2008年06月30日

◆弁護士の役割

川原俊明(弁護士)

鳩山法相に対する朝日新聞の「素粒子」コラムに、「死に神」指摘があったので、私は、マスコミの表現として、明らかに不適切であることを指摘しました。<本欄6月24日号に「鳩山法相は、死神なのか」を掲載>
 
鳩山法相が、現在の日本の法律に従って、法務大臣としての義務を履行している以上、従来の法務大臣と比較して、執行の多さを非難することは、筋違いです。後の朝日新聞が、同じコラムで「執行の多さをチクリと刺した」、というのは、今回の問題を理解していないし、使う言葉を間違えているように思います。
 
これに関連して、私のブログにも、ご意見が殺到しているので、誤解なきよう、私の弁護士としての考え方なり、信念、をお伝えします。
 
私は、一つの新聞社を批判しているのではありません。マスコミの質を問題にしています。全国紙を代表する新聞記事の一行が、どれだけ指摘された人の心を踏みにじむのか。これが理解されていないことを問題にしています。

マスコミは、その道でプロであるべきしょう。安易なペンの暴力は、自らの身を滅ぼすことになります。その意味で、今回、軽率な表現に対する謝罪がなかったことは、新聞社としての姿勢を疑います。
 
もう一つ考えたいのは、刑事弁護における弁護士の役割です。司法に対する一般的な理解として言えることは、公権力を背景に犯罪を糾弾する検察官と、被告人を保護する弁護人、これを中立的な立場から判断する裁判所。

この図式は正しいものがあります。しかし、私が言いたいのは、弁護士の社会的役割をふまえた上で、この図式を運営させる必要があります。

さまざまな欲望と自我を持った人間が、利害を対立させている社会では、残念ながら、犯罪は決してゼロにはなりません。しかし、一旦、発生させた犯罪者に、二度と犯罪をおこさせるべきでない。この姿勢を貫くことによって、世の中が少しでも良くなる、と私は考えています。

司法の中で、弁護士が、検察官と立場を異にすることがあっても、よりよき社会を築くべき役割は、司法の一員として同じことであるはずです。

私は、弁護士が、被告人の更生のため、適切な量刑を求めるのが大切であり、単に被告人の量刑さえ軽くなればいい、と考える刑事弁護は間違っている、と思っています。
どんな刑事事件であろうが、弁護士が、被告人に「刑を軽くしてやった。」と思わせる弁護は、その被告人の、犯罪に対する安易な考えを植え付けることになりかねません。

被告人が、凶悪犯罪にもかかわらず「こんな量刑で済んだ」、と思わせるのは、弁護士が、被告人に、更生どころか、次の犯罪を助長させるようなものでしょう。

私が刑事弁護する場合、絶えず、被告人と向き合い、犯罪が明らかな場合、弁護人の立場から、罪を犯すことのむなしさと、身柄拘束など、犯罪が割に合わないことを説諭します。被告人の更生を望んで、「同じ過ちを犯すな」と、説得するのです。このことにより、社会が少しでも良くなってくれたら、と考えています。 

この観点から、弁護士は、検察と立場を異にしますが、社会を少しでも良くしたい、被告人に立ち直ってもらいたい、と考えて弁護活動すべきでしょう。(完)

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