2009年10月14日

◆「日本の一番長い日」にリセット(5)

     〜石炭運搬用無蓋車両での脱出〜

               
藤本 敬八郎

終戦の詔勅をラジオ放送で聞いてから、もう幾月がたつだろうか。太原は初冬の寒さが厳しくなってきた。日本陸軍はいまだ山西省に駐屯し、治安維持に努めていたとはいえ、在留邦人を取り巻く諸情勢は日々変わっていった。

「反乱がおきる」というデマが飛び、「邦人の金銭財産の自主的提出」が、まことしやかにに噂になったりして、不安な日が続くようになった。

そんなある日のこと、ここ太原で父と同じ逓信省に職をもつ天野さんという方から連絡が入った。「君の父君から頼まれたのですぐにでも会いたい」。

早速に氏の家へ行った。小学生姉弟のいる日本人家庭で、長らく味わえなかった団欒の時間を共有した私は、安堵と信頼を無条件に感じて、「地獄にホトケ」とはこういう時に使う言葉だと思った。

通信情報手段が尋常でないこのような時に、貴重な情報をいただいた。

概要は、―君のご両親は君の事を一番心配しておられた。いますぐには迎えに行ける情況にないので、太原の引揚居留民団が結成され帰国の時、天野家の家族の一員として一緒に帰国の労をとってもらえないか― 。と頼まれたので近々我が家の同居人になってもらうから持ち物等の身辺整理をしておくように、と念を押された。身辺整理は得意であった。

人付き合いが不得意で寡黙な居候少年は、天野家には多少の違和感を与えてしまったかも知れない。私の代役に実兄をシュミレーションしてみると、その家庭映像は恐らくこうなる。…… 小学生姉弟の勉強をみてやり、面白い話で皆をなごませる映像。家事雑用諸般にそっと手をさしのべ、頼もしい家族の一員として迎えられている笑顔の映像……。一方私は言われたことしかできない、不器用な木偶でくの坊少年に映ったにちがいない。


生死を賭けた集団の大移動を成功させるため、リーダーたちは筆舌に尽くしがたい幾多の困難を解決していかなければならなかった。

太原駅を始発とする引揚者専用列車は、貨物列車を転用したもので、客5車両の連結はなかった。元気な男性は概ね無害車両に当てられ、私はもちろんこの組であった。天野家とは別車両になってしまった。

汽関車が吐き出す煤煙や強風、直射日光をふせぐため、唐きび皮をアンペラに編んで覆い屋根に仕立てた。太い針金を桟に組み渡したが、この程度の素人作業のものは、風圧で吹き飛んで無惨な姿になり、耳の奥まで塵灰が容赦なくとびこんできた。

強烈な寒波の山岳季節風から身をまもるには厚着の上に厚物を重ねるしかなかった。各車両の片隅には一斗缶が便器として置かれた。

列車は山岳地帯を喘ぐように荒い息づかいで東へ走る。途中、南陽が凶弾に倒れたのもこんな崖地だったのかと思わせる所をいくつも通過した。

何日目のことであったか、重要伝達が入った。「鉄橋が破壊され先へ進めない。各自対岸へ浅瀬を歩いて渡り、確約のない迎えの列車の到着を野営しながら待つ」というものであった。河原では木片を拾い集める者、石組みでカマドを作る者、野営ト イレを作る斑。本部からの指揮伝達が徹底されていた。

衛生上問題はあっても、ここには豊富な水量がある。飯盒炊飯は皆なれていた。流水路と溜まりを交互に作って少しでも浄化する。生きるためには咄嗟の機転。難事ほど同胞の絆はかたく、相手を思いやる心がはぐくまれるものだ。

運を天にまかせて待った迎えの列車はやって来た。目的地天津市外港、渤海の玄関口・塘沽タンクウへ向けて再び走りだした。生死をともに乗り越えてきた同胞たちも、ようやく安堵と悦びを分かちあっている頃、一人の乳呑み児が母の胸の中で息絶えた。

寒さと栄養不足と気苦労で授乳が不十分であったという。母子ともに体力は衰え極限であった。貨物列車での大移動は、予想を超える大きな苦痛を与え続けていたのだ。

☆☆
地図にもない小さな引込線に停車した。

大小の石やレンガ、それに可能な限りの大量の木片や枯葉を拾い集めて、荼毘だびに付す準備にとりかかることになった。充分な太さの木材を井桁に組み上げる方法が最適であるが、緊急時に物量の余裕は此処にはない。集めた石を効果的に組むことで火力を上げ、完全燃焼させる工夫をする。

失敗は決して許されない。
炎と煙、木のはじける音。ダンボールの小さな棺ひつぎはみるみる炎にのみこまれていった。酸素の流れ道を作った効果で棺は悲しいまでによく焼かれていった。

亡き者への畏敬の念は、いま荼毘という行為で厳かに野営のなかで執り行われているが、親御さんには本当にこれでよかったのだろうかと思った。人生経験に乏しい14 歳の少年の未熟な心は、何か割り切れぬ不条理を感じて、晴れぬ気持ちに陥っていた。

63年を経た今もこの情景を思い出すと、心は悼む。

☆☆☆
中国の空高く天使になった小さなおまえ父母の胸にもう一度抱かれて青い海、瑞穂の国へ今度は無事に還っておくれ(つづく)
(神戸「行雲誌・執筆者」)

◆<同稿--関連記事>
「日本の一番長い日」にリセット(1) ←閲覧
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