2009年10月20日

◆「和紙と源氏物語」への反響

毛馬一三
本欄に掲載した「和紙と源氏物語」を、筆者の母校・関西福中福高同窓会のホームページに再掲したところ、同会の小山富夫会長から下記のような感想を貰った。

<「源氏物語」と「越前和紙」の関係を、興味深く拝見させて頂きました。昨年は「源氏物語」1000年紀でいろんな行事に参加させて頂きましたが、「越前和紙」との関係の話は全く知りませんでした。

これは大兄の新説に値するものですね!

当方も「丹波の和紙」で紙を漉いた経験があります。漉いているうちにだんだんと埋め込まれた模様が現れてくるのは期待感を持って少しづつ楽しんでゆくと言うもので、金平糖作りや、線香花火を連想させます。

昔の日本人の持っている繊細な感性なのでしょうか。また、資源を使わなくても十分楽しむ事が出来る生活の知恵なのでしょうか>。

◆さて、ここから拙稿です。

同窓会のホームページに掲載した拙稿の筋書きは、「世界初の長編小説・源氏物語」を書くようになった紫式部の修練には、「越前国司」に赴任した父とともに「越前」に行ったことが、大きな要因になっていると記したものだった。

当時としては宝に等しい「越前和紙」と、そこで出会ったことが、式部が「和紙」に気楽に筆を走らせながら筆力を高め、宮中入りしてのち「源氏物語」を書く際の自信にむすびついたのではないかと思われる。

そこで、その拙稿に説明を付けて再び送信したので、あらためて下記に付け加えたい。

<さて、父為時の薫陶よろしく秀逸な文学娘の紫式部であったとはいえ、「越前の古紙の里」に父の赴任に同道していなかったら、「世界最古の長編小説・源氏物語」へのモチベーションは、準備出来なかったかもしれません。

もちろん式部の父が中級貴族ながら、藤原道長をたぶらかし、憧れの「越前国司」になったのは、自らの財産を築きたかった強欲にほかありません。でも宮中に送り込みたい文才豊かな娘に、有り余る「古紙」を与えて才能を磨かせる悲願も当然あったと思われます。

平安時代、「古紙」は宮廷の貴族にもなかなか手に入らない貴重な品で、それを自在に使いこなせた式部が、のちに宮中に上がって「源氏物語」を書き始め、同時に清少納言と覇を争ったほどの実力を身につけた原点は、父が巡り合わせたこの「古紙」だったことに間違いありません。

こうした父の豪腕ぶりと娘への偏愛ぶりの裏舞台が表に出ないのは、「源氏物語」を歴史に残る「純文学」にしておきたい文学者の偏った想いからです。しかも式部は、離婚後、道長の推挙で宮廷女官となり、「源氏物語」に着手することになるのです。

「源氏物語」が純文学であることは不動の見方ですが、実はそうではなく、疎ましい宮中政治を暴いた「政治小説」と指摘する学者もいます。私も後者に納得します。

高麗(918〜1392)が、日本との貿易を盛んにした訳は、日本との外交を円滑にし、倭寇の侵攻や政治的外圧を避けたかったためといわれています。ですから地理的に両国間の近距離である越前が母港となり、その越前国司が金銀で篭絡されたという構図なのです。

「古紙」だけの利益だけではなく、「高麗」の貢物の目をつけ式部の父は、豪腕な政治家であり、経済人でもあったのです。ですからその娘の式部は、素晴らしい父をもったことになります。

文学の素養を身に付けさせ、一生「和紙」に不自由することなく、しかも道長を通じて「宮中」に上がらせてもらい「源氏物語」を書けたのも、まさに父のお陰と言えます。

余談ながら、この話題より以前の「万葉集」にも秘話があります。歌の幾種かには、新羅から攻められることを心配する百済宛の天皇の「暗号メッセージ」であることが、韓国語で解読すると明らかになるそうです。古代文学は、歴史の裏舞台が沢山秘められています。時間があれば、何か書いてみたいですね>。(了)
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