2020年11月10日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(102」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/202(2020/11/8/日】昨日は7歳女児の七五三祝
い。小生のシマのはずれにある「身代り不動尊大明王院」で健康長寿を
祈ったが、少子化とコロナ禍で人出は往年の10分の1。ちょっと寂しいね。


女児はこれからの人、小生はこれまでの人、三島由紀夫はあの世の
人・・・三島由紀夫(1925/大正14年−1970/昭和45年)45歳没。自決から
50年だ。


<晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」
を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ
谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーで
クーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた>(WIKI)


小生の父は大正11年生まれだから、三島より3年先輩だが、まあ同世代
だった。終戦の1945年に父は23歳、近衛兵として宮城(皇居)占拠に動員
された。8月15日に予定されていた「大東亜戦争終結ノ詔書」の放送を止
めるために天皇陛下の肉声による玉音盤(事前に録音したレコード盤)を
奪い、連合国との戦争を継続するのが目的だった。


<宮城事件(八・一五事件)は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から
15日(日本時間)にかけて、宮城で一部の将校と近衛師団参謀が中心と
なって起こしたクーデター未遂事件である。


日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺
害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城を占拠した。しか
し陸軍首脳部の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念し、一部は自殺
もしくは逮捕された。これにより日本の降伏表明は当初の予定通り行われ
た>(WIKI)


父にとって宮城事件は青春時代の「忘れ得ぬ体験」だったが、職業軍人を
目指していたから軍隊が消滅すれば人生設計を作り直さなければならな
い。退職金代わりの拳銃、実弾、靴、毛布、衣類、食糧を持てるだけ持っ
て両親と兄弟姉妹、兄嫁、甥、姪の暮らす実家に戻ったが、大家族なので
自立するしかない。


縁があって神奈川県高座郡座間町入谷のこぶ付き戦争未亡人の入婿にな
り、それに前後して父と馴染みのあったろう陸軍士官学校を1945年9月2
日、米軍が接収して「キャンプ座間」となり、神奈川県庁が基地で働く日
本人労働者を準公務員として募集した折に採用された。


その間の詳細は不明だが、父は戦友ネットワークを通じてキャンプ座間の
仕事を見つけ、さらに座間で農家(都市部は食糧難だが農家には売るほど
あった)の婿入りを目指したのではないか。そこに「精米所も経営してい
る大農家のこぶ付き戦争未亡人だけどどうかね?」という話があり、父と
しては「新車がいいけれど・・・あれこれ贅沢を言えるような時代ではな
いから・・・」と思いながらもその話に乗ったのだろう。


荷風の戦後・・・敗戦後、終戦後、停戦後、いろいろあるが彼は「休戦
後」と書いているが、休戦後の作品「にぎり飯」は空襲でそれぞれ家族を
失った男と女が結ばれる話を書いている。一人では生きていけないが、二
人なら困難を乗り越えて生きていく道が開かれるという、荷風にしてはめ
ずらしい市井の「道徳」めいた話である。


荷風はどこへ疎開しても空襲に遭うという悲惨と、その都度の友人たちの
好意で辛くも生き延びたが、この体験が「情けは人の為ならず、カネはも
とよりナサケも大事なんだなあ」と実感させたのだろう。


江戸時代から1960年頃まで、二人が好き合って勝手に結婚するのは獣と同
じ「野合」と蔑まれていた。恋愛感情がなくても周囲(縁結びのオバサ
ン、オジサン)が「これとあれをブリーディングすればいいだろう、家格
も大差はないし、所帯を持ってもまず困ることはあるまい。美男美女とは
言えないが、そんなもんは直ぐに慣れる、子供も3人はいけるぞ」てな具
合。一度お見合いしただけで結婚するというのは珍しくなかった。これを
「正式婚」と言った。


ブリーディングについてジャパンケネルクラブは「交配の良否、犬種の有
する遺伝性疾患について究明し、発症を防ぐために無計画な交配はしない
こと」と基本を訓示している。まずは理性的、科学的な判断が大事だとい
うことだ。

小生は「結婚式なんてどうでもいい」と父に言ったら、「結婚は家と家の
結びつきなんだ、お前は関係ない」と言われて、「ははん、結婚とはそう
いうことか」と妙に納得したものである。ご先祖様の血が小生にも流れて
いる・・・


正式婚の際には恋愛感情は結婚後に起きてくるから中古車でもあまり問題
ないのではないか。新車だって3年、5年で中古車、10年なら廃車だぜ。相
性が良ければ友白髪で「お前百までわしゃ九十九まで」、それで良し。
もっともお互いに「諦観」はあるだろうが。


父と母が口喧嘩して、父が「選りによって子連れの未亡人と一緒になるな
んて俺は不運だった」と愚痴ると、母は「何言ってるのよ、大事にしてあ
げたじゃない!」。父は黙ってしまった。父の浮気を母は見て見ぬ振りを
していたが、妾を作ったときはずいぶん怒っていた。数年後に別れたが、
その際には母が嬉しそうに妾に手切れ金を届け、その夜からまた同衾し始
めた時は、勝海舟風に言えば「さすがの俺もビックリさ」。まあ、夫婦は
いろいろ、人生いろいろだなあ。


「キャンプ座間」には在日米陸軍司令部が置かれ、父は残飯が豊富な厨房
の仕事から始めたが(「修一、お前は米軍の残飯で育った」とよく言って
いた)、すぐにMP(軍警、警備)に配属され、最後は結構出世した。視力
と運動能力、女癖が悪いが、頭は良かったから昇進試験をクリアしていっ
たのだろう。米軍の軍需物資の横流しで蓄財するという悪知恵も働いた。
まったくラッキーストライク様様だった。


三島はなぜ自決したのか。その時、小生は大学2年の19歳、慶応大学日吉
校舎に近い先輩のアパートで徹夜で花札に興じていた。昼過ぎにラヂオで
知ったが、何のための自決か全然分からなかった。彼の作品「金閣寺」は
今読み直しても相変わらず分からないが、その時は「防大出のエリート相
手ならともかく、一般の兵に演説したって仕方がないだろうに・・・三島
は死にたかったんだろうなあ」と思ったものである。


太宰治と三島由紀夫。早く死にたい、それなりに(カッコ良く、あるいは
滑稽的に)逝きたいという願望があったのではないか。


<2人が出会ったのは、昭和21年12月のこと。当時太宰治は37歳。売れっ
子ではなかったものの、若者にはかなり人気がある作家だったようです。
三島由紀夫は21歳。大学に在学中でしたが、既に短編小説が何作か雑誌に
掲載されたことがあったのだとか。


編集者の野原一夫(『回想 太宰治』の著者)が後輩の学生たちに頼まれ
て、太宰と三島の出会いをセッティングしました。


三島は常日頃から太宰の文学批判をもらしていたらしく、それを聞いてい
た友人たちの間で「面白そうだから太宰と三島を会わせてみよう」という
話になったようです。


太宰は酔っ払って学生たちとワーワー盛り上がっていたようなのですが、
そんな中で三島は太宰に面と向かって辛らつな言葉を浴びせます。


「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」


太宰に会いに行く道々、このひとことをどうしても太宰に言ってやろうと
心に決めていたのだとか・・・なぜ三島はそこまで太宰の文学を嫌ってい
たのでしょうか?


「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなん
だよな。なあ、やっぱり好きなんだ」


三島によると太宰はこう返したという>(うらなか書房「太宰治と三島由
紀夫のただ一度の出会い 僕は太宰さんの文学はきらいなんです」)



太宰は30代で死にたかった。「津軽」から。


<「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ」「あなたの“苦しい”は、お
きまりで、ちつとも信用できません」


「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十
八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七」


「それは、何の事なの?」「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐ
る。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時
が、一ばん大事で、」「さうして、苦しい時なの?」


「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わか
つてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、気障きざになる。
おい、おれは旅に出るよ」>


うーん、上手いなあ。こんなおちゃらけた文章を書ける太宰なら、いささ
かとんがったような三島青年に「そんなことを言ったって、こうして来て
るんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と
言ったかもしれない、「こいつ、なんか俺に似ている、かっこつけて見せ
るというオチャラ系みたい」と苦笑したのではないか。


三島が自決した1970年には過激派=極左暴力集団の勢いは急速に衰えてい
た。60年安保の熱情が冷め切らない一方で日本経済は高度成長に酔い痴れ
ており、1965〜68年あたりに入学した学生の就職は「広き門」だった。必
死で学問をし、いい会社に入って、親の恩に報いるという、立身出世の価
値観が衰えて、それに代わる「何のために学ぶのか、生きるのか」という
価値観を模索していた時期ではなかったか。


ソ連や中国式ではない「新左翼的共産主義幻想」は正義が大好きなさ迷え
る若者、「青春彷徨病患者」に心地よい場を与えたのだが、1970年6月14
日の安保粉砕デモは全国で150万人が参加したというものの、機動隊がい
なかった! 敵から見放された! おまけに電車がフリーパスだった! 
新左翼の機関誌みたいな朝日ジャーナルは「壮大なゼロ!」と銘打った。


これで日本の新左翼過激派運動は終わったのである。三島の敵どもは大学
に戻ったり、就活を始めたり・・・三島は本来は1968、69年あたりに自裁
すれば良かったが、70年11月はすでに宴の後だった。ただ、過激派の凋落
が早過ぎたというきらいはある。


三島はクソ真面目に「文化防衛論」(1968年)「反革命宣言」(1969年)
などを発表したが、小生など現場の学生は何となく時代の風潮に何となく
乗っかったような、思考力が半分停止した、カネはないが暇はうんざりす
るほどあるストレイシープで、結果論からすれば三島が深刻に受け止め過
ぎたのだ。


太宰の美学では「30代で死ぬ」のが「優」、三島としては社会情勢的タイ
ミングもあるからその機会はなく、「40代前半で死ぬ」のなら「良」、現
実としてはぎりぎり「45歳の自決」の「可」しかなかった。45歳ならまだ
「血気盛ん」、西日ながらも「青年」の部にカウントされるかもしれな
い。それを過ぎたら「いい中年男が何やってんだか」と嘲われかねない。


美意識・・・三島の代表作でもある「金閣寺」には「美」の文字がやたら
と多い。老残は三島の美学に似合わない。己の心技体、社会の空気、歴史
の今といったものが奇跡的に一致するといいが、なかなか難しいこと。数
千年の大和男児のDNAはイザとなればすぐに甦るから、三島先生、あの世
から眺めていてください。


魂を ここにとどめて 日の本の 猛き心を 四方に示さむ(幕末維新時の土
佐藩士の辞世句)目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp


【変見自在】首相はペテン師

高山 正之 『週刊新潮』 令和2年11月12日号


だいぶ前、確かあの悪夢の民主党政権時代に宮崎正弘から電話があった。

 変わった経歴の持ち主で、70年安保のころ早大に入った。早稲田と言え
ば革マルの牙城で機関紙は「早稲田大学新聞」。

 彼は民族派の日本学生同盟に入り、革マルに対抗して「日本学生新聞」
を発行し、その編集長に納まった。

 後に三島由紀夫を介錯する森田必勝(マサカツ)はこの日学同の1期後輩にな
る。この因みに「憂国忌」(11月25日)は宮崎正弘が立ち上げ、今も代表
役員を務めている。

 そんな人物からの電話の用件は「ちょっと代わりに講演に行って喋って
きてくれないか」だった。

 血液型はA型だ。大方ダブルブッキングでもしたのだろう。こちらは暇
だったし、気安く引き受けた。

 「何を話すの」

 「適当な時事ものでいいんじゃない」

 で、某月某日、新幹線に乗って所定の会場に行った。

 身代わり講師は控室で少し待ったあと登壇した。

 講演では世相を憂え、ついでに当時の民主党政権の宰相菅直人にも触れた。

 個人的にはあの目つきが嫌だ。きょときょとして爬虫類を思わせる。

 学生運動は先頭に立ってやったが、機動隊が来ると後ろに隠れてトカゲ
のように逃げ回ったと聞く。

 ちょうどニューヨークでの短い日米首脳会談から戻ったころだったの
で、その折の話をした。

 オバマはその席で彼を「プライムミニスター(首相)」と役職名で呼ん
だ。「菅さん」とか親しみを込めて名前を呼ぶことはなかった。

 なぜオバマは「ミスターカン」と呼ぶのを躊躇ったのか。実は英語でカ
ン(con)と言えば詐欺師、ペテン師の意味になる。

 米大統領が日本の首相をつかまえて「ミスターペテン師」と呼ぶ。

 日本人の大方は言い得て妙というか、実に適切な表現と思うだろう。
「オバマも躊躇うことはなかったのに」と語ったら、会場はシーンと静ま
り返った。

 一瞬「あれっ」と思った。何で滑ったのか、首を傾げたものだ。

 まばらな拍手を背に講演を終え、「小宴の席でお待ちを」と別会場に通
されて吃驚した。

 あちこちにポスターが貼られ、そこには「民主党県連大会」とあった。

 ダメな民主党の生涯一度の晴れの秋に、彼らの無能を嗤い、挙句にお前
らの党首はペテン師が相応しいとやってしまった。

 後日、宮崎正弘に会ったとき、紹介者が紹介者だからまともな会と思い
込んでしまったと愚痴った。

 「あれ、言わなかったかな。でも現場に行けば元新聞記者だ、すぐ気づ
いただろうに」と取材力、観察力不足を指摘された。

 確かにその通りだ。以後、講演主催者や執筆先には十分注意するように
なった。

 まともな方の菅首相が学術会議新メンバーのうち6人を任命拒否した。

 彼らの素性は公表されていないから国民も戸惑ったが、例えば拒否され
た慈恵医大の小沢隆一は「赤旗」の常連だし、早大の岡田正則は民主主義
科学者協会の理事を務めていた。

 同じく任命拒否された加藤陽子も日弁連主催の講演会に出て喋り、雑誌
「前衛」に「参院選に向け」とか書いている。

 ここに挙げたのはいずれも志位和夫の共産党と深い縁がるものばかりだ。

 こちらは注意不足で勘違いしたが、小沢は何度も登場した「赤旗」が今
さら「共産党機関紙とは知らなかった」とは言うまい。

 加藤にしても「前衛」がいつの日か武装蜂起して政府転覆を謀り、天皇
家も抹殺する気でいる共産党の機関紙だということは百も承知のはずだ。

 もし国会で「共産党」と野次ったら首相ですら謝罪させられる。それほ
ど社会的には悪い印象しかない。

 そんなところと懇(ネンゴ)ろな関係を持ちながら「学術会議に相応しい公
正で清廉な学者です」と言ったて世間には通用しない。

 世間は他の連中の尻も洗え、6人だけで止めるなと言っている。



出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)11月12日号

    【変見自在】首相はペテン師

高山正之氏の本紙連載が、待望の文庫化!

『変見自在  トランプ、ウソつかない』(定価605円)絶賛発売中。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

◆取り急ぎ、米国大統領選について

クリス三宅


いよいよ、米国大統領選の投票が始まり、明日には開票結果がわかる。ま
あ、接戦であることは間違いないのだが、私はトランプが再選されること
を願っている。なぜか?バイデン政権になれば多くの事案がリセットさ
れ、中国との制裁も中途半端に終わるからだ。民主党には中国のスパイが
入り込み、中国系のロビー活動が盛んに行われている。

予測は難しいが、ペンス副大統領の経験と彼がサポートすることでトラン
プは再び蘇るだろう。


もし、トランプ大統領が小差でも勝利すれば、大統領権限を利用して、郵
便投票の開票を待たず、勝利宣言を出す可能性がある。何しろ今回も接戦
が予想される。全体票数ではバイデンが有利だが、選挙人制度のアメリカ
では前回と同じく、トランプが勝利する可能性もある。私はトランプの武
漢ウィルス対応は評価していないが、総合的にはトランプが再選される方
が日本にとっても台湾にとっても国益になると信じている。


トランプが武漢ウィルスに感染したことで出遅れた感があるが、今回の大
統領選は前回同様、開けてみないとわからない。メディアの多くはバイデ
ン支持だが、アメリカには民主党、共和党関係なく反メディアや隠れトラ
ンプ支持者が多いことである。今のアメリカでは、民主党の支持基盤が強
いカリフォルニアやニューヨークでは、トランプ支持と公言できないムー
ドが漂っている。


だが、選挙の結果次第やその後の対応次第では醜い状態となり、暴動があ
ちらこちらで発生するだろう。

今のアメリカは2分されている。かつての憧れの国も揺れに揺れている。
アメリカ人の価値観が変わり、道徳レベルも低下した。


アメリカの黒人差別問題が大統領選の焦点の一つとなっているが、警察に
よる黒人への厳しい対応は今始まったことではない。警察も確かにやりす
ぎ感はあったが、それは現状を知らない平和ボケの人たちがいうことだ。
常に危険が伴う警察官は、自分を守るためピリピリしているのだ。

1960年代のアメリカから黒人の地位は数段上がった。黒人と白人の
ハーフであるオバマが大統領になったくらいだ。その後、メディアに顔出
しする黒人が比率としては白人より多くなった。


問題は黒人の差別問題ではない。これは教育と貧困など経済の格差が問題
なのだ。黒人でエリートもいれば、識字率が低い地区や計算もできない黒
人、ヒスパニック、白人も増えてきている。麻薬の売人や中毒者も多い。


今回の騒動はバイデン派のメディアと運動家グループが中国の資金を利用
して煽って先導しているだけだ。
バイデン自身、中国から賄賂を受け取っている過去があることは指摘され
ている。


だが、人種差別やトランプ再選反対派のデモや黒人暴動が結果としてバイ
デン有利に働いているとも思えない。
暴動や略奪などで治安悪化が、法の監視の強化を求める人が増えている側
面もある。
警察の予算を削ると、わがままで自由を勘違いしている不届き者が、治安
を今以上悪化させ、無法地帯と化する。


今後、トランプが再選されれば、日本には圧力がかかり、対中国問題を含
めて選択や判断を求める場面が多く予想できるが、菅総理大臣の出方次第
で日本にとって良い刺激と化学反応が期待できると思っている。


残念なことだが、今の日本には多少の荒療治が必要。だが、事なかれで何
事も先送りする体制が当たり前になっている日本では、アメリカの外圧の
力を利用して先に進めるしかない。


選挙が終わっても1週間はすっきりしない大統領選になるだろう。こんな
こと初めてだ。コロナで世界中がオンラインで仕事を推進しているのに、
何か、時代に逆行した選挙になってしまった米国大統領選。かつてないほ
ど世界中が注目している今回の大統領選。アメリカに1日も早く渡航がで
きるためにも、アメリカがコロナを収束し、平和的に勝利宣言が行われる
ことを願う。(以上)

◆安珍・清姫伝説で有名な「道成寺」(御坊市)

石田 岳彦


長い階段を数えながら登ると確かに62段でした。上りつめたところには仁王門があり、当然のことながら仁王さんが立っています。門をくぐって左側には金属製の手水鉢が置かれていました。
 
小学校の音楽の時間に教わった童謡「道成寺」にある「62段の階(きざはし)をあがりつめたら仁王さん 左は唐銅(からかね)手水鉢」との歌詞は事実でした。しばしば追憶と感傷にふけります。

安珍・清姫伝説で有名な道成寺です。

大阪からJRの特急で御坊駅まで。そこから普通電車に乗り換え(本数が少ないので、時間的余裕と人数に応じてタクシーを利用するのがよいかと思います)、1駅行くと道成寺駅です。

改札を通り、踏切を渡って、駐車場と土産物屋(兼食堂)に挟まれた短い参道を通り抜けると冒頭の階段へ至ります。

62段の階段を登りつめ、仁王門をくぐると、正面に本堂、その右側(東側)には三重塔。いずれも江戸時代の建物で、相応に貫禄があります。

もっとも私の(おそらく、ほとんどの参拝客の)お目当ては、境内西側にある鉄筋コンクリート製の宝仏殿・縁起堂の中で待っています。

宝仏殿・縁起堂は1つ繋がりの建物で、仁王門から見て、手前の、入り口のある建物が縁起堂、奥が宝仏殿です。

縁起堂では、和尚さんが絵巻物(のコピー)を拡げ、安珍・清姫伝説についてユーモアを交えながら、絵解き説法をしてくださいます。説法は頻繁に繰返し行われるので、そう待たされることはないでしょう。

次に述べるように、安珍と清姫の伝説は、事件それ自体は極めて陰惨で後味の悪いものですが、和尚さんの語りのお蔭で、全く暗くなりません(それはそれで問題な気もしますが)。

時は平安時代前期の醍醐天皇の御世。安珍という若い僧侶が、熊野三山の巡礼のために奥州から紀伊の国にやってきました。

ところが、道中、安珍が土地の有力者の屋敷に泊まった際、その屋敷の娘である清姫は安珍に惚れてしまい、還俗して自分と結婚してくれるよう強く迫ってきたのです。

結果から見ると、ここで安珍はきっぱりと断るべきだったのでしょうが、清姫の執拗な懇願を拒絶し切れず、結局、巡礼を終えたら帰り道にまた清姫に会いに来ると嘘をつき、屋敷を後にしました。

その後、清姫は首を長くして安珍を待ちますが、約束の日になっても安珍は訪れません。清姫は屋敷を抜け出し、安珍を探し出しましたが、安珍は人違いだと嘘をつき、清姫を相手にしようとしません。

これも結果論ですが、安珍はここできちんとした謝罪のうえ、清姫と一緒になるなり、きっぱりと拒絶するべきだったのでしょう。清姫は悲しみの余り、半狂乱になってしまい、やがて蛇の化け物になり、安珍を猛追します。

安珍は死に物狂いで逃げ、道成寺に逃げ込み、寺の僧侶らに事情を話しました。僧侶らは鐘楼に吊ってあった梵鐘を下ろし、その中に安珍を隠しますが、清姫の化けた大蛇は梵鐘に撒きつき、火を噴いて安珍を焼き殺してしまい、自身は入水自殺してしまいました。お終い(実際の説法では、この後、夫婦円満その他の在り難い和尚さんのお話が続きます。)。

この事件は、記録(?)に残っている限り、日本で最古・・・かは知りませんが(未遂でよければ、イザナギ、イザナミの黄泉比良坂の件が最古の事例として挙げられそうです)、おそらく最も有名なストーカー殺人事件でしょう。

歌舞伎、謡曲等、様々な芝居の題材になっていて、道成寺ものというジャンルを形成しており、縁起堂にも様々な道成寺もののポスターが張っていました。

和尚さんの絵解き説法を聴き終えたら奥の宝仏殿に進みます。

道成寺の創建には複数の伝承があり、時期についてもはっきりしないそうですが、遅くとも奈良時代前半には建立されていて、古い寺宝・仏像も少なからず残っています。

その中で最も有名で、かつ特筆するべきものは、やはり国宝に指定されている平安時代の千手観音立像・伝日光菩薩立像、伝月光菩薩立像の仏像3体でしょうか。

肉付きのよい、がっしりとした体躯の堂々たるお姿です(ご多聞にもれず、写真撮影禁止なので残念ながら画像はありません。)。ここで、あれっと思われた方もいるかも知れません。

というのも、日光菩薩、月光菩薩は本来、薬師如来の左右を守る脇侍であり、他の如来や菩薩につくことは基本的に無く、また、千手観音は単体で祀られることがほとんどで、脇侍がつくことは、まず無いからです。
   
そういうこともあり、実のところ、この3体が1つのセットとして作成されたものか否かについては確証がなく、争いがあるとのことでした。

ちなみに奈良市の東大寺の法華堂では、千手観音ではありませんが、不空羂索観音と日光菩薩・月光菩薩という組み合わせが見られます。

こちらについては、日光菩薩と月光菩薩が後になってから余所のお堂より移されてきたのではないかとの説が有力なのだそうです。

大阪からはやや遠いですが、早起きをすれば余裕をもって日帰りできるはずです。白浜温泉への行き帰りに途中下車をして立ち寄るのもよいかもしれません。

2020年11月09日

◆コロナ民間臨調が描く政府


【阿比留瑠比の極言御免】 令和2年11月5日

 元朝日新聞主筆の船橋洋一氏が理事長を務めるシンクタンク「アジア・
パシフィック・イニシアティブ」が先月、緊急出版した「新型コロナ対応
民間臨時調査会 調査・検証報告書」を読んだ。船橋氏は東京電力福島第
1原発事故後の平成24年には、福島原発事故独立検証委員会(民間事故
調)を統括し、事故対応を報告書にまとめてもいる。

 今回の報告書は、安倍晋三首相(当時)、菅義偉官房長官(現首相)ら
政府の責任者83人が対象の延べ101回の聞き取りをベースにした労作で
ある。未知の新型ウイルス禍に対し、政府はどう考え、対処してきたか。
詳細は原書に当たってもらいたいが、興味深かった点をいくつか紹介したい。


  上陸拒否遅れの背景

 政府が3月5日まで中国全土からの上陸拒否措置を取らなかった背景に
ついては、報道では習近平国家主席来日の件が強く影響したとの見方が強
かった。だが、報告書は経済的な要因の大きさを挙げている。

 「大手自動車メーカー等から政府に対して、日系メーカーの工場等が集
積する広東省からの上陸拒否をしないで欲しいという強い要請が寄せられ
ており、政府としてもこの要請を無下(むげ)にすることができなかった」
(外務省幹部)

 政府内では、習主席と会談した天皇陛下が感染するようなことがあれ
ば、取り返しがつかないという議論もなされていたという。

 4月7日に発令された緊急事態宣言に関しては、小池百合子東京都知事
が3月23日、日本では法制上できない「ロックダウン(都市閉鎖)」を行
う可能性に言及したことで、政府が火消しに追われたことが指し示されて
いる。

 食料品の買い占めや根拠のない情報の拡散など動揺が広がったことで、
「誤解を解く必要があった」(安倍首相)ためである。

 「ロックダウン発言がなければ緊急事態宣言のタイミングは、あと一週
間は早められた」(内閣官房スタッフ)


  「子供たちを守ろう」

 3月2日からの全国の小中高などの一斉休校要請の決断については、報
告書は「学校がクラスターになってしまい、パニックが起きてしまうこ
と、その結果、子供から高齢者に感染が拡大するリスクを政府内で最も真
剣に懸念し、心配していたのは、安倍首相であった」と記す。

安倍首相は一斉休校の決意を文部科学省幹部に伝える際、「子供たちを守
ろうよ」と述べたとされる。

 一方で、布製マスク全戸配布に関しては、需給が逼迫(ひっぱく)する中
で一定の「値崩れ効果」(安倍首相)を生んだことは認めつつも、「政策
的狙いは十分理解されず、格好の政策批判の材料を与えた」と指摘する。

 前例のない危機にあって暗中模索、手探りで進めた対応だからこそ、今
後のためにさまざまな角度からの検証が必要なのだろう。

 ちなみに船橋氏は、福島原発民間事故調の報告書発表後の著書『カウン
トダウン・メルトダウン』でリーダーの等身大の姿を活写している。事故
発生から4日後の23年3月15日朝、東電本店に乗り込んで演説後、会議室
で経営陣と向き合った菅直人首相(当時)の様子がそれである。

 ≪そのうち、菅が舟をこぎ始めた。

 「総理、しっかりしてください」と寺田(学首相補佐官)は菅にささや
いた。

 寺田は、菅のこのような姿を大勢の前にさらしたくなかった≫

 一挙手一投足が注目されて丸裸にされる政治家は、因果な生業(なりわ
い)である。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

◆ダボス会議「グレートリセット」


で仕組まれる金融崩壊とコロナ後の資本主義=高島 康司

ダボス会議が発表したコロナ以降の世界計画「ザ・グレート・リセット」
の具体的な内容について解説したい。世界はどう変わるのか。この構想に
は日本も絡んでいる。(『未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマ
ガ』高島康司)

【関連】最悪の2020年、次に起きる大事件とは?米抗議デモを的中させた
専門家の警告=高島康司


※本記事は有料メルマガ『未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ』
2020年10月29日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に
バックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

明らかになった「ザ・グレート・リセット」の中身

世界の超富裕層と国際資本が集まる「ダボス会議(世界経済フォーラ
ム)」は、2021年のテーマとして「ザ・グレート・リセット」というテー
マを掲げた。

これは、新型コロナウイルスのパンデミックを契機にして、環境破壊や社
会的な格差の矛盾が限界に達した現在のグローバル資本主義の動きを一度
リセットし、環境や社会的格差に配慮した持続可能な資本主義へと方向転
換させてしまうという計画だ。

いわばこれは、既存の社会体制の本質的な変革を目指すものだ。

このダボス会議の「ザ・グレート・リセット」のコンセプトは、環境や格
差に配慮した持続可能な資本主義への転換といういう点では、基本的には
非常によい内容だ。

しかし、「ザ・グレート・リセット」の本当の内容はまったく異なる。当
メルマガの記事には何度も書いているが、筆者が交流している外資系シン
クタンクの研究員などは、「ダボス会議」に集結している勢力は、早くて
2021年から22年、遅くとも5年後の2025年までにはこのリセットを本格的
に実現するという。

彼らによると「ザ・グレート・リセット」の目標は、資本主義と民主主義
をリセットし、全体主義的な高度管理社会への移行の実現であるという。

その最初の段階として、アメリカの混乱に乗じて高度管理社会導入への一
歩を進め、さらに現行の金融システムをリセットするために金融崩壊を演
出するというプランの可能性もあるとしている。

ダボス会議の「ザ・グレート・リセット」は、すでに彼らのサイトで細か
く説明されている。日本語サイトも用意されているので見たことのある読
者もいることだろう。以下が日本語サイトのURLだ。ぜひ見てほしい。

・「グレート・リセット(The Great Reset)」ツイン・サミット形式で
2021年に始動 – 世界経済フォーラム
https://jp.weforum.org/press/2020/06/the-great-reset/

具体的なことは何も説明されていない

しかし、このサイトを一読すると分かるが、現代のグローバル資本主義を
リセットするということは分かるにしても、その結果、何をしたいのか具
体的なことはほとんど語られていない。

その説明は抽象的で、パンデミックこそ大きなチャンスだというような漠
然とした美辞麗句にあふれている。リセットがなにを意味するのか、具体
的にイメージさせる説明はほとんどない。

おそらくあえて内容を抽象的に表現しているのだろう。そのこともあっ
て、「ダボス会議」が提起したこの「ザ・グレート・リセット」は注目さ
れているとは言えない状態だ。内容の憶測だけが飛び交っている。

at 07:46 | Comment(0) | 高島康司

◆北海道まで奪われる日本

ロシアも中国も「移民」武器に領土強奪=鈴木傾城


プーチン大統領は北方領土を日本に返すつもりなど1ミリも考えていな
い。「移民」という武器を使い、今度は北海道が奪われることを警戒すべ
きだ。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)

【関連】日本の貧困層は飢えずに太る。糖尿病患者の半数以上が年収200
万円未満の衝撃=鈴木傾城


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象
を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ
「ブラックアジア」、主にアメリカ株式を中心に投資全般を扱ったブログ
「フルインベスト」を運営している。

今度は北海道を奪いに来ると考えよ

日本人の中にはロシアのプーチン大統領を好意的に見る人も多いが、プー
チン大統領はれっきとした独裁者であり、暗殺魔であり、策謀家である。
プーチン大統領が北方領土を返すとか思っては絶対にいけない。プーチン
大統領は北方領土を返すつもりなど1ミリも考えていない。

ロシアは犯罪国家であり、無法国家でもある。日本も犠牲者だ。ロシア
(旧ソ連)は日ソ中立条約を一方的に破棄し、ロシア(旧ソ連)は違法に
対日軍事行動を起こし、ロシア(旧ソ連)は民間人を殺害・レイプし、ロ
シア(旧ソ連)は日本軍兵士を強制抑留した。


ロシアは自分たちの都合しか考えない点で中国と似たり寄ったりの危険な
国家であるのは間違いない。

日本は今、北方領土問題でロシアと話し合いをしたら道が拓けると思って
いるのだが、こういうところが日本の甘さであり、愚かさである。ロシア
は奪い取ったものは絶対に返さない。日本は、こう思わなければいけない
のだ。

「ロシアは北方領土を返すどころか、ここを軸にして今度は北海道を奪い
に来る」

北海道を虎視眈々と狙っているのは中国だけではない。ロシアもそうだ。
歴史的に膨張主義を取っていた国は、今も領土拡大が自国の影響力の行使
だと考えているので、それを止めることはない。

ジョージアはロシアに何をされたのか?

グルジア(Georgia)という国がある。今はジョージアという国名になっ
ている。日本人はこの国のことを簡単にでも知っておく必要がある。何を
知っておく必要があるのか。それは、「ロシアに何をされたのか?」とい
う部分だ。

この国はロシアに何をされたのか。

ロシアがまだソビエト連邦と呼ばれた時代。ソ連は実はジョージアという
国の領土を奪い取るためにひとつの戦略を行っていた。それは、大きな意
図を持って「ロシア系の移民をジョージアに大量に送り込む」という戦略だ。

それは1年や2年の戦略ではない。数十年に及ぶ戦略だ。ジョージアはソビ
エト連邦を構成する国の1つだったが、この国はかねてから独立精神が旺
盛で、いつでも連邦を抜ける気配があった。

ロシアはそれを良しとせず、この国を永久にロシアから離脱しない方策が
必要だった。そのために長期計画で行われたのが「ロシア系の移民を
ジョージアに大量に送り込む」戦略だったのだ。

移民を送り込んでどうするのか。ロシア系移民を多数派にしてロシア系が
大多数の地域を作り上げあると、ロシア系移民に自治権を求めて住民投票
して、祖国ロシアへの帰属を決めるのだ。

ジョージアは実は国内で多数の少数派民族を抱えている。ジョージアは国
内を取りまとめるために少数民族をジョージアの文化に馴染ませようとし
ているのだが、少数民族はこれに反発し、ロシアに庇護を求めていた。


ロシアはこれらの少数民族を庇護し、ジョージアを混乱させるために少数
民族に自治権の要求や独立をけしかけてジョージア政府を弱体化させ、
乗っ取りを企んだ。ジョージア政府はこれに反発してロシアと戦争を行う
のだが、ロシアはそれを待ってジョージアに侵攻し、領土を奪い取るの
だった。

実は、これと同じ手をウクライナでも使っている。ロシアはウクライナに
もどんどんロシア系移民を送り込み、自治を叫ばせ、自国民の保護という
名目で軍を派遣し、国を分断させて領土を実質的に奪った。
      
at 07:43 | Comment(0) | 鈴木傾城

◆ノロウイルス食中毒の予防

柴谷 涼子

 
老人保健施設などで、ノロウイルスの集団発生が最近報じられていました。

「ノロウイルス」について正しく理解し、ご自身も感染しないよう予防しましょう。

★ノロウイルス感染症とは・・・
 
ノロウイルスが人の小腸で増殖して引き起こされる急性胃腸炎です。

@ カキや貝類を十分に加熱せず食べた場合
A 生ガキや貝類で汚染された調理器具で調理した生野菜などを食べた場合
B ウイルスに感染したヒトの便や吐物に触れた手で調理をした場合・・・などに感染する可能性があります。

★症状
  
年齢に関係なく感染は起こりますが、高齢者や抵抗力の弱ったヒトでは重症化する例もあります。嘔気・嘔吐・下痢が主症状です。
 
腹痛、頭痛、発熱、悪寒、筋痛、咽頭痛などを伴うこともあります。 高齢者の場合、症状が出て、水分摂取ができなくなるとすぐに脱水症状を起す可能性がありますので、早めに病院の診察を受けて下さい。

★予防

生のカキや貝類は内部まで十分に加熱してから食べるようにしましょう。カキの処理に使用したまな板などは、よく水洗いし、熱湯消毒をしてから使用しましょう。

★冬場はこのノロウイルスに限らず、様々な感染症が流行します。感染予防としてもっとも重要なのは、普段からの手洗いやうがいです。

外から帰ったあとは必ず手洗いとうがいをする習慣をつけましょう。

 <参考文献;>

1.国立感染症研究所 感染症情報センター感染症発生動向調査週報 感染症の話
 http://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k04/k04_11.html
2.大阪府食の安全推進科    http://www.pref.osaka.jp/shokuhin/noro/
3.厚生労働省ノロウイルス食中毒の予防に関するQ&A
http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/kanren/tobou/040204-1.html
          (大阪厚生年金病院 感染管理認定看護師 )

2020年11月08日

◆政府と国民に深い溝

斎藤 満


リストラ続出でも「景気回復」の統計マジック。

2020年10月29日 ニュース


国全体の統計では景気回復が見られますが、個人の景況感は3月から継続
して悪化しています。輸出・生産は回復傾向にありますが、雇用賃金に反
映されていません。


プロフィール:斎藤満(さいとうみつる)
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和
銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミスト
としてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀
行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投
資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経
て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっている
かを分析している。

個人の景況感はさらに悪化

日銀の「生活意識に関するアンケート調査」(9月調査)によると、個人
の景況感は国全体の景気回復とは裏腹に、むしろさらに悪化していること
がわかりました。

3か月に1回調査されるこのアンケートによると、3月から6月にかけてコロ
ナの影響で景況感は急速に悪化しましたが、今回9月調査ではその6月から
さらに悪化を見せています。
※参考:「生活意識に関するアンケート調査」(第83回)の結果 – 日本銀
行(2020年10月22日配信)

1年前と比べて景気が「良くなった」と見る人の割合から「悪くなった」
と見る人の割合を引いたDIでみると、コロナ前の昨年12月がマイナス29.8
であったのに対し、国内の感染が判明し、拡大を見せ始めた3月にマイナ
ス36.3に、さらに6月には緊急事態宣言が解除された後ながらマイナス
71.2に大幅悪化、そして経済再開、規制緩和が進んだにもかかわらず9月
はマイナス75.6と悪化がさらに進みました

6月、7月には特別給付金が9割がた支給され、9月には「GoToトラベル」な
どで旅行の大幅割引措置がとられ、家計や観光関連業を政策面から支援し
ました。

しかし、個人が感じる景況感はさらに悪化する結果となっています。

国全体の景気指標は回復している

ところが、国全体の景気指標の多くは、今年5月を底に、その後は急回復
を見せています。

日銀の「実質輸出」は、7-9月期に前期比13.3%増と、2桁の増加を見せて
います。これに伴って生産も急回復し、7-9月のGDP(国内総生産)は前期
比年率で25%以上の高い成長率となった可能性があります。
※参考:実質輸出入の動向 – 日本銀行

各種指標を集めた内閣府の「景気動向指数」の一致CIも、これまでの「悪
化」を脱し、「下げ止まり」に変化しました。個人向けにも特別給付金は
5月から8月までにほぼすべての世帯に行き渡り、「GoToトラベル」キャン
ペーンで8月、9月の宿泊代は前年比30%低下し、物価全体を0.35%も押し下
げ、その後は「GoToイーツ」も加わり、飲食料金の補助も行われています。
※参考:統計表一覧:景気動向指数 結果 – 内閣府


それでも個人の景況感は改善に結びついていません。キャンペーンの利
用者が感染しても重症化リスクの小さい若者が中心ということもあります
が、そのキャンペーンもいつまで続くのかわからない「一過性」との思い
もあるようです。

特別給付金10万円も、使ってしまえばそれで終わりです。

◆習近平の高笑いが聞こえないか?

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)11月6日(金曜日)通巻第6690号 

 習近平の高笑いが聞こえないか?
  バイデンは中国との規制緩和、妥協に走る

 11月3日の米国大統領選挙、三日経っても決着を見ていない。最悪の
場合、結論が出るのに一ヶ月を要するだろうと推定される。

それにしても、優位を示している民主党は、不正選挙のベテランでもある。

まして「中国の代理人」を象徴するバイデン一家。メディアはバイデン
のスキャンダルをすべて揉み消した。

いや選挙戦でも、不正投票は黙殺し、ひたすらトランプの悪口を書き続け
た。不正投票による「逆転」は殆どが民主党知事の選挙区である。

トランプが表明したように「事実上、われわれは勝った」ようである。
ところが郵便投票の大量の増票が、共和党の監視員の眼を盗んで仕組ま
れ、突然、10%リードとなったのがウィスコンシン州とミシガン州だった。

トランプ陣営は法廷に訴えているため、結果が出るには時間がかかる。
しかしすでにバイデン陣営は組閣名簿を作成し、政権引き継ぎチームを発
足させている。
 
バイデンとトランプの戦いではなかった。これは左翼メディアが総力を
挙げてトランプを潰す戦争だったのだ。

78歳の耄碌じいさんは、ディープステーツの操り人形となり、とりわけ
中国外交で妥協的になり、米国の国益ばかりか自由世界全体の安全保障を
ますます脆弱な者としてしまう懼れが強い習近平の高笑いが聞こえないか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜書評 しょひょ
う BOOKREVIEW 書評 
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米国へ渡航する船のなかで三島論を書く予定だったとか
桑港へ着いたら迎えを撒いて鉄道で大陸横断したとか。意外な冒険家 の側面

  ♪
福田恒存『私の人間論』(ビジネス社)
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「私の国語論」とか、「私のxx論」シリーズは知っていた。

そもそも評者(宮崎)は福田さんの全集を持っているばかりか、対談全
集も持っている。いや、伝説となった作家ゆえに、意外に思われる読者が
おられるかも知れないが、評者、何回か福田さんとはあっている。

学生運 動時代に二回ほど講演もお願いしている。劇団の騒動が新聞を賑
わしてい たおりも、氏のオフィスが永田町のビル(いまはキタノホテル
になってい る)にあり、昼飯時にばったり歩道で会って、立ち話をした
こともあった。

三島由紀夫と福田氏との複雑で錯綜したライバル関係については、遠藤
浩一氏が残した『福田恒在と三島由紀夫l』(麗澤大学出版会)が白眉
で、評者はこの作品を前にしては、付け加えることがない。

だから本書を読んで、「えっ?」。新作ではないのに、知らない文章が多
く入っているなぁと思った。種明かしをすれば、福田恒存全集の月報の覚
え書きなどのエッセンスを集めたものだ。

それゆえ台所でつまみ食いをしている格好の福田の実像がありありと文章
から想像できるのである。

清水幾太郎、三島由紀夫、とくに小林秀雄との人間関係は興味津々。アメ
リカへ一年遊学したおりの体験記もじつに活き活きとして、面白かった
(初めて読んだ箇所が多かった)。

とくに156p−157pで展開される三島論、とりわけ「憂国忌」への
感想が実直に素直に、そして皮肉をいくぶんかこめて書かれていて、2回
読んだ。この稿には、それを書き出すと長文になりそうなので、ページを
指摘するに留める。

ヘミングウェイ『老人の海』の翻訳の苦労話には笑った。ドルフィンの
誤訳、とくに魚の名前はとうとう魚博士の末広教授に聞きにいったそう
で、いまならさしずめ「サカナ君」へ問い合わせとなるのだろうか。

その後、ヘミングウェイの『老人と海』は幾種類もの翻訳が出たし、映画
にもなったが、評者のすきな翻訳は、最初に読んだ福田訳でなければなら
ないのである。

しかし福田氏の翻訳業績といえばなんと言っても、シェイクスピアだ。
評者も英国旅行のおり、シェイクスピアの生家跡(ストラトフォード・ア
ポン・エイボン)を訪問したことがある。こじんまりとした町が、まるで
全部、昨日までの中世の世界にいる錯覚を覚えたものだった。
 かくして懐かしい風景を回顧させても呉れた異種な読書となった。
           
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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【知道中国 2155回】 
        
 ──英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港37)

            ▽

唐君毅、牟宗三の両先生と共に「熊十力門下の三英傑」の1人とされる 徐
復観先生の講義初日のことだ。背は低いがガッシリとした体形、割れ鐘
のような声、話し出したら止まりそうにない難解な講義。敢えて表現する
なら体全体から迸る熱情、いや義憤と言うべきか──

さて、この人が、中国文化にもともとから備わっていた民主の精神をもう
一度引き出すことに精魂を傾け、儒教精神と民主政治の融合に渾身の努力
を続けているあの徐復観かと、新鮮な感動を覚えたことが思い出される。

牟宗三先生は「徐復観は『当事者』の身分だが、自分は『傍観者』に過
ぎず、事件に与かることはない」と語り、徐復観先生は「唐氏は仁者タイ
プであり、牟氏は知者タイプ」と評している。改めて3先生の言行を振り
返ってみると、言い得て妙な人物評だ。   

1903年に湖北省の貧農家庭の次男として生まれている。幼児から学業が
秀でていたのだろう。若干24歳で湖北省立第七小学校校長に。その頃、マ
ルクス・レーニン主義に触れ、魯迅やその弟の周作仁に傾倒。1930年、27
歳で故郷の奨学金を得て日本に留学(明治大学で経済学)し河上肇を読み
始める。

学費が底を尽き、陸士歩兵科(第23期)に転学するも、満洲事変反対の運
動を起こしたことから投獄され陸士強制退学処分を受ける。

32年に上海に戻った後、軍隊に。日中戦争当時は国民党政府軍少将。軍
令部連絡参謀として共産党の根拠地である延安に駐在。

共産党の政党組織 としての優位点を率直に報告したことから蒋介石に重
用され、49年末に国 民党が台湾に渡った後に蒋介石の資金提供を受け、
香港で統一戦線工作の 一環として『民主評論』を経営した。やがて思想
信条の面から自由を求 め、遂には国民党から離れたようだ。

55年に台中の東海大学中文系主任。69年に同大学を離れ、70年に新亜研
究所へ。82年、台湾にて死去。死期を悟って自ら筆を執った墓碑銘は「こ
こに眠るは、政治の世界へ分け入り、政治の世界を激しく憎むに至った、
ひとりの農村の子ども──徐復観である」。

先生の弟子の1人である台湾東海大学の陳文華教授が記した「徐復観与 胡
蘭成唐君毅羅孚的奇縁」(『亜洲週刊』2012年1月29日〜2月5日号)に よ
れば、80年5月、徐先生は?小平の指名で北京に招かれた。費用一切は 中
国側が負担するとの申し出に、

「祖国はまだ貧乏だ」と応える。北京への出発を前に体調を崩し、つい
にトウ小平との面談は実現しなかった。トウ小平の狙いはなんだったの
か。北 京でトウ小平と会っていたら、はたしてトウ小平が統べる共産党
の統一戦線工 作に応じただろうか。

じつは72年のニクソン訪中が実現して暫く過ぎた頃から、新亜研究所 の
先生方の中国大陸の動向に関する考えや対応、あるいは共産党政権に対す
る空気の微妙な変化を朧気ながら感ずるようになった。

あるいはあの頃、共産党の統一戦線工作は新亜研究所に狙いを定めたのだ
ろうか。考えるほどに興味は尽きない。

「ヒトの歴史的な実践は、論理の推移によってまっすぐ進むものではな
く、そこには多くの制限があり、多くの迂路がある。論理の推理の必然に
沿って進むのではなく、多くの偶然や調整や妥協がある。(この道理を弁
えないヒトが)一般的に濃厚な独裁的性格を持つ。彼らを純粋な学問の範
疇に留めておけば、ある種の異彩を放つだろうが、彼らを政治の実践に用
いてはならない」が、最晩年の述懐だとされる。

長い日本との関係から、日本に関する多くの評論を発表している。た
とえば「誇り高く向上心に富む民族だが、自己評価が甘く、自分に有利な
想定ばかりで、自分勝手な甘い幸福天国を夢想する」「日本の知識人はそ
の強烈な商売人気質のために、外来文化を十分に消化できず、『文化の消
化不良病』を産み出した」など。心に留めておきたい。
先生が生涯を賭して求めた中国文化とは・・・問い質せたらと、切に思う。
     
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‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴誌11月3日通巻6687号では「レシプロシティなる
モノがこの世のあらゆる生命体の姿であり、等価性を追求する運動体であ
る」と考えられ、それはシェーンハイマー、福岡伸一氏等の分子生物学
者、解剖学の養老孟司氏からアリストテレス・ニーチェなどの哲学者まで
が同じ考えでいるようだと記しました。

植物はCO2を取り込み、それに見合った(等しい)酸素量を放出しま
す。等価性を語るためにはレシプロシティの姿がまずあり、レシプロシ
ティの貸方と借方を同じにすることで等価性が成立します。

世の中をまだ知らぬ幼児でさえ「It is not fair! =ズルい!」と等しさ
を「本能的」に主張し、この言葉を盛んに連発します。

どうやら等価性を規定するために法律が生れ、等価性を知覚するために
貨幣が生れたようです。私は今まで述べてきたことから、貨幣は商品価値
や信用(負債)そのものではなく社会的等価性を認識する道具(機能)で
あると総括できると思います。

しかし、だからと言って商品貨幣説や信用(負債)貨幣説を一概に否定す
ることは出来ません。

なぜならかような理論が生れた原因は、養老氏が指摘されている「ヒトは
他の動物と異なり何かと何かを同じものとみなすという特異な機能を持ち
合わせている」にあるからです。

つまり人間は価値そのものと貨幣・通貨を「同じモノ」とみなしてしまう
動物であるからです。商品貨幣説は価値と貨幣がほとんど一体化されてい
る「経済圏」で生まれた理論であり、信用貨幣説は通貨量が大幅に増え、
貸し借りの関係が顕著になった時代に生まれたと考えられます。

ところがいよいよ不換紙幣が一般化したニクソンショック以後は、価値イ
コール通貨としては説明がつかない金融環境に陥り、その意味から貨幣の
原点、即ち「価値イコール貨幣ではなく道具であるである事」に立ちかえ
らざるをえなくなったのです。

これらからすると、貨幣の本質の原点はレシプロシティからの等価性(同
じにする)にあり、その下の各論として商品貨幣論時代や信用(負債)貨
幣論時代が経済学史に登場した、と位置付けることができましょう(ただ
上述の「人間は価値と貨幣を同じものとみなす習性」は単に『ああそうな
の』というだけではすまず、これが経済・経済学を混乱させている理由の
一つとなるのです。

養老氏は「全てまとめていって、ありとあらゆるもの を同じとみなして
ゆくと最後にたった一つになってしまう。これでは話に ならなくなる」
と「警告」しておられます)。

 宮崎正弘vs渡邊惣樹の対談『戦後支配の正体1945〜2020』
(ビジネス社)のかでのお二人の対談からは、一貫としてレシプロシティ
が地下水脈の如く流れていることが感じられます。

例えば第4章の中で渡辺氏は「復讐権を固有の権利だと認めたうえで法律
を作ってゆくのと、復讐権がないのだという前提で法律を構築してゆくの
とでは全然違う」と主張しておられます。

前者はレシプロシティの存在を認め後者は否定する事であり、復讐権と同
じく、前者でなければ歴史と同様に経済も語ることは困難だと私は考える
のです。
(SSA生)

  ♪
(読者の声2)チャンネル桜【生中継】第五十回「憂国忌」
https://youtu.be/U3QmantAo9g
令和2年11月25日(水)14時00分より誰でも無料でご覧になれます。今年
は五十年という節目ですが、コロナ災禍により会場に入場制限が行われま
す。とくに地方からの参加予定者は、できるだけ実況中継でご覧下さい。
(憂国忌実行委員会)