2009年05月08日

◆発禁(はっきん)の歴史

渡部亮次郎

発禁とは新聞、雑誌、書籍など主として出版物の特定の号または本の発売および頒布(無償の配布)行為を禁止する公権力による処分、いわゆる発売頒布禁止処分の略称。

NHKは公共放送とはいえるが国営放送ではない。それなのに軍歌は絶対、放送しない。スポーツ放送のテーマ曲は古関裕而の作曲。そのほか古関が作曲した放送のテーマ曲は多い。

古関は早稲田大学応援歌「紺碧の空」や東京オリンピック(1964年)の行進曲の作曲者としても有名だが、大東亜戦争中は数々も有名な軍歌の作曲家として名を売った。

銀翼連ねて南の前線で始まる「ラバウル海軍航空隊」、ああ、あの顔で あの声での「暁に祈る」勝ってくるぞと勇ましくの「露営の歌」若い血潮の予科錬の七つボタンは櫻に錨「若鷲の歌」、あの日揚ったZ旗を・・・の「海の進軍」などだ。

戦争中は国民学校(小学校)の児童も「軍国少年として教育されたから古関作曲の軍歌を、それとは知らずに随分唄った。同じ作曲家でも軍歌をあまり作らなかった高木東六は古関の悪口を死ぬ(102歳}まで続けた。

歌は政府や軍により「戦意高揚のため」としては大いにもちいられたわけだが、戦後、ゆうめいになった「夜のプラットホーム」とか「湖畔の宿」などはそれに反するとして発禁(発売禁止)処分を食らった。

私(73歳)が生まれる前の1934(昭和9)年、出版法改正で蓄音機用レコードも同法の対象となると同時に、レコードについても発禁が内務大臣の行政処分として行われるようになったためである。

現役のアナウンサーは、こうした事実を全く知らない。「夜のプラットホームは歓呼の声に送られて戦地に旅立つ新婚の夫を新橋駅のホームの陰に隠れて泣きながら見送る新妻の姿だ。戦地に向う以上、帰還は叶わないかもしれない、それだから「君いつ還る」とうたった。だから発禁になった。

戦後、発禁が解けて流行したが人々は戦時中の気分で歌った。何で旅がそんなに悲しいか分らないアナウンサーは戦争を知らないから理解できない。

今になってみると「山の寂しい湖に独り来たのも・・・」とうたう「湖畔の宿」が何故発禁か理解できないが、戦争中は女々しいとして禁止されても国策に反するといわれれば下を向くしかなかったろう。

コトコトコットン ファミレドシドレミファと唄う森の水車も発禁。ドレミファソラシドが外来語禁止に反したから。これはイタリア語で、イタリアは3国同盟の相手だからよかった筈がが「とにかく外来語はいかん」だったらしい。

新聞、雑誌などの定期刊行物については別に発行禁止(当該定期刊行物の存在自体の禁止)処分がある。発禁は日本では今日は存在せず、類似なものに違法な猥褻(わいせつ)出版物等についての押収処分があるにとどまるが、大東亜戦争前の旧体制下で猛威を振るった政府の言論統制手段として有名。

この発禁は、新聞紙、雑誌については新聞紙法第23条、書籍などについては出版法第19条により、それぞれ内務大臣が「安寧秩序」を乱しまたは「風俗」を害するものと判断した場合に自由裁量で行うことができるいわゆる行政処分である。

そのうえこの両法は行政訴訟による救済の道を閉ざしていたから、内務大臣の処分は最終処分で、発禁を受ければ泣き寝入りのほかはなかった。

したがって政府にとってはきわめて機動性に富む、便利で効果的な言論統制手段であった。ことに新聞、雑誌など定期刊行物の統制には絶大な威力を発揮した。

新聞、雑誌についてはさらに、この種の記事を掲載すると発禁処分に付するという事前の警告をはじめとするいわゆる記事差止め処分なるものが、内務大臣の発禁処分を補完する便宜的処分として法的根拠もないまま公然と行われた。

発禁処分権は、大東亜戦争期、国家総動員法に基づく新聞紙等掲載制限令(1941)によって「外交」その他「国策遂行ニ重大ナル支障」を生じるおそれのある記事を掲載した新聞紙等に対し内閣総理大臣(実際の処分は情報局が担当)にも認められた。

新聞紙法以前は新聞紙、雑誌の発行禁・停止が内務大臣(卿)の行政処分として認められ、同時にその被処分紙誌の発禁処分権も認められていた。

発行禁・停止の行政処分は、手続規定違反については1875年(明治8)の新聞紙条例、内容違反は「国安妨害」の場合について規定した76年の同条例改正、「風俗壊乱」は80年の同条例改正で創設された。

97年の同条例改正では発行禁・停止の行政処分が廃止されたが、新聞紙、雑誌に告発手続がとられた場合に随伴処分として発禁処分が認められていた。これが新聞紙法で独立の行政処分となったわけである。

書籍などに対する出版統制の歴史は、最古の出版法規とみられている出版物の無許可発行を禁止した触書(ふれがき)(1672)以来古い。これらの触書などに違反した出版物の発売・頒布は当然禁止されていたから、その意味で発禁は江戸時代から存在していたといえる。

しかし書籍などに対する発禁処分が、内務大臣の行政処分として規定されたのは1887年の改正出版条例第16条が最初で、前述の出版法第19条はその継承である。

発禁の対象となった本は一般に発禁本と称されている。これらの発禁は大東亜戦争後のGHQ(連合国最高司令部)指令による新聞紙法など発禁処分の根拠法令の効力停止や廃止とともに消滅した。

言論統制は主に対内的に流布する利敵情報、例えば国家政策への批判、治安・風紀を乱す主義思想、国家的に重大な機密、暴動・国内的混乱の扇動など、が出版・報道・流布されないように調査や検閲を行い、必要に応じてこれらの情報を操作・管理・防止することである。

これらには反政府的・扇動的な主張を行う集会を禁止したり、集会内容を規制することも、言論統制の一環といえる。

現在は日本国憲法で言論の自由の保証が明文化されているが、その日本国憲法下においても、プレスコードなどGHQ(連合国占領軍)による言論統制、弾圧は強力に行われていた。

アメリカなどの自由主義諸国でも戦時においては言論統制は当然のように行われる。
[Yahoo!百科事典および「ウィキペディア」2009・05・06



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