2008年09月20日

◆四足肉を食べなかった


渡部 亮次郎

私が中学3年生(15歳)の時に罹って死の寸前まで行った「脚気」。今ではビタミンB1欠乏症とわかって、玄米といわないまでも豚肉で補える事が分かっている。

秋田の農村。敗戦直後まで肉屋はなく、肉といえば飼っている鶏の肉だけ。中学2年のとき、生まれて初めて豚肉を食べた。この世にこんな美味しい物があるのかと驚き、豚を飼い始めた。

いずれ、明治天皇が自ら明治5(1872)年に牛肉を食して率先するまでは、日本では長いこと肉食は禁じられていた。その禁忌感覚は後を曳き、明治27―28年の日清戦争、明治37―38年の日露戦争では何万という兵士が戦う前に脚気で命を落とした。

海軍の軍医総監高木兼寛は米糠に大量に含まれている何か(後にビタミンB1と判明)が有効だと唱えたが、陸軍軍医総監だった森林太郎(文豪森鴎外)は糠が有効なら小便も効くだろう、と軽蔑したと言われる。しかし明治天皇も皇后陛下も高木説を信じて、脚気を治された。

一体、我々日本人はなぜ肉食を拒み、猫背の短躯のDNAを遺すにいたったのか。裏辺金好氏のホームページによると、以下の事実が分かった。肉食禁止が同和問題も密接な関係がある。

肉食といえば「文明開化」。しかし、それよりはるか昔の縄文時代の日本は狩猟採集の生活で猪(イノシシ)や鹿(シカ)を食べていた。また、弥生時代に農耕民族になってからも肉食をやめることはなく、それは奈良時代までは当たり前のことなのだった。

問題はこの後。一体どのような理屈からか、仏教が「生きているものを殺(殺生)しちゃあいかん」と提唱。植物だって生きていると思うが肉食する奴はとんでもない奴というレッテルが貼られ、肉食はすたれていった。

676年(天武天皇4年) 4月17日の肉食禁止の詔には、 庚寅、詔諸國曰、自今以後、制諸漁獵者、莫造檻穽、及施機槍等之類。亦四月朔以降、九月卅日以前、莫置比彌沙伎理・梁、且莫食牛馬犬@鷄之宍。以外不在禁例。若有犯者罪之。とある。
 
この詔は、牛、馬、犬、猿、鶏の五畜の肉食を禁じている。その理由は「犬は夜吠えて番犬の役に立ち、鶏は暁を告げて人々を起こし、牛は田畑を耕すのに疲れ、馬は人を乗せて旅や戦いに働き、猿は人に類似しているので食べてはならない」という『涅槃経』の教えによったものらしい。

ただし、雉(キジ)をはじめ鳥肉はその後もずっと食べられた。なお、鶏(ニワトリ)はただ羽の色と鳴き声を楽しむだけのものだった。食用になったのは明治以降。兎(ウサギ)も1羽、2羽と数えて鳥と偽って食べた。

さて、戦国時代。このころ実をいうと焼き肉が登場。足軽(兵士)たちが空腹のあまり農家から牛を盗んで、味噌(普段携帯している)で味付けして鉄板で焼くことを考案したのである。

また、宣教師が牛や馬の肉を食べていたことで、九州を中心に肉食が普及。しかし、どうもそれが豊臣秀吉に厭がられたようで「バテレン(宣教師)追放令」と共に禁止となった。

なるほど牛馬は農家にとって重要な働き手だった。肉食によって失っては駄目だったのである。秀吉は農家の出身。ただし、飢饉の時はそんなことも言っておられず、食べたようだ。

さて、時代は1853年。アメリカからペリーが日本にやってきた。彼は食糧を求め「鶏200羽と牛60頭をよこすように」と言った。

ところが幕府の役人は「なぜ? 船の中で耕作はできないですよ」とお答え。この答えにさぞかしペリーはビックリしただろう。彼は答えた「食べるのですよ」「えっ?」

ここで「なるほど西洋人は肉を食べるものなのか」と、納得したのが最後の将軍となる徳川慶喜。特に豚肉がお気に入りになったようで、人々からは「豚一様」と馬鹿にされた。

だが、明治維新で人々は文明開化の言葉に酔い、肉食に飛びつく。政府もこれを強力に後押しした。特にヒットしたのが「牛鍋」。愛知県犬山市の明治村に行けば、この「牛鍋」を再現したものを食べることができる。

何はともあれ1869(明治2)年に東京の市場として築地に政府が牛馬会社を設立。1872(明治5)年には明治天皇も食べた。仮名垣魯文が著した「安愚楽鍋(あぐらなべ)」の中では「牛肉食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と書かれておるほど牛鍋は庶民の間に普及した。

この牛鍋というのは今の関東風のスキヤキであり、そもそも関西には牛鍋はなく、代わりにこれに似た料理をスキヤキと言って牛肉を食べた。で、大正時代にスキヤキという呼称に統一された。

美味しい肉料理の観点からすると、このスキヤキというのは、あまり牛肉本来の旨みを引き出さないものらしい。肉汁をなるべく出さないことで、肉の美味しさを保った料理を作るのがセオリーなのに、スキヤキは肉汁垂れ流しだ。

ところで話は変わるが、ビフテキの名前はどこから来ているか?ここで「ビーフステーキ」の略と言った人は甘い。これは、ビフテックというフランス語から来ている。

さらに言うと、ステーキとは、ステイクという北欧の言葉だ。余計なことだが、北欧と言えば鯨のステーキ。

焼き鳥は大正時代の終わり、大正12年の関東大震災の後から始まった。初めは高級料理だった・・・。今から考えると信じられない。2008・09・13

裏辺研究所   雑学万歳  第11回 日本人と肉食の歴史
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_11.html#TOP

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック