2009年07月03日

◆壊された麻生人形


     渡部亮次郎

麻生首相は1日、自民党役員人事断念したので内外に「迷走」の印象を与え、低下していた求心力のさらなる低下を招いた。有体にいえば麻生総理は壊れてしまった。いや、森喜朗に壊されてしまったのである。

今後は衆院解散に踏み切る時期が焦点となる。首相は東京都議選直後を模索するが、都議選の結果に加え、内閣支持率、「麻生降ろし」の動向などのハードルが立ちはだかる。壊れた人形はもはや動けない。

<「何回も聞けば、俺がぽろっとしゃべると期待してるのかね。『靴は脱いだらそろえなさいよ』と何回も言わないと分からない子供と同じ程度に扱わないで」

首相は1日夜、記者団が「自民党役員人事は行わないのか」と質問すると、いら立ちをあらわにした。「私の口から(党人事を)やると聞いた人はいない」と繰り返した首相だが、周辺によると、実は前日の6月30日の時点で、なお党役員人事の断行にこだわっていたという。>(読売 2日)まるで子どもだね。

壊れ始めたのは日本郵政の西川善文社長続投問題に伴う鳩山邦夫・前総務相の更迭であった。本質は麻生首相に分があったのだが「運び」の拙さから鳩山が正義の英雄、首相が「ゴリ押し」の図式になって支持率が急落。

このあたりの政局運営は、実に素人っぽく、外野からでも見ていられなかった。筆者は「未熟政治家」と評した。政治の才能はDNAとして遺伝しない事を正確に実証して見せたような拙劣さだった。

岸信介の孫、安倍元首相ですら、心もとないと思ったのだろう。6月24日夜、単独で総理公邸を訪ね会談した。これを承けて麻生首相はあわせて菅義偉選挙対策副委員長らの進言を受け、党役員の刷新と閣僚補充人事で態勢立て直しを図る考えを固めた。

だが自民党内派閥領袖の反発を計算していなかったところが「未熟」である証拠。2007年の参院選惨敗を招いた安倍氏への反発や、衆院当選4回ながら首相の側近として影響力を持つ菅氏への反発も多かった。首相にとっては誤算だった。

30日夕方までに盟友の大島理森国会対策委員長が首相に電話して「静岡県知事選や都議選で一生懸命やっている時に、人事でゴタゴタするのは困ります」といさめたが、首相は党三役を交代させても理解を得られるとの考えを示したという。

<だが、安倍氏の公邸入りの様子を民放のカメラが撮影していたのは思わぬ落とし穴があった。

25日、党内はハチの巣を突いたような騒ぎになった。「安倍が内閣改造をそそのかしたに違いない!」。安倍氏が早期解散論者だと知られていたこともあり、「7月2日に電撃解散」とのうわさが駆けめぐった。

この「7・2解散説」に選挙基盤が脆弱な若手・中堅は震撼した。反麻生勢力のリーダーである中川秀直元幹事長が公然と首相退陣を説き、「総裁選前倒し」の動きが加速したのは、実は「解散阻止」が主たる目的だった。>(産経 2日)

ダメ押しに例によって森 喜朗が登場した。元気付けでは無い。「説得」とは名ばかり。これが「引導」渡しに生るとも気づかずに。
町村派の相談役に退いている事も忘れたかのように30日夜ホテル・オークラで約1時間半もの直談判。

「ここまで来て役員人事をやるべきではない。細田幹事長らはこれまで『政局より景気だ』と一生懸命やってきた。衆院選はこのメンバーで国民に訴えるべきだ」と説いた。

森に背けば党内大多数を敵に回すことになる。首相もうなずくしかなかった。森は伊吹文明・元幹事長は1日夜、都内の料理屋で新党大地の鈴木宗男代表を交えて会談し、党役員人事がなくなったことについて「無駄なエネルギーを使わないことで求心力を保った」との見方で一致した。

派閥の幹部は結束しても、そのことが自民党の総裁を壊し、内閣を死に体にしてしまった事に気付いてはいないようだ。森は政局が混乱しかかるとしゃしゃり出て「穏便」に収拾してみせるのだが、収集にはなっていない。結果、毒を盛っただけである。自民党終焉史が書かれれば森は太字で残るだろう。

<役員人事が不発に終わり、首相周辺の一人は「閣僚補充では内閣支持率が1%も上がらず、これでは選挙はできない」と、首相への不満をぶちまけた。

ただ、党役員人事の断念により、求心力の回復効果は薄まり、繰り上げになったようだ。>(読売2日)(文中敬称略)2009・07・02

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