渡部亮次郎
私はNHK政治部で初代の創価学会・公明党担当記者だった。だから創価学会会長当時の池田大作氏にも何回も面談した。その面談の中で池田氏は「渡部さんは折伏(しゃくふく)できる性格ではない」と言明した。
しかし自民党は、1999年10月5日、前年の参院選で過半数を割って参院運営が困難となり、かねてから与党入りを望んでいた公明党と連立を組んだ。それで10年後、政権を失った。
王仏冥合と言って政治と宗教を合体させることなど、部外者には理解困難な理屈を並べて会員を増やした創価学会=公明党だが、内情は、言葉は悪いが政府にたいする「たかり党」以外の何物でもない。
だから与党に早くなりたかった。
勿論、連立当時は、創価学会に対する国税庁の税務調査に怯えていたことも自民党に擦り寄った一因であった。
ともかく、たかりの政党だから初めにたかったのは児童手当の拡大。次いで「定額給付金」すべて定額所得層に会員の多い創価学会のためのものだ。税金を払えない会員が多いから税金を安くするといっても聞かない。
週刊新潮(2009・10・1號)は<祝・連立解消「自公政権」10年の「罪と罰」とする、短いが的を射た一文を掲載している。
<魔法のように痛みを鎮める麻薬「モルヒネ」。だが、依存性は強く、中毒に陥れば死亡するケースすらある事はよく知られている。
9月16日、公明党は、首班指名で山口那津男代表の名を記入し、10年に亘る「自公連立」に幕を下ろした。
連立を画策した1999年。パイプ役は竹岡という男でした(公明党関係者)。
竹岡誠治氏。創価学会の本部職員として、宮本顕治・共産党委員長(当時)邸の盗聴を実行した人物である。
「当時の野中広務・官房長官の知遇を得た彼は両党の極秘会合を赤坂の料亭にセットした。互いの執行部が”肝胆相照らす”仲になったのは、それが大きかった(同)
"曰くあり気"で始まった連立の中で、公明は「持論」を次々と具体化していった。児童手当の拡大。「定額給付金」といったバラマキ。消費税アップを避ける為の定率減税の全廃・・・。
更には「与党ならば提出前の法案に口を挟める。公明は、ストーカー規正法に『恋愛感情を充足する目的で』との文字を入れた。付きまといが学会の折伏にも適用されたらまずいからです」(同)。
一方の自民は、一選挙区2万とされる票を得た。が、「それに依存し、逆に保守としての政策を骨抜きにされた。例えば『教育基本法改正』では、公明へ譲歩し『愛国心』を盛り込まなかった。
結果、多くの保守層が自民から離れ、総選挙惨敗の主因となった。自民にとって公明は“モルヒネ”。一時的に苦痛は和らぎましたが、
逆に身体は確実に蝕まれていった。
誠治評論家の屋山太郎氏も言う。
「今総裁の3候補を見ても、みな保守の心棒を感じられない。明らかに公明と手を結んだ弊害で、自民は民主と同じリベラル政党になってしまった。政権脱回は夢のまた夢でしょう」。
安易に麻薬に手を染めた代償は、果てしなく高く付いたと言うしかない>。
初代公明党担当記者からも一言。公明党は創価学会の出先機関に過ぎない。出先機関としては、政府から果実を持ち帰らぬ事には親元の機嫌を伺う事はできない。だから野党であっては無意味である。
第二の竹岡誠治が出てきて今度は民主党を誑か沿うとする事は自明である。対して小澤幹事長。これまで何度も公明には煮え湯をのまされているから警戒すること当然である。
しかし創価学会に役立たずと罵られたくない公明党。民主党の隙を虎視眈々と狙っているはずだ。山口代表は参院議員だが、元々は弁護士である。弁舌は立つが策士としてはどうか。2009・09・25