2009年06月29日

◆無国籍者のアイデンティティー




                          石岡 荘十

横浜中華街西門から徒歩数分ほどのところに、古い中華料理店がある。店の経営者、陳福坡(チョン・フウプー)氏は無国籍者である。身長183センチの堂々たる威丈夫で今年米寿。中華街の華僑、最長老だ。

彼は中国・牡丹江生まれで第二次大戦末期、八路軍に追われ蒋介石に従って台湾(中華民国)へ渡った。そこから日本の大学へ留学、同じ台湾の女性と結婚、中華街で商売を始めた。ところが中国大陸では、毛沢東率いる中華人民共和国(中共)が生まれ、1972年、日本は中共を唯一合法的な政府であるとする日中共同声明。

台湾政府(中華民国)のパスポートで日本に来ていた陳氏は国籍を失った。日本と国交のない台湾国籍は失効した。つまり無国籍者となってしまった。

このような場合、国籍はどうなるのか、採るべき選択肢は3つ。

1.改めて、中華人民共和国の国籍をとる
2.日本に帰化する
3.無国籍のままでいる

陳氏は、中華民国(台湾)国民であり続けることに強くこだわった。1.の中華人民共和国の国籍も、まして、2.の日本帰化の道も選ばなかった。つまり台湾人としての主体性、アイデンティティーをしっかりと持ち続ける決意をしたのだった。

無国籍、つまり日本人でも外国人でもないという宙ぶらりんの状態の住民は、住民ではない。従って、選挙権はない、健康保険に入れない、パスポートが取れない、つまり自由に海外旅行ができないなど、日本人、あるいは、国交のある国のパスポートを持っている人には当然与えられる権利も認められず、日常生活でさまざまな差別を受ける。

「そんな意地を張らず、帰化すればいいじゃないか、いやなら荷物をまとめて出て行け」という“国粋主義者”もいるが、陳氏にとっては日常生活の不自由と引き換えに、台湾人としてのアイデンティティーを放棄することはできなかった。

陳天璽(CHEN Tien-shi)はそんな福坡氏の6番目の子(三女)として、1971年、中華街で産まれた。中華街の路地が彼女の遊び場だった。

小中はアメリカンスクール、高校は地元の公立高校、そこから筑波大学に入学して修士課程へ進み、在学中にハーバード大学客員研究員、母校で博士号を取った。

北京語、英語、日本語を自由に話すトリリンガルの才媛である。が、アヒルの子は所詮アヒル。アメリカなどでは、出生地の国籍を自動的に取得する生地主義だが、日本ではそうはいかない。この国は血統主義を採っているからだ。つまり日本では無国籍の子は無国籍の頸木から逃れることができず、無国籍だった。

この間に経験したさまざまな無国籍であるが故の差別、特に海外の無国籍者調査のため出入国のたびに強いられる、煩雑な手続きにはうんざりした。だがこのことが却って、彼女を「国家と個人の関係」「世界の無国籍者はなぜ?」の研究に駆り立てた。

古くは、アンネ・フランク、スタルヒンら白系ロシア人たち、最近では沖縄の無国籍児(アメラジアン)、フジ子・ヘミング、赤軍派重信房子の娘、メイさん、そして華僑も皆無国籍だった。

なぜ? 世界に足を伸ばし、研究を効果的に行うために、親の考えに逆らって日本に帰化、赤い表紙のパスポートを取得した。しかし戸籍登録手続きの中で、係員の勧めにもかかわらず、台湾人としてのアイデンティティー、陳天璽という親からもらった名前の改名には強く抵抗し、残した。

女優池上季実子に似た彼女は、話し相手から視線をそらさずじっと聞き取る。

現在、国立民俗学博物館准教授。研究を通して国家とは何か、ユニークな視点から彼女は研究生活をつづけている。家族、個人、国家、自らの生い立ちから、20カ国に及ぶこれまでの調査・研究の一部が、ノンフィクションの形で著作にまとめられている。

『無国籍』(新潮社 2005年1月)

http://www.amazon.co.jp/%E7%84%A1%E5%9B%BD%E7%B1%8D-%E9%99%B3-%E5%A4%A9%E7%92%BD/dp/4104740012

「無国籍者こそコスモポリタンだ」と彼女は思っている。

子供にアメリカ国籍を持たせたいと、ハワイへ行って出産するバカ女が相次ぐ時代である。

国籍の重みを再認識するためにも、一読をお薦めする。

なお、中国人で初めて芥川賞(「時が滲(にじ)む朝」)を受賞した楊逸(ヤンイー)さんは、彼女の従姉妹に当たる。2009.06.23

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