2009年02月10日

◆巴里だより 犬がこわかった

          岩本宏紀(在仏)

ぼくがまだ片言(かたこと)しか喋れなかった頃のことを、おじさんからよく聞かされる。

「宏紀(ひろき)を負うて歩いとったら、急に脚をひょいと上げるんじゃ。なしてかいのう(何故の広島弁)と思うと、はーるか先に、こーまい犬がおったんよぉ。」

婚約者のおばの家に行ったときは悲惨だった。家のなかにボクサーがいたのだ。そいつが立ちあがったとき、ぼくは思わす彼女、つまり婚約者のうしろに逃げ込んでしまった。

居合わせたひとたちは、ぼくの人格を疑ったに違いないが、幸い婚約解消には至らなかった。

そのくらい犬がこわかった。理由はわからない。噛まれたわけでも、追いかけられたわけでもない。

ところが28歳で初めて巴里を訪れて以来、でかい犬とすれ違う機会が多くなった。それも鎖なしで飼い主の前を歩いている。狭い歩道では強面(こわもて)の鼻先30センチ以内に近づくこともある。

けれど、巴里の犬がひとに向かって吠えているところは、ほとんど見ない。また犬同士も冷静で、近寄って互いの匂いを嗅ぎあうだけだ。たまにヨークシャーテリアが、自分の何倍もある犬に向かって必死で吠えているのを見ることがあるが、喧嘩はまず無い。

もっとも田舎では番犬として飼っている農家があるので、安易に敷地内に入ると、領土侵犯と見なされて吠えられるそうだ。

犬を飼っている友だちも少なくない。初めのうちはこわかったが、ぼくのことを覚え、懐(なつ)いてくれると、今度はかわいくてしかたがない。

かつては、人間に懐く犬よりも、人間に媚(こ)びず自分の世界に生きる猫のほうが断然好きだったぼくだが、今では「犬」と呼ぶのに抵抗を感じるほどになってしまった。(完)


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