2009年08月23日

◆凶悪犯罪に公訴時効は不要



川原俊明

1995年(平成7年)7月、東京八王子のスーパーで3人のアルバイト女子高生らが、頭部を至近距離で射貫かれて射殺された事件がありました。

残忍なこの事件は、私たちの脳裏にいまだに刻まれています。今日に至るも犯人が逮捕されていません。15年の公訴時効が、あと1年にまで迫っています。

平成16年に改正された現行刑事訴訟法は、殺人など死刑にあたる罪について、公訴時効を15年から25年に延長しました。(同法250条)
 
しかし、刑事法における不遡及の原則(不利益をさかのぼらせない)により、改正時以降の犯罪にしか適用されません。

最近、この事件に知人が関わったとする証言をもとに、中国に捜査員を派遣するそうです。
 
公訴時効という制度は、どんな罪を犯しても、一定の期間さえ経過すれば刑事裁判に持ち込めなくなり、結果的に「逃げ得」を許してしまうことになります。

この実体を国民が知れば、みんな、納得するのでしょうか。ましてや、犯罪被害者、その家族・遺族は、時の経過というだけで、犯人を許せるでしょうか。
 
もちろん、時間の経過は残酷なものです。

捜査が困難となり、証拠の収集がますますできなくなる、という現実があります。公訴時効制度は、この現実をもって、犯罪捜査にピリオドを打とうとするものです。いつまでも、昔の事件の捜査網を維持できない、金がかかる、という理由で。

しかし、考えてみれば、それは、お上の都合にすぎません。被害者・遺族の気持ちはどうなってもいいのでしょうか。

刑事法は、犯罪抑圧に効果を発揮しなければなりません。人を殺しても、15年(今は、25年)潜伏すれば、まさに無罪放免という制度が、果たして犯罪抑止力になるでしょうか。逆効果だと思います。

私は、殺人など一定の凶悪犯罪に対しては、一切、公訴時効を廃止すべきだと考えます。
 
凶悪犯罪の犯人に、逃げ得を許すべきではありません。むしろ、殺人などの凶悪犯罪に及べば一生逃げられないのだ,かならず法の裁きを受けるのだという法制度が、常識的な国民感情ではないでしょうか。

 
公訴時効廃止論に対して、えん罪を生むではないか、という議論があります。
 
捜査機関が、むりやり犯人を仕立てないと、事件が終わらない,という理屈です。むりやり犯人にされても、無罪を主張する証拠が見つからない、というのです。

しかし、それは違うでしょう。もともと、時の経過により,証拠が薄れるのは、やむを得ないことです。

えん罪が作られる前に、犯人であることを立証すること自体、難しいのが現実なのですから。

とはいえ、証拠が残っていても、公訴時効を理由に、犯人を処罰できない、とする方が不合理だ、と言いたいのです。「逃げ得」を許さない健全な社会。そんな社会であるべきです。

いま、法務省で、公訴時効制度の存廃について,勉強会が開かれているようです。

だけど、役人の頭で考えてはいけません。一般常識人から見た、安全な社会を作るためには、どんな制度であるべきか、を再検討すべきです。(完)
この記事へのコメント
例えば、人が殺されて、家族が犯人として疑われることは良くあることです。そんな場合、その家族はいつまで犯人という目で見られ続けなければいけないのでしょうか。無実の場合、愛する家族を失った上に、犯人扱いされるという重大な人権侵害です。嫌疑を掛けられた無実の人には時効だけが救いなのですが、それを廃止した場合、どう救済するのでしょうか。「犯人を処罰しなければならない」という面だけが強調されて「無実の者を処罰してはならない」という面が軽視されている気がします。また、誰かが「犯人はAだ」と偽証した場合、Aの側で偽証を証明できなければ、現実問題、有罪になります。30年前の事件で、偽証を証明し、無罪を取れますか?
Posted by 時効爺 at 2010年02月09日 00:18
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