2008年09月03日

◆透明人間が降板しただけ


                       渡部亮次郎

<首相退陣表明極秘決断 夫人にも相談せず福田康夫首相の退陣準備は極秘の内に進められた。

首相は1日の記者会見で、退陣決意は先週末と語ったが、実際はそれよりも早かったという。ただ首相は周辺にも一切退陣の意思を漏らさず、貴代子夫人にも相談しなかった。

首相は退陣表明の記者会見の草稿執筆を菅原郁郎秘書官に命じ、菅原氏は31日夕、首相官邸の秘書官室で一気に書き上げたが、会見直前まで官邸外には一切漏れなかったようだ。

首相は退陣表明の記者会見後、肩の荷が下りたのか、「表明のタイミングは9月1、2、3日ぐらいしかなかった。小沢(一郎民主党代表)さんの立候補が決まった日に合わせた」と周辺に本音を語り、退陣表明−自民党総裁選によって、民主党代表選を希薄なものにしたいとの考えだったことを明かした。

「(臨時国会で)29日の所信表明と(民主党も公明党も)言っているのだから、新首相が29日にやればいい」とも語った。>9月2日3時0分配信 毎日新聞

なりたくも無い、元から無能力な人間が無理に祭り上げられていた総理大臣が、切羽詰まって椅子を蹴飛ばした。福田康夫総理大臣の辞意表明(2008.9.1)。意欲、能力なき透明人間の下野に何の感慨があろう。

康夫さんとは父親赳夫政権で彼が父親の下で総理大臣首席秘書官、私が元福田派担当記者の故を以って園田直外務大臣の政務担当秘書官という仲。例の「大福密約」(2年で政権を大平幹事長に譲る)の存在を知っている私、知らぬ彼。波長が合わなくて参ったものだ。

高校では捕手をやっていたらしい。投手をリードする係りだが、どうも彼は投球を受けるだけで手一杯だったらしい。性格もそうで、自己主張すべき哲学も抱負経綸も無い。「友達の厭がることはしない」のは中韓に対してだけでは無い。アイデンテティーが無いのだ。

昨年秋、安倍氏が突如、退陣表明をした時、福田氏は既に長男にバトンタッチする準備中だった。当選僅か6回にして当時すでに71歳。「好きで政治家やってんじゃない」の口癖どおり、性格が政治家に向いていなかった事をつくづく知らされたわけだった。

ところが異変が起きた。引退したはずの元幹事長・官房長官野中廣務氏が京都の奥から出てきて「福田神輿」を手下の古賀誠元幹事長に担がせ、自らも森喜朗初め党内実力者の説得を始めた。

これは奇手にして妙手だった。親中、親韓、半靖国、反麻生との共通項で党内多数を占める妙手。最大派閥の安倍派も旧竹下派も皆乗った。「それなら載ってみるか」と康夫氏、やおら「救国の士」面
して受諾。これが福田政権の実像。元々蜃気楼政権だったのだ。

自らに力なし、友人なし、策士なし。友党の公明に気遣うあまり、しまいには財政政策にかみつかれたばかりか臨時国会の召集日にまで駄々をこねられた。舐められつくしたのだ。

辞めるしか、投げ出すしかなかったのだ。せめて厭味の一つぐらいを放つか、というタイミングが関東大震災の日だったのである。
そのあたりを評論家の花岡信昭氏(元産経新聞政治部長)は私より紳士である。

<「福田退陣-新首相の手による早期解散」の流れをつくったのは公明党だ。内閣支持率の低迷を理由に、連立からの離脱もちらつかせるような態度はいかがなものか、という暗黙の抗議が、福田首相の退陣表明に隠されている。

それを最もよく感じているのは、当の公明党だろう。自民党に対して大きな「借り」を作ったことになる。来年夏の東京都議選対策を最優先させる公明党の立場に、自民党側が最大限の配慮を見せたわけだ。

「好き好んで政治家になったわけじゃない」というのが福田首相の口癖であった。安倍前首相の突然の退陣による党内の混乱を、自身が立つことで救ったという自負もある。これ以上、政権にしがみついていても得るものはない、と判断したのであろう。

故竹下登氏が「武士(もののふ)の進退は瞬時にして決すべし」と、ことあるごとに言っていたのを思い出した。竹下氏はその言の通り、大方の予測を裏切って早期退陣表明に踏み切った。

政治家は引き際が一番難しい。そういう意味合いでいえば、福田首相のこの段階での退陣表明は世間をあっと驚かせた点で、きわめて効果的であった。>(花岡信昭メールマガジン★616号[2008/09/02] 2008・09・02

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