2009年05月28日

◆山科だより 「小野」「醍醐」


渡邊好造

山科区には"小野小町(おののこまち)"所縁の町名が10あり、地下鉄東西線「小野(おの)駅」の東側一帯に位置する。

中心となるのは”小野御霊町(ごりょうちょう)”の「随心院(ずいしんいん)=真言宗」で、小野一族の邸宅跡に正暦2年(991年)に僧・仁海が牛皮山(ぎゅうひさん)曼荼羅寺を創建し、寛喜元年(1229年)その子坊が「隋心院門跡」となり、現在に至る。

"小野小町"は、仁寿2年(852年)に宮廷を辞したあと40年間、「随心院」内の”小町の化粧の井戸”あたりに住んでいたといわれる。彼女は、平安時代36歌仙の一人で、その美貌から多数の男性に言寄られたが、なかでも深草少将の99日目で力尽きたという「百夜通い」は有名である。

3月第4日曜日に開催される”はねず踊り”は、小町が"はねず(薄紅色の梅)"の咲くころに里の子と楽しい日々を過ごした、という故事に由来する。

承久の乱(承久3年=1221年)、応仁・文明の乱(応仁元年=1467年〜文明9年=1477年)で焼失したが、慶長4年(1596年)に九条、二条の両宮家が門跡に入り再興された。本尊は如意輪観世音菩薩像。国重要文化財として阿弥陀如来像、快慶作の金剛菩薩像、絹本着色愛染曼荼羅図、随心院文書など。庭園と書院は徳川秀忠夫人・天真院尼が寄進した。境内は国史跡である。

"小野"の南隣には"醍醐(だいご)"の町々が並んでいる。

ここは山科区ではなく伏見区だが、行政区が異なるとはいえ豊臣秀吉の"醍醐の花見"で有名な「醍醐寺=真言宗」を『山科だより』が素通りする訳にはいかない。京都市伏見区”醍醐東大路町(ひがしおおじちょう)”にあり、地下鉄東西線「醍醐駅」(山科駅から8分)を下車し、東へ徒歩10分位の山科の経済エリアにある。

貞観16年(874年)小堂宇が理源大師聖宝(りげんたいし・しょうほう)により開基された。延喜7年(907年)上伽藍、延長4年(926年)下伽藍、天暦6年(952年)五重塔、永久3年(1115年)塔頭の「三宝院」などがそれぞれ完成した。応仁・文明の乱で国宝の五重塔を除いて全焼し、現存する堂宇は秀吉の寄進によって再建された桃山時代のものである。

昭和7年(1932年)国宝の五大堂が護摩焚きの飛び火、昭和14年(1939年)経蔵が山火事、平成20年(2008年)准胝(じゅんてい)観音堂が落雷などで、いずれも上伽藍の建造物を焼失した。上伽藍へは急坂を約1時間かけて登る。

「三宝院」は、「醍醐寺」の総門を入ってすぐの左手にあり、表書院は国宝である。庭園は秀吉が花見の際に自ら設計し指示したといわれる。

「醍醐寺」は、古都京都17の社寺城の1つとして、平成6年(1994年)世界文化遺産に指定登録された。主として木と紙に関する文化の宝庫で、国宝41、重要文化財約4万点、未指定の寺宝文化財は15万点に及ぶといわれ、毎年春と秋に寺内の霊宝館で特別展示される。2月23日に「五大力尊仁王会(ごたいりきそん・にんのおえ=五大力さん)」が行われ、この日限定の御影(みえい=災難除け守り札)が授与される。当日、巨大な餅を持上げる大会も催される。4月第2日曜日には秀吉の醍醐の花見にちなみ桃山絵巻「豊太閤花見行列」が繰広げられる。

”醍醐”というのは、もともと「醍醐寺」が創建されたころに造られていた乳製品のことで、牛または羊の乳を「乳(にゅう)→酪(らく)→生酥(なまそ)→熟酥(じゅくそ=サルピスといい、カルピスの語源)→醍醐」の順に精製し、5番目の「醍醐」は、薬用にもされる濃厚甘味な最高の乳性飲料で今で言う練乳である。"醍醐味"は、もっとも美味なものを意味するが、「これこそ野球の醍醐味(何物にも代えられない楽しさ)だ」といった表現にも使う。

また、釈尊の一生を5期に分けた天台宗・教相判釈(きょうそうはんじゃく=仏教全体を体系化)は、1)華厳時(37日)、2)阿含時(12年)、3)方等時(8年)、4)般若時(22年)、5)法華涅槃時(8年1日半夜)の計50年のうち5つ目 の教理を"醍醐の教え"といい、最上の説法としている。

現在の"醍醐"の町々の周辺地名は「醍醐寺」に因んだものだが、寺名は山ノ神化身の老人が湧水を飲み「醍醐味なるかな」と言ったことに由来するらしい。

平安京といわれた京都だが、11年間の応仁・文明の乱で平安時代以前の神社仏閣などの建物はほとんど破壊され、醍醐寺も例外ではなく、最上の説法"醍醐の教え"も役に立たなかった。

ただ、山科がこうした戦乱に巻込まれたということは、見方を変えると京都エリアとして認められていたということ。そうでなかったら、”山科タケノコ”しか名物のないただの田舎だったであろう。

その”山科タケノコ”も宅地開発が進みあまりとれなくなっている。タケノコは肥料をやり、オガクズを積上げるなどの手間をかけてこそいいものに育つ。親竹から離れた所に勝手にボコボコ生えてきたのは「親なし」といって美味しくない。山科が京都の一角でなければ、山に囲まれた、つまらない”親なしエリア”であったに違いない。(完)



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