2008年08月28日

◆政治家の内懐と外面

渡部亮次郎

先輩の政治記者古澤 襄(のぼる 元共同通信社常務理事)さんが2008年8月23日、自らのブログに書いておられる。政治記者は永遠のアウトサイダーと。http://blog.kajika.net/

<昭和30年代に岸内閣が出来た頃、”岸派の三羽烏”といわれた派閥記者がいた。毎日新聞の安倍晋太郎、共同通信の清水二三夫、日経新聞の大日向一郎の三氏。

岸首相は閑があると(東京湾岸)東雲(しののめ)の河川敷ゴルフ場に行ったが、ゴルフから上ってくると、いつも岸首相、中村長芳秘書官と清水氏の3人連れ。

こうなると政治記者というより秘書ではないかと私などは思ったものである。事実、清水氏はしばらくして共同を退社して、山口県の防長新聞の専務になった。防長新聞のオーナーは女優の有馬稲子さんのご主人、岸側近の財界人だった。

ところが防長新聞の経営をめぐって清水氏はオーナー氏と大喧嘩のあげく、さっさと退社して東京に戻ってきてしまった。清水氏と親しかった私は東京のホテルのバアで退社のいきさつを聞かされた。岸さんは烈火のごとく怒って清水氏を破門にしたそうである。

「政治記者として誰よりも岸に食い込んだと自負していたが、結局は政治記者とか政治評論家というのは永遠のアウトサイダーだな。岸の家の子郎党になって、それを知ったよ」と破門となった割には、意外とサバサバしている>。

この話を読んで、園田直(衆院副議長、官房長官、外相3度、厚生大臣2度)を担当する政治記者からとうとう彼の秘書官になって政治家の外面(外面)と内面(うちづら)を見分けた経験を思い出した。

結論から言えば、防長新聞の専務になった清水さんは現役政治記者の感覚で仕事をしただろうからオーナーと真っ向から衝突しない方がおかしい。自分の方が上だと思っているからである。

政治家は政治記者を「敵」と思っている。機嫌をとらなければ面倒だと思って「対等」を装う。記者は勘違いしてその政治家が気を自分に許したと思い込んで、本当に対等と思い込んでしまう。

また、財界人に対して政治家は財政的援助を受けながら、殆どは「利権」で「報恩」をしているから対等のようには表面上は振舞わない。「下」と見せる。

これを見た政治記者は財界人といえども献金を受けていない俺は財界人より「上」だと思い込む。何しろ「オレは岸首相と対等だ」と思い込んでいるから尚更である。オーナーと喧嘩になるのは当然である。

園田さんとは十数年の交際の末に秘書官になったが、その日から私邸の玄関からの出入りを禁じられた。秘書官は「官」と言えども使用人。台所から出入りしろ。「対等感」をぺしゃんこにされた。清水さんはこうしたことがないまま専務になったから失敗したのではないか。

「使用人」扱いされたことからいいこともあったが悪い事も起きた。上司たる大臣を客観視するようになった。またいつ食道を断たれるかの不安を消すため、大臣の延命を画すると言う行動をとるようになる。

園田さんが「福田大平密約」(総理を福田は2年務めた後を大平に譲る=書面)の履行を信じ、一方の福田総理は「反故」を目指して動き出した頃、私は元政治記者だった故を以って反福田の田中角栄への接近を図っていた。

園田氏は私の動きに気付かぬ素振りをしながら、ちゃっかり私の差し出した座布団に坐り、外務大臣を大平内閣でも務め、次の鈴木善幸内閣では厚生大臣と外務大臣を務めた。いずれも田中氏の支持の裏付けがあったからである。

国連での演説原稿まで書いて貰えば,秘書官は使用人で無くなる。だから時には煙たくもなる。そこで敢えてこちらが使用人を演じると安心している。これが政治家の実態。私が政治家を断念した理由の一つである。

役目を終えた後、私は1銭の慰労金も求めず去った。もはや私の方が上だった。

こうした事は岸首相にとどまらず、古今東西、どの政治家でも同じであるはずだ。政治記者は親しくなればなるほど、政治家の全体像を見たように思い込むが、それは勘違いなのだ。政治家は内懐を記者には絶対見せない。

仮に見せたら、その人物は使用人扱いにされ使い捨てにされる。その私を拾ってくれたのは、園田さんを知る前に知り合った河野謙三さん(元参議院議長)だった。私が反河野、重宗議長支持だったことを知りながら。
2008・08・23
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