2009年09月11日

◆海軍記念日があった




         渡部 亮次郎

日本では、大東亜戦争以前に5月27日を海軍記念日としており、休日であった。1905年(明治38年)5月27日に行われた日本海海戦を記念して制定された。1945年に敗戦とともに廃止された。

日露戦争は、アジアの小国日本が欧州の大国ロシアに勝利を収めた。その中でも、遠路ヨーロッパ・バルト海から回航された強力なバルチック艦隊(ロシア名:第2・第3太平洋艦隊)を迎え撃ち、これを撃滅した日本海海戦(ロシア名:ツシマ海戦)は、陸上での奉天会戦の勝利(陸軍記念日)と並んで日本国民が記念すべき日とされ、海軍記念日として祝われた。

現在の海上自衛隊も、この日の前後に基地祭などの祝祭イベントを設けている。 主なものに、例年金刀比羅宮で行われる掃海殉職者慰霊祭がある。

陸上自衛隊がアメリカ陸軍式に編成・教育され、旧陸軍との関係を断絶しているの比べ海上自衛隊は旧海軍77年の歴史と伝統を重視しており、旧海軍の末裔を自認している。

現在でも、スマートネイビーを標榜する日本海軍の伝統を重んじている組織である。伝統的な気質としては、純粋な軍人育成を嫌い、シーマンシップ(スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂といった船乗りの心得)に基づいたリーダーシップ(指導、統率力)を持ち、クリューコーディネート(協調、統制能力)も可能な人材育成を前面に掲げることなどがあげられる。

これは、陸軍が基本的に国内にとどまって国土を防衛する任務を担うのに対して、海軍(特にBlue Water Navy)は外国を訪問することが多く、海軍士官は相互親善を深める外交官的な役割をも担ってきたことに由来する。

そのこともあり、陸海空の中で海上自衛隊のみ初任幹部ほぼ全員を海外に出して見聞を広めさせている。

海上自衛隊は、伝統墨守といわれるほど旧日本海軍の伝統を汲んでいる。

観艦式などには日本海軍伝統の軍艦行進曲(軍艦マーチ)が演奏され、海軍の軍艦旗をそのまま自衛艦旗として居る。

海上自衛隊で使われる信号喇叭の喇叭譜も一部を除いて旧海軍のものをそのまま使用しており、君が代の喇叭譜が陸海それぞれ別にあるという変則なことになっている。金曜にカレーを食べる習慣(海軍カレー)も旧海軍の伝統である。

なお、陸空では使用されない「士官」の語も「幹部自衛官」のほかに法令上も用いられている。

一方、陸軍記念日は、日本帝国陸軍の場合、戦前・戦中の休日のことで、3月10日。

明治38年3月10日、日露戦争の奉天大会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領、奉天城に入場したのがこの日であった。翌年からこれを記念して休日としたもの。1945年の敗戦(大東亜戦争)に伴い廃止された。

1945年の東京大空襲は、意識的にこの日を狙って行なわれたと言われている。実際には、当時の日本でこの記念日にアメリカの大規模な攻撃があるとの噂が流布しており、この噂が後になってさも事実であるかのように出回ったものである。

日本では、事実とする書籍や資料が存在するが、アメリカ側の資料では確認できない。ちなみに海軍記念日は5月27日。5月27日には空襲はなく、2日後の5月29日に横浜大空襲があった。

海軍、陸軍の記念日という戦勝記念日は強制的に忘れ、敗戦の日だけを覚えている。情けないではないか。2007・05・27      (再掲)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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