2009年07月25日

◆「日本のいちばん長い日」にリセット(2)

                    
               藤本 敬八郎 (彫刻家・神戸市在住)

8月15日からほどなくして、太原日本中学校は閉鎖となるが、寄宿舎はしばらく現状維持された。50名以上もいた寄宿生は、それぞれ親許へ帰省し、最後に残ったのは生徒3名と舎監、賄いの計5名となった。私の場合、親許までは当時の汽車で、通常でも3 泊は要する遠距離にあった。

日本の敗戦を契機に、蒋介石ひきいる国府軍と毛沢東配下の八路軍との内戦は激しくなり鉄道、通信の治安は急速に悪化したことも、帰省を阻んだ直接の原因であった。

青雲塾という名の寄宿舎―。

閑散となって、もはや規律を失った寄宿舎には朝の点呼も朝礼もない。生徒3人が肩を寄せ合って生活していた。ずっと、同胞と思っていた3年生の朝野と南陽は、一人が韓国釜山へ帰ると云い、もう一人は北朝鮮平城が故郷だという。帰国して祖国独立のために働くという2人の心意気が眩しかった。私たちはそれぞれの思いで、帰省の手段を模索する日々が続いていた。

ある日のこと2人の先輩は「汽車の予定がついたので、一足さきに母国へ帰る」と云った。寄宿舎の門前で別離のことばを交わしながら、私は遂にひとりぽっちの残留孤児になってしまったと思った。

2人の先輩と別れて2日後のこと、「一人が傷を負って太原駅にひきかえしてきたので、すぐに迎えに行ってやれ」と舎監の命令。私は急ぎ駅へ駆けつけた。省都の駅舎は大きく、すぐに二人とは会えない。構内で行き交う者も、人の輪からも、手がかりになるものはない。

時間と不規則な人の動きだけが過ぎていくなかで、ついに私は、太中の制服を着た少年を見つけた。彼は静かにプラットホームに佇んでいた。朝野先輩だった。

彼の足許には黄土が付着した毛布にくるまれた物体が、堅いコンクリートの上に横たわっている。南陽先輩に違いない。早く医師の手当てを受けさせなければ、と。しかし、朝野には急ぐ気配はなく、ただ呆然と立ちつくすだけであった。

やっと朝野が口を開いた。「南陽の体をみてやってくれ」。私が汚れた毛布の片隅をめくると、少年は全裸であった。奇麗な白い大腿部には小さなキズがひとつ見える。体はピクリとも動かない。不思議なものを見た思いだった。こんな小さな一つの傷が命を奪ったのか! 脚に触れてみたが人のぬくもりはもうない。肉体の弾力は枯れたように堅く硬直している。一発の銃弾が足を撃ちぬいて、出血多量で死に至った、と朝野は言った。

南陽の死と朝野の述懐―。

南陽の亡骸を火葬場へ運ばなければならない。毛布は硬直した人の形をしている。亡骸を朝野と2人でトラック荷台の高さまで持ち上げるがとてつもなく重い。毛布の塊りは荷台板にぶつかるようにして衝撃音をたてた。申し訳ない音であった。

今でも不思議に思うことは、この一連の出来事の中に舎監の姿が全く出てこない。記憶の中には南陽と朝野と私の3人だけが明瞭な姿で動いてい。トラックの手配は? 火葬場への手続きは……? と思う時、矢張り舎監の先生も同行して一切を仕切られたに違いない。

青雲塾では寡黙になった朝野と2人の生活がしばらく続いたが、ある時を境に雄弁になって、南陽が死に至ったいきさつを話しはじめてくれた。

「お前と別れてから…… 」 と切り出した。太原駅を出た汽車は、東の隣駅「楡次」(ゆじ)を通り、しばらく河川に沿い山腹を削って作った軌道を進行中に、蒸気機関車は一瞬にその黒い巨体をいっぱいの蒸気に包みこまれてしまった。爆破装置に触れてしまったのだ。

間髪を入れず崖の上に中国兵20数名が現れた。3〜40米程の近距離では銃を構えた敵の姿が手に取るように見える。戦闘帽の男。布鉢巻の者。ドイツ式鉄兜を被る者。統一は全くない。服装はどうであれ、銃の引き金で実弾が飛ぶ威力には優劣はない。決して侮れるものではなかった。

攻めるに易く、守りに難いこの崖地の利を読んだ作戦は中国軍の常套手段で、度々相手を悩ませたという。こゝ山西省では、まだ武装解除されていない日本陸軍は治安目的で、この列車にも一個分隊程が同乗していた。

交戦が始まり、分隊唯一の軽機関銃が車窓枠を盾にして火を吐く。三八式歩兵小銃も応戦に加わる。中国兵が柄付き手投げ弾を投げおろすと、くるくる自転しながら客車両近くで炸裂する。敵の銃弾が車窓を打ち抜く。

至近距離交戦は、まさに地獄絵であったという。友軍には甚だ不利な地形に加え、1/3 の兵力でもひるむことなく勇敢に戦った兵士を讃える朝野の口調には力が漲り、それを聞く日本人の私には殊のほか嬉しく、熱いものがこみあげてきた。(つづく)

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