渡邊好造(エッセイスト)
新年早々インドネシアでマグニチュード7.5の大地震が発生し、日本でも津波の発生を報じた。津波が日本の太平洋岸に押し寄せてくれば、当該海岸地域では住民避難を含めた緊急な対応を迫られることになるが、今回は津波の被害からは免れ、ホットさせられた。
ところがその報じ方に、「津波の情報」と「津波のニュース」の2通りあることに気づいた。「情報」と「ニュース」違いはどこにあるのか、と考え込んでしまった。
広辞苑によると、「情報」とは、“ ある事柄についてのお知らせ”。「ニュース」とは、“ 新しい出来事またその知らせ”とある。どちらも似たようなもので、何ら差があるとは言えず、これでは明確な定義が読み取れない。
ある「知らせ」があって、その内容が「受け手の人にとって極めて関心のあるもの」であれば、それはその人にとっては「情報」であり、「客観的な出来事として受け止められるもの」であれば、それは「ニュース」なのではないか、と私は思う。
例えば日経平均株価の場合だが、株価の上下変動によって利害に直結している企業経営者、あるいは株を売買している個人投資家などにとっては、それ動向自体はまさに価値ある「情報」であろう。
その意味では私のように、経済不況を知る目安としての株価に目を通すことはあっても、利害と結びつかないだけに、刻々と変わる株価は一般の「ニュース」でしかない。
もう一つ、川向こうの火事が報じられても、大抵の人にとっては、それこそ対岸の火事であり、物見高い野次馬根性を掻き立てるだけのことである。しかし、仮にその川向うに親類や知人が住んでいるとすれば、その人にとって川向こうの火事は、さらりと聞き流せる「ニュース」ではなく、何事にも代えられない緊急かつ重大な「情報」ということになる。
つまりある人にとり普遍的な「ニュース」でも、人によってはさらに内容把握に耳目を集中させたい重要な「情報」である場合があるということである。
そう言えば、「轢き逃げ死亡事件」を捜査している警察の「目撃情報」を呼びかける立て看板を見た。事件発生は「ニュース」であっても、この「目撃情報」の有無が加害者逮捕決め手になるケースとなるだけに、被害者家族や捜査当局にとっては「情報の提供」には、必死の願いが込められている。
ところがメディアの報じ方は、この「情報」と「ニュース」との意味の重さを明確に認識していないような気がする。特にニュースの放送中に入ってきた不確かな発生事案を、確認できるまでの過渡的手法として「情報」として安易に扱うことが目に付く。
ことの重大性が基準となる「情報」としての取り扱い方ではなく、その事案が確かな事実になるまでの「繋ぎ的手段」として使う「安易かつ無責任」な方法としか映らない。
そう言えば、テレビ番組等で使われている“情報番組”と“ニュース番組”の名称も、安易、かつ無定形過ぎるような気がしてならないのは、私だけだろうか、どうだろう。(完)
2009年01月11日
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