2009年10月15日

◆山科だより「東山ドライブウエイ」

渡邊好造


「東山ドライブウエイ=将軍塚」は、昭和34年(1959年)に開通した3.7キロメートルの観光道路で、大半が山科区に所属し東山区との境界に連なる東山連峰の尾根筋を南北に走る。

南の出入口は、1号線五条通りの山科から”花山(かざん)トンネル”を抜けた東山区側にあり、北の出入口は、日ノ岡峠”厨子奥花鳥町(ずしおく・かちょうちょう)”にあった京阪電車・京津線「九条山駅」(地下鉄開通で廃止)辺りの「将軍塚」が標識である。開通当初走っていた路線バスは廃止、車の通行料も無料となっている。

毎年2月11日(建国記念の祭日)の早朝、山科全域に鳴り響く花火の音でビックリさせられる。

東山連峰”北花山大峰町”(きたかざんおおみねちょう=花山地域は改めて紹介予定)にある仏教系新興宗教「阿含宗(あごんしゅう)」が行う"火の祭典・星まつり"の始まりである。

昭和53年(1978年)に設立され、「東山ドライブウエイ」途中の広大な土地に平成3年(1991年)本部建物が落慶法要となった。"星まつり"は、全国の信者が商売繁盛などの願い事を記した木札を火にくべて祈るが、当日の花火音、狼煙のような白煙などで山科での知名度は高い。

筆者のウォーキング・ルート山科疎水道から西のドライブウエイ辺りの東山連峰を眺めると、所々の黒い瓦屋根に並んで丸い銀色のドーム屋根の突出しているのが見える。

これは昭和4年(1929年)に開設された「京大花山天文台=京都大学大学院理学研究科付属天文台」の頭頂部で、「阿含宗」と同じ町内にある。年1回9月頃に往復ハガキで応募すると抽選で見学可能。地下鉄東西線開通で廃止となった「九条山駅」は、昭和11年(1936年)に「天文台下駅」として開設され、昭和18年(1943年)に改名された。

京都の中心と山科の両方の景色を眺望できる所が、京都市営「東山山頂公園」のドライブウエイ展望台で、広い駐車場は無料である。それ以上に展望の効くのがこの駐車場から北へ100メートルの「青蓮院門跡大日堂(しょうれんいんもんぜき・だいにちどう)=天台宗」の庭園で、目の当りにする景色は圧巻といえる。

東山連峰・大日山”厨子奥花鳥町”にあるこの寺院は、”東山区粟田口粟田山南町”「青蓮院門跡」のいわゆる"飛び地境内"で、久安6年(平安時代・1150年)に創建された。

「比叡山延暦寺=天台宗」の3門跡1つ(他に三千院、妙法院)として、伝教大師最澄が比叡山山頂に建てた「青蓮坊」が起源で、ドライブウエイの付帯名となっている「将軍塚」が境内にある。

塚は、第50代桓武天皇(平安時代・在位781〜806年)が、延暦13年(同・794年)平安京遷都の際、都の鎮護のために造られ(直径20メートル、高さ2メートル)、将軍の土像(2代目・征夷大将軍・坂上田村麻呂を模したらしい)に甲冑、弓矢、太刀を持たせ、京都御所に向けて埋められている。

最寄駅は地下鉄「蹴上駅」で、京都近場の眺めのよい観光コースとしてお勧めだが、徒歩だとハイキングのつもりでお出かけを、、、。

この「東山ドライブウエイ」を境界線にして、東山連峰の東側から西の滋賀県大津市までの間に、明治22年(1889年)京都府宇治郡山科村が誕生し、大正15年(1926年)山科町、昭和6年(1931年)京都市東山区に編入され山科○○町、昭和51年(1976年)山科区に昇格した。

ところが、住民の意識は未だに京都市民にはなりきっていないところがあって、道でバッタリ出会ったりして「どちらへお出かけで、、」と挨拶を交わすと、返ってくるのは「ちょっと京都まで」、京都のどことは言わない。お互いに京都市民の意識が薄いから、京都の中心へいくのだなあ、とこれで納得する。

大阪では「ちょっとそこまで」という曖昧な言い方はあるが、「ちょっと大阪まで」はない。『山科』が”はぐれ京都”から脱却するには、まず住民意識の変革が必要なのかもしれない。(完)

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