2008年09月27日

◆日本に「検閲」のあった時代


                   渡部亮次郎

日本における「検閲」(けんえつ)は、筆者がまだ子供の頃の大日本帝国時代を中心に内務省等により行なわれた。また敗戦直後、アメリカは内務省こそ軍国日本の中心的官庁であったとの認定からこれの解体を命じた。

「検閲」=出版物・映画などの内容を公権力が審査し、不適当と認める時は、その発表などを禁止する行為を言う。今の『日本国憲法』はこれを禁止。【広辞苑】

連合国軍の占領時代には内務省を解体する一方でGHQ/SCAPによって検閲は厳重を極めた。黒人兵が強盗をしても新聞は婉曲な表現を求められ、流行歌からは股旅物や復讐物は禁止された。剣道、柔道も禁止された。どちらも検閲の多くは事前検閲であった。

「権力」による言論統制目的の検閲は、江戸時代から始まった。出版が盛んになるにつれて幕府が検閲に乗り出すようになった。幕藩体制を維持するためである。

初期はキリスト教や幕政批判、徳川家の事績に関するものが発売禁止の対象となったが、寛政の改革では風俗を乱すものや贅沢な出版物も対象となった。版木を没収されたものでは『海国兵談』などが有名である。

明治の大日本帝国では讒謗律、新聞紙条例、出版法、新聞紙法、映画法などに基づき内務省が書籍、新聞、映画の記事・表現物の内容を審査し、国家にとって不都合と判断すれば発行・発売・無償頒布・上演・放送などを禁止する検閲が行われた。

発行、発売者に対する行政処分として現物の没収・罰金、司法処分として禁錮刑が科された。

明治時代に制定された大日本帝国憲法は26条で、法律に定められた場合を除いて、通信・信書の自由・秘密が保障されていたが、日露戦争の後、内務省は逓信省に通牒し、極秘の内に検閲を始めた。

脚本の検閲は、演劇興行の用に供する場合、当該地方官庁の取締を受けた。願出の場合は、1ページ30字詰以内(活字刷のものは除く)として明瞭に記載することとされた。脚本の認可の印を押捺されたものは3年間は有効であった。

教育上の悪影響、国交親善を阻害するなどの項目に特に注意された。

映画フィルムの検閲は、観覧の用に供するものだけであった。説明台本2部を製作し、内務大臣に届け出ることが必要で、儀式、競技、時事を写実したもので特に急速を要するものは映写地の地方官の許可を受けられた。

フィルムの長さに制限は無いとは言いながら、上映の場合は無声版は5750m、発声版は6000mが限度であった。

検閲は手数料を要し、内務大臣が許可したものは3年間、地方長官(現在の知事)の許可したものは3ヶ月間有効であった。

検閲官庁が公安、風俗または保健上障害があると認めた部分は切除され、検閲済の検印を押捺し検閲の有無が明らかにされた。

レコードについては、解説書2部を添え、規定された様式に従って内務大臣の許可を要し、検閲上の取締方針は出版物と同様であった。

高峰三枝子の「湖畔の宿」、淡谷のり子の「夜のプラットホーム」渡邊はま子「忘れちゃいやよ」など発売禁止の例は山ほどある。国民の戦意低下を恐れたのだという。軍歌を歌わなければ戦争のできないという珍しい国だった。

敗戦後、占領の割を食ったのは歌手の東海林(しょうじ)太郎。「股旅」ものが看板だったため、放送や舞台への出演が激減し、独立後まで苦労した。しかも独立がかなったときは既にナツメロ歌手になっていた。

新聞は、同一の題号の新聞を他の地方で発行する場合はそれぞれ別種の新聞と見なされ、発行人は保証金を納入して許可を受けることが必要だった。

検閲の眼目は社会の「安寧秩序」を乱し風俗を害するものに向けられ、これに違反したものは発売を禁止された。

発行と同時に内務省2部、管轄地方官庁、裁判所検事局へそれぞれ1部を送って検閲を受けた。雑誌は月刊物で新聞紙法によって発行されるものは同様の取締を受けた。

著作物は、出版法による文書、図書を発行する時は発行3日前に内務省に製本2部を納本する必要があり、書簡、通信、社則、引札、番付、写真等は内容が取締法規に触れないものに限り届出が省略された。

検閲にあたって当局は内容が皇室の尊厳を冒涜し、政体を変改しその他公安風俗を害するものは発売頒布を禁止し、鋳型および紙型、著作物を差し押さえ、または没収した。

絵画彫刻は、取締を受けるのは公衆の観覧に供する場合に限られ、当局は公安を害し風俗を紊す場合は陳列場から撤回を命じることができ、極端なものは没収することもある。

敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は1945(昭和20) 年に「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」や「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書」(いわゆるプレスコード)を出し民間検閲支隊により日本のマスコミへの事前検閲や事後検閲を行った。

反占領軍的と判断した記事(占領軍兵士による犯罪なども含まれた)を弾圧して全面的に書き換えさせた。なお、これらの言論統制をウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムと称する命令の一環として見る文芸評論家の江藤淳の説がある。

現在の日本において検閲は、日本国憲法第21条第2項前段において明示的に、絶対的に禁止されている。

<条文:検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。>

検閲の歴史を踏まえて規定されたのがこの規定である。例外として、刑務所や拘置所などでは検閲が認められており、刑務所や拘置所などの施設に置かれている雑誌や受刑者が出す手紙などには検閲され、部分的に切り取られるか文字が塗りつぶされている。この対処の理由としては、再犯などの防止のためと解釈されている。

ポルノ禁輸、教科書検定、書籍等の出版事前に差し止めなどは残っているが、往時とは比較にならないほどの自由がある。極端な事すらしなければ何を書いても、何を唄ってもしょっぴかれることのない時代。しかし「検閲」があったことを忘れてはいけない。2008・09・23
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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