2009年07月27日

◆サントリービール黒字まで45年



 
                     渡部 亮次郎

サントリーの武蔵野ビール工場は歌にも歌われているが、サントリーがビール製造に乗り出したのは、あれが初めてではない。

1928(昭和3)年に横浜市鶴見区の日英醸造(商標名「カスケードビール」)を買収して「新カスケードビール」を製造販売したのが始まりだった。

1930(昭和5)年に前首相・田中義一の愛称に因んで「オラガビール」と改称し、低価格競争を仕掛けたが、大手各社の反撃に遭い、1934(昭和9)年にビール事業からの撤退を余儀なくされる。

1945年、敗戦となって大東亜戦争は終わったが、サントリーは長く国産ウィスキーで王者の地位を占め、ビールには見向きもしなかった。

学生の頃、「アサヒビール」のアルバイトをしたことがある。たとえば東京郊外のバーに入ってアサヒビールを注文。「さくら」である。

殆どの店はおいてなかったから、そのご「アサヒビールはアナタのビール」は売れ始めた。さらに何十年も経って「ドライ」で「キリン」を抜いた。

サントリーは1963(昭和38)年、社長佐治敬三が「洋酒が絶好調で、作れば何ぼでも売れる状態。そんなことでは(=努力しなくても売れることに慣れれば)会社がやがて傾く。だからビールに再進出する」と武蔵野ビール工場でサントリービールを製造、大手三社が寡占状態のビール業界に再進出した。故園田直の友人が責任者になった。

しかし、当時、日本では「キリン」の寡占時代。「アサヒ」もまだ追いつけない状態だったから、サントリーのビールは誰にも相手にされなかった。この頃の佐治社長はそれ程苦にしていなかった。

寡占に胡坐をかくキリンは「営業なんて不要」と言っていたとか。

1967(昭和42)年にサントリーは「純生」を発売。この時「純生」の商標登録を巡って他のビール会社との間で純生論争が展開された。1980年代末からのドライ戦争の只中に、麦芽100%ビール「モルツ」を発売し、以降同社の主力ビールとなる。それでも私がサントリービールを買うことは無かった。

CMで、1980年代にペンギン(パピプペンギンズ)のアニメCM、1990年にプロ野球OBで作られた球団「MALT'S」のCMで多く話題を提供する。1994年には格安の輸入ビールに対抗して、日本で初めて発泡酒「ホップス」を発売する。当初は「節税ビール」と呼ばれた時があったが現在では市民権を得ているようだ。

2005年から、全てのビールを天然水仕込みに変更。同2005年、「ザ・プレミアム・モルツ」がビールとして日本初のモンドセレクション最高金賞を受賞し、サッポロの「ヱビスビール」を中心とするプレミアムビール市場に一石を投じた。

2006-2007年にも、モンドセレクション最高金賞を連続受賞(3年連続最高金賞受賞により「ハイ・クオリティ・トロフィー」を授与されている)。2007年、新ジャンル(第三のビール)である「金麦」を発売。

「ザ・プレミアム・モルツ」「金麦」「ジョッキ生」の好調が追い風となり、2008年上半期には、ビールへの参入を行って初めて日本での課税出荷量の業界シェアの第3位を確保。

また1963年から45年目にしてビール事業が初の黒字となる見通しになった。2009年2月3日の2008年12月期連結決算発表により、ビール事業が初の黒字に転じたと発表、過去最高益も更新することになった。

かくて今やライバル「キリン」との合併話が持ち上がるまでになった。「どうだ、ナベさん、ビールに賭けるボクの経営戦略は当ったろう」佐治さんの声があの世から聞えそうだ。2009・07・25

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