2008年10月05日

◆巴里だより 見られるということ

  岩本宏紀(在仏)

巴里の女性はどうしてこう粋(いき)なのだろう、と思うことが月に一度はある。

行きつけのスナックでこれを議題にすると、常連客の霊感マダムがすかさずこう答えた。彼女はフランス男性との結婚経験があり、直感が鋭いひとだ。

「それは子供のころから親に厳しく躾(しつ)けられるからよ。フランスのきちんとした家庭では食事の作法(さほう)はもちろん、階段の昇り降りの姿勢まで言われるの。肥ってくると当然食事制限が始まるし」。

ある会食の席上、こんなはなしを聞いた。

フランス人夫婦が日本を旅行した。すばらしい美人である奥さんは、巴里に戻ってから沈んだ表情で、旦那さんにこう漏らした。

「わたしって魅力がないのかしら。日本ではわたしを見る人が一人もいなかった」。

巴里では素敵なひとがいたら、その人に視線を向けるのが普通だが、日本では即刻「すけべ親父」の烙印(らくいん)を押されてしまう。

このはなしを聞いていた在仏20年以上の日本人女性がこう言った。彼女は誰が見てもきれいと思う容貌も持ち主だ。

「自分に視線を向けてもらおうと努力しているのですよ、女性は」。
なるほど、そうでしたか。美しさは努力の賜物(たまもの)なのですね。

北野武はこんな考察をしている。「田舎娘のような駆け出しのアイドルも、何年か他人の視線に晒(さら)されると垢(あか)抜(ぬ)けした女性に変わる。視線は粒子で出来ているのではないのか。粒子がばしばしと当たることで、きれいな顔になっていくのではないだろうか」。

どんな環境でもとにかくその場の一番美しい女性を口説こうとする性癖があり、数回の結婚経験のある友人はこう言った。「女優がなかなか歳をとらないのはなぜだと思います? 普通の主婦との決定的な違いは、鏡を見る回数ではないかとぼくは思うな」。

美しい女性は他人の視線だけでなく、自らの視線の粒子も使ってきれいに変身しているのだろうか。

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