2008年09月11日
◆巴里だより「千の風になって」読者の声
岩本宏紀(在仏)
<本稿は、9月6日の本欄に「千の風になって」として掲載されています>
・北日本の女性
私も「千の風になって」は、詩、曲共に大好きな歌です。おそらく日本中の人々が、あの歌に
惹かれたことでしょう。それにあの歌を歌っている秋川雅史さんのあの素敵なテノールの声と
ルックス、お人柄のよさが魅力となり、CDも買って、何度も何度も聴きました。
本当にすばらしいものは、聴くほどに味わいを感じるものですが、この歌がまさにそんな気がします。
巴里郊外の朝焼けのお写真もすばらしいですね。あまりのすばらしさに、一瞬息を呑みました。
この空の彼方に、天国があるような気がします。
(岩本:この朝焼け、まさに天国というか、死んだ人たちの魂の世界を感じてシャッターを押しました。)
・バラ色の雲 。。。巴里の女性
「千の風」という歌を私は聴いたことがありませんでしたが、日本語ではまた一段とすばらしい歌詞に訳されているのですね。
お葬式には涙がつきものですが、亡くなった人はそんなに泣いてもらっちゃ困るよ、とでも思ってるのでしょうか。今までは悲しくて悲しくて足下の地面が崩れたように心もとなかったのですが、このごろ、13年前に亡くなった父の存在を身近に感じ、守られているような気がしてなりません。
この写真、つい逆さまにしてしまいました。だって、まるで空が海のように見えてしまったから。
いくらでも見ていたいような気になります。実際は、朝日が昇る前の数秒のことだったのでしょうね。
こういう光景を目にすると、魂が千の風になっているのも自然に納得してしまいます。
La vie est belle !
(岩本:さかさまにして見るという発想に脱帽です。)
・ 東京の女性
私の父も昨年末に永眠しました。この「千の風になって」の歌詞を聞くと私も涙が零れ落ちますが、この歌詞の通りに亡き父はいつも私や家族、父の友人・知人・親戚を守っていてくれるようにも思います。
まだ新盆を過ぎたばかりですので、浄土真宗の住職の話を聞く機会が多く「千の風になっての歌のように仏様はいつも身の回りに居るものだ」とお話されます。
出張先の街角の信号で偶然に「千の風になって」が大画面に流れて、父の葬式から間もない頃だったので昼間なのに独り涙しながら仕事先へ歩いたことを思い出します。
今でも父を思い出して無性に悲しくなる時がありますが、これは父が「千の風になって皆の周りで守っているよ」と私にサインを送っているような気がしています。
(岩本:ぼくは、夜中に寝室に親父の存在を感じたことが何度もあります。ちょっと嬉しかった。)
・巴里の男性
海外生活にあって冠婚葬祭の経験をすることはめったにありませんが、別の意味でいい経験をされましたね。
この歌、誰でも考えそうなことを、誰でも言えそうな言葉で、覚え易い簡単なメロディーに乗せて見事に表現したいい歌でしたね。
いろいろと考える秋になりました。
・大阪の男性
妻の父が長い闘病の末に亡くなりましたが、そのとき、葬儀や納骨が終わり田舎に一人残った老いた母親から、秋川雅史の歌う「千の風になって」のCDを買ってきてくれと言われて、CDショップに探して行き、届けたことを思い出しました。作家の新井満がアメリカの古い歌を日本語に訳したことくらいしか認識はありませんでしたから、母親がなぜ聴きたいのか良くわかりませんでした。
しかし、よくよく彼が歌う詞を聴いてみると、肉体は無くなってしまったけれど、風、光、雪、鳥、星となり、これからも生き続けていきますと、大切な人を亡くした人たちにとって、癒しとなり、生きる勇気と希望を与える歌だと気がつき合点がいきました。
人生の中で必ず大切な人の“死”を経験しますが、それは“死”ではなく、新たな“生”のスタート、
「千の風になって」は“再生の歌”なのですね。イギリスの葬式で「千の風になって」が朗読されているとは驚きました。もともと、そうした趣旨の歌だったのですね。
・関東の女性
日本では、イケ面の声楽家でブレイクし、5歳の(知り合いの子)幼児まで、フリをつけて唱いあげる程となった曲です。
その歌詞について
以前に、東大附属病院にて、臨床医とし、癌治療にあたっている医師の話しを聞いた時に
つねに「死」がつきまとう「癌」という病巣、そして、末期患者への治療の在り方、
心と身体のケア、全てにおいて、日本は、医療においてもメンタリティにおいても諸先進国の医療現場より、遅れているとそう嘆いていました。
何故、そうも遅れるのか、そこに横たわる問題はそれは、日本人が持つ「死生観」だと、そうおっしゃっていました。
「死」をタブー視し、「死」を受け入れない国民性日本人の死生観。
その話しを聞いた頃にこの「千の風」が日本で流行っていました。
肉体は滅んでも、その心は自由であり、魂は永遠である、という歌詞
アメリカの女性が、故人に書き綴った想いの詩に日本にて流行ったのもその「死生観」に変化が現れたのだろうか、とそう思った事を思い出しました。
私も、あと何年生きられるのか判りません。すごい長生きかもしれないし、明日にでも、何かの事故で、
あっけなく逝ってしまうかもしれません。
いつ逝っても思い残す事無い様に、日々、やりたい事をして、自由気ままに生きています。なんて、ただの我侭ものなのかもしれませんね(笑)
(岩本:いつ死んでも悔いのない生き方、これが一番難しそうです。反省の日々を送るぼくです。)
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