2009年09月06日
◆巴里だより 清潔さときれいさ
岩本宏紀(在仏)
ベルサイユ宮殿のあの庭園が、王の嫉妬(しっと)の産物というのは有名なはなしだ。
大蔵大臣が自分のために、ルノートルという庭師に造らせた庭が大評判になった。
「王より立派な庭をもつとは怪しからん!」と腹を立てたルイ14世は、いいがかりをつけて大蔵大臣を更迭したうえでこの庭師を招き、ベルサイユの庭園を造らせたのだ。もちろん、もとの何倍という大きさにしたことは言うまでもない。
悲劇のシャトーとも呼ぶべきこのVaux(ボー) Le(ル) Vicomte(ビコント) を見に行った。ベルサイユを見慣れた目にはミニチュアのようだった。
しかし濠(ほり)に囲まれた淡いピンクのシャトーには、えも言えない優雅さが漂っていた。重すぎず、軽すぎず、バランスのとれたデザイン。
何と形容すればよいだろう、石の壁は太陽と雨、風に数百年晒(さら)されて変色し、ところどころ苔(こけ)に覆(おお)われている。ロサンジェルスのユニバーサルスタジオにある巴里のアパルとマンのセット、ラスベガスの巨大なホテルの敷地にたつ縮小版の凱旋門、それを見たときの気味悪さとは対極にある色合いだ。
30年くらい前、イタリアに行った先輩の言葉を思い出す。
「ローマの建物は、初めは汚いと思ったけんど、何日か経(た)ったら染(し)みや汚(よご)れもきれいに見えるようになった。なんとも言えん味わいだね。」
「きれい」と「清潔」は日本では同義語だが、清潔ではないきれいさも、確かにある。これが歴史の重みというものだろうか。(完)
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック