2008年06月11日

◆ミッドウェー敗北の端緒

渡部亮次郎

太平洋でアメリカと戦っていた日本海軍が「ミッドウェー海戦」に敗れ
たのが大戦敗戦の始まりだったが、これを誘発したのが1942年4月18日の
米空軍ドゥリットル中佐指揮するB25爆撃機16機による京浜地帯中心の本
土爆撃であった。私は秋田県で国民学校1年生(7歳)、何も知らなかっ
た。

この本土空襲は日本軍部に大いなる衝撃を与え、結果、日本敗北に繋が
る。米国としては、劈頭の真珠湾先制攻撃で低下していた戦意の高揚を
狙っただけのもの。後の日本本土空襲に繋がるものではなかった。

だが日本軍部は過剰反応。ミッドウェー諸島にある米軍の陸上基地攻撃
に踏み切った。本土空襲の基地と見たのである。電波探知機も無いのに
無謀な攻撃であった。

中部太平洋のミッドウェー諸島周辺海域で行われた日米両機動部隊によ
る海戦。この海戦を境に戦争の主導権はアメリカに移った。敗戦の始ま
り。だから軍部は隠蔽に懸命だった。

防衛ラインの拡大とアメリカ機動部隊の撃滅を狙った日本は、1942 (昭
和17) 年6月5日、航空母艦4隻を基幹とする47隻の機動部隊で、ミッドウ
ェー諸島にあるアメリカ軍の陸上基地を攻撃した。

しかし索敵活動を軽視したため、すでに作戦を察知していたアメリカ機
動部隊を発見するのが遅れ、アメリカ艦載機の急降下爆撃による急襲を
受けて被害を蒙った。

この海戦で、日本は空母4隻、重巡洋艦( 巡洋艦)1隻、航空機約300機、
将兵約3000名以上を一挙に失ったのに対し、アメリカは空母1隻、航空機
約150機の被害にとどまった。

この結果、航空機多数と空母の損害で中部太平洋での制海・制空権の優
位性を失った日本は、以後、連合軍の反攻にさらされることになった。

アメリカは事前に日本海軍の暗号解読に成功しており、作戦行動のすべ
てを知っていたことが勝敗の分かれ目となった。(Microsoft(R)
Encarta(R) 2006.)

真珠湾攻撃以降一方的な敗退を続け、さらに開戦後の1942年2月24日には、
日本海軍の伊17乙型大型潜水艦によるアメリカ本土のカリフォルニア州
サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃を受け、大きな衝撃を
受けたアメリカ軍は、士気を高める方策として帝都・東京を爆撃する計
画を立てたもの。

アメリカ陸軍は長距離爆撃機を保有していたものの、その行動半径内に
日本を収める基地は無く、ソ連の領土は日ソ中立条約のため、爆撃のた
めの基地使用は行えなかった。

また、アメリカ海軍の空母艦載機は航続距離が短く、爆撃のためには空
母を日本近海に接近させる必要があり、これは太平洋上で唯一動ける空
母機動部隊が危険に晒されることを意味した。

そんな中、アメリカ海軍の潜水艦乗組員が「航続距離の長い陸軍の爆撃
機を空母から発艦させてはどうだろうか」とルーズベルト大統領に進言。
B-25爆撃機を急遽、空母の短い飛行甲板から発進出来るように軽量化を
図った。

陸軍爆撃機の空母からの発艦は実戦では初であり、この作戦はトップシ
ークレットとされた。

また、空母に帰着するのではなく、日本列島を横断して当時、日本軍と
戦争中であった中華民国東部に中華民国国軍の誘導信号の下で着陸する
予定となった。B-25を搭載する空母はホーネットとされ、エンタープラ
イズが護衛に付くこととなった。

1942年4月1日、16機のB-25を搭載した空母ホーネットおよび護衛の巡洋艦3隻、駆逐艦3隻はサンフランシスコを出撃した。途中、エンタープライズと巡洋艦2隻、駆逐艦4隻と合流し、日本へ向かった。

攻撃予定日前日の4月17日、発艦予定海域手前で日本軍特設監視艇、第23日東丸に発見された。第23日東丸は軽巡ナッシュビルの砲撃で撃沈され、乗員14人全員は艇と運命を共にした。

日本軍に発見されたことで、爆撃隊は予定より早く空母ホーネットを発
艦した。なお、ナッシュビルはもう1隻監視艇(長渡丸)を撃沈している。

ジミー・ドーリットル中佐率いるB-25爆撃機16機は東京府東京市、神奈
川県川崎市、横須賀市、愛知県名古屋市、三重県四日市市、兵庫県神戸
市を爆撃した。

日本側には50人の死者、家屋262戸の被害が出た。また、索敵から帰還した海軍攻撃機を敵機と誤認した陸軍戦闘機の機銃攻撃を受け、海軍軍人1名が死亡。

爆撃機は日本列島を横断し、中国東部に着陸した(1機はソ連のウラジ
オストクに着陸、乗員は抑留された)。乗員は戦死が1名、行方不明が2
名、捕虜となったのが8名で、残りはアメリカへ帰還した。

大本営はこの被害を隠蔽し、「敵機9機を撃墜。損害軽微」などと発表した。しかし当日は晴天であり、墜落した航空機など市民からは1機も確認されなかったため、大本営の発表に対し『皇軍は空気(9機と空気をかけた駄洒落)を撃墜したのだ』と揶揄するものもいた。

一方、日本軍に逮捕された捕虜の一部は処刑され、これに対してアメリ
カは、『野蛮人の蛮行』として大々的にプロパガンダに利用した。
出典:「ウィキペディア」  2008・05・03

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