2009年01月05日

◆議会制民主主義の乞食

渡部 亮次郎

こじき=食物や生活に必要な金品を他人に乞うて暮しをたてている者の総称。

日本では乞食は地方によりコジキ,モライ,カタイ,ホイト,カンジン,ヘンドなどをはじめ実にさまざまの呼び名がある。

ただしコジキの呼び名がもともとは仏教僧の托鉢(たくはつ)を意味する乞食(こつじき)からきているように,その多くは本来の意味からの転用である。したがって,こじきの範囲は今日一般に考えられているよりもはるかに広く,そのさかいめもあいまいであった。

たとえば近世以前の社会では,乞食とはどのような人々と考えられていたのだろうか。江戸時代の随筆類や風俗調査などにあらわれたところを大きく分類すれば,この時代の乞食に,(1)純然たる物もらいのためのこじき,(2)托鉢勧進する宗教者,(3)門付(かどづけ)芸人,(4)旅をする行商人,などをあげることができる。

このうち第1のタイプのものはおそらくどの時代にも普遍的に存在した。それは冷厳な経済の構造が多くの人々を社会の外へと切り捨てていった結果にほかならないが、風あたりはことに病人に対してきびしかった。

カタイというこじきの呼び名が,近年まで業病とおそれられた癩の異名であるとした土地が少なくないことにも,それはよくあらわれている。彼ら病人たちはこじきとなって故郷を捨て,しばしば治外法権的な性格をもった神社仏閣の庭にたむろして余命をつないだのである。

2番めのタイプの乞食には勧進僧,六十六部,巡礼など,いずれも旅をむねとする宗教者が含まれる。仏典によれば比丘(びく)の生活には十二頭陀(ずだ)行と呼ばれる12の戒律があり,乞食(こつじき)行はその一つとされる。

托鉢というのもこれと同じで,修行僧が煩悩のあかをおとし衣食住にむさぼりの心をおこさないため,門ごとに食物を乞い歩くことをいう。したがって午前中に行うこと,生命をささえるにたるだけにとどめることなど,いくつもの厳格な制約があった。

しかし一方では働かずに食物を手に入れられるところから旅僧まがいの世間師や故郷で食いつめた巡礼など,ほとんど乞食としかいいようのないものも少なくなかったのである。

第3の門付芸人には,節季候(せきぞろ),万歳(まんざい),春駒のように一年中の定まった季節にやって来るものと,説経,祭文,歌比丘尼などのように時を定めぬ者とがいた。

いずれも第2の場合と同じく,もともと乞食だったわけではない。むしろ季節を定めて祝福に訪れてくる神々への信仰に源流をもち,神の姿をした祝福芸人〈ほかい人〉の末裔にほかならなかった。

だから,《万葉集》巻十六に〈ほかひびと〉の歌がおさめられていることからもわかるように,その起源はきわめて古いといってよい。しかしこれら祝福芸がたとえば能や狂言などのように社会の上層に上昇転化するきっかけを失い,また近世に入ってからは,これらの芸をになった人々のほとんどが,差別視された身分におとしめられるにつれ,かつての巡遊芸人たちも乞食と同様にみなされるに至ったのである。

また最後のタイプの乞食にはたとえば,おもに箕(み)なおし,羅(おさ)作りなどにたずさわったといわれる山窩(さんか),オゲと呼ばれる漂泊漁民,野鍛冶などがあたる。

彼らの場合も,中世から近世にかけて都市が発達してゆく過程で,そこに定着することに失敗した職種の商人たちが,のちのちまで乞食として残されてしまったのであろう。

いずれの型のこじきにしろ彼らに共通する特徴として,経済的にも身分的にも社会の最下層に位置していること,社会の一般的な経済システムから排除されていること,そしてきわめて放浪性の高いことがあげられる。

逆に土地に根づく農民を主体に作られてきた日本の文化にあっては,一ヵ所に定住しないことはみずから食物を作り出さないことであったから,旅の境涯にある人々の生活様式は必然的に物乞いであるほかはなかったであろう。

その意味では旅を基盤にした文化あるいは都市でつちかわれてきた文化とは,こじきとそれにまつわるさまざまな習俗を生み出してきた文化であるともいえる。

一方,農民はじめ一般庶民の間にも習俗化された物乞いの行為が入りこんでいることが少なくない。たとえばまぶたに生ずるはれものをモノモライとかメボイト,メコジキなどこじきを意味することばで呼ぶのは,近所の家々をまわって障子の穴から手をさし出し,すこしずつ食物をもらい歩いて食べるとよいなどという民間療法からきている。

そのほか、八月十五夜の月見のだんごを盗んで食うと健康になるというのはよく知られた風であるし,小正月のころ若者や子どもたちがわざと乞食のなりをして家々から金品や食物をもらい歩く,カセドリとかコトコトなどと呼ばれる習俗もかつては全国に分布していた。

これは食物をともにすることにより,多くの人々と力をあわせ,より健康な生活をおくることができると信じた心意にもとづく慣行だと考えられている。

これに対して,一般庶民が,門ごとに訪れるこじきたちに対していだく期待も少なくはなかった。江戸時代の四国諸藩がたびたび乞食遍路の取締りを行いながらも,彼らを弘法大師の化身とみなす庶民信仰にはばまれてついに成功しなかったのは,乞食行脚(こつじきあんぎや)の宗教者に対する民衆の期待や信仰がいかに強かったかを物語っている。

施される金品とひきかえにこじきたちは宗教的な霊威や門付芸による祝福,あるいは生活上必要な物資さえもたらした。つまり都市や農村に住む民衆にとってこじきとは,生活圏の外から訪れてくる,なかばの期待となかばの恐れとをもって迎えるべき神聖な旅人でもあったのである。
(真野俊和)世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービスより。

議会制民主主主義の下では乞食は背広を着て団体や政党らしきものを組む。やっていることには触れたくない。魂が穢れる       2009・01・04

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