から「上京」した菅首相は、企業等における労働歴はごくわずかで、その「努力」は、政治家の秘書業務に向けられ、それを足場にした地方議員選出から、国会議員選出に向けられたのでしょうが、それは見事に大きく「結実」したわけです。

 菅新首相のように、学歴などが「規格外?」の人物が「出世(成り上がり)」すると、秀吉になぞらえて「今太閤」などと呼ばれ、そのことだけで一部の人気や支持を得たりすることもあり、こうした現象を非難するべきではないのかもしれません。

 しかし井上成美元海軍大将は、海軍兵学校校長の時、同校図書室に吉川英治著『太閤記』を備えることを拒否したと伝えられています。

秀吉は立身出世主義で、出世のためには手段を選ばぬところがあった。兵学校の人間教育にふさわしくない、という理由であったようです。

私は、読書することまで拒否することはなのではないかとは思うものの、この感性には共感します。

 しばしば、「今太閤」と呼ばれることもあった松下幸之助氏は、その孫の結婚式に政治家を招待することを拒絶したと言われます。 「政治家などという連中は、(金を投げ与えて)使う相手であって、借りをつくってはならない」という考え方であったようです。

 私は、こちらの感性にも共感します。

 何らの支援もない一介の上京青年が、(実業に向かうのではなく)、政治家の秘書業務に精勤して、地方議員から一国の総理にまで成り上がった過程(菅首相)を、そして、独立法人職員が、一代の詐欺師とまで呼ばれながらも、政策プロモーターとなり、総務大臣等に成り上がった意欲(竹中氏)を「努力」と呼ぶのなら、「怠け者」である私は、ただただ呆れかえるのみですね。

 『市場と権力』では、郵政民営化が議論されていた際、竹中はジャーナリスト田原総一朗への電話で、あの時点で郵政民営化をする必要はない、ということを打ち明けてきた。これに対して田原が、それを小泉さんに説明すればいいじゃないですか、と答えたら、竹中は「それはダメです。言ったとしても、僕に辞めろと言って、別の人間を担当大臣にするだけです」と答えたという(文庫版327頁)。

 もし竹中が私利私欲ではなく、何らかの志、信念、使命感に立脚して動こうとするのであれば、政策に問題点があるのなら、たとえ辞めさせられようとも、その点を明確に説明するべきだったのではないでしょうか。大臣を辞めて生活に困るわけでもなかったでしょうに・・・

 菅新首相について言えば、基本的には、政治家の評価に「経歴」が関係するべきではないと思います。

黒い猫であろうと白い猫であろうと、適切な成果を出してくれればよいのです。しかしながら一国の宰相には、それなりの見識はもちろんのこと、「品格」が必要ではないだろうか。過早の評価は慎むべきかもしれませんが、私はこの新首相にはあまり期待できないと思っています。

 いずれにせよ、一国民としては、菅新首相がどのような経綸を発揮されるのか、注目するよりほかないでしょう。
(椿本祐弘)

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(読者の声3)安倍晋三政権の8年近くの間に、朝日新聞は250万部も、部数を減らしました。ひとえに安部批判が国民に受け入れられなかったということです。
 もっと激減するだろうと予想しています。
  (TY生、さいたま市)


(宮崎正弘のコメント)小生はすでに十一年前の2009年に「朝日新聞がなくなる日」(ワック)を書いて、予想しておりましたので、とくに驚きではありません。
問題は、極左のアジビラのような東京新聞が残存していること、そして産経新聞が増えていないことです。

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(読者の声4)先週25日放映の「フロント JAPAN」は宮崎先生と河添恵子さんとのコンビでしたが、とりわけ「大阪都」構想批判は有益かつ参考になりました。

 天智天皇の近江大津京や、副都とされた難波京の写真も駆使されて、要は大阪府知事、市長らのとなえる行政改革は賛成だが、名前の付け方がまちがっているとの御指摘でした。こんな角度から大阪都構想に反論されていること、初めて知りました。
https://www.youtube.com/watch?v=fn6dyuEZWLY

◆なぜ菅首相の関与を報じぬ?

山岡俊介


東京オリンピック招致のために、IOC委員だったラミン氏の息子とその会社に総額3,700万円の賄賂が送金されていたことが発覚。マスコミ各社が一斉に報じた。しかし不可解なのは、森喜朗元首相、菅義偉首相の名前が一切出て来ないことだ。(『アクセスジャーナル・メルマガ版』山岡俊介)

※本記事は有料メルマガ『アクセスジャーナル・メルマガ版』2020年9月28日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。


プロフィール:山岡俊介(やまおか しゅんすけ)
1959年生まれ、愛媛県出身。神奈川大学法学部卒。零細編集プロダクションに2年半在籍し、29歳で独立。91年『週刊大衆』の専属記者を務めながら『噂の真相』『財界展望』などを中心に記事執筆。主な著書に『誰も書かなかったアムウェイ』『アムウェイ商法を告発する』(以上、あっぷる出版社)、『銀バエ実録武富士盗聴事件』(創出版)、『福島第一原発潜入記 高濃度汚染現場と作業員の真実』(双葉社)など。

東京五輪招致のワイロが発覚

9月21日、大手マスコミは一斉に、国際オリンピック委員会(IOC)の委員だったラミン・ディアク氏(セネガル)に、東京での五輪開催が決定した(13年9月)前後に、息子とその会社に総額3,700万円が送金されていたことがわかったと報じている。

東京五輪招致に関しては以前から、このラミン親子へのワイロ疑惑が浮上。18年12月、フランス警察は東京五輪招致をめぐる贈収賄容疑で東京招致委員会理事長だった竹田恒和理事長の捜査開始を決定。そのため、竹田氏は翌19年3月、国際オリンピック委員会委員、日本オリンピック委員会(JOC)会長も辞任すると表明。そして同年6月に辞任していた。

この竹田氏とともにロビー活動をしていた「電通」元専務の高橋治之氏は、ラミン親子を含めた主なICO委員へ贈与を含めたロビー活動をしていた点は認めた。しかし、竹田氏は否定。また具体的な金額などの詳細は不明だった。


なぜ菅義偉・森喜朗の名前が出てこない?

そういうわけで、今回、大手マスコミは大きく報じているわけだが、そのなかで森喜朗元首相、菅義偉首相の名前が一切出て来ないのはどうしたことか。

というのも、実は『週刊新潮』は今年に入り、森元首相が新財団を設立。そこに某大手企業が多額の寄付をし、その一部のカネが東京五輪招致を勝ち取るために、アフリカのIOC委員票を取りまとめる力があるラミン氏へのワイロ資金に使われた可能性があると報じていた。

しかも、その資金集めに関し、菅首相(当時は官房長官)も深く関与していたと報じていたからだ。


詳細はその新潮記事をご覧いただきたい。2020年2月13日号、20日号、1週休んで、3月5日号の3回に渡って報じている。

さらに、菅首相誕生を受け、9月17日号の特集「『菅総理』その金脈と人脈」とのタイトル記事のなかで、小見出しさえ出ていないものの、前の3回記事で報じた菅首相が関与するエッセンス部分を再度、紹介している。

東京五輪ワイロ3700万円の出どころは=

Next: 菅氏から「4〜5億円の工作資金が必要」と頼まれた?

◆私の「古寺旧跡巡礼」当麻寺 A

石田 岳彦 (弁護士)


当麻寺は、境内の南側に2つの三重塔があり、その北側に金堂、更にその北側に講堂があるという、薬師寺と同じ伽藍の配置ですが、スペースが足りなかったのか、敷地の南側は丘になっていて、2つの塔は斜面を削り取って造成された高台に建てられています。

しかも、金堂と講堂の西側に本堂が東向きに建っていて(講堂と金堂は南向き)、大門(正門)が南ではなく、東側にあり(金堂ではなく、本堂に合わせているようです。)、更に金堂と東西の塔の間に2つのお坊が割り込み、西塔と東塔の間にもやはりお坊が建てられるなど、平地に整然と建物が並んでいる薬師寺に比べて、かなりのカオス状態です。

そこに見えている2つの三重塔に境内案内図で通路を確認しながらでないと辿り着けないというのですから、何時か、何処かで、何かを間違えてしまったに違いありません。

 金堂とはその寺のご本尊となる仏像がまつられているお堂で、本堂とはその寺の中心的なお堂をいいます。講堂は仏法についての講話を聴くための場所となるお堂です。

 古代からの寺院の場合、法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺等のように、金堂はあっても、本堂とはされていない(つまり、その寺院に「本堂」と呼ばれる建物がない)ことが多いようです。仏舎利をまつった塔が伽藍の中心という考えが強かったためでしょうか。

 他方、比較的新しい時代のお寺では、金堂=本堂で、単に「本堂」と呼ぶことが多く、いずれにしても、金堂とは別に本堂があるという当麻寺のようなお寺は珍しいです(ざっと調べた範囲では、有名な寺院だと、他に室生寺くらいです)。

 もともと当麻寺は、聖徳太子の異母弟の麻呂古王(日本書紀によると当麻氏の祖とされています)が開いた寺を、当麻国見(たいまのくにみ)が現在の地に移したとされる(あくまでも寺伝で、実際のところはよく分かっていないようです)、金堂を中心とするお寺でした。

 しかし、後世に中将姫伝説が有名になってしまい、もとから存在した金堂とは別に、中将姫お手製の曼荼羅をまつったお堂(曼荼羅堂)が「本堂」に昇格してしまったため、「金堂」と「本堂」が並存するという珍しい状態になったようです。

本堂にある受付にいって、本堂、金堂、講堂の拝観共通券を買います。国宝の本堂は瓦葺で、寄棟造(屋根の形状で、棟から4方向に傾斜する屋根面を持つもの)、平入り(床が長方形の建物で、広い辺の側に入り口があることをいいます)と、仏教寺院の本堂としては、オーソドックスな形をしています。

上記のように中将姫の織った曼荼羅をまつるお堂で、奈良時代末から平安時代初期に建てられたものが、平安時代末期に改造されて現在の姿になったということです。

 本堂の中央に立派な須弥檀(しゅみだん)があり、その上にやたらとでかい厨子が載っています。奈良時代末から平安時代の初期に作られたものといわれているそうです。

 厨子の中に飾られている曼荼羅(約4m×4mというでかさです。厨子がでかくなるのも当然です)は、まさしく中将姫により織られた伝説の曼荼羅・・・ではなく、残念ながら、室町時代に作られた複本ですが、それでもかなりの古さを感じさせます。というか、相当に傷んでいます。

ちなみにオリジナルは更に傷みが激しいらしく、原則として非公開になっていて、私もいまだに実物にお目にかかったことがありません。オリジナルの写真を見ましたが、思わず「傷み」を「悼み」と誤植したくなるくらい、相当に傷んでいます。

 阿弥陀様が中央に座っていて、その周囲を多くの菩薩が囲み、後方に描かれた横長の建物は平等院鳳凰堂のモデルになったということですが、退色に加え、曼荼羅の上に金網が張られているので、細かな部分までは分かりません。

ちなみに厨子の蓋(現在残っているのは鎌倉時代に作られた後補のものですが)は取り外されていて、時々、奈良国立博物館に展示されています。黒漆の地に金蒔絵というシンプルながら豪華な一品です。

 厨子の右側には中将姫の念持仏と言われる十一面観音像がまつられており、弘仁時代(平安前期。810年−823年)の作といわれています。

「奈良時代に亡くなったお姫様が、何故、平安時代に作られた観音様を拝めたのだろう?」という素朴な疑問は忘れて、素直な心でお参りしましょう。歴史考証というものは、少なからずロマンと対立するものです。(

2020年09月29日

◆戦争こそアメリカの景気対策

鈴木傾城


コロナ禍でアメリカは不景気に突入したと言えそうだ。しかし、戦争を起こせばアメリカの不景気や雇用問題は一挙に解決する。戦争こそアメリカにとっての雇用政策なのである。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)

【関連】10年後の日本を襲う在宅ホームレス問題。引きこもり老人が年金を食い尽くす=鈴木傾城


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、主にアメリカ株式を中心に投資全般を扱ったブログ「フルインベスト」を運営している。

「9.11」が宗教戦争の引き金に

日本ではもうあまり報道されなくなったが、アメリカ人にとって「9月11日」というのは特別な日でもある。言うまでもなく「同時多発テロ事件」が起きた日だ。

2001年9月11日。NYのツインタワーがハイジャックされた民間の航空機で攻撃されて崩れ落ちていく光景は、アメリカ人にとっては信じがたいものであった。この事件で約3,000人の命が一瞬にして失われた。

この瞬間、アメリカは「イスラム」に対して強烈な憤怒を抱き、そのまま一直線にアフガニスタン・イラク戦争に突き進んでいくことになる。

アメリカ人にとって、この事件は「イスラム教徒」が「キリスト教徒」に宣戦布告した戦争という捉え方になった。オサマ・ビンラディンが率いるイスラム過激派アルカイダ自身が「十字軍に報復を」と叫んでいた。十字軍とは言うまでもなくキリスト教徒たちを指す。

アフガニスタン・イラク戦争では、アメリカ軍は徹底的にイラクやアフガンを空爆していったのだが、これによって現地では多くのイスラム教徒が反米に傾き、その憎悪が後にISISのような狂った超暴力集団を生み出すことになった。

時のブッシュ政権は「これは宗教戦争ではない」と言っていたが、その実、やっていることはすべてのイスラム教徒を挑発して蜂起させるものだったのだ。客観的に見ると、これらの戦争は「宗教戦争」という側面もあった。

あれから約20年近く経った今、アフガニスタンもイラクもシリアも破壊され尽くし、アメリカも泥沼と化した戦争から何も得られないと分かって中東から引き上げている。

しかし、対立の根は消えたわけではないので、時代が変われば再び「キリスト教徒とイスラム教徒の対立」は再燃する。

戦争で儲かるのは誰か?

世界各国で、常に宗教問題・領土問題・歴史問題が戦争を引き起こしている。多くの人々は平和を望んでいるのだが、人類の歴史は対立と戦争で彩られている。この地球上で殺し合いがなかった年など存在しない。

しかし、殺し合いは自然発生的なもの以外だけではないと考える人も多い。「戦争は儲かる」集団がいて、彼らが起こるようにに双方を扇動しているのではないかと勘ぐる人もいる。


戦争が起きれば誰が儲かるのか。「死の商人」である。現在の「死の商人」は超多国籍企業と化しており、それぞれが国家と結びついて存続しているので「軍産複合体」と呼ばれるようになっている。

国家間や民族間で争いが起きれば、軍産複合体はそれを解決するのではなく、むしろ逆に対立がひどくなるように事態を「わざと」悪化させて、緊張を高め、武器弾薬を売り、自分たちが儲かるように仕向けるのだ。

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  体は「中国」に的を絞った=2020年9月22日 ニュース


at 08:04 | Comment(0) | 鈴木傾城

◆ウィグルの収容所で作られた品物ボイコット

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)9月26日(土曜日)通巻第6652号  

ウィグルの収容所で作られた品物ボイコット、関連企業裁
米国、9月30日期限を11月30日へ延長

 ウィグル制裁法を適用すると、かなりの米国企業が痛手を受けることが分かった。

強制収容所でウィグル人を労働させて作られる品物のボイコット、製造や販売に関連する西側の企業を制裁するなどの強硬措置を盛り込んだ法律は、9月30日までが期限だった。

トランプ政権下、財務省は11月30日まで期限延長を決めた。

理由は11月3日に迫った大統領選挙である。再選ムードが拡がってはいるが、まだまだ油断できない情勢にあり、とくにブルームバーグ元NY市長が、大金を投じてフロリダ州での民主党勝利を狙っての強化策に、大票田を失うわけにはいかないトランプ陣営としては防戦になる。

ウィグル自治区では「収容所」と称する強制労働所、あるいは洗脳教育として機能させる場が「職業訓練センター」と呼ばれている実態はすでに衛星写真などによって暴露されており、西側の人権活動家グループは、具体的な企業名をあげて、制裁を呼びかけてきた。

実はウィグルは綿花の栽培地であり、綿製品の繊維製品を生産する工場が幾つかあるが、ウィグル綿花を米国も大量に輸入している。また繊維機械などへの投資をなしている米国企業もあり、制裁期限のままに実行すると、失業者が米国にも大量に出ることになる。

雇用創出を前面に掲げて選挙に挑むトランプ大統領としては、失業率の低減との戦いでもある。雇用を拡大する必要が政治的になり、いったん決めた期限を延長することは、選挙対策である。
     
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●樋泉克夫のコラム ●樋泉克夫のコラム ●樋泉克夫 
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【知道中国 2138回】
         
 ──英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港20)

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 こで「鬼?小販」の根城でもある重慶大廈(CHUNKING
MANSIONS)について記しておきたい。それというのも、重慶大廈を知らずして香港を語ること勿れ、と思うからだ。

重慶大廈が完成した1961年、毛沢東が掲げた急進的社会主義化政策である大躍進が大失敗し、中国は大飢饉に襲われていた。大量の難民が飢餓地獄の中国から逃れ香港に押し寄せる「大逃港」と呼ばれる騒然とした時代であり、もちろん香港も貧しかった。

そんな時代に、九龍の先端部に位置する尖沙咀を縦に貫く弥敦道に面した場所に、当時としては最も高かっただろう17階建ての建物が出現したわけだから、誰もが見上げて驚いたはずだ。


壁面になんの意匠も施されず、四角い巨大な棺桶のような無骨極まりないビルではあるが、60年代初頭の香港では珍しかったエスカレーターが設けられ、高級宝石商が店を構え、豪華な夜総会(ナイト・クラブ)もあったというから、さぞや煌びやかであったろう。

60年代前半には映画スターや英国駐留軍幹部が邸宅を構えていたと説く人もいれば、完成から程なくしてゴミ屋敷同然の惨状だったとの証言もある。
想像するに安普請で、高層ビルのマガイモノだったのではなかろうか。香港製がニセモノの代名詞の時代だった。

60年代後半から70年代初頭にかけて、一帯にはヴェトナム戦争のニオイが漂っていた。休暇で香港を訪れる米兵が屯し、彼らの求めに応ずる若い女性たちの嬌声が飛び交っていた。

土産物を漁るのは、帰還する韓国軍兵士だった。兵士らと入れ替わるようにやって来たのが海外からの観光客であり、バックパッカーやヒッピーだった。

1階の目立つ場所は観光客相手のポルノショップや両替店に、2階以上は安宿に、いつしか模様替えしていた。


安宿が増えれば世界各国──ことに南アジアやアフリカからの漂泊者が定住する。そこで一般の住人は出て行ってしまう。かくて出現した人種の坩堝のような空間では、南アジアを中心に世界各地の言語が飛び交い、彼らの旺盛な生活力が発揮されることになる。国際化などという言葉が日本で話題になる遥か以前に、尖沙咀に一角の老朽ビルには国際社会が出現していたのである。


尖沙咀の裏町で飲み明かした時などは、安宿にお世話になったことも屡々だった。迷路のように入り組んだ廊下を倉庫代わりに、南アジア、中東、アフリカの人々が立ち働き、天井には電線がのたうち回るヘビのように張り巡らされていた。おそらく住人が盗電気味に外から勝手に電線を引いていたに違いない。

当時、重慶大廈の名物は火事だった。大袈裟な表現だが、重慶大廈の前の弥敦道には消防車が常駐しているかと思えるほど頻繁に火災を起こしていた。タコ足配線が原因だったと思われるが、火災保険目当ての詐欺まがいの失火も珍しくはなかっただろう。

2020年現在の状況は不明だが、2008年の記録を見ると、重慶大廈の権利所有者は920人。そのうち549人が個人住宅で、371人が店舗。30%ほどが南アジア系で、残りの70%の大部分は中国大陸系。香港生まれは極く少数ということからも、香港の中国化の姿が窺えるはずだ。その典型例が、1997年の返還前後から長く所有者組合理事長を務める林惠龍だろう。

福建出身の彼女は、トウ小平が開放政策をブチ上げた79年に香港にやって来ている。電気製品工場などで働いた資金を元手に、重慶大廈で安宿経営の権利を買い取り、やがて所有者となり、1994年には所有者組合理事長へ。

年1回開催の組合主催宴会で飛び交うのは英語にウルドー語。これに次ぐのが中国語、ヒンディー語、スワヒリ語、フランス語、ベンガル語、パンジャブ語など。

もちろん誰もが流暢な広東語を話すから、組合員に共通語は広東語になる。「現代の九龍城」で呼ばれるほどに魑魅魍魎の住む重慶大廈は、また香港で最も国際化された社会でもある。
重慶大廈は、香港版国家安全法下の香港社会をどのように生き抜くのか。
      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ■読者の声 どくしゃのこえ READERS‘
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(読者の声1)貴誌前号「雅びの日本文化を破壊する懼れがあるが。『大阪都』構想再批判」について、これまでに多くの方々がメディアでご意見を述べられていますが、正直、大阪都構想に関しては、もうわけがわからなくなっています。

反対派の言論活動のやり方にも、これが本当に正論化、というようなものが見受けられますし、急先鋒?でおられる、藤井聡さんの言論活動には、彼ご自身「大阪都構想が日本を破壊する」も読みましたが、どうも「きめつけ」や「論理の飛躍」を感じてしまい、どうもひっかかるのです

また、他でもよく見かける、二重構造を解消してもコストは下がらない、などの意見も果たしてどうなのか、ますますわからなくなっていました。

というわけで、宮崎先生のコメント『「行政改革の一環としての二重構造の解消、行政の効率化が目的としているこ
とは賛成である」を読んで、霧がはれたかのように安堵した次第です。

ところで、先生のご指摘である「都」という名称の件ですが、宮崎先生に物申すのは本当に恐縮なのですが、書かせて頂きます。

これは大阪の「都構想」というのが、「大阪市の24区を、現行の「東京23区」と同じ制度にしようという構想だということを、即イメージできる?という意味合いで「都」構想と呼んでいるだけで、「都」という名称自体には意味はありません、その構想内容が広く伝わりやすいのであれば、どんな呼び方であっても構いません。」

というような説明を、かつて橋下氏から直接なにかの折、もしかしたら区民センターで行われたタウンミーティングだったかもしれませんが、そういった公の場で聞いたことがあるからです。

 万が一、大阪都構想が可決されたとしても、大阪府や大阪市に都の名称が付くことはないと思うのです。
   (匿名希望)

  ♪
(読者の声2)菅新首相が、首相就任前後の超多忙の中、竹中平蔵氏と会食したという報道には、小生は呆れ果てたのですが、下記によると、「竹中平蔵氏との会食は『怠け者は嫌い』という菅政権の方向性のあらわれ」だそうです。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/335884990a7e8d40a7bb72a41988d893571191e1

物事というのは、当然のことながら、いろいろな見方があることは当然でしょうが、辛坊治郎なる人物によると、「(菅新首相は)かなり初期に会っているのが竹中平蔵であることから言うと「新自由主義」というか、『まず自助からやりましょう』と、自分で努力することが大切であるということを出発点にしている思想や経済運営であること」だそうです。

菅首相と竹中氏に「共通しているのは「努力が大切」という意識と「怠け者は嫌いだ」ということです」ということだそうです。

佐々木実著『権力と市場』が、新潮ドキュメント賞を受賞した際の藤原正彦氏による選評を、再度引用します。
 「(竹中氏は)学界と政界を遊泳した『一代の詐欺師』との感を深くする。この人物の巧みな弁論術にここ十数年、政治家、マスコミ、そして国民が欺されてきた。

彼は今も安倍政権に食い入っている。何故にかくも多くの人々が、かくも長期間、かくも簡単に欺されてきたのか。真贋を見抜く力を失った国民、これは民主主義の根幹に関わる問題」。

この「一代の詐欺師」(竹中)は、今や、菅政権にまで食い入ろうとしている。いや、菅新首相は、自ら取り込まれようとしている。呆れるほかない。もう一度繰り返します、「呆れるほかない」。

私の評価なり、感覚が誤っているのでなければ、わが国はとんでもない人物を内閣総理大臣に選んでしまったのではないかと思います。西尾幹二氏が小泉元首相について論じた著書に『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』(2005年、PHP刊)がありますが、私は『「見識がゼロの番頭」で日本は大丈夫か』と思ってしまいます。

小泉・竹中によって破壊された日本国は、菅新首相によってさらなる奈落に突き落とされるのではないかと思うと、暗然となってきます。

西尾幹二氏は、上記著書で「(小泉政権は)われわれを何処へ連れて行くのか分からない根本的な無知を宿しているように見える」と述べておられますが、あれから15年、いったい日本国はどうなっていくのでしょうか?
   (椿本祐弘)

  ♪
(読者の声3)「満州国興亡史」講演会のお知らせです。



とき    10月24日(土曜)午後230−430
ところ   文京シビック26階{スカイホール}
講師    田中秀雄(日本近現代史研究家)
演題    「いま満州国はどうなっているか」
参加費   1000円
問い合わせ (090)6709−9380(佐藤)

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(読者の声4)「サイレント・インぺーションを許すな、緊急国民集会」のお知らせ。

レッドチャイナの「静かなる侵略」が日本でもとうに、しかも本格的に始まっています。実態を議論し、対策を考えるべき時です。



とき      10月2日(金曜) 午後1330−1600
ところ     衆議院第二議員会館 多目的会議室
登壇      山岡鉄秀、中村覚、ペマ・ギャルポ
参加費     無料
要領      1300より一階ロビィで係員が待機し通行証をお渡しします
主催      日本の主権を守る会


◆中国空軍「パクリPR動画」は油断を誘うため

黄文雄


米中間の緊張がかつてないほど高まる中、21日に中国人民解放軍が発表したミュージックビデオ(MV)が話題となっています。

台湾出身の評論家・黄文雄さんはメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、その意図を「台湾に対する圧力」とし、これまで繰り返されてきた中国による台湾への卑劣な威嚇行為を列挙。さらに今回のMV製作から透けて見える「中国共産党の窮状」を暴露しています。


プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)

1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【中国】人民解放軍「文攻武嚇」PRのお粗末ぶり

● 中国軍がMV「きょう開戦したら」発表 台湾に圧力


9月21日、中国人民解放軍で台湾海峡などを管轄している東部戦区が、戦意高揚のためのミュージックビデオ(MV)を発表しました。「もし今日開戦したら(假如戦争今天爆発)」という歌にあわせて、解放軍兵士の訓練やミサイル発射などの場面が次々と展開されるMVです。

人民日報系の環球網のニュースから、このMVは見ることができます。

● 东部战区:假如战争今天爆发,这就是我们的回答!

「もし今日開戦したら」という歌は、現在つくられたのではなく、以前からありました。今回、東部戦区は新たなビデオを作成したのですが、それは台湾に対する圧力のためだとされています。以前のMVは以下で見ることができます

中国は、台湾に対して、つねに武力と同時に言葉で脅しをかけてきました。このことを「文攻武嚇」といいます。言葉で攻撃し、武力で威嚇するという意味です。

1996年に台湾で最初の総統選挙が行われた際、李登輝に投票することは戦争を意味するというメッセージを込めて、台湾海峡に向けてミサイルを発射しました。その結果、アメリカは台湾海峡に2つの航空母艦群を投入し、中国の台湾侵攻に対してアメリカが介入する姿勢を明確に示したのでした。

その後も中国の台湾への恫喝は続きましたが、そうした中国の威嚇行為はすべて裏目に出ています。台湾人はますます中国と距離を取りたいと思うようになったからです。

2019年1月には、「台湾同胞に告げる書」40周年記念大会の講演で、習近平主席は台湾に対して「一国二制度」を受け入れるように求め、拒否するなら「武力統一を絶対に放棄しない」と脅迫しました。しかし蔡英文総統は、この演説に即座に反論、これにより、それまで過去最低だった支持率が急速に回復し、2020年1月の総統選挙で史上最高の得票率で再選されるに到ったのです。

今年の9月20日には、中国人民政治協商会議の汪洋主席が、「台湾には両岸の交流や協力を阻む者がいる」と述べたのに対して、台湾の大陸委員会は「北京側の『文攻武嚇』こそが台湾海峡の情勢のリスクを高める原因だ」と反論しました。

● 大陸委「北京の文攻武嚇こそ情勢悪化の原因」 中国高官に反論/台湾

台湾側の反論を証明するかのように、人民解放軍が「もし今日開戦したら」のMVを発表したわけです。

このMVのニュースは、もちろん台湾でも大きく報じられました。

?台湾侵攻計画に焦り:

at 07:58 | Comment(0) | 黄 文雄

◆私の古寺旧跡巡礼 当麻寺@

石田 岳彦

<私は大阪で弁護士をしています。大学生時代からの趣味で、社寺、名勝、旧跡から、明治以降のいわゆる近大遺産まで、九州から東北まで(そのうち北海道にも行きたいです)、「歴史的なもの」を見て回っています。今回「私の古寺旧跡巡礼」と題して綴ってみました>。
 
さて本題―。奈良県葛城市(旧当麻町)にある「当麻寺」というのは、不思議なお寺です。

国宝の仏像、曼荼羅、厨子、本堂、2基の三重塔、梵鐘、重要文化財多数を持っているという文化財の宝庫で、「古寺巡礼」、「日本の寺院100選」といった書籍、雑誌の特集があれば、必ず名前のあがるという古寺巡りや古文化財のファンの間では常識というか、知らない人はもぐり扱いされるという有名なお寺ですが、世間一般の知名度は高くないようです。

 おそらく、奈良、飛鳥、斑鳩という奈良県内のメジャーな観光地から離れたところにあるので、観光客が少ないことが原因でしょう。観光ガイドの扱いも微々たるものです。

もし、奈良市内にあれば、東大寺や興福寺は無理でも、薬師寺や唐招提寺なみにはメジャーになれたであろうという、ある意味とても不運なお寺といえます。

もっとも、奈良市内にあったならば、上記の文化財の少なからずが、戦火に巻き込まれて灰になった可能性もありますが。

ところで、当麻寺の最大の売り物(?)は、中将姫伝説です。

中将姫は、奈良時代の貴族のお姫様で、継母に度々、命を狙われるという苦難を乗り越え、阿弥陀如来の導きによって極楽浄土の光景を描いた曼荼羅を織り上げ、極楽浄土へ旅立ったとされる伝説上の人物です。

これが、「本当は怖いグリム童話」なら、シンデレラのように、継母の目を鳩がほじくったり、或いは、白雪姫のように、継母に焼けた鉄の靴を履かせたりといった感じのハッピーエンドになるところですが、そういう物騒な展開はありません。仏教説話ですから。

 継母がその後、地獄に落ちて、閻魔様に舌を抜かれるという因果応報的な後日談はあるかも知れません。仏教説話ですから。

近鉄南大阪線の当麻寺駅を出て、まっすぐ西を目指します。駅から出発してまも無く、右側路傍に当麻蹴速(たいまのけはや)の墓、とされる五輪塔があります。

 この蹴速は、垂仁天皇の時代の人で、天下最強を宣言して挑戦者を募っていたところ、垂仁天皇の命で、出雲からやってきた野見宿禰(のみのすくね)と相撲をとることになり、宿禰に蹴り殺された(当時の相撲は今よりもかなりバイオレンスなルールだったようですね。)という、色々な意味で「痛い」人です。

もっとも、垂仁天皇(日本書紀等の記述によると紀元前1世紀から1世紀にかけて在位。卑弥呼よりも前です。)自体、実在が危ぶまれている状況ですので、この話も歴史というより、伝説の部類です。

この蹴速と宿禰の対戦が、わが国の相撲の始まりとされているそうです。すぐ近くに相撲館という、相撲資料館まで建てられています。中将姫と当麻蹴速とおぼしき男女のかわいらしいキャラクターのイラストがポスターに載っていました。今、はやりのユルキャラというやつでしょうか。余計なお世話だと思いますが、かなり幸の薄そうなカップルです。



駅から歩いて15分ほどで大門に着きます。境内の東端に建っている楼門で、古寺にふさわしい風格です。大門を入ってすぐ、正面には鐘楼があります。国宝の梵鐘を「吊ってある」お堂です。

「吊ってある」というのは、一見、梵鐘が吊られているように見えますが、実は下に台が設けられていて、梵鐘はその上に置かれているからです。以前にお寺の方から聞いた話では、十数年前まで当麻寺には鐘楼は存在せず、梵鐘もいずれかのお堂に置かれていたそうです。

その後、鐘楼が再興され、それに合わせて梵鐘を鐘楼に吊るすことになったものの、いざ、吊るそうという段になって、龍頭(梵鐘を吊るすための上部にある輪状の突起)にひびがあるのが発見され、吊るすことができなくなってしまいました。

にもかかわらず、「せっかく再建したのだから鐘楼に梵鐘を飾りたい」ということで、こうなったようです。観光ガイドにも載っていない、思いっきりどうでもよいトリビアといえます。(つづく)

<福岡県福岡市出身、福岡県立修猷館高等学校、京都大学法学部卒業
   大阪弁護士会・弁護士>

2020年09月28日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(82」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/192(2020/9/26/土】人間に一番近い動物はチンパンジーだという。見た目は愛嬌があるが、意外に嗜虐的であり、ボスの座から落ちた者を寄ってたかってイジメ殺す、死後も凌辱する、そして熱狂が覚めて冷静になると、ボロボロになった死骸を見て「何でこんなに酷いことをしてしまったのだろう」と悲しげな素振りをするらしい。



反省するわけだ。事の一切を観察し続けていた動物学者はその様子を見てびっくりしたという。小生だってびっくりだ。反省するチンパンジーもいれば、ちっとも反省しないし、それどころかもっと残酷な殺し方を発明したいという、殺生を好む人間、チンパンジー未満もずいぶん多い。



「奴は敵だ、敵を殺せ、見せしめになぶり殺せ」というのは原始人の頃からあったろう。狩猟採集の縄張り争い。生存空間を守り、かつ拡大していかなければ群や部族が駆逐される。やがて合従連衡、通婚などで大部族、さらに国へと大きくなっていったのだろう。部族間で争うよりも交易(物々交換)、交際(遺伝子交配)した方がいいと分かってきたのだ。


統一国家らしきものが始まり、支那や半島の影響もあって600年頃には冠位十二階、十七条憲法を制定、国家の体制が固まってきた。その過程で神道という勇壮な「日本人の物語」が整い、一方で穏やかなマナーを良しとする仏教が伝来普及したこともあって、日本の場合は「残虐な処刑は恨みを買うから」と忌避されていったのかもしれない。


海に囲まれた小さな、コンパクトな、人口の少ない、単一民族だったから統治しやすい、それ故に過酷な刑で抑えつける必要が薄かったのだろう。あらゆるものに神性が宿っているという古代からの日本的シャーマニズムの影響が大きいかもしれない。


封建体制から国民国家へ大転換した戊辰戦争の戦死者数8420人(新政府側3550人、旧幕府側4690人)。当時の人口の0.03%以下・・・慶喜、西郷、勝らが必死になって衝突を抑え込んだからだ。「和を以て貴しとなす」の教えがあったからこそ、新時代へ向けて国力を温存できたのではないか。


藩別の戦死者は薩摩514人、長州427人、そして会津2557人(うち女性194人)。京の治安を命じられた会津は薩長の恨みを一身に浴びてひどい目に遭った。今、石光真人編著「ある明治人の記録 会津人・柴五郎の遺書」を読んでいるが、最果ての下北半島に追放された悲惨さは読むのが耐え難いほどだ。


「薩長許すまじ」、表には出さないけれど恨みつらみの無念の思い・・・会津人の気持ち、分かるなあ。


<会津藩は戊辰戦争の際には庄内藩とともに、プロイセン王国(後のドイツ帝国)に対して、駐日代理公使ブラントを通じて蝦夷地(北海道)に持つ所領の割譲を提案し、その見返りとして兵器・資金援助や軍事介入を得ようとしていた。


プロイセンは普仏戦争の直前で余裕がなかったことから宰相ビスマルクによって1度は拒否されたが、3週間後に一転して認可された。しかし既に会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており実現しなかった>(WIKI)


英は薩長支援、米は南北戦争中、仏は恭順の幕府支援、孤立した会津はすがる思いでプロイセンに支援を求めたのだ。当時、日欧の通信は片道2か月はかかったから戊辰戦争が長引けばドイツの援軍で「会津による政権」はあり得たかもしれない。


なるほど、そういう経緯があるからビスマルクは日本の政情に通じ1873年、伊藤博文、大久保利通ら遣欧使節団を前に「欧米列強の甘言に騙されるな、植民地にされるぞ、独立のためには列強に負けない軍事力、経済力を持つべし」とアドバイスしたのには上記の会津の支援要請が背景にある訳だ。


1871年統一という遅れてきた青年“ビスマルクのドイツ帝国”としては「アジアを英仏米の好き勝手にはさせない、日本を勢力均衡の駒として使える」という思惑があったろう。さすが鉄血宰相は「硬くて食えぬ奴」だ。


閑話休題。吉野直哉著「張家三代の興亡 張有財・張作霖・張学良」によると、毛沢東は「死刑の方法は120あるが、半分は俺が創った」と豪語していた。まあ、話半分のまゆつば物だろうと思っていたが、楊海英著「中国人の少数民族根絶計画」にあった実に多種多彩な殺し方を見て、毛沢東の言葉は真実ではないかと恐ろしくなった。


日本でも江戸時代には笞打、石抱責め、水責め、海老責めなどの拷問はあったが、真偽はともかく「白状させる」のが目的で、責め殺したり誤認逮捕は役人の失点になったという。それなりに慎重で、石抱責めは医師の監視が付いていたとか。


中共の処刑、拷問はほとんどが強者が弱者を苛む集団リンチ、「正義を装った嗜虐、民族浄化、派閥抗争、私闘」そのものだ。内モンゴル出身の楊海英氏の著作から引用、要約する。


・兄貴たる中国人=漢族が中心となって弟の諸民族を同化し融合していくべきだという「中華民族」論がある。習近平の「中華民族の偉大な復興」論の背景だ。チベット人、ウイグル人、内モンゴル人(列強のヤルタ密約で南北に分断された南側、南モンゴル)をジェノサイドによってでも同化させるという意味である。


・内モンゴル人は同地での文化大革命を「モンゴル人のみを対象とした殺戮行為」と認識している。満洲国では日本式の近代教育を受け、近代思想を身に着けたモンゴル人たちを、中国人は「日本刀をぶら下げた奴ら」「日の丸を担いでいた奴ら」などと呼び、「対日協力者」だと批判、断罪した。


・モンゴル人の民族自決を目指した歴史も「祖国を分裂させようとした行動」だと、中共建国から17年も経ってから批判し始めた。モンゴル人の近現代における行動はすべて罪として再清算され、周恩来の支持により大規模なジェノサイドが内モンゴルで始まった。


・1966年5月、モンゴル人の最高指導者ウラーンフーが失脚に追い込まれ、67年11月から「ウラーンフーの黒い路線を抉り出し、毒害を一掃する」「内モンゴル人民革命党員を粛正する」闘争が始まった。


ウラーンフーは中共建国より2年半も早く成立した内モンゴル自治政府(後に自治区)のリーダーで、中共が標榜する「民族自治のシンボル」だった。それが一転して「反党叛国集団」「民族分裂主義者」と非難されたのは、モンゴル人の伝統的な遊牧生活の維持を主張し、中華的な定住・農民化と、漢族の入植(乗っ取り)に否定的だったためだ


要は中共は民族自治を排除し、内モンゴルから民族主義的なモンゴル人を追放し、完全に漢族の入植地にしたかったということだ・・・


「中華民族の偉大な復興」とは「漢族以外は奴隷にする」ということだ。(この項は次号に続く。雨の中散歩して体調を崩し、パワーダウン)


◆【変見自在】傲慢な田舎者

高山 正之
 

まだ支那の公安警察が今ほどでないころ、南京とその辺りを旅した。

 同行の一人に獨協大学名誉教授の故中村粲(アキラ)氏がいた。

 元気のいい人で「支那人と本多勝一が言う南京大虐殺が本当にあったかどうか、現地で日支シンポジウムをやろう」と北京に申し入れた。日取りも南京陥落の日に決めていた。

 そんなことをやられたら南京大虐殺がもろ作りものだとばれてしまう。

 支那のお先棒を担ぐ朝日新聞も困るけど、日本にODAをたかっている最中の支那はもっと困る。

 で、江沢民は出かける間際の教授に入国禁止を通告してきた。ひどい話だ。

 旅券番号は記録されている。それが終わるまで観光でも支那には入れない。

 そして10年。やっと旅券を更新して、今回のお忍びの旅となった。

 ただ北京が要注意人物の顔認証システムを入れていたら即捕縛という事態も予想される。出入国や移動時には「後ろについて見張っていて」と頼まれた。

 で、南京に飛んだ。入国は問題なく。まずは南京大虐殺館を覗いた。土井たか子に村山富市、本多勝一の日奸トリオの写真が飾られていたが、本物はそれだけ。

 あとはみな紛(まが)い物。闇の中に荘重な音楽と映像が流れる入口の作りはエルサレムのホロコースト記念館のエントランスとそっくり同じだ。

 息絶えた我が子を抱く母の像はワルシャワ・ゲットー記念館のネイサン・ラポポートの像に酷似し、中庭にある犠牲者の名を刻んだ「壁」は「遠目に見たワシントンDCのベトナム戦争慰霊碑」と言われる。

 南京大虐殺には一片の真実もない。ゼロからでっち上げれば、どうしてもこういう風になる。

 中華門の南、雨花台も行った。毎日新聞記者、浅海一男の「百人斬り」の与太話を唯一の証拠にして向井敏明、野田毅両少尉がここで銃殺された。

 浅海は「日本軍は残虐」を証明した功績で戦後、北京に豪邸が与えられ、娘は北京大に入れてもらった。

 シンポが開かれていたら彼女も呼ばれ、父の不実を語っていただろう。

 梅花山も登った。頂きには日本と組んだ南京政府の汪兆銘の墓地跡がある。

 墓は暴かれないよう5トンの鋼入りコンクリートで覆われていたが、重慶から戻った蔣介石により爆破され、棺は引きずり出され辱められた。

 墓地跡には縛られた汪の像が置かれ、人々は石を投げ、唾を吐きかけた。

 訪れたとき、像は撤去されていたが、墓を暴いて辱める倣いはいまだに息づいている。あの周恩来たケ小平ですらそれを恐れて墓を作らず散骨した。

 そうやって歩いた南京の印象は人情も含めていがらっぽく黄色に霞んでいた。

 かつて杜牧はそんな南京の景色を七言絶句に詠んだ。

 「千里鶯啼いて緑紅に映ず/水村山郭酒旗の風/南朝四百八十寺/多少の楼台煙雨の中」と。

 支那人はそのころから黄色を瑞々(みずみず)しい緑と言い習わしてきたのだろう。

 旅には通訳の元締めを装った公安がつき、こちらの話に耳を欹(そばだ)てて「支那と言うな」「言って何が悪い」と悶着になったのを除けば旅程は滞りなく消化できた。

 北京空港で教授が無事出国手続きを終えるのを後ろから確認した。

 ほっとしたところでこちらが別室に呼ばれた。

 いやいや引っ張るなら前の中村粲か前の前の宮崎正弘だろがと言い逃れようとしたが無駄だった。周庭の気持ちがよく分かった。

 やることが一々汚い。それで振る舞いは尊大とくる。

 先日そんな一人、外相の王毅がEU諸国を回って米国に同調するなと脅した。

 ノルウェーには「香港にノーベル平和賞を出すな」と脅した。10年前、劉暁波に出したときは支那は鮭缶の輸入を断ち、ノルウェーは随分泣かされた。

 しかし今度はEUが応援した。プラハ市長は王毅を「無礼で野卑で傲慢な田舎者」と言った。

 友好より彼らの本質を研究して、今度こそ国際世論の潮流に棹さそう。

 出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)10月1日号

    【変見自在】傲慢な田舎者

著者:高山 正之

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『週刊新潮』 令和2年10月1日号

松本市 久保田 康文さん採録