石岡 荘十
(再掲)3階建ての日本旅館の屋上で子どもたちが遊んでいると、街が騒がしい。
屋上の柵越しに覗いてみると、男女2人連れの日本人が、大声でなにかわめきまくる暴徒に引きずり回され、蹴飛ばされ、袋叩きにあっている。
そのうちにひときわ大きな歓声が上がって群衆が去った後、路上に倒れた2人はピクリとも動かない。頭のあたりの地面に血溜まりが見える。子どもたちにとっては、残酷すぎる情景だった。といっても、中国での昨今の出来事ではない。
1945年夏(多分9月)、中国・天津市での事件である。中国での反日デモのテレビニュースを見て、60年前、少年の柔らかな脳に深く刻みこまれた怖ろしい記憶がよみがえってきた。
当時、私は10歳。父親の仕事の関係で天津市に住んでいたが、8月15日敗戦。数日後、それまで8年、住みなれた社宅を追い出され、日本租界にあった日本旅館にほかの社員家族とともに連れて行かれた。
日本からの引揚船が来るまでここで過ごすことになっていた。事件はここに収容されていたときのことだ。終戦の日、水力発電所建設技師だった父は蒙古奥地(中国東北地区)の大同(タートン)に軍需工場を建設するため関東軍から“現地徴用”され、単身で出張して留守だった。
家で雇っていた住み込みのアマ(中国人女中)は、「日本が負けた」という報が伝わるや、翌日、一族郎党を呼び込んで略奪を開始。高価な黒檀のテーブルは言うに及ばず、「あんなによくしてあげたのに、木綿針1本まで持っていった」と母は悔しがった。
どうせ着の身着のまま追い出されることはわかっている。こよなく本を愛していた父の愛読書だけは、あんな奴らの汚れた手に触らせたくないと母は思ったのか、庭に世界文学全集を積み上げ石油をかけて火を放った。
私も読んで貰って、大好きだったジャン・バルジャンもモンテクリスト伯、ロビンソン・クルーソーたちは、もくもくと黒煙に変身して大陸の空に消えた。父の消息は途絶えたまま、1ヶ月が経った。が、暴動を目撃したその日の深夜、旅館の裏木戸を、人目を忍ぶように叩く者があった。
眠っていた私と兄を誰かが起こす。目をこすりながら2階から降りていくと、旅館の裏口を入った土間で、離れたところからでも鼻をつく悪臭を放ち、汗と垢にまみれ、襤褸をまとったヒゲぼうぼうの男が、母親としっかり抱き合い、2人とも大声をあげて泣いている。父の帰還であった。
後に聞いた話はこうだ。終戦の日を間近に控えたある日、関東軍の現地司令部に呼ばれ、日本人の社員1人ひとりに拳銃1丁と、乾パンと缶詰の入ったリュックサックを手渡されたあと、「自力で帰ってくれ」と言い残して、彼らはさっさと列車で引き揚げていったという。数日後、敗戦。
各地で日本人が暴徒化した現地人に襲われているという情報があったので、集団で移動するのは危険と判断して、2人、3人とばらばらになって出発。
父はまあまあの現地語はしゃべれたが、しゃべれば現地人でないことはすぐばれる。そこで、おし(放送禁止用語ですが------)の乞食に扮装。「アー、ウー」だけで、天津まで百数十キロを迷い、迷いながら1ヶ月かけて、無言で歩き通した。
途中、「拳銃を3回使った」と日本に引き揚げた後、迂闊にも洩らしたことがあったが、それ以上のことは遂に一言も語らず、帰国から三十数年で他界した。77歳だった。
生前、日中国交回復があり、日中間には蜜月のような歳月もあった。その頃、建設に関わり当時も稼動していた発電所を再訪しようと昔の同僚から誘われたこともあったようだ。しかし父は頑なに断り続け、結局、2度と大陸の土を踏むことはなかった。
その父の胸中を推し測ると------民間人でありながら異常な経験を強いられた被害者であると同時に、加害者とならなければ生き残これなかった場面にも遭遇したとすれば、やり場のない罪悪感と恐怖感が足枷になって、父の中国再訪をためらわせたのではないか。
私もまた、同じ時代を同じ天津で過ごした友人に、「“センチメンタル・ジャーニー”で天津に行こうぜ」とここ数年、何度も誘われているが、なぜか気乗りしない。
60年前に遭遇したあのショッキングな映像が脳裏に頑固に居座っている。そして最近のニュース映像がトリガーとなって、暴徒に襲われ道路に転がっていた2人の遺体のVTRをリプレイする。
当時の出来事を、いまの中国にそのまま重ね合わせるのは、間違いかもしれない。理屈ではわかっている。しかし、いまでもやっぱり「あの国は怖い」というトラウマから脱け出せないでいる。
父は、このメルマの主宰者と同じ秋田県の出身で、「秋田音頭だよ〜、八森(はずもり)ハタハタ、男鹿でオガブリコ-----」で知られる八森町の、そのまた田舎の、山の上の小高い墓所に、ある。
墓石は、何故か中国の方向に向いている。父は、最近のニュースを見て、「やっぱり-----」と言っているかもしれない。(いしおか そうじゅう・ジャーナリスト 東京都在住)(05・4・28を再掲)
2009年01月30日
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