2009年04月15日

◆秋田で民主党が勝てるのは1区だけ

渡部亮次郎

郷里秋田で知事に昔の殿様の血筋に当る佐竹敬久(さたけ のりひさ)氏が当選した(4月12日)。水戸から秋田に左遷された義宣(よしのぶ)の実弟義勝(よしかつ)を始祖とする佐竹北家(仙北市角館)の当主である。

何代目か。佐竹北家は明治維新まで7代を数えたそうだから明治維新から141年経っている。プラス5代と見れば12代目か。

佐竹敬久:1947年11月15日秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)で生まれる(61歳)。

出身校 東北大学工学部精密工学科を卒業後、秋田県庁に入り佐々木元知事の側近として総務部次長に出世。佐々木知事失脚後の知事選で寺田氏に対抗し手出馬。落選。失脚した知事の側近が出馬したのだから落選は当然だった。

その後秋田市長に担がれて2期の任期中、寺田知事不出馬の今回 辞職して出馬したもの。

生家は、秋田藩主の一門・佐竹北家である。家系は代々、秋田藩角館一帯に一万石の封を得て、明治時代は男爵に叙せられた旧華族の出身であった。

父 敬二郎は昭和21年(1946年)5月に爵位を返上し、その翌年、太平洋戦争終戦の翌年11月3日に日本国憲法が制定されて間もない時期に敬久が生まれている。

秋田県立角館高等学校を経て、昭和46年(1971年)3月 東北大学工学部精密工学科卒業。 昭和47年(1972年)3月 秋田県庁に入り商工部門、地方行政部門を担当し、工業振興課長、地方課長、総務部次長を歴任したのは既に述べた。

2009年2月23日に、任期を約5ヶ月残して秋田県知事選挙(2009年4月12日投開票)に出馬。民主県連などの支持を受けた川口博(小坂町長)らを破って初当選を果たした。自民党の組織票に加えて、全県的な知名度を生かして無党派層の支持も得た。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


確定した秋田県知事選の市町村別得票数から計算すると、大雑把にいえば衆院1区(秋田市)で佐竹氏(自民党系)が川口氏(民主党系)に23653票差で勝ったが、佐竹氏が秋田市長の現職だった割には得票差が少なかった。

これは民主党衆院議員の寺田学氏(菅代表代行グループ 寺田前知事の息子)の影響力があったせいであろう。次期総選挙でも寺田学氏の優位は動かないといえる。

加えて元佐々木知事の側近として責任を取らなかったばかりか後継者として佐々木路線を継号とした、秋田市長としてさしたる業績を上げ得なかった事への保守層の不満があった。

だが旧南部藩だった地域から県知事を迎えることの屈辱を秋田市や県南部の有権者は想像もしていない。寺田前知事が南部藩小澤一郎の家来になり得たのは彼が藩意識の希薄な県南出身だったからである。寺田の退場で秋田での小澤色は急速に薄れてゆく。

従って民主党が秋田の3選挙区で勝てるのは1区だけで、2区、3区は自民党が勝つだろう。1区での自民党はタマが悪すぎるから寺田2世は票を減らす事はあっても落選は予想できない。

2区は今回敗戦した川口氏の地盤である。町長を務めた小坂町では90%に近い票を集めて佐竹氏を寄せ付けなかった。隣接する鹿角市でも89%に近い票を集めている。

さらには野呂田芳成氏(無)の地盤である能代市でも勝利し、2区全体では川口氏が43299票の大差で佐竹氏に勝っている。

これだけで見れば、総選挙でも民主党が圧勝する様だが、そうはならない。野呂田芳成氏は知事選では川口氏を推したが、次期総選挙では引退する。しかも野呂田後継は、自民党の金田勝年(元参院議員)に決まった。

民主党は佐々木重人氏を立てるが、前回選挙では45020票しか獲得できていない。社民党票の28131票を貰うために、無所属で立つ苦肉の作戦をとろうとしているが、それでも野呂田氏の前回票80974票には及ばない。

今のところ社民党は前回と同じように山本喜代宏を立てる方針だから、金田勝年氏の圧勝が予想されている。

区はどうか。ここは自民党が孤塁を守ってきた選挙区。佐竹氏は出身地の仙北市で80%近い票を集め、横手市、湯沢市、由利本荘市、大仙市、にかほ市でも川口氏を寄せ付けなかった。3区全体では何と76414票差で川口氏を退けた。

総選挙では自民党現職の御法川信英氏(みのもんたの縁戚)が立つが、地元の大仙市で川口票の3倍の票を集めて、佐竹当選に貢献している。民主党の京野きみこ氏(前回は82480票で次点落選)は及ばないだろう。村岡2世の動き次第。2009・04・14

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