2009年01月19日

◆医師不足解消は絶望的(上)

    石岡 荘十(ジャーナリスト)

患者の、特に東京都内で起きた妊婦の“たらい回し事件”に端を発して、石原東京都知事は医師不足は国の責任だと噛み付き、舛添厚生労働相は都の病院運用の仕方に問題がある、と責任を押し付け合い、いがみ合っている。

結果、都は総合周産期病院の運用管理システムの改善に動き、国は医師増員の方針を決めている。しかしこれで一件落着したわけではない。

この問題に関連して、上昌広(かみ・まさひろ)東京大学医科学研究所客員准教授が昨年12月3日発行のメールマガジンJMM(Japan Mail media主宰:村上龍)で優れた論文を発表している。長文なのでその骨子を一部引用し、私見を加えながら問題点を整理しておきたい。

結論を先に言えば、「東京都は医師不足ではなく、医師の偏在を見過ごしている医療行政に問題がある。国が示した医師増員計画では医師不足は解消されない」ことが明らかになった。

まず、日本は医師不足か。データを確認しておく。

OECDの調査(2005年現在)によれば、人口1000人あたりの医師の数は、イタリア4.2、フランス3.4、ドイツ3.4、オーストラリア2.7、アメリカ2.4、イギリス2.3、カナダ2.1となっていて、日本2.0。日本より少ない国は、メキシコ、韓国、トルコ---。先進国首脳会議に参加している国の中で日本は最低である。

(OECD=経済協力開発機構、英:Organization for EconomicCo-operation and Development、略称OECD, fr:Organization decooperation et de developpement economiques OCDE)はヨーロッパ、北米等の先進国によって、国際経済全般について協議することを目的とした国際機関。

本部はパリに置かれ、公用語は英語とフランス語。市場経済を原則とする先進国によって構成されているため、「先進国クラブ」あるいは「金持ちクラブ」 とも呼ばれている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

厚生労働省の医療動態調査では、2005年現在、日本には29万人の医師がいるが、アメリカやイギリスなどアングロサクソン系の国々ではコメディカルが発達していて、強力に医師の仕事をサポートしているので、医師は医師にだけ許された医療に専念することが出来る。

「コメディカル」とは、「Co(共同)」と「Medical(医療)」の2つを繋いだ英語で、医師(看護師を含める場合もある)を除いた薬剤師、臨床検査技師、救急救命士、助産師などの多くの医療従事者、スタッフが協同して医療体制のことをいう。

最近話題になる臨床事務処理専門のスタッフ、メディカルクラークもこの中に含まれる。だから、舛添厚生労働相が言うように医師の数だけを増員すれば問題がが解決するという単純なものではない。

日本では医師免許のない人でも任せられる雑務に医師が忙殺されて睡眠不足、過労が常態化し、これが医療事故の原因だとも指摘されている。

まず、東京都の現状はどうか。

人口1000人あたりの医師の数は2.8人で、イタリアやドイツ、フランスには及ばないものの、アングロサクソン系の平均2.1〜2.7は上回っている。特に、東京都の中央部、千代田区、中央区、港区文京区、台東区(二次医療圏という)では人口1000人当たりの医師の数は12.6人で、医師過剰といってもいいほど恵まれた環境にある。

これは全国平均の6.3倍で、高度医療も充実している。ところが妊婦のたらい回しで問題となった都立ER墨東病院のある墨田区を含む東部医療圏(墨田区、江東区、江戸川区)では1.6人、最もひどいのは江戸川区で、住民1000当たりの医師は0.9人に過ぎない。医師の総数では不足しているわけではないが、この医師の偏りには目を覆う。

そこで、東京都や厚生労働省はIT技術や人的なネットワークを整備して、医師不足の周辺地域から過剰の中央部へ患者をスムースに搬送する体制を改革・整備しようとしている。

この点、石原知事が病院運用の仕方に問題があることを部分的に認めた結果とも言えるだろう。しかし、中央部の病院に日頃付き合いのない周辺部の病院から要請があっても、リスクが高く訴訟問題を起こすかもしれない重症の患者、特に妊婦の受け入れを躊躇するのは当たり前で、改革案は「机上の空論」だという声が現場医師から上がっているという。

患者搬送の手段についても、東京都の担当官は「救急車が沢山あり、病院も多いので問題ない。救急ヘリもあるし---」と能天気なことを言っている。ましてドクターヘリの導入については、まったく検討をしようとはしていない。

慢性的な交通渋滞の中、都心部の病院へ一刻を争う患者の搬送手段が救急車任せという感覚は理解できない。

理想的には、普段から人的・物的に交流が密な地域の中でその地域の患者を受け入れる医療体制を整備すべきなのだが、大学病院、都立病院、国立病院の大半はもともと明治から戦後の早い時期に設立されたもので、その後人口が激増した地域に新設された大型の医療施設は数えるほどし
かない。

板橋区の帝京大学病院と日大病院、大田区の東邦大学病院、品川区の昭和大学病院、三鷹市の杏林大学病院などだ。

ところが1983年、厚生省(当時)による「医療費亡国論」が発表され、1985年以降、医療計画が始まって、医療を提供する体制が厳しく規制されることとなった。増大する医療費が国の財政を破綻へと追い込むという考え方はいまなお根強く生き残っている。

東京東部や西部、多摩地区などに人口増に見合った医療施設がない。地元の医師会が、既得権が侵されることを警戒して地域に新しい大型医療施設が出来ることに反対しているとも言われるが、このような地域による医療格差の解消の責任は、最終的には国にある。長期展望を欠いた国の政策がもたらした結果なのである。

患者搬送体制の不備ももちろんあるが、救急医療全体が抱えるさまざまな問題は医療費削減最優先のこの発想を転換しなければ解決しない。その意味で妊婦が亡くなった責任の一端は、環境の変化に対応していない国の医療政策にあるのは間違いない。(つづく)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック