2008年12月13日

◆真の努力家遠藤実の生涯

渡部亮次郎

歌謡界から初めて文化功労者に選出された(2003年)「北国の春」の作曲家遠藤実(えんどう みのる)氏が急性心筋梗塞のため2008年12月6日10時54分、東京都内の病院で逝去。まだ76歳だった。戦後歌謡界を代表する日本の作曲家だったが、作曲は独学だった。

門外漢ながら演歌の作詞は何とかなるかもしれないが、作曲となると、皆目想像がつかない。古賀政男にしろ遠藤実にしろ市川昭介にしろ、独学で作曲をモノするとは想像を絶する。頭にメロディーは浮かんでもそれを五線紙に落とすに際し、原則や約束事をどうやって「独学」したのか、とにかく尊敬してしまう。


昭和7(1932)年7月6日東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区向島)に生まれたが、大東亜戦争時に父母の郷里、新潟県西蒲原郡内野町(現在の新潟市西区内野)で極貧の疎開生活を送っていた。

1949{昭和24)年、17歳の時上京。ギターを携えて流しの演歌師になり三鷹や荻窪を流していた。産経新聞(2008・12・7)の「産経抄」によれば、その頃、産経新聞社主催のノド自慢に落ちた。

「流し」の頃、ハラが減ると食堂で秋刀魚の開きと味噌汁だけの定食を食べた。そんな時、注文もしないカツ丼を黙って出してくれる3つ年上の店の女性がいた。後の節子夫人である。夫人は既に先立った。

新潟の疎開先で貧乏だったため行けなかった高校への憧れをメロディーにしたのが、舟木一夫の「高校三年生」や「修学旅行」「学園広場」だった。

流し(ながし):街頭や酒場などを流して歩く芸およびその芸人。古くは新内節の〈新内流し〉が有名で,19世紀初めころ(文化年間)から始まった。2人一組の二挺三味線で,太夫が本手を弾き,上調子(高音(たかね))がこれに派手な手をあしらう。街頭を流し,一節を路上で語る〈軒(のき)づけ〉と,呼ばれて座敷へ上がり一段を語るものとがあった。

流しの芸には,ほかに浪花節,民謡などもあり,明治維新後の演歌師などもそれに準ずる。第2次大戦後はギターの流しも流行したが,カラオケが流行するようになって下火となった。世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービス

1956年、日本マーキュリーレコードから、『お月さん今晩わ』で作曲家としてデビュー。

また自らの名をつけたレコード会社・ミノルフォン(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)を創業し、1960年には専務、1968年には同社社長になる。会社は倒産。それを歌にしたのが小林旭の歌った「ついて来るかい」だ。

生涯に送り出した楽曲(一部は作詞も)は5000曲以上(その大部分は演歌)と言われ舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。

1988年、ハワイで心臓のバイパス手術を受ける。

1979年、日本演歌大賞を受賞。

1990年、紫綬褒章を受章。

1994年、日本大衆音楽文化協会会長に就任。

1995年、日本音楽著作権協会会長に就任。

2002年、勲三等旭日中緩章を受章。

2003年、文化功労者として顕彰される。

2005年、日本作曲家協会会長に就任。


[編集] 主な作品

お月さん今晩わ(藤島桓夫、1957年4月)
からたち日記(島倉千代子、1958年11月)
浅草姉妹(こまどり姉妹、1959年11月)
アキラのズンドコ節(小林旭、1960年)

ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹、1961年5月)
おひまなら来てね(五月みどり、1961年5月)
襟裳岬(島倉千代子、1961年6月)

若いふたり(北原謙二、1962年8月)
高校三年生(舟木一夫、1963年7月)
詩を受け取って2階に上がる途中で完成したとの伝説がある。
ギター仁義(北島三郎、1963年8月)

修学旅行(舟木一夫、1963年9月)
哀愁出船(美空ひばり、1963年)
仲間たち(舟木一夫、1963年12月)

君たちがいて僕がいた(舟木一夫、1964年5月)
青春の城下町(梶光夫、1964年)
星影のワルツ(千昌夫、1966年3月)
こまっちゃうナ(山本リンダ、1966年11月)

新宿そだち(大木英夫・津山洋子、1967年10月)
ついてくるかい(小林旭、1971年4月)
純子(小林旭、1971年10月)

せんせい(森昌子、1972年7月)
中学三年生(森昌子、1973年2月)
くちなしの花(渡哲也、1973年8月)

白樺日記(森昌子、1973年8月)
おかあさん(森昌子、1974年8月)
すきま風(杉良太郎、1976年10月)

北国の春(千昌夫、1977年4月)

ひとり(渡哲也、1977年4月)
江戸の黒豹(『新五捕物帳』主題歌、1977年)
夢追い酒(渥美二郎、1978年) 1979年の年間第1位
みちづれ(牧村三枝子、1978年10月)

大東京音頭(三波春夫/三橋美智也・藤野とし恵 ほかによる競作、1979年)
君は人のために死ねるか(『大捜査線』主題歌 1980年)
南風(小柳ルミ子、1981年)
冬支度(牧村三枝子、1984年)
雪椿(小林幸子、1987年6月)

門下生
橋幸夫(当初は実の門下生で、実の推薦で吉田正の下へ移った)
舟木一夫
千昌夫
小林旭
森昌子
島倉千代子
山本リンダ
渡哲也
五月みどり
杉良太郎
いではく(作詞家)
一節太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2008・12・10
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