岸田政権に「複合危機」
習近平国家主席が「台湾を回収する」といって、台湾を威嚇している。
口癖だ。
10月はじめの3日間に、中国は150機の爆撃機、戦闘機を台湾の防
空識別圏に侵入させた。台湾の対岸で台湾進攻の演習を繰り返している
米国が台湾を防衛することなく、中国の餌食となるのを傍観したら、日
韓をはじめとするアジア諸国が、米国を信頼できなくなって、中国へ靡
(なび)くことになるから、台
湾を守るために戦わざるをえない。
台湾の蔡英文総統が米海兵隊が台湾にすでに駐留していると、明らかに
した。かねてから米海兵隊が台湾に入っていることは、防衛関係者のあい
だで周知のことだったが、
米国当局の合意をえたうえで発表したものだった。
台湾こそ、自由世界と中国との対決の天王山となっている。天王山は羽
柴秀吉と明智光秀が戦った時にこの山を争い、秀吉に勝利をもたらした。
中国が台湾を奪ったら、日本は独立を維持できない。一蓮托生の関係だ
が、自衛隊が後方支援を行っても、憲法解釈を正さないかぎり、台湾を守
るために出動できない。
中国は米国が軍事介入したら、幅150キロの台湾海峡を渡ることがで
きない。
なぜ、習主席はこれほどまで台湾を“回収する”ことにこだわるのか。
いま、中国経済が行き詰まっている。中国人民は高い経済成長によっ
て、中国共産党独裁体制を支持してきた。
中国は火を吐く巨龍なのか、それとも病んでいる大蜥蜴(おおとかげ)
なのだろうか。
GDP(経済規模)の1/3近くを占める不動産部門の借金が脹れあ
がって、慌ててブレーキを踏んだために、4%成長まで落ち込んでいる。
習体制前の胡錦涛時代に「保八(パーオパ)」(八%成長を死守)を大
号令としていたのに「保四(パーオス)」に落ちて、1990年代へ戻っ
ている。これからも低成長が続く。保三(パーオサン)になるのか。
中国は病んだ大蜥蜴だ。そのために習体制は国外に危機をつくりだし
て、人民の関心をそらして引き締めようとしている。
日米、インド、オーストラリア、英仏独などの諸国軍が腕を組んで中国
を封じ込めるかぎり、中国はうっかり台湾に手を出せない。
だが、それで安心していられるだろうか?
中国を甘くみてはならない。
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◆中国の怒りを買おうとも...
クライン孝子の日記
EUの台湾への急接近は、経済的にも合理的な判断だ
ニューズウィーク日本版
<中国経済に逆らえなかったはずの欧州が「台湾重視」に豹変。民主主義
的価値観だけで...
台湾, ヨーロッパ、中国の怒りを買おうとも...EUの台湾への急接近は、
経済的にも合理的な判断だ……<中国経済に逆らえなかったはずの欧州が
「台湾重視」に豹変。民主主義的価値観だけではない2400万人市場の魅力
とは> 中国 台湾 ヨーロッパ
<中国経済に逆らえなかったはずの欧州が「台湾重視」に豹変。民主主義
的価値観だけで...
2021年11月17日(水)17時40分台北で欧州議会のグリュックスマン議員と
面会する蔡英文総統(11月4日) TAIWAN PRESIDENTIAL OFFICEー
REUTERS<中国経済に逆らえなかったはずの欧州が「台湾重視」に豹変。
民主主義的価値観だけではない2400万人市場の魅力とは>去る11月3日、
欧州議会の公式代表団が史上初めて台湾に足を踏み入れた。欧州議会の
「外国の干渉に関する特別委員会」の面々は台湾に3日間滞在し、総統の
蔡英文(ツァイ・インウェン)や行政院長(首相)の蘇貞昌(スー・チェ
ンチャン)、立法府(立法院)を代表する游錫堃(ヨウ・シークン)らと
の協議に臨んだ。
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オミクロン流行 首相「国内拡大の最悪の事態想定」オミクロン流行 首相
「国内拡大の最悪の事態想定」
10月末にも、やはり史上初めて台湾外交部長(外相)の呉サ燮(ウー・
チャオシエ)がブリュッセルで、9カ国を代表する欧州議会議員や複数の
EU本部当局者(個人名や肩書は公表されていない)と「非政治的レベル」
の協議をしている。こうした相互訪問は前例のないもので、欧州の台湾政
策における大きな変化を示唆している。これまで欧州議会や加盟国の一部
が主張してきた路線を、欧州委員会や(加盟国全体の外交政策などを調整
する)欧州対外行動庁も支持するようになってきた。その背景には、民主
主義の友邦である台湾を支えるためなら政治的にも経済的にも投資を惜し
まないという欧州側の意思がある。それは経済的な利益にもなり、台湾海
峡の現状を守り平和を保つことにも役立つ。台湾にも欧州にも攻撃的な姿
勢を強める中国に対し、ひるまず剛速球を投げ返す姿勢だ。
10月には欧州議会が、台湾との関係を強化し「包括的かつ強化されたパー
トナーシップ」の確立を求める決議を採択している。そこにはEUと台湾の
投資協定や、各種の国際機関で台湾が果たす役割を強化することへの支
持、科学や文化、人材面での交流の拡大、メディア・医療・ハイテクなど
の分野での協力推進などが含まれる。この決議はさらに、台湾におけるEU
の出先機関「欧州経済貿易弁事処」の名称を「EU駐台湾弁事処」に改め、
「EUと台湾の結び付きの広さを反映させる」ことも求めている。これが
580対26の大差で可決された事実は重い。 headtopics.com
EUの足並みがそろうさらに注目すべきは、長年にわたり中国政府の怒りを
買うことを懸念して台湾との関係強化に消極的だった欧州委員会や欧州対
外行動庁が、この決議に賛同したことだ。外相に当たる外交安全保障上級
代表のジョセップ・ボレルもマルグレーテ・ベステア上級副委員長(競争
政策担当)も支持に回った。これは欧州議会における親台勢力、とりわけ
ドイツ選出のラインハルト・ビュティコファー議員らにとって目覚ましい
勝利だ。中国政府は激しく反発するだろうが、彼らの提案は伝統的な「一
つの中国」政策の枠組みを全く崩していない。台湾の独立を支持している
わけではなく、むしろ台湾海峡の現状の維持を唱えている。
欧州議会の採択した決議の内容は全て、従来の「一つの中国」政策の範囲
内に収まる。要は今までの解釈が狭すぎ
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◆香港大学キャンパスから
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)12月24日(金曜日)弐
通巻7168号
香港大学キャンパスから「恥の柱」像を撤去
抵抗組、メディアはドローンで撤去作業を撮影
香港大学は、中文大学と並ぶ香港の名門校。米国大統領が、香港を訪問
するとここで演説することでも知られる。その中庭に聳えていた自由のイ
コン「恥の柱」が、23日真夜中に撤去され、コンテナにつまれて某倉庫
へ運ばれた。
高さ8メートル、50人の弾圧された人々の苦痛、呻吟の表情が克明に
超克された作品で、デンマークの彫刻家、イェンス・ガルスキオットが造
形した。イェンスはアルジャジーラの取材に対して、「あの作品は私のモ
ノである。私の許可無く撤去し、どこへ運ばれたのか」と怒りを表したと
いう。
この像は「六四虐殺」とネーミングされ、弾圧し、自由がなくなった香
港で、唯一の自由の象徴だった。突然の撤去の直前、林鄭行政長官が北京
を訪問し、習近平と会談している。となると直接「命令された」?
撤去作業を知って駆けつけた活動家は遠くから撤去現場を見守り、香港
メディアはドローンを駆使して作業の模様を撮影した。中国の共産党系新
聞には、このニュースはない。
2019年から開始された「香港大乱」は、往時200万人が参加した
デモが展開され、筆者も三回に亘って香港へ取材に赴き、殆ど連日のよう
に香港大学、中文大学へ通って学生たちにインタビューした(詳しくは拙
著『CHAINAZI』、徳間書店)。
海外へ亡命した少数を除き、多くの自由戦士らは逮捕拘束され、その象
徴的指導者だった黎智英(ジミーライ)には12月13日に一年一ヶ月の
禁錮刑が言い渡された。
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)(承前)「ロシア革命の出来事に関する米国上院の公聴会
(1919年)の記録」(7)「シカゴの「赤旗集会」の参加者は教養ある人
達。パンの問題ではなく心の問題、知識人にとっての疑似宗教。公聴会
後、アメリカからソビエトへのクリスマス・プレゼントは過激派の国外追
放だった。
【イリノイ州ノースウェスタン大学講師、R.B.デニス博士の証言より】−2
1917年11月1日から1918年9月2日まで、YMCAミッションの一員としてロシ
アに滞在し、後にアメリカ領事館の一員。ウラジオストク、モスクワ、ペ
トログラードなど主要都市に滞在。
ネルソン上院議員:シカゴにはそのような(ボリシェヴィキ運動に関わっ
ている)人たちが何人いるのでしょうか?
Mr. Dennis:私が最初に参加した集会はシカゴ・コロシアムで、満員でし
た。彼らの集会はいつも満員で、演説者は外に出て自分の言葉を繰り返さ
なければなりません。
ネルソン上院議員:社会主義者の集会だったのですか?
Mr. Dennis:はい。
ネルソン上院議員:ロシアのプロパガンダが流されていたのですか?
Mr. Dennis:赤旗集会でした。
オーバーマン上院議員:彼らとこの国のIWW(左翼労組:戦争に反対し、徴
兵拒否を組合員らに呼びかけていた)との間には、何らかつながりがある
のでしょうか?
Mr. Dennis:組織的なつながりについては、私は何も知りません。しか
し、目的から言えば、両者は完全にリンクしています。
ネルソン上院議員:彼らはシカゴでボリシェヴィキの文献を配布している
のですか?
Mr. Dennis:ミネアポリスで発行された『アメリカン・ボルシェビキ』
[American Bolshevik]の号を見たことがありますか?
ネルソン上院議員:はい、私の議会のファイルにもいくつかあります。
Mr. Dennis:それは良い例ですね。ここには、彼らが配布している即時行
動を呼びかけるチラシがあります。
オーバーマン上院議員:「戦争は終わった、次は革命だ」というビラを国
中に配り、貼っているのを見たことがありますか?
Mr. Dennis:それは見たことがありませんが、シカゴにいたことがあるの
で、そのような意味では何も驚きはありません。
ウォルコット上院議員:シカゴ・コロシアムにの座席数は?
Mr. Dennis:正確にはわかりません。6,000から10,000の間くらいでしょ
うか。
ウォルコット上院議員:あなたが参加した、会場が満員になるような大き
な集会は、表明された思想に共感したものだったのですか、それとも好奇
心の強い人たちだったのでしょうか?
Mr. Dennis:私のようなオブザーバーが何人もいましたし、政府のオブ
ザーバーもかなりいました。しかし、レーニンとトロツキーの名前が出た
だけで、観客は立ち上がり、5分間にわたって拍手をしていました。壁に
は、世界のソビエト共和国のリストが貼られていた。このリストはやや時
期尚早だったと思います。
ロシアから始まり、ドイツ、ノルウェー、スウェーデンと続き、最後には
「次は誰だ?」そして、それぞれの発言者が、はっきりとした言葉ではな
く、ヒントを出しながら、「次はアメリカだ」と言ったのです。そして、
そのたびに拍手が起こりました。
ネルソン上院議員:どのような人たちがいたのですか? また、その国籍は?
Mr. Dennis:身なりの良い、教養のある人たちでした。決して空腹(の労
働者)ではない。ところで、私は常々、ボルシェビズムはパンの要求では
なく、心の状態であり、そのようにアプローチすべきであると主張してい
ます。
ネルソン上院議員:国籍についてはどうですか? 彼らは生粋のアメリカ
人なのか、それとも外国人なのか。
Mr. Dennis:各国語でスピーチが行われたときの拍手を見れば、そこにど
のような人たちがいたのかがわかるでしょう。ポーランド語、イディッ
シュ語、ドイツ語でスピーチが行われた。しかし、ロシアの代表が登場し
て「同志」と言ったとき、会場の7割くらいの人が立ち上がったと思う。
---※ロシア語をよく理解していない移民でも、「同志」という言葉は知っ
ていたはずだと推測される。
ウォルコット上院議員:この集会で、次に重要な言葉は何でしたか?
Mr. Dennis:イディッシュ語。
ネルソン上院議員:先ほど、ボルシェビキ政権で出会った著名人の中に
は、この国(アメリカ)に住んでいたことがあり、その後、ロシアに戻った
人もいるとおっしゃいました。
Mr. Dennis:彼らが目立ったこと以上に印象的だったのは、彼らの憤りで
した。
ネルソン上院議員:彼らは最も残忍な存在でしたか?
Mr. Dennis:はい。
オーバーマン上院議員:その集会の講演者の中に、有名な人はいましたか?
Mr. Dennis:そうですね。ランディス判事(保守派の判事、徴兵忌避者や
戦争反対者を軽蔑し厳しい判決を下した)の前に現れたすべての人々、そ
して他の多くの人々がそこで発言しました。スタッドマン、ビクター・
バーガー{1}、そして...ノルウェー人です。私も地元の集会に行ったこと
がありますが、彼らは地元の小さな集会のネットワークを持っていて、そ
こに地元の演説者がいます。このような集会は常に行われていると思いま
す。今では、有料の演説者があちこちに移動しています。この組織には有
給のスタッフがいます。
--- {1}Victor Louis Berger, トランシルヴァニア(ルーマニア、その後
オーストリア・ハンガリー帝国)生まれ。1878年にアメリカに移住した社
会主義者の政治家、社会主義出版物の編集者。1918年に有罪判決を受け、
1919年には戦争における敵への協力の罪で20年の刑に処せられる(スパイ
活動法に基づく)。判決は1921年に修正された。
オーバーマン上院議員:(ロシアの)素朴な農民というのはどんな印象です
か? 家族や子供を愛しているのでしょうか?
Mr. Dennis:私の知る限りでは、そうです。そして、全体的にとても気に
入ったと言いたい。私は、ロシアに長く住んだことのある外国人で、ロシ
ア人とその気質を嫌いな人を知りません。陽気で心優しい人たちだが、も
ちろん、現在のように暴徒化した状態では、彼らは全く違う存在になって
いる。...8月3日にアメリカ人以外のすべての外国人を逮捕するまで、私
がアメリカ人だと言っただけで、とても親切に、温かくて礼儀正しい態度
を示してくれました。アメリカに住んでいた人たちは別です。
ウォルコット上院議員:ボルシェビキ政府の中で、このアメリカ生まれの
人々の割合はどのくらいでしょうか?
Mr. Dennis:モスクワでの我々の一般的な意見は、ソビエト連邦の(地方
の)ボルシェビキコミッサーの20〜25%がアメリカに住んでいたというも
のでした。
ウォルコット上院議員:彼らは全員がニューヨーク出身ではなく、アメリ
カのさまざまな地域からでしょうか?
Mr. Dennis:工業地帯の中心地からです。
オーバーマン上院議員:彼らの中に、この国(アメリカ)に帰化した人はい
ましたか?
Mr. Dennis:いいえ、少なくとも誰もそうだとは言っていません。2人に
聞いてみたところ、「いいえ」と言われました。その中の一人は、ここに
13年住んでいて、英語がとても上手でした。
ネルソン上院議員:彼らはほとんどがシカゴの人たちだったのですか?
Mr. Dennis:私の印象では、彼らはシカゴ周辺の工業地帯から来ていまし
た。そのうちの一人は、私が別れを告げたとき「さようなら。10年後に会
いましょう。俺たちはアメリカに行って、ここでやっていることをやるん
だ」と言いました。
ウォルコット上院議員:管理部門[オフィス]にいたアメリカから来た人た
ちの国籍は?
Mr. Dennis:私の個人的な観察によると、唯一の例外を除きユダヤ人です。
ウォルコット上院議員:例外の国籍とは?
Mr. Dennis:ロシア人です。
オーバーマン上院議員:報告書を司法省または国務長官に提出しましたか?
Mr. Dennis:アメリカに戻ったとき、このワシントンに来て、領事館員に
報告しました。
オーバーマン上院議員:国務省で?
Mr. Dennis:国務省にて。その後、ロシア戦争委員会[Russian war
board]と、他にも1人か2人、いろいろな部署の将校から面接を受けた。マ
イルス少佐もその一人でした。
※このあとアメリカでは無政府主義者、共産主義者などが逮捕され国外追
放となる。
【新世界に押し寄せたロシア人:18〜20世紀 ロシアからアメリカへの移民】
https://jp.rbth.com/history/82668-18-20-seiki-roshia-kara-amerika-he-no-imin
『数千人が米国から国外追放された。1919年12月21日、客船「USAT
Buford」は、拘束された249人の急進派を乗せていた。この船は、「レー
ニンとトロツキーへのクリスマス・プレゼント」として、ニューヨーク港
を出てソビエト・ロシアに向かった』(PB生、千葉)