2008年09月18日

◆河野議長の政界引退を寿ぐ

渡部亮次郎

<河野洋平衆院議長(71)=神奈川17区=が次期衆院選に立候補せず、政界を引退する意向を固めたことが17日分かった。地元議員や支援者らに説明を始めており、18日にも正式表明する。>
9月17日11時22分配信 毎日新聞

私の最も親炙した政治家河野一郎氏の二男だが、その政治姿勢に根本的に反対。申し訳ないが、政治家からの1日も早い引退を待っていた。

この報道によると河野氏は、引退の理由の1つに、2日に広島市で開かれた主要8カ国(G8)下院議長会議でホスト役を務めたことを挙げ、「集大成としたい」と説明した。

何たるザマか。主要8カ国(G8)下院議長会議の議長役など政治的な実績とはおよそ無関係である。引退理由は、これ以上議席を穢しても国益と無関係な自分をようやく発見したと言うに過ぎない。

河野氏は父一郎氏の1965年7月8日の逝去をうけて1967年、衆院旧神奈川3区(当時)で自民党から初当選し、現在14期。連続当選は父親が牢獄にぶち込まれても死守した強力な地盤の賜物。

しかし、その娘真紀子とは見合いまでした仲の田中角栄政権に反対して76年に新自由クラブを結成して脱党、代表を務めた。なんら政界浄化の成果も挙げられないまま86年に自民党に復党。

科学技術庁長官、宮沢喜一内閣の官房長官を経て、93年に自民党総裁に就任したが非自民連立政権の発足で歴代総裁の中でただ1人、首相になれなかった。

自民党総裁として政権奪還の悲願を果たした功労者でありながら内閣総理大臣に就任出来なかった河野の境遇を見かね、森喜朗が議長就任を打診。

2003(平成15)年11月19日に選任。爾来2008年8月26日で、衆議院議長在職1700日を迎えた。現在、現行憲法下で2番目、旧憲法下も含めて歴代3位の長い在職日数となっている。

11月14日に戦後最長だった船田中(1780日)に並ぶはずだが次期臨時国会で早期解散がなければの話。さらに同19日には、旧憲法下も含めて歴代1位の大岡育造(1785日)に並び、同20日に、最長記録を更新する見通しである。長男太郎氏も衆院議員。

以下フリー百科『ウィキペディア』による。
主な関係団体
北京オリンピックを支援する議員の会会長
日中友好議員連盟所属
日本国際貿易促進協会会長
日韓議員連盟顧問。

河野の政治姿勢は一貫して平和主義外交・穏健保守である。

以下に、河野の政治姿勢を顕著に示す主な出来事を挙げる。

慰安婦に関する談話
1993年、宮澤喜一改造内閣の官房長官として、「従軍慰安婦問題」に関する日本政府の調査結果を報告した、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(いわゆる「河野談話」)を発表した。

「総じて本人たちの意思に反して行われた」「募集・移送・管理等の過程全体としてみれば甘言・強圧という方法により強制があった」という趣旨の発言を行なった[。

しかし当時官房副長官であった石原信雄がのちに語ったところによると、当時の日本政府の調査では、軍など日本側当局が慰安婦を強制連行したという資料は確認されなかったという。

2007年、安倍晋三首相(当時)「狭義の強制はなかった」とする発言を行った。この発言は事実上河野談話の継承を否定するものとして内外では受け取られたが、その後、日本及び日本政府が河野談話を継承していることを内外に説明した。

遺棄化学兵器に関する取り決め
外務大臣在任中、日本が批准していた「化学兵器の開発,生産,貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」の発効に伴い、同条約4条から要請される、中国国内に遺棄された旧日本軍の毒ガス弾の処理において、中国と取り決めを交わした。

なお、同条約及び付属文書では、遺棄化学兵器の廃棄に必要な資金技術人員施設等すべての必要なものを遺棄した締約国(つまり中国における旧日本軍の遺棄化学兵器については日本)の責任で用意することを求めており、また、遺棄化学兵器の廃棄を発効後10年間(2007年まで)に終了することを求めている。

北朝鮮へのコメ支援
2000年、外務大臣として北朝鮮への50万トンのコメ支援を決定した。

李登輝訪日への反対
2001年の台湾の李登輝訪日問題での対応。中華人民共和国からの強い抗議をうけて自らの外務大臣辞任をほのめかしてまで入国ビザ発行に反対した。

戦没者追悼式における発言
2006年8月15日全国戦没者追悼式の衆議院議長追悼の辞で「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と異例の戦争責任論に言及した。

また、2007年8月15日全国戦没者追悼式の衆議院議長追悼の辞においては、「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います 」と述べた。

その他
クリントン米政権時の2000年10月、オルブライト国務長官(当時)訪朝前に、アメリカ政府は北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除を検討しており、解除に極めて近い状況であったが、日本政府(河野は当時外務大臣)が拉致問題等を理由に指定解除阻止を図っていたことが分かっている。

歴史を無視したたわけ者という以外にない。だから河野の引退を残念がるのは胡錦濤と金正日と韓国の一部だけだろう。2008・09・17
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