2020年11月03日

◆中国「五中全会」

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)10月30日(金曜日)通巻第6684号 

 中国「五中全会」、次期後継を示唆する人事はなかった
 「中国的特色をいかす『大国外交』を実践する」そうな

 10月29日、4日間にわたった中国共産党第19期第五回中央委員会総会(五中全会)が閉幕した。開催場所も明示されず、五中全会の議事進行は秘密裏に進み、終了後、コミュニケが発表された。

結局、決まったことは何かといえば、2035年までに『先進国』並みを実現し、その前に建軍百周年を迎える2027年までに、中国人民解放軍を「完全に近代化」達成すること、経済は国内外両輪で発展させる(双循環)ことなど。

具体的には2035年までに1人当たりのGDPを先進国並みの3万ドルにしたいとすることだが、貧富の格差が天文学的に開き、ジニ係数が0・62という体質。

しかも四千年にわたってシナ人に染みこんだコアパーソナリティを変革することは殆ど不可能だろう。

農村では一ヶ月2万円以下で暮らしている人々が数億もいる。

人事が発表されるという一部の観測があったが、筆者の情報筋からは「今度の大会で人事異変はない」と事前予測が強く、その理由を「習近平は終身皇帝を狙っているからだ」と説明した。

習の子飼いのなかでも、李強(上海市書記)、丁せつ祥(中央弁皇室主任)、陳敏爾(重慶市書記)、李希(広東省書記)らが政治局常務委員へ昇格するなどという予測もあった。軍人も習のお友達が軍事委トップを飾っており、移動が行われると予測された。いずれも発表がなかった。
      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【知道中国 2152回】           
 ──英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港34)

             △

新亜研究所で教えを受けた先生方について、指導教官の陳荊和先生から思い出すままに綴っておきたい。

先生の本貫(ルーツ)は福建省?州で、五・四運動の2年前の1917年に台湾の台中に生まれた。たしかお爺さんもお父さんも慶応義塾出身だと記憶する。

先生は東京の番町小学校、麻布中学校を経て慶應義塾大学文学部史学科へ。1942年に卒業し同じ慶応の語学研究所で助手に採用されている。

1年後の1943年にハノイ極東学院に。国費留学生で、小泉信三の激励を受けてハノイに旅立ったというから、政府・大学の双方から相当に期待されていたに違いない。

おっとりした奥さんだったが、ヴェトナム貴族の血を引くと聞いて納得。ハノイ留学中に知り合ったのだろう。
 
敗戦を機にハノイから台湾へ。台湾大学(1946年〜)、フエ、サイゴン両大学(58年〜)、香港中文大学(62年〜82年)で東南アジア史、華僑史、日本研究などの講義・研究を進めた。中文大学退職後は日本に移り、創価大学(82年〜93年)で中国文化研究所長、アジア研究所長などを歴任した後、アメリカに移住。

16世紀から17世紀の東南アジア華僑、さらには漢字を基にしたヴェトナムの伝統的文字の字喃の研究における国際的権威で、慶応大学、南イリノイ大学、ソウル大学、高麗大学、北京大学などでも教壇に立っている。1995年、ホーチミン市で客死。

初めて先生に挨拶したのは香港留学前で、三田の先生の研究室だったと記憶する。

第一印象は温厚そのものだったが、いざ香港での研究指導が始まると、時に厳しさが爆発した。そんな日の夜は、酒量を増やして気分一新である。いまから振り返れば、もっと素直に真面目にしつこく研究指導を受けて置けば、と。繰り言に過ぎないとは知りつつも。

なにせ番長小学校、麻布中学校から慶応義塾である。日本語は山の手のおっとりタイプ。加えてヴェトナム語、フランス語、英語、中国語に広東語、それに生地の台湾語とコトバに不自由はない。敢えて母語を尋ねると、しばらく考えた末に「ウ〜ン、日本語かな」と。

お子さんは女、男、男、女の2男2女。長女はフランス、長男はアメリカ、次男は日本に住み、香港では奥さんと末っ子の次女の3人暮らし。日常は奥さんとはフランス語かヴェトナム語、次女とは広東語、長女とはフランス語で、長男とは英語、次男とは日本語で。講義は広東語に中国語で、時に英語だった。

コトバに関する限り、日本では考えられないような複雑極まりない家族構成ではある。そこである時、「コトバがバラバラで、家族の共通感情を持てるのか。家族が一堂に会した時、そもそも何語を話すのか」と伺ったことがある。

すると「特に気にしたこともない。意思疎通に特に苦労した記憶もない」と「驚くべき返答」だった。


後に改めて華僑・華人に興味を持つようになってみて、日本人の常識では理解し難い事象にぶつかる度に、先生のことを思い浮かべる。

祖先が福建省南部から台湾へ。台湾で生まれ、幼少期から青年期を日本で学び、青春の一時期はハノイ。その後、台湾に戻り、南ヴェトナム、香港、さらに日本と研究生活を続け、やがて老後を過ごすべくアメリカへ。

突然に迎えざるをえなかった人生終焉の地がホーチミンである。香港、フランス、アメリカ、日本と居住する国や地域は違えども家族は家族・・・まさに先生の人生こそ「四海為家(世界は我が家)」そのものだったように思う。

だが先生一家だけが特別と言うわけではなかった。香港で知り合った多くは家族が、血縁が、友人が世界各地に住んでいた。

むしろ香港にしか家族・親類・縁者がいない方が珍しいほど。この事実を皮膚感覚で知ったことも、香港に留学したからこそだろう。
     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)「大阪市廃止・特別区設置」賛成派は、「都構想」などという、何らの実体もない「言葉遊び」は止めるべきです。

そもそも明治の初め、県制度の発足の際、東京・京都・大阪については「三府」とし、官選知事直轄地としたのは、江戸時代から幕府直轄だったこと、その中でも、特に規模が大きかった江戸、京、大坂を指して「三都」と一般に呼称されたという歴史的経緯からでしょう。

その後、昭和18年、東条内閣の手で、国法により「東京府」を「東京都」に変え、「東京市」「東京市長」を廃止したため、現行の「一都二府」の体制となったのです。

この時は、「東京市」は廃止されたものの、35の行政区はそのままでした。現行の23(当初は22)の特別区体制に「統合」されたのは、戦後の占領時代(昭和22年)です。また、東京市は、「自らの手で」、「市」「市長」を廃止し、市区部を「分割」するというような愚かなことは行っていません。

逆に、初めて東京府知事から独立した「市長」が置かれた日を「都民の日」としているのです(昭和27年制定)。ここには、「東京市」を、発展的に「東京都」に奪胎していくのだという姿勢を読み取れると思います。

(後の手続きを経て)「大阪府」の名称を「都」に変えたからと言って、それだけでは何らの革新的効果も、実体的効果も、生じるわけがありません。

 「大阪都が出来れば、2つの文化の拠点ができるので、面白いかもしれない」(下重暁子氏、『週刊朝日』10月30日号)などというのは、根拠も論理も無い、全くの妄言であり、論者の知能レベル、判断力を疑いたくなります。

なお吉村大阪府知事は、道州制にも言及しているようですが、道州制というのは基礎自治体を強化する一方で、府県のような中二階的な組織はブロック単位に統合していこうという構想のはず。

基礎自治体である大阪市を「解体」するような考えとは、真っ向から矛盾するはずです。

片山善博氏が言うように「区の貧富の差は財政調整制度で埋められます。ただし地方自治法や、住民投票の根拠である大都市地域特別区設置法に大阪市を復活させる規定はありません。都構想の推進側は住民投票で敗れても何度でも挑戦できますが、反対派は一度負けたらゲームオーバーです。大阪市民は、自分たちが背負うことになる結果についてよく考える必要があると思います」。

住民投票にあたっては、大阪市民の良識が発揮されて、「大阪市廃止案」が葬られ去ることを祈ります。
   (椿本祐弘)
  ♪
(読者の声2)アメリカ大統領選挙の行方が注目されますが、2014年から2019年までアメリカのアメリカに赴任しトランプやラストベルト(米国中西部から北東部の衰退した工業地帯)などを取材してきた朝日新聞の記者まで自身の取材経験をもとに世論調査の数字に違和感を感じているらしい。

ネットではハンター・バイデンの「不適切な関係」画像が出回り、それを抑えようとするツイッター社を揶揄するGIF動画まであり笑えます。

https://dotup.org/uploda/dotup.org2290705.gif

父親は痴呆症のロリ疑惑、息子は麻薬漬けのセックスジャンキー、息子の息子は9インチ砲(メジャーで計測している画像あり)とマイナス要素が多すぎてとても大統領選挙で勝利できるとは思えない。

郵便投票が多い今回は高橋洋一氏がいうようにトランプ・バイデン両者が勝利宣言し、来年1月の就任式直前までもつれるかもしれませんね。(PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)小生が信頼している(?)のは政治オッズ(賭けサイト)です。先週はイーブンでしたが、29日現在まだバイデンが僅差でリードです。

  ♪
(読者の声3)日本文化チャンネル桜から番組のお知らせです。本日(30日)夜の「フロントJAPAN」は、宮崎正弘さんと上島嘉郎さんのコンビでお届けします。
 テーマは「中国共産党 五中全会の意味すること」ほかです。深夜にはユーチューブでもご覧頂けます。
   (日本文化チャンネル桜)

  ♪
(読者の声4)中国では2021年が中国共産党成立100周年。その100年前の地図を探すと1922年のロンドン・タイムズ発行のものがありました。
https://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~3183~450014:China---political

この地図を見ると清朝が満蒙回蔵の同君連合だったという宮脇淳子女史の言葉が理解できる。外蒙古は多くの汗部にわかれ内蒙古はハルビンの西にまで至る。さらに古い清朝末期の地図(1903年、シカゴ、ランドマクナリー社)を見ると新疆がジュンガルと東トルキスタンに分かれている。
https://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~37942~1210790:East-Asia

ジュンガル盆地のオイラートは18世紀半ばまで清朝に服属せず反乱を繰り返したようですが、ウイグルに対しては支配する側でありオイラートの圧迫を逃れて移住する回族も多くいたとも。中国で火鍋や串焼きといえば羊肉で、多くの都市に清真寺という中国風のイスラム寺院がありますから納得です。

満洲国があった時代の本を読むと満蒙という言葉は広義では満洲と蒙古ですが、狭義では満洲国内と隣接のモンゴル人地域を指す言葉だったようです。

楊海英氏の本に出てくるモンゴル騎兵によるチベット侵攻の話、現在の地図では遠く離れた地域に思えますが、昔の地図なら甘粛省を挟んですぐとなり。世界の民族問題や国境紛争など第一次・第二次世界大戦前後の地図を見ると理解の助けになります。(PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)小生は随分と昔に『中国大分裂』(文藝春秋、ネスコ。絶版)という本を書いたのですが(すぐに中国版がでましたが)、以後しばらく、中国分裂論は日本の論壇からも消えていました。

天安門事件直後には欧米に亡命した学者らが「中華連邦論」を唱えていましたが、これも下火です。

本質的には7つほどの分裂したほうが良いことは分かっているはずですが、大中華思想が、ときに分裂論を圧殺しま
した。

◆切らずに治せるがん治療

田中 正博(放射線部 医師)


がん治療の3本柱といえば、手術、化学療法(抗がん剤)と放射線療法です。副作用なく完治する治療法が理想ですが、現実にはどの治療法も多かれ少なかれ副作用があります。

がんの発生した部位と広がりにより手術が得意(第一選択)であったり、化学療法がよかったりします。
 
また病気が小さければ、負担の少ない内視鏡手術で治ることもあります。 放射線療法は手術と化学療法の中間の治療法と考えられています。 手術よりも広い範囲を治療できますし、化学療法よりも強力です。

昔から放射線療法は耳鼻咽喉科のがん(手術すると声が出なくなったり、食事が飲み込みにくくなる、など後遺症が強い。)や子宮頚がん(手術と同じ程度の治療成績)は得意でした。 最近は抗がん剤と放射線療法を同時に併用することで、副作用は少し強くなりますが、治療成績が随分と向上しています。

食道がんでは手術と同程度の生存率といわれるようになってきました。手術不可能な進行したがんでも治癒する症例がでてきました。

また、手術と放射線療法を組み合わせることもしばしば行われています。 最新鋭の高精度放射線療法装置や粒子線治療装置を用いれば、副作用が少なく、T期の肺がん、肝臓がん、前立腺がんなどは本当に切らずに治るようになってきました。

また、残念ながら病気が進行していたり、手術後の再発や転移のため、今の医学では完治が難しいがんでも、放射線療法を受けることで、延命効果が期待できたり、痛みや呼吸困難などの症状が楽になることが知られています。

放射線療法以外の治療が一番いいがんも沢山ありますので、この短い文章だけで放射線療法がよいと判断することは危険ですが、がん治療=手術と決めつけずに、主治医の先生とよく相談されて、必要に応じてセカンドオピニオン(他病院での専門医の意見)を受けられて、納得できる治療を受けられることをお勧めします。      
               (大阪市立総合医療センター )

2020年11月02日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(99」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/200(2020/10/31/土】「喜怒哀楽」・・・怒と哀は強過ぎない方が良さそうだが、ヂヂイの脳ミソの劣化を抑えるには喜楽をもたらす「感動、驚愕、発見」は効きそうだ。


小生の場合、老化は病気や足腰が弱ることから始まった。胃がん全摘で食事が上手く摂れない、嘔吐、下痢、低血糖による目まい・・・引き籠りになりがちで、刺激が乏しくなり、気分が高揚するからと飲酒量が増え、アル中になり、脳ミソが壊れ、発狂してしまった。最悪パターン・・・


そう言えば4年前の2016年10月29日に発狂して“保護”されたから丸4年だ。「断酒歴4年です」なんて自慢できないが、断酒とママチャリ散歩の効果で体調と脳ミソはそれなりに徐々に正常化してきたのではないかとは思う。狂暴化してきたような感じもするが・・・ウー、ワンッ!


小生のチャリ散歩は、最近は癒し系の散歩というレベルを越えて、「感動、驚愕、発見のための徘徊、探索、冒険」という奇人変人的レベルになってきた感じだ。病膏肓、神ってる! チャリで片道1時間ほどの所では「稲城大橋」「とんもり谷戸」「五力田」「枡形城展望台」「タローの庭」などに魅せられて、「お気に入り」に追加した。


日々ますます意気軒高だが、体力的に1日に3時間が限界だ。それ以上では帰路の途次に救急車の世話になったり、行旅死亡人になったりして社会の迷惑になりかねない。当然、マーキングエリアというか縄張り、シマ、“領土”は限られてくるので、昔買った「マップル首都圏道路地図」を下書きに「ママチャリ散歩境界地図」を創ってみた。伊能忠敬のオツムと体力、根性、好奇心に刺激された面もある。


それによると南北5km(多摩丘陵〜武蔵野台地)、東西12km(等々力渓谷〜是政橋、多摩川の沿岸)の長方形が「シーチン王国」になる。是政橋の北には「東京競馬場」と「サントリービール工場」があり、ユーミンの「♪中央フリーウェイ」で有名な場所だ。ユーミンは「流星」の気分、小生は「流浪浮浪」の気分。


そう言えば国木田独歩の「武蔵野」シリーズには溝の口(大山街道、かの子の生誕地)も紹介されているが、先だって散歩していたら「おい、爺さん、こっちだ、こっち」と天からの電波を受信し、行ってみたら津図書館のある公園に「国木田独歩の碑」があった。


<独歩は明治30年(1897)3月、みぞれまじりの日に溝の口の亀屋に宿泊。『忘れえぬ人々』で亀屋の主人のことを書いています。昭和9年(1934)、亀屋の主人・鈴木久吉の立案で亀屋の前に碑を建てました。題字は文豪・島崎藤村です。その後亀屋は廃業、平成10年に津図書館前に移設されました>(トリップアドバイザー)



小生の散歩癖は独歩や荷風の影響も受けているようだ。引き籠りではなく狩猟採集の縄文人とか日本原人のDNAの影響かも知れない。徘徊多動老人。



チャリ散歩は往復で2〜3時間だが、ルート(西北、西南、東、南方面)によって移動距離は10〜24kmと異なる。ペダルを漕いでいる時も、降りて散策している時も、常に「何だろう、なぜだろう」と考えながら徘徊、探索、冒険し、何かを発見すると感動、驚愕、発見に大きな満足感、エクスタシーを覚える。



最近は夢でも考え続けて、「なるほど、そういうことか」なんて、それなりに「解」が見つかることが結構あり、その度に「脳ミソを休ませた方がいいんじゃないか」とちょっと心配になる。1回の発狂は容赦されても2回目以降は追放されたり・・・キチ〇イにもわずかながらも理性というか、「痛い目に遭った記憶」はある訳で・・・


それはともかくも「感動、驚愕、発見」、これは不老長寿とは言わないまでも「呆け防止」にはかなり効くのではないか。足腰がどうにか動くなら介護福祉施設などに相談して車両を借り、できるだけ自力で散歩、散策したらいい。


先日、両手でペダルを漕ぐ式のスピード用3輪車椅子に追い抜かれたが、ずいぶん気持ち良さそうだった。要は「本人のやる気」が肝心だということ。


96歳の母を看取った経験から言うと、老人は家に引き籠ると刺激がなさ過ぎて、始めはBGM代わりのようなTV依存症、やがて半醒半睡になり、オツムも肉体も急速に劣化する。できるだけ外出して「感動、驚愕、発見」とか読書など思考力に効きそうな「知的刺激」を受けた方がいいと思う。


「認知症の窓」というサイトから。(見出しは小生による)


<ワシントンポスト紙が、カナダのトロントで開催された第31回国際アルツハイマー病協会国際会議(2016年)で発表された研究結果を報じています(2017年には京都で第32回が開催され、78カ国約4000人が参加)。


◆食生活により認知機能が低下する可能性


欧米人の場合、日本人のように魚や大豆製品、米、野菜等を多く食べるのではなく、赤身の肉類や加工肉、精製されてビタミンやミネラルが失われた小麦粉のパン、添加物や油等が多く含まれる加工食品や甘いお菓子を中心とした食生活を送っていることが多く、このような食生活は認知症になりやすいようです。


たとえそのような食生活を送っている人でも、頭を使って脳を刺激し、人との関わりを多く持つ職業に就いている人は、認知症になりにくいという結果が発表されました。


◆対人関係の知的職業は認知症になりにくい


頭を使って人と多く関わる職業に就いていた人たちは、それ以外の職業に就いていた人たちと比べて、記憶力や問題解決能力が低下することなく維持できている傾向があることがわかりました。


認知症になりにくいとされている職業と、なりやすいとされている職業にはどのようなものがあるのでしょうか。


今回の研究では、認知症になりにくいとされている職業の例としては、医師、弁護士、カウンセラー、ソーシャルワーカー、牧師が挙げられています。いずれも、人と対話をしながら助言や指導、診断等を行う職業です。


◆指示や規則に従うだけの仕事は認知症になりやすい


反対に、認知症になりやすいとされている職業では、他者から指示を受けて単純な労働をする職業で、機械の単純な操作をするオペレーター、一般的な肉体労働者、商店やスーパーのレジ係などの職業が挙げられています。


日常的に物やデータを扱う職業に就いている人よりも、人と多く関わる職業に就いている人の方が、脳に刺激を与え活性化させることができるため、認知症になりにくいようです。


◆脳の機能をできるだけ多く使う


人と対話をして問題解決を図ろうとする職業では、豊富な知識や経験はもちろん、高いコミュニケーション能力が必要とされます。これは、メンタリングとも呼ばれる方法であり、脳の一番複雑な機能を使っているとされています。


日常生活はもちろん、職業以外の趣味やいろいろな活動においても、自分自身の脳の機能をできるだけ多く使えるような機会を持ち、周りの人と多く接していくことを心がけることが大切なのではないでしょうか>


他者との接触は小生には苦手だが、故人を含めて多くの識者の論考、作品を読んで自分なりにあーでもない、こーでもない、と考えるのも、まあ「他者との接触」だろう。


そして「結局はこういうことか」と自分なりに解釈するが、最近では「基本的な価値観が異なる国家とは冷戦であれ熱戦であれ、戦争は避けられない」と確信するようになった。


自由民主人権法治の国民国家における国民の普通の感覚だと「競争はいいが、戦争は避けるべきだ」と当たり前のように思い、そのために「三方一両損」で譲歩することもあるだろうとは思う。


血を流す外交=戦争でなく、血を流さない戦争=外交で国家間の軋轢は軟着陸させた方がいい、というわけだ。多分、これは少なくとも先進国が共有している価値観だろう。2つの世界大戦でうんざりするほど血と涙が流され、「戦争になることだけは避けたい」と多くの人が思っているに違いない。


ところが中共・紅軍は本格的な戦争をしたことがない。1945年の終戦まで蒋介石・国民党軍と戦ったり、時には国共合作(野合)で日本軍と戦ったようだが、基本的に中共・紅軍は戦中は辺境の地で逼塞していた。終戦後にソ連の後押しを得て、「俺にも分け前を貰う権利がある!」と表に出てきたのである。


その後は日本軍の武器を得て蒋介石軍と戦ったが、これは内戦だ。さらにベトナム、ソ連と短期的に衝突したがいずれも戦果と言えるものは何もなかった。今はインドとの小競り合いをしているが、戦争以前の「衝突事件」に過ぎない。


つまり中共は結党の1920年から2020年までの過去100年間、「戦争というリアル」をほとんど経験したことがない。その一方で過去20年間、中共・紅軍は急ピッチで軍拡を進めている。趣味? 世界制覇の為?


日経2019/3/5「中国国防費、7.5%増19.8兆円 強軍路線が鮮明に」から。


<中国政府が5日公表した2019年予算案の国防費(中央政府分)は前年比7.5%増の1兆1898億元(約19兆8千億円)となった。伸び率は前年(8.1%増)を下回ったものの、国内総生産(GDP)成長率目標よりも高い水準。経済成長が鈍化しても軍備増強を急ぐ姿勢が鮮明になった。


【関連記事】中国、成長鈍化でも軍備増強 米に対抗


中国の国防費は米国(約80兆円)に次いで世界第2位の規模で、日本の19年度当初予算案の防衛関係費(5.2兆円)の3.8倍にあたる。李克強首相は政府活動報告で「改革による軍隊強化や科学技術による軍隊振興を踏み込んで推進しなければならない。実践的な軍事訓練の水準を高め、国家の主権・安全・発展の利益を断固守る」と強調した>


毛沢東は「東風が西風を征す!」と欧米列強を赤化する目標を(最初は本気で、後には飾りで)掲げていたが、毛の真似っ乞食の習近平は権力基盤である紅軍を手なずけるために軍事予算を拡大し続けた。素行不良の息子にフェラーリを買い与えて、「サーキットの中で遊んでいろ」と手なずけた感じだ。


支那では大昔から「良い鉄は兵士にならない」と言われるほど、将兵の質は悪かった。ゴロツキ、不良、厄介者の類。今は「安全で楽な仕事で私腹も肥やせる」から高学歴の若者も結構多いらしい。毛沢東の孫も軍人になった。


世界を見渡しても、中共を侵略しようと一瞬でも思う国はゼロだ。本音では付き合いたくないが、商売だから、まあそれなりの距離を置いて付き合っている、というのが実情だろう。ましてや侵略して14億の民を食わせるなんて、そんな奇特な国や国民があるわけない。


つまり中共の軍人に緊張感はない。私腹を肥やすことしか興味がない素行不良の息子は、やがて「サーキット遊びはもう飽きた、フェラーリは街中が良く似合う、お洒落な通りをぶっ飛ばしたい、ドリフトして喝采を浴びたい、許可しないなら暴れまくるぞ! 嫌ならカネを出せ!」となる


まるで私利私欲で軍事予算にたかる軍閥だ。5戦区あるから5大軍閥、さらに陸海空や基地ごとに派閥などがありそうだから、複雑な人脈網なのだろう。


習近平・中共は余りにも強引な外交、内政で世界の不評を買っており、たとえ孤立しても14億国民経済がそれなりに成り立つ方策を模索しているが、今さら文革時代の50〜60年前の貧困生活に戻れるわけがない。


「看中国」10/31によると、10月29日に閉会した「中共第19回中央委員会第5回総会」では、足元の「第14次5カ年計画」の具体的な経済成長策、つまり内需、雇用、投資、貿易などについてはほとんどビジョンを示すことができなかったという。


<10月30日のVoice of America は、香港大学の識者の声をこう伝えている。


「中国が過去20年間に生み出した技術革新と活況は、米国からの資本と技術支援による。計画された経済システム下であろうと(孤立した)100%の内部循環では、革新と競争力が非常に弱くなる。中国の人口が14億人とは言え、国内の科学者や技術者に頼っての技術力だけでは不十分だ」>


前門の“戦狼”中共軍、後門の“虎(ンプ?)”米国連合、習近平・中共はどちらかを選ばなくてはならない。あなたならどーする・・・狼に逆らえば確実に殺される、虎に逆らえば国が危うくなる・・・西太后の光緒帝処分みたいに密かに虎の力を借りて狼のボスを駆除するという手もあるなあ。


追い詰められた毛沢東は一発逆転の文革で甦った。習近平も真似してみたらいい、「大体、我が国は人口が多過ぎる。半分死んでもまだ7億もいる」と。

◆次期後継を示唆する人事はなかった

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)10月30日(金曜日)通巻第6684号 

 中国「五中全会」、次期後継を示唆する人事はなかった
 「中国的特色をいかす『大国外交』を実践する」そうな

10月29日、四日間にわたった中国共産党第十九期第五回中央委員会総会(五中全会)が閉幕した。開催場所も明示されず、五中全会の議事進行は秘密裏に進み、終了後、コミュニケが発表された。

結局、決まったことは何かといえば、2035年までに『先進国』並みを実現し、その前に建軍百周年を迎える2027年までに、中国人民解放軍を「完全に近代化」達成すること、経済は国内外両輪で発展させる(双循環)ことなど。

具体的には2035年までに一人当たりのGDPを先進国並みの3万ドルにしたいとすることだが、貧富の格差が天文学的に開き、ジニ係数が0・62という体質。

しかも四千年にわたってシナ人に染みこんだコアパーソナリティを変革することは殆ど不可能だろう。

農村では一ヶ月2万円以下で暮らしている人々が数億もいる。

人事が発表されるという一部の観測があったが、筆者の情報筋からは「今度の大会で人事異変はない」と事前予測が強く、その理由を「習近平は終身皇帝を狙っているからだ」と説明した。

習の子飼いのなかでも、李強(上海市書記)、丁せつ祥(中央弁皇室主任)、陳敏爾(重慶市書記)、李希(広東省書記)らが政治局常務委員へ昇格するなどという予測もあった。軍人も習のお友達が軍事委トップを飾っており、移動が行われると予測された。いずれも発表がなかった。
      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【知道中国 2152回】           
 ──英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港34)

   △
 新亜研究所で教えを受けた先生方について、指導教官の陳荊和先生から思い出すままに綴っておきたい。

先生の本貫(ルーツ)は福建省?州で、五・四運動の2年前の1917年に台湾の台中に生まれた。たしかお爺さんもお父さんも慶応義塾出身だと記憶する。先生は東京の番長小学校、麻布中学校を経て慶應義塾大学文学部史学科へ。1942年に卒業し同じ慶応の語学研究所で助手に採用されている。
1年後の1943年にハノイ極東学院に。国費留学生で、小泉信三の激励を受けてハノイに旅立ったというから、政府・大学の双方から相当に期待されていたに違いない。

おっとりした奥さんだったが、ヴェトナム貴族の血を引くと聞いて納得。ハノイ留学中に知り合ったのだろう。
 
敗戦を機にハノイから台湾へ。台湾大学(1946年〜)、フエ、サイゴン両大学(58年〜)、香港中文大学(62年〜82年)で東南アジア史、華僑史、日本研究などの講義・研究を進めた。中文大学退職後は日本に移り、創価大学(82年〜93年)で中国文化研究所長、アジア研究所長などを歴任した後、アメリカに移住。16世紀から17世紀の東南アジア華僑、さらには漢字を基にしたヴェトナムの伝統的文字の字喃の研究における国際的権威で、慶応大学、南イリノイ大学、ソウル大学、高麗大学、北京大学などでも教壇に立っている。1995年、ホーチミン市で客死。

初めて先生に挨拶したのは香港留学前で、三田の先生の研究室だったと記憶する。

第一印象は温厚そのものだったが、いざ香港での研究指導が始まると、時に厳しさが爆発した。そんな日の夜は、酒量を増やして気分一新である。いまから振り返れば、もっと素直に真面目にしつこく研究指導を受けて置けば、と。繰り言に過ぎないとは知りつつも。

なにせ番長小学校、麻布中学校から慶応義塾である。日本語は山の手のおっとりタイプ。加えてヴェトナム語、フランス語、英語、中国語に広東語、それに生地の台湾語とコトバに不自由はない。敢えて母語を尋ねると、しばらく考えた末に「ウ〜ン、日本語かな」と。

お子さんは女、男、男、女の2男2女。長女はフランス、長男はアメリカ、次男は日本に住み、香港では奥さんと末っ子の次女の3人暮らし。日常は奥さんとはフランス語かヴェトナム語、次女とは広東語、長女とはフランス語で、長男とは英語、次男とは日本語で。講義は広東語に中国語で、時に英語だった。

コトバに関する限り、日本では考えられないような複雑極まりない家族構成ではある。そこである時、「コトバがバラバラで、家族の共通感情を持てるのか。家族が一堂に会した時、そもそも何語を話すのか」と伺ったことがある。すると「特に気にしたこともない。意思疎通に特に苦労した記憶もない」と「驚くべき返答」だった。


後に改めて華僑・華人に興味を持つようになってみて、日本人の常識では理解し難い事象にぶつかる度に、先生のことを思い浮かべる。

祖先が福建省南部から台湾へ。台湾で生まれ、幼少期から青年期を日本で学び、青春の一時期はハノイ。その後、台湾に戻り、南ヴェトナム、香港、さらに日本と研究生活を続け、やがて老後を過ごすべくアメリカへ。

突然に迎えざるをえなかった人生終焉の地がホーチミンである。香港、フランス、アメリカ、日本と居住する国や地域は違えども家族は家族・・・まさに先生の人生こそ「四海為家(世界は我が家)」そのものだったように思う。

だが先生一家だけが特別と言うわけではなかった。香港で知り合った多くは家族が、血縁が、友人が世界各地に住んでいた。
むしろ香港にしか家族・親類・縁者がいない方が珍しいほど。この事実を皮膚感覚で知ったことも、香港に留学したからこそだろう。
      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(読者の声1)「大阪市廃止・特別区設置」賛成派は、「都構想」などという、何らの実体もない「言葉遊び」は止めるべきです。

 そもそも明治の初め、県制度の発足の際、東京・京都・大阪については「三府」とし、官選知事直轄地としたのは、江戸時代から幕府直轄だったこと、その中でも、特に規模が大きかった江戸、京、大坂を指して「三都」と一般に呼称されたという歴史的経緯からでしょう。]

その後、昭和18年、東条内閣の手で、国法により「東京府」を「東京都」に変え、「東京市」「東京市長」を廃止したため、現行の「一都二府」の体制となったのです。


この時は、「東京市」は廃止されたものの、35の行政区はそのままでした。現行の23(当初は22)の特別区体制に「統合」されたのは、戦後の占領時代(昭和22年)です。

また、東京市は、「自らの手で」、「市」「市長」を廃止し、市区部を「分割」するというような愚かなことは行っていません。

逆に、初めて東京府知事から独立した「市長」が置かれた日を「都民の日」としているのです(昭和27年制定)。ここには、「東京市」を、発展的に「東京都」に奪胎していくのだという姿勢を読み取れると思います。

(後の手続きを経て)「大阪府」の名称を「都」に変えたからと言って、それだけでは何らの革新的効果も、実体的効果も、生じるわけがありません。

「大阪都が出来れば、二つの文化の拠点ができるので、面白いかもしれない」(下重暁子氏、『週刊朝日』10月30日号)などというのは、根拠も論理も無い、全くの妄言であり、論者の知能レベル、判断力を疑いたくなります。

 なお吉村大阪府知事は、道州制にも言及しているようですが、道州制というのは基礎自治体を強化する一方で、府県のような中二階的な組織はブロック単位に統合していこうという構想のはず。

 基礎自治体である大阪市を「解体」するような考えとは、真っ向から矛盾するはずです。

 片山善博氏が言うように「区の貧富の差は財政調整制度で埋められます。ただし地方自治法や、住民投票の根拠である大都市地域特別区設置法に大阪市を復活させる規定はありません。

都構想の推進側は住民投票で敗れても何度でも挑戦できますが、反対派は一度負けたらゲームオーバーです。大阪市民は、自分たちが背負うことになる結果についてよく考える必要があると思います」。

 住民投票にあたっては、大阪市民の良識が発揮されて、「大阪市廃止案」が葬られ去ることを祈ります。
   (椿本祐弘)



  ♪
(読者の声2)アメリカ大統領選挙の行方が注目されますが、2014年から2019年までアメリカのアメリカに赴任しトランプやラストベルト(米国中西部から北東部の衰退した工業地帯)などを取材してきた朝日新聞の記者まで自身の取材経験をもとに世論調査の数字に違和感を感じているらしい。

ネットではハンター・バイデンの「不適切な関係」画像が出回り、それを抑えようとするツイッター社を揶揄するGIF動画まであり笑えます。

https://dotup.org/uploda/dotup.org2290705.gif

父親は痴呆症のロリ疑惑、息子は麻薬漬けのセックスジャンキー、息子の息子は9インチ砲(メジャーで計測している画像あり)とマイナス要素が多すぎてとても大統領選挙で勝利できるとは思えない。

郵便投票が多い今回は高橋洋一氏がいうようにトランプ・バイデン両者が勝利宣言し、来年1月の就任式直前までもつれるかもしれませんね。(PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)小生が信頼している(?)のは政治オッズ(賭けサイト)です。先週はイーブンでしたが、29日現在まだバイデンが僅差でリードです。



  ♪
(読者の声3)日本文化チャンネル桜から番組のお知らせです。本日(30日)夜の「フロントJAPAN」は、宮崎正弘さんと上島嘉郎さんのコンビでお届けします。
 テーマは「中国共産党 五中全会の意味すること」ほかです。深夜にはユーチューブでもご覧頂けます。
   (日本文化チャンネル桜)



  ♪
(読者の声4)中国では2021年が中国共産党成立100周年。その100年前の地図を探すと1922年のロンドン・タイムズ発行のものがありました。

https://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~3183~450014:China---political

この地図を見ると清朝が満蒙回蔵の同君連合だったという宮脇淳子女史の言葉が理解できる。外蒙古は多くの汗部にわかれ内蒙古はハルビンの西にまで至る。さらに古い清朝末期の地図(1903年、シカゴ、ランドマクナリー社)を見ると新疆がジュンガルと東トルキスタンに分かれている。
https://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~37942~1210790:East-Asia

ジュンガル盆地のオイラートは18世紀半ばまで清朝に服属せず反乱を繰り返したようですが、ウイグルに対しては支配する側でありオイラートの圧迫を逃れて移住する回族も多くいたとも。中国で火鍋や串焼きといえば羊肉で、多くの都市に清真寺という中国風のイスラム寺院がありますから納得です。

満洲国があった時代の本を読むと満蒙という言葉は広義では満洲と蒙古ですが、狭義では満洲国内と隣接のモンゴル人地域を指す言葉だったようです。

楊海英氏の本に出てくるモンゴル騎兵によるチベット侵攻の話、現在の地図では遠く離れた地域に思えますが、昔の地図なら甘粛省を挟んですぐとなり。世界の民族問題や国境紛争など第一次・第二次世界大戦前後の地図を見ると理解の助けになります。(PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)小生は随分と昔に『中国大分裂』(文藝春秋、ネスコ。絶版)という本を書いたのですが(すぐに中国版がでましたが)、以後しばらく、中国分裂論は日本の論壇からも消えていました。


天安門事件直後には欧米に亡命した学者らが「中華連邦論」を唱えていましたが、これも下火です。
 本質的には七つほどの分裂したほうが良いことは分かっているはずですが、大中華思想が、ときに分裂論を圧殺します。

◆なぜ日本では「中国」という呼称

和田憲治


▼なぜ日本では「中国」という呼称・表現を(わざわざ)使うのか?


本来、「支那」と呼ぶべき地域・エリアのことを日本ではなぜそう呼称せずにわざわざ「中国」とするのか?

「中国」とは「中華人民共和国」の略称であって、
地域的概念としての名称は「支那(シナ)」です。

これは、第二次大戦時に、日本が米国に敗北したことに伴ってある意味、棚ぼたで勝利した、中華民国の蒋介石が
日本に対して、「支那」と呼ばず「中華民国」または、略称を「中国」と呼ぶよう要求し、それをそのまま日本側が飲んでしまった結果です。

ここから「中国」呼称のネジレが始まりました。

「ちょっと言ってみたら、
 俺の言うこと丸呑みしてくれたよ、
 バカじゃねーの、日本!
チョロいな!(笑)」

と、蒋介石は思ったに違いない。
これは、それくらい「間抜けな」話なのです。

その後、中華民国の蒋介石は中国共産党の毛沢東に敗北し
その中国共産党が1949に中華人民共和国を建国しました。
そして、新たに建国された共産独裁国のことも、日本ではそのまま「中国」となってしまいました。

中華民国以前に大陸に存在していた国家は「清」であり、
日本人はその地域のことを「シナ」と呼んでおり、そこに住む多数の民族まとめて「シナ人」として認識していました。

遣唐使時代は、「唐土(もろこし)」と呼称したり、
来航する中国商人を「唐人(からびと、とうじん)
などと呼んでいましたが、近世以降はシナ(支那)という呼び名が普及していたのです。

「シナ」という言葉は、中国古代の王朝の一つ「秦(シン)」が語源と言われ、英語の「チャイナ」もスペイン語の「チーノ」もフランス語の「シーヌ」も同様です。

漢字で「支那」と書くとこれまた蔑称だという人がいますが、音として、カタカナ表記の「シナ」ならば諸外国の呼び方の音に準じているわけですから、本来、これは「差別語」などではありません。

そもそも、地域的概念でいえば
東シナ海や南シナ海で使われているのも「シナ」です。
歴史的に使ってきた言葉であり、
世界標準で通用しているの呼称なのに
なぜか日本人はそれを放棄してしまいました。

ここで、「中国」という言葉が危険だ…
という話をしてみます。

江戸時代前期の儒学者である
山鹿素行という人物をご存知の方は多いと思います。

彼は、自著『中朝事実』の中で、
中国(支那王朝)は「外朝」であり、
日本人にとっては、逆にむしろ
日本こそが「中国(なかつくに)」・「中華」である、
と主張しています。

「"中国"という言葉」は、自国を指したり、
自国が「天下の中心」であることを示す言葉なので、
日本人が支那大陸の国家を「中国」と呼ぶということは、
日本人が、自分から自国を「外朝」と認識して、
まるで、日本が支那王朝に対する「朝貢国」
であるかのような立場に置くもの…と言えるのです。

更に言えば、よく巷では
「中国4000年の歴史」などという表現がありますが、
有史以来、支那大陸の歴史・王朝史を紐解くと、
実際のところは、純粋に漢民族による王朝よりも、
異民族によって漢民族が支配されていた国家がほとんどでした。

その漢民族自体も、そのような異民族との戦争、
征服・支配、亡命、移動、迫害を繰り返して、
混血が進んだ結果が現在の「漢族」です。

連綿と続いてきたのは、虐殺の歴史くらいで
本当は「中国」の歴史などというものではありません。

『目に見えぬ侵略』のクライブ・ハミルトン教授はじめ、
欧米含む世界では、もちろん普通に「チャイナ」
と称し、表記しているわけですから、そこにネジレはありません。
この呼称問題は日本だけが抱えるものです。

石原慎太郎元都知事や、
故・中嶋嶺雄東京外語大学名誉教授、
故・渡部昇一上智大学名誉教授などは、
中国ではなく「シナ」と呼ばねば説明がつかない、
と、一貫して主張していましたが、
肝腎の政治家、外務省の役人、
その他多くの学者・言論人なども
本来「シナ」と呼ぶべき文脈でも「中国」と呼び、
自らも気付かないうちに
性根から侵略されてしまっているのです。

紀元前からのシナ大陸での歴史を語る場合に、
「シナ文明」という呼び方ではなく、
「中国文明」と、ごく当たり前の如く
日本人が自分から語ってしまっている時点で、
すでに中国(中華民国、中華人民共和国)側の
プロパガンダに見事にやられてしまっているのです。

「日本という国は、所詮、
 大中華の外れの、取るに足らない
 弱小国に過ぎない」

と日本人自身の思考が
既にそうなってしまっているのです。

ここで日本人が目覚め・自覚すべきなのは、
あのエリアを称する時の地域的概念は
「シナ」か英語音に準じて「チャイナ」とすべきで、
「中国」と呼称する際には、あくまでも、
「中華人民共和国」か「中華民国」の略称である、
ということをその都度、何度でも、
しつこいくらい確認しておく、ということなのです。

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡荘十

正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し始めた。まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”が、いかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。
「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣
歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。
というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。
ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな
スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ
つい先だってまで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。そこで、先日「ウイルスは季節に関係なく拡散しているのではないか、と疑わせる」と根拠もなく書いたが、最近の定説は私の山勘どおりだった。

インフルエンザは熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

新型インフルエンザの蔓延を経験した兵庫県医師会は、「兵庫県においても、初期規制の徹底で一旦ゼロとなったものが、再 び5月を上回るレベルになりつつあり、全数調査の全国的中止にもめげず、可能なPCR検査実施による確定数は増え続けています」と報告している。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

最近の厚労省の報道リリースを見ても緊張感はない。記憶に新しい水際検疫作戦は、世界の非常識だったことを最近になってしぶしぶ認め、方針転換に踏み切ったが、日本国内の企業は秋口に備えてマスクの買いだめに走っている。

やはり、この際の世界の常識は、WHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。   


2020年11月01日

◆学術会議 民営化で自由に

阿比留 瑠比


ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーといえば、政治家が、著書『職業としての政治』を引いてその心構えを語る場面が目立つ。だが、彼には『職業としての学問』という著書もあり、学者らが教室で、政治的集会で語るような党派的な言葉を使うことを強く戒めてもいる。

 「もし教師たるものがこうした事情、つまり学生たちが定められた過程を修了するためにはかれの講義に出席しなければならないことや、また教室には批判者の目をもってかれにたいするなんぴともいないことなどを利用して、(中略)自分の政治的見解をかれらに押し付けようとしたならば、それは教師として無責任きわまることだ」

  非現実的な主張

 長々と引用したのは、26日のBSフジプライムニュースで、政府機関、日本学術会議の新会員の選に漏れた岡田正則・早大大学院法務研究所教授が述べた言葉から、岡田氏はどんな講義をしてきたのだろうかと想像したからである。

 岡田氏は、学術会議が学問の自由を侵して大学研究者による軍事研究を事実上禁じてきたことに関連し、こう語っていた。

 「相手が軍備を持っているから、こちらもそれに向かって武器を持たなければいけない、こういう技術を動員しようというのはもはや時代遅れだと思う」

 「中国でも北朝鮮でも、国際社会で変な武器を持たないようにしましょう、使わないようにしましょうとするのが自衛の在り方だ」

 控えめに言って現実的ではないし、論理性もなく何ら説得力を感じない、筆者が教員だったら、こんな答案は「現状認識が根本的に間違っている」として不可を与えたいが、学術会議ではごく普通なのだろいうか。

 筆者は、はるか昔の大学時代、あまりに空想的平和主義に傾いた国際政治関連の講義に、あきれた思い出がある。今も案外、変わらないのかもしれない。

 岡田氏の考え方は、「対北朝鮮の問題は外交的解決しかありえない」(小池晃書記局長)との共産党の積年の主張と、通底するようにも思える。ともあれ、任命権者の菅義偉首相が、特別職国家公務員に任命するにふさわしいだろうか。 

  繰り返し偏向指摘

 学術会議の在り方はたびたび問題視され、改革も試みられてきた。昭和46年9月3日の朝日新聞記事によると、自民党の政調内閣部会(鯨岡兵輔部会長)は、日本学術会議についてこんな報告をまとめている。

 「このまま放置すれば、学術会議は一部特殊イデオロギーを持つ者の集会所となり、それが法律により権威づけられているだけに、国家の存立にかかわる重大な要因になるといってもいいすぎではない」

 税金が投入される学術会議に対する特定政党の浸透と、それに左派偏向は半世紀以上前から繰り返し指摘されてきたのである。

 また平成15年には、政府の総合科学技術会議(議長・小泉純一郎首相)は学術会議の在り方について「国の機関として存続を」と望む学術会議側の主張を退け、10年以内に国から独立した法人にすべきだとする改革案を決定したが、うやむやになっている。

 学術会議元副会長の唐木英明・東大名誉教授は民間のシンクタンク、国家基本問題研究所のホームページでこう提言している。

 「欧米の科学アカデミーに倣って民間組織に生まれ変わり、真に社会の役に立つ政策提言機関として活動する道を選ぶしかない」

 民間組織ならばどんな人事も偏向も自由なのだから、民営化すればいい。今が絶好のチャンスである。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 令和2年10月29日

松本市 久保田 康文さん採録 

◆五全中会は何を決めるのか

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)10月29日(木曜日)通巻第6683号 

五全中会は何を決めるのか。習近平の終身独裁皇帝を追認するだけ?「マスク外交」から「戦狼外交」、そして次は「ワクチン外交」を展開

 必死の形相で王毅外相は欧州を駆け回ったが、対中感情の悪化を修正できず、慌てて楊潔ち国務委員もスペインなど南欧を巡回した。さっぱり効果なしと分かったのが八月下旬だった。根底にあるのは中国が派手に転回したマスク外交への不信である。

 とくにスウェーデンやノルウェイ、チェコ、ポーランドなどがはっきりと反中国を示すようになり、いまでは親中路線の欧州の国といえば、ハンガリーくらい?

 チェコは国会議長らが集団で台湾へ赴いた。中国は歯ぎしりして、制裁を口にした。

 オランダもスペインも、その他の欧州各国で中国が供与したマスク、とくに医療用マスクならびに人工呼吸器が不良品、大量に突き返し、「中国はまるで火事場泥棒」という評価が欧州ばかりか世界中で固まった。

 それでも欧米並びに主要な工業国家で、自国製マスクを製造していないことが分かり、米国では自製への試行錯誤がつづいた。日本ではシャープなどかなり成功したものの、ドラッグストアやスーパーで売られているマスクは殆どが中国製、「道の駅」へいくと地元の主婦らが編んだマスクも並んでいる程度で、依然として中国依存である。

 鳴り物入りの米国進出だったホンハイ(鴻海精密工業)のウィスコンシン州工場は、半導体ではなくマスクを生産することに切り替えて対応したが、それはともかく「マスク外交」は中国の評判を落とした。

 そこで中国は飴と鞭の「戦狼外交」に切り替えた。脅しと金のばらまきで票を買うという中国の強権発動に、民主主義国家は反発した。

欧米では逆に人権、民主の声を高めたのだが、中東やアフリカ諸国では、中国と似た専制政治が多いため、一定の効果を挙げた。

日本では嫌中論が拡大しているにも拘わらず、政官界、財界並びにメディアにはパンダハガーがうようよと遊弋し、世論を誘導している。日本政府は決定的な対中態度を示せないでもたついている。


 ▼もし米国政治に空白期間が生まれたら、台湾侵攻もありうるだろう

 11月3日、アメリカの大統領選挙投票日。おそらく開票に手間取り、ひょっとして一月の新大統領就任式まで、トランプのレイムダック化があるとすれば、習近平は国内をまとめるために台湾侵攻に打って出る可能性がある。

台湾本島ではなく、台湾軍の常駐している東沙への侵攻というシナリオが、もっとも蓋然性が高いと軍事専門家の間では囁かれている。

両天秤をかけながらも中国は、「戦狼」路線を「修正」し、こんどは「ワクチン外交」に転ずる気配である。
 中国製ワクチンなど、聞いただけでも眉唾と思いきや、なにしろ米国の薬剤、とくに抗生物質は90%を中国に依存している。したがって中国がワクチンを欧米や日本に先駈けて売り出す可能性が高いのだ。

まして外交武器として廉価で供給するとなると、中国に飛びつく国々が山のようにある。一帯一路で借金の山を前にして呻吟するスリランカやパキスタンなどでも、またもや中国のワクチンほしさに外交の基本を切り替えることを躊躇わないだろう。

中国は、北京依存から脱却を試みる国々をつなぎ止めるためにもワクチン外交を有効活用しかねない。

トランプ外交は中国を孤立化させることにあるものの、欧州では英仏くらいが同調しているのみ。それも英国は旧植民地の利権、フランスはいまもニューカレドニア、タヒチなど植民地をかかえているので、日米豪印のインド太平洋戦略に関与せざるを得ない。ドイツは曖昧な態度を示してきたが、フランスと並んで、ふたたび都市封鎖に踏み切り、中国への不信感が急拡大している。
 西側のアキレス腱は医療現場の困惑、中国はスペイン、伊太利亜などに目標を定め、着々とワクチン外交を準備中というわけだ。
  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)遅くなりましたが、貴著『明智光秀 五百年の孤独』(徳間書店)を拝読した感想です。明智光秀論は凄い。連句会での発見は凄い。こんなところに真実があって、其れを発見されるまで明智光秀が浮かばれませんでしたね。俳句に託して光秀は武と文、その心が分かっていたのでしょう。

戦後、物資主義などで解釈すると、信長信奉になって、まさにGHQに洗脳されたしまった。しかし東京裁判で日本の武を裁いても、日本人の心は裁けなかったのです。

日本学術会議的に解釈すれば明智は悪人になる。戦後の事大主義の学者、進歩的文化人が日本を悪に仕立て上げ、GHQはさぞ満足していたのでしょう。そんな感想を抱きつつ、貴著を拝読し終えました。
  (TS生、横浜市戸塚区)

  ♪
(読者の声2)『ガラガラヘビ』というミニコミ誌に、山本光久氏が、次のように書いています。

浜某女史が菅野ミクスを評して「スカノミクス」や「アホノミクス」と比喩したことを称賛する一方で、「三浦瑠璃とかいうクソが、ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」すらまともに読めないクソ莫迦の自称「国際政治学」云々と罵詈雑言。

凄まじい侮蔑語満載、こういう評価もあるのかと呆れかえった次第ですが、いかに。(YH生、大宮)


(宮崎正弘のコメント)両女史の名前だけは存じておりますが、著作を読んだことがないので、コメントのしようがありません。あしからず。

  ♪
(読者の声3)最後に貴誌「読者の声」欄に愚文を掲載して頂いたのが2ヶ月前。ふと気が付けば、自由陣営の中軸である良好な日米同盟の担い手である安倍首相が持病悪化の為に突如まさかの退陣。さらには米側カウンターパートのトランプ大統領も再選が困難と連日の報道。

「トランプ=安倍の蜜月関係」は「バイデン=菅の通常関係」に置き換えられるのか。政権末期には貴誌読者諸兄からも批判が多く出たが、それでもなお安倍晋三という人物は五十年に一度の稀有の逸材であり真のステーツマンであったと思う。

難病の持病を抱えながらの七年八ヶ月の首相在任に感謝したい。と同時に、病状回復の折には未だやり遂げてない宿題を推進する原動力として身を粉にしてもらいたい。

さて、最近の貴誌記事中で愉快なのは、【知道中国】での樋泉克夫教授の青春の躍動感溢れる香港留学時代シリーズである。

若い人など現代の感覚では、シナ語を身に着けるのに「北京や上海では無くて何故(広東語の)香港なのか」と思ってしまう。物を知らぬおらなども漠然とそう感じたが、樋泉教授が香港留学を始めた1970年頃と言えば、シナ大陸では文化大革命の嵐が吹き荒れる最中である。

日中平和友好条約(1978年)も、日中共同声明(1972年)すらまだだ。当時宗主国英国の情報機関などは大陸から香港への脱出者から共産中国の内部情報を相当収集取しただろう。当然米国も情報共有した筈だが、樋泉教授は戦前から大陸につながりの有る日本人もかなりの情報を取っただろうと暗示する。

だが果たしてそれが当時の防衛庁や公安警察や外務省、さらには内閣官房にキチンと上がったのか。

日中共同声明調印交渉の為に北京のホテルに滞在していた田中角栄首相が朝食に「毎朝食べる指定のアンパン」を出され呑気に驚いたが、首相に同行した公安幹部は当時の中国の調査力にショックを受けたという。

日中間に国交の無かった当時に、中国当局が如何にして首相の嗜好など身内しか知りえない機微な個人情報を持ち、さらには日本から物品を入手し得たのか。国交の無い時点でそうなら、現在では日本の要人の弱みなど個人情報は丸裸同然であろう。(確か中国の女スパイに携帯番号を教えた首相が居た、苦笑)。
  (道楽Q)

  ♪
(読者の声4)「大阪市廃止・特別区設置案」では、二重行政解消どころか、府・一部事務組合・特別区の「三重行政」になり、事務の進展が現状よりも阻害される恐れが強いことを述べましたが、府知事・府議、4区長・区議も別個に選挙される以上は、それらが同一会派によって占められることは必然ではなく、府と4特別区間の利害抵触も懸念されます。

区長、区議会の自治性、独自性、競争性が発揮されればされるほど、4特別区間の差異、不公平は顕在化することになるでしょうし、逆に、そうでなければ個々に分立させる意義が少なくなります。 自治性と公平性は相反的でしょう。

この点に関しては、片山善博氏が、旧自治官僚で、総務大臣、知事の経験もあることから、当然ながら、実務も踏まえた上で、説得的な主張をしています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/24bb84752b3318d42b9331b217a9a6199679aa68

10月27日付「毎日新聞」「朝日新聞」は、「大阪市を分割した4つの自治体の行政コスト『基準財政需要額』について、現状と分割後を比較した市財政局の試算では、新たに218億円の行政コストが表面化し、大阪市廃止で設置される4特別区の財政運営に懸念を生じさせる結果となった」と報じています。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/820958a934d53fb470797c18ed30ae5f7b712e4a
  
総務省は「行政事務は一般的にスケールメリットが働き、規模が大きくなるほど経費が割安になる傾向がある」という考えのようですが、当たり前の話であって、「統合」するならともかく、「分割」して運営効率化が図られることなど通例ではあり得ず、費用が増加することは必然でしょう。

10月27日の読売新聞によると、反対派の数が増加してきたことについて、維新の幹事長が「特に若い世代に理解が浸透していない」などと妄言を吐いているようですが、狂っている。通常の判断力さえ具えていれば、若い世代が、維新の唱えるような妄説、妄論、愚論に従えるわけがないでしょう。

 大の初期経費をかけて「自己破壊」を行い、行政運営上、財政上、マイナスが出る可能性が大きい政策など、あまりにも愚かで、「暴挙」としか言いようがありません。
  (椿本祐弘)

  ♪
(読者の声5)「維新の会」のお里が知れた。前の市長だったか知事だったかの橋本某の講演料が216万円だそうです。テレビ出現が百万円という噂を耳にしたこともあります。

大阪市民って、いったい何を考えているのでしょうか?
 こういう価値観がまったく分かりません。しかも自治体とか公的機関に準ずるところが講演先とか、税金の無駄遣いではないのでしょうか?(ナガスネヒコ)

◆環境省は米軍基地を調査せよ 

内田 誠


東京の水道水汚染 健康不安の根本原因は?環境省は米軍基地を調査せよ

心配事・不安の96%は起こらないことが判明―アメリカの調査

今年初め、東京多摩地区の水道水から有機フッ素化合物が検出されたことが明らかになり、NPO法人が府中市と国分寺市で住民の血液検査を実施。この度、その影響が懸念される数値を公開しました。

メルマガ『uttiiの電子版ウォッチ
DELUXE』著者で、ジャーナリストの内田誠さんは、東京新聞のスクープを紹介し、有害物質「PFOS」関連の記事を検索。東京同様に汚染されているのが沖縄で、米軍基地が有害物質をたれ流している実態を暴き、地位協定を改定して調査に乗り出すべきと訴えています。

飲料水に有毒な化合物混入問題を新聞はどう報じたか?

きょうは《東京》の番になります。社会面に、飲料水に有毒な化合物が入っていた問題について記事があります。これを取り上げましょう。問題の有害物質の名前を示す「PFOS」を、《東京》の過去記事検索に掛けると13件ヒットしました。

《東京》25面の記事。まずは見出しと【セブンNEWS】第7項目の再掲から。

府中2倍、国分寺1.5倍有害物質の血中濃度 全国より高く
NPOが市民調査 浄水所2カ所、昨年まで指針値超

水道水の汚染が指摘された東京都府中市と国分寺市の住民を対象に、NPO法人が行った血液検査で、発がん性などが懸念される有害な有機フッ素化合物「PFOS」の血中濃度の平均値が、府中市で全国平均の2倍超、国分寺市で1.5倍だった。

「PFOS(ピーフォス)」とは有機フッ素化合物の1つで、「「PFOA(ピーフォア)」とともに1950年代から消火剤やフライパンのフッ素樹脂加工に使われ、現在は条約で製造、販売、使用が禁止されている。環境中で分解されにくく、地下水などを通じて体内に蓄積されやすい性質があるという。

調査を行ったのはNPO法人「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」で、19年の都による調査で有機フッ素化合物の値が指針値を超えた2カ所の浄水場からの配水区域内に5年以上居住する住民22人の血液を調べ、府中で2倍など、全国平均を上回る数値が明らかになったという。

「PFOS」は発がん性だけでなく、免疫や内分泌のかく乱など、様々な問題が指摘され、日本では既に2010年に似た構造の「PFOA」とともに全廃されている。今回の汚染源については、米軍横田基地の可能性が高いそうで、2010年から17年にかけて、PFOSを含む泡消火剤3千リットル以上が土壌に漏出したとされている。

●uttiiの眼

このNPO理事で環境科学が専門の中地重晴教授(熊本学園大)は、「今すぐに健康に影響が出るレベルではない。原因は米軍基地か工場か分からない」と言っている。ということは、米軍基地内の泡消火剤に「製造・販売・使用」が日本国内で禁止されている物質が含まれている可能性、あるいは近隣の工場が不法にPFOSを使用していた可能性があることになる。


横田基地のケースは英国人ジャーナリスト(過去の記事にも登場するジョン・ミッチェル氏)が内部資料をもとに報じたものだそうで、漏出があったのは、日本国内での使用が禁止された後、ということになりそうだ。持ち込ませてならないのは核兵器だけではない、ということか。
at 08:13 | Comment(0) | 内田 誠

◆蕪村公園横の「毛馬の閘門」

石田 岳彦 弁護士


阪急千里線の柴島駅(本筋から思い切り離れますが「柴島」を初見で「くにじま」と読める人がどれだけいるでしょうか。)から天神橋筋六丁目駅へ向かい、淀川にかかる鉄橋を渡る際、左側奥、淀川大堰の向こう側に大きな「水門」が見えますが、その水門には「毛馬こうもん」と白抜きで大きく書かれています。

「こうもん」を漢字で書くと「閘門」です(ちなみに「毛馬」は地名で「けま」と呼びます)。

最近は警察署にも建物の壁に「けいさつ」と平仮名で大きく書いているところがありますが、「閘門」と書いても読めない人が多いので、「こうもん」と平仮名で書いているのでしょうか。

もっとも、警察署と違い、読みだけ知ったところで何をやっている施設かは分からないと思いますが。

それはさておき、阪急千里線を通勤経路にしている私にとって、毛馬の閘門は見慣れた存在でしたが、近くにまで行く機会はありませんでした。

平成20年春、毛馬の閘門が国の重要文化財に指定されることになったというニュースを聞いた私は、これをよい機会と毛馬の閘門に行ってみました。我ながらミーハーです。

毛馬の閘門に行くには、天神橋筋六丁目駅(阪急千里線、地下鉄堺筋線・谷町線)から北上し、淀川にかかる長柄橋の南詰めから河川敷に出て、更に5分ほど東へ歩きます。

河川敷は公園になっていて、堤防上には歩道も整備されていて、歩いていて楽しい道ですが、天神橋筋六丁目駅からは20分以上の歩きになり、大阪市内ということを考えると交通の便の悪い場所といえるでしょう(私がなかなか行く気になれなかった理由もこれです。)。
 
現地に設けられていた説明板によると、閘門というのは、水位の異なる川、運河等の間で船を行き来させるため、両側に水門を設けた水路で、毛馬の閘門の場合、大川(低)と淀川(高)との間の高低差を調整して船を通すために建造されたものです。

淀川から大川に入る場合、まず、水路内の水位を淀川に合わせたうえ、淀川側の水門のみを開けて船を水路に入れたうえで閉じ、水路内の水を抜いて、水面の高さを大川と同水位に下げた後、大川側の水門を開けて船を通過させるという仕組みになっています。

逆に大川から淀川に行く場合には、大川側から水路に船を入れたうえ、水を補充して水路面を淀川と同水位にまで上げてから、淀川側の水門を開放することになります。

なお、そもそも隣り合っている2つの川の水面に何故、極端な高低差があるかといえば、本来の淀川の流れは大川の方で、現在の淀川のうち毛馬よりも河口側の部分(新淀川)は明治時代に治水上の必要で人工的に作られたためだそうです。

ちなみに現在の毛馬の閘門は3代目で、私が毎朝見かけている「毛馬こうもん」もこの3代目にあたります。今回、重要文化財に指定されたのは、初代と2代目(今は船溜になっているそうです)で、このうち初代の閘門は、3代目のすぐ近くに見学用として整備されていました。

初代閘門の水門は2つの扉が観音開きになる方式で(なお、現役の3代目の閘門は門扉が上下して開閉するシャッター方式だそうです。)、現在は半開きの状態で固定されています。最近になって塗りなおされているようで、水色の大きな扉が鮮やかです。

北側の淀川側の水門は、近くにある堤防から一段低いところにあり、階段で下まで降りることもできますが、降りたところに柵が設けられていて、その先の水門をくぐることはできません。

もっとも、南側にある大川側の水門(淀川側に比べてかなり小型です)は開放されていて、そちら側から(旧)水路(当然のことながら現在では水路に水は流されていません。)の中に入ることができ、更に進んで淀川側の水門をくぐることもできます。北側の柵はいったい何のためでしょうか。

水路の中央に見学用の通路が設けられていて、その両側は何故か芝生になっていました。先ほどの柵といい、「こうもん」のペイントといい、この芝生といい、大阪市はよく分からないことに、金と手間を使います。

水路といっても船が通り抜けることができるだけのスペースですから、幅もそれなりにあり、スペース自体はちょっとした広場並みです。両側の側壁はレンガ造りになっていて、ところどころに鎖が取り付けられています。係船環と呼ばれる船を繋ぐためのものだそうです。水路に水を注入または排出するときに船が動かないようにするためでしょうか。

近くには初代閘門の付属施設として建設された洗堰(水が堰の上を越えて流れるタイプの堰)も残っています。淀川(新淀川)から大川に流れ込む水の量を調節するためのものだそうです。なかなかシックなデザインですね。

大阪市やその近郊にお住まいの方であれば、天気のよい休日にでも、広々とした淀川の河川敷や与謝蕪村公園の横を歩きつつ、ちょっと「毛馬の閘門」に寄ってみられるのも悪くないでしょう。(終)