2009年05月27日

◆マスク着用率の変化


                   鷹野和美(医学博士・疫学)

「新型インフルエンザの大阪・兵庫の流行期は既に過ぎ、終息に向かいつつある」と、中央からメディアを通して伝えられた。大阪・兵庫は双方とも、感染の確認から一週間程度がピークで、現在は厳格な予防措置は必要ないという。

これを書いている今は26日(火曜)だが、25日(昨日)の出勤時間帯から、大阪の風景が一変している。

先週22日(金曜)までは、マスク着用率80%で、僕のようにマスクを着けずに歩いていると白い目で見られたものだが、昨日からはマスクを着けている20%の人々は「まだ着けてはるの?時代おくれでっせ」とでも言われんばかりの急激な変化だ。

専門家たちは「罹患者はマスクを着用することに意味があり、そうでない人には意味がない」「予防はうがいと手洗いという基本行動を確実に履行すること」という事実を上手に伝えられなかった。

僕も大学の教授や学長職を経験しているからわかるのだが、99%の確率で大丈夫と分かっていても、1%でもリスクがあれば、「大丈夫ですよ」と、語ることができない。1%の責任を問われる事態を恐れるのだ。「罹患していない人がマスクをすることに意味はあまりありません」という発言を専門家がするようになったのは、今月も後半に差し掛かってからだったことからも分かるだろう。

もう一つ大事なことは、今回の我が国の対応と、先進諸外国の対応とのあまりにも大きな差異が、一般に認識されていないことが挙げられる。

最初はメキシコの罹患者数と死亡者数がセンセーショナルに伝えられ、次いで北米から欧州への伝播が連日伝えられた。僕らの眼は世界地図の上にプロットされた罹患者数に釘付けになり、それでも「四方を海に囲まれた日本の水際作戦は完璧」と思いこんで、遠い国の話として傍観者のポジションを崩さなかった。

海外からの到着便の中に、防護服を着た検疫の職員が乗り込み、検査と消毒をする姿が報じられると、その思い込みは次第に変化し、「わが国は新型インフルエンザとは無縁」という確信になったように感じた。

「水際作戦」が奏功したら、我が国の公衆衛生行政は世界から脚光を浴びたに違いないし、ほとんどの関係者と国民がそう願っていただろう。それでも、それは願望だけで終わり、逆に「あれだけ厳しい検疫を敷きながらの大流行」ということで、世界の耳目を集める結果となってしまったのは、なんとんも皮肉な状況であった。

国内の罹患者が確認されると、大阪府と兵庫県では、いち早く「休校措置」や「不要・不急の集会の禁止」という方針を打ち出して、蔓延防止に努めた。欧米では弱毒性と判明した時期から、新型インフルエンザのリスクと、社会的、経済的リスクを天秤にかけて、新型インフルエンザを特別扱いしないことを決めた。その対応の差の一面は、連日伝えられる経済的損失として表れてもいる。

誤解を恐れずに、本当のことを伝えようとすると「今回はH1N1型だったからそんなことが言えるけど、これがH5N1型だったとしたら、同じことを言えるのか」と論理をすり替えて糾弾される可能性はある。

しかし、H1N1だから、こういうことを言っているのであって、これが強毒性と分かれば、端からそんなことは言わない。弱毒性と分かってからも、早急に正常化へのかじ取りができなかった我が国の状況と、早くから大人の対応をした欧州の国々とを比べてみると、初期対応の難しさと、真実を伝える勇気と熱意の重要さというものを痛感させられた。

厳重な対応をとったが、感染予防に対して効果がなかったことを責めるべきではないし、責められるものでもない。もしかしたら、何もしなければ、もっと爆発的に罹患者が増加した可能性は残る。ただ、即応性という点で配慮すべき状況にはあったと思う。

橋下徹大阪知事が、中央に対して措置の緩和を盛んに訴えていたが、その判断を待たずに、知事の権限であと一週間早く府民生活の正常化ができていればと思うのは、政治の素人だからだろうか。

春の学会シーズンを迎えた関西では、医学会の延期も相次いだのだから、医学の素人である為政者たちにその判断をしろというのは酷なんだろう。ただ、今回の騒動で、各方面の優秀なブレーンを揃えておくことの重要性が非常に高いことを、為政者たちは学んだのではないだろうか。

「疫学的(医療統計学的)に有意ではないから、危険性を考えなくていい」という判断は、慎むべきか否か、意見が分かれるところであろう。

例えば、狂牛病の場合には、全頭調査が正しいに決まっている。サンプルを抽出して、その牛に海綿体脳症がなければ、母集団にもないという判断は、消費者にとって危険度が大きすぎる。

生命に直接的に係るような疾患の場合と、そうではない疾患の取り扱いは自ずと違う。集団健診の場合にもターゲットとする疾患の影響の大小・多寡によって、予算や手間暇のかけ方が違う。

今回の戒厳的な予防措置の正否や適否を問うのではなく、冷静に反省点を見つけて、科学的に検証することが最重要だろう。現時点での終息傾向は大阪・兵庫でのものであり、他の地域には当てはまらないし、当の大阪・兵庫だって、今秋から今冬にかけて再燃期から蔓延期を迎えることになるはずだ。

アメリカで流行っているという「インフル・パーティー」は、ちょっとやりすぎというか、ブラックユーモアが過ぎるとも思う。非常に軽い症状なので、罹患者を囲んでパーティーを開き、今のうちに罹患して抗体を持とう!ということらしいが、あまりナメてかかるのもどうかと思う。やりすぎ、ナメすぎ、どちらも大人の対応ではないと思う。

大人の対応は「期に臨んで敏」ということなんだろう。それは別に欧州に学ぶことではなく、それこそ、我が国の善き伝統だと思うのだが。(完)
2009.05.26
<文部科学省 (財)国際生涯学習研究財団 理事
  東京大学大学院医学系研究科客員研究員 >

           

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