2008年06月16日

◆65歳の想い 

                     眞邊 峰松

平成20年3月31日は、私の満65歳の誕生日である。 いつの頃からか、多分50歳代後半だろうと思うのだが、男としての人生は65歳。それを過ぎれば、いつ死んでも心残りはないと思い、過ごしてきた。

こう考えた当時の私は、男としての最盛期。 その後、己に与えられた職責も周囲の人々に支えられ、自身の能力・才覚以上に無事役割を果たし終え、第一線を去った。 

60歳を越える年齢に到って、新しい仕事に就き、時には食事や会話を共に楽しめる美しい若い女性達にも恵まれ、己のみの錯覚だったのかも知れないが、おおむね順風満帆の人生の道程。 

人生一寸先は闇とよく言われるにも拘わず、傲岸不遜なこの想いも、その余りの有頂天ぶりの現われだったのだろうか。 これらも、今となっては、まさに一場・一幕の夢・まぼろしとしか思えない。 

振り返れば、50歳を超える頃から、5歳刻みで、己の肉体的変化を気付かされた。 通常、人間なら55歳でそろそろ「定年という人生の社会的終焉」を意識させられるようになり、いよいよ60歳で社会の第一線からの引退という段取りを。そして65歳では人としての散り際を意識するもの。
   
私も、8年前に部長職を最後に退職して以来、終始身辺を彩った人達を徐々に失い自尊心への翳りを自覚するという現実に、65歳を目前にまさに男としての散り際になり、己を見失い、己の寄る辺に迷うという悲嘆を味わう結果となった。 

その上、今回の府知事選後、想像を超えた大阪府庁の混乱ぶりに、最大の社会的関心事である府政への興味・一体感をも一挙に失ってしまった。 

あれやこれや、まさに無気力・無関心の極みと言うほか無く、今後如何に最後の人生の残り花を咲かせるか、残り火を燃え尽きさせるか、今、その苦悩の中、まさに煩悩の渦の中にある。

それも、気がつけば既に65歳。 一層の体力の衰えにも気づかされ、遂に前期高齢者の仲間入りを意識せざるを得ない。

 幸い、家庭内ではそれなりに安穏の日々を過ごさせ頂いている。 眼前の苦悩の中で、一方では自己喪失を招来しかねない生来の脆弱さ・煩悩を常に自覚していた故に、これら諸々の悲感も私にとって何らかの意味ある試練と、何かに守って頂いているお陰をも同時に感じ取りながら、少なからず感謝の日々でもある。 

考えれば、往時の喜び楽しみ、辛さ苦しさも一瞬のこと、これら全てが人生の糧・薬味であったと後々において思い知らされるいうことなのだろうか。きっと、それに違いない。

はるか昔、1227年、かの大蒙古帝国の創設者チンギスハン・テムジンは、少年の頃、天山の山頂に登って「我に六十五年の天寿を貸せ」と祈ったそうだ(司馬遼太郎)。 

まさに、私もその年齢である。 果たして我は、これまでその覇気の一片でも持って生きてきたのかどうか。 今更ながら、現状を自ら省みて、己に問うも恥ずかしい限りである。

それにしても、板村真民氏の詩の中の、次の一節が私の心に迫ってくる年頃になった。

恐ろしいのは平凡、安定、妥協、安価な幸福
どんなに生きてもあと二十年   惜しまれるのは今日の一日
しかし ああ今日も無為に暮れてしまった

・・・・・・・・・・・・・・・・ 
よい本をよめ          よい本によっておのれを作れ
心に美しい火を燃やし      人生は尊かったと叫ばしめよ

同時に想い起こすのは、呂新吾 (呻吟語)の次の言葉―。
老いるは嘆くに足らず  嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり


残された人生をできることなら、かく生き貫きたいものである。(次回へ)

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