2008年09月06日

◆麻生総理阻止の野中


渡部亮次郎(「頂門の一針」主宰)


元政治記者とは言えど、現場を離れて久しい。国会議員の大半と対面した事が無い。厭がる福田を無理矢理、担ぎ上げる主役を演じたとされる引退者野中広務という人とも会ったことは無い。

厚生大臣秘書官時代、京都の医療団体によるアサヒビール株の買占め事件が起こり、担当部長を派遣したが、官側とみられた副知事は買占め側だったので慌てたことがある。野中が副知事だった。

以下はすべてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に拠る。ただ、ウィキをつなげて読むと今の「坊ちゃん政治家」、いな森喜朗、小泉、麻生クラスでもとても太刀打ちできまい、と納得せざるを得ない。

共同通信社社会部出身の作家魚住昭の『野中広務 差別と権力』によると、麻生太郎は過去に野中に対する差別発言をしたとして、2003年9月11日の自由民主党総務会で、野中に以下のとおり非難された

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。

そのことを、私は大勇会の3人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」

大勇会=たいゆうかいは、自由民主党内の派閥のひとつ。旧河野グループ。現在衆議院議員10名・参議院議員1名で構成されている。

1998年12月、宏池会=宮澤派=が加藤紘一会長の加藤派となることに河野洋平が反発する形で脱退・結成。会長は河野。メンバーには息子の河野太郎がいる。

部落問題を抱えない殆どの東北人に、被差別問題の深刻さは理解が困難だろう。秋田生まれの私も大阪勤務を経験して初めて少し理解した程度。

口先では普通に付き合いながら、心の底では軽蔑されている屈辱。想像を絶する被差別感。拭っても拭いきれない。

先祖が止むを得ず家畜の屠殺に関与していただけを理由に就職や結婚で受けるいわれなき被差別。これによって自殺に追い込まれる例も多い。

関東にも戦前はあったが、東京大空襲で文字通り殆ど消滅したので、実感する人はなくなった。被差別だった人が権力を持つと如何なる事になるか、日本政界は野中によって初めて振り回された。

2000年に小渕首相が倒れると、野中幹事長「代理」が呼びかけて森喜朗自民党幹事長、青木幹雄官房長官、村上正邦参院議員会長、亀井静香政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。(これ以後、森は野中に頭が上がらない)。

この協議は、首相を5人組によって密室で選出させたたものとして、野党から厳しく追及され、国民からも大きく批判された。野中は、森の後継として自民党幹事長代理から幹事長へ昇格し『権力』を握った。

国会で小渕の死を悼む発言をした鳩山由紀夫民主党代表に対し「小渕前総理のご心労の多くがあなたにあったことを考えると、あまりにも白々しい発言」と厳しく批判した(野党ながら鳩山も野中に頭が上がらない)。

同年秋の加藤の乱では、加藤派の古賀誠国会対策委員長らと連携、同派議員の多くを切り崩した。その直後、野中は幹事長を辞任、後任に古賀が就任した(加藤も古賀も野中に頭が上がらない)。

この頃、小渕・森政権時代には官房長官・幹事長代理・幹事長として仕切ったことから「影の総理」と呼ばれたることもあった(「影」だから逆に威力がある)。

森首相退任に伴う2001年自民党総裁選挙では、当初、側近の古賀、鈴木宗男らや公明党から野中待望論が挙がるも、橋本龍太郎や村岡兼造ら派幹部からその突出振りを疎まれていたため支持が集まらず、結局橋本を担ぐことになる。先の麻生発言は、このような時期になされた。(恨みは骨髄に徹した)。

橋本派は業界団体との強いパイプなどから圧勝すると見られていたが、小泉純一郎に一般党員の支持が集まり、田中派結成以来、総裁選で初の敗北を喫した。

2003年自民党総裁選で、主戦論を唱え、青木幹雄参院幹事長、片山虎之助総務大臣、石破茂防衛庁長官、新藤義孝外務政務官、村岡兼造元官房長官、大村秀章内閣政務官らと激しく対立。

一部の議員をポスト目当てで小泉支持に回っていると批判し、「毒まんじゅう」という言葉を残した(「毒まんじゅう」はこの年の流行語大賞に選出され、本人が授賞式に出席した)。

野中は自らの引退を賭けて藤井孝男元運輸相を擁立して総裁選に望んだが、首相・自民党総裁の小泉純一郎に大敗した。

2003年10月政界を引退したが、小泉内閣を『非情の政治』と批判した。また、野中自身の軍隊体験から国防に関しては「ハト派」であり、憲法の改正にも反対の姿勢であり、多くの対立点を持つ小泉内閣に対して異を唱え続けた。

2005年の第44回衆議院議員総選挙に立候補せず引退。かつて選挙区(京都府第4区)で後継者指名をした田中英夫(前亀岡市長)が、郵政民営化法案に造反し反対票を投じたため自民党から公認を得られず無所属で出馬するも落選。

刺客として自民公認で出馬した中川泰宏元船井郡八木町長に敗れたもの。中川は野中の議員時代の腹心で後継者と目されたこともあったが、2002年の京都府知事選に笹野貞子元民主党副代表の応援を受けて立候補・落選して以来、野中との対立が決定的なものとなった。

小泉の後継者である安倍晋三が総理大臣を辞職すると、古賀誠の要請で麻生包囲網に参加したとも、福田康夫内閣成立の立役者(新5人組)の1人とも言われた。しかも手下の古賀誠が自民党選対委員長に就任していることもあり、低下していた野中の影響力がまた大きくなっている。

2006年10月より平安女学院大学客員教授として政治学を中心とした教育、研究を実施している。(文中敬称略)出典:「ウィキペディア」2008・09・05

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック